僕の想いはここにあるんだから
沖田 遊魂留
「まるで魔法みたいだね」
彼女は不意にそう呟いた。
僕は揺れるバスが心地よくて、ウトウトとしていた所だった。
彼女の声に僕は眠りの淵から引き戻されて、
カーブに差し掛かったバスから見えた
世界を視界に取らえた所で完全に覚醒した。
「一週間前に来た時はまだ緑が沢山あったのに、もう山一面が紅葉だよ。
そうだ。来週は紅葉狩りにでも行こうか?」
そう言った彼女は僕の身体をギュッと抱きしめた。
紅葉狩りってのはようなピクニックの事だろう?
僕はどちらかと言えばインドア系だからそれは遠慮したかった。
でも、彼女が嬉しそうに場所やお弁当の中身の事を喋りだし、
その笑顔があまりにも楽しそうなので、僕は無言でその案を受け入れた。
「お母さん。今度こそ許してくれるかな?」
そう言って、彼女は僕があげた指輪を抱きしめるように胸の前に持ってきた。
指輪のはまる左手の薬指がその指輪の意味を表している。
僕は何も言えず、ただ彼女の横に寄り添っていた。
僕らが一緒に住んでいた家から電車で二時間半。
それからバスで40分の所に、彼女の親父さんの墓があった。
生前、何度も会って何度も彼女を下さいとお願いした。
だけど、親父さんは首を縦に振らなかった。
もう少し待て、付き合う事には反対しないから。
きっとそれは、僕も彼女も大学を出たばかりで
社会の仕組みをを知らないと思った、親父さんなりの親心だろう。
僕たちの結婚を反対したものの、親父さんは僕には良くしてくれた。
何度も酒を酌み交わしたし、二人っきりで朝まで飲む事もしばしばあった。
それから四年がたっていた。僕も彼女も働いてたが、
別に別れ話など今まで一度も無かったし、仲良くやってきた。
この秋にもう一度お願いしに行こう。そう二人で話していた頃だった。
親父さんからの一通の手紙。
電話で済むような一言二言を、何度も何度も書き直した後のある手紙だった。
手紙には簡単な挨拶と、僕の名前を名指しにして、
一緒に帰ってきなさい。それだけ書いてあった。
彼女との結婚させて欲しいと言うお願いは、まるで恒例行事のように
彼女の実家へと3ヶ月に一回は行っていた。
正月、実家に帰っている彼女を迎えに行くときと、
桜の花が舞い散る四月。そして夏真っ盛りの七月の終わりと・・・
「去年もちょうどこのくらいだったっけ?」
それと、10月の始め頃。
親父さんが持っている山で天然の栗や柿が取れるので、
親父さんの方からこの季節には帰ってくるように言ってくるのだ。
予定では今日、親父さんに数ヶ月ぶりに対面するはずだった。
しかし、一週間前、山で急性心不全で倒れた親父さんは、
発見が遅れた為に、帰らぬ人となった。
一週間前の土曜日、僕は黒服で彼女の家を訪れた。
この服をきてこの家に上がるときは、せめてネクタイは白でいたかった。
本当に心のそこからそう思った。
線香の揺らぐ煙の向こうで、見慣れた笑顔で微笑む親父さんの写真を見たとき、
不意に両親の顔を思い出し、両親が死んだ時と同じように悲しみ、
涙が止まらなかった。
元来涙もろい所がある僕は、耐え切れずに涙を流してしまったものの、
それを彼女や彼女のお袋さんには見せたくなかった。
本当に辛いのは彼女たちのはずだったから。
それに、僕の涙が嘘っぽく見えるかもしれない。そう思ったんだ。
彼女の父親が死んだから、彼女の手前泣いている。そう思われるような気がした。
親父さんの手前、誓ってそんな事はないものの、可能性が無いわけではないから、
僕はぐっと涙を我慢して、ハンカチで濡れた頬を拭った。
親父さんの葬儀の間、僕は出来る事を手伝おうと思った。
受付でも誘導でも掃除でも、何でもやるつもりだった。
だけど、お袋さんはそう言い出した僕に笑顔を向かえ、
家族と同じ場所に、お袋さんと彼女の隣に僕を座らせてくれた。
葬儀の後、彼女の親戚の人たちが手伝いをしてくれている中、
お袋さんに呼ばれ、僕は二つの話を聞いた。
それは、別に親父さんは僕が憎くて結婚を反対していたんではないんだと言う事と、
早く初孫が見たくてソワソワしていたんだと言う事。
僕は涙が止まらなかった。その時ばかりは止めようがなかった。
その日、実家に止まると言った彼女を残し、僕だけ家に帰ってきた。
帰り際、お袋さんが冗談めいて僕に耳打ちした。
「もう少し立派になりなさい。
天国のお父さんが認めるぐらい立派な男になったのならば、
私は結婚に反対しないから」
その言葉にもう一度涙が流れそうになった。
「それじゃダメね。せめて・・・泣かない男になりなさい」
そう言われて、僕は頷いてみせたものの、
無理ですよ。悲しい時に泣かないと後悔しますから・・・
そう、心の中で呟いた。
それから数日後。
僕らは初めて喧嘩をした。
親父さんが死んだためか、少々情緒不安定になっていた彼女は、
日ごろの不満を僕にぶつけてきた。
それは、半分が彼女の言うとおり僕の悪い面であったと思ったが、
残りの半分は言いがかりのようなものだった。
始めのうちは大人しく反省していたものの、そのうち僕も頭に血が上り、
怒鳴りあいの喧嘩になった。
それが、僕らが大学から付き合ってきて始めてした喧嘩だった。
売り言葉に買い言葉、僕らは全部を吐き出した。
家を出て行くと騒ぐ彼女に、僕は大声で怒鳴りつけ、
僕が家を出た。
不意にどうかしていると思ったんだ。僕も彼女も。
だから、彼女が出て行くより、僕が一夜外に出て、
お互い頭を覚ましてからもう一度ゆっくり会話をしよう。
そう思ったんだ。
次の日、僕が家に帰ると、
彼女は泣きながら何度もごめんなさいと言い続けた。
何度も何度も。何度も何度も。
僕は無言で彼女の横に身を寄せた。
彼女が泣き止むまで隣にいよう。そう思った。
せめて親父さんが来いといった日に行こう。
そう切り出した彼女に僕はただ頷いた。
彼女も泣きたいはずなのに・・・そう思った。
バス停から10分ほど歩いた所に彼女の実家はある。
彼女はぎゅっと僕の身体に自分の身体を押し付けて、
恐る恐る実家の扉をあけた。
家の中はいつも以上に静かだった。
そしていつも以上に綺麗に掃除されていたような気がした。
「母さん、父さんがいなくて掃除ぐらいしかやることないのかしら・・・」
おどけていった彼女の声は、どこか寂しそうにも聞こえた。
お袋さんは居間で本を読んでいた。視界の隅に彼女の姿を捉えると、
驚いたような顔をしてみせたものの、
「おかえり・・・」
そう優しく微笑んだ。
客間に僕らを通し、お茶を入れようとするお袋さんを、
彼女は席につくように進めた。
「お母さん、聞いて欲しいの・・・」
彼女はこの一週間であった事を全て話した。
「そう・・・」
お袋さんはただそれだけ呟いて、顔を落とした。
数分後、思い出したかのようにお袋さんが口を開いた。
「お父さんがね、言ってたの。
別に、彼を悪く思って結婚に反対しているんじゃない。
あの二人を見ていると不安でしょうがないんだ。
二人は仲が良さそうだし、聞けば一度も喧嘩をしたことがないと言う。
一度も喧嘩をしない二人が、結婚して上手くいくはずがない。
せめて、一回腹のそこから喧嘩して、それでも二人一緒にいる決意をするなら、
それなら、結婚を許してやってもいい。そう・・・言っていたのよ」
ポロポロと、お袋さんが流した涙がテーブルに跡を作っていった。
彼女はギュッと、僕の身体を抱き寄せて口を開いた。
「うん・・・それでも・・・私は彼と一緒にいる」
その瞬間、お袋さんは鬼のような形相で怒鳴り声をあげた。
「バカな事を言うんじゃないよ!!!」
「でも、もう決めたの!!」
「これから貴方は長い長い時間を生きていくのよ?
今の気持ちなんていつか消えてしまうわ!
その時にどうするつもりよ!その時はお母さんもいないかもしれないのよ?」
お袋さんの鬼のような形相はすぐに泣き顔に変わった。
お袋さんは何度も何度も彼女を説得した。
「いいの!それでも!それでもね!私は彼とずっと一緒にいるから!!」
「あなた正気なの?!」
「正気よ!!決めたの!」
「・・・・!!!」
声にならない声をお袋さんはあげた。僕はただ黙ってその様子を見つめている事しか出来なかった。
「それに、それにね・・・母さん」
彼女は少し迷った顔の後、たっぷり10秒以上間を空けてから言葉を吐いた。
「彼の子供が、お腹にいるの・・・」
え?
「・・・本当なの?」
彼女の言葉を聞いて、お袋さんは驚くほど冷静な顔で、彼女の顔を覗きこんだ。
「うん。彼にも内緒だったんだけどね」
うん。今聞いた。もちろん、思い当たる節が無いわけでもない。
今、女性二人が冷静にテーブルの上に、静かに口論を交わしている。
これからどうするんだとか、子供の教育どうこうとか、そんな話だ。
その間中、僕はずっと黙っていた。
いや、正確には唐突に言われた一言に対してなんの反応も取れていなかった。
それが正常な反応だと思う。ってか、なんでこんな大事な事を彼女は
今の今まで僕に教えてくれなかったんだろう。
いくらなんでもこんなタイミングまで黙ってなくても・・・
「お母さんは、なんの援助もしませんからね・・・」
「うん、わかってる。大丈夫だよ。きちんと育てる」
「まったく、頑固は誰に似たんだか・・・お父さんかしらね」
「お母さんにだよ・・・」
そういうと、二人は微笑みあった。完全に僕は蚊帳の外である。
お袋さんの眼が一瞬僕の方を見たと思ったら、素通りで窓の外へと向けられた。
そこには長閑な田舎町の風景が広がっている。
「・・・しょうがないわね。でも、困ったことがあったら言いなさいよ」
「うん。援助はいらないから、おばあちゃんとして子供の顔は見てあげてよね」
「当たり前でしょ!お父さんも楽しみにしてたんだから、初孫ですもの」
お袋さんはそう言って息巻いた。
僕は、心の中で何度も何度もどうしようどうしようと繰り返した。
どうしようと考えた所で、僕の取れる行動は一つしかないんだと分かっていた。
僕は心の片隅と言う片隅から勇気と言う名の力をかき集めて叫んだ。
”娘さんは、僕がずっとずっと守っていきます!!!”
まるでどこまでも届いたような気がする大きな声が、
自分でもびっくりするような声が響いた。
「・・・・・」
お袋さんはびっくりして虚空をポカンと見つめている。
「あ、お母さんにも聞こえた?」
「・・・・あ、え・・・う、うん・・・」
「やっぱ親子だね。お母さんにも聞こえたんだ」
「そうね・・・」
お袋さんは凄く寂しそうな顔と、嬉しそうな顔を織り交ぜた顔を作って見せた。
「そばに・・・いるのね」
「うん、ここにいるよ」
そういって彼女は僕の身体を、僕の遺骨の入った箱をより一層強く抱きしめた。
あの日、喧嘩をして飛び出したあの日だ。
人間って簡単に死ぬんだな。ほんとにそう思った。
車で引かれて一撃。気づいた時は次の日の朝で、
僕は彼女と一緒に住んでいた家に戻ってきていた。
両親もすでに無くし、他に親戚もいない僕の遺体は、
彼女と一緒に暮らしたこの家に運ばれたのだ。
その日の午後から検死として再度警察病院に行くことになるのだが、
その次の日には僕の身体は焔群に包まれて生前に背負った全てを捨てる事を迫られた。
でも、僕には捨てる事が出来なかった。
僕には、彼女と別れる事は出来なかった。
だから、身体も無い僕だけど。
賭ける命もなくなってしまった僕だけど。
彼女を守って生きたいと思う。たとえ体が無いとしても・・・
僕の想いはここにあるんだから・・・
END
http://www.juv-st.com/