尸虫之闇〜大正ゾンビ・ハンター
南方南
ノベルフェスタ118 「SFFチャレンジトロフィー」
闇が唸っている。
ゆうの家族が住む古びた家は、叩き付けるような強風に今にも吹き飛ばされるのではないかと思えた。柱はきしみ、建て付けの悪い戸はガタガタと大きな音を立てている。
裏山から聞こえてくる木々の悲鳴に怯えていたゆうだったが、囲炉裏の縁で横になり、煙草盆型に結ってもらった頭を静かに撫でてくれている母の優しい手の温もりを感じているうちに、いつしかそれらの怪音も、彼女にとっては眠りを誘う音調へと変じていた。
うとうとと、眠りとも覚醒ともつかぬあわいを彷徨っているゆうの耳に、入口近くに座って繕いものをしていた義姉(あね)の声が聞こえた。
「こんな風の晩には…… 還ってくる事があるって聞いた事がある……」
ふっくらとしたあどけなさの残る顔で、彼女がこの家に嫁いできたのは三ヶ月ほど前の事だった。
八つ年上の十五歳。豊かに感情を映し出す明るい目をした長兄の嫁を、ゆうは直ぐに大好きになった。
家事の合間にゆうと遊んでくれた。
綺麗な声で唄ってくれた。
ゆうの髪を、母には到底出来ないであろう今風の綺麗な形に結ってくれた。
それが、一昨日から、暗い顔でふさぎ込み、すっかり遊んでくれなくなった。
しかし、暗く沈んだ顔をしているのは、何も義姉だけではなかった。父も母も、次兄も一昨日の昼を境に言葉少なになってしまった。
ゆうにはその理由が解らない。
どうやら、とても儲けになる仕事があると言って、半月ほど前、新妻を残して都会に出た長兄の身に何かあったらしいのだが、ゆうは何も教えてもらえなかった。
「バカな事を言うんじゃないよ!」
母がゆうの頭を撫でていた手を止め、大きくはないが険しい口調で諫めた。
ゆうは、母の声ですっかり目が覚めてしまい、躰を起こして義姉を見た。
義姉は、何か言いたげな顔をこちらへ向けたものの、また直ぐに視線を縫い物の方へ戻した。が、それは仕事を続ける為ではなかった。俯いた義姉の顔から手にした布へと雫がぽたぽたと落ちる。声は聞こえなかったが、肩が震えていた。
父は、不機嫌な顔で杯を口に運びながら何も言わなかった。
次兄は土間で一心に鎌を研いでいる。そうしなければ何かが失われてしまうとでもいうように。
ゆうは母の膝に顔をすりつけた。
怖かった。
外の唸りをあげている闇が、この家の中にまで入り込んでこようとしているように思えた。
風がバンバンと戸を叩く。
ふと、ゆうの耳に、その音が変化したように感じられた。
「だれかが…… 戸を叩いているよ……」
ゆうの言葉に、全員がハッとしたように顔を上げた。
開けてくれと叫ぶ声が聞こえたような気がした。
「風の音だ」
父が低い声で断言する。
父は滅多に喋らないが、その言葉は家族の中で絶対的な力を持っている。父が風だと言ったならば、それはもう風以外の何ものであってもならない。
戸を叩く音は続いた。
規則的なその音は次第に大きくなってゆく。
「あの人だ!」
我慢しきれないというように、義姉が立ち上がる。
「おやめ!」
鋭い声で母が言い、腰を浮かしかけたが、ゆうの頭が膝に乗っている為動けなかった。
「開けるんじゃない!」
冷たい恐怖を帯びた母の声を、義姉はまったく聞いていなかった。
裸足のまま土間に降りると、つっかえ棒を外し、建て付けの悪い木の扉に両手をかけて力を込めて横に引いた。
バン!
大きな音と共に勢いよく扉が開き、突風が室内を襲った。
思わず塞いだ目を、ゆっくりと開けたゆうは、戸口に立つ大きな影を見た。
母が「ひっ!」と、声を詰まらすのを聞いた。
「兄ちゃ……」
笑みを浮かべ、起きあがろうとしたゆうの肩を、母が強く押さえた。
父の手から杯が落ち、零れた酒が古い床板に染みを作った。
土間で鎌を研いでいた次兄が、鎌の柄を握り直した。
義姉は凍り付いたように動かない。
戸外の影がゆらりと動き、土間に踏み入れた。
部屋の明かりで、姿が鮮明になる。
確かに長兄だった。
繕ったあとのある縞の着物。都会へ出るのならと、母が工面して作った新しい袴。すりきれた草履。半月前に家を出て行く時、ゆうが見た姿そのままだった。
しかし、どこか違う。
浅黒かったものの若々しい張りと艶のあった肌が、今は生気を失い泥のようだ。
生き生きとした表情を生み出していた顔は、虚ろな仮面となり、そこからは喜びも悲しみも何ひとつ見出せない。
瞬きしない目は、濁った黒目の奥に異様な赤い光を宿していた。
半開きの口に呼吸の気配はない。
母が、ゆうをきつく抱き締める。
「戻れ! ここはお前のいる場所ではない」
父の叱責も長兄にはまったく聞こえていないようだった。ぎこちない動きで太い両腕を上げると、義姉の肩を掴んだ。
悲鳴が上がった。
義姉のだったのか、母のだったのか、それとも、自分自身の悲鳴だったのか。その後の事を、ゆうはまったく覚えていない。
一、
ゆうは川沿いの小道を歩いていた。
穏やかな流れを見せる川面には陽光がキラキラと戯れている。新緑をわたる優しい風が汗ばんだ肌に心地よい。嵐を思わせるような強風の日を何度か経験するたびに、季節は確実に明るく豊かな相へと変じていた。
ふいに、少し強めの風が通り過ぎた。
周囲の木々が一斉にざわめく。
ゆうは、足を止め、ぞくりと肩を振るわせた。眉を寄せ、両腕をぎゅっと抱き締める。
風が怖い。
あの日の事を思い出す。
土間に立つ土人形のような長兄の顔。
実際、何が起こったのか、ゆうには判かっていない。気が付いた時には村長の家にいた。
自分の家へ戻ると、四つの棺桶が並べられていた。父と母と次兄と義姉のものだった。
村人に混じって見知らぬ人たちがいた。警察だという。
警察は、ゆうに、夕べ何か変わった事は無かったかと訊いた。
「いちの兄ちゃが帰ってきた」
ゆうが言うと、村長が首を振った。
「この子の長兄は半月ほど前都会に出たものの直後に亡くなったようです。つい先日その知らせが届いたらしく…… 子供の事ですから夢でも見ていたんでしょう。不憫な事です」
あれは兄ではなかったのだろうか?
兄のようではあったが、本当にそうかと問われれば自信がない。
大人が、兄であるはずがないと言っているのだから、そうなのだろう。大人に逆らうという事を知らないゆうは、素直にそれを受け入れた。
村人の手で野辺送りが行われた。家族は村外れの共同墓地へと運ばれ、新しい土まんじゅうが四つ出来上がった。
ゆうは、近所に住む子供がいない夫婦に引き取られた。
老い先世話をしてくれる子供が欲しかったようだ。
穏やかな人の良い夫婦だったが、子供の事は何も解っておらず、ゆうとどう接してよいのか戸惑っているようだった。
嫌な仕打ちをされるわけではなかったが、そのぎこちなさが居心地悪かった。
だから、学校へ通わせてもらえると知った時、ゆうはとても喜んだ。
当然の事ながら、どう接していいのか判らない大人と一日中顔を合わせているよりも、同年代と一緒に勉強し、遊べる方がはるかに楽しかった。
ゆうの通う尋常小学校は、山一つ超えた所にある。毎朝近所の子供たちと一緒に楽しく学校へ向かう。
しかし、帰りはいつもひとりで、家族の墓に寄り道した。
風が収まり、木々が静寂を取り戻すと、ゆうは、瞬間自分を捉えた薄ら寒さが揺るぎ、陽光の温かさに冷え固まった心が融かされてゆくのを感じた。
見渡せば世界は命の脈動に満ちている。ここは、唸る闇に囲まれたあの恐怖とは無縁の場所だった。
ゆうは、周囲の生気を体内に取り込もうとするかのように大きく息を吸った。
そして、微笑みを浮かべると、足取りも軽く歩き始めた。
一家の死から半月が経っていた。
毎日、小さな手を合わせ、「ただいま」と告げ、その日の出来事を話す。休日以外は欠かした事がない。
今日も、学校であったあれこれを話そうと頭の中で考えながら、途中で野の花を摘み摘み、家族の墓所にたどり着いた。
大木を回り込み、土まんじゅうが見えた所で、ゆうの足が止まった。
誰かがいる。
村の者ではない。
四つの土まんじゅうを見下ろすように立つ二人。
一人は少し時代遅れの書生のような格好をした青年。短く刈り上げた髪。がっしりとした体格。背が高い。
足音に気付いたのか、こちらを振り向いた顔は、体付きから想像されるような厳ついもものではなく、素朴で人なつっこい雰囲気が漂っていた。
ぱっと見の印象よりも若いのかもしれない。十歳年上だった次兄と同じくらいか、もしかするとせいぜい一、二歳上ぐらい。
もう一人は華奢な感じの都会風の男で、黒い洋服を着ていた。肩の辺りで無造作に切られた髪。細面で女性的な風貌。年齢は父よりはずっと若く、長兄よりはかなり年上だろう。
背は書生風の青年の肩ぐらいまでしかないが、青年の背が人並み以上に高いだけで、男が特に小さいというわけではないようだ。
その男の切れ長の目が、ゆうを捉えた。
冷ややかな黒い瞳の輝きの奥に、禍々しい赤い光が閃くのが見えた。
あの晩見た長兄の目の中の妖しい赤光を思い出し、ゆうは息を呑んだ。
周囲の気温が一気に下がり、世界がじわりと闇に閉ざされてゆくような気がした。
男は目を細めると一歩踏み出した。
真っ直ぐにゆうの瞳を見詰めながら、更にもう一歩と近付いてくる。
ゆうは呪縛にかかったように、相手の目を見詰めたまま動けない。
男の手が伸びてきた。
「お前は……」
肩を掴まれそうになり、はじけるように逃げ出した。
必死に走った。
男が追いかけてくる様な気がした。
振り返る暇はない。
ただひたすら走り続けた。懸命に走り続けた。
「ゆう坊?」
誰かに思い切りぶつかった。
いつの間にか村まで戻っていたらしい。
見上げると、鋤を担いだ顔見知りの村人の笑顔があった。畑から帰る所だろうか。
ゆうはようやく振り向いた。
そこには、初夏の穏やかな風景が広がっているだけで、黒い影などどこにもなかった。
ホッとすると共に涙が零れた。
「どうした? 何かあったのか?」
あの男たちは何だったのだろう?
あの奥底に赤い光を宿した瞳は。
何か良くない事が行われようとしているような気がした。
あの男たちの足下には、鋤が置かれていた。
墓場で何をするつもりだったのだろう?
しかも、ゆうの家族の墓で。
「ひとごろしだ……」
ゆうは呟いた。
村人は笑った。
「どうした? ゆう坊」
そうだ。人殺しだ。
あの日、家に現れたのが長兄ではないと言うなら、自分が見た赤い目は、あの男のものだったのかもしれない。
背の高かった長兄の姿が、書生風の青年の姿と重なる。
あの二人だったのかもしれない。
いや、きっとそうだ。
ゆうの中でイメージがすり替わる。
あの晩、唸る闇を背に立っていたのは、あの二人だった。
間違いない。
「お父たちをころした人がいた……」
座った目で呟くゆうに、村人はただごとではないと悟ったようだ。
「どうした。何かあったのか?」
お父も、お母も、ちい兄ちゃも、あねさまも、ころされたんだ。
肩を掴んで目を覗き込んでくる村人に、ゆうは訴えた。
「お母たちを殺したはんにんを、掴まえて……」
二、
伊与田貴一(いよだ・きいち)は、いかにも将校然とした男だった。
上背もあり、がっちりとした体格。太い首の上に乗った四角い顔に、立派な口髭を蓄えている。
抜き身の刀剣を思わせる冷たさがあり、彼の周囲には常に緊張がつきまとっていた。
伊与田は、自分の前に不安気な顔をしてい座ってる村長を、見くだすような目で見ていた。
伊与田の背後で微動だにせず控えている二人の部下の存在も、圧迫感を与えているのだろう。村長は暑くもないのに手拭いでしきりに額を拭いていた。
村長にしてみれば、帝国陸軍大尉の来訪はあまりにも唐突で、その真意を図りかねているというところだろう。
なまじ警戒され、口を閉ざされるのも不便だと感じた伊与田は、鷹揚な笑みを浮かべてみせた。
「わしは、陸軍とはいえ、主に衛生関連の仕事に携わっております。そこで、各地の伝染病や毒物などの情報には常に気を使っておるわけです」
それは嘘ではなかったが、伊与田の本来の役割とは微妙に意味するところが違った。だが、軍の機密に関する事を田舎の村長ごときに語る必要はない。
村長は伊与田の来意を知って少しだけ肩の力を抜いた。
「千田(ちだ)の家の事でございますか?」
村長はさほど高齢というわけではない。まだ五十代後半か六十前半と言った所だろう。
しかし、卑屈に背中を丸め、上目遣いに伊与田を見るその姿は、年齢以上に彼を老け込ませていた。
伊与田はそんな村長に嫌悪を感じた。
伊与田は老いを憎んでいる。病や痛みや死など、人間の生き生きとした活動を止める作用を憎んだ。
伊与田が求めているものは、若さであり、力だった。尽きる事のない生命力を渇望していた。
「新聞などで、面白おかしく取り上げられておるようですな」
「いやはや、まったく面目もない事で……」
村長は躰を縮こませて、出もしない汗を更に拭いた。
「村長の責任ではありませんよ」
伊与田の言葉に村長は幾分気が楽になったようだ。伊与田が訊ねるまでもなく、詳細を語り出した。
「新聞などでは異常死などと大げさに取り上げられておりますが、そんなものではございません。医者の話では、伝染病などでもなく、おそらく茸の毒に当たったのだろうとの事でした。外傷もなく、言われているような一家惨殺などという恐ろしい事件でもございません。ですから、せっくご足労頂きましたが、伊与田さまがわざわざお調べになる必要はまったくないと存知ます」
「一家には生き残りがいるそうですな」
「ゆうという名の七歳になる末娘です」
「その子供が証言してるという話もありましたな。家族を殺した犯人を見たとか……」
「子供の事です。家族を亡くした衝撃で混乱しているのでしょう。その子が見た犯人というのは、その子の長兄です。しかし、その子の長兄はすでに亡くなっております。都会に仕事に出たものの、病か何かで命を落としたという知らせが、あの事件の数日前に届いた所でした。遺体を引き取りに行かねばならないなど、話をしていた最中でした。まったく、あの一家は災難でございましたよ。子供の事ですから、心の中で死んだ兄の話と自分の体験が重なって、そんな幻を見た気になっておるのでしょう。本当に、大尉さまがお気になさるような事件ではございません。いや、事件ですらございません。あれは単なる事故でした」
「その長兄の姿を見たと言う者は他に誰もいないわけですかな」
伊与田は探るような目で村長を見詰めた。
「もちろんでございますとも! 死んだ人間がそこいらを歩いているわけはございません」
「本当かどうかはともかく、とかく人は噂好きなものです。人心を惑わすような不穏な噂には注意しなくてはなりませんからね」
「そんなバカバカしい話は噂にすら聞いておりません」
村長は苦笑を浮かべた。その顔に嘘はなさそうだ。伊与田はここへ来た目的の一つを果たせたと確信した。
「いや。お時間を頂きありがとうございました。どんな小さな――それが大した事に思えないような出来事でも、そこに大事が潜んでいる場合があります。村長にしてみれば、陸軍の大尉ともあろうものが、口さがない噂に翻弄されているなど滑稽とお思いでしょうが、残念ながら、これがわたしの仕事なんですよ。ただ、念のために、その一家の遺骸は焼いた方がいいですな。この村に火葬できる施設は?」
村長は首を振った。
「ここは代々土葬が習慣です。お上が火葬を勧めていなさる事は存じておりますが、死者とはいえ身内の躰を焼くという事に皆抵抗を感じておりますので……」
それはそうでしょうと、伊与田は頷いた。
「では、その仕事は我々の方でやらせて頂きましょう」
村長は驚いた顔をした。
「いやはや。それは恐縮です」
その件に関して更に話を進めようとした時、外から幼い声が叫ぶのが聞こえた。
「ひとごろしがいる! 助けて!」
三、
ゆうは、村長の家に連れて行かれた。
墓所にいた殺人犯の事を、ゆうに代わって訴える村人に、村長は困った顔をした。
「今、大切なお客人がいらしておるから……」
殺人犯という不穏な言葉を聞いてきがきではないものの、客人の方がそれ以上に大切なのだと言わんばかりだった。
「殺人犯とは聞き捨てなりませんな」
憤る村人がわめき立てていると、野太い声がして、奥から見知らぬ男が出てきた。
軍服を身につけた、がっしりとした大柄な人物だ。
厳つい顔に、立派なヒゲを蓄えている。
歩くたびに、腰のサーベルがカチャカチャと鳴った。
鬼のような風貌が恐ろしくて、ゆうは村人の背中にしがみついた。
「大尉どの、申し訳ございません。どうやら子供の戯れ言のようで…… これが例の娘です。どうもあれ以来妄想癖があるようで……」
汗を拭き拭き村長が、へりくだった態度で軍人に言った。
ゆうの代弁を買って出た村人は、ムッとした顔をした。
何か訴えかけようとしたが、軍人の射るような目を見て項垂れた。
「必ずしも戯れ言とは限りませんぞ。しかし……」
大尉は、巨体をかがめてゆうの顔を覗き込んだ。
「偽りで大人を化かすような態度を許せば示しが付きません。嘘であれば罰を与えねばならんでしょう。二度と嘘など吐きたくなくなるような罰を」
ゆうに向かってニヤリと笑う。
「どうだ? 今正直に言うなら許してやるぞ」
ゆうは青い顔で唇を噛みしめた。
「殺人犯など、本当はおらぬのだろう?」
ゆうは首を振った。
「強情な娘だ」
軍人はゆうの首に片手をかけた。
苦しさにもがく。両手をかけて必死に引きはがそうとしたが、喉に食い込む指は外れない。
声も出せないまま、ゆうは泣いた。
「どんなヤツだ?」
ゆうは、やっとの思いで捻り出すように声を出した。
「黒い…… 洋服を着たひと……」
喉にかかった指が緩む。
「一人か?」
「もう一人…… 若くて背が高い、着物に袴のひと……」
「ほう……!」
大尉の目が嬉しそうに光った。
「そいつらが、お前の両親を殺したとか…… 確か、そう言っていたな」
ゆうは頷いた。
「お前は見たのか?」
ゆうはもう一度頷いた。
「そいつはいい」
大尉は、ゆうの首から手を離すと、声をたてて笑った。
「村長、村人を集めた方がいいようですぞ。殺人犯がこの村をうろついている」
笑いを収めて厳しい顔付きに戻っている。村長は飛び上がらんばかりに驚いた。
「わしの事はいい。大事な役目を果たしなさい」
村長は、ぺこぺこと頭を下げるとゆうを連れてきた村人に男たちを集めるように命じた。
「お前は家に帰っていなさい」
村長に言われて、ゆうは頬をふくらませた。
どうして大人はそうやって、子供をみそっかす扱いするのだろう。
「いや。この子も連れて行った方がいいでしょう。犯人の顔を知っているのはこの子だけだ」
村長は嫌な顔をしたが、軍人の言葉には逆らえないようだった。
「伊与田さまは……」
ちらりと期待の眼差しを向けた村長に、大尉はそっけない顔で答えた。
「わしには他に大事な仕事がある。残念ながらもうそちらへ行かねばなりません」
懐中時計にちらりと目を走らせて伊与田大尉は言った。
「こちらの事も気になりますのでね。直ぐに戻って来ましょう。それまでにこの件が解決している事を望んでいますよ。一家惨殺の下手人。おそらく凶暴な手合いでしょう。下手な抵抗をして村人に危害を加えるようでしたら、たとえ犯人を殺す事になっても司法のおとがめはないでしょう。正当防衛というやつです」
村長は困った顔をした。大尉はやけに嬉しそうだった。
村長の家の前に村人が集まってきた。
手に手に鍬や鋤や鎌を持っている。
ゆうは最初に彼女の話をきてくれたあの村人におんぶされて一行に加わっていた。
人々は無言のまま村外れの墓所へと向かった。
手にした得物が立てるカチャカチャという不穏な音だけが耳に付く。
ほどなく村人たちは墓地にたどり着いた。
陽がやや傾きかけ、風が肌寒く感じる。
男の背中に揺られて、うとうとしかけていたゆうは、歩みが止まったせいで目を覚ました。
目を開けると、あの男たちの姿が見えた。
書生風の青年はたすきをかけ、黒衣の男は上着を脱いでベスト姿だ。白いシャツの袖はまくり、鋤を手に墓の上に立っていた。
墓は封土を剥がされ、座棺の蓋があらわになっていた。
殺気立つ村人に取り囲まれて、書生風青年はちょっとだけ困った顔をした。
洋装の男は、やれやれという顔で溜息を吐いた。
四、
「先生、だから、目立たないように夜中にしましょうって言ったじゃないですか」
内村智次(うちむら・ともじ)が耳元で囁く。
「夜はキライだ。暗い」
御堂有情(みどう・うじょう)は、ダダをこねる子供のように頬をふくらませた。
闇は苦手だ。
智次にまで子供っぽいと笑われるが、これだけはどうしようもない。
夜寝る時もランプを灯したままにしている。
闇に躰を包まれると、自分の内に潜んでいる闇が外界の闇と呼応して目を覚まし、自分を異形の化け物へと変えてしまうような気がしてならないのだ。
今現在こうしてある自分を失うのが怖かった。人の姿と心を失うのが怖かった。
この恐怖を誰も理解してくれない。
百数十年間、御堂はずっと孤独の中にいた。
智次のように、御堂の特異性を理解し受け入れてくれる人間もいる事はいる。だが、真に彼を理解してくれる人間は皆無だった。
人は人を理解する事は出来ても、人ならざる者を理解する事は出来ないものなのだろう。
孤独が、もともと人間離れしている御堂を、更に人間離れしたものにしていた。
外見はどこかの華族の殿様と言われても頷いてしまうような整った上品さがある。しかし、かもし出す雰囲気は、生きた人間のそれではない。
彼に会った事のある人々は一様にこう感想を述べる。
幽霊を見てしまったかと思いましたよ――
仙人だと思われた事もある。目の前で喋っているのに、蝋人形と間違えられた事もある。生き物が持つ生気が御堂からは感じられないのだ。
そのせいもあってか、誤解も多い。
請け負っている仕事も特異だ。こうして無知な村人に取り囲まれる事はちょくちょくあった。
「どう弁解するんです?」
智次が囁く。
そう避難がましいく言われても、御堂にだってどうしようもない。
「弁解の余地は、ないよ…… なぁ……」
確かに弁解の余地はない。どこからどう見ても、二人は立派な墓荒らしだった。
御堂は溜息を吐いた。
頭をポリポリと掻く。
「面倒臭いなぁ……」
手にしていた鋤を放り、害意のない事を示す為に両手を上げて見せた。
取り囲む群衆を見回し、御堂は、男ばかりだと思っていたその中に、先ほど見かけた少女が村人の一人に背負われているのを見つけた。
すでに顔を知っているという気安さから、にっこりと笑いかけた。
少女は怯えるように村人の背に顔を隠した。
そして、御堂にもはっきりと聞こえる声でこう言った。
「ひとごろし……!」
思いがけない台詞に、御堂は改めて自分たちを取り囲む村人たちを見た。
手に手に武器代わりの農具を握りしめ、今にも襲いかかってきそうな殺気に満ちている。
「どうも様子が違うなァ……」
「そうですね……」
御堂の斜め後ろに立つ書生風の青年も異常を感じているようで、手にした鋤を構え直した。
「智次君、それはダメだよ」
御堂が諫める。
内村智次は、医学生だが、どこかの藩の指南役の家柄だとかで、今でもその武芸を伝えており、智次自身も何とか流の免許皆伝の腕前らしい。
これだけの数の村人相手でも、そこそこの立ち回りが出来る事を御堂も知っている。問題は、村人側に死人が出ない保証はないというところだ。
「でも……」
若さ故か、村人たちの殺気に反応してなのか、普段はおっとりとしている彼に似合わぬ殺伐とした気をちらつかせた青年に、御堂は余裕の笑みを見せた。
「論より証拠だ」
御堂は足下――つまり、自分が乗っている棺桶の蓋に目を落とした。
智次は、御堂の言いたい事を察したらしく、鋤をしっかりと握りしめたまま、緊張した顔で後退った。
「あ〜 皆さん。何か根本的な誤解がおありのようですが、わたしは医者です。ただし、生きた人間のではなく……」
御堂が言い終わるより先に、棺桶の蓋が内側からはじき飛ばされた。
寸前でひらりと身をかわした御堂が、墓からどけられた封土の山に軽やかに降り立つ。
「この人たちを安楽の闇に導くのが仕事なんですよ」
御堂は微笑んだ。
村人たちは、棺桶から飛び出してきた動く死人を見て腰を抜かし、すっかり戦意を無くしていた。
五、
「あねさま……!」
ゆうは、躰を捻ると、村人の背から飛び降りた。
動く死者を見た驚きで放心した村人は、ゆうが自分の背中から降りた事にすら気付いていないようだった。
どんよりとした目をして、ぎこちなく動く義姉に向かって、ゆうは一直線に走っていった。
その躰に抱きつこうとした寸前、誰かがゆうを後ろからすくい上げるように持ち上げた。
「あねさま……!」
助けを求めて両手を伸ばしたが、義姉はゆうにはまったく関心を示さなかった。
ゆうは身をよじり、自分を捉えた人物を見た。
あの黒い洋服の男だった。
「ひとごろし……!」
睨み付け、男の手から逃れようともがいた。
腕に噛みつき、髪の毛を思いっきり引っ張ってやる。
「酷いなぁ……」
そう言いながらも男の顔は笑みを浮かべている。痛みなど微塵も感じていないようだ。
黒い瞳の奥には、やはりあの禍々しい赤い光が潜んでいる。
その瞳に真っ直ぐに見詰められた。
すると、ゆうの頭の中が熱くなる。
頭の中に何かがいて、それが男の目に反応しているかのようだ。
「ああ、やっぱり……」
男が呟き、ゆうを抱き締めた。
愛しい者を抱き締めるように抱かれ、頬ずりをされ、ゆうは戸惑う。
不快なはずの行為が、なぜか心地よかった。
頭の中の熱が、じわりと体中に広がり、ゆうは満たされた気分になった。
わけが解らない。
だって、この男は……
「先生!」
書生風の青年の鋭い声が飛んだ。
先生と呼ばれた男は顔を上げ、ゆうの義姉が振り上げた腕を、今まさに自分目掛けて振り下ろそうとしているのを見た。
先生は、ゆうを抱えたままひらりと身を捻り、軽々とそれをよける。
「ちょっと大人しく待ってておくれ」
先生はそう言うと、ゆうを墓からどけた土で出来た山のてっぺんににちょこんと座らせた。
離れるのが寂しいというような顔をされて、ゆうはまた戸惑う。
自分もまた、温かな彼の腕が離れた事を寂しく思っている事に気付いて動揺する。
いったい、自分はどうしてしまったのだろう?
あの男は家族の敵のはずだった。
人殺しのはずだった。
そう考えてから、ゆうはまた戸惑う。
ひとごろし?
殺されたはずの義姉が、目の前にいた。
生きている人のようには見えないが、確かに動いている。
いったい何がどうなっているというのだろう?
義姉のどんよりとした瞳の中に赤い光が閃くのを見て、ゆうは、あっと息を呑んだ。
あの目だ。
あの日ゆうが見たのは。
先生の目とは違う。
同じように赤い光が宿ってはいるが、先生の目はあんな風に暗く淀んではいない。生きた光があった。
同じようだが全然違う。
「違う……!」
ゆうは立ち上がった。
先生はひとごろしじゃない!
そう言おうとして、喉が詰まった。
――嘘であれば罰を与えねばならんでしょう。二度と嘘など吐きたくなくなるような罰を。
首に手を触れる。
軍人の言葉と共に、あの時の痛みが蘇ってくる。
どうしよう――
ゆうは泣いた。
恐ろしくて切なくて、本当の事を声に出せないでいる自分が憎くて、泣いた。
六、
「ですから、これが尸虫(しちゅう)というやつでして……」
智次が暢気に説明する声が聞こえてくる。
智次は、懐紙に包んだ何かを、彼を取り囲む村人たちに見せている。
それが尸虫の標本である事は、御堂には見ないでも判った。
尸虫は体長二、三ミリほどの虫だ。
形はナナフシに似ているが、足の代わりに長い触手を持っている。
死骸の脳に棲み付き、触手を躰の隅々にまで巡らせて死体を操る。
知能はない。
彼等はただ、死体を操り、移動し、卵を産み付ける為の別の死体を探す。
卵はまだ腐敗の始まってっていない死後まもない死骸に生み付けられる。
尸虫が宿る死体は腐らない。尸虫の存在が、死体に何らかの力を与えるらしい。
手頃に死骸が見つからない時は生体に産み付ける事もある。
卵を産み付けらた生体は死ぬ。
卵は十五日ほどで孵る。
卵が孵ると、死体はそのままその虫に寄生される。
新たな死体を求めて流離う屍体となるのだ。
「我々は、この村で原因不明の死者が出たという新聞記事を読んで興味を覚えたわけです。そうしたら、案の定、尸虫の反応があった。ここへ来たのは今日が初めてですから、半月前の事件当時の事は知りません。本当ですよ」
智次の説明を村人たちがどの程度納得したのかは判らない。
が、現実に動く屍体を見せられたら、受け入れるしかないだろう。
これまで彼等が訪れたどの村もそうだった。
「尸虫の発生を防ぐには火葬が一番です。孵化する前に焼いてしまえば何の問題も発生しません」
智次は尸虫の標本を丁寧に包むと鞄にしまい、別の紙を取り出して村人に見せた。
政府による火葬の推進を図る小冊子だ。
それが智次の仕事だった。
医学生である彼は、政府の方針を受けて、各地に土葬をやめて火葬をするように啓蒙する副業をやっている。
バックにはもちろん火葬施設の業者が絡んでいる。
村人たちは興味深そうに小冊子を見ていた。
智次は、火葬施設建設に必要な経費などの書類を村長とおぼしき男に渡していた。「こちらの簡易施設は大変格安になってますよ」などと、売り込み点は外さない。
「しかしですね――」
智次は、更に説明を続けた。
これまでの説明で彼の副業は終了なのだが、ここから先は御堂の助手としての仕事が始まる。
御堂が智次を助手として認め一緒に行動する事を許可しているのは、近隣の住人がこちらの戦いに巻き込まれないよう皆を説得し、戦いの場から遠ざける事と、彼の武術で戦いの援護をしてくれる事を期待しての事だった。
「いったん、孵化して、動く屍体――西欧では屍鬼(ゾンビ)と呼んでるらしいですが――屍鬼と化した屍体は、大変危険です。他の人間を卵を産み付けようとして襲います。卵を産み付けられた人間は、死にます。脳の中枢をやられてその場で即死です。が、この屍鬼化した死体は、死体ですので死にません」
智次は真面目な顔で話している。冷静に聞けばとてつもなく変な言い方なのだが、村人たちも真剣に頷いている。
「切られても痛みを感じないので平気です。首だけになってもまだ動く」
村人たちは嫌な顔をした。
「で、この屍鬼を本当に倒すのには、うちの先生の力を借りねばなりません」
智次は暢気に喋っているが、一人で戦っている御堂の方は必死だった。
「ちょっとは手伝え」
と口だけ動かして言ってみたが、智次は明らかに見てないふりをした。
助手になった当初は働き者だったくせに、昨今はどうも手抜き気味だ。なにかというと御堂一人にやらせようとする。
まったくとんだ助手もあったものだ。
御堂は、不満に口を尖らせながら、襲いかかってくる生きた屍体の攻撃をかわした。
若い女の屍鬼だ。
元の肉体が若いだけあって、動きが良い。
これが八十過ぎの老人の死骸だったりするとやはりどことなく固い。
尸虫は生前の躰の持ち主の技量には関係なく躰を動かす事が出来るが、さすがに筋が硬くなり、筋肉組織がやせ衰えた肉体を動かすよりも、若くしなやかな肉体の方が動かし易いらしい。
こちらが掴まえようとしても、上手くすり抜けられてしまう。
逆にこちらの隙を突いて、素早い動きで掴まえようとしてくる。
このままでは埓があかない。
御堂は、自分と屍鬼どもの違いを、魂があるかどうかだと思っている。
彼には、知性も何も持たないただの動く屍にいつまでも弄ばれている趣味は無かった。
唐突に、御堂は動きを止めた。
戦意を失ったように立ち竦む御堂に女屍鬼が襲いかかった。
とても若い女の力とは思えない怪力で、御堂の胴を締め上げる。
御堂は、目を半眼に閉じて静かに女屍鬼を見ていた。
屍鬼が顔を寄せてくる。
大きく開かれた口から一本の触手が伸びてきた。
それが御堂の顔を探り、口から頭蓋内へと侵入を図る。そこで触手は、何かに気付いたかのようにヒタと動きを止めた。
御堂は唇に薄く笑みを湛えた。
「残念だったな。そこにはもう、先客がいる……」
ダラリと垂れていた御堂の手が挙がる。
右手には、長い金の針が握られていた。
半眼にしていた目を大きく見開く。
敵の額の辺りを凝視する。
目の奥が熱を持つのを感じた。
御堂の中に棲むものが、同類の存在を捉えた。
彼の目には、女屍鬼の額の奥に潜む虫の姿が見えていた。
左手で相手の頭を押さえ込むと、狙いを定め、長い金針を相手の額に突き刺した。
針は何の抵抗もなく奥深く刺さってゆく。
女屍鬼が、人の喉から出たものとは思われない奇怪な叫びを上げた。
御堂の口の中に侵入していた触手がするりと抜け、屍鬼は仰向けに倒れた。
倒れた屍体は、急激に腐敗が進み、崩れていった。
「おお!」というざわめきと同時に拍手が巻き起こった。
一段と大きな拍手で村人たちの拍手を誘発したのは、どうやら智次らしい。
邪気のないニコニコ顔を見て、御堂は脱力した。
「見せ物じゃないぞ」
口の中に残った不快感を拭う為に唾を吐き出してから、御堂は言った。
「それより、皆をここから遠ざけろ、まだ、これで終わったわけじゃ……」
言い終わらないうちに、背後で「バン!」と何かがはじけ飛ぶ音がした。
振り向いた御堂は、ゆるゆると首を振り、溜息を吐いた。
「頼むから、一遍に孵化しないでくれよなァ……」
残り三つの墓から、三体の屍鬼が生まれ、瞳を赤く光らせて、低い唸り声を上げていた。
七、
「お父、お母…… 兄ちゃ……」
ゆうは、蘇った家族の姿を見た。懐かしさで涙が零れた。
再び会いたいと心の底から念願し、また以前のように一緒に暮らせたらと夢見てきた人々である。
父の大きな手に頭を撫でて貰いたかった。
母の膝で眠りたかった。
兄と一緒に遊びたかった。
しかし、その土気色の肌を見、禍々しい赤光を宿す昏い目を見て、それが以前の家族とは別物である事も理解していた。
近寄ってはならないのだと自分に言い聞かせる。
家族との決別。
ゆうは、甘えを断ち切り、屍体たちから逃げようとした。
が、彼女はあまりにも彼等の側にいた。
土山に立ち上がり、走り出そうとする前に、父親の腕が伸びてきて、ゆうを抱き上げた。
父親はゆうを抱え、その顔を覗き込むようにしたが、そこに愛情はかけらもなかった。
父の手はただ本能的に得物を捉えたに過ぎなかった。
白い触手が、父親の口からスルスルと伸びてきて、ゆうの口元を這いずる。
その感触のおぞましさに、ゆうは目を閉じて悲鳴を上げた。
バコン! と鈍い音がした。
目を開けると、ゆうの目の前から父の顔が無くなっている。
首が折れ、肩からぶら下がっていた。
先生が、鋤を手にこちらを睨み付けている。
どうやら、その鋤で父の頭を強打したらしい。
痛みはまったく感じていないらしい。頭を奇妙な形でぶら下げながら、それでも父はゆうを離さなかった。
ぶらぶらする頭をなんとかゆうの方へ向け、触手を伸ばそうともがいている。
鋤を捨てた先生は、その不安定な頭を掴んで、額に金の針を差し込んだ。
父の躰が倒れる。
直ぐに腐敗が始まり、腐臭と共に溶けた肉塊へと変化していった。
先生は、腐肉の中からゆうをすくい上げると、ぎゅっと抱き締めた。
「大丈夫かい?」
ゆうも、先生にしがみつく。
先生に触れると、また頭の奥が熱くなった。
たとえようもなく満たされた心地がする。
「この子を頼む」
そのまま先生に抱かれていたかったのに、引きはがされ、あの書生風の青年の手に渡された。
「先生!」
熱く潤む目で見詰めるゆうに、先生は小さな微笑みをくれた。
そのまま背を向け、今度は兄の屍体へと向かっていった。
ゆうは先生の姿に見惚れていた。
しなやかに動く四肢と揺れる髪。
先生は、巧みに次兄の攻撃を交わすと、腕をねじ上げた。
相手を動けないよう締め付けると、口に銜えていた金の針を取り、額に差し込んだ。
兄の躰が崩れ落ちる。
「あと一匹」
と、ゆうを抱えた青年が嬉しそうに言った。
八、
ヘラヘラとした笑みを浮かべる智次の腕の中からこちらを見ている少女の心配そうな瞳に向かって、大丈夫だよという笑みを送る。
瞬間の油断を、御堂は後悔する事になる。
智次が顔色を変え、少女を下ろすと御堂の背後目掛けて駆けだした。
振り向いた御堂は、体格の良い若い村人が数人で、女の屍鬼を押さえ込み、中の一人が鉈を振る下ろすのを見た。
「やめろっ!」
叫んだが間に合わない。
振り上げられた鉈は、屍鬼の首を見事に刎ねた。
「うわあっ!」
鉈を振るった男が、尻餅を着く。
屍体の首の切り口で、切断された触手がうねったと思った瞬間、それが飛び出してきた。絡まった糸の様に見えるものが、うねうねと動きながら、鉈を伝い、腕を伝い、肩から首へ、そして、男の口の中へと入っていった。
宿主を失った尸虫は、新たな宿主を求めてもっとも手近な生き物に移動する。その素早さには御堂も対応しきれなかった。
尸虫に取り憑かれた男は即座に絶命した。
目の前で人ひとりの命を奪われた悔しさに、御堂は歯がみする。
何の為に生きている自分か。その根源を揺るがされた気がした。
爪が食い込む程に拳を握りしめ、起きあがろうとした屍鬼の顔を思いっきり殴りつけた。
尸虫の成体が取り憑いた屍体は、即座に屍鬼となる。
たった今、勇敢に戦おうとした男は、最早敵でしかない。
まだ体中に触手を伸ばしきれていないのだろう。動きの鈍い屍鬼の躰に馬乗りになり、御堂は、ベルトから長い金の針を抜くと、相手の額に突き刺した。
男は直ぐに動かぬのただの死体となった。
日数を経ていないので、元の宿主の場合と違い、その場で腐敗するという事はなかった。
「直ぐに火葬にするように……」
御堂は不機嫌にそう言うと、乱れた髪を掻き上げ、まくり上げてあったシャツの袖を伸ばしてカフスを留めると、放置してあった自分の背広を拾い、土を払って袖を通した。
「帰るぞ」
怒りを含んだ声で、智次に告げる。
智次は戸惑いながらも、御堂の後を追った。
「ひとごろし……」
悲痛な響きを持つ幼い声に、御堂は振り向いた。
「村長、わたしが戻るまでに事件の解決をお願いしておいたはずですが?」
少女の腕をねじ上げるように掴み、その首筋に抜き身のサーベルを押し当てるようにして、尊大な顔付きの軍人が立っていた。
軍人は村人たちの方へ目を向け、野太い声で問う。
「一家惨殺の下手人をこのまま逃がすおつもりですかな」
村人たちがざわめく。そもそもの発端を思い出し、どうすべきか困惑しているようだ。
「伊与田…… 中尉……」
御堂は目を細め、相手を注意深く見た。
「中尉ではなく、大尉ですよ。昇進したのでね」
肩章を見せて伊与田が言う。
御堂はそれが意味する事に気付き、眉を寄せた。
「あんたの計画を上部も支援する気になったという事か……?」
伊与田は肯定するように薄く笑った。
御堂は歯を食いしばり、低く唸った。
「わたしは、あんたの思い通りにはならない」
御堂が言うと、伊与田は、ふんと鼻をならし、サーベルを腰に戻すと、太い手を少女の首に回した。ねじ切る事など造作もないぞという顔で。
「殺人犯に自分の身の行く末を選択する権利など与えられませんよ、この法治国家では」
ぬかせ!
御堂は心の中で悪態を吐いた。
その法治国家で無法をやらかそうとしているのはどっちだ?
「さあ、証言しなさい」
少女の耳元に囁く。その顔は凶暴な笑みが浮かんでいた。
「この男がお前の家族を殺した犯人だと。皆の前ではっきりと。その目で見たと言いなさい」
伊与田の手の中で少女が震えている。
助けを求めるその瞳に、御堂の中で何かが切れる。
冷たい怒りを含んだ声で、御堂は告げた。
「今直ぐ、その手を離せ!」
伊与田は薄ら笑いでそれに応えた。
九、
「証言しなさい」
伊与田はそう言うと、少女の喉を掴む手に力を加えた。
村長の家で、この少女の話を聞いた時、これは使えると思った。
今まで何度も試みてきたにも拘わらず、力ずくでねじ伏せる事が出来ずにいたこの男を手に入れる為なら、伊与田は手段を選ばないつもりだった。
伊与田は御堂の性格をよく知っている。
伊与田とその部下が力づくでかかれば、今までと同じようにただ犠牲が出るだけだろう。
が、何の関係もない村人たちに対し、御堂は自己防衛の為だとはいえ、攻撃を加えられるような男ではない。
村人を動かす為に、今、なんとしても少女の証言が欲しかった。
真実などどうでもよかった。証言さえあればいいのだ。
そもそも伊与田は、御堂が犯人でない事を知っている。
そして、真犯人が何者であるかも。
* * *
大事な用事があると言って村長の家を辞した伊与田は、その足で隣村との境にある山中に向かった。
山の中腹にある炭焼き小屋にそいつは確保されていた。
付近を流離っていたのを、捜索していた伊与田の部下が見つけ出し、ようやく掴まえる事が出来たのだ。
やつが脱走してからすでに半月が経っている。
人間であいつに襲われたのはどうやらあの一家だけのようだったが、山中の動物にどれぐらい虫が広まってしまったのかは判らない。それが今後、人間の世界にどのような影響を与えるのかそれとも与えないのか、伊与田にも予想出来なかった。
それが不安材料と言えば言えるのだが、ともかく、脱走した屍鬼を掴まえる事が出来た事で、伊与田は自分の首が繋がったと思った。
上部は彼の計画にようやく耳を傾けてくれるようになったが、何か問題があれば伊与田一人に全責任を押しつけてくるだろう事は間違いなかった。
屍鬼を掴まえる際、部下が三人犠牲になった。
犠牲者はただちに火葬にされた。
遺族には、危険な伝染病に罹患し死亡したと連絡がいく事だろう。
伊与田とて人間だ。
死んでいった者たちへの憐れみの心がないわけではない。
それでも、彼が己の願望に執着するのは、その素材が持つ魅力だ。
御堂有情の持つ力――
その身体的能力と、不死性は、尸虫によってもたらされたものだ。
普通の人間は尸虫に寄生されると死ぬ。
しかし、御堂は例外的に死を免れた。
彼は生きたまま、尸虫の力の恩恵を預かっている。
不死――
人類が求めてやまない願望だ。
それを易々と身につけている御堂。
自分は御堂を憎んでいるのかもしれないと伊与田は思う。
彼を掴まえ、彼を切り裂き、その躰を調べ尽くして、その秘密を解き明かすのが伊与田の望みだった。
軍は、そのために必要なものを伊与田に提供してくれる。
人並み以上の身体能力を持つ不死の兵士は、軍にとって理想の存在だ。
彼の研究は軍によって支援される事になった。
伊与田は御堂を追う一方で、自分なりに尸虫の研究をしていた。
被験者に虫を植え付け観察する。
その実験体の一人が、あの一家に虫を植え付ける原因となった青年だ。
屍鬼の脱走はとんだアクシデントだった。
屍鬼が、あの一家に虫を植え付けた可能性がある事を知った伊与田は、確保された屍鬼を始末しに行くついでに確認の為に村に寄った。
そこで耳にしたのが御堂がこの村にいるらしいという少女からの情報だった。
伊与田にはこれはまたとない幸運に思えた。
とんだ失態だと思っていたのが、逆に福を呼び込むきっかけになろうとは。
伊与田は人生が持つ妙味を感じながらほくそ笑んだ。
尸虫に寄生されていると思われる一家の処分は御堂がやってくれるだろう。
そして、その御堂を村人たちが取り押さえてくれれば、こちらにとっては願ったり叶ったりだ。
屍鬼を確保してある炭焼き小屋に入った伊与田は、厳重に縛り付けられ、呻いている青年を見下ろした。
屍鬼を倒すには、御堂がやっているように、尸虫のいる場所をピンポイントで攻撃するか、近くに飛び移る事の出来る躰がない状態にして焼くしかない。
しかし、わずか二、三ミリの虫である。御堂のようにその場所を探知する能力でもない限りピンポイントでの攻撃は無理だ。
「油をかけて焼け」
青年が間違いなく自分の実験台であり、屍鬼である事を確認すると、伊与田は部下に命じた。
屍鬼の躰に油が撒かれる。
炭焼き小屋ごと火がかけられた。
* * *
「さあ、どうした。お前がさっき村長の家でわたしに言った事を、もう一度ここで言えばいいだけだ。あの男がお前の家族を殺した所を、お前はその目で見たのだろう?」
少女の首を絞める指に力を入れた伊与田は、異変に気付いた。
「この人じゃない」
少女ははっきりとした声で言った。
「あれは、やっぱり兄ちゃだった。先生じゃない」
少女はまるで苦しがっていなかった。
「大人を謀るならば罰を与えると言ったはずだぞ」
伊与田は凄んでみせた。
指に更に力を加える。
しかし、少女はまるで苦痛を感じていないようだった。
少女の顔を覗き込む。
そして気付いた。
その子供の黒い瞳の奥に、禍々しい赤い光が宿っているのを。
少女もまた、家族と一緒に尸虫に寄生されていたのだ。
だが、他の家族と同じように死ぬ事はなかった。
生きたまま尸虫を受け入れる事が出来たのだ。
その虫が孵化し、少女に能力を与えているのだろう。
伊与田は少女に嫉妬した。
求めていたもの――
御堂だけが持つ力。
自分も手に入れたいとこいねがっていた力。
それを、こんな子供が手に入れたとは――!
しかし、嫉妬は一瞬だった。
なにも御堂でなくても良いのだ。
今まであまりにも御堂だけを見て、あの男だけを追い求めてきた伊与田は直ぐに頭の切り替えが出来なかったのだ。
が、その事に気付いた途端笑いが零れた。
少女は今自分の手の中にいる。
宝は、労せず手の中にあったのだ。
この子供の躰を調べれば、生きながら尸虫を体内に飼う秘密が暴けるだろう。
自分も、御堂のような能力を得る事が出来るに違いない。
御堂が何か仕掛けてくる前に、伊与田は少女を連れ去ろうと思った。
首にかけていた手を緩め、少女を抱きかかえる。
走ろうとした行く手を、だが、御堂に遮られた。
御堂の瞳は赤く燃えていた。
怒りそのものの形相で伊与田を睨み付けた。
「その子を離せ!」
十、
御堂は伊与田の腰のサーベルを抜いた。
その目にも止まらぬ早業には伊与田もさすがに度肝を抜かれたようだ。
「その手を、は・な・せ」
御堂は切っ先を伊与田の首筋に押し当てた。
伊与田の二人の部下が、御堂に向けて銃剣を構えた。
しかし、伊与田は手を上げて、部下を制止した。
銃で撃たれても御堂は何の痛みも感じない。その事を伊与田はちゃんと知っている。
「御堂、こんな事をして、ただで済むと思うなよ」
伊与田は低い声でそう言ったものの、その声にはどこか怯えが感じられた。
「今直ぐ離せ」
伊与田は、抱きかかえていた少女を静かに下におろした。
御堂は伊与田を睨み付けたままサーベルを相手の腰に戻した。
「覚えていろ、いつか必ず、お前をわしの前に跪かせてみせるからな」
伊与田はそう憎々しげに言い残すと、二人の部下を引き連れて歩き去った。
御堂はその背中が見えなくなるまで睨み付けていた。
「智次!」
助手の青年を呼ぶ。
「村の人たちに、うまく説明しておいてくれ」
智次は頷き、村長の方へ駆けていった。
彼の弁舌の才を御堂は信頼していた。どちらかと言えば話すのが苦手な御堂はともすれば誤解を招きやすい。彼のおかげでどれだけ助かっているかしれなかった。
村人の事は智次が上手くやってくれるに違いない。
それよりも、御堂の心を占めていたのは、この一家に災いをもたらしたらしい、少女の兄の存在だった。
兄が尸虫を連れてきたとみて間違いないだろう。
しかし、その当人の姿はどこにも見あたらない。
屍鬼が自由にうろつき回っているのだとしたら、それは問題だった。
早急に調べなくてはならないだろう。
また、彼が尸虫に感染した経路も気になる。
そして、伊与田の事も気になった。
あの男はいったい何の為に、この村にいたのか。
屍鬼の出現とあの男の存在が無関係だとは到底思えなかった。
急いで東京へ戻り、軍関係を洗う必要があるかもしれない。
御堂は溜息を吐いた。
伊与田一人ではないはずだ。軍部という組織の大きさを考えると、果たしてそれに太刀打ち出来るのだろうかと、不安になった。
ふいに、その不安をも拭いさるような温もりを感じた。
目を落とすと、少女が、キュッと唇を噛みしめて御堂の胴にしがみついていた。
少女は御堂の事を心配しているように見えた。
その顔がいじらしくて、御堂は思わず微笑んだ。
「怖い思いをさせてしまったね。でも、もう大丈夫だ」
優しく抱き上げると、頭を撫でた。
少女の瞳を見詰める。
「孵化したらしいな……」
少女はきょとんとした顔で御堂を見ている。
説明しなくてはならないだろう。
自分の身に何が起こったのか、この子は知らなくはならない。
「どう説明すればいいのかな……」
御堂は子供に理解出来るようにするには、どうしたらいいのだろうかと悩んだ。
この子は、気の遠くなるような時間を与えられてしまった自分の人生に、唯一寄り添う事の出来る大切な伴侶となり得るのかもしれない。
その一方で、この子がこの子自身の生を否定する可能性がある事を思うと心が痛んだ。
ふわふわと柔らかくて暖かい少女の躰を抱き締めていると、彼女にはどうか生きて欲しいと思うのだ。その生があまりにも残酷で醜怪なものであったとしても。
御堂はかれこれ百五十年ほど生きている。
多くの人が自分の横を通り過ぎていった。
生きて、そして、死んでいった。
その中に、たった一人だけ、御堂と同じ不死性を身につけた青年がいた。
彼は御堂よりも更に何十年も前に尸虫の洗礼を受け、その力を得ていた。
彼は孤独だった。
同じく不死性を得た御堂と出逢った時、青年がどれほど嬉く思ったか、今の御堂にはよく解る。
永遠の孤独を癒してくれる伴侶。
だが、まだ不死を得て程無かった御堂には彼の気持ちを理解する事が出来なかった。
御堂と共にいてさえ、彼はいつも孤独を感じているようだった。
そして、孤独を埋め合わせてくれるものを絶えず求めていた。
数十年、彼と共に暮らした。しかし、それでも御堂が彼の心を本当に理解する事はなかった。
ある時、彼は一人の女を愛した。
今思えば、まるで御堂に当てつけるかのように、その女を愛した。
女は普通の人間だった。
不死でもなんでもない。
やがて衰え死んでゆく躰を持っていた。
永遠に一緒に生きたい。
青年は御堂にそう言った。
女も覚悟が出来ていると言った。
たとえ失敗したとしても後悔はしないと。
それはどう考えても成功の可能性の薄い賭けだった。だが、御堂は協力した。
青年と一緒に、女に尸虫を植え付けた。
女は選ばれなかった。
永遠の命から拒絶された。
そして、忌まわしい屍と化してしまった。
彼と彼女はなぜあんな事を望んだのだろう?
御堂は解るような気がする一方で、やはり、未だに解らないと思う。
青年に手を貸した事は、御堂にとって永遠の汚点となった。
罪として、今でも心の奥で彼を苛んでいる。
屍鬼となった女の額に青年は自分で金の針を打った。
永遠に目覚める事の無くなった恋人を抱きかかえて、青年は御堂に言った。
「俺も、逝かせてくれ」
青年の悲痛な顔を御堂は直視出来なかった。
彼の願いを叶える為に、御堂は青年の額に金の針を刺した。
あの瞬間からだ。御堂が本当の孤独を知り、青年の気持ちを知ったのは。
それから百年近く、御堂は孤独の中を生きてきた。
それが、今、一人の少女が、自分と同じ属性を身につけて自分の前にいる。
御堂を側に置いたあの青年のように、御堂は少女を手元に置きたいと思った。
しかし、それは二人にとって幸せなのだろうか?
御堂には解らない。
「百二十年ほど前、わたしは医者をやっていた」
御堂は少女に話した。
「家業は順調で、妻と幼い娘がいた。ある日、妻と娘を一遍に失った。夜中に患者だった男がやってきたんだ。その男は生きていなかった」
少女がハッとした顔をする。
「そうだよ。キミと同じだ。わたしは一人生き延び、家族を失った……」
胸の中に様々な思いがわき起こり、御堂は口を閉じた。
少女が、労るように御堂の頬を優しく撫でた。
その温かさに、御堂は勇気を得た気がした。
「尸虫という虫のせいだったんだ。その虫は生き物を殺し、その躰を乗っ取る。でも、ごく稀に、生きたままその虫を受け入れる事の出来るものがいる。そいつは、歳を取らなくなる。死ななくなる。肉体的痛みから解放される……」
でも、残念な事に、心の痛みからまでは解放してくれないがねと、御堂は心の中で付け加えた。
「その生き物が人だった場合、人であって人ではないものになってしまう。それが、わたしだ。そして――」
御堂は少女の頬に触れた。
「キミだ」
この子にとっては過酷な宣言だろう。しかし、知らないままでいるわけにはいかない。
この子は少女のまま歳を取らないだろう。周りの人々の上に流れる時間から取り残され、孤独を生きるしかない。
得てしまった運命を逆戻す事は出来ない。
受け入れなければならない――
御堂は自分の額を少女の額に押しつけた。
尸虫が反応している。
頭の中が熱く脈打っている。
こいつもまた、仲間が見つかった事を喜んでいるのだろうか?
「感じるだろ? 頭の中に棲んでいるものが」
少女は小さく頷いた。
「わたしと一緒に行かないか?」
御堂は、額を離すと、少女の目を見詰めて言った。
「キミが、ここで暮らしてゆくのは難しいだろう……」
「先生と一緒に……?」
少女は不安そうな顔をした。
「嫌か?」
少女は思いっきり首を左右に振った。
「でも、新しいお父とお母が……」
「キミにわたしと一緒に来る気があるなら、ちゃんとわたしが話をして許可をもらってあげるよ」
少女は途端に嬉しそうな顔をした。
「先生と行く!」
御堂を見詰める真っ直ぐな目がまぶしかった。
「キミを見ていると娘を思い出す。もしかすると、娘の生まれ変わりかもしれないな……」
御堂が微笑むと、少女は頬をふくらませた。
「ああ、ゴメン。悪かった。キミはキミだ。わたしの娘とは違う」
しかし少女の不満はそこではなかった。
「奥さんの生まれ変わりかもしれないもん……」
「そうかもしれないな」
御堂は笑った。
「名前は、なんて言うんだい?」
「ゆう」
ドキリとした。不思議な縁を感じ、胸が熱くなる。
涙が零れそうになり、慌てて取り繕う。
「いい名前だ」
妻と同じ名前だった。
御堂はゆうをぎゅっと抱き締めた。
百年の孤独の先には、何が待っているのだろう。
御堂は、ちょっとだけ未来というものに期待してもいいのかもしれないと思った。
了