ROCKSTEADY
相川丹
山奥に建っている、たかいたかい塔のてっぺんで。
想子と未明と雪絵とあたしと、四人そろって、わんわん泣いていた。
風がつよかった。髪がみだれて、顔にからみついた。それを払いもせずに、けだものみたいなうなり声をあげて、あたしたちは涙をながしつづけた。
――という夢をみた。
めざめたとたんに、号泣していた理由はわすれた。
はじめから、前後の脈絡はなかったのかもしれない。夢は唐突で、不条理なものだから。
ただ、胸がいっぱいになって、のどがふさがって、まぶたの裏が熱くなる感覚は、それぞれの箇所にはっきりときざまれていた。
ほんとうに泣いていたみたいに。
だから、しばらくのあいだ、ベッドのなかでぼんやりしていた。
夢のなごりがゆっくりと冷めていって、脳もからだも、百パーセント現実にかえってくるのを待ってから、あたしはかけぶとんを押しのけて、起床した。
部屋はあかるかった。カーテンから、太陽のひかりが透けている。
正面にキッチンと玄関、右手にトイレと浴室、左手にもうひとつの部屋のドアがある。
2DKの、あたしのちいさなすみか。いつもの風景だ。
壁の時計をみて、ためいきがもれた。
十一時をまわっている。もう朝じゃないね。
昼だよ。おひる。ちなみに、あたしの名前は伊東まひる。どうでもいいか。
ベッドのわきには、からになったビールのロング缶と、DVDのケースがちらばっている。どっちも一ダース。
夜中の四時まで(これも夜じゃなくて、早朝か)男ともだちに借りた「Zガンダム」を観ながら、だらだらと飲んでいたのだから、寝坊するのもあたりまえだった。
たしかに、おもしろかった。つづきも貸してもらおう。
もともと、まんがやテレビゲームは好きだ。そのての趣味にたいする偏見はない。
ないんだけど、ガンダムから歴史や政治や人生を学んだと力説する、あつくるしい男の子の、なんと多いことか。そういうやつにかぎって、女のオタクをつめたい目でみるんだよね。おまえのイタさとおなじだっつーの。
DVDをそろえて、あき缶をスーパーのビニール袋にまとめた。
ふと、パジャマがわりのTシャツをつまんだ。えりもとがぐっしょり濡れて、肌にはりついている。あれだけ酒をかっくらえば、寝汗もかくだろう。
かつて、自分でデザインしたTシャツだった。うすい桃色の布地に、あたしの味のある筆跡で(へたともいう)、赤く印刷されている。
LYRICAL BEAT SYSTEM。
こんなもんを着てるから、あんな夢をみたのかな。
苦笑しながら、あたしはTシャツと下着をぬぎちらかして、まっぱだかで浴室のドアをあけた。男の子とくらしているわけじゃないし、らくちんがいちばんだ。
※
十代のおわりから二十代のなかばまで、がむしゃらに働いた。
めちゃくちゃたのしかったし、おなじくらいつらかった。とにかく、無我夢中でかけぬけた数年間だった。
毎日が、人生の分岐点になる。
運命をかえる瞬間が、連続して舞いおりる。
多くのひとがのぞんでもかなえられない、おそろしく濃密な季節がめぐる。
――すべてが過去にながれさったいま、あたしは怠惰な生活に首までつかっている。
ここまでぬけがらになれるとは、われながらおどろきだった。
もうすこし。
あとすこしだけ、休ませて。
ふたたび闘争と祝祭の渦中へとこの身を投じる熱情が、からだの芯にふつふつと満ちてくるまでは、ねむるように生きていさせて。
そう祈ったのは、かみさまでも、ほとけさまでもなく。
夢のなかでともに泣きじゃくった、三人の戦友にたいしてだった。
※
ポロシャツにミニスカートをあわせ、セルロイドフレームの伊達めがねをかける。おととい切ったばかりの髪は、ちゃんとドライヤーをあててから、ワックスをなじませてうしろに流した。ショートカットのほうが、ととのえるのに手間がかかるね。
A4の雑誌がはいるくらいの、ちいさなトランクをもって、外にでた。
あたしが住んでいるのは、八階建てのマンションだ。五〇五号室。
築年数が古いわりに、家賃はたかい。最寄りの駅まで徒歩二分、都心まで地下鉄で十分という交通の便利さが、理由のひとつだった。
車内はがら空きだった。平日の昼間はこんなもんだ。
手近な席についたとき、意識のはしっこに、なにかひっかかった。
みあげると、あたしもときどき買うファッション誌のつり広告に、想子の写真がつかわれていた。
そういえば、二、三日まえにメールでいっていたな。表紙に載るって。
ふわっふわの巻き髪に、ブランドもののジャージ。ふだんとはちがう雰囲気のおしゃれをして、こまったようなほほえみを浮かべる想子は、あいかわらずガーリィな魅力にあふれていた。
メンバーでもっとも男の子に人気があったのは、ボーカルのこいつだった。「愛され」とか「モテ」なんて単語がとびかう雑誌には、ぴったりのキャラクタだね。
四年の休学を経て、いまは大学に復帰している。
どんだけ浮かれポンチなキャンパスライフをおくっていやがるのかと思いきや、仕事のときをのぞけば、朝から晩まで講義、講義。立場としては、四回留年したようなもんなので、なかなかたいへんみたいだ。
※
あのころは、学校にいってるひまなんかまったくなかった。
あたしは一年浪人して、けっきょく進学はしなかった。もともと、勉強したいこともなかったし。
親はずっと心配していたけど、デビューして三年めの大晦日をさかいに、なにもいわなくなった。あそびでなくこれが仕事なのだと、紅白歌合戦でドラムをたたいている娘をみて、ようやく納得したらしい。
高橋未明はジュリアード音楽院(!)を中退し、いまのあたしみたいなニート生活をおくっていたところを、雪絵にとっつかまって、この世界にいれられたという。
世界的なクラシック奏者への途がひらけていた天才に、ギターをサントスからストラトキャスターにもちかえることを、雪絵はどうやって納得させたのだろう。いまだにふしぎだ。イチローに野球をやめさせて、プロレスをやらせるようなもんだよ。
その安藤雪絵は、だれでも知ってる有名な私大を、ろくに通いもしないくせにきっちり四年で卒業したのだから、どんなマジックをつかったんだか。天は二物をあたえずっていうけど、三物や四物はあたえるらしい。
作曲もできる、編曲もこなせる、キーボードもベースも弾ける、文字どおりのマルチプレイヤーである。ほんとうは詞もかけるし、唄もうたえるんだと思う。ひとりでぜんぶ、できるんだ。
でも、あのこは。
バンドを結成することをえらんだ。
バンドだけが放つことのできるエナジーを、しんじた。
緒川想子がもっている雰囲気そのままに、ひとを惹きつける天性の唄声をささえて、このメンバーでつくりあげてゆく音は、最高にきらきらしていた。
自分がすごいドラマーだとは、ちっとも思わない。
でも、あたしがいて、ピースの一片として機能していた、リリカルビートシステムは。
世界でいちばんかがやいていたバンドのひとつだと、断言できるんだ。
※
ターミナル駅でおりた。
この街にひっこしてきて数年がたったけど、だだっ広い地下街のつくりは、いまだに把握できない。迷路だよ、迷路。通路を一本まちがえただけで、どこにいるのかわかんなくなる。おなじ店のまえをいったりきたりして、ようやく目的の出口をみつけた。
地上はのどかだった。ひとも車もひっきりなしにゆき交っているけれど、朝の気ぜわしさも去り、夜のにぎわいも遠く、半眼になってまどろんでいるような空気は、いまのあたしにふさわしく思えた。
携帯電話にメールでおくられてきた地図をみながら、表通りからなかに折れて、ほそい坂道をのぼる。
それだけで、たいして暑くもないのに、おでこや背中に汗がにじんでくるのは、アルコールがぬけきっていない証拠かな。あるいは、単純にふとっただけか。体重計にのるのがこわい。
民家のあいだにはさまれた、コンクリートむきだしのサイコロみたいな建物が目にとまった。
ちいさな看板に「TRANCE COSMOS CAFE」の文字を確認して、あたしはたどりつけたことに安心した。
赤くぬられた鉄のとびらを押す。
内装にプラスチックのタイルをたくさん用いた、レゴブロックで組みたてたようなカフェだった。レトロフューチャーっていうのかな、むかしのひとがかんがえた、未来の家っていう感じがする。
カウンターのほかに、テーブル席が四つ。おもちゃみたいなデザインだけど、じつはすごく値がはるものなのかもしれない。
そのいちばん奥に、安藤雪絵はひっそりとすわっていた。
自分のからだを抱くように腕をからめて、宙に視線をむけている。
ぼーっとしているようにみえるけど、その目にはしずかな意志がみなぎっていて、思索の世界に身をおいているのが、あたしにはわかった。
コーラのグラスにはびっしりと水滴が浮いていて、口をつけたようすはない。
「ういーっす」
のんきに声をかけると、雪絵は目線をちょっとうごかして、うなずいた。
それがあいさつだった。表情はいっさいかわらなかった。
音楽に関しては、ことばをかさねることを惜しまないが、ふだんは極端に感情をあらわさない女である。
あたしは向かいの椅子にかけて、店のひとにジンジャーエールを注文した。
「元気してた?」
「病気はしてない」
これだよ。ひとを食った回答。
かえってほっとするね。雪絵らしくて。
ギャグでも、バカにしてるのでもない。正直な自己分析といえるだろう。
もともと小ぶりな顔が、もうひとまわりちぢんだようにみえる。やせたというより、やつれたという感じだった。
やぼったいおさげ髪に、着古したジャージとジーンズは、あたしにもなじみのあるすがただ。二、三日きがえなくても、ソファや床で仮眠をとっても、しわになりにくく、よごれがめだたない服装ってこと。
レコーディングは佳境にはいっているらしい。
さぞいそがしかろうと、こっちから電話やメールをするのは遠慮していたんだけど、茶のみばなしでもしないかと、雪絵のほうからさそってきたのだった。
「どうさ、渡瀬はるなは」
と、あたしは訊いた。
シリアスな路線のテレビドラマへたてつづけに出演して、若手本格派の地位を確立したアイドル女優である。あんなふうにかわいく生まれたら、あたしはドラムなんか叩いてなかったかもしれないな。
その渡瀬はるなが歌手デビューすることになって、雪絵がプロデュースをてがけているのだった。とりあえず、シングルとアルバムを一枚ずつつくる契約で、売れゆきがよければ更新してゆくらしい。
「音感や声質はわるくない。音域がせまいから、作曲に制限は多いけど」
「そりゃ、想子みたいなのは、そんなにいねーよ」
あたしがいうと、雪絵はうなずいた。
もともと、リリカルビートシステムは、なにかのきっかけで想子がうたうのを聴いた雪絵が、ボーカリストとして惚れこんだところからはじまった。ふたりが高校二年生のときだという。
メンバーチェンジをくりかえして、あたしがのこり、最後に未明がくわわって、メジャーデビューをはたした。
「自作の歌詞を、わたしやまわりのおとなにきびしく批評させて、何度もかきなおしている。つたないなりに、フックのある表現がふえてきた」
雪絵はたんたんと述べた。
たしかに、こんなことばしかでてこないなら、自分でやらないで専門家にまかせておけよ。みたいな歌詞を、恥ずかしげもなくさらしているアイドル歌手は多い。そうはなりたくないのだろう。
「完全に事務所の意向なの」
「うたうことは好きみたい。でも、しょせんはキャラクタグッズをつくらされているんだと、いい意味で自覚している。だから逆に、自己顕示欲でものをいわないで、すこしでも音楽的にすぐれたCDをつくろうっていう努力をおしまない。謙虚で、かわいいこだよ」
「プロだね。うれっこの女優はちがうにゃー」
「うん。わたしが十七、八のときは、あんなふうになれなかった」
ジンジャーエールがはこばれてきた。あたしがストローをさすと、雪絵はようやくそれにならって、自分のグラスをひきよせた。氷がとけかけて、コーラは色がうすくなっていた。
「ごくろーさん」
「うん」
あたしたちはソフトドリンクで乾杯した。
「まひるは、最近どう」
「ガンダムみてた」
「ガンダム」
「うん。Zガンダム。明けがたまでかかって、三分の一くらいかにゃー」
「三分の一って、どのくらい」
「一話が二十五分で、十七話までみたから――」
「四百二十五分。七時間以上」
「おっ、計算はやいね。さすが早稲田卒」
雪絵は今日はじめて、表情をうごかした。眉のあいだを二ミリくらいよせて、唇を半びらきにする。あきれたのだ。
「まだ、夏休み?」
つきあいのふかい者にしかわからない、かすかな感情の色がついた問いだった。
いたわりと、いらだち。
「燃えないのさ」
雪絵を相手にごまかしたって、ばれる。だからバンドマスターだったんだ。女だからミストレスかな。どっちでもいいか。とにかく、あたしは正直に、かんたんにいまの気もちを口にした。
「リリカルが終わったら、あれもしよう、これもしようっておもってたけど、いざ自由の身になってみたら、先だつものがない」
なにを、とは訊かれなかった。雪絵もわかっているはずだ。
リリカルビートシステムは五枚のオリジナルアルバム、十一枚のシングル、解散後にベスト盤をだした。四枚目のシングルは映画の主題歌につかわれてスマッシュヒットをとばし、そのいきおいにのって、サードアルバムは七十万枚も売れた。
あたしの預金通帳には八桁の数字がしるされている。
ただ食っちゃ寝、食っちゃ寝するだけなら、十年はもつだろう。
※
名だたるロックフェスティバルにもたくさん呼ばれて、武道館でも演って、人気の絶頂にあったときも、あたしたちは全員、サクセスだとかドリームだとか、そういうことばとは無縁の心境だった。
移動はもっぱら電車だったし、ごはんはたいてい〈大戸屋〉や〈モスバーガー〉。宴会だって〈ホットペッパー〉のクーポン券を切りぬいて持参し、飲みほうだい、九十分で千五百円というぐあいで、事務所のひとに「もう一ケタ、値段のたかい生活をしてください」と、わけのわからない怒られかたをしたもんだ。
一万五千円のスカートや、千五百円の本を、あんまり悩まないで買えるようになっただけでも、ずいぶんぜいたくになった気がした。
飲んでいて、終電がでてしまったあと、タクシーのあいのりでかえりながら、わたしたち、いやなおとなになっちゃったね。一時間くらいですむ距離なら、あるいてたよね。なんていいながら、笑いあっていた。
だれひとりとして浮かれることがなかったのは、こころのふかいところで理解していたからだろう。
これは、あらかじめ終わりの決められた物語なのだと。
お互いが、お互いの、自分にはまねのできないかがやきを尊敬していたからこそ、いつまでもいっしょにいられる四人じゃない。
かならず、あたらしい冒険に旅だたなきゃ。
巨大な才能をひとつの場所にしばりつけておくのは、罪、なんだって。
理屈ではなく本能で納得したから、いさかいも起こらず、恨みも生まれなかった。
ただ、とてつもないものを失うさみしさは、胸にうつろな穴をぽっかりあけて、いまもふさがらずにいる。
※
解散をさいしょに決めた雪絵だって、あたしとおなじじゃないかな。
だから、休むまもなく、はたらいている。渡瀬はるなだけでなく、たくさんのアーティストに曲を提供して、レコーディングに参加しているはずだった。
他人のために。
数をこなして、うしろをふりかえるひまをつくらないように。
「依頼はくるでしょう」
「くる」
スタジオでの仕事はとぎれずにまいこんできて、何件かは受けたけど、けっこうえり好みして、ことわったりもしている。元リリカルビートシステムの伊東まひるが参加。というのが、だれかが新曲を発表するときの、話題のひとつになるらしい。あの数年間で、そういう名声をあたしは得たのだった。
「でも、あたらしい音はでないのさ」
あたらしい感動が生まれない。
いままでに身につけたさまざまなテクニックのなかから、その場合にいちばんふさわしいものをとりだし、スティックにのせて放つ。
ジグソーパズルを完成させるような爽快さは、それはそれで好きだけれど。
いままでにみたことのないような絵を描きあげる快感とは、くらべものにならない。リリカルの活動にはそれがあった。
自己模倣を否定しない生きかたもあるだろう。自分にしかだせないものにはちがいないのだから、恥ずかしいことじゃない。そうやって、ファンが求めるものを、十年、十五年と、くりかえし届けつづけているアーティストは、単純にすごいと思う。
でも、それでよしとする者がひとりでもいれば、リリカルビートシステムを解散する必要はまったくなかった。
活動休止でいいじゃない。
ソロでやりたいことをやって、またもどってくればいいじゃない。
比喩でなく、百人以上におなじことをいわれたと思う。
「そうやってもどってきて、以前よりかがやいたバンドがありますか」
具体例を(つまり、以前のかがやきをなくして、けっきょくバラバラになったバンドの名前)をいくつもあげて、雪絵はある音楽番組のインタビューでつめたく回答し、司会者を青くさせたものだった。ミュージックステーションでなくてよかったよ。あの番組は生放送だから、とりかえしがつかない。
「もしかしたら、五年、十年たって、またこの四人で演りたくなるかもしれない。そのときは、リリカルじゃない、べつのバンドをつくります。それが、リリカルビートシステムというすばらしいグループと、それを愛してくれたひとたちへの、最大の礼儀です」
そんなふうにいっていた雪絵が、テーブルのうえに封筒をすべらせた。
「なにさ、これ」
「キック」
三文字でこたえて、雪絵は気のぬけたコーラをのんだ。
あたしもしぶい顔をして、ジンジャーエールをのんだ。
鬱々とした状態を蹴っとばす、ちょうどいい刺激になるっていう意味かな。
ほんと、プライベイトではことばの足らない女だ。知りあってまもないころは、雪絵と想子の仲がわるかったというのも、納得がゆく。
「雪絵」
「なに」
「これをわたすためにあたしを呼んだのか」
「たまたま」
バカみたいにいそがしいときに、わざわざスタジオをぬけだしてあたしと会う時間をこしらえておいて、たまたまのはずがない。
罠にはめられたような、すっきりしない気分で、封筒のなかみをとりだした。
ライヴのチケットだった。
学生街のちいさなホールでおこなわれる、インディーズの対バンイベントだ。千五百円なり。あたしたちもよくこういうのに参加して、ステージングの腕をみがいたものだ。
出演バンドの名前がならんでいる。
SmartBall
2NDLAW
kamikaze-red
ヒカリトカゲ
「ヒカリトカゲしか知らない」
ヘヴィメタルやジャズの素養をはしばしにのぞかせながら、ポップかつキャッチーであることを照れずにまっとうしている、いいバンドだ。いまの売れすじではないけれど。
リーダーの仲田くんとは、いちど飲んだことがある。北斗の拳の敵キャラみたいなファンキーな風貌のわりに、ものごしはじつにやわらかく、リリカルの全員でめんくらったものだ。
「彼らの企画だから。これで三度めかな。毎回、チケットを送ってくれるの」
「みたのか」
「初回はいけなかったけど、二回めはみた」
「どいつがおすすめなのさ」
「みればわかる」
めずらしく、もったいぶるようないいかただった。表現は俳句みたいに凝縮されているけど、本人なりにいいたいことを的確にいっているのが、いつもの雪絵である。
「ふーん」
チケットをながめて、あることに気づいた。
「なあ雪絵」
「なに」
「これ、今日の夜じゃねーの」
「そう」
「くれるんなら、もっとはやくくれよ」
「どうせひまだと思って」
「このヤロー」
まったくそのとおりだが、他人にあからさまに指摘されると腹だたしい。
雪絵はすずしい顔で、ずずっ、とコーラを飲みほした。
※
せまい階段をおりて、受けつけのおねえさんにチケットをわたした。もどってきた半券をバーコーナーでみせると、別のおねえさんが「済」のはんこを捺して、
「ご注文をどうぞ」
「じゃ、スーパードライ」
サーバーからプラスチックのコップにつがれたビールをうけとって、ホールのなかに入った。
ワンドリンクつきだから、実質の入場料は千円か。本来の意味での、インディーズのライヴはこんなものだ。
満員とまではいかないが、けっこうにぎわっていた。数十人がステージのまえにはりつき、もう数十人は思い思いの位置にくつろいで立っている。
出場バンドと知りあいの客が多いのだろう、昂揚と緊張はうすく、全体的にホームパーティのようなゆるいふんいきだった。
手近な壁にもたれて、ビールを飲んだ。こいつとお米は、毎日でもあきない。
物販――グッズ販売は、ヒカリトカゲだけみたいだ。ホールのすみに、見本のTシャツが吊るされている。胸の位置に「ガマク ムチミ チンクチ」とプリントされているのが、まったく意味わかんない。呪文か。
じつは、ライヴってまったくもうからない。
チケットの売りあげだけじゃ、千人のライヴハウスでも、五万人のドームでも、それぞれに赤字である。だから、アーティストはこぞって、わけのわからないグッズをつくるんだ。ガマク、ムチミ、チンクチとか。これ、ふつうに売ってたら、ぜったいナシだろ。っていうものにも、ファンなら募金のようにおかねをつかってくれるからね。
あたしたちだって、もちろんそういう商売からのがれることはできなかったけれど、豪華な衣装とか、おおがかりな舞台装置が必要なバンドじゃなかったから、謎のアクセサリーや謎の写真集、謎の化粧品なんかをつくらなくてもよかった。
Tシャツ二千円、リストバンド六百円、キーホルダー五百円、ステッカー三百円。
まあまあ、お客さんにやさしい物販をやれたと思う。
(ただし、リストバンドが、ちょっとぼったくり。原価を聞いて仰天した。千円で売ってるアーティストさまの良識をうたがうね、あたしは)
※
トップバッターのスマートボールは、ちょっと売れている芸人みたいな、てごろなかっこよさをかもしだしている男の子の、スリーピースだった。ボーカル兼ギター、ベース、ドラム。一曲ごとに、黄色い声援がとんでいる。
ひびわれた音響、せまいステージ、ひしめく観客。
これがライヴだな、と思う。
一万人規模の会場をソールドアウトにできるメジャーなバンドが、キャパシティ数百人のライヴハウスツアーを敢行したりするのを、プロになるまえのあたしはひややかな目でみていた。
ただの自己満足で、いきがって、せまいハコで演るなよ。たくさんのファンに迷惑がかかるだろう。
でも、なぜかそういう立場を経験してしまったいまのあたしは、その気持ちがわかる。
予算やスケジュールの都合はもちろんあるだろう。
でも、ドームツアーなんてのは、ライヴじゃない。ショーだ。
バンドはショーを構成する歯車のひとつと化す。
ただひたすら演奏するだけだったあたしたちですら、最後にはそんな気分におちいったのだから、演劇みたいなステージをこなすヴィジュアル系のひとなんかは、自分がなにをやってるかなんて、もうまったくわけがわかってないと思う。与えられた役割をこなすのに必死さ。だから、どのバンドも寿命がみじかい。すぐソロ活動になる。
全員に、ほんとうの意味で音を伝えられるのは、この規模なんだ。
スマートボールは、きびしいことをいえば、みためどおりのてごろなバンドだった。いくらあたしが自由人暮らしだからって、これをみせたくて時間を割かせたのなら、ビンタするぞ、雪絵。
演奏がおわって、ステージライトが消えた。
押しあいへしあいしながら、ステージのまえとうしろの観客が、若干いれかわる。そとへでてゆく女の子がいるのは、スマートボールだけが目あてだったのだろう。
ライヴハウスのスタッフが、つぎのバンドのために機材の調整をおこなう。
最前列から、まばらな歓声があがった。
ギターとベースのチューニングを、女の子がやっていることに気づいた。
彼女たちがセカンドロウ(って読むのかな。2NDLAW)のメンバーなのだろう。
あっけなくセッティングは完了し、ふたたび壇上が照らされた。
このバンドもスリーピースだ。
ひとめみて、ピンときた。たたずまいに、なんともいえない迫力がある。
ギターの子は、前髪を顔の両わきにのこして、茶色いロングヘアを頭のうえでまとめている。えりのひらいたカットソーに、ほそいブラックジーンズ。
ベースの子は、黒髪をまんなかでわけて、まっすぐおろしている。ブラウスのすそをたらして、スカートにごついベルトを巻き、足もとはブーツだ。
どっちもきれいな子だった。渡瀬はるなみたいな美少女じゃないけど、フォトジェニックというのか、はっと惹きこまれる存在感がある。
ドラムは、黒ぶちめがねに無精ひげの男の子。
あれ。みおぼえがある。もしかして、ヒカリトカゲのメンバーじゃないか。
サポート、いや助っ人なんだ。
場なれしたスティックさばきで、カウントを四つ打った。BPMは百五十。けっこうはやい。
ギターが高音のリフをひずんだ音で奏でだした。
八小節めでドラムのハイハットがからみ、ベースもくわわって、もう一巡。
それだけの十数秒で、あたしは確信した。まちがいない。
雪絵がみせたかったのは、このバンドだ。
この女の子ふたりなんだ。
ベースがボーカルをとってうたいだした。
ギターは軽快な刻みに徹して、太くのびやかで中性的な唄声をひきたたせる。自己主張のはげしそうな顔をして、なかなかやるじゃないの。きれいに息のあったコンビネーションだ。
あ、ギター、ソロですこし走った。そのままの速度で、サビヘ突入する。わっ、もたついた。ドラムのほうがあわててリズムを合わせてあげてるよ。小学校のブラスバンドじゃあるまいし。
技術的には、未完成で、つたなかった。スマートボールと大差ない。
でも、あたしはこころをつかまれた。
わがままで、貪欲で。
性急な。
不相応なほどたかいところにハードルをおいて。
もっと、もっと。
足りない、まだ足りないと、吼えている。
切実で、傲慢な思いこみを、燃料にして。
弦をかきむしる。声をはりあげる。
音楽なんかなくたってひとは生きてゆけるのに、これしかないんだ、わたしにはもうこれしかないんだと、ふつうに生きてゆくことをこわがって、だれよりも愛されたがっているのに、愛なんてはかなくて、共同幻想だなんて、いちいち過敏になって、冷笑して、突っかかって、みんな死んじゃえって憎んだつぎの日に、自分なんか死んじゃえばいいと絶望して、そのくりかえしのなかで、わかってほしい、なにもいわなくてもわたしのことをわかっていたわってほしい、でもなにをいったってバカなおとななんかにわかるわけないよ、わからないことをわからせてやるから黙って聴いてそのままほっといてと、自傷行為みたいに詞をかいて曲をかいてうたって演奏している、そんな感じだった、それがぜんぶ透けてみえたのは、あたしもそうだったからだ、想子もそうだった、未明も雪絵も、そんな時期があったんだ、歳が若くて、本でも唄でもなにかひとつ最後までつくりあげられたら、ひとりですぐに表舞台に立てる時代に、なんで自分とおなじくらい、あるいはもっといやなところがある女と、自分より才能のある女と、喧嘩したりなかなおりしたり、めんどうな思いをしていっしょに演るのか、女はめんどうなことなんてきらいなんだよ、男とちがってむだな努力になまあたたかい価値なんかみとめない、それならひとりで好きなことをやったほうがいいのに、なのにどうして、
バンドなんだろう。
やっぱりバンドなのは、どうしてなんだろう。
疾走感あふれる曲を、たてつづけに七曲やった。
アゲアゲのセットリストにしては、もとからのファンとおぼしき少数をのぞいて、客の盛りあがりはそこそこだった。
このてのイベントにやってくるひとは、多かれ少なかれ、音楽そのものが好きなはずなんだ。無名のバンドもあたたかく迎えいれるこころの準備ができている。
だけど、彼女たちがはなつ焦燥と殺気は、ロックファンもとまどわせるほど、剥き身で無防備だった。
「どうもありがとう」
ボーカル兼ベースの子が最後にそういっただけで、メンバー紹介も、つぎに出演するライヴの宣伝もなく、対バンイベントにあるまじき愛想のなさで、セカンドロウの出番はおわった。
※
カミカゼレッドは、ロカビリー風味をくわえたガレージパンクで、いきおいで笑わせながら盛りあげるタイプの五人組だった。モッシュやダイブがおこって、あたしもこぶしをふりあげてかけ声をあげた。
トリをつとめるヒカリトカゲは、ほかの三バンドとは完成度がひと桁ちがった。彼らだけが、プロの音楽を発信していたって印象だ。
聴いたひとが感動できれば、へたくそだってそれがいいものだ。なんて風潮があるけれど、どうしたって、ゆずれない一線はある。ぜったいにある。すくなくとも送り手のがわは、その一線をわすれてはいけないんだ。その意味で、ヒカリトカゲは安心してたのしめるバンドだ。
でも、ライヴハウスをあとにして、駅にむかうあたしの脳裡にうかんでいたのは、青くさく孤高ぶった、不器用でせつない、セカンドロウのステージングだった。
あれだよな、と思った。
またあそこからはじめればいいのだ。
世捨てびとみたいなふりをして、あたしはいじましく、まもっていただけだった。
リリカルビートシステムの伊東まひるを。
ちがうよ。まちがってる。勘ちがいだ。
あたしは、ドラマー、伊東まひるじゃないか。
マンションに帰ると、あたしはベッドにかばんをほうりだして、もうひとつの部屋のドアをあけた。何日ぶりかな。一週間はたっていないと思うんだけど。
中央にPearlのドラムが鎮座している。スネア、バスドラ、タム、ハイハット、クラッシュ、ライド、一式そろっているけど、いちばんだいじなのはスローン――椅子だった。これだけ、別注でつくってもらったんだ。
あたしがリリカルの印税で買った、いちばんの財産。値段は自分でもバカだと思うからいわない。人生で二度とこんなたかい買いものはしないだろう。
自分にあった椅子をみつけて、はじめてドラムセットは完成する。
壁にはステレオと録音機材がつみあがっていて、ひとつだけある窓は、三重のガラスになった防音仕様だ。もちろん、床も壁も天井も、しっかり吸収材がはられている。
この防音室が、家賃がたかいもうひとつの理由だった。
あたしはドラムにかこまれてすわった。
「やっぱりおちつくにゃー」
声にだしてつぶやいた。
ここはあたしの要塞だ。
世界に祝砲をぶっぱなす、とりでだ。
仕事をどんどんうけよう。なんでもやってやる。
スティックをにぎった。グリップポイントは、はじっこがあたしのスタイル。
なんと、伊東まひるモデルのスティックなんてものをつくってもらったんだよ。一般的なサイズより、かるくてながい。市販もされていますので、ぜひごひいきに。
セカンドロウの曲を頭のなかでながしながら、あたしはフルストロークで、スティックの尖端――チップをバスドラに叩きつけた。
さーて、どんな展開にしようか。
頭でなく腕と足でかんがえながら、即興でフレイズを構築してゆく。
はねあがり、
はじけ、
つらなって、
ひびく、
あたしの音。