君がセピア色に染まるころ
紫雲 正宗



 君がオレに残していったものはとても不思議なもので、それらのものを忘れることなんてできそうにはなくて、あれから5年もたったっていうのに、オレはやは り、どうしてもこの場所を訪れてしまう。


 リカと出会ったのは大学に入ってまもなくのころ、大学の同じゼミを受けているもの同士で開いた合コンがきっかけだった。
 もともと、人でごった返すところが少し苦手だったオレは一次会が終わると早々に「先に帰る」と言い残してその場を後にしようとした。
「あ、あたしも明日バイト早いから先帰るねぇ」
 そう言って手を挙げたのがリカだった。
「うっふふ〜。実はあたし、今日来た時から田上君のこと狙ってたんだよねぇ」
 居酒屋を出てそうそうにオレの腕に絡んできた彼女のその言葉はもうだいぶろれつの回らないものになっていて、それが本心から出たものなのかそれとも ちょっとした冗談から出た言葉遊びなのか、オレ自身もそこそこまわっていた事もあって判断は付けづらく実に怪しいものだった。
 コイツ、初対面でいきなり腕組んできて、なに言い出してんの?
 軽い女。正直、それくらいの印象しかなかった。
 それでも、頭ひとつ分くらい小さな彼女から腕を通して伝わってくる温もりや鼓動とか、腕に絡めた手のきれいに手入れされている爪や細く白い指、シャツ一 枚通しててもわかる肌の柔らかさ、ほのかに紅潮している頬や酔いに任せて気持ちよさそうに流されている柔らかな眼差しなど、どういうわけかそれらのものが 自分の隣にあることにひどく驚いてしまって、年甲斐もなく胸の高まりを抑えることが出来なかったことをよく憶えている。
 とはいえ、ふたりの関係がそこから急速に親しくなっていったわけでもなかった。
 初めての飲み会で先に帰ってしまった二人ということで妙な噂だけは先行し、一部の人間からは遠まわしに「あいつらふたりはセットだから、とりあえずくっ つけとけば無問題」と変な気の使われ方をされ、その他大勢からは薄く好奇の視線を送られるという状態がしばらく続いた。
 そんな、檻に入れられて観察されている動物のような心持になりながらも、周囲の言葉になにげに流され踊らされてようやく彼女に気持ちを伝えられたのは、後期試験を終えて高校の頃よりもだいぶ長めの冬休みに突入する直前になってからのことだった。
 あれは、いまにも空気が凍り付いてしまいそうなくらいシンと芯まで冷え切った、本当に寒い日のことだった。
 後期試験を乗り切ったことをみなで祝う、おそらく今年最後の飲み会。
 リカが先に席を立つ。それを見て、オレも立ち上がる。まわりからあがる冷やかしの声は酒気を帯びていつもよりも粘着質だった。
「あれか? 今日こそ決着をつけるんか?」
 立ち上がり際に耳もとに入ってきたその囁きに肘鉄を返したのは、間違いなくそれが図星だったからだ。
 散々な手向けの言葉で送られて居酒屋を後にする。
 いつかと同じように、リカは飼いならされた猫みたいにオレの腕に絡みついて、いつかとは違う理由でオレの胸は高鳴っていて、冬の寒空に浮かぶ月は意味あ りげに冷たく白く輝いていた。
 居酒屋から駅までの道のり、約10分。明日以降にかぶる講義もなかったし、冬休みに入ってしまえばオレも、おそらくは彼女も実家に帰ることだろう。
 この機を逃せば、次に会うのは年度を越えて桜の咲く季節。そこまではどうしたって待てそうもなかった。
「なあ、リカ。……もう、いまさらって感じするけど。その、……なんだ」
 数日前に今日の飲み会があることを知らされてからいくつも考えて用意してきたセリフなんて、いざとなったらなんの役にもたたなかった。真っ白になった頭 をどれだけ掻いてみても、出てくるのは細かなホコリと冷たい汗くらいのもので、年甲斐もなく高鳴る鼓動は目の前にいるリカにも聞こえていそうだった。
 だからオレは、彼女の両肩に手を置いて、正面きってミもフタもない言葉を吐いた。
「オレと、つ、付き合ってくれないか?」
 そんな言葉しか、出てこなかった。
 そしてオレは、そんないっぱいいっぱいの状況の中でも、その瞬間のことをアルバムの中にしまってある一番大切な写真を取り出すようにして、いまでもしっ かりと思い出すことができる。

 ――あれは、いったいなんだったんだろうなぁ

 オレのいっぱいいっぱいの言葉に向けられた、彼女の表情。いつものように子供っぽい笑顔で軽く流すでもなく、酔った勢いに任せてよりいっそう腕に絡み付 いてくるでもなく、オレに両肩を抱えられながら、そのなかで彼女は嬉しいような、でもなんだか今にも泣き出してしまいそうなくらい寂しそうな、そんなどこ となく曖昧な表情を浮かべていた。
 それからリカは黙ったまま静かに踵を返して歩き出した。なんの答えもないまま。
 戸惑いながらも、仕方なく彼女の後を追う。行き先は駅のある方向からは少し外れた、線路沿いに続く狭い路地。
 こんな通りに入ってきて行き先なんてひとつしかない。
『でも、まさか』
 そう思ったのもつかの間、【HOTELアプリコット】のネオンの下になんの躊躇いもなく入っていこうとするリカ。慌てながらも彼女の腕をすんでのところ で捕まえて、
「ちょ、ちょっとまてよ! いくらなんでも、いきなり過ぎだろ!? こんなの……」
 継ぐ言葉は宙に霞んで消えてしまう。再び目にした彼女の表情は、さっきと変わらない嬉しいようないまにも泣き出しそうな顔をしていた。それでも、オレの 目をまっすぐに見据えて、
「いまから、わたしの秘密を教えるから、だから、一緒に来て」
 ゆっくりと、はっきりとした口調でそう言った。
 オレは、そんな彼女の表情に、その言葉に、なにひとつ返すことも出来なくて、彼女の手に引かれるように中へ入っていった。

 ――あれは、いったいなんだったんだろうなぁ

 その時のことは、どうしてか遠い日に見た夢を朧気に思い出すようにしか憶えていない。
 部屋に入って、こちらを振り向くこともしないでいきなりリカは服を脱ぎ始めた。マフラーを外してダッフルコートを脱ぎ捨て、セーターもインナーで着込ん でいたキャミソールも脱いで、
「これ、ぜったい、秘密だからね。だれにも、話しちゃだめだよ」
 詰まりながらもそう話して、胸元を両手で隠しながら静かに振り返った彼女の背中には、
「……わたしね。実は、天使なの」
 その背中には純白の翼が、あった。



「ほんとに、あれはなんだったんだよ」
 私の秘密を教えるといってなんの迷いもなくラブホテルに入っていったあの夜。結局、オレは彼女からの返答をもらうことは出来ずじまいだった。
 そして、5年たったいまでも、その答えは宙を漂ったまま。誰の元にも届いてやしない。
 まったく、あっけないもんだ。
 あの年、冬休みの帰省中に彼女は雪道のなか自身が運転する車で交通事故にあい、そのまま帰らぬ人となった。車の往来に踏み潰され汚くなった雪道の上、ひ ろがる血の海の中にうつ伏せに横たわる彼女のまわりには無数の白い鳥の羽が散らばっていたという。
 それから5年。
 分かったことなんてなにひとつない。
 彼女の背中にあった羽根のことも。
 彼女の胸の内にあったはずの“答え”も。
「なあ、リカ。君は、オレのこと、どう思ってくれてたんだ? いま、もし生きていたら、なにがしたい?」
 その答えをくれるはずの人は、もうこの世にはいない。
 オレはただ、携えた花を静かに添えて、
「また来るよ。じゃあな」
 彼女の眠る墓を後にした。

END

(文字数:2990文字)

  

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