Dear Deadman

相川丹




     


「義一=ハンコックだな」
 校門のまえで呼びとめられて、ギイチはふり返った。
 ガードレールに腰かけていた三人の男が、肩を揺すって近づいてくる。髪型や体格はまちまちだが、紺色の学生服をだらしなく着崩しているところは共通していた。ウエノ周辺でこの学ランといえば、暁龍高校の不良ども以外にありえない。
「ぼく、そんなひと知りません」
 おびえた口調でいってみたが、
「嘘つけ。そんな恰好してるやつが同じ学校に何人もいるか、タコ」
 あっさり否定されてしまった。
「ごもっとも」
 ギイチは苦笑した。
 ほどけば肩までかかる黒髪を、後頭部でひとつに結っている。ドレスシャツの襟を立てて、細めのネクタイをゆるく垂らし、学校の制服である濃灰色のスラックスに、白い革靴という組みあわせは、ギイチの定番の装いだ。
「なんか用か」
 訊いてから、
「いや、理由はなんだ」
 といい直した。なにをしにきたのかは明白である。
「理由なんか要るか、タコ」
 最初に声をかけてきたやつが嘲笑した。
「〈天現のギイチ〉をやれば箔がつく。でかい面してウエノを歩けるじゃねえか」
 たしかに、天現高校を代表する顔役は、二年生の義一=ハンコックというのが、ウエノに住む悪童たちの常識である。
「おれがいちばん強えわけじゃねえけどな」
 ぼそりと、ギイチはつぶやいた。
「あん?」
 怪訝そうに眉を寄せる暁龍の連中に、
「なんでもねえよ。――ここじゃめだつ。ついてきな」
 ギイチは掌をうえに向けて手招きした。
 時刻は午前十時半。通学ラッシュはとうに終わったが、地下鉄の駅にほど近いこの界隈は、ひとの往き来が絶えない。
 首をひねってポキポキと鳴らしながら、ギイチは五分ほど歩いて、対決に手ごろな場所へ挑戦者たちをいざなった。隣接する中古車屋の駐車場だったが、その店がつぶれてしまい、廃車が何台か残されただけの空き地となっている。
「で、だれが相手してくれるんだ。三人いっぺんか」
「そんなせこい真似するか、タコ」
 タコ、タコ、とさっきから威勢のいい男は、にやりとして、
「トールくん、やっちまえよ」
 と仲間をけしかけた。
 おめえが闘うんじゃねえのかよ。いうだけ番長。――いくらかしらけた気分で、ギイチはまえに進みでる男を観察した。
 中肉中背。体格はギイチと大差ない。南方系の血を引いているのか、浅黒い肌のもち主だ。しきりに腰のうしろへ手をまわしている。なにか武器を呑んでいるらしい。
「おめえら、一年坊か」
 ギイチが問うと、トールは唾を吐いて、
「だからどうした。天現で二年だからって関係ねえ。一年早く生まれたくらいで調子こくな」
「べつに調子こいてねえよ」
 まんがでおぼえたような科白を得意げに発するあたりが、まさしく一年坊主である。このトーキョーで、学校の名前を掲げて喧嘩をふっかける意味を指摘しても、その幼い頭では理解できまい。
 ギイチはシャツの袖をまくった。
 トールが、隠していたものを抜きはらった。
 鈍い緑色が、陽光にギラリとぬめる。
 青銅製の西洋剣――ブロードソードだった。刃渡りは一メートルほど。斬るというよりは、叩きつぶすための凶器だ。刀剣のなかでは安価なほうだが、重量が三キロ近くあり、自在にあつかうには習練を要する。
 暁龍の生徒に、警視庁の武装許可など下りるはずがないので、むろん違法行為である。
「危ねえもん、だしやがって」
 ギイチは顔をしかめた。
「いまさらびびってんのか、タコ」
「詫びをいれても遅えぞ」
 野次をとばすふたりを、ギイチはにらみつけた。天現高校の顔役が秘めている本来の迫力に圧されて、男たちは沈黙した。
 ギイチは拳をかまえた。上体をわずかに沈め、足の親指に重心を置く。
 ボクシングが、義一=ハンコックが基本とする格闘スタイルだった。
「下克上!」
 けったいな怒号をあげて、トールが斬りかかってきた。
 右手一本で、上段から振りおろす。かなりの膂力だ。
 ギイチは後ろにステップして避けた。
 武器そのものより、それをあやつるトールの肩や手首に注目する。剣は真っすぐ、伸びも曲がりもしない。起点の動きを知れば、切っ先の軌道は読める。
 数度の斬撃を、軽快なフットワークでかわして、ギイチは安心した。トールの太刀筋は単調で、力まかせに振りまわしているだけだった。剣術とみなせる域に達していない。
 横殴りに襲ってくる刃をダッキングでかいくぐり、左右のジャブを顔面に放った。
 トールはひるみながらも、下から青銅の剣を打ちあげる。
 ギイチはあわてず、しかし迅速に、トールの左半身にまわりこんだ。
 利き腕の内側には長い武器が届きにくい。勢いあまって自分の身体を斬ってしまう恐れもある。
 もたつくトールの隙をついて、右のフックをキドニー――腎臓の位置に叩きこんだ。
 トールの動きが止まった。
 間髪いれず、左ストレートを喉へ食らわせる。
 握った拳は、中指の第二関節が突きだしている。一角拳――急所にピンポイントで痛打を与える空手の技術を、ギイチはボクシングに採りこんでいるのだった。
「げはっ」
 濁った苦鳴を発して、トールはブロードソードをとり落とす。ギイチは悠々と、右のアッパーカットで、がら空きのチン――顎をかちあげた。
 血に混ざって、折れた歯がとび散った。
 トールは白目を剥いて倒れた。
「てっ、てめっ」
 残りのふたりが飛びだそうとしたが、ファイティング・ポーズをとったまま、ギイチが正面から向きあうと、壁にぶつかったように足を停めた。
「おめえらのことは忘れてやる」
 ギイチは静かに告げた。
「おめえらもおれのことは忘れろ」
「ぎ、暁龍を甘くみるんじゃねえ」
「ほーお」
 相手のことばに、ギイチは不敵に笑った。
「つまり、おめえらは暁龍の代表として、天現に喧嘩売ってるんだな。上級生も了解済みなんだな」
「うっせえ、タコ!」
「学校同士の戦争ともなりゃ、剣どころじゃねえ。斧もでる。槍もでる。たしか、暁龍の三年にはパイロキネシスがいたな」
 念力放火者のことである。条件は限定されるが、魔術のような複雑な手続きなしに、人間を一瞬で松明と化すことができる。
「天現だって、異能の遣い手を抱えてる。殺しあいだ。何十人も死ぬぞ」
「――」
「敵は学生だけじゃねえ。おまわりも介入してくる。あいつらにとっちゃ、トーキョーの三流高校生なんか虫けらとおなじだ。なんだかんだと理由をつくって、家族ごとめちゃめちゃにされるぞ。かあちゃんや女兄弟がいたら、今から田舎に逃げるよういっとけ。警官には変態が多い」
 ギイチの科白には、威しばかりでなく、そのような事態への畏れがこめられている。それが逆に、不気味なリアリティを感じさせて、学ランの男たちは顔をみあわせた。
「やんのか、こら!」
 ギイチは一喝した。
 あわててトールに肩を貸し、男たちはもつれる足で逃げていった。
 拳をほどいて、ギイチはため息をついた。好きでえらんだ生きかたではあるが、なかなかしんどい。いちど研ぎだした刃は、どこまでも鋭く磨いてゆくしかないのだ。
「腹へった」
 どうせ大遅刻だ、午後からにすっか。――そう決めて、ギイチは学校と反対がわに歩きだした。ウエノ駅の構内に、うまいカレーうどんを食わせる店がある。


     2


「ギイチさん、こんちゃーす」
「おうよ」
「じゃあね、ギイチくん」
「もう帰るのか、おめえ」
「よう、ギイチ」
「うっす」
 学年や男女を問わず、親しみと敬意をこめたあいさつが、あちこちからかけられる。それらにひとつひとつ応えながら、ギイチは二年一組に向かった。
 昼休みを迎えて、天現高校はすっかり開放的な雰囲気につつまれている。このにぎやかでやさしい時間帯が、ギイチは好きだった。
 守りたい。そう思う。だから、無意味な戦争は望まない。暁龍高校の顔役たちに、まともな判断力があることを願った。学校間の問題になったとしても、せめて話し合いで解決したいものだ。
 教室にひとは少なかった。おとなしめのクラスメイトが数人、弁当を食べたり本を読んだりしている。いつもの光景だ。
 そのなかに見馴れない者をみつけて、ギイチは声をかけた。
「めし、もう食いおわったのか」
 ほおづえをついて虚空をみつめていたクレアは、われに返って、ギイチにほほえみかけた。焦茶色のロングヘアが、かすかに揺れた。
 制服のブラウスとスカートがよく似合う。野暮ったさが抜けて、清潔感だけがのこっているのだ。着ている者の資質であった。
「重役出勤だね、番長さん」
「その呼びかたはやめてくれ」
 ギイチは顔をしかめてみせたが、仲がいい証拠のように思えて、わるい気分はしなかった。クレアをきらう男は、過去にふられて恨んでいるやつしかいないだろう。器量よし、性格よし、成績よし、非のうちどころがない。
 暮亜=デインズはだれもが認める、天現高校のプリンセスであった。
 当然、人望も篤い。多くの友だちと連れだって食堂や中庭で談笑しているのが、昼休みのクレアの常なのだ。ひとりで教室にのこり、ぽつんと浮かない顔をしているのは、奇異なできごとであった。
「なんかあったのか」
「うん」
 クレアはうなずいて、髪と同じ色の瞳にギイチを映した。
「ヒロくんのことなんだ」
「ほう」
 ギイチは三ヵ月まえの衝撃を思いだした。
 二年三組の比呂=リンツェイと、クレアがつきあいはじめたときは、大げさな比喩でなく、学校全体が震撼したものだ。
 入学してから何十もの求愛をことごとく断ってきた美少女が、とうとう恋人と定めた相手は、おなじ図書委員で、暇さえあれば本を貪り読んでいるばかりの、眼鏡をかけた小男だったのである。しかも、相思相愛の予感はあったといえ、告白したのはクレアのほうからだというから、みんなの驚愕も二乗であった。
「カレシがどうした」
「ギイチくん、黒地に、白い犬が描いてあるのがトレードマークの不良グループって、知ってる?」
 クレアの問いに、ギイチはちょっと目をみひらいた。
「〈冥き森の獣〉じゃねえか」
 人数は二十人に満たないが、ウエノ界隈で不気味な存在感を確立しつつある、新興の愚連隊である。頭のフミヤという男にかわった噂がまとわりついていて、もともとはシバコウエンにある小中高一貫制の名門校、ゲオルギウス学院の生徒であったが、妖術の研究に傾倒して、放校処分をくらったというのだ。
「金でもせびられてるのか」
「その逆、かな」
 クレアの声が沈んだ。
「ヒロくん、そのおかしなグループに入ったみたいなんだ」
「あん?」
 思わず大きな声がでて、ギイチは自分のがさつさを恥じた。ふだんはそんなことを意識しないが、クレアとしゃべっていると、どうも調子が狂う。
「おそろいのバンダナを巻いて、悪そうなひとたちと街を歩いているのをみたの」
「なんかのまちがいじゃねえのか」
「でも、最近ようすがへんだったし、デイトの回数も減って、夜に電話してもいないことが多くなったの。きっと、その〈冥き森の獣〉で、夜遊びとかしてるんだと思う」
「とても柄じゃねえな」
 オタク野郎のくせに――と続けかけて、あわてて口をつぐんだギイチだが、
「だよね。文化系のオタクくんなのに、なに考えてるんだろう」
 クレアの唇からもれる、かわいらしい罵倒が、かえってヒロへの愛情ぶかさを感じさせて、ますます腹だたしくなった。こんな子とつきあえて、これ以上なにが不満なんだ、お坊ちゃん――
「今日も学校にきてないし、心配なんだ」
 うつむくクレアは、もともとやせている顔が、さらにやつれているようにみえた。
 なにか、いってやりたい。――心労をいくらかでもやわらげることばをさがして、ギイチは思いつくままにしゃべった。
「つぎに会ったときに、訊いてみろよ。あんがい、どうってことない他の理由かもしれないぜ。おまえになにか買ってやりたくて、秘密でバイトしてるとか。もし仮に〈冥き森の獣〉に入ってるんなら、脱けるように説得すればいいさ。クレアにお願いされて、いうことを聞かない男はいねえよ」
「――ギイチくんって、おもしろいね」
 やや想定をはずれた理由で、美少女はころころと笑った。やさしいね、といわれるのが理想だったのだが。
「きみみたいなひとが番長さんだから、天現はふつうのひとも過ごしやすいよ」
「だから番長っていうなっての」
 それでも、クレアから明るい表情をひきだせたことに、ギイチはささやかな満足をおぼえた。


 午後の授業――英語と化学が終わると、ギイチは二年五組の教室に向かった。
 入口のちかくにたむろしていた、崩れた感じの男連中に、
「カエデ、いるか」
 と訊いた。
「昼休みにどっかいっちまってから、戻ってきてねえよ」
「いてもいなくてもわかんねえけどな、〈死体〉だから」
「学校の中で迷子になってんじゃねえの」
 へへっ、とちいさな笑いがおこる。侮りの響きをふくんで。
「ギイチくん、なんで〈死体〉なんかと仲いいの。天現の七ふしぎだな」
「うるせえな、ほっとけ」
 ギイチが少し強くいうと、男たちはにやけた表情をこわばらせた。軽口が過ぎたことに気づいたのだ。まわりの評価はどうあれ、義一=ハンコックの友だちである。
「なんかいってなかったか」
「べつに、なにも。『今日は天気いいね』とか、意味のねえ挨拶をしてきたくらいだよ」
「邪魔したな」
 ギイチは教室をあとにした。
 ほっとした気配が背中を撫でた。半端者ほど、むやみにギイチをおそれるのだ。
 つぎに向かったのは、屋上だった。
 給水タンクのうえにねそべって、手枕に後頭部をのせ、ぼんやりと青空をみあげている男をみつけて、ギイチは自分の予想が的中したことを知った。
「おまえ、ほんとにここが好きだな」
「あ、ギーちゃん」
 楓=ミフネは上体を起こした。
「ギーちゃんものぼってきなよ」
「おれは高いところが苦手なんだ。何回もいわせるな」
 ギイチが渋面をつくると、カエデはあははと笑った。
 といっても、表情に変化はない。声が追加されたというだけである。目を細め、口元をもちあげて、へらへら笑っているのが、この男の常態であった。
 膝丈のカーディガンをはおって、制服のスラックスを腰で履き、サンダルをひっかけている。前髪は目にかかるほど垂れ、後ろ髪は魚のヒレみたいに跳ねているのが、粗雑すぎて、かえって前衛的なヘアスタイルにみえる。
「どうしたの」
「どうしたのじゃねえよ。すぐ授業フケやがって」
「ギーちゃんみたいに頭よくないからさ、おれ。でてもでなくてもおんなじだよ」
「出席日数ってもんがあるだろう。ダブるぞ」
 ギイチの成績は中くらいだが、これはまわりのレベルが低すぎるせいだと思う。暁龍ほどではないにせよ、天現もけっして褒められた高校ではない。だからこそクレアは、おとなしいヒロに惹かれたのだろう。優等生のカップルという点ではお似合いなのだが、いかんせんルックスに落差がありすぎる。
 カエデは給水タンクから飛びおりた。
 身長が百九十センチあるので、並ぶとギイチが見あげるかたちになる。
「カエデ、これから暇か」
「家帰ってテレビ観るよ。やることないから」
「それを暇っつうんだよ。ちょっとつきあえ」
「いいよ」
 即答だった。どこにゆくのかも、なにをするのかも訊かない。以心伝心というわけではなく、カエデはものごとの大半に興味がないのだ。
 能動的になにかをすることが、ほとんどない。生きているのか死んでいるのかわからない。〈死体〉という綽名の由来だった。
 それでも、ギイチのいうことにはよく従う。
 カエデは中学で、学年の主要グループからいじめに遭っていた。殴る蹴る。かばんを便器に捨てられる。金を奪られる。――なにをされてもへらへらとして抵抗しないので、恰好の的だったのだ。
 見かねたギイチは、そいつらを全員ぶちのめした。図体ばかり大きくて意気地のない同級生を憐れんだというより、単にそのグループが目障りだったからだが、カエデは恩義を感じているらしく、以来、なにかとギイチを慕ってくるのだった。
「いくぞ」
「うん」
 ギイチが先にたって、ふたりは歩きだす。


     3


 中央通に面した、二階ぶんくらいの長い石段をのぼると、いっきに視界がひらける。
 噴水のある池を中央にかかえた、横幅が数十メートルもある広い遊歩道。その両わきには葉桜がつらなって、ゆるい風にさわさわと揺れている。
 階段のすぐ右手には、前世紀に無血でのクーデターを成しとげたという、維新の英雄をかたどった銅像がウエノの街を見おろしており、観光客が記念撮影に余念ない。
 ウエノ公園である。
 のどかな平日の午後の風景であるが、ギイチの顔は夏休みの最終日をむかえた子どもみたいに、暗くよどんでいた。
「あー、行きたくね」
 ぼやきながら、のろのろと足を進める。
 ついてくるカエデは、一日の九割以上を占める表情――いつものへらへら笑いで、
「行きたくねえなら、やめたら」
「そうもいくか。同じ学校の仲間が、しょうもない愚連隊に引っかかってるかもしれねえんだ」
 ことのあらましは、道すがら説明してある。
「クレアちゃんにいいところみせないとね」
「うっせえ」
 ギイチは肘でカエデのわき腹をこづいた。かなり強めだったが、まったく堪えていないようすで、カエデはあたりを見わたしている。
 メインストリートの叉路は、すべてなんらかの美術館、博物館と結ばれているのが、ウエノ公園の特色だ。季節を問わず、大勢の観覧者でにぎわっている。
 そのうちのひとつ、白い建てものの前で、
「ギーちゃん」
 カエデがふいに立ちどまって、ギイチの袖を引いた。
「あれ、観たいな。寄ってこうよ」
「めずらしいな、おまえがゲージュツに惹かれるなんて」
 看板に書かれた内容をみて、ギイチは納得した。
〈古代幻生物と魔術――その失われた世界〉
 ――ゲージュツじゃなくて、マジュツだったか。
 二度の大戦を経てすっかり衰退してしまった、占いやまじないの域をはるかに超える真の魔術の実像は、楓=ミフネが唯一、ひと並みの興味を示すことがらであった。
「ねえ、ギーちゃん」
「だめだ。入場料が千円もかかる」
 父親のような気分で(もちろん、なったことはないが)適当にいなしたのだが、
「じゃあ、そのへんの金もってそうなやつをつかまえて、二千円もらおうよ」
 カエデはとんでもないことを平然といいだした。〈もらう〉ではなく、正確には〈奪う〉である。
「これから揉めごとがあるかもしれねえってのに、よけいな体力をつかわすな」
 反対するギイチも、恐喝の善悪はまったく問題にしていない。ふだんの素行がうかがえる。
 ふたりとも、肩で風切って歩きはしないが、けっして正義の味方ではない。科学と魔術が交錯する混沌都市、トーキョーに生きる不良学生なのだった。
 だが、そのギイチですら、ひとりで足を踏みいれるのを避けて、仲間をつれてきたほどの場所が、ウエノ公園には存在する。どんな観光ガイドブックをひらいても、くどいほど記載されているはずだ。――メインストリート以外の路には入らないでください、きわめて危険です。
 都立美術館の裏手にある、そんな禁断の小路の一本。
 天現高校の顔役と、〈死体〉とあだ名される昼行灯のコンビは、その奥に呑みこまれていった。


 表にひろがる芸術と憩いの場とは正反対の、まるで黄泉路であった。
 木々は悪意をもってそうしたかのように、微妙な角度で厚く枝葉を重ねあわせ、陽光のほとんどをさえぎっている。夕暮れどきとも明けがたとも異なる、真の薄暗さが一帯をおおっていた。
 茂みの向こうにみえかくれする青い防水シートは、ホームレスの住み処だ。
 不良以下の屑にいびり殺されるような益も害もない存在は、このトーキョーでは少数派で、アヤセの〈棄民の国〉ほど組織だっていないものの、ウエノ公園の宿なしたちも、独自の連絡網を有し、刀剣や銃器で身をまもっている。
 黒い雲みたいな森のわずかなすきまから、かろうじてうかがえる木造の建てものは、遠い昔に音楽堂だったらしいが、いまはクトゥルフの旧き邪神を崇拝しているカルト宗教の根城として、公園のアンダーグラウンドでもひときわ異彩を放つ存在だ。
 こんな魔界の一角を〈冥き森の獣〉は根城にしているというのが、ギイチが入手している情報だった。まともでないから愚連隊なのだが、そのなかでもさらに輪をかけておかしなグループといえる。
 けもの路を、ギイチは油断なく、しかし気配をころして進んでいたのだが――
「待たんか、きさまら!」
 前方の木陰から鋭い声があがって、ふたつの人影が飛びだしてきた。
 中年と、青年の男だった。肩幅や身のこなしに鍛えたものを感じさせるが、やはり、公園の住人である。無精ひげにおおわれた顔は慢性的な狂気にひきつり、目の焦点が合っていない。
「きさまらのような日和見主義の堕落した学生が、統治の名のもとにに連合国が圧しつけた覇権主義をみとめ、この国を腐敗させたのだ! 自己批判せよ!」
「ギーちゃん。なにいってんの、あのおっさん。意味わかんねえ」
 カエデが耳うちするのに、
「こいつらがダラクしたのはおれらのせいだってよ」
 ギイチはうんざりと答えた。
 自分たちが生まれるまえの政治について文句を垂れられても困るのだが、活動家のなれの果てとおぼしき男たちは、ギイチとカエデを殺せば世界革命が成るかのようないきおいで、それぞれの武器をとりだした。
 中年は、大きなハンマーを両手でにぎって、地面をひきずっている。鉄のヘッドは文字どおり、ギイチの頭ほどもある。
 青年は、折りたたみ式のショート・ソード。ギイチが中学生のころ悪ガキどものあいだで流行した、刃面に龍の図柄が彫りこまれているタイプで、男たちのいう〈連合国〉の製品だ。
 どちらをどうさばこうか、電光の速度で思案するギイチだったが、その横を通って、カエデが前にでた。
 にやけた表情をいっさい変えず、無造作に男たちへ迫る。
 休み時間に水のみ場へゆくような足どりは、狂人と対峙している緊張をまるで感じさせず、豪胆というよりはこちらも狂人にちかい。
「粛清してやる!」
 中年がハンマーをふりあげて叩きおろした。
 カエデはかわしも退がりもしなかった。落ちてくる鉄塊に気づいていないように、ひょいと前蹴りを放った。
 打撃音が暗い世界に響いた。
 ハンマーはカエデの肩口をかすめて湿った地面にめりこみ、蹴り足は中年男の膝を正面からうち砕いていた。
 体勢をくずす中年のえりくびをつかみ、顔面に頭突きを叩きこむ。
 鼻血を噴いてのけぞる中年を見向きもせず、カエデは青年のほうへ反転した。
 まっすぐ突きだされたショート・ソードのふるえる切っ先を、しかし、カエデはまたしても意に介さなかった。
「ひっ――」
 怯えが本能を刺激して、青年は反射的に短剣を薙いだ。
尖端が胸もとをかする。ぷつり、とカーディガンの繊維が切れる音を、ギイチはたしかに聞いた。
 つぎの瞬間、青年の顔面にカエデの拳がめりこんだ。
 吹っとんで木の幹に後頭部をぶつけ、青年はずるずるとへたりこむ。その腹を踏みおろしてとどめをさし、
「終わったよ」
 ふりかえって、カエデは笑いを深くした。
 ギイチは鼻から息を吐いた。
 あいかわらず、凄まじい喧嘩だった。ようすをみるという発想がまるでない。へらへらと間合いを詰めて、ひたすら相手より先に打撃を届かせるのみだ。
 恐怖という感情が欠けている。まるで〈死体〉のように。だから、強い。――天現高校でも上級生の数人しか知らない、カエデの本性、あだ名のもうひとつの意味であった。喧嘩を教えたのはギイチだが、まさか、このような異才を発揮するとは思ってもみなかった。
 神経をとがらせて数秒待ったが、あらたにざわめく気配はたたなかった。とりあえずは打ちどめらしい。
「助かった」
「ギーちゃんのほうが強いけどさ、おれにできることはやんないとね」
 殊勝なことをいって、カエデはカーディガンの裂けめを見おろした。皮膚までは切れていないようだ。仮にそうであっても、この男なら気にしなさそうだが。
「あとでセロテープ貼っとこ」
「縫え。それか、あたらしいの買え」
「金もないし、縫いものなんかできないよ」
「クラスの女子にたのめ」
 男には軽んじられるばかりのカエデだが、一部の女の子には妙な人気がある。野良猫がかわいがられるようなものだ。


     4


 それ以上、敵にでくわすこともなく、ギイチたちは目的の場所に到着した。
 樹木に三方を囲まれた、小さな広場である。四隅に旗がたてられ、黒地に白で、双頭の犬を正面からみた顔が染めぬかれている。
 この紋章のもとに集った十代の男たちが、思い思いのすがたでたむろしていた。旗とおなじデザインのバンダナを、額や腕に巻いたり、腰から吊っているのが共通点だ。
 パーカー、革ジャン、ネルシャツ、ジーンズ、カーゴパンツ、ジャージ。どれもぶかぶかのオーバーサイズなのは、身体を大きくみせるはったりと、動きやすさを重視した結果だが、ギイチはこのセンスが好きでなかった。
 だらしなく楽をしたいのなら、ふつうに暮らせばいいのだ。ふつうに学校に通い、ふつうに働くのが、いちばん効率がいい。〈つっぱる〉という表現が示すとおり、不良というのは、不自然でむだな生きかたである。それをあえてつらぬく自分なりのダンディズムに即して、ギイチは細身のシャツやネクタイ、革靴を愛用しているのだった。
「なんだてめえ、ここがどこかわかってんのか」
 まだ十三、四歳の小僧が、ギイチのネクタイをつかんできた。
 ギイチはさせるがままにしておいた。こいつもトーキョーの喧嘩を知らない阿呆だ。
「いいよ。みてろ」
 カエデが動くそぶりをみせたので、制止した。頼りになるから連れてきたのだが、ある意味、こちらのほうがあぶない。
 せいいっぱい顔をしかめて凄む小僧を無視して、ギイチは広場の奥に呼びかけた。
「なあ、やっちまっていいのか」
「どっち向いてんのよ、こら」
 小僧がネクタイを引く手に力をこめた。
 ギイチの姿勢はかわらなかった。とくにこらえもせず、平然と立っている。
 とまどいと怒りに眉をひそめる小僧のボディに、ギイチは右のアッパーカットを恵んでやった。腹筋は脆かった。堕落した学生ってのは、こういうのをいうんじゃねえのか、と思った。
「うぼうっ」
 盛大な嘔吐から、すばやく身を引く。汚されてはかなわない。
「いい社会勉強になったろう。暗器、爪や指を内気功で硬質化、至近距離で致命傷をあたえる方法はなんぼでもある。むやみに敵に近づくんじゃねえよ」
「ギーちゃんのいうとおり」
「おまえもな」
 ギイチはあきれて、背後のカエデにいった。
 血気さかんなのが二、三人、襲いかかってこようとしたが、
「よせ、義一=ハンコックだ」
 陰気な声に、しぶしぶ踏みとどまった。いわれずとも、束ねた髪と服装をみて、正体はわかっていただろう。
 ネクタイの角度をなおしながら、ギイチは声の主に視線をむけた。
 この場には似合わなさすぎて、かえってシュールな存在感がある、戦前ふうのモダンなソファに坐って、膝のうえに肘を乗せて両手を組んでいる。
 いたるところに鋲を打った、黒いロングコート。目深にかぶったフードの陰からのぞく目は、禍々しいが知性の光を宿していて、ちんぴらとは一味ちがう迫力を放っていた。
「文也=シルバートンか」
「はじめて会ったな。〈天現のギイチ〉」
〈冥き森の獣〉の頭領、フミヤはゆっくりと腰をあげた。
「旗で囲んだ一帯には、簡単だが結界が敷いてある。よく侵入してこられたな」
「結界があるって知られてる時点で、それはもう半分破れてんだよ」
 組織だった〈衛士団〉こそ抱えていないが、天現高校の武闘派たちはほぼ一枚岩で結束していて、みんなが入手した噂や情報は、あらかたギイチの耳に入ってくる。
 ただ漠然と〈冥き森の獣〉の溜まり場をさがしたところで、魔術のちからで意識が反らされ、素通りしてしまうことも。
「名言だ。あんたには魔術師の才能がある」
 フミヤは尊大に笑った。
「で、おれたちになんの用だ」
「用があるのはそいつだけさ」
 ギイチは連中のひとりをにらみつけた。
 ちんぴらの服装が板についていない、銀ぶち眼鏡の小柄な少年が、おびえたようにフミヤとギイチを見比べた。
 暮亜=デインズの心配は、杞憂ではなかったというわけだ。
「比呂=リンツェイ。――そいつはウチの者だ。連れて帰るぜ」
「べつに拉致ったわけじゃない。ヒロは自分の意志でここにいるんだ」
「おまえやヒロの意志は聞いてねえ。連れて帰るって、おれが決めたんだよ」
 ギイチはことばにドスを利かせた。
〈獣〉たちの不穏な空気が膨れあがった。
「ヒロとは小学校の同級生だ。街で偶然みかけて、同じグループにさそった。友だちだからな。なんか問題あるか」
「ゴミ溜めの野良犬が、そんな地味男を本気で仲間あつかいするとは思えねえ」
 ギイチは容赦なくいった。十三のときから、こういう世界で生きている。おなじような状況は何度もあった。
「ヒロ。おまえだって自分でわかってるはずだ。適当に連れまわされて、カネばっかりつかわされて、居場所なんかねえだろう。その小汚いバンダナを巻くだけのために、いくらつかった。五万か、十万か」
 少年は救いをもとめるように〈獣〉の面々をみまわした。新入りをかばうものは皆無だった。気まずそうに顔をみあわせたり、嘲りに口もとをゆがめるばかりだ。
「これ以上、天現の人間をしゃぶろうってんなら、力ずくになるな」
「この人数を相手にか」
 フミヤの声音はかわらない。
「ゲオルギウス学院の〈衛士団〉じゃあるまいし、全員がなんかの武術を修めてるわけじゃねえだろう」
 ギイチは足を少しひらいて、爪先立ちになった。手はだらりとさげたままだが、愚連隊のなかに身がまえた者が何人かいるのは、逆に喧嘩馴れしている証拠といえた。
「仮にそうだとしても、おれがくたばるまえに、この場の半分は殺す」
 殺せる、とギイチはいいなおした。
「丁か半か、そのまじめっ子のために博打をうってみるか、なあ」
「ギーちゃんは強いよん」
 カエデがのんきにことばを添える。この能天気な男もただ者ではない。
 たしかに、巨漢でもなく、武器も異能もつかわないギイチが、ひとつの高校の顔役をつとめられる意味は、ウエノの愚連隊ならば、理解しておかねばならなかった。
 緊張が高まる。
 空中に罅が入ってゆく音が聞こえそうだ。
 それがガラスのように砕け散ったとき、ここは死戦場と化す。
「――連れてゆけ」
 文也=シルバートンが放ったのは、そんなひとことだった。
 動揺と安堵が広場を流れた。
「これ以上カネを搾りとれば、親や警察がでてくるかもしれん。使い捨てるころあいだとは思っていた」
「そんな、フミヤくん!」
 うろたえるヒロに、
「フミヤ〈さん〉だろうが、ぼけ!」
 まわりから罵声が飛ぶ。
「おまえひとりのために天現とことを構えるつもりはない。潮時だ。去ね」
 反論の余地をゆるさない頭領の冷徹さに、ヒロは絶句して、その場に立ち尽くした。
 定跡を一ミリもはずさない展開だった。にぶい疲労がのしかかって、ギイチはため息をついた。とにかく、目的は果たした。
 ヒロに歩み寄って、その手首を引く。
「いくぞ。クレアがさみしがってる」
 恋人の名前にも反応をみせず、眼鏡の少年は操り人形みたいに、ぎくしゃくとギイチに歩調を合わせた。
「二度とウチの者にかかわるなよ。野良犬同士でなかよく固まってろ」
「調子こいてんじゃねえぞ!」
 ぶち切れた――あるいは、そのふりをして手柄を焦った男が、殴りかかってきた。
 拳はギイチの顔をすりぬけて腕ごと宙を泳ぎ、たたらを踏んだ男は、恐怖の相でふり返った。
 かわされて残像を打っただけなのはともかく、すでに五メートルも離れたところで、ヒロとカエデを従えたギイチが歩き去ってゆくのは、どのような足捌きのなせる業か。格のちがいを痛感して、男は肩を落とした。
「いいんですか、フミヤさん」
 仲間のひとりが不満そうに訊く。
「したいようにすればいい。これからなにが起こっても知らんがな」
 フードの奥で歯がのぞいた。ほほえみというには隠微な、文也=シルバートンのゆかいそうな表情であった。


 狂った襲撃者にでくわすことなく、メインストリートに戻ってこられて、ギイチはようやく肩の力を抜くことができた。
 カエデはいつもどおり、恐怖とか緊張という感情を知らないゆるゆるの笑顔だし、ヒロは憔悴して、心ここにあらずといった面もちだ。
「なんで愚連隊なんかにかかわったんだ」
 ギイチはいらだたしく尋ねた。
 叱られた子どもみたいにうつむいて、ヒロはぽつりと、
「強く、なりたかったんです」
 と答えた。
「ギイチさんみたいにはなれなくても、せめてバカにされない程度に――」
「おれとあんなのをいっしょにするな。強くなりたきゃ、まず腕たて伏せと腹筋からはじめろ。らくしてくだらねえ箔をつけようとしやがって。クレアが泣くぞ」
「あんたみたいな暴れん坊に、だれでもなれるわけじゃないんだよ」
 語気に捨て鉢さがにじんで、かえって感心した――などということはなく、ギイチはヒロの頬を張り倒したくなった。通行量が多いこともあって、なんとか思いとどまる。
「おれに噛みついてどうする、こら」
「クレアとぼくが釣りあってないのは、ぼくがいちばんわかってるよ。図書委員会の帰りに告白されたときは、一生分の運をつかい果たしたんじゃないかって思った」
 ヒロはしだいに激してきた。
「クレアのためにも、変わらなきゃって。――いや、きれいごとだ。単純に、ぼくはクレアをなくしたくないんだ。クレアが好きなんだ。冴えないぼくに彼女が愛想をつかすまえに、変わらなきゃって――」
「変わんなくていいじゃねえか」
 ギイチは静かに口をはさんだ。ヒロの語りが止まった。
「天現もガラがよくねえのが多いからよ。おまえなんかがちょっと粋がってみたって、笑いもんになるだけだぜ。喧嘩もできねえ弱っちい図書委員。――だから、クレアはおまえをえらんだんじゃねえか。カネを貢いで愚連隊ごっこしてる暇があったら、おもしれえ本を五冊でも十冊でも買って、クレアに薦めてやれよ。なあ、比呂=リンツェイ」
 中学でカエデを助けたときとおなじだった。やさしさではない。――そう、ギイチは断言したい。目障りだから、じっとしてほしいのだ。よけいな揉めごとを増やさないほしいのだ。それだけのことにすぎない。
 だが、ヒロはみるみるうちに両目を濡らし、眼鏡をはずして指でぬぐった。
「ギイチさんって、いいひとなんですね」
「うっせえ」
 とうとう足がでて、ギイチはヒロのすねを蹴とばした。革靴の先は硬い。ぎゃっと叫んで、ヒロは悶絶した。
 少し気持ちに寄り添ってやろうとすると、たちまちなついてくる。だからギイチは、ちんぴらもオタクも苦手なのだ。
 恥ずかしいので口にはださないが、自分は〈硬派〉と呼ばれる男でいたい。
「ギーちゃん、いいやつだよね」
「いやがらせか、てめえ」
 カエデにも一発おみまいしたが、いつものとおりだった。堪えたようすもなく、長身の昼行灯はにこにこしている。


     5


 あくる日、登校するときのギイチは、いつもに増して周囲に気を配って歩いた。〈冥き森の獣〉の報復を懸念したのだ。
 駅のプラットホーム、階段、横断歩道、やられるポイントはいくらでもある。
 おかしな殺気が街にはりつめていないか、自分以外の生徒が狙われていないか――
 さいわい、ギイチの感覚に障るものはなく、つつがなく二年一組の教室に着いた。
「ギイチくん!」
 暮亜=デインズが満面の笑みで出迎えてくれて、面食らった。
「なんだよ」
 そっけなさがわざとらしすぎる気もするが、手柄じまんや、恩を着せるようなふるまいよりはマシだろう。――そんなギイチの照れには頓着せず、クレアはギイチの両手を握ってぶんぶんと振り、本人だけでなく、まわりのクラスメイトもおどろかせた。
「今朝ね、ヒロくんといっしょに学校にきたの! ぜんぶ聞いたんだ、ギイチくんが助けてくれたって」
「よかったな」
「ありがとう、もう、ギイチくんだいすき!」
「そうですか」
 ふだんは慎みぶかいクレアが、ここまで公衆の面前ではしゃぐとは、よほどヒロのことを案じていたようだ。ギイチはほほえましくなり、うらやましくなり、最後には腹だたしくなった。――あんな眼鏡野郎は堕ちるにまかせておいて、おれがゆっくりクレアを口説けばよかったな。


 昼休みになると、ヒロがクレアを迎えにきた。
 今日の美少女は友だちでなく、恋人といっしょにごはんを食べるのだろう。
 ヒロはギイチにあらためて礼をいい、
「卑屈にならないで、もっと自分に自信をもってつきあってゆこうと思います」
「はいはい、勝手にやってくれ」
 ポジティヴな宣言に、右手で頬づえをつきながら、左手を投げやりに振った。
 のろけはよそでやれという、純然たるいや気の表現だったのだが、どうもこのカップルはギイチを善人だとみなしたいらしく、
「ほんと、シャイな番長さんなんだから」
「だから番長ってやめろ」
「ギイチさんはぼくたちのキューピッドです」
「また蹴とばされてえのか、メガネザル!」
 さんざんギイチをいらいらさせて、仲睦まじく教室を後にした。
「ったく、バカップルめ」
 ジャムパンの袋を破って、もしゃもしゃと平らげる。
「ほんとはうらやましいんだろ、ギイっちゃん」
「クレアみたいなお嬢さまはむりだって。ウチとつきあわねえ?」
 はすっぱな女子たちにからかわれて、がおっと歯を剥きながら、ギイチは廊下にでた。
 階段をのぼると、自動販売機がある。さんざん叫んだあとに、パンだけ食べて、のどが渇いた。
 紙パックのヨーグルトドリンクを買ったところで、
「ギイチ、やったな、てめえ」
 背後から錆をふくんだ声をかけられて、ギイチはふり返った。
「アキオさん」
 明王=ハンソンだった。かっちりと撫でつけた金髪のリーゼントに、シンプルだが高級そうなVネックのセーター。古式ゆかしきスタイルの偉丈夫は、ギイチに上の立場から意見できる、数少ない三年生のひとりである。
「暁龍から、苦情がきましたか」
 昨日の朝のできごとを思いだしたのだが、
「とぼけんな。〈冥き森の獣〉とやりあったそうじゃねえか」
「やりあったっていうか、二年生のまじめっ子がたかられてたんで、話をつけてきただけです」
「ふつうの愚連隊が相手なら、おれもなにもいわねえさ」
 叱るというより、案じるようなアキオの口調に、ギイチは眉を寄せた。
 このリーゼントの先輩は、歳下の顔役がやることに、いちいちよけいなくちばしを突っこまない。だから尊敬できるのだ。
 アキオが、話があるというのなら、かならず耳を傾ける価値がある。
「あそこは、所帯をでかくしたいとか、名を売りたいとか、そういうまともな理由で動いてるふうじゃねえんだ」
「たしかに、公園を溜まり場にするってのは変わってますね」
「結成して半年くらいになるか。人数が変わらねえ。十人から二十人のあいだで、増えたり減ったりだ」
 ギイチからすれば〈冥き森の獣〉など、なんの実もない烏合の衆だが、かんたんに他人から怖れられたいだけの小僧は、残念ながらウエノにも多い。もっと入りたがるやつがいても、おかしくはなかった。ヒロもその一例である。
「やっぱりいやになって辞めたんですかね」
 いいながら、そんな単純な解答なら、わざわざアキオさんがおれに忠告するまでもねえな、と思った。
「消えるんだよ」
 はたしてアキオは、薄気味わるそうに声を低めた。
「全部を調べたわけじゃねえが、どうやらメンバーの何人かは、行方不明になったり、精神を病んで入院したり――」
 とん、と自分の首に手刀をあてる。もちろん、死を意味する仕草だ。
「文也=シルバートンの噂は知ってるな」
「はい。妖術に嵌まって、学院を追んだされたって」
 トーキョーで〈学院〉といえば、そのままゲオルギウス学院を指す。
 それほどの有名校に在籍していた男だ。他の生きかたもあるだろうに、なぜわざわざ愚連隊を結成したのか。
 天現に悪影響をおよぼさないかぎりは、なんでも勝手にやってくれ、というスタンスのギイチは、そこまで考えてみたことがなかった。
「おれが思うに、フミヤにとって〈冥き森の獣〉は、人間集めの餌っていうか、都合のいい口実なんじゃねえか。ウエノのガキが何人かいなくなったって、おまわりも相手にしねえからな」
「にんげん」
 その単語にふくまれた意味は、たちまち脳に浸透した。
 人体実験。
 なんの実験か。とうぜん、魔術だ。
 ある想像がかたちを結んだとき、それをたちまち裏づけるかのように、
「いやああっ!」
 砕けるような悲鳴が外から聞こえた。
 ギイチは手近な窓からとび降りた。三階だが、まったくためらわなかった。
「おい、ギイチ!」
 アキオの声が遠ざかる。風を受けてネクタイが踊った。
 身体を猫のようにまるめ、両手両足で掻くように地面を叩く。
 着地の衝撃は後方に流され、その勢いをうけて前方に転がりながら、ギイチは夢中で駆けだした。
 もちろん、無傷だ。卓越した体術のなせる業であった。


 天現高校の校舎は、上からみたら角度の浅いV字形を描いており、その谷間にささやかだが、ベンチや噴水が設けられた中庭がある。
 おぞましい騒動はそこで勃発していた。
「ぐおるああっ」
 理性を根こそぎ剥ぎとった咆哮をあげて、比呂=リンツェイが暴れていた。
 クレアにむしゃぶりつき、引き倒して、なにをしようとしているのかは明白だった。
「やっ、やああっ!」
 クレアは身をよじり、足を振り、豹変した恋人を突き放そうとして、泣き叫ぶ。
 その頬を、ヒロは平手で打った。反対の手でブラウスをむしると、ボタンも縫い目も裂けて、下着と肌がのぞいた。
「憐れんでるんだろう! バカにしてるんだろう! おまえにぼくのみじめな気持ちがわかるか! ぼくが好きだっていうんなら、×××しろ! ××して×××させて、×××のあとに××××してやる!」
 ことばそのものも下劣きわまりないが、そこに篭められた汚泥のような悪意のすさまじさは、その場に居合わせた全員を、揃って凍りつかせていた。一般の生徒はもちろん、荒ごとに馴れているはずのやんちゃな連中すら、だれも止めにゆかない。
「なにボケっとしてんだ!」
 ギイチの怒号に、はっとして二、三人が動いた。とりおさえにかかる。
 ヒロがだだっ子のように腕を振りまわした。
 バットでタイヤを殴るときの音がした。
 ひとりが車に撥ねられたように、宙を舞ってベンチに激突する。近くにいた女生徒が悲鳴をあげてのけぞった。
 ギイチは舌打ちした。いまのヒロは脳のリミッターがはずれて、潜在的な筋力を全解放している。おそらくは、妖術による暗示で。
 だからこそ〈冥き森の獣〉の頭領は、比較的あっさりとヒロを手離したのだ。すべては、この瞬間のため。――予定どおりの展開だったのか。
「退がってろ!」
 身を低くして、ギイチは全力で地を蹴った。
 弾丸の速さで一足飛びに距離をつめ、
「このクソバカヤロウが!」
 右のフックを背後からリブ――肝臓の位置に打ちおろす。
 常人なら一発で昏倒するパンチだが、ヒロはとっくに人間をやめていた。
 ふり向いた顔は、目を血走らせ、鼻をふくらませ、口から泡を噴いて、悪鬼そのものであった。ずれて耳からぶらさがっている眼鏡が、狂った印象を補強している。
 恐怖と、それを超える怒りに、ギイチの脳が沸騰した。
「おがががっ」
 まさしく、獣のような雄叫びをあげて、ヒロはバックハンドの一撃をみまってくる。
 すかさず左の拳を合わせたのは、ボクサーとしての本能がもたらす反射運動だった。
 パンチが交錯した。
 胸を打たれて、ギイチは吹っとんだ。肋骨に罅が入ったのがわかった。
 痛みが受け身を鈍らせて、ギイチは噴水の溜め池に墜落した。
 三階からとび降りる以上の衝撃だった。鼻から口から水が浸入して、数十センチの浅さで溺れかける。
 あたりを戦慄が支配した。――義一=ハンコックが敗れたのか!
 しかし、ヒロの暴威はふいに止んだ。
 電源が落ちたみたいに、ぱたりと横倒しになる。一瞬まえまでの状況が、わるい冗談のようなあっけなさだった。
 失神したヒロのチン――顎に、焦げたような擦り傷ができている。
 ギイチのカウンターは命中していたのだ。
 顎の尖端を高速でかすめるように叩くと、てこの原理で頭が激しく揺さぶられる。首の筋肉を鍛えることはできても、脳しんとうそのものは、耐えようと思って耐えられるものではない。ギイチの技が、ヒロの力を制したのだった。
 ギイチは水からあがった。
 縛った髪がほどけて、顔をべったりと覆う。掻きあげて後ろに流しながら、クレアに駆け寄った。
 精神が限界を迎えたのか、クレアは失神していた。
 目ざめれば、すべてただの悪夢だった。――そんなことをギイチは願ったが、あばらの痛みは、これがまぎれもない現実だと教えていた。
 哀れな少女の肩を抱えて、天現高校の顔役は、きしむほど歯を噛みしめた。


     6


 明王=ハンソンの手配で、ヒロは口の堅い病院へ運ばれた。
 天現の荒くれ者が、ひとにいえない理由で負傷したときは、たいがいそこに駆けこむのだ。個人経営のわりにはなかなかの規模で、国家資格をもつウィッチドクター――呪医もひとり勤務している。
 ヒロの症状は、医科学的にいえば、耐久力の限界をこえた運動による筋繊維の損傷でしかない。そうさせた妖術こそが、真の病巣なのだと理解してくれる病院だった。魔術の存在そのものを否定している、狭量な医者も少なくない。
「病院で治りゃいいが――」
 煙草をくわえて、アキオは火をつけた。
「術者にしか解けねえとなると、厄介だな」
「解かせますよ。なにがあっても」
 ギイチはぬるくなったヨーグルトドリンクをストローですすった。
 髪はざんばらのまま、自然に乾くのを待ち、シャツとネクタイはあたらしいものにとりかえた。いつ喧嘩でだめにされるかわからないので、学校のロッカーには、つねに着がえを用意している。
 ふたりがいるのは、使われていない教室に灰皿を置いた、喫煙コーナーだった。
 校内に三ヶ所、似たような場所がある。数年前の顔役がヘビースモーカーで、自主的に分煙化を推進したのが、いまも伝統として残っているのだ。もちろん未成年であるから、根本からまちがってはいるのだが、ところかまわずスパスパやられるよりはと、教師の側も黙認している。そういう学校であった。
「ユタカを貸そうか」
 三年生の豊=ラックマンは、トーキョーでも希少な異能の遣い手であり、魔術とはまったく異なるちからで、零下百五十度の冷気をあやつる。戦争のときの切り札であり、同時に戦争を抑止する存在である、天現のキーパーソンのひとりだった。
「だいじょうぶです。二年の揉めごとだから、おれが片をつけます。ユタカさんがでるまでもない」
「そうか」
 アキオは紫煙を吹きあげた。
「やるなら、とことんやれ。塵も残すな」
「はい」
 ギイチはうなずいた。短い、だが凄愴なやりとりであった。
 こうやって、アキオやギイチ、歴代の顔役たちは、どこにも隷属せず、どこをも支配せず、天現高校の独立独歩を堅持してきたのだ。


 アキオと別れて、ギイチは一階の保健室へと向かった。
 足どりは重かった。
 肋骨のひびは、湿布を貼って数日がまんすれば治るだろう。ギイチにとっては怪我のうちに入らない。重傷を負ったのは、自分ではなかった。
 ドアをノックすると、わずかにひらいて、すきまから校医が顔をのぞかせた。
 肝っ玉かあさんを地でゆく、小太りの中年女性である。男子を誘惑する妖艶な美人女医――などという存在に、ギイチは小中高をつうじて出会ったためしがない。どこの世界にいるのだろうか。
「クレア、どうですか」
「意識はとり戻したよ。怪我もほんの擦り傷だけだ。それがどうかしたかい」
 なにをしゃべらせても、ふきげんそうに聞こえるタイプだ。
「入ってもいいですか」
「今日はそっとしといてやりな。ほんと、十代の男ってのは、世界でいちばんどうしようもない生きものだよ。あんな娘ッ子をよってたかって泣かせて。脳みそが煮詰まってるとしか思えないね。全員死ねばいい」
「それでも保健の先生か、てめえは」
 ギイチはあきれて、敬意をはずした。もっとも、このくらい気が強くなければ、荒くれ者ぞろいの高校ではやってゆかれまい。
「だれ、ギイチくん?」
 室内からかぼそい声が流れた。
 ギイチの心臓がぎゅっと縮んだ。
「――帰れっていうなら、帰るよ」
「待ちな」
 校医は大きくドアをあけた。
「あんたはちがうみたいだね」
「なにがだよ」
「あの子が弱ってるところにつけこんで、自分のやさしさを売りこもうとする色男気どりが、何人も〈おみまい〉にきたよ。あんたはそうじゃない。だからあの子は、あんたの名前を呼んだんだろう」
「そうかい」
 阿呆か、婆あ。――ギイチは胸中でつぶやいた。
 できることなら、ギイチはクレアに顔を合わせたくないのだった。事態を安直に考えていた自分が、腹だたしく、恥ずかしい。じかにあやまりたいと願う一方、面会を拒まれることを、どこかで期待してさえいた。
 そんな逡巡を、校医は好意的に解釈したらしい。ものごとはえてして、心構えができていない方向に転がる。
「どれ、ちょっと牛乳でも飲んでくるかね」
 わけのわからないいいわけを残して、校医は保健室をでていった。


 暮亜=デインズはベッドのうえで身を起こし、壁にもたれた姿勢で、ギイチにほほえみかけた。破かれたブラウスのかわりに、体育用のジャージを着ている。
「髪をほどいたギイチくん、はじめてみた」
「そうか」
「そっちも似合うね。ミュージジャンみたい」
「喧嘩の邪魔になる。かわいたら、また縛るよ」
「さすが番長さん」
 ふふっ、とクレアはちいさく笑った。番長と呼ぶな、といいかけて、ギイチはことばに詰まった。少女のけんめいな明るさが、かえって痛々しかった。
「ごめん、クレア」
 なによりまず、それを告げねばならなかった。
「ぜんぜん、ヒロを助けられてなかった。おまえを酷いめに遭わせちまった」
「ギイチくんはわるくないよ」
 クレアは微笑を唇に張りつかせていた。他人にみせられる表情は、それひとつしかできないというふうに。
「ぜんぶ、あのひとが自分でやったことだから」
「ちがう、そうじゃねえんだ」
 ギイチは〈冥き森の獣〉と、その頭領である文也=シルバートンについて語った。いいわけがましく、おのれの責任逃れにならないよう気をつけて、ずいぶんたどたどしい説明になってしまい、その冴えなさにまた腹がたった。
 ――クレアと接すると、おれはいつもこうだ。ふだんの自分らしくいられない。
「だから、ヒロはそいつの妖術でおかしくさせられちまっただけなんだ。フミヤの噂は知ってたのに、そこまで気が回らなかったおれのせいで――」
 でもね、とクレアは静かにギイチをさえぎった。
「いくら魔術でも、はじめからまったくない気持ちを、あんなふうに爆発させることはできないでしょう。もともと、心の奥底で思っていたことなんだよ」
「そんなことは――」
 ことばが続かず、ギイチは脱力した。たしかに、無から有を生み、世界の理を変えるような魔術は、すでに歴史上の遺物である。
 そして、ヒロがあんな愚連隊に入ったのも、学年いちの美少女への劣等感からではなかったか。
「かっこよくなくて、よかったんだよ。わたしは大好きだったんだよ」
 気丈に張っていた声が、しだいに湿ってきた。
「わたしとつきあっていて、ヒロくん、たのしくなかったのかな。ずっといやな思いばっかりしてたのかな」
 ギイチはなにもいわなかった。いえなかった。
 クレアは、目のまえのクラスメイトでもなく、いつか克服できたかもしれない弱さを無限大にひきのばされた憐れな恋人でもなく、自分に問いかけている。答えなんかでるはずがなくても、そうやって、自分を支えるしかないときがあるのだ。
「わたしって、ひとの気持ちがわかんない女なのかな――」
 膝を立てて腕を乗せ、そこに面を伏せて、クレアはすすり泣いた。
 ギイチは身体の横で両の拳をにぎりしめた。双眸には、後悔も自己嫌悪もすでになかった。
 いまクレアが顔をあげていたら、哀しみも忘れて、戦慄に凍りついていただろう。彼女が決して知らない〈番長さん〉の本性を剥きだしにして、義一=ハンコックは修羅の相を浮かべていた。


     7


 通行人が左右に割れて、道ができる。
 当然の現象だった。いまのこの少年に、すすんで係わりたがる人間などいない。自殺志願者も、もう少し穏やかそうな死神をえらぶだろう。
 憤怒の波動をほとばしらせて、ギイチはウエノの街をゆく。
 髪をうしろでくくり、シャツの袖をまくった。
 ギイチだって、まともな学生ではない。気に食わないやつをぶん殴って、血が流れようが骨が折れようが、なんとも思わない。怪我させたことを悔いるような相手なら、最初から手をださないし、その基準もずいぶん偏っているにちがいない。
 しかし、ギイチはこの生きかたをえらんだ以上、だれかに殴り殺されてもしかたがないと思っている。もちろん、死にたくない。殺されるくらいなら殺してやる。だけど、そういう往生をいつ遂げてもおかしくないのだという、諦念がある。
 フミヤにそれはないだろう。魔術に淫し、その果てに呪殺されるなら本望だというのなら、それはそれで肝が据わっているが、あの男から感じるのは、いやな大人の真似をした支配欲にすぎなかった。
 ――楽をしたいから、魔術に逃げたんだろう、おい?
 石段をのぼって、ウエノ公園に入った。
 維新の英雄をかたどった像。点在する美術館。その横に広がる、アンダーグラウンドの森。ゆきかう観光客。昨日とおなじ風景だが、ギイチは違和感をおぼえた。余計なものが増えている。目障りだが、なにが目障りなのかわからない。
 ギイチは鋭い視線を四方に投げた。
「――てめえ」
 意識を凝らして、ギイチは気づいた。なくしたと思っていた小物が、ふだんから目につくところに、冗談みたいに置かれていたときに似ていた。
 銅像の真下に、黒いロングコートの男がたたずんでいた。
 記念写真を撮る絶好のスポットなのに、近寄る者はひとりもいない。場所が空くのを待っているそぶりもみせず、退けと急かすこともせず、ただ、あたり前のように無視している。
「よく気づいた。やはりあんたには魔術の才がある」
 文也=シルバートンはいった。コートに打ちこまれた鋲と、フードの奥で弄うように細められた目が、あやしく光っている。
「てめえみたいな腐れに成りさがるなら、魔術なんかいらねえよ」
 ギイチは激情を声に乗せた。
 フミヤは自分の周りに結界を張っているのだ。だれにも存在を認識されない。しゃべる声も、街の雑音のひとつとして、意識に留まらない。
ギイチの鋭敏な勘と、フミヤへの殺意が、それを無効にした。
「泣くまでぶん殴ってやるから、こっちこい」
「泣いたらやめてくれるのか」
「いいからこい、屑野郎!」
 近くにいたカップルが、そそくさと場を離れてゆく。ひとりで叫んでいる危ない男にみえているのだろうが、かまってはいられなかった。
「おれが屑なら、この街の学生はなんだ」
〈冥き森の獣〉の頭領はあざけるようにいった。
「どいつもこいつも、才能もない、努力もしない、ただ劣等感をごまかして虚勢を張っているだけの、人間未満の生きものだ。獣には、獣の生きかたがふさわしい。ヒロはあっさり術にかかりすぎて、かえっておもしろみがなかったが。負の感情を溜めこんでいたから、暴発させるのもたやすかった」
「神さまぶってるんじゃねえよ、秀才くずれ」
 とうとうと語るフミヤを、ギイチはせせら笑った。
「訊いちゃいねえことをぐだぐだと。阿呆か。自己顕示欲のかたまりだな。ヒロにかけた妖術、自分にためしてみろ。さぞ狂った獣が生まれるだろうぜ。ちいさいプライドを守るために、自分より弱いやつを必死にさがして、食いものにして、いちばん劣等感を溜めてるのはてめえじゃねえか」
「なにもわかっていないやつほど、思いこみでものをいうものだ」
 声がわずかにうわずった。
 超然とした態度に、はじめて罅が入った。ギイチのことばが刺さったのだ。
「おれがじかに手をくだすまでもない。獣同士で噛みあうがいい」
 フミヤは右手を掲げた。
 それを合図に、
「ぐおおおっ」
「があああっ」
 非人間的な咆哮をあげて、森から六つの影が躍りでた。
〈冥き森の獣〉のメンバーたちだった。すでに魔術で理性のたがを外されている。手下すべてに、狂気の種を植えこんでいたのだろう。必要に応じて発動させ、壊れたらつかい捨てるというわけか。
 公園はにわかに混乱をきたした。メインストリートに、アンダーグラウンドが侵蝕したのだ。一般のひとびとが慌てふためき、逃げだす。あるいは棒立ちになる。
〈獣〉たちが迫りくる。もはや六人でなく、六匹というべきありさまだ。
 ヒロのときは不意をつかれたが、もう心構えはできていた。
 ギイチはステップ・ワークを全開にした。


 目撃者たちはあぜんとした。――髪を結ったネクタイの少年が、襲いかかる不良たちとおなじ数だけ、分身したようにみえたのだ! 
 それは、業、だった。ただ高速で走っただけでは、そんな錯覚は起こせない。極限まで洗練された足捌きだけが、人間の知覚を超越する動きをなす。
 獣には不可能な、まさに神業――いや、人間ゆえに成しえる〈人間業〉だった。
 六人の少年が、それぞれの姿勢から、六とおりのパンチを繰りだした。斜めからのフック、下からのアッパー、横からのストレート。
 狙いはずべておなじ――顎の先だった。
 打撃音はひとつに重なって聞こえた。


 六人の敵が溶けるようにへたりこんだとき、ギイチはすでに、逃げるフミヤを追って、ウエノ公園の森に飛びこんでいた。
 今日も、暗い。鳥肌がたつような、冥界の気配に満ちている。
 フミヤの姿はなかった。
 ギイチは迷わなかった。誘いこまれているのは承知のうえだ。記憶している道順に沿って、〈冥き森の獣〉の溜まり場へと向かう。
 黒い雲みたいな繁みの、わずかなすきまから、いまいましい双頭犬の旗がのぞいた。
 ギイチは広場へと突入した。
 そこは橋のうえだった。
 なんの前ぶれもなく、ふたつの世界が接続を誤ったような、ありえない事態である。しかし、五十センチにも満たない幅の鉄橋――その中央にギイチがいるのは、まぎれもない事実だった。
 端ではない、いきなり中央なのだ。
 背骨を引き抜かれるような不快さが、ギイチの身体を貫いた。
 なにしろ、手すりもなにもない。単なる一本の鉄板なのである。反射的に這いつくばって、橋にしがみつきたくなるのを、かろうじてこらえる。
「予想以上に効果があったな」
 十メートルほど前方で、フミヤが笑っていた。
 フードを脱いだ顔は、端整とすらいえたが、それがまったく魅力になっていない。酷薄さと狡猾さばかりが、垂れた目つきや薄い唇にあらわれている。
「高所恐怖症か、おまえ」
「うっせえ」
 ファイティング・ポーズをとったが、足もとばかりが気になる。
 あたりは闇一色だった。空もない。地面もない。橋の始点と終点も、真っ黒い空間に呑まれていて、どこに続いているのかわからない。底もみえない。橋を踏みはずしたら、何百メートルをダイヴすることになるのか。
「もちろん、魔術による幻覚だ」
 フミヤは勝ちほこった調子でいった。
「これまでの結界とはレベルがちがうぞ。あんたの精神に作用する術ではない。陰の気に満ちた、この土地そのものに施したものだ。ウエノの森がみせられている幻覚――生半可なことでは破れん。破れないかぎり、これはあんたにとって現実だ」
「だから、てめえの話なんか催促してねえって」
 時間がほしい。――ギイチは切実に願った。三十秒、いや、十五秒でいい。心気を凝らして幻覚を砕くために、瞑想できる余裕がほしい。
 もちろん、そんな暇を与えるフミヤではなかった。
 まったく危なげない足どりで、ギイチに迫ってくる。施術者であるフミヤには、落ちる心配など必要ないのだろうか。
 それでも、ギイチの視点からみて〈宙に浮く〉ような真似はできないらしい。あくまでも、幻覚の橋の範囲に即して移動している。この土地そのものに魔術をかけている以上、フミヤにもその程度の制約は生じるようだった。
 コートをひるがえして、隠していた武器をつかみだした。
 棘の生えた鉄球が、二メートルちかい長さの鎖に結ばれている。モーニングスターと呼ばれる鈍器であった。
「重さに引っぱられて転んじまうんじゃねえか」
「強がりはよせ」
 フミヤはモーニングスターを振った。
 鉄球が降ってくる。
 ギイチは後ろに退がった。足の先、ほんの数センチのところを、鉄球が叩く。寒気のする音とともに、橋が大きくふるえる。
 鎖がうねった。
 棘つきの鉄塊が下から跳ねた。ボディに迫る。
 とっさに右に動きかけて、ギイチは慄然とした。――だめだ、墜ちる!
 衝撃が内臓を圧迫した。
「がはっ」
 うめいて、ギイチは身体を丸めた。呼吸が停まる。
 風が首筋を撫でた。
 とっさに後転したのは、歴戦の経験がもたらした正解だった。踏みとどまっていたら、延髄を打たれていただろう。
 立ちあがるときに片足を踏みはずしかけて、肝が冷えた。
 だめだ。――自分を罵った。
 動きが硬すぎる。後手後手にまわって、反撃に移れない。
「どうした、義一=ハンコック。華麗なフットワークをみせてみろ」
 フミヤは鎖を頭上でふり回した。鉄球が円を描いてうなる。
 ギイチは唇をなめた。
 甘くみていた。むずかしい武器だが、フミヤはきちんと使いこなしている。
「魔術に頼らずとも、屑どものうえに立ち、まとめあげられるだけの、即物的なちからは会得している。侮ったな、バカめ」
「だんだん品がなくなってきたな、てめえ」
「あんたのレベルに合わせてやっているんだ。バカは相手の発言が理解できないのを、自分の愚かさのせいだとは少しも考えないからな。苦労させられる」
「だったら学院にいりゃよかったじゃねえか。二流の秀才がいちばんうざってえんだよ」
「ほざけ!」
 憎悪を隠さず、フミヤは遠心力をつけて鉄球を放った。
 顔面に向かって飛んでくる。
 退がるな! ――おのれにいいきかせて、ギイチは上体を傾けてやりすごした。
 頭の斜めうえを吹きぬけた鉄球は、フミヤの手元のひねりで、ブーメランのように旋回した。
 鎖が首をひと巻きする。
「ちいいっ」
 完全に頚動脈が絞められる寸前、ギイチは身を沈めて死の輪からのがれた。
 その視界をブーツの甲が埋めた。
 モーニングスターをあやつりながら、フミヤは間合いを詰めていたのだ。
 顔を蹴られて、ギイチはのけ反った。痛みに目のまえが白くなりつつ、倒れまいと踏んばる。
 鉄球が足元を狙ってきた。
 跳びこえて、一気に前方へダッシュすればいい。――理屈ではわかっているのに、身体は退くほうをえらんでしまう。
 この程度の連続攻撃など、地面のうえでなら歯牙にもかけないのだが、そう思うこと自体、闘志の萎えかけている証拠だと、ギイチはあわてて頭から払いのけた。
 さっきの鉄球の一撃で、傷めたあばら骨がふたたび疼きだした。ますます集中力が削がれる。悪循環だ。
「泣けばゆるしてやろうか」
 サディスティックな悦びに、フミヤは口の端をもちあげた。
「てめえになにかをゆるしてもらうほど、おれは安かねえよ。舐めんな、もと学院生」
〈もと〉を強調して、ギイチは挑発する。
「あんたは救いがたいな!」
 もはや初対面のときの怜悧さは消え失せ、〈冥き森の獣〉の頭領は罵声を吐いて、再度モーニングスターに加速をつけた。
 そのとき、
「あれ、なんだここ。どこだ」
 あまりにも場ちがいな、ゆるい疑問の声があがった。


     8


 ギイチはふり返った。
「なにしにきたんだ、おまえ」
「あ、ギーちゃん。いたいた」
 ロングカーディガンのポケットに両手を突っこんだ、無秩序な髪形の少年は、この異空間にもさしたる興味を示さず、ギイチにとぼけた笑顔をみせた。
「アキオさんにいわれて、追っかけてきたんだよ。ギーちゃんはなんでもひとりで解決したがるから、手伝ってやれってさ」
 漆黒の周囲を一瞥して、
「おれがきて、よかったよ。ギーちゃん、高いところ苦手だもんね」
 楓=ミフネは得意そうにいった。
「ひとの弱みを口にだすな。もうばれてるけど」
 ギイチはため息をついた。緊張がほどけ、かわりに倦怠感が身体をつつむ。
「よっ」
 軽いかけ声を残して、カエデは橋からとび降りた。
 左手でへりをつかみ、振り子のように百九十センチの身体を揺らして勢いをつける。
「ほっ」
 飛びあがって、右手を橋に添え、なんなくギイチの前方に着地した。
 高いところから落ちたら死ぬ、という知識はあっても、それに付随する本能的な恐怖がまるっきり欠落している。カエデが〈死体〉と呼ばれるゆえんだ。
「昨日は遠慮してたけどさ、今日はぶん殴っていいんだよね」
「思いっきりやってくれ」
 ギイチは投げやりにいった。
「バカがひとり増えただけか!」
 あっけにとられていたフミヤが、我に返って攻撃した。
 カエデは避けも防ぎもしなかった。
 鉄球を真っ向から胸板に食らう。
 そんなこと、どうでもいいというふうに、カエデは渾身の力で拳をふるった。動作は野球のピッチングに似ていた。
 おなじ場所に命中する。
 威力はモーニングスターをはるかに超えていた。
 肋骨がぐしゃぐしゃになる鈍い音を響かせて、フミヤの身体はあっけなく宙へ投げだされた。
 つぎの瞬間、ギイチとカエデはもとの広場に立っていた。
 術者が転落したことで、幻覚が消滅したのだ。
 ギイチの足もとに、割り箸サイズの金属棒がひと組、平行に置かれている。二本の幅は鉄橋のそれと均しく、これが呪具と思われた。
 大地の確固たる感触に安堵するギイチの横で、カエデはいつもの表情だった。鉄のかたまりで一撃されたとは思えない。
 フミヤは尻餅をついて、激しくあえいでいた。顔面は蝋の色に染まり、汗で濡れそぼっている。
「なぜだ。――確かに、生身の肉体を打った手ごたえが」
「おれ、痛みを感じないんだよね」
 カエデはなぜか恥ずかしそうに頭を掻いた。
 これが〈死体〉の真の秘密だった。生まれついての無痛症なのだ。苦痛を知らないから、恐怖も生まれない。
「おまえなら、理由がわかるかな。――ううん、わかんなさそうだね」
 原因はわからない。その謎を解きたくて、カエデは魔術に興味をもっているが、フミヤが答えをもっている器でないことは明らかであった。そこまでのちからがあれば、学院を追いだされたりはしまい。
 フミヤは目をみひらいた。単純といえば単純、しかし、こんな敵は予想外だったにちがいない。
「こんな、こんなところで、このおれが――」
「どの〈おれ〉だよ」
 ギイチはフミヤに近づいた。
「く、くるなっ」
 もはや〈冥き森の獣〉の頭領としての威厳はなく、フミヤは土のうえを這いずさる。
「おまえの敗因はな、最後の最後に色気をだして、自分でおれをやろうとしたことだ」
 仮にギイチがフミヤの立場で、おなじ下衆さをもっているとしたら、あの幻覚の橋に追いこんだところで、両端から魔術であやつる手下を差し向ける。だれかひとりが刺しちがえて、もろとも墜落すればいいのだ。自分の手はいっさい汚さない。
 そこまで外道に徹し切れれば、むしろ大したものだが、人間くさいサディズムや優越感を棄てられなかったフミヤは、やはり魔術師として二流だった。
「せこいプライドを傷つけられて、頭に血がのぼっちゃったか。なあ、もと学院生」
「黙れ、黙れ!」
 絶望に顔をゆがめながらも、フミヤはどうにか、醜い笑いをかたちづくった。
「――やはりバカは数もかぞえられんか」
「なんだと」
「おまえが倒したのが、すべての敵か」
 ギイチの脳に稲妻が走った。
「まさか、てめえ」
「半数以上の手下は、天現高校に向かわせてある。もちろん〈獣〉にしたてあげたうえでな。そろそろ殺意が暴走するころだ」
 ひゃははは、と甲高くフミヤは笑った。
「なにが顔役だ、この無能が! せいぜい悔いるが――」
 最後までいわせず、ギイチはすくいあげるようなアッパーカットで、フミヤの顔面を打ちあげた。そのまま木の幹に叩きつける。
 血まみれの肉塊と化した頭をかくんと垂れて、文也=シルバートンは動かなくなった。
「死んだの」
 カエデがとくに感慨もない調子で訊く。
「死なせねえよ、こんなゴミ。何回でも半殺しにしてやる」
 ギイチの科白も凄い。
「戻るぞ。アキオさんたちがいるから、だいじょうぶだとは思うが」
 ふたりは走りだした。
 森の外にでたところで、ウエノではなじみのない集団とでくわした。
 軍装じみた制服をかっちりと身につけ、鞘におさめた剣を携帯している。リーダーとおぼしき、銀ぶちの眼鏡をかけた華奢な男が、ギイチとカエデをみて眉をひそめた。
「なんだよ、アンちゃん」
「あなたたち、〈冥き森の獣〉ですか」
「あんたたちの身内なら、森の奥で寝てるよ。引きとってくれ」
 ギイチはいった。
 ゲオルギウス学院〈衛士団〉――警察なみの権限を認められている、トーキョー最強の学生軍団にちがいなかった。
「身内ではありません。素行不良で放校処分を受けた者が、ウエノで非合法な活動をしていると聞き及び、粛清にやってきただけです。それと、わたしは〈アンちゃん〉ではありません」
「ギーちゃん、女の子だよ」
 カエデがのんびりと指摘した。
 声を聞いて、ギイチも判断ミスを悟ったのだ。華奢な男ではなく、凛々しい少女であった。
「十一年生――高校二年生です。〈衛士団〉副団長、亜弓=ヴェルノと申します」
 名刺でもだすんじゃねえか、といぶかしくなる堅い挨拶に、
「天現高校二年、義一=ハンコックだ。こっちは楓=ミフネ。わるいけど、ちょっと急ぐんでな」
「またね、アユミちゃん」
 簡素に返答して、立ち去ろうとするふたりを、アユミが呼びとめる。
「待ってください! 文也=シルバートンを、あなたたちが倒したというんですか。お話を聞かせてください」
「あんたの手柄にしといてくれりゃいいよ。学院の〈衛士団〉がやったってことなら、おまわりも納得するだろう」
「おれたち、信用ないもんね」
「されることもしてねえけどな」
「ちょっと、あななたち――」
 アユミの声を背に、ギイチとカエデは駆けだした。


「ねえ、ギーちゃん」
 石段を降りながら、カエデが疑問を口にする。
「アユミちゃんたちって、すげえ強いんでしょ」
「半端じゃねえな」
 副団長というのがお飾りの肩書きでないなら、あの少女ひとりで〈冥き森の獣〉などたやすく抹殺できるだけの実力があるだろう。おれたちにやられて、かえって怪我が軽く済んだかもしれないぜ、フミヤちゃん――
「だったら、いっしょにきてもらえばいいのに」
「阿呆」
 ギイチはカエデのわき腹を肘で打った。
「天現高校は独立独歩。他校のちからは借りねえんだよ」
「ギーちゃん、かっこいいよね」
「うっせえ」
 もう一度エルボーを食らわせてから、ギイチは照れながら、
「カエデ、きてくれて助かった」
 と、礼をいった。
「ギーちゃんのためだもん」
 カエデはにこにこという。
 愛すべき〈死体〉を連れて、天現高校の顔役は、胸の痛みをヨガの呼吸法でやわらげながら、ウエノの街を駆けてゆく。




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