I -アイ-
K・K



 映画の様な、恋をしたいと思っていた。
 雷に撃たれたように、激しくて素敵な恋の魔法。
 だけど……、打算的な魔法はすぐに解けて、消えて、後には何も残らなかった。




「ちょっと静香、聞いてるの? 静香」
 数秒の空白の後に気の抜けた声が返ってくると、他のメンバー全員の溜息が重なる。
「あんた本当にどうしたのさ、最近ボーっとしてることが多いよ」
「……ごめん」
「気を付けてよ、文化祭はもう今週なんだから」
 陽が落ちて蛍光灯の明かりが外へと漏れ出る時間になって、ようやく練習が終わる。各自が自分たちの楽器と道具を片付けて部室を出て行く。
「彩奈、さっきは本当にごめん」
「気にしなくていいよ、本番でヘマしたんじゃ無いし」
 スタンドマイクを片付け終えた静香が彩奈の元へと駆け寄りドラムの片づけを手伝う。ドラムを壁際へと運び最後に上から半透明のシートを被せると、もう部室に誰も居ないことを確認して彩奈は鍵を閉めた。外は太陽が姿を消し、代わりに月と小さな星達が頼り無く空を飾っていた。
「彩奈、志堂君って最近見ないけど何か聞いてない?」
「何? 周冶君と別れて舌の根も乾いてないのに新しい彼の目星? 」
 彩奈は茶化しながら目を空に向けながら志堂と言う名前の部員を必死に思い出した。「ああ、あのいつも独りだった二年生?
彼なら辞めたわよ」
 彩奈の言葉を一瞬疑い、一呼吸置いて再び訪ねた。
「辞めた? 志堂君が……」
「結構センスがあったし勿体なかったんだけどね、本人の意志が強かったし……。ほら部長としてはさ、部員の意志を尊重したいって言うか……」
 驚きを隠す様に言葉を絞り出す静香とは対象的に彩奈は淡々とした口調で言葉を綴る。
「……そう、なんだ」
 静香の表情が僅かに曇る、しかし彩奈はそれに全く気が付かなかった。
「それじゃ、また明日ね」
 彩奈の急な言葉に静香の思考が一瞬止まり、慌てて周りを見渡す。静香は目の前にある駅を見てようやく状況を理解した。しかしそれから口が動くまでには若干の遅れがあり、彩奈が心配そうに静香の顔を覗き込んだ。
「静香、……大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫だよ、また明日ね」
 そう言って静香は慌ててエスカレータに乗って改札口へと向かった。彩奈は多少気になりながらもそのまま駅を離れて自分の家へと歩を進めた。




 ふと気付くこの気持ちは、たった一人になってしまったから?
 ただの、……甘えなのだろうか?




 放課後、静香は二年生の教室を出てくる生徒を捕まえるて志堂を呼ぶように頼んだ。
「秋慈ですか? もう帰りましたよ、アイツ夏休みが終わってから変なんですよ」
 クラスメイトからのある程度予測していた回答、短い答えだけを返して教室を後にした。


「志堂君には会えた?」
 部室で準備をしていた彩奈が手を休めてドアの方を向くと、静香は首を横に振る。彩奈は短くの返事を返した。
「やっぱり直接呼ばないと駄目なのかな?」
 彩奈は再び準備を始めながら短く相槌を打つ。静香も自分の準備をさっさと終えると彩奈の手伝いを始めた。
「でもいきなり呼び出したりしたら変じゃないかな?」
「回りくどいよりは良いんじゃない?」
「そうかな? でもやっぱり……」
 静香は手伝いながらもブツブツと独り言を漏らす。その煮え切らない態度に彩奈も堪忍袋の緒が切れた。
「あーもう。あのね静香、今は部活なの。そういう事は部活が終わった後にでも考えなさい。練習でそんな腑抜けた声出してたら怒るからね」
 うん、そう答えた静香の顔には迷いの色しか浮かんでいなかった。




 ただ一人で生きていくのが辛いから、人を好きになるのだろうか?
 一人で生きていかずにすむ言い訳をするために、……人を好きになるのだろうか?




 昼休み、静香は屋上で志堂を待っていた。夏が終わり、秋の風が強く静香の頬を叩く。本当に彼は来てくれるのだろうか?
そんな不安が静香の頭の中で回り続ける。しかしその思考も背中から聞こえた音で全て吹き飛ばされた。
「何か用ですか?」
 現れた志堂の表情はとても冷たく、静香の知らない赤の他人の様にも思えた。
「あ、ごめんね、こんな所に呼び出しちゃって」
 志堂は何も答えない。しかしさっきの言葉、全てを拒絶するような今の態度に静香は呑まれて頭の中が真っ白になっていくのすら分からなかった。
「……部活も急に辞めちゃったし、同じクラスの友達も変わったって言ってたから。何か辛いことでもあったのかなって思って」
「変わった? だった何ですか? そんなの先輩には関係ないでしょ」
 志堂の言葉一つ一つが静香の胸に刺さり、はっきりとした拒絶の意思を感じる。とても深い傷、誰にも触らせずに一人で抱え込もうとするには大きく、目立ちすぎるそれを隠そうともせずただ一人で痛みに耐えて、助けを求めようともしない。
「もしも何か辛いコトがあったなら、誰かと分け合えばいいじゃない。志堂君さえ良ければ私にも……」
 私にも君の苦しみを分ければいいから、そう言葉を続けようとする静香を見て志堂は低く笑い、心の底に闇を抱え込むような色の瞳を静香に向けた。
「全部俺のモノだ、……苦痛も恐怖も孤独も後悔も全部」
 違う、そう言おうとする静香を遮る様に志堂は言葉を続けた。
「誰かと分け合う? そんな勿体無いコト、出来るワケが無い」
 それだけ言って志堂はドアの向こうへと姿を消した。静香はその姿を見送る事しか出来ず、その姿を捕まえるどころか追いかける事も、声をかける事すら出来なかった。


「どうしたの? そんな顔して」
 教室へと戻ってきた静香を見て彩奈が声をかけた。まるで生気を根こそぎ抜かれたような表情、何を言っても殆ど返ってこない返事。大丈夫だから、それが唯一返ってくる返事。そしてまた教室を出ていった静香を見て、彩奈も教室を飛び出していった。


「志堂、あんた静香に何言った」
 教室を飛び出した彩奈は志堂の教室へと行き、窓際の席に座る志堂を見つけて怒鳴りつけた。頭に血が上っている彩奈とそれに驚く回りの生徒たちとは対照的に、席に座っている志堂の表情はとても冷めていた。
「三崎先輩に何言ったかなんて、そんなの先輩には関係ないじゃないですか」
 志堂の口から出てきた言葉に彩奈の怒りは一気に煽られ、そのまま両手で志堂の胸座を取ると志堂を席から引き上げた。
「関係ない? ふざけないで、答えなさいよ」
 志堂は彩奈の腕を掴み、自分の胸座から引き離した。そして噛付きそうな程の剣幕で睨む彩奈に冷笑するかのような目線を注ぐ。
「関係ないって言ったんですよ。三崎先輩も大庭先輩も俺には関係ないって、そう言ったんですよ」
 冷たい口調で吐き捨てられた言葉。彩奈は片手で再び志堂の胸座を取ると空いた片手を後ろへと引く。しかし志堂は何の変化も見せず、ただ後ろへと引かれて次の瞬間に自分の顔へ飛んでくるであろう拳を眉一つ動かさずに見ていた。その淡々とした表情、本気で殴るワケが無いと思っているように見える態度が、彩奈の拳を前に突き出させた。しかし拳は志堂の顔へは届かずに彩奈と志堂の間で止められた。彩奈が後ろを振り返ると、静香が自分の腕を止めていることを知った。
「……静香、どうして?」
 ワケも分からずに混乱し始めた彩奈に静香は小さな声で訴えた。
「……もう良いの、……私が悪かったの」
 彩奈は顔を伏せたままの静香に腕を引かれて教室を出て行った。後に残った生徒達は気まずそうにまたは野次馬の目で志堂を見た。しかしそれすら関係ないと言わんばかりに志堂はそのまま席に座って外を眺めていた。


「どうして? ……どうして止めたのよ」
 二年生の教室から大分離れた廊下で腕を解いた彩奈が静香に尋ねる。時間が経ち多少落ち着いたのか、声の大きさは元に戻っていた。
「もう、いいの。」
「だから何が?」
「あの、……志堂の先輩達ですよね?」
 また彩奈が熱くなり、その場で口論になりそうになった二人の間に突然生徒が割って入ってきた。
「そうだけど……、誰?」
 彩奈が生徒を見て口を開く、静香はそのまま黙って生徒を見ていた。
「大河 一真って言います、志堂の友達です」
「で? 大河君は何か用なの?」
「志堂の事で、話しておきたい事が……」
 僅かに静香が反応したが、大河が次の口を開く前に授業開始の予鈴がなる。
「それじゃぁ、放課後に軽音部の部室に来て」
 彩奈たちは大河にそういって自分達のクラスへと戻っていった。


 放課後、大河は軽音部の部室へと足を運んだ。部室から漏れてくる軽快な音楽、でもそこに足を踏み入れることがこんなにも辛いことなのかと、自分から乗った船であるにも関わらず今すぐこの場から逃げ出したい自分がいる事に気付いていた。
「失礼します……」
 ドアを開けると更に大きな音が流れ込んでくる。大河は耳が割れそうなほどの音を必死に堪えて室内に入り、静香と彩奈を探した。しかし大河は二人の名前を知らない事に気付くと、昼休みに会った二人の顔を必死に思い出しながら二人を探し始めたが、二人の顔自体がうろ覚えで次第に誰と会えばいいのかすら分からなくなってきた。しかし名前も知らない、顔もうろ覚えの相手をどうやって部員に聞けばいいのかも分からない。そうしているうちに奥から出てきた彩奈が大河を見つけて声をかけた。
「やっと来たのね、早速で悪いけど、志堂君について話したい事って何?」
 彩奈の口調に刺があったが大河は気にすることなく彩奈の後ろを歩いた。彩奈について奥の方へと行くとそこには静香がいた。その空間だけ何かが消えたように暗く、静香は人形のように力なく椅子に腰を落としていた。その目の焦点は微妙にずれており、何を見ているのか大河にも彩奈にも分からなかった。
「静香、大河君が来たけど?」
 静香の顔がゆっくりと彩奈の方を向く、そして彩奈が促した方へと顔を向けた。大河は静香と目が合ったものの如何したら良いか分からずただ苦笑いを浮かべた。だが静香はただ大河の顔を見つめたまま何も反応をしなかった。大河は彩奈に促されるままに椅子に座り、彩奈も部員たちに指示を出した後で静香の横に座った。
「それで、話したいことって何?」
 彩奈が攻撃的な態度で口を開く。静香は何も喋らずただ顔を俯けていた。
「……何から話せばいいのか分からないんですけど、あいつ夏休み入る前から少し変だったんです。
何だか妙に苛々してて、すぐに突っかかってきて」
 彩奈が短く相槌を返す。大河は静香の方に目を移して静香の反応を見た。しかし静香に目に見えた反応は無かった。
「……夏休みが終わったら、あいつその突っかかりすら無くなってたんです。誰とも関わりを持たないような態度を取り始めて……」
 大河は言葉を止めて一呼吸置いた。二人の顔を見ると彩奈からは苛立ちが表れ始めていた。背もたれを撓らせて腕を組み、目を細くして大河を睨んでいた。静香の方は小さな変化すら読み取れないが、それでも何かさっきまでとは違う雰囲気が現れているように大河には思えた。
「……あいつ、たまにボーっとしてると思ったら、指輪見てるんですよ。飾りも余りない女物の指輪」
「だから何なの?」
 とうとう痺れを切らした彩奈が声を上げた。大河は慌てて後ろにバランスを崩して転びそうになった。
「いや、それで志堂の妹に聞いたんですよ。俺とあいつ同じ駅使ってるから志堂の妹ともたまに会うんですよ。それでこの前偶然会ったときに、……夏休みに何かあったのかって」
 落ち着きを取り戻した彩奈が相槌を打ち、大河はそのまま言葉を続けた。
「そしたら志堂のやつ、夏休み中の殆ど毎日何処かに出かけてたらしいんです。でもある日、何かを握り締めて帰ってくるとそのまま今みたいになったらしいんです」
 再び大河は一呼吸置いて二人を見た。彩奈は黙って考えている様で、静香は相変わらずだった。ここからは全くの憶測、そう断って大河は言葉を続けた。
「あいつ、彼女か何かに不幸なことが起きたんじゃないかって、そう思うんですけど」
「だったら人を傷つけて良いって言うの?
自分だけが不幸だって思い込んで、他の人を傷つけて良いって、そう思ってるの?」
 急に彩奈が席から立ち上がり大河の胸座を取った。大河は苦しそうの彩奈の腕を叩く。
「もうやめて!」
 不意に沈黙を破り静香が声を上げて立ち上がった。
「……もう、良いの。私が無神経だったの。何にも知らないのに、志堂君のこと分かった振りしてたの。……大河君、ありがとう。……彩奈、練習始めよ」
 彩奈は大河から手を離して歩き始めていた静香を追いかけた。大河はどうすればいいかも分からず暫く立ち尽くした後、部室を出て行った。
「ちょっと、静香……」
「……今は、文化祭の方が大事だから。あと二日しか、無いし」




 傷つくのが怖いから、何もしないことは悪いことなの?
 結果の分かっている事をすることに、意味があるの?




 文化祭当日、静香たちは体育館で作られた舞台の裏側でその時を待っていた。軽音部三年生の引退ライブ、それが終われば三年生は自分たちの進路に向かって進むだけ。本当に最後のライブ。最高の演奏をしたいと願う彩奈とは裏腹に、彩奈の惚れ込んだ歌姫の表情は暗かった。
「静香、話があるんだけど……」
 彩奈が静香をステージ脇の舞台裏から出入り口まで連れて行った。他のメンバーたちは彩奈の代わりにステージの準備を始める。
「軽音部のライブが始まるまであと二十分しかないけど、私たちのライブが始まるまではあと四十分ある、志堂君を呼び出しておいたから体育館の裏で待ってなさい」
 急に言われた言葉に、静香は何を言っているのか理解出来なかった。
「ほら、良いから。さっさと行く。その代わりちゃんと自分の気持ち伝えて、戻ってきて最高の歌声を聞かせなさいよ」
 そう念を押して彩奈は静香の肩を押すと、静香の足が一歩前に出る。その小さな一歩で、静香は戸惑いながら走り出した。
「まったく、どうしてこんなにお節介焼きなのかな?
でもまぁ、部長としては部員の意思を尊重したいってコトなのかな?」
 彩奈は笑いながらステージへと戻り、最後のライブに向けての指揮を執り始めた。


 一分、一秒と時間が刻々と過ぎていく。
 世界が止まったように長く、心の音がゆっくりと聞こえる。
 だけどいくら時間が長く感じても、時は無常に流れていく。


 体育館から歓声が溢れ出す。軽音部のライブが始まった合図。静香たちの番まであと二十分、本当に志堂が来てくれるのだろうか、静香の心はそれだけで一杯になり始めていた。何度も携帯の時計を見る。ゆっくりと、しかし確実にに減っていくタイムリミット。
 あと七分、もう待つのも限界だった。こうなる運命だったんだと、静香は自分に言い聞かせてステージへと戻ろうとしたとき、静香の目の前に志堂の姿が現れた。
「……志堂君。来てくれたんだ」
「先輩、用事って何ですか?」
 急に現れた志堂に言葉を詰まらせた静香を、志堂は素っ気無く突き放す。その目はとても冷たく、迷惑だと言いたげな声だった。静香の脳裏に先日の言葉が蘇る。
「あ、うん。……ごめんね、折角の文化祭なのに呼び出しちゃって」
「別に良いですよ、どうせすることなんてありませんから」
 完全に呑まれてしまった静香。二人の間が冷たい空気で満たされ、志堂の明らか過ぎる意思が二人の周りを支配する。ライブまであと五分、時間も無い。静香は覚悟を決めて口を開いた。
「ずっと、ずっと好きだった。周冶といるときからずっと、だから……」
 その言葉を遮るように開かれた志堂の口から出てくる言葉。しかしその表情や口調、雰囲気が今までの志堂とは別人の、静香の知っていた夏休み前の志堂。志堂は確かに自分の意思を伝えて、静香の前から消えた。


「……静香?」
 ステージ裏に戻ってきた静香を見て、彩奈も他のメンバーも言葉が出なかった。
「……おかしいよね、彼の中に私の場所なんて無いって、分かってたのに。……彩奈、どうしてかな?
変だよね、分かってたのに涙が止まらないなんて」
 彩奈は静香のほうへと歩み寄るとポケットからハンカチを出して、静香の頬を流れる涙を拭った。
「……静香を振るあいつがバカなんだよ」
 ありがとう、そう言うと静香は泣くのを止めてた。そしていつもの笑顔が現れると彩奈も他のメンバーの表情も元に戻った。
「……ありがとう、もう大丈夫だから。皆で、最高のライブにしよう」
「そうね。これが最後なんだ、気合い入れてやるよー!」
 彩奈がメンバー達に檄を飛ばす。皆笑いながら声を上げると勢い良くステージへと飛び出していった。静香の表情にもう迷いの色は無い、ただ今の気持ちを歌に乗せる。それしか頭に無かった。






 志堂君、……君は本当に一人で生きていくつもりなの?
 違うよね、今じゃない何時か此処じゃない何処かにきっと、君の隣を歩く人が現れる。
 それは今の私じゃなかった、ただそれだけのコトだよね。


 打算なんかじゃない、本気でかかった魔法は映画ほどロマンチックじゃなかった。
 とても痛くて、苦しい。
 それでも皆が本気の魔法を欲しがるのは、それが素敵だと思うから。




 好きな人と一緒にいたいと願うことは、それが人の幸福な姿だと知っているから。



―END―




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