YOU霊
K・K



 ふとたまに、思うことがある。
 日が昇って沈み、また昇るように。季節が廻るように。
 人の魂もまたどこからか来て、行って、また戻ってくるモノなのだろうかと。
 また会えたるモノなのかと……。

 暗い。こんなに暗い世界があったなんて。でも違う、見えないワケじゃない。暗いけど、見える。この暗闇の中で蛍火のような儚い光だけど、暖かい光が見える。
 君は誰だ? どうしてここに居る? どうして、こんなに……

「おい、一真。起きろ、一真」
「ん……、なんだ秋慈、もう昼飯か」
 秋慈は額の赤くなった一真を見て呆れてしまった。一真の額は真っ赤になっただけではなく、しっかりと制服のアトが残っていた。
「……変な夢でもみてたのか」
「……ああ、お菓子の家が地震で倒壊する夢を見た。魔法使いのババァも材料費ケッチったんだな、きっと」
 一真は寝ぼけながら教室を見渡した。教室内は騒がしく、しかし人の数は多くはなかった。
「秋慈ヤバイって、早くしないと席取られちまうぞ」
「席って何の席だよ」
 秋慈は慌てて教室を飛び出そうとする一真を押さえて聞いた。一真の答えは秋慈の予想通り学食の席のことだった。答えを言い終えてまた教室を飛び出そうとする一真を秋慈は押さえずに学食へ行かせ、秋慈自身は自分の席に座り、一真を起こすまで読んでいた本の続きを読み始めた。
「秋慈どうなってるんだ、生徒も先生もおばちゃんも学食に誰も居ないぞ。」
 本を五、六頁読んだ頃に一真は息を上げて帰ってきた。秋慈は本に栞を挟み鞄の中に入れ、クシャミを一つしてから一真の問いに答えた。
「馬鹿野郎、もう放課後だ」
 一真は教室に掛けられた時計に目を移した。時計の針は短針が四、長針が十を示していた。それを信じないとでも言いたげに一真は自分の携帯を開いた。デジタル表示で"16:50"としっかり表示されている。
「さっさと帰るぞ」
 秋慈は一真に鞄を投げてよこし、自分の鞄を持つとさっさと教室を出た。一真は鞄を受け取ると秋慈の態度に違和感を感じながらも渋々と秋慈の後ろを歩いた。
「何だよ、何か文句でもあるのか」
「当たり前だ、お前が昼休みに起こしてくれなかったおかげで昼飯を食い損ねただろ」
「放課後には起こしてやったんだ、感謝しろ」
 秋慈は一真の先を歩いていたが、一真が後ろでブツブツと呟いている愚痴には殆ど耳を貸さなかった。一真は今日こそは食べると心に決めていた期間限定のエビピラフを食べ損ねたことに心底落胆していた。
「エビピラフ、エビピラフ、エビピラフ……」
「エビピラフくらいそこら辺のファミレスにでも行けば食えるだろ」
 秋慈のその淡白でいい加減な返答に一真の怒りは爆発寸前まで高められた。
「馬鹿野郎、あのエビピラフはなぁ、あのエビピラフは……もういいや、言ってて悲しくなってきた。それよりさぁ、午後の授業のノートかしてくれ」
「ノートなら無い」
 秋慈はそっけなく答えた。一真がそれ以上の追求をするとあからさまに不機嫌な声を出して怒鳴った。一真は一瞬たじろいだが、秋慈がここにいる事に気が付いた。
「……お前、何でここにいるの」
 秋慈は振り返り一真を見てから再び前を向いて呟いた。
「俺が何処にいたって別にイイだろ」
「……部活は」
「止めた」
 秋慈の言葉に一真は耳を疑い、そして秋慈を引き止めて問いただした。
「止めたって何だよ。意味分かんねえよ」
「俺が部活止めようが止めまいが、お前には関係無いだろ」
 秋慈はあからさまに不機嫌な表情を表して肩にかけられた一真の手を振りほどき、荒々しく答えた。
「お前な、あれだけ頑張ってたのに止めるってどう言うことだよ。それに夏休み終わったら文化祭でライブやるんだろ。あと2ヶ月チョイしか無いんだぞ、分かってんのかよ」
「うるせえ、俺はもう止めるんだ軽音部なんか関係無い」
 八つ当たりだと、秋慈は分かっていた。しかし分かっていてどうする事も出来なかった。秋慈はそのまま一真を置いて走っていき、一真は追いかけても無駄だと悟りその場で一人立ち尽すことしか出来なかった。

 しばらくの間一人で走っていた秋慈は気が付いたら駅に着いていた。息を切らせながら階段を上り改札を通るとあの人の後姿が目に飛び込んできて、秋慈は思わず歩く速度を落としながらどこかに隠れようとしたが、秋慈は大きなクシャミをしてしまった。
「あれ、志堂君。今帰り? 」
 あの人が落とした定期を拾おうとしたときだったので、あの人が驚いて後ろを振り返った。タイミングが悪すぎた。
「あ、三崎先輩。チワッス」
 ワザトらしいと秋慈は分かっていたが、それ以外の言葉が出てこなかった。好きだった先輩が他の男の人と一緒にいる、耐えられずに目線を逸らしそうになるのを必死で抑えていた。告白した訳ではなかった、初めてあった時から彼氏がいたのだから不戦敗だ。
「でも今日は二年生の練習日だったよね」
「……俺は家の用事があるんで、今日は部活を休んだんです」
 秋慈の口は秋慈の思っていたことと全く別に動いた。しかしそれを三崎が知る術など無い、人を疑うことを知らない三崎を騙すことは秋慈にとって拷問にも思えた。
「そうか、それじゃ仕方ないね」
「……それじゃ俺、ホームこっちなんで」
 多少の不自然さは割り切って、秋慈は逃げるように三崎と反対側のホームへと歩いていった。実際に利用しているホームが反対側だったことを感謝せずにはいられなかった。ホームに下りてからも反対側のホームに背を向けるようにして電車を待った。
「間もなく4番ホームに電車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください。」
 時間にしておよそ四分程度だっただろうか、ようやく電車が秋慈の目の前にやってきた。
「若葉〜。若葉です。お降りの際はお足元に十分ご注意下さい」
 この四分間が秋慈には一日よりも長い時間のようにも感じた。秋慈は降りる人たちがいなくなってから電車に乗ると、適当な席に座りそのまま眠るように目を閉じた。電車の適度に心地良い揺れと午後の授業中の中途半端な睡眠のせいか秋慈はそのままゆっくりと眠りについた。

 暗闇の中にいる光はただ一人で膝を抱えて泣いていた。声を出そうとしても口が開かず、手を伸ばそうとしても指一本動かせない。自分がとても小さく無力な存在に思えたとき、次第に光は弱くなりついに闇が世界の全てを包み込んだ。
 息が苦しくてたまらない。
 身体と心がバラバラになったように、指先一つ動かせない。誰か、誰か……。

 不意に頭に痛みが走り秋慈は目を覚ました。
 また変な夢を見た。秋慈は言いようがない不思議な感覚を感じていた。起きていることは理解出来ている。しかし今だに夢の中にいるようなひどく不確かで不快な感覚だった。
「桜坂〜。桜坂。」
 車内アナウンスが秋慈の思考を引っ張り出し、秋慈は目を覚まして慌てて電車を降りた。秋慈が降りた直後に電車のドアが閉じた。
「アブネ〜、危うく乗り過ごすトコだった」
 秋慈が痛みの走った頭に手をあてると、そこには小さなコブが出来ていた。秋慈はコブの大きさをある程度確かめると一つクシャミをして、そのまま何も無かったように改札口へと歩き始めた。
「おーい兄貴、兄貴」
 秋慈は改札口を通ったところで声をかけられ、声の方向を振り返った。
「……なんだ、夏美か」
 嬉しそうに秋慈の元へと歩いてきた夏美に秋慈は小さくため息をついた。
「なんだとは何よ、可愛い妹に向かって失礼よ」
 夏美は秋慈の歩く速さにどうにかついていきながら文句を言った。秋慈はクシャミをしながら適当に相槌を打って妹を逆なでしないように答えた。
「あ、兄貴知ってた? ここ潰れたってこと」
 そういって夏美は大きなショッピングセンターを指差した。秋慈たちの目の前に広がるのは大きな複数の建物の中に飲食店や洋服店等が収められ、桜坂でも大きい方に部類される総合ショッピングセンターだった。
「へぇ、潰れたんだ。小さい頃によくつれて来てもらったけど……」
「なんだか少し寂しいよね」
 しばらくの間秋慈たちはもう使われなくなった大きなショッピングセンターを見上げて、小さい頃の思い出の中に浸っていた。
「あ、そういえばココってお化けが出るから潰れたって聞いたことあるよ」
 夏美が急に思い出したように秋慈を思い出の中から引っ張り出してきた。
「……お前な、高校生になってまでお化けは無いだろ、お化けは」
 秋慈は夏美の言葉を笑い飛ばした。秋慈にとって証明の出来ないもの、根拠がないもの等は存在しないものと同じだった。
「ホントだって、みんな見たって言ってるもん」
 夏美は秋慈と違い他人の意見に影響を受けやすかった。幼い頃から人の言うことを殆ど全て信じてしまうような性格で、秋慈はある意味で夏美と三崎先輩が姉妹のようにも思えて、秋慈は思わず笑ってしまった。
「なに笑ってるのよ」
 夏美は秋慈に馬鹿にされたような気がして仕方が無かった。夏美はそのまま小さな子供のように頬を膨らませて拗ねてみせた。
「……ガキみたいなことやるなよ、さっさと帰るぞ」
 秋慈はショッピングセンターのお化けを一蹴しながらも、最近見るようになった奇妙な夢を思い出していた。夢はいつも暗闇の中に一つの光が灯るだけだったが、それがただの光なのか、何か特別な意味があるのかは全く理解できなかった。結局どこまで突き詰めても分からないものは分からず、自分が非科学的なことを信じないと分かっている秋慈にとってそれは夏美と家に帰るまでの間にされた他愛の無い会話にかき消される程度でしかなかった。



「あ、志堂君おはよー」
「……三崎先輩。おはよーございます。……今日は一人なんですね」
 秋慈は三崎が一人で自分の前に現れたことに気が付いた。だからと言って秋慈が三崎の顔を直視できるワケでもない。
「……うん、今日からは一人で学校に来ることにしたの」
「あ、そうなんすか……」
「それよりも昨日の用事は終わったの?」
 三崎は率直に昨日の事を尋ねてきた。一瞬、秋慈の呼吸が止まり脈が速くなった。些細な嘘でここまで慌てるものなのかと、秋慈は戸惑った。
「……はい、何とか」
 小さな嘘を隠すためにまた嘘をつく。気付いたときにはもう戻れない。
「それなら明後日の合同練習日には参加できるね」
「……はい、多分」
「期待してるからね」
 そういって三崎は学校へと走っていった。秋慈はその後姿に何か寂しさを感じながらも、そのまま三崎を見送った。

 放課後、秋慈は軽音部の部室の前に来ていた。今日は三年生の練習日、部室からは軽快で秋慈達二年生には出せないような音が溢れていた。秋慈は意を決して部室の扉を開こうと扉に手を伸ばした。
「あ、志堂君。」
 扉は秋慈が開く前に勝手に開き、扉の向こうから三崎が顔を出した。
「どうしたの?」
 一瞬にして全ての思考が止まった。思っていたことも、言おうとしていたこともどこかへ飛んでいってしまった。
「えっと、ですね。……しばらくの間部活に出れそうにないんで、部長に報告と……、俺のベースを取りに来たんす」
 また秋慈の意思に反して口が勝手に動いた。しかし、今の秋慈に取り繕う余裕は無くなっていた。
「そっか、大変だね」
 それを聞いた三崎は一瞬だけ残念そうな表情をして、それだけ言って練習に戻った。秋慈もロッカーから自分のベースを取り出すとそのまま部室を後にした。
「おーい、秋慈。どうせ暇だろ、どっか行こうぜ」
 昇降口を出ようとする秋慈を一真が呼び止めた。一真は秋慈が振り返ると小さく謝った。
「別にいいけど……。どこか面白いところあるのか?」
「そうだな……。若葉駅の反対側に新しくゲーセンが出来たって聞いたぞ。」
「ゲーセンか……。よっしゃ、行ってみるか」
 結局秋慈たちは財布が寂しくなるまで遊び続け、秋慈が桜坂に着いたときにはもう日が落ちて周りは街灯によって明るく彩られていた。ただ一箇所だけを除いて。
「やっぱり暗いな、ここは……」
 秋慈は昨日と同じ閉鎖されたショッピングセンターに来た。特に理由があったわけでは無い、ただ何となくだった。昨日の夕方に見上げたときとは違い、夜のショッピングセンターは黒い威圧感を持っていた。まさに悪魔の城というタイトルが相応しいほどにくたびれて手入れのされていない外見と明かり一つもれてこない窓。群を抜いて高く中央にそびえるビルがまるでバベルの塔を感じさせた。秋慈は周囲を見回して誰もいないことを確認すると、そんまま張られていたロープを跨いでショッピングセンターへと入っていった。中に入ったからといって警報装置が鳴るわけでもなかった。中は不気味なほどの静寂で満たされ、時折響くのは秋慈自身の足音だけだった。

 ……本当に真暗だ。だけど見えないワケじゃない。
 何となく……。何となく見えている気がする。

 秋慈は中央のビルの前に広がる公園までたどり着いた。このショッピングセンターで唯一、周りのビルから邪魔をされずに太陽の恵みが届いていた公園からは、手入れのされていない木々や砂を被ったベンチ、水の流れなくなった噴水が月明かりに照らされてその姿を秋慈の前に晒されていた。小さい頃の思い出はこの荒れ果てた場所に存在したのだろうかと、秋慈は深く思うことしか出来なかった。秋慈はベンチに腰掛けてバッグからベースを取り出し、音を合わせて適当に弾きだした。アンプも楽譜も無く、ただ適当に思いついたコードを無心で弾き続ける。
「アコースティック・ギターならもう少し画になるのにね」
 不意の声に秋慈は驚きを隠せずにベースを落としそうになり、思いついていたコードも全て吹き飛んだ。秋慈が声を辿った先にいたのは、女の子だった。
「摩天楼にようこそ、ベース君」
 少女は笑顔で秋慈を見た。歳は秋慈と同じか一つ上くらいだろう。長く綺麗な髪と整った顔立ち、高い身長とスラリとのびた手足。アクセサリーは飾り気の無い指輪一つだけ。月夜の公園がとても画になりそうな少女だった。
「悪いね、ギターじゃなくてベースで……」
 秋慈はこの夜の奇妙な出会いからようやく落ち着きを取り戻した。
「別に悪くは無いわ。私、エレキギターとかベースの方が好きだし」
 少女は笑って答えた。その笑顔は明るいが心のどこかに暗い影を持っているように、秋慈には思えた。
「ところでこんな夜中にワザワザ閉鎖された摩天楼まで何しに来たの? 」
 少女は軽快にベンチまで歩き、秋慈の隣に腰を下ろした。
「……別に、ただなんとなく来ただけさ。ところで摩天楼って言うのは……」
「そう、ショッピングモールの中央にそびえるこのビルのこと。完成当時には桜坂一の高さを誇るビルだったからそう呼ばれてたらしいわ」
「へぇ、そいつは知らなかったな」
 秋慈はそう言ってベースをバッグに戻した。
「なんだ、もう帰るの? 」
 少女はつまらなそうに秋慈に尋ねた。秋慈は一言答えて立ち上がり、制服に付いた砂を落とした。ベンチには秋慈の座った跡がくっきりと残った。
「君は帰らなくてもいいのか? もう結構な時間になってるぞ」
 秋慈の言葉に少女は首を傾げた。それからしばらくしてから彼女は秋慈の言葉の意味を完全に理解したように両手を叩いた。
「帰るところなんて無いわ。だって私、幽霊だから」
 少女の突飛な言葉に秋慈は驚き、少女は驚いた秋慈の顔を見て笑っていた。
「つまらない冗談だな、幽霊だってもう少しまともな嘘をつく」
「じゃあ君の言う幽霊ってどんなのさ、足が無いの?
それとも姿が透けているとか」
 秋慈の否定に少女はあっけらかんと応えた。秋慈は反論せずに黙ってしまった。もちろん秋慈は幽霊を見たことなど無い。だが見たことがあるなしに関らず、何を言ってもこの少女に勝てる気がしなかった。秋慈はどんな正論も一般常識もこの少女の前では通用しないように思えた。
「たとえ君が何と言おうと私は幽霊。それだけは変わらない」
 そういって少女はベンチから立ち上がり秋慈の前に立った。ベンチは少女が座る前と全く同じ状態だった。砂が被っていたにも関わらず座った跡さえ無かった。
「……今から証拠、見せてあげる」
 そういって少女は秋慈の胸に手を伸ばした。押されると感じた秋慈の足に力が入る。しかし身構えた秋慈の身体を少女の手は通り抜けた。
「どう? こんなこと普通の人間には出来ないでしょ」
 秋慈は驚いて何も言えず、ただ自分の身体を通り抜けた手を見つめていた。少女はその手を秋慈の身体から抜いて喋りながら今度は摩天楼の方へと駆けていった。
「こうすれば信じてもらえる? 」
 そう言って少女は摩天楼の壁に体を半分入れて壁の中を歩いて見せた、少女の言葉は耳に入らず秋慈はその光景をただ愕然と見つめることしか出来なかった。むしろ立っていられるのが不思議なくらいだと思えるほど、秋慈の身体は震えていた。少女は再び秋慈のほうへと歩いてきて、その手で秋慈の手を掴んだ。すり抜けずに掴まれたことに秋慈は再び身体を震わせた。
「どう? 私は触るのもすり抜けるのも自由自在。こんな人間が存在するかしら? 」
 少女は笑いながら秋慈の手を離すとそのまま摩天楼へと入っていき姿を消した。
「今日は喋りすぎたかな? バイバイ、ベース君」
 少女の最後の言葉はどこから響くわけでもなく秋慈の耳へと届いた。

「あ、やっと帰ってきた」
 家に着いた秋慈を居間でテレビを見ていた夏美が見つけた。
「今日のドラマ撮っといたけど……見るの? 」
 夏美の問いに曖昧な答えをして秋慈はそのまま自分の部屋に入った。今日の出来事が頭の中をグルグルと駆け回る。未だに信じられない少女の存在、納得がいかなくても目の前であんなことをされたらそう思うしかないと分かっていても、どうしても納得がいかなかった。秋慈はそのままベッドにうつ伏せになり眠ってしまった。

 暗い、暗い世界の中で、たった一つ絶対だったものが消えてから。
 僕の魂は何を探していたのだろう。
 傷つかずに全てを手に入れたいと思うのは、恥じるべきことなのだろうか。



「ん、あ……。朝か」
 秋慈は制服のまま寝ていたことに気付いた。さらに寝違えたのか首や肩など身体中から痛みが走る。
「くそ、身体中が痛いし風呂入りそこねたから気持ち悪い」
 秋慈はシワだらけになった制服をハンガーに掛けてシャワーを浴びた。適度に暖かいお湯が身体中の汚れを流していくような感覚が心地よかった。
「あー、サッパリした」
 秋慈が再び制服に袖を通していたとき、ふと部屋に無いものに気が付いた。
「おーい、兄貴。メシ出来たよ〜」
「ん、ああ。今行く」
 呼びに来た夏美を一緒に秋慈は居間に下りた。
「そういえば兄貴昨日はかなり遅くに帰ってきてたけど……何かしてたの? 」
「ん? ああ、学校に残って練習してたんだよ」
「ふーん」
 秋慈はそれ以上のことは言わずにさっさと朝食を済ませて家を出る準備を始めた。
「そんなに練習したいなら家に持って帰ってくれば良いのに」
 急いで出ようとする秋慈の様子を見ていた夏美が呟いた。秋慈の動きが一瞬止まった。
「……やっぱりそうだよな、行ってきます」
 秋慈はそう呟いて家を出た。
「……行ってらっしゃい」
 夏美は秋慈の言葉の意味を理解できないまま秋慈を送り出して再び朝食を取り始めた。
 秋慈は朝から放課後まで昨日の出来事を思い出して考えていた。少女の腕がが自分の身体を突き抜けてから少女が消えるまでの話の内容を……。

「人間って言うのは、身体って言う鎖で現世と魂を繋いでいるの。だから死んで身体を無くした場合は現世と魂の繋がりが無くなって来世へと転生するんだけど、普通よりも現世への想いが強い魂はその想いの強さだけ現世と魂を繋ぐことが出来る。それが強ければ強いほど、身体の鎖に近い作用が得られるわけだけど……」
 現世と魂を繋ぐ鎖。普通の魂よりも強い想いを持つ魂だけに与えられる奇跡。
「鎖が弱い場合には写真に写ったりとか、霊感の強い人に幽かに見える程度……。だけど想いの強さによっては、私みたいに殆ど完全に生きていたときと同じ姿を再現することも出来る」
 その話を全て信じるかどうかは別としても、秋慈が少女の幽霊に興味を持ってしまったことは事実だった。
「もちろん人の想いっていうのは不変じゃないから、鎖が繋がればその後で更に鎖を強くすることも、その逆も出来る。」
 人の思いの強さだけ得られる奇跡の鎖。科学的証明は不可能でも少女たちは確かに存在する。ならばあの少女の想いはどれだけ強いものなのか……。

「おい、秋慈。秋慈」
「ん。……あ、どうした一真」
「どうしたじゃねぇよ、もう放課後だぞ」
 秋慈は教室を見回した。既に何人かの生徒たちの姿は見えない。秋慈はゆっくりと帰る準備を始めた。一真は隣の席に座りその様子を心配そうに見つめた。
「……何かあったのか? 」
「……どうして? 」
 一真の質問の意図が理解できないとでも言いたげに秋慈は一真に質問を返した。一真は黙って秋慈を見ていた。
「いや、特に大したことはなかったけど……」
 秋慈はその場しのぎのような返答をして帰る準備が終わるとさっさと立ち上がりさっさと教室を出た。
「あ、おい秋慈……」
 一真は秋慈を追いかけようか一瞬迷ったが、必要になれば自分から話すだろうと考えてそのまま自分の帰り支度をして帰ることにした。秋慈は学校を出るとそのまま摩天楼へと足を運んだ。昨日と同じ公園なのに夕方なだけで昨日とは異なる印象を受けた。荒廃、喪失感よりも終焉、消滅。外が明るいだけに、昨日よりも公園の状況が更に詳しく見て取れた。手入れのされていない木々は殆どが腐って倒れ、砂を被ったベンチも塗料は剥げ落ちて錆や破損が目立ち、水の流れなくなった噴水は美しい彫刻が削られ、その上から心の無いスプレーに汚されていた。
「昨日は分からなかったけど……、かなり酷いな……」
 秋慈は驚きを隠そうともせずに呟いた。あたりを見回して昨日の少女を探すがどこにも見当たらない。
「あとは、ココか……」
 秋慈は意を決して摩天楼の扉を開いた。外と対照的にヒヤリと冷たい空気で満たされていたが空調が動いている音はせず、照明は全て消えていて電気が通っている様子も無い。摩天楼は不気味そのものだった。
 秋慈の足音だけが摩天楼の中に響きながら、秋慈は摩天楼の中を少女を探して歩いた。日が低く殆ど光が入ってこないビル内は既に夜と変わらないほどに暗く、各フロアを正確に把握することは出来なかった。
「この階もいないとなると……」
 残っているのは摩天楼の最上階。秋慈が階段を上って最上階へとたどり着くと、そこには夕日を見つめる少女の姿があった。
「やあ、また来たんだ。大変だったでしょ」
 秋慈は少女の隣りに立てかけてあったバッグに目を移した。もちろん少女は秋慈の目線に気付いた。
「ああ、君が忘れたベース。コレ持ってくるの大変だったんだから」
 少女はそう言ってバッグを持って秋慈の方へと近づき、秋慈もゆっくりと少女の方へと足を進める。
「……ありがとう」
 秋慈は差し出されたバッグを受け取った。
「ねえ、何か弾こうよ」
 少女はバッグを受け取り中身を確認していた秋慈に提案した。
「……別に良いけど、ベースだけじゃ分かんないだろ」
「平気、私がギター弾くから」
そう言って少女はフロアの奥からエレキギターを取り出した。かなり使い込まれているが、決して乱暴に扱われているようには見えず、むしろとても大事にしているのが伝わってくるほどだった。
「……なら良いけど、俺あまりレパートリー持ってないぞ」
 秋慈は軽く音を合わせいる少女に釘を差した。
「それじゃあ、『Bezz』の曲は何か弾ける? 」
「まあ、それら大抵の曲は弾けるけど何か弾きたい曲ある? 」
「じゃあ『相変わらずなワガママに』とかはどう? 」
「了解! 」
 そう言って秋慈は足でリズムを取り始め、少女はそれに合わせてギターを弾き始めた。アンプも無いギターとベースでは大して大きい音は出ないが、静かなフロアで聞くには十分だった。
「こんなに弾いたのホント久しぶり」
 三時間程弾き続けてギターを満喫した少女の表情は達成感と満足感で満ちていた。その少女の傍らで秋慈は対照的に疲労感から床に寝そべり肩で息をしていた。熱くなりすぎた秋慈の身体は元の状態に戻ろうとやっきになって冷えたコンクリートに熱を送り続けた。
「そう言えば君の名前、まだ聞いて無かった」
 秋慈はまだ肩を弾ませながら起き上がり少女を見た。
「名前? 必要ないだろ、幽霊に名前なんか」
 そう言うモンじゃない。そう言おうとした秋慈を遮るように少女の言葉が続く。
「私は君のコトを君と呼び、君も私のコトを君と呼ぶ。そんなモンで良いじゃない。どうせ君しか会いに来なかったし、これからも私はずっと一人なんだから……」
 ようやく落ち着きを取り戻し身体を起こしていた秋慈は少女の表情を見落としていた。
「そんなことよりさ、一つだけ聞いていいかな? 」
「ああ、俺が答えられるものならいくつでも」
「……君はベースが嫌い?」
 少女の意外な一言は、秋慈の胸を深く貫いた。



「……君はベースが嫌い?」
「……なんとなくだけど、君の音からは楽しいって気持ちが伝わってこなかったから」
「……うまくは言えないけど、昨日の音の方が楽しそうだった」
 昨日の少女の言葉が秋慈の中で回り続ける。考えたことも無かった。ただ無我夢中になって曲をマスターしてきた。そこに達成感と快感があったから、ただひたすらに完全に弾ききることだけを考えてきた。そんな秋慈には少女の言葉の意味はどれだけ考えても想像すらつかなかった。
「おい、秋慈。どうしたんだよ、朝からずっとボケーッとして」
「ああ、……一真か」
 なんだは無いだろ。秋慈の反応に一真はそう思いながら隣の席に座った。
「一真、お前どんなときに楽しいって思う? 」「は? 」
 一真は秋慈の真剣な表情と不釣り合いな質問に思わず言葉を失った。だが秋慈の目が笑
わずに向けられていることに気付き、一真は腕を組んで考えた。
「……どんなときに楽しいかって聞かれてもなぁ。」
 やっぱり変な質問だと、一真は思った。
 何が? 楽しい? どんなときに? どうして?
 変な質問は一真の頭を回り続けた。
「難しくてよく分かんねぇな」
 一真は組んでいた腕を解いて後ろに伸ばした。
「……やっぱりそうだよな」
 秋慈も腕を後ろに回しながらうなずく。
「だいたい楽しいときって、そんなこと考えて無いだろ普通」
 一真は席を立って自分の鞄を持った。
「俺、今日バイトあるから先に帰るぞ」
「ああ……」
 教室をでる一真を見送って秋慈はまた一人で考え始めた。名前を教えない幽霊の少女、音楽を楽しむ気持ち、秋慈自身の考え。少女と会って今日で三日目、何かが変わった気がする。いったい何かが変わったのだろうか。いくら考えても答えが出てくることは無く、少女に会うことで何かが解決するような気がした。

「やあ、また来たんだ」
 少女が秋慈の姿を見つけて近付いて来た。
「ここなら周りの迷惑を気にしないで練習出来るからな」
「私への迷惑は考えてないの? 」
 少女は意地悪く笑って、冗談よと付け加えた。
「君って真っ直ぐに受け止めてくれるから、ついからかいたくなるのよね」
 少女は壁に立てかけてあるベースの入ったバッグを秋慈に渡した。勿論、秋慈のベースだ。
「昨日も置いて帰るなんて、随分ココが気に入ったみたいね」
「……そうかもな」
 秋慈はベースを取り出して適当に音を出した。
「ねぇ、一昨日君が弾いてたのは何て曲だったの?」
「一昨日? 」
「そう、君が一人で弾いてたやつ」
「ああ、あれはただ適当に弾いてただけだよ」
「なんだ、そうだったんだ。ねぇ、一昨日のデタラメナ曲ってまた弾けないの?
結構合いそうな曲を考えたんだけど」
 少女も自分のギターを構えるが、秋慈の返事を聞いてすぐにギターから手を外した。秋慈は立ち上がり少女に今日は何を弾くか聞こうとしたとき、は大きなクシャミがでた。
「風邪でも引いてるの? 」
 少女が心配そうに近付いて秋慈の額に手を当てた。
「熱は、……無さそうだけど」
 二人の距離がグッと縮まり顔がすぐそばまで近付き、秋慈は顔が熱くなった。
「大丈夫だって、いつものことだから」
秋慈は慌てて少女との距離をとる。
「あ、……そう。それなら良いけど……」
 少女はとりあえず納得をすることにした。秋慈は熱くなった顔をどうにか平常に見せようと意識して余計に熱くなっているように感じた。少女は僅かに赤くなっている秋慈の顔色に気付いていた。
「大事を取って今日はもう帰ったほうが良いんじゃない? 顔も少し赤いし」
 少女は秋慈の身体を心配していた。秋慈は少女が自分が風邪を引いていると思っている事に、少しだけ勘違いしている事にホッとした。
「……まあ、そうさせて貰おうかな」



 自分の知らなかった世界が開くとき、人は否定的になるのだろうか。
 それでいながら自分の知らない世界を知りたがることは間違っているのだろうか。
 どうして人は、矛盾した生き方をするのだろうか。

 朝、秋慈は目が覚めるとさっさと着替えて居間に移り、トーストとコーヒーを作って朝食を取った。そして部屋に戻って携帯電話や財布といった物を確認すると玄関へと急いだ。
「休みの日なのに朝からなにやってんのさ、もう少し静かにしてよ」
 ハッキリと寝足りないと顔に書いてある夏美が目を擦りながら起きてきた。髪はボサボサにはねて服はだらしなく夏美の周りにくっついてると言った感じだった。
「あ、ちょうどいいとこに来たな。夏美、もしかしたら俺今日遅くなるかもしれんから、その事母さんたちに言っといて」
「あ、そう。別に良いけど鍵掛けてよ、私また寝るから」
 そう言って夏美はまた自分の部屋に戻って行った。秋慈は外に出て鍵を掛けると摩天楼へと向かった。

 摩天楼の最上階で、少女は窓に寄りかかりながら外を見つめていた。秋慈が来たことにも気付かずに、焦点がどこに合っているのかも分からなかった。寝ているようにも見えた。
「……おい、ユウ。どうした? ボーっとして」
 少女の意識がが窓の外側から内側に戻ってきた。しかし相変わらず意識は
「……あ、君来てたんだ。え、どうしたの? 今なんか言った? 」
「いや、呼んだんだよ」
「いや、そうじゃなくて。なんて呼んだ? 」
 秋慈は少女の反応がいつもと違うように感じた。ユウと呼んだときの少女の表情は今までに見ていた表情と少し違っていた。
「ユウ? なんでユウなの? 」
「幽霊と英語のYouをかけてユウ」
 それを聞いた少女の表情は元に戻り、センスが悪いと笑った。
「とにかく、これから俺はユウって呼ぶからな」
 内心、秋慈は強引に決めて少女が不機嫌になるのではないかと思っていたが、少女は一言それで良いと言うだけだった。
「でも私は君の名前は聞かないし、君のことは君って呼ぶからね」
「別に構わないよ」
 秋慈はそう言って床に座ると持ってきたリュックの中から缶コーヒーを一本取り出した。
「ユウって、缶コーヒーとか飲めるの? 」
「残念だけど私には飲めないわ」
「そうか……、俺もコーヒー駄目なんだよね」
 苦笑いを浮かべながら秋慈は缶コーヒーをリュックに戻した。リュックの中には缶コーヒーが二本入っていた。
「なら何でコーヒーなんか持ってきたのさ」
「いや、家にあったから何となく……」
 嘘だ。
「まぁいいや、それより何か弾こうよ」
 ユウは近くに置いてあったギターを取って構えた。昨日と同じようにギターの音色がフロアに小さく響く。
「何が弾きたい? 」
 ベースを構えた秋慈がユウの方を向いた。ユウは腕を組み首を傾げて考えた。
「ねぇ、何かオリジナルを作ろうよ」
「オリジナル? 」
 秋慈はユウの言葉を繰り返した。
「そう、君と私だけのオリジナル」
「まあ、良いけど……。俺そう言うのやった事無いからよく分からんぞ」
「平気よ、私だってやったことないもの」
 ユウは笑いながら、何とかなると言って半ば強引に作曲を始めた。

 作曲を始めてどれだけたっただろうか、二人が気付いたときには赤い光が摩天楼を照らし、外は茜色に染まりきっていた。
「どうした? ボーっとして」
 秋慈がユウに気付いて声をかけると数秒の空白を置いてユウが気付いた。
「ん? どうしたの」
「それはこっちのセリフだ、なにボーっとしてんだよ」
「あぁごめん、最近どうもボーっとすることが多くなったみたいでさ」
 ハハハとユウが笑いながら、今日は終わりにしようと言ってギターを片付け始めたので、秋慈もベースをバッグにしまって壁に立てかけた。体を動かすと身体中の関節が鳴った。
「また、明日も来れる? 」
 ユウが遠慮深そうに秋慈を見た。何かに怯えているような目だった。
「ああ、勿論来れるさ」
「それじゃ、また明日ね」
 秋慈が摩天楼を出たときにはもう街路灯に明かりがつき始めていた。街路灯と建物からこぼれる明かりで飾られた街は陽気な笑顔と、どこか寂しい表情の二つを秋慈に見せていた。
「兄貴お帰り、思ったよりも早く帰ってきたね」
 家に着くと夏美の声が聞こえたが、秋慈は殆ど適当に答えてそのまま自分の部屋に入り床に座り込んだ。秋慈はユウのギターの技術と初めての作曲でのセンスを目の当りにして自分の技術の無さを思い知らされた。隣に置いてあるリュックから缶コーヒーを一本出して口に運ぶ。いつもは甘いはずの缶コーヒーが苦く感じた。



 大きな壁が現れたとき、なぜ人はその壁に恐怖を覚えるのだろうか。
 そして恐怖と同等の喜びを感じるのはなぜなのだろう。
 どうして人は、大きな壁を探してそれに挑むのだろうか。

 一学期が終わり夏休みに入っても、秋慈とユウの曲は完成するメドすら立たなかった。
「やっぱりココが変だよ」
「でもココだけを変えると全体のバランスが悪くなる」
 既に何回も作り直しているが、それでも二人が納得するような曲にはならなかった。
「……ユウって最近ボーっとしてる時間が長くなってないか? 」
「え、……そうかな。そんなこと、無いと思うけど」
 秋慈にはユウが自覚していないように思えた。秋慈とユウが初めて出会ったあの夜からまだ三週間前後の短い時間、だがその変化は秋慈の目には大きいものに思えていた。
「ねぇ、悪いんだけど今日はこの辺までにしない? 」
「ああ、……分かった。それじゃあ続きはまた明日な」
「うん、本当にごめん」
「気にするなって」
 ユウは喘息のように呼吸が苦しくなりその度に曲作りは中断する。秋慈はここ数日間頻繁に起きるユウの喘息のような症状が心配で仕方が無い、何とかしたくても出来無い自分が悔しくてたまらなかった。どうしてそんな気持ちになるのか、何となくの秋慈の中に答えは出てきていた。秋慈は最近ユウの事ばかり考えている自分に気付いていた。
「あ、兄貴お帰り。、何かあったの? 難しい顔しちゃって」
 何でも無い、そう言って秋慈は自分の部屋に入った。何でも無い筈なのにどうしてこんなにも胸が熱いのか戸惑いながら、秋慈の夜は明けていく。



 測り知れない程に大きな時の中、刹那的な時間でしかない人の一生の中でさえも。
 不変であるモノを望むことは、無意味なコトなのだろうか。
 不変でありたいと願うコトは、愚かなコトなのだろうか。

「……こんな感じでどうかな? 」
「うん、結構好いと思う」
「それじゃあこれで試してみるか」
「うん、分かった」
 二人で曲の全体を通して弾いてみる。どこも音の突っかかりが無い流れ、全体が二人のイメージ通りに上手くまとまった。秋慈とユウが出会ってちょうど一ヶ月目のその日、ついに二人の曲が完成した。曲を弾き終えると秋慈は摩天楼の床に大の字になった。完成の喜びと達成感が体のシンから湧き出てくる。秋慈がしばらくしてユウがずっと立ち続けているのに気付いたときだった。ユウが肩に掛けていた筈のギターがユウの身体を通り抜けて、床に落ちると大きな音を立てて摩天楼の床に叩きつけられ、壊れた。
「良かった、完成して……。本当に良かった」
 そう言うとユウは倒れた。秋慈は慌てて起き上がり、ユウのもとへと駆け寄るとその体を抱き上げて驚いた。空気の入った風船のように、ユウの重さが感じられず体が蛍火のように淡く光だした。
「……ごめんね、もう……限界だったんだ。だいぶ前から、わたしの魂と現世との繋がりが薄くなってて……」
 ユウの体から放たれる光は次第に強くなり、逆に体はどんどんと透けていった。
「……俺じゃ、俺じゃ駄目なのか。俺じゃあユウを現世に繋ぎ止めるだけの力も無いのかよ」
 秋慈の声が力無く響いた。ユウは秋慈の顔を見て穏やかに微笑み、首を横にふった。
「……違う。君がいるから、君のためにも、私はもう……」
 しかしユウの目の焦点は秋慈を通り越して、もっと遠いところで結ばれていた。秋慈はユウの肩を抱き寄せ手を握る事しか出来ず、自然と秋慈はユウの手を強く握っていた。
「……怖かったの、私が忘れられることが怖かった。身体が無くなっても、人の記憶に留められていれば、私はその人のなかで生き続けていると思ってたけど、その分だけ人の記憶から消えてしまうのが怖かった。」
 人に忘れられる恐怖、ユウを現世へと繋ぎとめていた鎖。
「でも、君と出会えて変わった。きっと皆私を忘れないって信じることが出来るようになった。こんなのって変かもしれないし理由も分からないけど、君のおかげだって何となく思うの。だから、……君は生きて。私の分まで……、そしてたまにでいいの私のこと、思い出してくれれば。」
 ユウの足がはもう完全に消えていた。透け始めた体はユウを抱きかかえる秋慈の腕や足、床すらも見ることが出来た。
「……名前、君の名前。……やっぱり教えて」
 ユウは秋慈の耳元でそっと、悲しみにかき消されそうな程小さな声で囁いた。体は今にも消えてしまいそうなほどに淡く儚い光を放ちながら、ユウは穏やかに微笑んだ。
「秋慈、……志堂秋慈」
 秋慈はもうボロボロだった。頬を濡らしながらも心が砕けそうになるのを必死に抑えようとしていた。
「……バカ、泣かないでよ。」
 ユウは秋慈の涙を拭おうと手を伸ばした。しかし指先が消えてしまい秋慈の涙を拭う事が出来ない。ユウが目を閉じ体をふわりと浮かせて、ユウと秋慈の唇が重なり合う。
 最初で最後のキス。
「……秋慈、好きだよ。私の名前……、静谷……」
 ユウは秋慈の目の前で消えて、ユウが付けていた指輪だけが秋慈の手の中に残った。
『YOUNA.S』
 指輪の裏側に刻まれたユウの名前。
「……何だよ、そんなのずるいだろ。俺にだって一言ぐらい言わせろよ……。ユウ、……好きだって、言わせろよ」
 秋慈はその指輪を握りしめ続けた。ユウの記憶が消えてしまうのを恐れるように。




 日が昇って沈み、また昇るように。季節が廻るように、人の魂もまた輪廻するのならば。
 また今度会えたときに俺は、気持ちを伝えることが出来るだろうか?

 ユウに好きだと、言えるだろうか。

―END―




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