Rockin' Horse
相川 丹
背が低くて不細工だけど、ふしぎと女が寄ってくるんだよな、こいつ。――頬杖をついて、向かいの席に坐る男をながめながら、わたしは心のなかでつぶやいた。
放課後、学校のそばにあるハンバーガーショップだ。
賢介のかたわらに立っている女は、わたしとも同じクラスの住友有里だった。グラビアアイドルじみた微笑みを丸顔に貼りつけて、たいして意味のないことをしゃべりかけている。
「今日の英語、つかれたよね」(つかれない授業なんかあるのかよ)
「北岡くんさ、昼はなに食べたの」(それ知ってなにをどうすんの)
「あたしね、これからバイトなんだ」(あんたの予定に興味ないし)
またいちいち、ちゃんと返事するんだよね、この男は。とくに愛想よくするわけじゃなくて、ごく淡々と。そこが同い歳の男よりもおとなっぽくみえるのは、わたしも認める。
賢介と対照的に、有里は女同士ではみせたことがないような、愛嬌たっぷりのふるまいだった。
「ねーえ、前からこの眼鏡だっけ?」
しらじらしいことをいいながら、左右の眼鏡のつるをつまんで、ずれを直す。賢介はさせるがままにしておいて、ポテトなどをつまんでいる。
新婚さんかよ、おめえ。――しらけた気分で、わたしは有里を観察する。
カーディガンとカットソーのアンサンブル。膝丈のスカート。ダサさと紙一重の、絶妙な清純さをかもしだす格好だ。
ぶりっこ。男好き。きわめて卑猥な四文字の単語。――陰口をたたきながらも、実際にこういう桃色オーラの女におだてられると、わるい気はしないのが、十代の男という生きものらしい。
なんだかんだで、有里はよくもてる。恋人をひと月以上切らしたことがないというのが、この子の自慢のひとつだった。
もっともわたしは、ほかのクラスメイトみたいに、義憤にもかられないし、羨望の念も湧かないけど。
ここで、ふった数とふられた数が半分ずつだと仮定いたしましょう。つまりそれは、一年で六人の男に自分の人間性を否定され、また、おなじ数だけ、自分に人間をみる目がなかった証拠を突きつけられたのと均しくありませんか。
わたしの感覚では、どっちも恥だ。
ひととおりの話題を提出したが、どれにも賢介が食いついてこなかったので、有里はようやくわたしに話しかけてきた。
「ごめんね、玲ちゃん。ちょっと北岡くん、借りちゃった」
なんじゃ、そりゃ。
「べつに。賢介はだれのものでもないし」
わたしはそっけなくこたえた。ふつうにこたえたつもりなんだけど、そういう形容詞がついてしまう声がでた。
有里は顔の筋肉だけで笑顔を保った。だって、両目は氷の冷たさだった。
「またね、北岡くん」
賢介に手をふって、有里は友だちと連れだって店をでていった。わたしのほうは見なかった。
「あいかわらず、よくわかんない子だなあ」
のんきにつぶやく賢介は、それ以上の興味を有里には示しておらず、わたしを安堵させた。
有里に牽制されるような感情を、わたしが抱いているわけじゃない。断じて。でも、あの子には、異性のそういう関係は理解できないのだろう。
わたしはただ、この男友だちが、つまらない女につまずかないことを願っているだけだった。小四から中三まで通っていたエレクトーン教室で知りあったなかで、唯一、いまもつき合いが続いている相手なのだ。
「で、なんの話だったっけ」
「バンドの話」
「ああ」
賢介はストローでバニラシェイクを吸いこんだ。この飄々とした男を、わたしはキーボーディストとしてサポートメンバーに加えようとしているのだった。月子が、今度の曲に、部分的に鍵盤の音を必要としている。
「断る」
「なんで」
「ロックが好きじゃないから。好きじゃないっていうか、よくわかんねえんだ」
「わたしだって、なにがロックなんだか、わかっちゃいないよ。でも――」
それでも、八ヶ月まえに、誘われるがままにエレキギターをはじめたのは、あの子のおかしな人間力みたいなものに惹かれたからだった。
「――月子は、凄い」
「それはわかる。ポーズじゃなくて、ああやって生きてくのがいちばん自然なんだっていう、静かな殺気みたいなもんがあるよな。田中さんは」
月子に対して、賢介は正当な評価をくだしている。男ってたいていは変だけど、こういう、信用できるやつもいる。自分なりのものの見方を崩さない。
※
なにしろ、田中月子は美人だけど、入学当初から変わり者だった。授業のとき以外は、常にヘッドホンをつけていて、近寄りがたい雰囲気を発散していた。
女子のグループのまとめ役みたいな子が、訊いたことがあるのだ。
「いつも、なに聴いてるの。田中さん、洋楽とか似合いそうだよね」
月子はipodのダイヤルを回して音量を下げ、でもヘッドホンははずさず、
「音楽になっていれば、なんでも聴くよ。世界にはノイズが多すぎてうるさいから」
とこたえた。
わたしを含めて、ことの成りゆきを見守っていた女子が、全員〈あちゃー〉という顔をした。だめだこりゃ。イタい女だ。さわらないでおこう。
でも、わたしは、心のどこかで共感していたのだ。月子は、それを見抜いて、わたしに声をかけたのだと思う。
たしかに、ただふつうにしているだけなのに、よけいなものが多すぎるよ。あたりまえのことを、邪推でねじまげて、おかしくしてしまうやつばっかりだ。
わたしのはじめての彼氏は、エレクトーン教室でできた。中二の夏休みだ。育ちのよさそうな、やさしい男の子だった。いつも襟のついたシャツを着ていた。
なんとなく、お互いの気持ちはわかっていた。示しあわせたように、レッスンの開始よりずっと早く教室に入って、ふたりきりの時間をつくった。
告白は彼のほうからしてくれた。うれしかったなあ。思わず涙がこぼれて、彼をおろおろさせてしまった。うろたえる彼がかわいかった。青春だね。
いちばんしあわせだったのはその瞬間で、あとは下降の一途をたどるばかりだった。
つきあいはじめたとたん、彼は嫉妬と束縛を剥きだしにしてきた。わたしは賢介なんかと、いままでどおりのつき合いをつづけていたのだが、それがいけなかったらしい。
彼のことは、ちゃんと特別あつかいしていたつもりだ。実際に特別なひとだったし。でも、ほかのすべてがいらなくなるわけじゃないよね。
彼は小刻みに賢介にからむようになって、わたしはだんだん賢介に申しわけなくなってきた。そして、彼をわたしより先に(これ、いまだに意味がわかんないけど)好きだったという子と、賢介を好きだという子と、わたしを好きだという別の男が――
もう、いいか。説明するのも億劫だ。あとは想像してください。だいたいそれで合ってると思います。とにかく、エレクトーン教室に泥沼の男女関係が出現して、わたしはすっかりいや気がさしてしまったのだ。それで、辞めた。辞めた自分が根性なしみたいに思えて、泣けた。
ほんとうの自分を押し殺して、周りに迎合して――なんて、ちょっと知恵のついたオタクとかにありがちなダサい似非哲学だけど、わたしにもそんな思いがあったことは否めない。運よくそれなりの容姿にも恵まれたし、うまいこと生きてきたつもりだ。でも、どこかで、ちがうと思っていた。
ちがう。わたしは、こんなふうになりたかったんじゃない。こんな世界にいたかったんじゃない。
ひそやかな鬱屈を飼いならして、高校生活はとりあえず平穏にすすんだ。
月子に声をかけられたのは、忘れもしない、去年のクリスマス・イヴだ。
美人かつ変人の月子は、敬遠されていたし、一部ではきらわれてもいた。しかし、蔑まれることからは無縁だった。いじめにも遭わなかった。そうさせない、なにか凛としたものがあった。
月子のまとう透徹した空気は、決して不快ではなかったのだ。
拗ねるわけでも、強がるわけでもなく、ひっそりと、でも堂々と存在している。おそらく月子にとっては理想の、孤高のポジションを獲得していた。
あの日は寒かった。雪が降っていた。ホワイト・クリスマス。彼氏がいないことにそれなりのわびしさは感じていたが、エレクトーン教室でさんざん味わわされた気苦労への恐怖があっけなく勝って、わたしはひとりで帰路についていた。
夜に、親しい仲間たちとご飯を食べにでかける予定だった。結局、キャンセルする羽目になって、あとからずいぶん責められたのだけれど。
わたしの家であるマンションの玄関のまえで、月子はいつもどおり、ヘッドホンで外界から遮断されたままのすがたで、わたしが帰るのを待っていた。お互いに電話番号もメールアドレスも知らないから、そうするしかなかったのだ。現代の女子高生とは思えない古風なコンタクトが、このバンドの誕生にはふさわしかったかもしれない。
2NDLAW――セカンドロウ。
ヘッドホンを耳から首にかけなおして、月子はわたしをみつめた。
「江上玲さん、ロックをやらない?」
第一声がそれだったのだから、やっぱり、田中月子はおかしい。
「え、いや、わたし、よくわかんないし」
わたしはもごもごと、そんなことをいったはずだ。
「わたしたち、午年生まれだよね」
で、返答がこうだったのだから、重ねていう。月子はおかしい。
「Horseって、それだけで騎兵って意味があるの。馬に乗った騎士。あと、愚か者っていうニュアンスをこめる場合もある」
麻薬中毒者みたいな論理の飛躍をみせて、月子はそんなことを語った。
「騎兵みたいに闘おう、江上さん」
その双眸は夢みるような輝きに満ちていた。正直いって、こわかった。
でも。
「こざかしく、ただうまいこと生きるんじゃなくて、愚直に生きてゆこう」
「なんで、わたしなの」
冷気は気にならなくなっていた。白いつぶてに打たれながら、はじめて彼氏ができたときより、高校の入試を受けたときより、もっと重大な局面に立たされているのだと、わたしは心の芯で悟っていた。
田中さんは頭がおかしい、ただのふしぎっ子にすぎないのかもしれない。そうだとしても、問われたことそのものは、てきとうに流してはいけないと感じた。
「わたし、やってたのはエレクトーンだよ。ギターとかベースじゃないよ」
「鍵盤をやってたんだ。なら譜面が読めるのね」
楽器ができるからわたしを誘ったのではないようだった。
「すぐに弾けるようになるわ。弦楽器のほうが音域はせまいから」
「いや、そういうことじゃなくて。――なんで、わたしなの」
さっきとおなじ質問を、一音一音くぎるようにして放った。
月子はすこしうつむいて、考えるそぶりをみせ、顔をあげて、こういった。
「ノイズに敏感そうだから。メロディを、一緒につくってゆけそうだから」
ノイズ。メロディ。要は、影と光、悪と善みたいな、月子に独特の価値基準だが、そのときはもちろん、語意をつかまえることはできなかった。ただ、この子に認められていることは、伝わってきた。
ふいに、わたしをまっすぐ見つめて、月子はこういったんだ。
「あなたのことは、ずっと気にかけていた」
告白みたいだった。
胸が高鳴った。あわてて手を当てて鎮めようとした。
それでも、心臓は烈しく鼓動を打っていた。そのときのビートが、結局、わたしがいま奏でているギターのサウンドの基盤なんだと思う。
「それだけじゃ、わかんない」
と、わたしはいった。
月子は無表情でわたしのいうことを聞いていた。
「――だから、もっと話をきかせて」
その顔がほんのすこし、ほころんだ。
ほほえむのは学校で何度か見たことがあるけど、ほころぶのははじめてだった。
「これから暇?」
もちろん、月子に予定を訊かれるのも。その日ははじめて尽くしになったのだ。
「うん」
「カレーを食べにいこう。カレーはきらい?」
「カレー限定かよ」
ついつい、賢介と接するときみたいに、突っこんでしまった。そのとき、この子とは長くなるかもしれない、という予感が頭をよぎった。
「寒いし。あたたまるわ。カレー」
「いいよ、カレーでもなんでも」
「なら、カレーにしよう」
真顔でこたえる月子に、わたしは苦笑した。そこまでカレーが好きか、おめえ。高校のみんなが知らないであろう、田中さんの人間味であった。
※
「――おれはみてることにするよ」
と、北岡賢介はいった。
「江上と田中さんが凄くなるのを、見守ってる」
「そっか」
それ以上、わたしは勧誘するのをやめた。賢介と月子ならきっと仲よくなるだろう。しかし、そのことと、2NDLAWは、別だ。賢介はいいやつだけど――いいやつだからこそ、わたしと月子の〈闘い〉に巻きこむのは、やっぱりよくない。鍵盤の音は、べつのだれかをさがそう。
「これから練習か」
「うん」
わたしは足元にそっと置いたギターケースに目を落とした。
ハードケースだ。ステッカーを二枚、貼ってある。世界に二組しかない。もうひと組は月子のベースの裏側についている。
デザイナー志望の賢介は、パソコンでなんでもつくってしまうのだ。バンドの門出にとたのんで、鋭角的なかっこいい字体で刻んでもらったことばの片方は、バンド名の2NDLAW。もう片方は――
Rockin' Horse
わたしと月子を結びつけた、運命の単語をかけあわせたのだった。英語でRockin'
Horseというと、赤んぼうがまたがる、前後に揺れる木馬のおもちゃ。あれを指すらしいんだけど、わたしにとっては、ロックの騎兵のことだ。月子がわたしを口説き落とした、あの響き。
「そろそろいくね」
「おう」
賢介とハイタッチを交わして、わたしはギターケースを片手に、ハンバーガーショップを後にした。槍をかまえる騎兵みたいな気分で、戦場――スタジオへと向かう。
はやく、ライヴをやりたいな。
闘いたい。あの子の唄声にのせて、切り裂くような音を放ちたい。
そのとき、きっと――
きっと、世界が変わる。
月子のことばを借りれば、ノイズが消えて、メロディがあふれる。
わたしは自分らしくいられるようになるだろう。