夕焼け色のローズティー
奏位星華



ゴールデンウィークが終わった直後の5月のある日。
昼休憩に、教室の窓から青空を眺めていると、後ろからいきなりポン、と軽く肩を叩かれた。
「…高取、何やってんの」
それに反応して振り返ると、同じクラスの松原が立っていた。
「あー…空見てた」
「一人で?」
彼にそう訊ねられたわたしは、そうだけど、と首を縦に振った。
「…進路指導のことで、倉橋が探してたぞ」
「えー」
「おまえだけ報告書の提出がまだだから早くしてくれ、ってさ」
面倒くさいなあ、と小さくぼやいた後、ふと視線が松原の瞳と交わった。
「わかった。松原ありがとね」
わたしは彼に礼を言うと、その場を離れて階段へと向かった。






「で、高取。おまえさん本当に何も考えてないのか?」
進路指導室の椅子に座ると、お向かいにいるクラス担任の倉橋が、大きくため息をついた。
「成績も特に問題ないし、良い大学に進学できるんだからなぁ…」
「別に成績がどうこう、ってことじゃないんです」
「まあ、確かにそうだけど、いい加減どうするか決めないとまずいだろ。うちのクラスでは高取だけまだ決まってないんだぞ」
彼がわたしにそう言った後、報告書の方は明日まで待つから、と提出期限を延ばした。
「あ、そういえば。高取は部活何やってるんだ」
「写真部です」
一応籍を置いてるだけで、実際には帰宅部と同じなんだけど。
「それなら今度お前が撮ったの見せてくれる?」
「ええっ? でもわたし、殆ど部活出ていないし…」
「別にそんなの関係ないだろ」
待ってるからな、と彼に言われて、わたしははぁ、と小さくため息をついた。





「あーずみ、倉橋に何か言われたの?」
放課後の教室で帰り支度をしていると、友人の真紀が心配そうに尋ねてきた。
「進路のこと。報告書明日までに出してくれって」
「ふーん…」
「真紀はもう決めてるの?」
「うちは調理師学校行くんだー」
彼女は料理をするのが好きで、家庭科部の副部長をやっている。
そういえば以前、将来はカフェを開きたい、と言っていたけど。
「梓美は大学行かないの?」
「うーん…まだやりたいことが見つかってないから、そこまで考えてなかったんだよねぇ…」
わたしが大きくため息をつくと、真紀が鞄を持って席を立った。
「あ、そうだ。梓美、今から時間ある?」
「うん、今日はもう帰ろうかなって」
わたしが返事をすると、彼女はこう言ってきた。
「それじゃあ、私にちょっと付き合ってくれる?」










真紀に連れられてやってきたのは、学校の近くの駅前にある洋菓子店。
大通り沿いにこじんまりとした家屋の白い壁には一重咲きの赤いバラが、びっしりとたくさん咲いていた。

店内に入ってすぐに、真紀はどっかに適当に座っていて、とわたしに言い残し、足早にカウンターの奥へ消えた。
一人になったわたしは、ふとレジの傍にあった一輪挿しに視線を移すと、さっきの白壁に咲いていたバラが生けてあり、かすかに甘い香りがした。

「いらっしゃいませ」
突然背後から若い女性の声がして、わたしはあわてて振り返ると、白いエプロンをつけた黒いワンピースの店員が立っていた。
「あ、あの、えっと…」
おろおろしている私を見て、彼女はこちらへどうぞ、と店の奥の椅子席へと案内した。
大通りが見える窓際の席に腰を下ろすと、さっきの女性店員が現れ、氷水が入ったグラスと、紅茶を入れた白いティーカップを、テーブルの上に置いた。
「もうしばらくお待ちくださいね」
彼女がトレイを持ってカウンターの方へ行った後、わたしは鞄を椅子の下に置き、ティーカップを手に取ると、ふわりと良い花の香りが、湯気とともに立ち昇った。



あ、さっきのバラの香りと同じ―…。




カップに向かって二、三回軽く息を吹いた後、お茶を飲んでみると、口の中に紅茶独特の渋みと、ほのかな香りが広がっていった。
…自分が思っていたより渋みは少なくて後に残らず、程よい飲み頃の温度になっていたせいか、気がつくとカップの中は空になっていた。
すると、さっきの女性店員が赤いカバーを被せたティーポットを持ってきた。
「おかわりはいかがですか?」
「はい、いただきます」
カバーを外し、ポットからカップへとお茶が注がれる。
「このお茶は今だけのサービスなんですよ」
「えっ?」
「この店先にあるバラが咲いてからの一ヶ月間限定で、バラの花をテーマにした商品を出しているんです。それで喫茶室を利用してくれたお客様には、この店のバラの花びらをブレンドしたローズティーをサービスしております」
「あ、そうだったんですか」
「はい」
笑顔で接してくれる彼女の説明をうなずきつつ聞いていると、その後ろから明るい声が飛び込んできた。
「お待たせいたしました〜」
カウンターの奥から制服の上にエプロンをつけた真紀が出てくると、サンドイッチが乗った皿をテーブルの上に置いてくれた。
「私が作ったジャムをはさんだサンドなの」
どうぞ召し上がれ、と彼女にすすめられ、わたしはサンドを一つ取って口に入れた。

ちょっと変わった、不思議な甘さ…変にくどくなくてすごく美味しい。
おそらく砂糖を控えめにしてるんだと思うけど。
「このジャムね、私がこのお店の壁に咲いている薔薇の花びらを煮たジャムなの」
「えっ?真紀が作ったの??」
わたしが驚くと、真紀はうれしそうにこう言った。
「この前から何度も試作して、やっと完成させたんだー」
お花のジャムって初めて食べたけど、こんな感じなんだなあ。
一つ目のサンドを食べ終えたわたしは、おもむろに二つ目に手を伸ばした。
「このサンド、すごくおいしい!何個でも食べれそうだよ」
「ほんとに?!よかったぁ〜」
真紀のうれしそうな表情を見て、店員さんもニコニコと笑った。



それから三十分後、サンドを食べ終えたわたしは、お茶をサービスしてくれた店員さんにお礼を言った。
「お茶ごちそうさまでした!美味しかったです」
「いえいえ、よかったらまた来てくださいね」
「はい」
そう答えたわたしが店を出ようとドアノブに手をかけようとした時、ふと後ろを振り返ると、一輪挿しのバラが、こちらを向いて微笑んでいるように見えた。





ありがとうございました、と彼女の柔らかな笑顔に見送られ、真紀と一緒に店の外に出ると、西の空が真っ赤に染まっていた。
大通りを歩いて駅へと向かう途中で、わたしの横にいる真紀がこう話してきた。
「私ね、高校の入学式の帰りに、母さんに連れられてあの店に寄ったの。その時にあそこで食べたケーキがすごく美味しかったんで、それがきっかけで料理やお菓子作りをするようになって、部活が休みの平日は行くようになったの」
「なるほどー。それじゃあ真紀はそれがきっかけで、将来の夢を決めたんだ」
「うん。なんかたくさんの人に、自分が作ったものを食べてくれたらうれしいな、って」
何気に真紀ってほんとにすごいなぁ、と思っていたその時。
「…だからさぁ、梓美も進路の事、あせらずにゆっくり考えていけばいいんじゃない?」
彼女にそう言われて、わたしはハッとして立ち止まった。
だけど、その後に来たこの一言が、再び足を進めるきっかけになった。

「―夢を見つけるきっかけって、意外と身近にあるもんなんだよ」

わたしより先を歩いていた真紀が、こちらを向いて微笑んでいた。



…あ。
そっか、そうだよね。



彼女に励まされたわたしは、町並みの向こうの空を見ると、燃えるような鮮やかなバラ色に染まっていた。
鞄から携帯電話を取り出し、空に向かってシャッターを切ると、少し先で待っている真紀の元へと走り出した。













週明けの月曜日、放課後に屋上を訪れると、松原がフェンス際に寄りかかっていた。
「うーす」
彼が私に気づくと、すぐに挨拶してきた。
「なんで松原がここにいるの?」
「別にいいだろ、おれも暇なんだから」
手にしているペットボトルのキャップを開けながら、わたしにそう答えた。
「あれから、報告書出した?」
「…一応ね」
「どこに行くん?」
「教えない」
「あっそ」
わたしはスカートのポケットに入れていた携帯を取り出し、カメラのレンズ部分をフェンスの向こうにむけた。
「…何やってんの?」
「写真撮影」
ふーん、と松原が傍に来ると、わたしはじゃま、と横歩きで移動した。
うかつに手から携帯が落ちないように、ストラップを引っ掛けて、被写体を探しているうちに、わたしは横から松原がじっと見ているのに気づいた。

パチリ。

すかさず彼に向かってシャッターを切ると、突然のことに驚いて目をまばたきして、わたしにいきなり迫ってきた。

「あっ!てめー!何おれの顔撮ってるんだよ!」
それよこせよ、と松原が携帯に手を伸ばしてきたので、わたしはすぐに携帯をスカートに入れると、回れ右をした。
「だーめ!倉橋と真紀に送っちゃおーっと」
彼にそういって出入り口へと駆け出そうとした矢先、わたしはふと足を止めた。

「―あ」
「おい、いきなり立ち止まってどうしたんだよ?」

「ねぇ、今から時間空いてるんだったら、いっしょにお茶飲みにいかない?」
松原にそう言った後、わたしは微笑って彼の腕を取り、再び駆け出した。





―五月の憂鬱で、ちょっとココロが行き詰まったら、バラのお茶はいかがですか?










(2006年度NF120/桜花賞作品)

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