秋の哲学者
鳴沢 揺
空を見上げた彼女は、口をぽかんと開けたまま隣に居る彼に向かってつぶやいた。
「ねえ、秋だね」
さっきまで隣でうたた寝していたその彼は、まだぼんやりしている頭を振って、彼女の曖昧な言葉が何を意味するのか思考した。
しかし、同じように空を見上げてみても彼には彼女の感じているそれが分からない。
「何が?」正直に聞く。
「だから、ほら雲のかたち。夏とちがうでしょ」
彼女はあきれた、と言わんばかりに目線だけでもう一度、見つめていた空を示す。
「うん……そうだね。あのもくもくっと湧いてくる雲とか」
彼はそう言いながら、ふわぁとあくびをした。風が心地良い。まったく、こんなに気持ちが良いのに寝なくてどうするんだい。と、また彼は目を閉じた。
「はぁ……」と、なにやらため息が聞こえた気がする。気にしない気にしない。僕らにとって、これは自然な事だから。
……しばらくして、僕の横から「すーすー」と心地よさそうな寝息が聞こえてきた。
ここに引っ越して来てから、僕と彼女の生活環境はすこぶる良くなった。うるさい車は通らないし、緑も多い。
親切な人もいて、僕たちはときどき会話を交わすようになった。
人見知りな彼女は、そのことをとても喜んでいて「ここに引っ越してきて良かったね」と嬉しそうにしている。
うたた寝のつもりが、すっかり熟睡していたらしい。家と家の隙間からぼんやりと月が浮かんでいた。それと同時に、鼻をくすぐるいい匂いがする。
「……ん」どうやら彼女も起きたらしい。ぴくっと体を震わせた。
不意打ちのように昼間話したことを彼女に問いかけてみる。「なんだっけ、あのお昼にみた雲の形。それと同じ匂いがする」
「ちがう」 彼女はきちんと身なりと整えながら、そっけなく否定。
「あれは鰯雲。この匂いはサンマでしょ?」興味なさげに言いながら、彼女の鼻も正直に同じものをとらえていたらしい。
そうそう、それ。
「サンマ、食べたいなぁ」僕は思わず口にした。サンマはうまい。一度口にしたおいしいものは絶対忘れないのだ。
「うん……そりゃ食べたいけど」
僕たちは風に乗って漂うサンマの香りにしばし立ちつくした。みっともないかもしれないけど、猫にマタタビくらい魅力的だった。
「さあ、わたしたちもご飯にしようよ」
彼女の言葉に、僕も素直にしたがってその場を離れた。
いつものご飯を頂いたあと、心の中で僕はまだサンマの余韻にひたっていた。
しかし、いつまでもそんなことを言っていたら彼女に何を言われるか。
「ごちそうさま」「ごちそうさまでした」
それぞれに挨拶をして、いつもの習慣である夜の散歩に出た。
今日も見事な月が出ている。なにげなく横を見ると、彼女のまとっている白いファーがきらきらと光って良く似合う。
「なあに?」彼女が僕の視線に気付いて、足を止めた。
「ううん、なんでもない」僕は見てないふりをして歩みを早めた。落葉がさくさくと小さな音をたてる。
月にうっすらと雲がかかって、虹がでている。僕は彼女の気をそらそうとして空を指した。「ほら、見て」彼女はなによ〜、という顔をしながら僕の示した月を見上げる。
「きれいね、こんなのみたことないよ!」彼女は夢中になって空を見つめる。その姿がなんとなくうれしかった。
虫の声を聞きながら、僕たちはしばらくそのまま月を眺めていた。
そのうち眠たくなって、シンメトリーの置物のように僕らは頭をくっつけて目を閉じた。
……いつのまにか朝が来て、僕たちは車や自転車、鳥の声で目が覚めた。
静かな住宅街とはいえ、この時間は人間の出勤時間というものらしく何だか落ち着かない。
彼女は、気持ちよさそうに僕の横で丸くなっている。
「あれ、いつものネコ達がいる、可愛いね」
「ほんとだ、おいでおいで、にゃ〜」
二人の男女が僕たちを見て、声をかけてきた。よほどヒマなのだろう。まぁ、危害を加えられる訳ではないので別にかまわないけど。
「ネコって、なにかすごいこと考えてそうだよね」彼女が言う。「哲学者みたい…。こっちのふわふわしたのは魔法使いのネコかな」
「たぶん、こうして僕たちの言ってることも『うるさいにゃ〜、早くいけ〜』とか思ってるんだろうね」
「うん、昨日のサンマの残り持ってきてあげればよかったなぁ」二人は仲良く笑いながら、そっと立ち上がった。
僕は耳をぴくぴくさせて、その声を黙って聞いていた……彼女はまだ丸くなっている。本当は起きてるんじゃないだろうか?
「じゃあ、ネコちゃんまたね」
そういって、二人は坂道を下っていった。賑やかな笑い声が少しずつ遠ざかってゆく。
ふわぁ。あくびが止まらない……今日もいいお天気になりそうだ。イワシが大漁かもしれない。
くるんと丸くなって、僕も同じように彼女の横でまた目を閉じた。
END
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