レストラン西洋軒殺人事件
オーグ


 

昭和8年、初夏。


「随分と久しぶりだね。君が例の件で、中国から帰ってきていたのは知っていたのだがね」
「俺がこんな所で暮らしているなんて、滑稽に見えるだろうね」
「いやいや、あんな事件の後だからね、だれも君を見下す者などいやしないさ」
「いいさ。いくら笑われたって。これが運命と言う物なのだろうからね」

二階堂は、たった一間の学生の下宿を見回しながら言った。

「しかしまあ、随分と大きな環境の変化だねぇ。3年前なら、帝都でも10本の指に入る資産家と言われていた、天下の綾乃家の跡取が・・・。それで、あの大豪邸の後始末は済んだのかい?」
「ああ、一応はね。あの土地を売った金で、類焼した近所への賠償はなんとか片付いたよ。しかし、債権や株券、現金や宝石類などはすべて灰になってしまったよ」
「そうか。それで残ったのが、この部屋にある僅かな書籍と言うわけか。なんでも放火の疑いもあったそうじゃないか。心当たりでも?」
「ああ。しかし警察なんか当てにならないね。おざなりに調べてそれまでさ。家族の遺体も、殺されてから焼かれたと何度言っても、取り合ってもくれやしないよ」

綾乃は煙草の缶ピースを一本取り出すと、煙を空中に放り投げるように吐き出し、ため息をつくように言った。
「都知事は以前から何度もあの土地を欲しがっていたんだ。東京を一望できるあの土地こそ、自分に相応しいとね」

しばらく様子を見ていた二階堂が切り出した。

「そう言えば都知事が買い取ったそうじゃないか。あの土地を」
「二束三文でね」
「その都知事が、一昨日、レストラン西洋軒で殺されたのは、もちろん知っているだろう?」
「どの新聞もその記事ばかりじゃないか。今の東京で知らない者はいないだろう」
「それはそうだ。しかしね、僕が少しばかり気になるのは、あの都知事が食事中に殺害された時、どうやら君も同じレストランで食事をしていたそうじゃないか」
「ああ、そうだよ。偶然にもね」
「殺害の動機や犯人はともかく、今回の殺人事件は随分と不思議な所があるそうなんだよ。いやね、担当している田代警部が、偶然僕と知り合いでね。少しばかりその辺りの情報を聞かされているんだよ」
「ほぉ」

綾乃は興味ありげに、二階堂の言葉耳を傾けた。

「警部が言うにはだね、死因は毒殺。テトロドトキシンという河豚の内臓にある猛毒らしいんだ。それが血液中から発見されたらしいのだがね。もちろんスープからも発見されたよ。おそらく犯人はスープにその毒をどこかの段階で入れたのだろうと言うことなんだ。君は急に倒れた都知事に一番に駆け寄って彼の体を起こし、スープ皿に突っ込んで汚れた都知事の顔をナプキンで拭いてあげたそうじゃないか」

綾乃はじっと、二階堂の話を聞いている。すでに煙草は二本目に火をつけようとしてた。

「僕は、警部に現場写真やら押収した証拠物件などを見せてもらったのだがね・・・」

二階堂はそこで、言葉を切った。

「帝大でも抜群の頭脳を持つ君だ。何か発見でもしたのかい?」
「・・実はそうなんだよ。そこで警察の捜査とはまったく別に、自分なりの推理を立ててみたんだ」
「ほう。それは是非、ご拝聴願いたいものだね」

綾乃はなにやら、深みのある笑い顔を見せると、二階堂の目を凝視した。

「警部から見せられた現場写真・・・もちろん、君も写っていたよ。ちょうど都知事の真後ろの席だったね。そこで僕は、あるおもしろい事を考えついてね、実験をしてみたんだよ。帝大医学部でもトップの成績の君が、突然休校して中国に渡り、中国医術を学んだから知っていると思うが、中国には針治療と言う医術があるね。あれには、非常に細い針を使う。髪の毛の三分の一ほどの細さらしいね。僕はそれを使ってある工作をしてみたのだよ。
言うなれば、凶器の再現というところかな。いや、これがどうも僕は手先が君と違って不器用なものだから、苦労したよ」

二階堂は、そこまで言うと笑いながら伺うようなまなざしで、綾乃を見た。彼は空中の一点を見つめながら、黙って聞いていた。

「僕はまず、両切り煙草を一缶買ってきた。そう、今君が吸っているそれと全く同じものだよ。それを、皿に水を入れ浮かべてみたんだ。もちろん煙草は溶け出し、紙と葉っぱが分離する。僕はその一枚にばらけた紙を机に置き、これも針治療院からもらってきた非常に細い針を、紙の端に置き、ちょうど針を紙で巻くようにクルクルとまいていったんだよ。ただ、煙草一本分の紙ではちょっともの足りなくてね、、結局僕は煙草3本分の紙を巻きつけたよ」

綾乃は、さっきより視点を落とし、缶入り煙草のケースをじっと見つめながら、黙って聞いていた。

「そうして日にかざし乾燥したところで、針を引き抜いたんだ。そうすると、見事に一直線の非常に細い穴の開いた丈夫な紙の筒ができたじゃないか」

二階堂はわざと、明るく笑った。

「ところで、針治療の針の太さは、何十種類もあるそうだね。僕はまた針治療院にいって、
以前に借りた針より、わずかに細いはりを借りてきて、その紙の筒にいれてみたんだ。するとみごとに、スース−通るじゃないか。試しにその針を紙の筒に入れて、壁に向かってプッと吹いてみたんだ。すると針は見事なくらいに真っ直ぐに飛んで、壁にかけてあった僕の着物を貫いて、奥のふすまにブスリと刺さったよ。短い針なら尚、強力に刺さり、きっとふすまの中に刺さりこんでしまうだろうね。どうだい?なかなか、面白い実験だったよ」

綾乃は、綾乃は寂しそうな笑いを浮かべると、ボソリと言った。

「さすが、二階堂君だね・・。なぜ、分かったんだい?」

「・・いや、ちょっとしたことさ。現場写真を見ているうちに、偶然君の座っていたテーブルの灰皿が写っていたんだよ」

「灰皿?」

「ああ、そうさ。灰皿だよ。普通両切りの煙草はいくら頑張ってもフィルタが無いから、根元までは吸えないだろう? 君の灰皿をみたとき、ビンときたんだ。吸殻の割に、あまりに灰が多すぎたんだよ。君は、テトロドトキシンを塗った非常に細い針を、都知事がスープを飲むために俯いた、その瞬間を狙って首筋に打ち込んだ・・。しかし、それだけでは証拠の紙筒を仕込んだ煙草が見つかってしまう。そこで君は、その吹き矢にした煙草を根元までわざと消さずに燃やし尽くしてしまったのだろう。なにしろ煙草の真中に細い筒があったんじゃ、妙だからね。おそらく君は、チャンスがくるのを待って何本も煙草を灰にしてしまった。そのたびに灰皿に残った、猛毒のついた細いはりを、君はどこかに隠した・・。そして見事都知事が絶命すると、スープ皿に毒を入れるために近づいた・・どうだい?僕の推理は気に入ってもらえたかな?」
「天網恢恢疎にして漏らさずとは、よくも言ったものだね。こうなると、君のような秀才を友人に持った事を、残念に思うよ。フフフ・・・」

綾乃は寂しそうに笑うと、引出しから新しい煙草の缶を取り出し、軽く口に咥えた。

「待ちたまえっ!」

二階堂はそう叫ぶと、綾乃に飛び掛りその口に咥えた煙草を叩き落そうとした。しかし、それは一瞬遅かった。綾乃は咥えた毒針入りの煙草を思いっきり吸い込んだのだった。

                                  終わり



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