氷、溶けたら。
オグココ(ココ)
巻き戻しでたどり着いた。ここで、出会った。風景だったあなたと、わたし。
一瞬だけ。だけど、時間をとめられる。そんな人。
例えば。波打ち際に残した足跡を辿るように。見えている風景を振り返りながら確認して。少し前と変わらないはずなのに、何故か、何処かが。ずれる。見えなくなる印を辿って、あの、お気に入りの景色があったところ。探し出す。そんな感覚で。街を歩いてみるのも面白い、なんて思ったのは。きっと。生まれ変わる前の準備。
氷、溶けたら。 By ココ
残像が溢れる。隅っこで燻る。目を閉じると張り付いてくる。瞬きをした隙を狙って。消し去るには、水。流しだすのが一番いい。でも。我慢していたら、いつの間にか除去剤すら腐敗して、固まった。引っかかる傷み。削りだす血肉、伴うことで、正当化する時。
見覚えがある。すべてはあの日と同じなら。舞台女優きどりで、この台本は気に食わない。澄まし顔で言って、別の結末を用意する。なのに。細部が違う。あの日。雨。距離が縮まった。きっと今日は降らない。もう雨の時期は終わったって、天気予報は無責任なことを。信じて裏切られても気にならない程度の嘘。この瞬間だけは、本当でいて。
正面から出たあの日。道は左右に広がっていた。正面から入りたい今日。行き先は限定。してあるときに限って、別の通路を選ばされる。目的地につくことよりも、その過程が欲しかった。きっとあそこには、もう、欲しかったものがないって分かっている。
押されるままに、あの日を逆流。眩しさがあったのは、あの日の瞬間の出来事。吐き出された場所は、始まりのちょっと手前。踏み込んで、あの日と同じテーブルにつく。ここから、始まった。ここで、終わり。
あの日。
誕生日は自分用に特別。いつもは行かないレストランに予約を入れて。何名様ですか、と聞かれて、一名様です。と言いそうになりながら。二名。声だけの存在にも見栄を張って告げる。
髪を切ってみる。窓から眺めるだけだったお店で買い物をしてみる。このまま着て帰ってもいいですか、この服は処分してください。新色の口紅。試していたら、お似合いですよ、他にも試してみませんか。入念な化粧を教えてもらう。授業料は最初に試した口紅一本。自分を確認するために映した窓の中には、わたしのための靴が。お揃いの鞄もご用意してあります。自然に笑顔になる時間。
予約の時間まであと少し。早く行くのは得策じゃない。レストランがあるホテルに入って、一番手前のお店を冷やかそうかなんてね。向かったら足が竦んだ。宝石店。今日、わたしが買わなかったもの。昔から宝石だけは自分で買えなくて。買ってくれるものばかりだから、その思い出に縛られるようで。鍵が閉まらない宝石箱にしまい込んである。
店の前で引き返そうとした。その時。景色が歪んだ。
こんにちは。
店の横に立っていたガードマンが声をかけた。
空気が、凍った。
それが、あなたとの出会いだった。
今日。
わたしはあなたの前を通った。通らされた。未来から引っ張られる力より、過去が押し出す勢いは強い。あなたはきっと、わたしに気付かない。
あの日。
本当は一人で食べる予定だったディナー。名前を告げたら、御同伴者はいつくる予定ですかと聞かれた。そのうちに。当たり障りなく答える。相手に分かりやすいだろうと、配慮して入り口から見やすい正面の席。待っている間に食前酒はどうですか、と勧められるままに頼む。メニューは、日本語ではない、記号。読み物としては最悪だけど、芸術だと言われれば太刀打ちできない。
金属と食器が触れ合う耳障りな音を消し去る程度の音楽音。題名は知らない。教えてもらっても、きっと明日には忘れる程度が心地よい。
その中の、突然の大音響。それがあなた。
待った?
当たり前のように、わたしの向かいに座った。
感覚がしびれたままで、あなたを見つめた。
今日。
厳しい顔のあなたは、あの日とは別人のようで。記憶が混ざらなくてよかったと、安心したわたしを、ちょっとだけ呪った。
あの日。
あなたは勤務が終わった後に、一人でレストランにいるわたしを見かけて自然と身体が動いた。そんなことを回りくどく説明していた。宝石店で見たわたしの表情が印象的だったと。
わたしは、驚きですべてが停止していた。ウェーターは、あなたにもメニューを差し出す。コースに致しますか、こちらがおすすめですよ。さっきまで人当たりがよかった声も、耳鳴りになる。一番上。それを指差す。何かは分からないけど、一番上であるという価値。同じものを、とあなたは言う。その後のわたしたちの会話は、記憶にあるけど、思い出したくはない。所詮、残らない夢物語。
今日。
舞うのは埃ばかりで、出された水は砂の味がした。目の前が白くかすんで、しみた煙が痛い。あなたは向かって来ていても、わたしは目線の少しだけ下にいる。素通りは、通られた方に影を残す。弾みで跳ねた石が飛沫を生み、濡れて乾くまでの数秒は濃縮された関係そのもの。凍り付いてしまった感情を、ゆっくり溶かすように。氷、溶けたら、飲み干して席を立とう。氷、溶けたら。氷、溶けたら。