帰ってきた緑
奏位星華
残暑が厳しい八月半ば、お盆の帰省ラッシュの最中に小さなボストンバッグを手に、私は日差しが照りつけるアスファルトの上に降り立った。
排気音を立ててバスが去っていくのを見送り、久しぶりに実家に向かおうとしてバス停を出ようとした時、自分の目の前に見覚えのある長身の青年が立っていた。
「よぉ、久しぶり」
小麦色に日焼けした顔を確認した後、私はその彼の名前を口に出した。
「……お、大野?大野敬梧?」
「松永ー、何だよその驚いた顔は」
「だってこんなとこであんたに会うとは思わなかったの!」
小中学時代に同級生だった彼と、十年ぶりに再会するなんて。
茶色に染めた短い髪に、白いTシャツとカーキのワークパンツ、サンダルというラフな服装は、中学時代の時とあまり変わりないけど、顔立ちは随分とりりしくなっていた。
「そういや松永は今何してんの?」
「普通にOLやってる。でも本店に転勤になってから、ずっと仕事漬けだけどね……そういうあんたはどうなのよ、家が自転車屋だったっけ?」
「ああ。大学まで行ったけど、就職先見つからなくって結局跡継いだんだ。親父が定年になっていつ倒れるかわからないから、いろいろと覚えないといけねーし」
炎天下の中、日陰になった道の端を歩きながら、私は大野と話し続けた。
「そうそう、こないだの日曜、ドリームマートでお前のおばちゃんに会ったんだよ」
「えっ?うちの母さんに?」
「お客多くて忙しそうだったんであまり話してないけど、松永がもうすぐ帰ってくるって言ってた」
手にしていたペットボトルのお茶を口にしつつ、大野は私の横を歩いていた。
「オレらが小学校六年の時だったかな、学校の近くにあった工場のこと、覚えてるか?」
「うん、確か三年前に閉鎖になって、建物が取り壊されたんだよね」
「そこ行ってみない?」
「今から?……別にいいけど」
その返事を聞いた大野はよっしゃ、と言った後、私の前に出て歩き始めた。
小学校六年の夏休みのある日のこと。
私と大野は同じクラスの仲良しグループで、学校の近くにある工場に入ったことがある。お盆のため操業が休みになっているのを狙って、広い敷地内に入り込んで遊び回った、懐かしい思い出。
男女混合で十人もいたグループの中で、大野はみんなのまとめ役になり、率先して動いていた。建物の中を歩きまわっているときに、警備に回っていた男性に見つかったクラスメートたちを上手く逃がして、後で自分が怒られたこと。
それを面白おかしく笑いながら話す彼を見て、私はあの時の自分を思い出していた。
「あれで誰もケガがなくて済んだのが幸いしたけど、流石に学校に連絡が行った時は、どうなるかと思ったわよ」
「みんな校長室に呼び出されて怒られるかと思ってたら、逆に校長と担任からその時のことを作文にして出せ、って言われたんだよな」
国語が苦手な彼が、あの時だけは意外にも提出が一番早かったのには、流石に私も驚いたけど。
その後小学校を卒業して、中学校以降はクラスがバラバラになり、そのグループは自然消滅になった。しかし私と大野はその三年間ずっとクラスが一緒でよく話していたし、お互いの家が近所だったのもあって、卒業後もたまに町中で出会ったりしていた。
バス通りを外れ、小学校へ向かう通学路へ入りしばらく歩いていくと、右手にベージュ色の校舎が姿を現した。
しかしその直後、自分の視界に異変が起きた。
本来ならそこにあるはずのものが、ないのだ。
いや、ある予定だったもの、と言った方がいいのだろうか。
「ほら、ついたぞ」
大野の一声で、私は視界をまっすぐにあわせると、目の前にある世界を見てそのまま立ちつくしていた。
「……えっ?」
そこは鮮やかな緑の芝生が広がり、それをぐるりと取り囲むようにして、クスやケヤキの木々が立ち並んでいた。
一番手前にある広場では帽子をかぶった子どもたちがキャッチボールをしていたり、園内の隅にあるクスの木の下で涼んでいる人もいる。
「あ、あれ?確かここって、ショッピングセンターになってるはず……」
「いやその話さぁ、おじゃんになったんだって」
隣にいた大野があっさりと答えると、私は嘘、と口元に手を置いた。
「それいつの事?」
「おめーが転勤した直後だったかな……詳しいことはわからんけど、急に出店が駄目になったって話」
そう言った大野がスタスタと園内に入っていくのを見て、私はあわてて彼の後についていった。
子どもたちのはしゃぎ声が辺りに響く中、彼は園内で一番大きなクスの木の下で足を止めると、その場にしゃがみこんで、両手で地面を掘り出した。
「ちょ、ちょっと。何で土掘ってんの?」
「実はあの時、こっそりここに埋めたものがあるんだよ」
本当は大学を卒業してからにしようと思ってたけど、と彼は苦笑いしながら作業を続けた。
「…手伝ってもいい?」
私が大野にそう尋ねると、彼は無言で首を縦に振ったので、傍らに座って一緒に掘り始めた。
「この辺りの大きめの樹木は、まだ工場があった時のがそのまま切らずに残ったんだけど、地面は一旦整備してると思うから、もしかしたらないかもしれねーけど」
彼は私に話しながら、ざくざくと土を掘り進めていく。私もそれを手伝っていくうちに、額や背中に汗がにじんできた。
掘り始めてから十分後、私の右手に金属の感触を受けた。
「あ!なんか見えてきた」
姿を表した銀色の先端を見て、大野はこれかもしれない、とその周囲を掘り続けていくと、缶ジュースの大きさ位はあるスチール製の筒が姿を現した。
「よかった…運良く残ってたみたいだな」
大野は周りに付いた土をそっと払い、蓋を開けた。
「何が入ってるの?」
そこから出てきたのは、淡いパステルグリーンのハンカチだった。
「実はさ、これをお前に返そうと思ってた」
私にそう言った彼は、木の根元に腰を下ろし、こう話してくれた。
小六の一学期、彼は体育の授業中にケガをして、その時に保健委員をしていた私から、出血を止めるためにこのハンカチを借りたんだそうだ。その後洗濯をして缶筒に入れ、あの夏休みの日にこの木の下に埋めたという。
本当はすぐに私に返そうと思っていたそうだけど、タイミングが悪くできなかった、と。
「今更何だけど、松永がハンカチ貸してくれた時から、ずっと思い続けてた」
それを聞いた私は、大野になんで?と尋ねると、彼は苦笑いしてこう言った。
「笑顔だよ、お前の」
その答えを聞いた私は、思わず顔を赤らめてこう言い返した。
「まさか大野から告白されるとは、思わなかったわよ」
そう言われた彼はスッ、とハンカチを私に渡すと、くるりと背を向けた。その照れた行動に対して、私はクスリと微笑んだ。
その日は、この夏一番の暑さとなり、私と彼にとって忘れられない一日になった―……。