37.2℃
奏位星華
―ずきずきする。
さっきからずっと、頭が痛くて熱っぽい。
昼過ぎに学校を早退して、そこから帰宅するまでが苦痛だった。割れるような痛みと足元がふらつく中でなんとか辿りついたけど、リビングのソファーに倒れこんだ後、さらに痛みがひどくなってきた。
梅雨明け前の不安定な天気のせいだけでなく、期末テストの勉強で夜遅くまで起きていたのがたたったんだろうなと思いつつ、重たい身体をゆっくりと仰向けにすると、額に冷たくて気持ちいいものが乗せられた。
「―冷たいか?」
「うん……」
その感触に気づいてまぶたを開くと、見覚えのある顔が視界に入った。
「取り急ぎ、保冷剤をタオルで包んだものだけどな」
その声を聞いた私が上体を起こそうとすると、彼―暁人(あきひと)さんがすぐさまそれを制止した。
「なっ……なんで兄さんがここに?!」
「おまえが玄関前で赤い顔してふらふらと中に入ってったから。鍵閉めてなかったんで勝手にお邪魔したけど」
五つ年上で大学院生の彼は、うちの隣の家に住む幼馴染みで、小さいころから家族ぐるみで仲良くしていた。それで一人っ子の私は彼を「お兄さん」と呼んでいる。
顔見知りとはいえ、無断で家に入ってきたのはよくないのだけど、今は反論する事ができないので、首だけをゆっくり彼の方に向けた。
「熱はある?」
「保健室で体温計った時は八度超えてた」
「そっか……おじさんはまだ会社だろうし、おばさんは?」
「今日は昼のパートに行ってるから、多分帰ってくるの六時過ぎになりそう……」
一応携帯にメール入れたけど、と気力が落ちた声で暁人兄さんに返答した。
「あ、そうだ。熱冷まし作ったんだけど、飲んでみる?」
テーブルの上に茶色い液体が入った白いどんぶりが置かれると、私はそれを両手で受け取った。
「天日干しした椎茸を煮出して、醤油で味付けただけなんだけど……おれ、薬嫌いだから、熱が出た時には死んだばあちゃんがコレ作ってくれたんだ」
「そっか……暁人兄さんはおばあちゃん子だったんだよね」
「あの頃は両親が共働きだったし、お前のことも可愛がってたもんな。俺が中学二年の時に亡くなって、葬式の時に大泣きしてたんだっけ」
「うん……」
器の中にあるスープを飲みつつ、私は小さい頃の事を思い出していた。
私のおばあちゃんは、母方の方は自分が生まれる前、父方の方は赤ちゃんの時に亡くなったので、暁人兄さんのおばあちゃんには随分良くしてもらったのだ。
「学校が終わってから兄さんの家に行って、おばあちゃんが作ってくれたおやつもらったり、一緒に遊んだりしてたなあ」
「でもっておばさんが迎えに来ると『やだー、まだおばあちゃんといたいのー』って駄々こねてたよなー」
「やだっ、そんなことまで覚えてたのー!?」
恥ずかしいと思いつつ、懐かしい思い出を二人で話しているうちに、いつの間にか両手に持っていた器の中のスープはなくなっていた。
空っぽの器をテーブルに置いて横になると、兄さんが制服の上にかけられていた毛布の端を持ち、ぐいっと頭まで被せた。
「しばらくこのままでじっとしとけよ。汗がたくさん出るから」
「う、うん……」
兄さんにそう促された私は、すっぽり被っていた毛布の隙間から顔を覗かせると、彼は空になったどんぶりをキッチンへと持っていき、流しでそれを洗い始めた。
兄さんの背中は広くて、大きくて。小さいころからそれをずっと追いかけていた自分にとって、彼の存在はいつしかかけがえのないものになっていたんだな、と思っていると、身体中から少しずつ汗が噴き出してきた。
それがだんだん量が増してくると、私はいてもたってもいられなくなり、毛布を身体から引き剥がした。
「うわ、なんか汗がたくさん出てきたー」
「それ体の中に溜まっていた老廃物が出てきてる証拠だから」
キッチンから戻ってきた暁人兄さんが、ソファーから起き上がった私に青いフェイスタオルが入った白い洗面器を渡してくれた。
「それ脱いでタオルで体拭いたら、制服を洗濯機に持ってくから」
「うん、その間はこっち見ないでよ」
「はいはい。病人を襲うなんてことしないって」
私が暁人兄さんにそう言い返すと、リビングの入り口前にある洗濯物の籠の中から、ピンクのパジャマと下着を取り出し、その場で制服を脱いで体をタオルで拭き始めた。
その後下着を取り替えてパジャマを着ている間に、彼はタオルと制服を洗面所の方へ持っていった後、体温計を手にこちらに戻ってきた。
「ほい、熱測ってみて」
蓋を開けて体温計を手渡されると、私はそれを腋の下に入れて一分待った。
「頭どんなだ?」
「うーん、痛みが治まって大分すっきりしてきた」
「そっか」
兄さんのほっとした表情を見た後に、ピピッ、と電子音が鳴ったので、私は体温計を取り出してみた。
「どうだった?」
「下がってる、三十七度二分」
「よかった。この分だと、明日の朝には平熱に戻って治ってるだろ」
体温計をケースに戻した私は兄さんにお礼を言うと、彼は突然顔をこちらに近づけると、唇を軽く額に触れる感じで口づけた。
その突然の行動に驚いた私は、思わず両手でその部分を押さえると、彼は微笑ってソファーから離れた。
「そろそろおばさんが帰ってくることだし、もう少し寝ておけよ」
兄さんがリビングから出て行こうとした時、私は彼に待って、と声をかけた。
「…ありがとう」
お礼を言った後、彼はこちらを向いていえいえ、と言って出て行った。
パタン、と玄関のドアが閉まる音を聞き、私はまだ余韻が残る額の感触を指先でなぞりながら天井を見つめた。
……これってもしかして、ファーストキスなのかなあ……?
さっきの事を振り返りながら、これが夢じゃないと気がつくと、私は熱がまたぶり返さないようにと、毛布を頭まで被って瞼を閉じたのだった。