スモールスモールサーガ
紫雲 正宗



 メリュジーヌは思う――私はもう死ぬのね、と。
 メリュジーヌは願う――あなただけは生きて、と。
 メリュジーヌは“聖竜剣士(ドラゴニックパラディン)”の伝説をわが子に託した。たとえ、自分の命を犠牲にしてでも、世界の最後の希望は守らな ければならなかった。
 メリュジーヌは見た。わが子が夜空に向かって飛び去っていくのを。
 かすれゆく意識の中で、メリュジーヌは、飛び去っていくわが子に最期の言葉を発した。
「 バ ド 。 あ な た だ け は 生 き て 」
 彼女の言葉はおそらく、逃げゆく息子――バドには届かなかっただろう。まるでうわごとのような言葉だった。
 無理もない。メリュジーヌは今、灼熱の炎に全身を焼かれ、白い鱗が爛れるほどの大火傷を負っている。すでに事切れていてもおかしくない状態だった。
 その瀕死に陥っているメリュジーヌを嘲笑うものがいた。
「自分の命をなげうってでもわが子を守るか。泣かせるではないか。これを美しき母性愛というのか?」
 あざ笑うものの名を闇の女王リリナという。その穏やかな声とはうらはらに、あまりに美しく危険なほど妖艶な顔には冷酷な笑みが浮かんでいた。
「哀れじゃのう。たとえ命をなげうったところで、自分の子供すら守ることができないのだからな」
 闇の女王が笑みを深めた。――強者が弱者を弄ぶ時の恍惚とした笑みを。
 見るものをなおも魅了してやまない、危険なほどの笑みを。
「案ずるな、メリュジーヌとやら。ぬしの息子もすぐにぬしの後を追うさ。ニーズヘグによってな。先にあの世へ行って息子が来るのを待っているがいい」
 その言葉と共にリリナはスッと腕を伸ばし、掌に闇を集積した。集積された闇は瞬時に暗黒色の槍へと姿を変え、
「これは、去るものへのせめてもの贐だ。取っておけ」
 放たれた闇の槍はメリュジーヌの頭蓋を軽々と貫いた。
 ――それが、生ける伝説といわれた聖竜、メリュジーヌの最後の姿となった。



 1、空渡りの魔術―エミリオの場合
 城の書庫でたまたま見つけた一冊の本がそもそもの始まりだった。
 その本のタイトルは『英雄ロイドの冒険』。この国のものなら誰しもが知っている有名な英雄譚(ヒロイックサーガ)だった。
 しかし、勉強嫌いで有名な(?)エミリオ王子は、その有名な英雄譚すら今日まで知らずにいた。
 いつものように、しぶしぶやらされている勉強の教材を専属の教師と共に書庫に取りに来たときにたまたま眼に留まったのが『英雄ロイドの冒険』だった。
 「この本、読んでみたい」とエミリオが言い出した時、教師も躾係のハイゲル大臣もおおいに喜んだ。この本との出会いが王子の学習意欲を少しでも上げてく れればと期待しもしたが、ガルレシア王国の第一“やんちゃ”王子はそんなところで止まっているほど小さな器ではなかった。
 本を読み終えて、エミリオが最初に思ったことは、「僕もこの本の英雄みたいな大冒険がしたい!」だった。そして、その想いを『憧れ』でとどめす実行に移 してしまうのがやんちゃ王子のやんちゃ王子たるゆえんなのである。
 かくして、エミリオ王子は、冒険実行の日を迎えていた。

 冒険に出かけることは、先生や仕えの者にはもちろん、父親や母親、そしてバドにも内緒にしてある。もちろん、ハイゲル大臣にも話していない。
 ――「冒険に行く」なんてこと話したら、じぃは顔を真っ赤にして「王子ぃっ! そのような事はずぇっっっっったいになりませぬぞ!」って怒りだすに決 まっているんだ。
 エミリオはなにがなんでも冒険をやり遂げるつもりでいた。そのための準備に抜かりはない。
 まず身の回りの準備からはじめた。その結果、“英雄の剣”と“英雄のバッチ”と“英雄のマント”を手に入れた。
 ……ただし、これら“英雄グッツ”の発見場所がすべてエミリオの自室であり、名付け親もエミリオ本人なので、剣が護身用のレプリカソードに見えたりマン トがベットのシーツに見えたりするが、それは気にしない方がいいだろう。
 つぎに一ヶ月かけて書庫にある魔法の本を読みあさり、その練習に励んだ。
 なかでも、英雄ロイドが使っていた、どこへでも一瞬にして飛んでいける便利な魔術、“空渡りの魔術(シエロ・プルーマ)”の練習には余念がなかった。
 その結果、エミリオは十種類もの魔術を習得するに至った。
 ……ただし、修得といっても呪文を暗記したというだけの事であり、どの魔術も練習の段階では一度も成功しなかった。
 最後に、冒険に行く際の目的地の選定があったがこれはすぐに『ドンクオーヴの森』に決められた。
 なぜドンクオーヴの森なのかというと、そこには英雄ロイドによって退治された魔王が棲みついていると思われるからだ――というよりも、なにかしら魔物が 棲みついているとすればドンクオーヴの森以外には考えられないのだ。
 ドンクオーヴの森には“死の森”という別称があり、かなり危険な場所として知られているところである。
 魔王の一匹や二匹はいるだろう森なのである。
「…………」
 これにて旅支度は整った。しかし、エミリオにはもうひとつ問題が残されていた。
 それは、このガルレシア城からどうやって外に抜け出すかということである。
 これで誰かに、とくにハイゲル大臣なんかに見つかりでもすれば計画はすべておじゃんになってしまう。それだけは避けなければならなかった。
「……しめしめ、誰もいない」
 静かにドアを開け、まわりに誰もいないことを確認しながら廊下へと足を踏み出すエミリオ。息を殺し、足音ひとつにも気を配るような足取りで一路一階へと 続く階段を目指す。そのまま、スライムにも劣るような歩みで階段のもとまでたどり着き、誰か上がって来やしないかと慎重に階下をさぐる。だれも来なさそう だと判断
「――おや、エミリオ様。どうなされましたかな?」
「わあぁっ!!」
 いきなりかけられた声に驚いて振り向くと、
「……じぃ」
 そこにはいま一番出会いたくなかったハイゲル大臣が立っていた。
 最悪の状況だった。
「今日はずいぶんとお早いお目覚めですな。こんなに早くから一体どちらへ?」
 朝の第六時といえば、いつもならエミリオはまだ寝ている時間だ。そんな時間に、レプリカソードにベッドのシーツを纏った王子を目撃してハイゲル大臣が怪 しまないはずがなかった。
「……あ、あのね」
 もうだめだと思った。なんとか怒られることだけでも避けようとエミリオはあれこれいい訳を考え、なにも浮かばず、じぃのゴキゲンをうかがおうとして、
「――――あ」
 そのことに気付いた。
 ――じぃがメガネを掛けていない。ってことは……。
「……ちょっと、調べたい事があったから、書庫まで」
「ほお! さようでございますか! いや、結構なことでございますぞ王子。最近はとみに勉学への打ち込みに余念がないようで、じぃも嬉しいかぎりです!  しかし、暖かくなってきたとはいえ、まだまだ朝は冷え込みますから、どうぞお風邪など召しませぬよう十分ご注意くださいませ」
「……う、うん。わかってるって。じゃあまたね、じぃ」
 そう言いながら、エミリオはそそくさとその場を後にした。
 結局、老眼のひどいハイゲル大臣はエミリオが腰に帯びた剣にも、背中にはためくシーツにも気付くことはなかった。

 早春の朝・第七時。お日様は完全に顔を出し切ってはいるが、空気の冷たさはぬぐい切れていない。吹いてくる風も頬に冷たい。そんな中、エミリオはガルレ シア城の中で一番高い尖塔の上に立っていた。
 ハイゲル大臣から逃れたあと、再びスライムの歩みを始めたエミリオは一時間かけてようやくここまでたどり着いていた。ハイゲル大臣に会ったこと以外はす べて予定通りだった。
「……あれが、ドンクオーヴ。……死の森」
 城壁とガルレシア城下の街を越えた遥かかなた。地平線ギリギリのところに引かれた深緑の線。それが、エミリオの目指すドンクオーヴの森だった。
 ――いまからあそこに行くんだ。
 ここまで来ればもう城を抜け出たも同然だった。なにしろ、後は習得した“空渡りの魔術”を使って、彼方に見えているあの森まで一気に飛んで行くだけなの だから。
「……ふぅ」
 眼を閉じて、ひとつ深呼吸をする。大丈夫、呪文はちゃんと覚えている。練習では一回も成功しなかったけど、でも今度は絶対にできる。魔術を使う際に一番 大事なことは、自分の力を信じることだ。
 ……当然のことながら、魔術は一ヶ月かそこら本を読んだくらいで身につくものではない。確かに自分の力に疑いを持つようでは魔術は成功しない。しかし、 根拠のない自信を持ったところで魔術が使えるようになるわけでもない。どんな能力も努力の積み重ねがなければ得られるものではないのだ。
 それでも、
「……ビエント エネルヒーヤ リェバール ヨ ムエルテ ボスケ!(風の精よ、我を誘え。死の森へ!)」
 高々と発した言葉とともに、エミリオは尖塔の上から飛び立った。



 2、空渡りの魔術―バドの場合
 基本的にドラゴンは寒さに弱い。とくに冬場は最悪だが、早春の朝などもバドは苦手だった。だからこの時期はたいてい、お日様が天高くのぼってからでない と起きることはないのだが、この日に限ってはなぜか早くに眼が覚めてしまった。
 なんでこんな早くに起きちゃったんだろうと思いながら、二度寝を敢行しようと再び寝床に潜り込もうとして、
「――――あれ?」
 そのときにはすでに、となりで寝ていたはずのエミリオがいなかった。
 おまけに敷いてあったはずのシーツまでなくなっていた。
「…………さむいぃ」
 寒さに弱いバドには、どちらかというとシーツが消えてしまった方が問題だった。

 バドがこの城で暮らすようになってもう五年が過ぎようとしている。
 五年前のあの日、城の中庭でへたばっているバドに最初に気付いたのはエミリオだった。
 当時まだ六歳だったエミリオ王子は、白いドラゴンの子供をかわいそうに思い、自らバドの世話役を買って出た。それがエミリオとバドの馴れ初めであった。
 それ以来、エミリオとバドはいつも一緒に動きまわっている。
 発見された当初、バドは衰弱がひどく命も危ぶまれるような状態だったが、そのあとなんとか回復し、今となっては五年前のことがウソのようである。
 ただ、バドにはまだひとつだけ回復に至っていないものがある。それは、バドの記憶だ。いまだに名前以外のことはなにひとつ思い出すことができていない。
 その他にもうひとつ。バドには“人語を解す”という特徴があった。
 これにはエミリオもバド本人も「そんなのフツーじゃないの?」と思っていたが、ハイゲル大臣が言うには、
「いやいや。人語を解す魔物というものは伝説や物語などではよく語られてはいますが、実際そう多くいるものではありませんぞ。なにしろ、魔物が人語を解す ということは、その魔物が長いあいだ人間のもとで暮らしている必要がありますからな。人と魔物とが共存することはそう容易いことではございません。ずっと 昔には、人の手でドラゴンを養っていた国もあったようですが……」
 ということらしい。
「……ううぅっ、眠いよぉ、寒いよぉぉっ」
 まだ半分眠っているような状態でバドはエミリオを探してさまよう。眠気のせいか飛び方がフラフラで、床に落ちそうになっては復活するというのを繰り返し ている。
「……まったく、こんな朝早くにエミリオはどこ行っちゃったのさ」
 思えばこのところのエミリオはちょっと変だとバドは思う。と言うかやたらとつれないのだ。
 いつもならエミリオから「今日はなにして遊ぶ?」と話しかけてくるのに、最近はそれがまったくない。それどころかバドの方から誘いをかけても「いそがし いから」とフラれる始末だった。それも一度や二度ではない。
 それで「いそがしいから」と言ってなにをしているかと思えば、勉強しているというのだ。なにが変って、これ以上変なことはない。
 ――あの勉強嫌いのエミリオが自分から好んで勉強するなんてぜったい変だ。
 そう思ったバドは1回だけエミリオの“勉強”に付き合ったことがある。
 ――きっと勉強するとか言ってなにか別のことをやっているに決まってる。
 しかし、バドの予想は外れた。なにか見てはいけないものを見てしまったような気がした。
 薄暗い書庫で、エミリオが本を片手に本当に勉強をやり始めたとき、バドは世界の終わりを予感した。
『あした、槍が降るかも』
『……えっ、なにか言った?』
『べつに』
 それ以来、エミリオの勉強は一日も休むことなく続き、今日に至っている。
 それでも、朝寝坊は相変わらずだった。バド自身もそうだがエミリオがこんなに早くに起きたことなんて今までなかったことだった。
 そんなことを考えると、なんとなく不安になってしまう。
 ――エミリオ、どうしちゃったのかな?
「あら? バド君じゃない。こんな早くにどうしたの?」
「へ?」
 声を掛けられて我に返ってみると、目の前にシェイティアがいた。意識が相当とんでもない方向にむいていたらしく、バドは声を掛けられて初めてシェイティ アの存在に気づいていた。
「君がこんな早くに起きてるなんてめずらしいね。あしたは槍が降るかも」
「…………」
 なんでこの人はいつもいつもこんな眠そうな声で話すんだろうといつもいつも疑問に思う人物。それが、バドから見たシェイティアの印象である。
 十八歳の若さでガルレシア王国軍の尖兵隊(アドヴァンス)の隊長に任命された女剣士、と言えば聞こえはいいが、シェイティアからはそのような風格や 威厳といったものが微塵も感じられない。
 しかも、いつも背に帯びている武器は“魂を分かつ者(ソウル・ディバイダー)”という業物の大鎌で、彼女のフニャンとした表情とあいまって彼女に 小悪魔的な雰囲気を与えている。
 これで大鎌さえとれば、どこぞの王女様といっても通りそうなものだが、それでいて城のなかでも指折りの剣術の持ち主なのだから、ほんとに人は見掛けによ らないものである。
 ふとバドの脳裏にひとつの疑問が浮かんだ。
「……シェイティアこそ、こんな早くになにしてんのさ? シェイティアはべつに警邏兵(ガーディアン)じゃないんだし、こんな朝早くに出てくる必要な いんじゃないの?」
 するとシェイティアは妙に恥ずかしそうに、
「ちょっとエイオンに稽古つけてもらいたくて……」
「はぁ? ……こんな朝早くに?」
「うん。ほら、エイオンって今日宿直じゃない。だからちょうどいいかなって思ったんだけど」
「それにしたって早すぎると思うけど。……それに、宿直室は東回廊のいちばん奥でこことはまったく逆の方だよ」
「えっ、そうなの?」
「……知らなかったの?」
「うん」
「…………」
 ガルレシア王国軍の尖兵隊の隊長にして宿直室を知らない女剣士に唖然とするしかないバドであった。
 その後、バドはシェイティアに急かされるまま、彼女を宿直室まで案内するハメになった。
「それじゃあ、ボクもう行くからね」
 宿直室までミリアを送り届け、ウンザリした様子でバドが言うとシェイティアは、
「あっ、うん。ほんと、ありがとね」
 彼女特有のフニャッとした笑顔で応えた。バドのウンザリ顔にはまるで気付いていないらしい。
「あっ! ねえ、バド君もしかして王子探してたりしない?」
「えっ、まあ、そんなとこだけど。…………どして?」
「実はね、バド君に会うまえに王子を見かけたんだけどね、たぶんトイレだと思うよ。もれちゃうくらい我慢してたのかな? スライムみたいにゆっくり歩いて いくの見たよ」

 別れ際にシェイティアから聞いた話をもとに、バドは再びエミリオを探し始めた。
 まずはじめに「トイレならもう戻ってるだろう」と思って部屋に戻ってみた。
 しかし、エミリオの姿はそこにはなかった。
「まだトイレって、……長いよなぁ」
 まさかそんなことはないだろうとは思ったが、他に探すアテもなかったのでしかたなくバドは厠(トイレ)を見てまわることにした。しかし、その厠はここか らはひじょーにはなれた場所にある。なんであんなとこまで行かなきゃなんないんだというくらいに遠いのだ。
「……いっそのこと、城を飛び越えちゃった方が早いかな」
 そう考えて、バドはドアからではなく窓から外に出た。窓から出たその先には城の中庭と城壁と、その先にわずかに街の風景を見ることができた。
 そのまま、回れ右をして、バドは高度を徐々に上げていく。
 目の前を遮るものがなにもなくなるところまで上昇し、そこからは翼を広げたまま滑空するようにして城の上を飛んでいく。
 城の北側に抜けもうすぐ厠にたどりつくというところで、
 ――あれは、エミリオ?
 しかし、そこまで行くことなくバドはエミリオを見つけることができた。
 なんでこんな高い塔の屋根のうえにエミリオがいるのか疑問だが、それは直接本人に聞けばいいことだと思い、バドはエミリオが立っている尖塔の方へと向き を変えた。
 ここまでくれば声が届くだろうと思いバドは、
「ねー、エミリオー、そ」
 んなところでなにしてんの、は結局言葉にならなかった。なぜなら、
「……ビエント エネルヒーヤ リェバール ヨ ムエルテ ボスケ!(風の精よ、我を誘え。死の森へ!)」
 そう高々と発した言葉とともに、エミリオが尖塔の上から飛び降りてしまったのだ。エミリオの体は一瞬にして眼下へと消えていった。
「!!?」
 その瞬間、バドの身体は頭で考えるよりも早くに動いた。
 それは今までまったく思い出せずにいた力だった。エミリオが本で学んだように自分の力を信じることが不可欠な力だった。
「アスール シエロ トラスラード シルクロ!(蒼天移送方陣!)」
 バドは体を包む球形の移送方陣を虚空に描いた。それはエミリオが使おうとした“空渡りの魔術”のほんとうの姿であり、同時にそれは何千年もまえに廃れた 古代魔術(アンティグア)のひとつだった。
「行けぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
 複雑な形式の光の球形方陣を身に纏って、バドは落下を続けるエミリオを捉えるために空間を翔んだ。
 尖塔の中頃でエミリオを捉えるが、落下のスピードとエミリオの体重に抗うにはバドの体はあまりに小さすぎた。
 エミリオの落下は止まらない。
 ……おそらく、ここにいたってもエミリオは自分の背中にバドがへばり付いていることなど気づきもしなかっただろう。その眼差しは彼方の森に向けられたま ま、最後の瞬間まで輝きを失うことはなかった。そして、
「くっそ、……ルス シエロ トゥラスラード!(光空転移!)」
 バドは再度、移送魔術を展開する。このとき、バドは魔術によってどこに行くかということを決めていなかった。
 移送魔術は行き先を決定してから使うのがふつうであり、なにも考えないまま使うとどこに飛んでいくか分からなくなってしまう。場合によってはいきなり海 のド真ん中に投げ出されるようなことが起こり非常に危険なのだが、場合が場合だけにバドには行き先を決めているような余裕がなかった。
 それでも、この一人と一匹は、王子が最初に立てた計画通り、ドンクオーヴの森へと行くことになる。
 それは、偶然の出来事だったのか? それとも、なにかしらそのようになる運命がそこに働いたためなのか?
 ただ、その瞬間、その声がバドの耳に入ってきたことは確かなことだ。
 エミリオの声が告げる――、
「ムエルテ ボスケ!(死の森へ!)」
 そのひと言をおいて、バドとエミリオは巨大な光の球に包まれた。
 二人を包んだ光球はわずかなあいだ、空中で静止したあとに儚く砕け散ってしまう。光の球が砕け散ってしまったあとにはしかし、バドとエミリオの姿はもう そこにはなかった。



 3、妖精たちのお伽噺―アコーレとエルマール
 ふとしたことで蘇える記憶。頭の奥底に沈んでいた記憶が水面に浮かんできたとき、その記憶は赤い色をしていた。
 ひとつはレクエルドという国を一瞬にして滅ぼした赤炎の記憶。もうひとつは赤竜ニーズヘグという名の恐怖の記憶。
 あの日、突然現われた赤竜ニーズヘグの放ったブレスはバドの母国レクエルドを一瞬にして消し去った――母メリュジーヌとともに。
 バドにとってその記憶は自分の国と母親を同時に失ったという忌まわしき記憶だった。
 ……問題はその先だった。記憶の中でバドは赤竜ニーズヘグに追い立てられ、赤竜の黒く鋭い爪に襲われて
 ――そして、そこで記憶は途切れてしまう。

 まさかその記憶が。今から一万年前の記憶であることなど、バドは知るよしもなかった。

 なにかムチャクチャ時間がたったような、ほんの一度瞬きをしただけのような中途半端で真っ白な時間が過ぎたあと、気がついたらすでにそこにいた、という 感じだった。
「…………ここ、……どこ?」
 そこがどこかと言えば、そこは間違いなくどこかの森の中だった。しかも普通の木が茂り普通の草花が生えている、なんの変哲もないタダの森。
「え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと」
 なんでこんな森の中にいるんだろう?
 眉間に皴を寄せつつ、エミリオはなにゆえここにいるのかを熟考した。
 ――確か、“空渡りの魔術”でドンクオーヴの森に行ったはずなんだよなぁ。
 ということは、ここがそのドンクオーブの森なんだろう。
「…………」
 しかし、ここは悪名高きドンクオーヴの森とはあまりにかけ離れた場所だった。少なくとも、エミリオが思い描いていたドンクオーヴの森はもっとダークでデ ンジャラスなイメージだった。
 魔王があっちこっちにうようよしている森のはずだった。しかし、ここには魔王どころかモンスターの『モ』の字も見当たらない。
「ここって、ほんとにドンクオーヴ?」
「……う〜ん。どーだろ」
「うわっ!?」
 その声はいきなり耳もとに入ってきた。そういえばさっきから右肩になにかが乗っかっているような感じがあったのだが、
「……バド!? どこから出てきたの?」
「どこからって、……さっきからボクはずっとここにいたけど。そんなことより、エミリオ! 城のてっぺんから飛び降りたりなんかして、なにをしようとして たのさ! 危ないじゃないか!」
「? べつに危ないことなんてなんにもなかったよ?」
 バドの指摘にもきょとんとした表情で応えるエミリオ。いまだに魔法が使えないことに気付いていないエミリオだった。そして、そんなエミリオにウンザリ顔 なバドだった。
「それにしてもここってどこなんだろうね?」
「ここはドンクオーヴの森だよ!」
「おわっ!?」
 その声はいきなり空から降ってきた。そういえばさっきから頭のうえあたりになにかがいるような気がしていたが、
「――――――――って、どちらさま?」
「あたし? あたしの名前はアコーレ。この森に住んでる妖精よ!」
「わ、わたしは、……エルマールです」
 見上げるとそこには二人の妖精がいた。しかも彼女たちは野いちご摘みに行った帰りの、単なる通りすがりの妖精だった。

 妖精といえば、一般的には人を嫌い人間を拒んでなかなかその姿を人間の前には現わさないと言われている。なかにはブラウニーのような人間好きな妖精もい るがそれはごく一部の少数派で、そのうえそういった種族は町外れの丘や古代遺跡に住み着いていることが多い。
 森で妖精に出会うというのは、雨の日に三回連続で雷に打たれて生還するくらい奇跡的なことなのだ。
 ……もちろん、そんなことを知っているエミリオでもバドでもないわけで、
「えええっ!? エミリオって王子様なのっ!?」
「ヘヘーン、すごいでしょー」
「……ところで、あの、エミリオがマントみたいに纏ってる、そのベットのシーツはなんなの?」
「あっ、それそれ! ボクも聞こうと思ったんだ。それ、なんなの?」
「英雄のマントさ!」
『…………………………………………(一同絶句)』
 子供の特技とでもいうのだろうか、たいした時間も必要とせずに四人はすぐに打ち解けていた。
「ねぇ、ところでさ、ここってほんとうにドンクオーヴの森なの?」
「ん? そうだけど。どして?」
「ボクたちが知っているドンクオーヴの森とはぜんぜん違うんだよ。ドンクオーヴの森で言えば『死の森』っていわれるくらい危険な場所のはずなんだけど」
「……あっ、それは森の深い方のことですよ。森の真ん中くらいに大きな崖があって、それで、そこからこっち側はそんなに危険なところではないんです」
「ふーん」
 エルマールの言葉をうけてエミリオは改めて周囲の森を見渡した。鳥たちがささやき木々の間から降り注ぐ木漏れ日は目に眩しい。確かに危険そうな場所では ないが冒険を求めてここまで来たエミリオにとっては退屈な場所だった。
 さらにまわりを見回していって、
「……ねえ。あれって、木、だよね?」
 エミリオが指さした先は、木々の間から見える空。そのはるかな天空に見えたのはとてつもなく巨大な大樹だった。その大樹はあまりに巨大で、あまりに空の 彼方に見えているため、わずかに空色にかすんで見えるほどだった。
「…………スゲー。あんなでっかい木があるなんて」
「まあ、あの木を知っている人間なんてそうはいないでしょうねぇ。こんな森の中までくる人間なんて滅多にいないもの」
「あれ、なんていう木なの?」
 遥かかなたを仰ぎながらバドは誰にともなく問うた。
 エルマールが歌うようにしてそれに答える。
「神々が大地を支えるために植えたもうた大樹。世界の安定を保つ存在。世界の調律を見守りし存在なり。いわんや、その存在は世界そのものに同義。その存在 の名は“世界樹(ユグドラシル)”なりと謳われり」

 あたしたちあの木の根元に住んでるんだけど、どうする? なんなら一緒に行ってみない? そばで見るとあの木、ほんとバカみたいに大きいわよ。
 アコーレのこの申し出をエミリオもバドも寸分の躊躇も考慮もなく速攻で承諾した。――まあ、二人の性格を考えれば当然といえば当然のことだろう。
 しかし、この時、もしどちらかが気まぐれを起こして、「もう帰ろう」と言っていたら、おそらく、運命の歯車が回り出すことは、永遠になかっただろう。
 世界樹に向けて四人が歩き始める。……運命が静かに動き出した。

 この木には、古くからの言い伝えがあって、わたしたちの一族はこの木を見守るという役割を代々受け継いでいるんです。
 ――言い伝えってなに?
 その昔、このへん一帯は神聖なる大国によって統治されていたんだそうです。森に囲まれた豊かな国で長年栄えていたそうですが、ある時に起きた大火 によってその国は一夜にして滅んでしまいました。
 神々はその様子を苦渋の表情で見ていました。国を襲った大火はひとりの邪神族の手によって起こされていたからです。
 ――じゃしんぞく?
 “邪神の末裔(ロクレス)”にして死女神(ヘル)の娘、リリナという名の闇の女王です。リリナに召喚された赤竜・ニーズヘグのブレスによって国 は一瞬のうちに焼き払われた、と言うのが事の真相だったようです。
 ――それからそれから?
 ニーズヘグといえば、神をも退けるといわれるほど凶悪な魔竜です。神々としてもそれほど多くの手立てはなかったのでしょう。主神(アルファズル)は三 人の時の女神・ノルンを遣わして、リリナもろともニーズヘグを大樹へ と封印しました。……封印するしか方法がなかった、とも言えると思います。
 ――それが、
 それが、この“世界樹(ユグドラシル)”です。




時間を一気に一万年ほど遡ることにしよう。
聖竜王国レクエルドの最期の夜へ。




 上の方に目を向ければ、見事な満月があった。空を漂う雲は月の光に照らされほのかに輝き、その後ろでは幾千という星々の瞬きが世界を包んでいる。
 そんな夜空を1匹の白竜が飛んでいた。体の大きさから見ても、その白竜はまだ子供であろう。
 その子供の白竜の名をバドという。
 普通、竜の子供は生まれてから成竜(おとな)になるまで片時も母親のそばを離れることない。それはバドとて変わらないことだが、その同伴すべき母親は、 おそらく、もうこの世には……、

 グオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォオオォォォォッ

 夜の静けさを一掃するような強大な雄叫び。世界が震え、月が怯える。太陽さえその者の前に顔を出すことを恐れ、人々は朝が永遠に来ないことを絶望する。 それほどの、絶対的なものの咆哮が空間を支配した。
 振り向きたくなくとも振り向かざるをえない。バドは自分を追ってくるものの姿をはるか後方に見た。
 そこには赤がいた。赤という色の具現体がいた。
 金色のするどい眼光、開かれた凶悪な口には鋭い牙がならび、その体躯はバドとは比べものにならないほど大きく頑丈で、その鱗は夜空のもとでも闇に溶ける ことなく、なおも赤い色を誇示していた。
 バドを追ってくる者の名を赤竜ニーズヘグという。――獣のなかの獣、竜のなかの竜。その姿を目にすれば神すら怯み、その名を口にすれば悪魔たちは低頭す るといわれる魔竜。
 この世のすべてを消去する力を持つもの。殲滅の赤き竜、ニーズヘグ。
 逃げられるはずもない。その姿を目の前にして、すべての生物はあらゆる希望を打ち消される。この状況で、バドにはすでに米粒ほどの希望も残されてはいな かった。
 現に、ひとつの希望がすでに消滅していた。
 それは、満天の星空の下に広がっているもうひとつの赤。
 それは、地平線の先まで一面に広がっている炎の赤。
 数刻前までそこには確かに国が存在していた。ニーズヘグの放った炎は一瞬にして、まさしく一瞬にしてひとつの国を飲み込んだ。――それが、バドの産まれ 育った国、レクエルドのあまりにあっけない最期の姿となった。
 こんな状況下で、バドが生き残ったというのは奇跡だったとしか言いようがない。しかし、その奇跡さえも絶対的な力の前ではまるで無意味だった。
 さっきまであれほど離れていた赤竜との距離が、すでに相手の鼻息が掛かるほどの距離になっていた。
 ニーズヘグはバドのそばまで来て一気に飛行速度を落とし、バドの周りを回るようにして飛びはじめ、時折その大きな翼でバドの飛行を妨害しようとする。
 ――弄ばれている。
 そう感じた瞬間、バドの心を支配していた恐怖が怒りへと変わった。
「子供だと思ってバカにするな! ボクだっていっぱしの聖竜(セイクリッド)なんだぞ!!」
 ……怒りに勇気とプライドをかけても絶望が取り払われることはなかった。
 それどころか、時としてプライドはその者の死を早める呪詛になりはて、勇気という文字は無謀という文字に置き換わってしまう。そこに未来はない。
 赤い鱗には傷ひとつ付きはしなかったが、バドの思わぬ反撃を受けてニーズヘグは激怒した。
 赤竜は凶暴なカギ爪を振り上げ、バドに襲いかかった。その一撃は避けようがなくバドにとって致命的な一撃になった、……はずだった。
 しかし、
「!?」
 その瞬間、バドのまわりの空間が突然歪み、バドを包み込んだ。
「な、なにこれ!?」
 空間と同様にバドの姿も歪んで小さくなっていく。歪曲が限界に達し、やがて空間が正常に戻ったときバドの姿はすでにそこにはなかった。

「…………スクルドめ、聖竜の幼子を未来へと隠しおったな」
 レクエルドの大地を焦がす灼熱の炎の中、闇の女王リリナはメリュジーヌの死体に向かって独り言のようにつぶやいた。
 その顔には、メリュジーヌに対峙していた時よりもさらに危険な微笑を浮かべている。――と、その背後にひとりの女神が降り立った。
 自分の背後に降り立った女神に、しかしリリナは振り向かず、わずかに顔をあげただけだった。
 そのまま、虚空に向かって話し続ける。
「それにしても、見くびられたものだな。おぬしのような下級女神を送り込んだだけで、アルファズルはこの状況がなんとかなると考えているのか?」
 そこまで話して、リリナは後ろを振り返った。そこには白い衣を纏い、腰まである髪を夜風になびかせて、現世を司る女神――現世女神(ベルザン ディ)が静かに立っていた。
 ベルザンディが凛とした厳しい表情で睨むようにリリナを見つめている。その厳しいまなざしを流すようにして、リリナは明るい口調で続ける。
「ひさしぶりだな、ベルザンディよ」
「気安く呼ばないで。私は邪神と友達になった憶えはないわ」
「相変わらずの堅物ぶりだな、ベルザンディ。……まあよい」
 闇の女王は一変して厳しい表情になる。先程までとはうってかわって鋭い声でリリナは言い放つ。
「聖竜の子供をどこに隠した? ……答えろ、ベルザンディ」
「……これ以上、あなたたちの思い通りにさせるわけにはいきません」
 その刹那、リリナは虚空から産み出した闇の剣を走らせ、ベルザンディに斬りかかった。ベルザンディはそれを紙一重で避け、距離をおいた。そこへ、

 グオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォオオォォォォッ

 ニーズヘグが上空からベルザンディに襲いかかって来た。ニーズヘグはベルザンディにむけて黒いカギ爪を振り下ろす。そのカギ爪はいかなる装甲も貫き、 ニーズヘグの赤き鱗は自らのカギ爪さえ通さないと言われている。それはいかなる武器防具をもってしても同じである。そこに矛盾は存在しない。
 ニーズヘグの一閃は地面をえぐり、爆音とともに壮大に土煙を蹴立てたが、すでにベルザンディの姿はそこにはなかった。
 音もなく地面に降り立ち、ベルザンディは土煙のなかから姿を現したリリナとニーズヘグに再び対峙する。
「……天馬の衣。なるほど、無策のまま来ているというわけではないようだな。しかし、そんなものを着込んだからといってどうなる? 攻撃を避けているだけ では勝ち目はなかろう。所詮、おぬしのような下級女神ではニーズヘグどころか妾(わらわ)にも勝てぬわ」
「それでも、わたしたちは守り続けます。世界の最後の希望、“聖竜剣士(ドラゴニックパラディン)”の伝説を絶やすわけにはいかないから」
「フン、たわごとをぬかしおって、希望と言うがなんのための希望だ?」
「…………蒼魔狼(フェンリル)を倒し得る最後の希望、」
「ぬかせ! それはすなわち神々が自らの地位を固持せんがための身勝手な希望ではないか! そもそも我々邪神族がなにゆえ神族からの迫害を受けねばならぬ か!? 天界の玉座を狙わんとするためか? ならば問おうではないか!! 巨人ユミルを倒し天界の玉座を奪い取ったのは主神アルファズルではなかった か!?  ならば、ぬしらの父も我らと同罪ではないか!? 真に悪しきはぬしらの父ぞ!!」
「我らが父を侮辱することは許しません!」
 ベルザンディは手のひらに光の球を生み出した。放たれた光球は空間を切り裂き、闇の女王に迫る。しかし、ニーズヘグが庇うように伸ばした翼によって光球 はあっけなく弾かれてしまった。
「……そんなチャチな攻撃でなんとかなると思うたか! 和解の道も妥協も見出せぬなら、消え去れベルザンディ!」
 リリナが手のひらに生み出した闇の槍は瞬時にしてベルザンディを捉えていた。
 鈍い音とともに闇の槍はベルザンディの胸部をまっすぐに貫き、そのまま女神の身体を貫通して再び闇へと溶けていった。
「うぐっ」
 胸元にこぶし大の穴を穿たれ、ベルザンディはそのまま地面に倒れ、なかった。
「…………」
 ベルザンディは一瞬表情を歪めただけで、後はなにごともなかったように平然と立ち続けている。
「――お、おぬし。なぜ立ち続けていられるんだ。……なぜ、死なない?」
 リリナの驚きようは尋常ではなかった。それもそのはず、闇の槍を胸に受け、顔色ひとつ変えないベルザンディの姿は――それがたとえ女神だったとしても、 それはあまりに異常な光景だった。神とて胸に穴を穿たれては生きてはいられない、それが自然の摂理なのだから。
 それなのにベルザンディは、やはり顔色ひとつ変えることなく、静かに語る。
「我々の目的は初めからあなたと、そこにいるニーズヘグを止めることです。……たとえ、誰かの命を引き換えにしても」
「なにを、言って、いるんだ?」
 狼狽するリリナを目の前にして、ベルザンディは優美な動作で右手をリリナとニーズヘグのほうへと伸ばした。その伸ばされた手がにわかに土色がかっている ことにリリナはすぐに気付いた。
「その手は?」
 それは、いままでのキメの細かい肌とは比べ物にならないほど荒れ果て、まるで何年も日の光に晒され続けたかのように黒くなっていた。そのベルザンディの 手は、一見するとふし別れして偶然手の形になった木の枝のように見えた。
「わたしたちノルンではあなたたちを倒せないのは事実。しかし、手を尽くせばあなたたちを永遠に封印することはできる。その答えが」
「…………世界樹、ユグドラシル!!」
 リリナには、なにが起きたのかもわからなかったことだろう。気付いた時には、ベルザンディの樹化した手は一気に成長し、複雑に絡まってリリナとともに ニーズヘグの自由すら奪っていた。
「バ、カな! ユグドラシルの種子を飲み、自らの体に植えつけようとは! し、しかし、ユグドラシルは太古の昔、神々の黄昏(ラグナレク)のさいにすべ て焼き払われ灰となったはずだ! しゅ、種子すら残ってはいないはずなのに、なぜその種子を持っている!?」
「私の姉、ウルドは過去の時間を司る女神。世界樹の種子をひとつ見つけてくることくらいは簡単でした。しかし、過去に失われたものを現在に持ち出すことは 時の秩序を乱すことになる」
「…………ならば」
 ならばなぜ? というリリナの問いにベルザンディは涼しい顔で答えた。
「今回は特例中の特例です」
「…………くそっ! やはり神族は、自らの利得のためにしか動かないではないかベルザンディ!! ……おぬしも、自らの身体を糧とし、命をなげうってまで 我らを止めようなどとは。所詮、おぬしはヤツらの犬ぞ!!」
「なんとでも言いなさい。わたしたちは、ただ、主神の意志に付き従うのみ」
 ベルザンディはゆっくりと右手を上げていく。リリナとニーズヘグの体はなんなく持ち上がり、ベルザンディの身体中から伸びる木の枝はリリナとニーズヘグ をさらに拘束していく。
 そして、
「生気に飢えし世界樹よ、我が身体を糧に大樹となりて世界に屹立せんことを汝に願う! 悪しきものの痕跡すら残すことなく、ただ永遠に彼らを封印したま え!」
 ベルザンディの足もとに二重の魔法陣が描かれる。その魔法陣のまわりにはすでに草花が芽生えはじめ、
「聖封樹域!(セリス シルヴァ!)」
 その声とともに、ベルザンディの体は瞬時に雲を突き抜けるほどの大樹へと変貌し、リリナとニーズヘグはその世界樹の樹中にすっぽりと埋もれてしまった。
 そして、屹立した世界樹を取り囲むようにして、無数の木々が地面に生えていく。樹木たちはニーズヘグによって真紅の炎に染められた大地をすべて緑一色に 塗りかえていき、もともとレクエルドが存在していた場所には広大な森が広がっていた。その森はベルザンディの言葉どおり、なんの痕跡も残さず、まるで世界 が始まったときからそこはすでに森であったかのように振舞い始めた。





「この森はそうして、一万年前に突然その姿を現したのだそうです。……でも、これは妖精たちの間で伝わっているお伽噺に過ぎないんですけどね」
 真実を知らぬエルマールは話し終えてからにっこり笑って見せた。



 4、聖竜剣士―エイオン
 時刻はまだ朝の第五時。宿直室の窓から見える空はようやく白みがかってきてはいたが空にはまだ星が輝いている。
「ところで、エイオンさんはなんで警邏兵(ガーディアン)なんかやってるんですか?」
 いまだに暗い部屋の中、オイルランプを前に巡邏報告書を書くエイオンに新入りの兵士が話しかけてきた。
 それに対してエイオンは、報告書を書く手を休めることなく短く答えた。
「……これは、俺が自分で言ったことなんだ」
 宿直室は他の部屋と比べて極端に小さいが、それでも大人がニ・三人は楽に泊まれる広さがある。部屋のなかには机がひとつに椅子がニ脚、ベッドがひとつ あって通常二人がかりで宿直当番に当たるようになっている。
 本日の警邏担当は新人研修を含めて、エイオンと新入りの青年の二人が当たっていた。
「自分で言ったって、……じゃあ自分から志願してガーディアンなんかになったんすか? また、なんで?」
 なにげなく発した新入り君の疑問。それは今まで多くの人がエイオンに投げ掛けてきた疑問であった。しかし、ことあるごとに受ける疑問に対してエイオンは 決まってこう答えてきた。
「気まぐれさ」
 んなわきゃねーだろ? というのが大体の人の反応だ。だが、疑問に対してエイオン本人が見せる、あからさまに言いづらそうな表情に「なにか人には言えな い事情があるのだろう」と思ってそれ以上の追究をしない人がほとんどだった。
 しかし、
「なんですか、気まぐれって?」
 新入り君が見ていたのは報告書を書くエイオンの背中であり、言いづらそうな表情を見られる位置にはいなかった。
「……でも、なんか夢みたいだなぁ。『竜殺し(ドラグリップ)』と言われたあのエイオン=ルスターと一緒に働けるなんて」
「おいおい。ドラグリップは止めてくれよ。……それに」
 ――それに、竜殺しはあの日死んだんだ。
「でも! 俺らの年代からすれば『竜殺し(ドラグリップ)』は憧れの的なんですよ! それどころか“エイオン=ルスター”って名前は今でも伝説的な 名前ですよ。その名前を聞くだけで大抵のモンスターは逃げ出し、ドラゴンさえ怯えて姿を見せないと言われる希代の英雄。そのエイオン=ルスターと同じ職場 だなんて、感激っすよ!」
 そう言いながら遠い目をしちゃっている新入り君を尻目に、エイオンは淡々と報告書を書き続ける。そこに綴られる報告書の文字は先程より幾分インクのにじ みが大きくなっている。明かにエイオンの手に力が入り、筆圧が強くなっていた。
 ――『竜殺し(ドラグリップ)』か。
 報告書を書く手を止め、ランプの光を目にしながら物思いにふける。
 ――そんなふうに呼ばれていた頃もあったっけなぁ。あの頃は……。
 あれが若さゆえの過ちだったとは思いたくない。あれが若かったための過ちなら、『自分に憧れている』と話した新入り君やまわりの若者たちがやがては自分 のような行動をとることになってしまう。
 若いというただそれだけで。
 エイオンとしてはそれだけは認めたくはなかった。
「…………」
 しかし、実際自分は若かったんだろうな、ともエイオンは思う。
 ――恐いものなんてなにもなかった。だからこそ“聖竜剣士(ドラゴニックパラディン)”の伝説にもあんなに夢中になれた。
 そこあったのはただ、強くなりたいという意志だけだった。死ぬことが、それに準ずる恐怖がどのようなものであるかなど考えもしなかった。ただただ強さを 求めて……。
 そして『竜殺し(ドラグリップ)』という“汚名”を着ることになる。少なくともエイオンにとってそのあだ名は“汚名”でしかなかった。

 エイオンが初めて“聖竜剣士(ドラゴニックパラディン)”の伝説に魅入られたのは、それはもう、十年以上前の話になる。
 当時、十六歳だったエイオンは剣士育成学校の生徒だった。もうその頃から、エイオンは剣術の非凡な才能をまわりに見せ付けていた。
 彼の強さはすでに学校の上級生でも及ばず、講師でさえ負かすほどだった。
 彼の強さを誰もが認めた。老若男女、老いも若きも彼の強さを讃えた。
 しかし、そんな状況においてもエイオンは自らに自惚れることなく、強さへの追求をやめようとはしなかった。
 エイオンは武勇の偉人たちが残した秘書・秘伝を読みあさり、様々な神技剣術を習得した。それでも物足りず、真偽が不確かな眉唾ものの噂や神話・伝説など にまで手を出し始めた。
 そして、“聖竜剣士(ドラゴニックパラディン)”の伝説に行き着く。
『その者、ドラゴンの血を纏い、ドラゴンの肉を鎧て無双なる力を得たり。その力、大地を裂き、海を裂き、天空を裂く力なり。世が闇に満ちればその力は世に 光を導き、世が光に満ちればその力は世に闇を生み出す。即ちその力は中立を奏でる存在なりき。その力は“律”すらをも超越せり。その者の名は聖竜剣士。』
 伝説を伝える古びた書にはそのように記されていた。
 古書を読み終えてまずエイオンの脳裏をよぎったのは、ドラゴンの血を浴びて不死身の身体を得たといわれ、『竜殺し』と謳われた希代の英雄ジークフリート の事だった。エイオンにはジークフリートと聖竜剣士の伝説はあまりに似通って見えたのだった。
 ただし、ジークフリートが聖竜剣士だったという証拠はなにひとつ残っていない。それに聖竜剣士の伝説同様、『不死身のジークフリート』の話も非常に信憑 性の薄いものだった。
 それでも、エイオンは『不死身のジークフリート』の物語を実践してしまう。エイオンの物語は夏の夕立のように突然始まり、わずか三年でその幕を下ろすこ とになる。その最後の一日をここに記そう。




「雨、か。このところよく降る」
 山越えをしている途中で突然降り出してきた雨。偶然見つけた洞窟で雨宿りをしていたときに、その声は唐突にかけられた。洞窟の奥から聞こえてきた声に、 エイオンは警戒しながら振り返る。
 そこにいたのはカンヘル竜という、人間とドラゴンのハーフだった。
 見た目、エイオンよりも若く少女といって充分通じるだろうが、なにせ人外のことだ。実際のところはわからない。
 カンヘル竜の少女は妙に大人びた感じで突然こう切り出した。
「そうか。おまえが世に有名な『竜殺し(ドラグリップ)』だな? おまえ、ドラゴンにずいぶんと仇なことをしているらしいな」
「……なんで俺のこと、竜殺しだとわかったんだ?」
「臭いだ。おまえの体からはドラゴンたちの血の臭いがプンプンと臭ってくる」
 少女は話しながら薄笑いを浮かべた。その薄笑いはどこか不気味なものがあり、エイオンは思わず半歩ひいてしまった。
 ――俺が、こんなお嬢ちゃんに、ビビッてんのか? 冗談じゃねーよなぁ。
 エイオンは引け気味の腰をもとに戻す。カンヘル竜の少女は相変わらずこちらを見つめるばかりだった。
「どうする、竜殺し? 雨宿りのついでに私のことも殺してみるか? カンヘル竜なんかとは滅多に会えないだろう?」
「……そう、だな。そうさせてもらおうか」
 エイオンは腰に帯びた剣に手をやった。鞘からは抜かず、そのまま姿勢を低く落とし、意識を目の前のカンヘル竜一点に絞る。相手の行動を待ってカウンター を狙う、受けの構えを取った。
 しかし、少女の方はなんの構えも見せずに、ただ平然と立ちつくし、そして、
「――そうか、ならば遠慮はいらないな」
 わずかに手を上げ、虚空になにか文字を書くように手を振るっただけだった。
「…………なにをした?」
「たいしたことじゃないさ。それより、ひとつ忠告しておくぞ竜殺し。私も含めて、これ以上、ドラゴンを殺そうとは思わないことだ」
「……それは、遠まわしな命乞いということかな?」
「そのようにとりたければそれでもいい。もっとも、おまえなんかに命乞いするほど私は弱くはないけどな」
 そのひと言が妙に癇にさわった。今まで希薄だったエイオンの殺気は怒気とともに濃さを増し、目の前の少女へと向けられる。軽く触れるだけだった手が剣を 強く握り締め、神速の抜剣から横薙ぎの一閃を、
「!?」
 放つ前にエイオンは異変に気付いた。それは剣を握った手の、皮手袋の中に生じた違和感だった。そして、それをきっかけに身体中に違和感が広がっていく。 まるで大量の汗をかいた時のように、身体中にヌメり気のある液体がまとわりつく。
 そして、そのヌメり気のある液体は、袖口から溢れてきた時、赤い色をしていた。
 それは紛れもなく血の赤だった。エイオンの体のあちらこちらから血があふれ出し、止めどなく流れ出していく。
「怨みが募ると恐ろしいな。おまえの体に染み付いていた血はどれも、とてつもない怨みを募らせていたぞ」
「……な、んだよ、これ。なん、……なんなんだよ!?」
 狼狽至極のエイオンに対して、少女はやはり不気味な笑みを保ったまま、
「ちょっとした細工をしただけさ。さっき言ったとおりだよ。おまえはもうドラゴンを殺すことはできない。竜族に殺意をもった瞬間、おまえの体に染みつ いたドラゴンの血がおまえの身体を切り刻み始める。いま私がやったのはおまえの体にその呪いの刻印を刻むこと」
 少女が話している間もエイオンの体の出血は止まらない。それどころか、流れ出す血の量は増えつつあった。
「……うぅ、ああぁぁあ」
 なかでも首筋にできた傷は深く、それは後々までエイオンの首筋にあとを残す傷となった。
 おそるおそる首の辺りに手を回す。軽く拭っただけだというのに、手にはべっとりと血がこびりついていた。拭っても拭っても絶え間なく血は流れ出し、首筋 を手で押さえようとも出血が止まることはなく、足もとには真紅の血だまりが広がって、
「ああぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
 雨降りな山奥の洞窟の中、エイオンの絶叫が響き渡った。





 オイルランプを前にエイオンは報告書を書き続ける。その首にはそれが当たり前のようにして包帯が巻かれていた。
 その包帯のしたには、ドラゴンの血の呪いによって刻まれた深い傷跡が隠れている。
 まさか、その包帯こそが、エイオンが戦うことを恐れるようになり、警邏兵などという似つかわしくない兵役についている真の理由であるなどと知るものは、 まだひとりもいなかった。



 5、追跡!―シェイティア
 初めての研修で疲れていたのか? それにしても、先輩を差し置いてさきにベッドに潜り込んでしまうのはいかがなものだろうか?
 警邏報告書をハイゲル大臣のもとに提出し、戻ってきてみれば新入り君はすでに夢の中だった。
 しかたなく、とりあえず彼を起こさないように部屋のまわりを片付けはじめる。
 しばらくして、ドアの向こう側にバドとシェイティアが来ているのに気付いた。部屋の前まで来てなにか二人で話しているようだった。しかし、いつもなら 「なにか用か?」と声をかけていただろうけれどいまは放っておくことにした。なにより徹夜の宿直のあとでとにかく休みたかった。
 しかし、ノックもなしにいきなり『バスコーン!』とドアは開けられ、いきなり掛けられた言葉は、
「ねぇエイオン、暇あるかな? よかったら稽古つけてもらいたいんだけど」
 片づけを終え、徹夜明けのひと眠りをしようとしていたエイオンの顔は、シェイティアの眠たそうな声を受けてかなりウンザリした顔になっていた。

 場所は変わって、普段は兵士たちが訓練所として使っている城内の闘技場。年に一度、武闘大会の開かれるその円形闘技場に前年度の武闘大会の優勝者と準優 勝者がいた。その名をエイオン=ルスター、シェイティア=エレシアという。
 ちなみに、エイオンが優勝でシェイティアが準優勝である。
 いつもなら訓練をする兵士たちでごった返すこの闘技場も、まだ朝も早いということもあってか、いまここにいるのはエイオンたち二人だけだった。
 もっとも、いまここに誰かが来たとしてもすぐに逃げ出してしまったことであろう。なぜなら、
「我呼び覚ます、雷の大蛇!」
 シェイティアが虚空に描いた光の魔法陣からは、まるで大蛇のようにのたくる雷が生まれ出て、まっすぐエイオンに襲いかかってきた。
 それに対してエイオンは、雷を意に介すことなくシェイティアに向かって突っ込んでいく。雷を目前まで引き寄せ真横へわずかに跳躍、たったそれだけのこと でエイオンはなんなく雷を躱しさらにミリアへと迫る。
 そして、横の一閃。
 しかし、エイオンの剣は空を切る。シェイティアの姿はすでにそこにはなかった。エイオンは空気の微かな流動から瞬時にしてシェイティアの位置を自分の背 後に見据え、“勘”で態勢を低く落とす。そのわずか数ミリ上をシェイティアの大鎌が通過。続けざま、エイオンは後ろ向きのままシェイティアの足を狙って蹴 りをかます。今度は確かな手ごたえを感じた。振り向きざま、体の回転を利用した強烈な剣撃を見舞う。驚くべきことに、シェイティアはこのエイオンの必中の 一撃を態勢を崩しながらも、空中で身体をひねって避けきってしまう。そのうえカウンター気味の反撃まで返してきた。しかし、その予想し得なかった反撃さえ エイオンはバックステップで躱してしまう。そのまま後退し、いったんシェイティアとの距離をおく。
 そこで繰り広げられているのは常人では及びもつかぬような死闘だった。しかもその死闘ですら、やってる本人たちにとっては“ただの稽古”なのだから一般 兵にはたまったものではない。
 それにしても、とエイオンは思う。
 ――相変わらずやりづれぇなコイツ。やたら厄介だ。
 それがエイオンのシェイティアに対する一応の評価だった。
 まずなにが厄介かと聞かれれば、大鎌という武器がやたら厄介だった。
 この鎌という武器は形の特性上、『攻撃を受け止める』というのが非常に困難で、避けるか相手より先に剣撃をぶち込むしか対処法がない。しかし、素早さで はわずかに劣るエイオンにとって後者の選択は命取りになる。結果的に避け続けるしかないのだ。
 また、シェイティアの戦いの型(スタイル)もかなり厄介である。彼女の型をあえて言い表すなら『ムチャクチャ型』だろうか。さっきの空中で体をひねって 剣を避けるというのもそうだが、彼女の戦い方は子供が棒きれを振り回すがごとく滅茶苦茶で、それゆえ行動パターンがまるで読めないのだ。さらに、戦いの場 においてまでのほほんとしている彼女の性格も彼女の行動を予測しづらいものにしていた。
 ――まあ、尖兵隊隊長もダテじゃねえよな。
 それを言い出したら、警邏兵にして尖兵隊隊長を負かしてしまうおまえはどうなんだ? と事情を知るものならぼやくことだろう。
 ――それはそうと、あの悪い癖は直ってるか?
 剣を構えなおし、エイオンは再びシェイティアに迫った。しかし、その構えは上半身と下半身がちぐはぐで、まるで隙だらけな態勢をさらしていた。
 それを見て取ったシェイティアは、
「我吹き掛ける、風の咆哮!」
 再び魔法陣を描き出し、爆風を叩きつけてエイオンの突進を押し止めた。
 逆にシェイティアの方は自らが生み出した強風に乗ってエイオンとの距離を一気に詰める。エイオンの態勢は強風によって崩されたままで、いまだに隙も開 きっぱなしだった。その隙に向けて、シェイティアの必殺の一撃が、
「ぐぅっ!」
 呻き声を上げたのはシェイティアのほうだった。
 シェイティアの一撃が入る前に、エイオンは剣の柄の先端をシェイティアのわき腹深くに叩き込んでいた。

「前にも言ったけど、おまえの悪い癖は相手の隙に対してちょっと敏感すぎる事だ。そのうえ、相手の隙を見つけた時にまっすぐに突っ込みすぎる」
「そんなこと言ったって、あれだけあからさまな隙ができたら誰だって突っ込みたくなっちゃうよ。だいたい、あんな態勢から脇腹討ちを入れてくるのなんかエ イオンくらいだと思うけど」
「それでも。相手の見せる隙なんて十中八九はトラップなんだから、もうちょっと用心深くなった方がいい」
 稽古をひと通り終えてお互いの欠点を話し合うエイオンとシェイティア。しかし、出てくるのはシェイティアに対する注意点ばかりだった。
「それにまだ無駄な動きが多いぞ。その分、体力の消耗も早い」
 いや、それはどうだろう。確かにシェイティアばかりが額に汗をかき、息も乱れていて体力消耗の多さを窺わせてはいる。しかし、一時間ものあいだ延々と戦 い続けて息ひとつ乱していないエイオンの方が異常なんじゃないだろうか?
 注意を受けながらも内心納得のいかないシェイティアだった。
「それでもまあ、ずいぶんと強くなったよ。持ち味の“やりづらさ”にも磨きがかかって、」
 そこでエイオンは誰かが円形闘技場に入ってくる気配を感じてそちらに目を向けた。
 一方シェイティアは朝食はどうしようかと考えを巡らしながら明後日の方向に目を向けた。
 闘技場に入ってくるものはひどく慌てているようだった。
 朝食は最寄の食堂で手を打つ段取りがついたようだった。
 闘技場に入ってくるのはどうやらハイゲル大臣のようだった。
 食堂のAランチは今日は確か半額サービスになるはずだった。
「おお、エイオン殿! つかぬことをお尋ねするがエミリオ様を見かけませんでしたか?」
「やっぱりAランチかなぁ〜。あそこの魚の煮付けはやっぱ朝は欠かせないんだよねぇ〜」
「……どうしたの?」
「実は、エミリオ様とバド殿の姿がどこにも見当たらないのです! いま城にいるものたちに探させているのですが」
「ねぇ、エイオンなら『もみじ食堂』のAとB、どっち取る? わたしはAだけどでもBも捨てがたいと思わない?」
「…………」
 今日は忙しい一日になりそうだ。とエイオンは思うのだった。

「そういえば、あそこ。さっきからすごく気になってたんだけど」
 そういってシェイティアが指し示したのは城の中でいちばん高い尖塔の中腹付近だった。
 エイオンが見た限り、シェイティアが指差した先には雲がぷかぷか浮いているだけ。
「なにかあるのか?」
「うん。ちょっとした事なんだけどね。あのあたりに魔跡があるのよ」
「……ませき?」
「うん」
 シェイティアの説明では、魔跡というのは空気中に存在しているエーテル値の不自然な減少現象によってわかるもので、もともと自然界に漂っているエーテル は自然な状態にあるならなんらかの循環異常が働かない限り均衡状態を保つはずで……云々……ということらしいが、エイオンには「魔法を使ったあとのなんら かの痕跡」が魔跡というものだ、という事しかわからなかった。
 ちなみに、シェイティアが統率する尖兵隊は戦場では敵陣の偵察任務につくことがある。だから、魔跡を察知するというのは非常に専門的な知識を要すること だが、それくらいのことができないようでは尖兵隊の隊長は務まらない、というのもまた事実である。
「それで、どんな感じなんだ?」
「うぅ〜ん、……たぶん、移動系の魔法、だと思う。出発点から糸を引いたように魔跡が続いてるし、……たぶん、この魔法に乗って王子とバド君、飛んでいっ ちゃったんだと思う、……たぶん」
「…………なんか、めちゃくちゃ自信なさそうだな」
「だって、納得いかないよ。たぶんバド君が使ったんだと思うけど、使われた魔法がすごい強力なんだよ。……たぶん、古代魔術(アンティグア)のひとつ」
「アンティグア!?」
 人々は大抵、魔跡は知らなくても古代魔術は知っている。そして、古代魔術があまりに強力すぎて大昔に封印された禁術(タブー)であることも。
「――マジかよ。……だってよぉ。正式な記録でももう二千年も前にはその類いの魔術書はぜんぶ焼き払われているんだぜ。なにをするにしたって手引きのひと つは必要だろ? それ、なんかの間違いじゃねぇか?」
「うーん。でも、ただの移動魔法でこれだけハッキリした魔跡を残すのなんて他に考えられないよ。そうでなきゃ、あんなとこの魔跡に気付くことなんてなかっ たと思うもの」
 戦いにおいてまでのほほんとしているシェイティア。そんな彼女の怪訝そうな表情をエイオンははじめて見た気がする。それほど事は重大なのだろうか。
「……ま、とにかくだ。その魔跡をたどって行けばなにか答えが出てくるだろ」
「行ってみるっきゃない、ってこと?」
「そういう事だ。……っていうか、二人のこと追えるか?」
「それは問題ないよ。もうだいたいの行き先は見当ついてるから。行っとく?」
「ああ、たのむ」
 そこに恐ろしく得体の知れないなにかが横たわっていることは確かなことだ。その先にあるなにかを恐れて、ここでまわれ右をした方が身のためなのかも知れ ない。しかし、ここで引き返して逃げ出してしまったら、そこにあるなにかがなんであるかを確かめることは永遠に出来ないだろう。それならば、その先にどん な危険が予測されようとも、
「それじゃ、行くよ」
 シェイティアの声がエイオンの決意を促がす。エイオンは軽く頷いてそれに応えた。
「我駆け抜ける、空の回廊!」
 見えない軌跡を残して、二人は天空へと舞い上がった。



 6、生ける伝説―ドラゴニック・パラディン
 ほくそ笑むものの名を闇の女王リリナという。―― 一万年もの間、世界樹に囚われしものである。
「ベルザンディよ。『永遠に封印する』と主は言ったが、永遠などというものがこの世にあると思うか?」
 ほくそ笑むものの名を闇の女王リリナという。―― いま、一万年ぶりに覚醒せんとするものである。

「しかしなんだ。ここがドンクオーヴの森とは信じられないなぁ」
 周辺の様子を窺いながらエイオンはぼやいた。それに対してシェイティアは、
「うん。ほとんどの人は知らないと思うけど、ドンクオーヴの森って半分くらいはこんな感じの静かな森なのよ。森の真ん中あたりに大きな崖がうわぁ」
「うわぁ?」
 一瞬あくびでもしたのかと思った。
 しかし、シェイティアの『ほへー』となった顔を見てエイオンは、
「なに驚いてんだ?」
「あれ」
 シェイティアの指が空へと向けられている。その指をたどって空へと目を移すと、
「うおー、でけぇ木だな。なんだあれ?」
「さぁ、わかんない」
 そして、珍しくもシェイティアの中でひらめきのようなものが働いた。
「もしさあ、王子とバド君があの木を目にしたらやっぱり」
「……あー、行くだろうなぁ。……とりあえず行ってみるか」
 その大きさに圧倒されながらも二人は大樹を目指して歩き始める。
 近いと思っていた大樹までは意外と距離があった。エイオンが色とりどりの下草を蹴散らし絡まる蔓植物をかきわけ、シェイティアは突き出た石に蹴躓き木の 太い根っこに蹴躓き、木々の連なりがとぎれ、いきなり開けた場所に出たとき二人の目に入ってきたのは『世界樹』と呼ばれる巨大な樹と、その下にたたずむバ ドとエミリオの姿だった。――アコーレとエルマールの姿は遠く小さくて見えなかった。
「おうじーーーーーっ! バドくーーーーーんっ!」
 シェイティアが手をヒラヒラ振りながらバドとエミリオのもとへと駆け出す。向こうも向こうで、シェイティアの声に気付いたようにエミリオがこっちに向 かって手を振っている。
 シェイティアを追うようにエイオンも世界樹のもとまで行こうと歩き出して、
「?」
 空から降ってきたものに目がとまった。それは、
 ――枯れ葉?
 とんでもない違和感を感じた。いま季節は夏の入り口であり新緑の時期であり命満つる季節である。そんな季節に枯れ葉とは……。
 それにいま立っている所の頭上には木などない――いや、あった。
 遥か遥か上空。世界樹が広く伸ばしたとても太い枝が見える。そこに茂っているのは新緑の葉っぱたち。しかし、その緑色は端から褐色へとみるみるうちに変 わっていく。死に至った葉っぱたちは次から次へと舞い落ちてきて、
「みんな逃げてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
 バドの悲痛な叫びは突然響いた。

 それを五年と見るか、あるいは一万年と見るか、はたまた一瞬の出来事と見るかはその立場によって違うだろう。しかし、その身に聖竜剣士の伝説を宿した白 竜・バドと、その伝説を消し去ろうと目論む闇の女王リリナと、すべてを破壊する力を持つ赤き竜・ニーズヘグはいま、再びここに合間見えることとなった。

 長き封印から解かれたニーズヘグがいきなり吐き出したブレスはエミリオとバドとエルマールとアコーレとシェイティアとエイオンの背後にあった広大な森を 一瞬にして焼き尽くした。
 巻き上がる炎は白雲棚引く青い空を赤黒く焦がし、とどろく轟音は否応なく大地を震撼し、吹き荒れる爆風はすべてのものを薙ぎ倒した。
 甲冑を纏ったエイオンでさえ身体が浮くような感覚を感じる突風の中、エルマールとアコーレはひとたまりもなく吹き飛ばされ、エミリオも立っていられずに 地面に倒された。シェイティアとエイオンは翻弄されながらもなんとか態勢を崩すだけにとどまったが、そんな中、バドは風の奔流に一人背を向け、必至に踏ん 張りながらただ一点を見つめていた。
 そこには、世界樹に封印されていた、第三の者がいた。その存在に、リリナやニーズヘグさえ気付いていなかったことだろう。
 一万年前のあの日、ベルザンディが世界樹となって封じたのは闇の女王リリナと赤き竜ニーズヘグと、

 リリナの足もとに転がっていたバドの母親――メシュジーヌの亡骸。




『 は や く、 い き な さ い 』
 バドの脳裏に記憶がよみがえる。
『 い き な さ い。 あ な た は、 い き て 』
 バドの脳裏に言葉がよみがえる。それは紛れもなく、あの優しい母から聞いた言葉。優しい母から聞いた、最期の言葉。
 母の優しさは最期の瞬間まで変わらなかった。自分をかばってニーズヘグのブレスを背に受けて、声を出すのも辛いはずなのに、
『 つ よ く、 い き て ね 』
 母は、最期まで、微笑んでいた。
 記憶とともに冷たい涙がバドの頬を流れていった。






「幸運の女神とやらは、どうやら我らに味方しているようだぞベルザンディ」
 世の中にこれ以上愉快なことがあるかと言わんばかりの笑みを浮かべてリリナはひとりつぶやいた。一万年前に取り逃し探し出すのももう不可能だと思ってい た獲物が、世界樹の封印が解けたと同時に目の前に現われたのだ。しかも向こうからのこのこ出向いてくれた。リリナを封じさらにバドを未来へと匿うという二 重の手を講じたのが完全に裏目に出ている。こんな事態をノルンやアルファズルはまるで予想していなかったに違いない。
 いま対峙しているのは目的の白竜に、人間が三人。妖精二匹は風に流されてどこかに消えた。一万年前とは違い邪魔者はもういない。これはリリナにとって笑 わずにはいられない願ってもない好機だった。刺すような薄笑いを浮かべて、リリナは獲物を見据えた。
 その獲物は一万年前より少し大きくなっていた。ちょっとだけ成竜(おとな)になった瞳で、どういうわけか涙を溜めながらこっちを睨みつけている。
「たしか、バドとか言ったか? おまえには謝らなくてはならないな。すぐに母親のもとに送ってやれなくて悪かった。今度こそ母のもとに送り届けてやろう。 一万年ぶりの再会をあの世で喜び合うといい。ニーズヘグ、私はあちらの二匹と少し遊んでくることにする。白竜のことは任せたぞ」
 そう告げるとリリナは軽く跳躍し、皆が気付いたときにはすでにエイオンの後ろに立っていた。まるっきり不意をつかれたエイオンはうろたえながらも振り返 り本能的に感じ取った恐怖を無視して虚勢を張った。
「……おまえ、何者だ?」
 そう言いながらも足の震えは止まらなかった。
「名前なぞ聞いてどうする? これから死にゆくものに土産など必要なかろう」
「…………」
 いやでも思い出してしまう。数年前のあの日、カンヘル竜と遭遇したあの時の情景にいまの状況はあまりに似通っていた。なにか得体の知れない恐怖に直面 し、腰が引けて仕方ないのに、どういうわけか向かっていこうとする自分がいる。すぐにでも逃げ出したいのに……。
「それでも、死にゆくものにふさわしい場所くらいは用意してやろう。冥界に最も近き場所を」
 エイオンの葛藤など知らぬリリナは、そう告げると宙に円を書いた。その円はリリナの視線から見るとちょうどエイオンとシェイティアを囲う大きさになって いた。
「光栄に思え人間よ。後ろの小娘も一緒に私の宮殿に招待してやる、闇の宮殿にな!」
 闇の宮殿への通用口は突如その漆黒の姿を現した。それはちょうどリリナが描いた円と同じ大きさで現われ、あっという間にエイオンとシェイティアを包み込 んだ。
 その様子を見ていたエミリオが、二人のことを呼び止める間もなく漆黒の球体は姿を消し、エイオンとシェイティアとともに闇の女王もその場から姿を消して いた。

 自分が産まれたあの誕生の朝を、今なら鮮明に思い出すことができる。
 いつも少し遠くに聞いていたお母さんの声をもっと近くで聞きたくて、殻を破って外の世界へ出たとき、お母さんは最初から笑顔だった。笑顔で優しく『おは よう』と言ってくれた。
 その笑顔は朝の眩しい日の光を受けてすごく輝いていた。
 その優しい笑顔が絶やされることは一度もなかった。いつも暖かい微笑みを浮かべて、いつでも側にいてくれた。この暖かい時間は永遠になくならないものだ と思っていた。そう、あの赤い悪夢が訪れるまでは……。
 あの悪夢の瞬間はこれからずっと自分の頭の中にとどまると思う。
 その悪夢を運んできた張本人が目の前にいた。世界は涙でゆがんでいたけど、目の前にあのときの巨大な赤いドラゴンがいるのははっきり分かった。
 だからボクは、自分でもなにを言っているのかわからないほどの大声で叫びながらそいつに突っ込んでいった。どこかでエミリオが「いっちゃだめだ!」って 言っているのが聞こえていたけど、ボクも本当は恐くて仕方なかったけど、なにをやったって勝てっこないってわかってたけど、でも止まれなかった。止まるこ となんてできなかった。
 ……あれは空耳だったのかな? 赤いドラゴンに飛び掛ろうとして、そしたら赤いドラゴンの黒い爪が振り下ろされて、『危ない!』って思って目をつぶった ときに――そう、ボクは確かにお母さんの声を聞いたんだ。
『バド。強く生きてね』
 でも、そのあとの記憶がぜんぜんない。あの後どうなったのか、ボクもエミリオもぜんぜん覚えてないんだ。
 ……あれは、夢だったのかな?

 ニーズヘグが振り下ろした黒い爪は大地をえぐり、濛々と土煙を巻き上げ、バドはおろかエミリオまでをも飲み込んでしまった。それをみてニーズヘグは事の 終わりを確信する。
 ニーズヘグには自分に対する強者としての揺るがぬ自信があった。あんなチビすけどもなどこの一振りだけで充分、そう思っていた。だから、土煙の中に人影 を見つけた瞬間のニーズヘグの驚き様は尋常ではなかった。狼狽のあまり自分が巻き込まれることを考えることもせずに、自分の足元ほどの近距離――その人影 に向かって大火力のブレスを放った。
 しかし、ニーズヘグの驚愕はまだ終わらない。土煙の中から現れた人影はなんと、一撃でひとつの国を葬り去るニーズヘグのブレスを訳もなく片手で防ぎきっ てしまったのだ。それは、ニーズヘグがはじめて本当の意味での恐怖を味わった瞬間だった。“死”という名の恐怖がそのままニーズヘグに襲い掛かる。
 人影は軽く跳躍してニーズヘグの顔の前まで飛んだ。そして、

 ドン

 鈍い音とともにニーズヘグの眉間に拳を突き立てた。
 ニーズヘグの赤い鱗はどのような武器も、自らの黒いカギ爪さえも通さないと言われている。そこに矛盾は存在しない。しかしまた、どのような防具も防ぎき れないものがある。
 それは衝撃だ。
 どれほど頑丈な兜を被っていても、棍棒で強打されればその衝撃でもって人は脳震盪に追い込まれる。ニーズヘグの場合、脳震盪だけでは済まなかった。人影 の拳が生み出した衝撃波は、赤竜の赤い鱗を素通りし赤竜の頭蓋骨を貫通して、赤竜の脳髄を震わせて内側から粉砕していた。
 なにも出来なかった。断末魔の声を上げることも、痛みに悶えることも許されずニーズヘグは血の涙を流しながら、静かにその身を横たえた。
 それが、獣の中の獣と謳われた赤竜、ニーズヘグの最期の姿となった。

 そこは宮殿のイメージからはあまりにもかけ離れた場所だった。そこにはなにもなかった。どこからが地面でどこからが空なのか、ここが屋内なのか屋外なの かすらわらからない。どの方向に目を向けてもそこにあるのは、奥行きもはっきりしない漆黒色の闇だけだった。まるで真夜中の凪いだ海がどこまでも広がって いるような、その水面に強制的に立たされているような、そんな空間だった。
 闇の宮殿。その名の通りここには闇以外にはなにも存在していない。その闇の中で闇の女王と人間二人の戦いが繰り広げられていた。エイオンとシェイティ ア、そしてリリナが対峙している。
「ダメ。ぜんぜん、かすりもしないよ」
「……あぁ、それに。あっちはまだぜんぜん余裕みたいだな」
 戦況はまるでよろしくなかった。2対1だというのに二人の攻撃は軽く躱されこちらは二人揃って息が上がっているのに向こうはまだ涼しい顔をしている。
 さらに戦いを苦しくしているのがまわりを取り巻く闇の存在だった。なにがどう作用しているかはわからないがシェイティアの放つ魔法がすべて闇に飲まれて 消えてしまうのだ。お互いの姿が陽の下にいるようにはっきりと見えているからまだなんとか戦えているようなものの、これで相手が見えないようになってし まったらそれこそお先真っ暗である。
「……シャレになんねえな」
 エイオンは額の汗を拭いながら舌打ちをした。実力の差は歴然としている。相手が本気になれば一瞬で片を付けられてしまうだろう。勝機があるとするなら余 裕をかましているいまのうちにわずかな隙を見つけてそこを突くしかない。
「シェイティア。おまえの大鎌なら背後さえとれれば避けようがないはずだ。俺が少しばかりねばってみるから、その間に背後にまわれるか?」
「……わかんないけど、やってみる」
「なんの相談だ?」
 闇の女王が突然会話に割って入った。
「なにを相談しているかは知らぬが、所詮はただの悪足掻きだ。それとも命乞いの相談でもしていたのか?」
「いいや、悪足掻きのほうだ。いくぞ!」
 気合とともにエイオンとシェイティアは再びリリナへと立ち向かっていく。二人とも全神経を集中させ怒涛の攻撃を見せたが、それらすべてをリリナは苦もな く躱していく。
 エイオンの強烈な一閃をリリナは初めて大幅な跳躍を使って避けた。エイオンはさらに前進を続け、そのあいだにシェイティアは右へと展開。エイオンの攻撃 を躱しながら後退を続けるリリナの背後にまわり大鎌を振るった。しかし、その攻撃もリリナは躱していく。
「クッソ!」
 シェイティアの攻撃が躱されたのを見送りながらエイオンはなおも直進し、そして劇的な変化が訪れたのはその直後だった。
 リリナの表情から突然、笑みが消えた。と同時に隠しきれないほどの動揺しきった表情を浮かべ、完全に動きを止めてしまった。そこには、今までかけらも見 当たらなかった隙があちこちに出来ていた。
 ――相手の見せる隙なんて十中八九は……。
 頭の中の声は無視した。隙だらけのリリナにエイオンは突っ込んだ。
 エイオンの右胸部への突きはやはり躱されてしまうが、その避けかたは今までとは別人のようなあまりにも余裕のない避け方だった。そして、絶好のタイミン グでシェイティアは闇の女王の背後へと回った。リリナの背中に突き刺すような角度でシェイティアの大鎌が薙いだ。それでも、
「!」
 エイオンには一瞬、消えたように見えた。シェイティアの大鎌が捕らえたかに見えた瞬間、闇の女王は今までとは比べものにならないほどの素早さでシェイ ティアの背後へとまわると、
「失せろ!」
 見えざる力でもってシェイティアを吹き飛ばした。まるで事態を把握できぬまま背中を突き飛ばされたシェイティアは態勢を整えることも出来ず、またリリナ のほうに気を取られていたエイオンは吹き飛ばされてくるシェイティアを避けることも受け止めることも出来ずに、
「ぐわっ!」
 二人はうめき声を上げながら折り重なるようにして倒れこみ、そのまま二人とも意識を失ってしまった。

「まさか、ニーズヘグがやられたというのか?」
 闇の空間にはリリナの独白だけが響いている。その表情には驚きと焦りの入り混じったものが満ちていた。それまで聞こえていた赤竜の鼓動が突如として消え その死を感知したとき、あまりのことに動揺して危く自分までやられそうになった。それだけではない。
「聖竜剣士。…………まさか、あのガキが聖竜に適合する者だったとは」
 いまやリリナは窮地に立たされていた。具現化した伝説がどれだけの力を持ち合わせているか、そんなことを知る物はどこにもいないだろうが少なくとも相手 はニーズヘグを一瞬で屠るだけの力を持っていることは明らかだ。
 そしてその事実は、リリナにとって充分すぎるほどの驚異であった。
「神々はあの子供のことを知っていたのか? ……いや、そんなはずはあるまい。あのとき、それを調べているほどの余裕はなかったはずだ。……それにして も」
 そこで闇の女王は漆黒の空を仰ぎ、ひとり苦笑して、
「私もまだまだ未熟だな」
 しばらく物思いにふけるようにあてもなく仰ぎ続けていたが、やがてなにかを思い立ったように後ろを振り返り、そこで気絶している人間二人に話しかけた。
「命拾いしたな、人間よ。また会う機会があったなら、次こそその命、ないと思うがいい」
 そこにはすでに妖艶な輝きを取り戻した、厳然たる闇の女王の姿があった。あとになにも残すことなく、闇の女王は静かにその場を後にした。
 エイオンとシェイティアが目を覚ましたとき闇はすでに消え、立ち枯れた世界樹の下に戻ってきていた。そこで最初に目にした光景を二人は一生忘れることは ないだろう。
 まず、巨大な赤竜が血の涙を流しながら死んでいるのが目に映った。そして、その赤竜の死骸を前に佇んでいる人影を目にする。その人影は白竜の頭を模した ような兜をかぶり、純白の鎧に身を固め、ドラゴンのような翼を背に生やし、そして、その人影はエミリオくらいの背丈で、どういうわけかマントのかわりに ベッドのシーツを纏い、腰にはレプリカソードを帯びていた。
 そこにいたのはまさしく聖竜剣士(ドラゴニックパラディン)という伝説の具現体だった。
 その絶対的な存在感を、あまりにも雄々しい立ち姿を、エイオンとシェイティアは一生忘れることはないだろう。



 7、エピローグ
 結局、エミリオもバドもなにも覚えてはいなかったし、誰からもいまだに真実を知らされていない。聖竜剣士は突然大きな光に包まれ、その光が消えた後には エミリオとバドが残されていた。のんきなもので、光から出てきた二人はそろって寝ていたのだという。しかも大の字になって。
 叩いても揺すっても起きない二人をエイオンとシェイティアは担いでガルレシア城まで運んだ。二人が目を覚ましたのはそれから二日後のことである。
 当初エイオンは、エミリオとバドに真実を話しておくべきではないかと“王子様失踪騒動”の事の顛末を話しにいった先でハイゲル大臣に提言した。しかし、 ハイゲル大臣は断固たる態度でこれを否定した。曰く、
「エミリオ様においてもバド殿においても少しやんちゃに過ぎますからな。それに今回の失踪騒動もありますし、これで自分にそのような力が宿っているのだと 妙な自信をおつけになったら、今度はどこまでスッ飛んで行くかわかりませんぞ」
「……確かに」
 残念ながら、王子様をフォローする言葉をエイオンは見つけられなかった。
 結局、その真実を知っているのはその場に居合わせたエイオンとシェイティア、ハイゲル大臣にガルレシア国王の四人だけだった。
 それから数日間、城は平穏を保っている。エミリオはまた以前のように勉強そっちのけで城中を飛び回っているし、そんな王子様にハイゲル大臣は振り回さ れっぱなしだシェイティアはどういうわけか尖兵隊隊長の座を副長に譲って警邏兵に転職し、いまではエイオンと一緒に働いている。
 それ以外だと女中たちの間で、夜中に城内に小さな光の球が徘徊しているのを最近見るようになったという話がでまわっていて、幽霊説・妖精説などの根も葉 もない噂が飛び交っていた。
 そんな中、バドだけが毎日どこか浮かない顔をして過ごしていた。そして、あれこれと詮索していくうちにバドがなにを見てなにを知っているのか、バドのお 母さんのこととあの赤竜のこと、回復したバドの記憶のすべてを知ったエミリオは、必要以上に明るく振る舞ってテーブルの上の花瓶を割りハイゲル大臣に怒ら れる、という毎日の繰り返しだった。
 今日もまた、バドは浮かない顔をして窓から空を眺めていた。
「あーっ、陰気くせぇなおまえは! おまえがいるとこっちまで暗くなっちまうじゃねーかよ。ちったあシャキッとしろよな」
 話しかけてきたのはエイオンだった。シェイティアも一緒にいる。それでも、バドは外を向いたまま二人のことを見ようとはしない。
 やはり浮かない顔で空を眺めている。
「…………」
「……おまえがなにを考えているか当ててやろうか? ズバリ、おまえはこの城から飛び出してどっかへ雲隠れしようとしている。そうじゃないと、エミリオや 皆を危険に巻き込むからそうしないといけないんだ! ……どうだ、違うか?」
「――エミリオから聞いたの?」
「うん。王子、すごく心配してたよ。私たちのところに来たとき泣きそうだったもの」
「…………そう」
 それでもバドは振り向かない。空を向いたまま、背中を向けたままだ。
「……いつまた、あの赤い竜みたいのがボクを狙ってくるかわからないんだよ。だからボクは、このままひとりっきりでここを出ようって決めたんだ。みんなに 迷惑かけたくないから」
「そんなの、ダメです!」
 バドの言葉に反応して、物陰で様子を窺っていた妖精二人が飛び出してきて叫んだ。エルマールとアコーレだ。あの日以来、住むべき森を失った二人はこっそ りとこの城に忍び込んでここで生活するようになっていた。
 そして、夜な夜な城を徘徊しているという光の球の正体もこの二人である。女中たちの噂をもとに城を調査したシェイティアが二人のことを見つけたのは三日 前、さらに彼女たちが事件の当事者であることをエミリオから聞かされたのは昨日のことだった。
 エルマールが沈痛な面持ちでバドにくってかかった。
「ひとりで抱えこんじゃダメです。ひとりで出て行こうなんて絶対、ダメです」
「……でも、もしボクがいなければ、もしかしたらドンクオーヴの森は燃やされなかったかもしれないし、二人の住処だって――」
「キィーーーーーック!」
 バドの言葉を遮るようにして、アコーレがバドの後頭部に飛び蹴りをみまった。堪らずバドは振り返って、そのバドにアコーレがどやしつける。
「そうやって責任感じてるんなら、ひとりでどっか行っちゃおうなんて考えないで最後まで責任取りなさいよね!」
 そう言いながらもアコーレは笑顔だった。
「…………」
「バド君。べつに私たち君が出て行くのを止めようとしているわけじゃないのよ。君がいることでここが危険に晒されるのも事実だし」
「じゃあ、なんで?」
 シェイティアの言っていることが理解できず、バドは漠然とその疑問を口にした。その疑問にエイオンが答える。
「だからって、ひとりで黙って出て行こうなんてーのは反則だ。家出かますんなら俺たちも一緒につれてけって事だよ。おまえがどこに行こうと、たとえおまえ が断ろうと俺たちはおまえについていくよ。……な? そうだろ、王子?」
 そういってエイオンは背中に手を回すと、ずっとそこに隠れていたエミリオを前へと押しやった。
「な? 頼むよ。この泣き虫王子をなんとかしてやってくれよ」
 その言葉どおり、エミリオの顔はひどいものだった。大粒の涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。そして、王子様の威厳もへったくれもなく、しゃくりあげ ながら言うのだった。
「バドっ、がどっか行っ、ちゃ、うなんて、絶対イヤ、だよ。お別れ、なん、てぜっ、絶対、イヤだよ」
 決めていたのに。なにが起きても振り返らないと、なにがあっても我慢すると、そう決めていたのに。エミリオの大粒の涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を見る と、どうしても我慢できなくなってしまった。
 だから、言うべきことを素直に言おうとバドは思った。
「……ボクも、エミリオと、はなれたくないよ」
 鼻水とともに暖かい涙がバドの頬を流れていった。

――The end and the beginning,“small small saga”.



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