白い雪の中の赤いハンカチ
一銀地面(松浦由香×HOTEL銀)


「あら、いつまで毒殺するのは女だけだと思っているの?」
 女の赤い唇から出た言葉。足を組み腕を組んで相手を凝視しているその何とも言えない美しさには、まったくの女らしい弱さは見られなかった。

――――――――――――――――
 私の趣味はスキーをすることである。都会であくせく働き、正月の休みなく頑張った私自身への褒美として、毎年この時期に馴染みの山へ出掛ける事にしていた。
 だが、今年は、ホテルもコテージも空きがなく、馴染みの山を過ぎたスキー場にあるコテージに変更を余儀なくされた。
 そしてこのことがあとで起こる惨劇の当事者になろうとは夢にも思っていなかった。


PM3:00
 まだ昼過ぎだと言うのにどうだろう。空が異常に曇ってきた。これは酷くなるぞ。悪寒は見事に的中し、その30分も経たないうちから雪が降り出した。
 4:00を少し過ぎたときには、すっかり吹雪の中のろのろと車を動かしていた。
目的のコテージへのアクセスを間違えたのか、それとも行き過ぎたか、とにかく辺りはすっかり闇の様相を見せていた。
 これではここで凍死するかも。という悪い心根の視界にぽつんと明かりが見えた。
 安堵と心労が一気に体を襲う中、私は明かりに向け車を進めた。
 明かりはコテージとは違う別荘仕立ての家からだった。
 私は直ぐに出た。一応放り出されたときのためにエンジンをつけたままにして置いた―エンジンをいったん止めると、二度と動かなくなりそうな天気だったからだ。
 呼び鈴と戸を激しく叩く。しばらくして一人の男が顔を見せた。
 私を怪しむその眼が精悍な顔立ちによく生えた二重のかわいい目をしていた。スーツを着ている辺り、さっき到着したのか、とはいえ、こんな山の中でスーツを着ているなど不恰好にもほどがあるが、
「すみません。十分怪しいのですがね、この吹雪で道に迷って、休ませてくれるか、フォックスコテージへの道を教えてくれるか、お願いしたいんですが」
 私の言葉に彼は眉をひそめた。
「どうかしたの?」
「奥様、こちらの方がこの吹雪で道に迷われたそうで」
 彼がそう言って振り返ると、可憐と一言で言えそうな弱々しい女性が立っていた。
「それはお困りでしょうね。この吹雪の中どこへ行っても遭難するでしょう、うちへお入りなさいな。この吹雪、明後日にならないと回復しないらしいですけど」
 彼女に言われて中に入ろうとした私の足を止める野太くあまり好まれるような口調ではない怒声が上から降り注いだ。
「何をしている。何だ、その男は!」
 六十過ぎ。貫禄のある太鼓腹に、卑しい口ひげを生やし、中へと進めてくれた女性にものすごい剣幕で詰め寄っている。
 彼女は私の身の上を話したが、男はこの吹雪の中だというのに、放り出せと言わんばかりに私を睨み、手を上げ、そう言おうとした時だった。
「お辞めなさいよ。みっともない。いいじゃない。一人増えたところで、何が減るわけじゃなし」
 第四の声に階段のほうを見れば、長い髪をひっつめ、薄化粧なのにそのパーツの大きさで派手に見えがちな美人が立っていた。この人の美人さに比べれば、優しいだけの気弱な女の美が霞む。
 だが、このとき私はこの人に対して妙な感じを受けていた。はっきりとしない漠然とした妙な感じだ。
 男は美人に言われ私を中に入れてくれたが、正直面白そうな顔はしていない。
 私は身の上を彼らに話した。
「年は○○才。一応サラリーマンをしてます。収入はたいしたことはないんですよね。サラリーマンだから。まぁ、営業という感じです」
 年と、職業。仕事内容を簡単に。そしてスキーをしに来たが、この吹雪で迷ったことありのまま述べた。
 彼らはそんなに私のことなど興味はなかった。ただ礼儀として聞いているだけで、誰も心底聞いてなど居ない。解っているが、こちらも礼儀でしゃべる。
 彼らが私に興味がなかったとしても、私には非常に惹かれるものがあった。彼女、あるいは彼らは非常に興味深かった。
 この家は、六十過ぎの太鼓腹をした舟渡 良平の別荘で、人材派遣会社社長だと言った。
 腹の所為でもないだろうがぶんと突き出した腹をせり出し座る姿は、本当にみっともない。あの腹を風格だとするならば、まるで役に立たない飾りだと私は信じる。
 私をいらつかせ、あまり好印象を抱かせない理由が、
「おい、ちっ、酒をもってこい」
 と時々鳴らす舌打ちに似た口を鳴らす音。歯の隙間の物を取るような音にも似ているが、非常に不愉快を抱かされる音だ。
 気弱な女は36歳で社長夫人だ。おとなしいわりに化粧の濃い女で、髪は下ろされていて、顔が陰になっている。陰湿に感じるのはその陰から人を伺うからだ。
 若い男は37歳で社長秘書だと言った。傍目でも社長とは折り合いが悪いのは解る。才能があるゆえの嫉妬を買っているだけでない事は、五分観察して直ぐに解った。秘書は妻に好意を抱いている。その好意に妻は悪い気を抱いていない。その二人に社長は嫉妬している。よくある話だ。
 そして最後に出てきた美人は、27歳で社長の愛人だと言った。
 しかも、奥さんの前で―。
 妻は愛人がそう言っている間表情を変えず、ただ黙っていた。笑っていたのは社長だけだった。
 彼女は、顔立ちのはっきりした意志の強そうな女で、その顔の作りゆえに派手な印象を受けるが、気分を害するような今時の擦れた女ではなさそうだった。
 夕食は夫人が用意した。秘書はそれを甲斐甲斐しく手伝っていた。簡単なものだと言ったが、結構いい肉のステーキに、本格的なスープが用意され、夫人の趣味だと言う焼きたてのパンは美味だった。
 夕食もそろそろ佳境に入ったときだった。
 吹雪は一段と激しさを増し、窓を酷く叩いていく。
 だが、この叩きようは故意的なものだ。
 全員の視線が玄関ホールの扉に向く。
 秘書が怪訝そうな顔をして出て行く。玄関ホールとの境を開けているのは、その音に恐怖してのことだと解る。
「はい? ―ドアが開き猛吹雪の音がそばで聞こえた―ちょ、ちょっとあんた!」
 ドアが閉まり、音が閉塞される。
 秘書がどうしたものやら慌てている声に私たちは玄関ホールへいく。
 そこに居たのは、唖然と見下ろし立ちすくんでいる秘書と、その足元に転がるようにして倒れている塊だけだった。
「何、動物? 死体?」
 愛人が恐々と聞くと、
「それが、」
 秘書は茶を濁した。秘書もその存在を確認できていないようだ。
 塊がガバッと起き上がった。
「腹、減ってん……」
 そう言って塊は再び倒れた。
 五分ほど横になっていた男は、夫人が作った消化に良さそうな粥をひと飲みすると、血色も落ち着いたようだった。
「いやぁ〜良かったわ。天の助けという奴なんかな。私、名前は雨水 霧氷と言います。職業はまぁまぁ自営業ですわぁ」
 と男は名乗った。
 男は飄々とした笑顔を浮かべ淡々と話し出した。
「いやぁー死ぬかと思いましたわ!」
 男の風貌は茶髪で中途半端なロン毛だが・・・もう少しでハゲ上がりそうな感じに前髪は薄くなっていてボサボサ。丸メガネで人懐こい瞳はしているが無精ヒゲで年齢不肖な顔。黒のダウンジャケットの下はヨレヨレのジャケットにだらしなく緩まったままのネクタイ。全く統一性が取れてない縦縞シャツはジーパンから出したまま。それなのに真っ白な雪が解けた足元を見たらグチャグチャの革靴だった。
「僕は神出鬼没で日本一有名な探偵ねずみ社の者ですわ。決して怪し者じゃ有りません」
 男は靴を脱ぎ、ビショビショの靴下を脱ぎながら、乾燥室への案内を求めた。
 雨水 霧氷などとふざけた名前は偽名だと解っていたが、それを訂正したところで、この吹雪ではどうこう言うほどのことはないと誰もが思ったに違いない。誰もそのことには触れなかったのだから。
 私は妙な一行と知り合ったものだと思いながら、話題を捻出した結果、推理小説で盛り上がった。
 そうだ。夫人が大のアガサ・クリスティーファンで、彼女が書いた毒殺シリーズ―と夫人は勝手に呼んでいたが―あれは、クリスティーが薬務に精通していたからだと言う世評を今更ながら説いていた。夫人が特に好きだと言ったのは、ABC殺人事件だといい、熱っぽく話した。よほどその中身を知らないと言えないだろうというような、裏を返せばただのマニアックさが私を引かせた。
「クリスティーが書く女性ってきれいなんですよ。世の人の大半はシャーロック・ホームズファンだと言うけれど、コナン・ドイルの書く女性は皆か弱くて想像力―彼に言わせれば犯罪を犯すだけの度胸と頭脳を指すと思うのだけど―が欠落しているって、そういうことはないと思うの。女だって思えば殺人だってしかねないと思うのよね。もちろん、今じゃなくてあの当時の話だけど」
「確かに、今はいろんな人が犯罪を犯す世の中ですからね」
 私の言葉に反応したのは愛人だった。
「そうね。しそうもないほどおとなしい人が実は殺人鬼だっていう話もざらだしね」
 愛人の言葉に秘書は敵意をむき出したような鋭い目線を愛人に向け、夫人は少し俯いた。
 だけど、私の言葉に過敏に反応したのは、愛人ではなく、社長だったのを私は逃さなかった。
 一瞬口に運びかけた肉の塊が口の前で止まり、私が口に入れるのを見て運びなおしたのは、そういう危険―つまり、命でも狙われていると言う危険を―感じているのだろうか?
 まさか、小説か何かじゃあるまいに、こんな山奥のコテージで殺人など、第一、ここには私と雨水と言う見知らぬ第三者が居ながら6人しか居ない。こんな悪条件で殺人を犯すのは、それこそ「そして、誰も居なくなった」じゃないか。馬鹿馬鹿しい。
 私はワインを口に運びながら口の端をあげて自嘲した。
 社長は夫人のミステリ好きを馬鹿にし、世に溢れている推理ものと言うものはすべてにおいてただの紙の無駄使いだと喚いてこの話は終わった。
「人材派遣の面白さは、巧く行かないってところだ。巧く行って社員になる奴は確かに居るが、ほとんどが一ヶ月、一週間、一日で辞める奴も居る。ろくな奴じゃないから人材派遣に登録するんだ。もし、ちゃんとした奴なら、そんな場所必要ないわけだからな。つまり、世に言う、バイトとかニートとか、ああいう奴らを受け入れて、適当に仕事を与える。それがそいつに合うかどうかなんていうのは問題じゃない。世話をすることと、登録させること。それが俺の商売だ」
 社長はそう太鼓腹をゆすって話した。
 世間で人材派遣会社に登録している人が聞いたら、どれほど憤慨するか。と思ったが、ここは吹雪で閉鎖された我々だけの世界だ。知らず知らずに私は社長の社員であり、この中では平社員のように肩身狭く社長の機嫌をとっていた。
 社長は夕飯の代わりにボトルウイスキーを一本軽く空けた。極度のアルコール依存症で、土気色からして黄疸も出ているのだろう。もしかすると肝硬変かもしれない。
 その社長は部類の話好きだった。というより、持論披露家。ただの自慢したがりだ。
 実際は私が社長の繰り出す世間話をどう切り替えしたり、話題性に富むかどうかの才能を見ていたのだと言うことは、絶えず動く瞳で解っていた。
 雨水に話を振らないのは、彼が猛烈に食事を掻き込んでいるからで、あれを見れば誰も話しかけようとは思わないだろう。しかも、社長は見切っていたのか、自分よりの知識があるものと話すことは控えたいようだった。
「あんたの趣味は?」
 だから、社長の的はいやがおうにも私となる。
 私はスキーが好きだと答えた。スノボーもジェットスキーも一応はするが、やはりスキーのほうが好きだと言った。
 夕食後。
 夫人は食器の片づけを済ませると、飾り棚の上においていたかばんからプルケースを取り出し薬を飲んだ。
「風邪、ですか?」
 要らぬ質問だと思ったが、私の質問に夫人は、
「いいえ、バルビタールって言うお薬。ご存じないでしょ」
 夫人はかすかに笑ってケースをかばんに戻した。
 夫人がそういう以上それに対して口を挟む気にはならなかったが、つまりは不安やらストレスやらで眠れないのだろう。と私には解った。
「まったく、」
 社長が急に大声を上げた。大酒飲みの特徴とも言える異常な大声と興奮した顔に秘書はうんざりした顔を向けた。
「お前と、それからお前―と私を指差した―が入れ替われ。俺がお前の辛気臭い顔を見るとほとほと腹が立つ」
 秘書は黙って居たがその顔は苦渋と屈辱の色が滲んでいた。
 その色を見て社長は肩だけをゆすって笑っている。言われた当事者ではないが、
気分が悪い笑い方である。
「あなた……」
 夫人が悲壮的な声でそれを咎めた。
 愛人が笑いながら立ち上がり、
「こんな辛気臭い場所に来てくれる人なんてないわよ」
 と社長の首に腕を絡ませなかったら、夫人も秘書も席をはずせなかっただろう。
「ふん、あの二人、今日も褥を合わすぞ」
「古風ね」
 愛人が煙草に火をつけた。細く長い指が煙草をはさむ。
 社長は愛人の腕をさすりながら、
「先に上がっていなさい」
 愛人は返事もせず黙って上がる。だが従っている様子はない。気分的に二階に行きたいのだと言う顔をしている。
 一階には私と雨水と社長だけが残った。
 社長は一気に酒を煽り、私にグラスを勧めたが、私はそれを首を振って拒否した。
「変な連中だろう?」
 社長はそう言ってグラスに酒を注ぐが、かなり酔っているのか、酒はグラスに受けられず机やら床に落ちる。
「お前たちは無関係者だ。あの中の誰が俺を殺すと思う?」
「は、はい?」
 私は聞き返した。
 社長はにやりと口の端だけで笑い同じことを言った。
「誰が俺を殺すと思う?」
「な、何を言ってるんですか?」
 否定した私に社長は小声で言った。
「俺はあいつらの誰かに殺される。今日じゃないかもしれないし、明日かもしれない。だが、絶対に殺される」
 私は雨水の方を見た。雨水は黙ってソファーに沈み社長を見ている。
「……、予感でっか?」
 雨水の声が低く響く。
「そんなんじゃない。感など大して役に立たん。だがこれは感以上のものだ」
「何かを見たんですか?」
 私は思わず口を出した。
「いや、だが、そういう気配……何と言うかな、あれだ、ほら」
「殺気、ですか?」
「それだ。それなんだ」
 これからあとの社長の言葉はろくに呂律が回らなくなってきたので、支離滅裂と、意味不明な言葉が続くので、私が聞こえいい様に要約した言葉で伝えるとすると、
 社長の結婚は三回目で夫人とは三年目だと言った。もともとは愛人だったそうだ。前の女房は浮気を知って激怒して駅側に建っているマンションを慰謝料にふんだくって別れた。子供は居ない。子供は最初の結婚のときに男の子が一人。別れて二十年。まったく会っていない。無事成長していれば三十いくつだそうだ。夫人は以外に興奮しやすいタイプで、この愛人を連れてきたときには激しく抵抗した。だが今では秘書といい仲らしい。
 社長は婦人と秘書との浮気を激しく罵ったが、私に言わせれば、自分のことは棚上げだ。
 雨水はその間黙っていた。ただ黙って社長を見つめ、時々、本当に時々だが眉をしかめる位はまったく身動きしなかった。
 会見は二時間はたっぷりあったようだ。
 時計は十時を回っていた。
 私と雨水が廊下に出ると、戸の閉まる音を聞いて秘書が降りてきた。
「別々に休みたいでしょうが、あいにくと一つは物置にしてまして、一応、ベットは別なんで、二階の一番奥の部屋でご一緒に、」
 と秘書は申し訳なさそうな顔をした。
「別にいいですよ。どうせ、厄介になる身ですから」
 雨水の言葉に私は少し驚いた。この男はしゃべれるじゃないか。ではなぜ社長との会見のとき喋らなかったのか。
 私は頭を下げ荷物を担いで階段を上がった。
 窓の外には轟々と唸り狂っている吹雪の乱舞が見える。
 私の足音を聞き、秘書が部屋から出てきた。
「すみません、まったく変なことで」
「いいんですよ。社長に比べたらあなたたちはずっと常人だ。部屋はそこです。この前―廊下を挟んだ前―の部屋は物置です。あなたたちの部屋の隣は、あの人―愛人―です。その前が私、私の隣が社長。その前が奥様になってます。この吹雪でしたら、どこへ行くわけでもない。あの社長の気まぐれに邪魔されなければ、一杯付き合えるのは俺ぐらいですから」
「そのようですね」
 私は本当にそうだと思った。
 年の頃も同じで、開いた戸の隙間から見えたスキー板の趣味からいっても、話は合いそうだった。
「気をつけてくださいね」
「何にです?」
 秘書が小声を更に落とす。
「社長の愛人です。あの女、ずる賢い上に、執念深い。大体愛人と奥様を別荘に連れてくる時点で異常者なんだ。そう、あの社長は犯罪にならないが上等な犯罪者ですよ」
 秘書の目が怒りでちらついた。だが直ぐに営業スマイル張りに笑顔を見せ、
「何かあれば俺を」
と言って戸を閉めた。

 私はあてがわれた部屋に入った。
 ベットには緑色のベットカバーがかかっていて、なかなかいい部屋だった。
 雨水が直ぐに右に置かれたベットに寝転んだ。
 私は仕方なく左側のベットになった。荷物を隅に置くと、ベットに寝転がった。バネも悪くない。
 天井を見上げ、彼女を、あるいは彼らを思い出していた。
 とはいえ、私はミステリー作家でもなければ、そう言ったものも読まない。小難しく書かれたものを読むのは非常に肩がこるし、活字は嫌いなほうだ。
 だが、そういう私でも、彼女に何かがあると思うのは自然の摂理だと思う。
 一人の男に二人の女。一人の女に一人の男。一人と二人と一人と一人。なかなか暗示的な言葉だがだからどうしたと言うことはない。ただの羅列。まったく無意味な言葉だ。
 だが私はそのフレーズが妙に気に入った。一人と二人と一人と一人。
 私はここで聞いてみた。
「さっきのことですが、」
 雨水は腕を組んで天井を見ていた。
「社長の言葉、……あの?」
「先をどうぞ」
「あ、あぁ。どう思います? 社長の言った言葉。つまり、誰かに狙われているとか、殺されるとか。どう思いますか?」
「ただの金持ちの暴言。人は豊かになってトップに立ってしまうと物欲は消え去り、今度は逆に周囲や下からの追撃に翻弄されるようになるもんさ・・・社会の常識って」
 雨水はこちら側を振り向いて、薄紅笑いを浮かべ更に続けた。
「それに・・・、こんな人数の少ない別荘と言う空間での殺人なんて有り得ないでしょ。
何が有っても今日殺したい目的が有る人ならば別ですがね。」
 雨水はそう答えた。
 私は雨水の答えに共感しなかった。だが、それもありえなくもないな。としか思わなかった。
 私は再びあのフレーズに酔い始めた。一人と二人と一人と一人。引き金のように思考がめぐる。
 この別荘には、私を含め男が四人。女が二人。誰かが死んだら、そう、社長が死ねばこの別荘の中の誰かが犯人になるだろう。誰が犯人か、差し詰め、日常の憂さに耐えかねた秘書だろう。胸を一突き。彼は刺した包丁をどこへ隠すだろうか。台所に置くのは最も危険だ。見つから無い場所は……、地下のワインの貯蔵用のたるの中。いや、日本の別荘にそんなものがあればの話だが。
 など、売れそうもない推理ものを頭の中で描きながらうつらうつらしていた様だ。時計は夜中を打ち、私は慌てて寝巻きに着替え、布団に入りなおして寝なおした。

 どこかで何かが聞こえた気がしたが、夢の中の遠い言葉だったかもしれない。

#:翌朝
 私が一階に降りると、食事の用意をしていた婦人を秘書が手伝いせっせと運んでいた。
「おはよう」
 愛人が降りてきた。
 夫人が味噌汁を入れていたおたまでなべを軽く叩いた。というより手が滑ってそれを抑えるために鳴らしたようだ。婦人は首をすくめ少し照れくさそうな顔をした。
 愛人は吹雪の日を明るくするかのような赤い服を着てそのまま窓辺に座り、外のなかなか治まってくれそうもない吹雪を眺めた。
「おはようございます。あの、手伝わないんですか?」
 余計な言葉だと直ぐに思ったが、出たものは引き戻すことは出来ない。
「あら、あなたいつの時代も台所仕事は女の仕事なんじゃないわよ。出来なくてもいいのよ」
 愛人はそう言って煙を吐き出した。
「遅いわね」
 夫人が時計を見上げてすべて整った食卓を見回し、補足無しと見ると、
「主人を起こしてくるわ」
 と部屋を出て行った。
 秘書は社長が毎朝日課とする新聞―とはいえこの吹雪ではそれは叶わない―の代わりの週間テレビ欄雑誌、会社の情報をインターネットで見るためにノートパソコンを取りに行った。
「酷い話でしょ」
 愛人はそう言って煙を吐き出した。
 私が愛人の赤い唇に見とれていることなど構わず、彼女は続けた。
「社長は愛人のあたしを連れてきた。奥さんに酷い仕打ちをしている。と思うでしょ、でも逆よ。本当はあたしに対する仕打ちなの。あたしがこんな生活嫌だって言い出したから。奥さんと居合わせ、あたしみたいな女がこんな―奥さんのことよ―幸せものにでもなれると思っているのか。って馬鹿にするためなの。そりゃ奥さんはそんなこと知らないし、こんな肩身の狭い場所、馬鹿を演じる以外ないでしょ?」
 そう言って愛人は自分の服を指差した。
 彼女に対して「感じた妙な感じ」とはその風貌の違和感だったのだろうか、指差されたときはそう思ったが、それとも違う妙なものだ。

――――――――――キャー―――――――

 空を切り裂くような悲鳴が上がった。
 私は瞬間立ち上がり、私を見上げている愛人を見下ろした。
「ゴキブリが出てきた。って感じじゃないわね」
 何を暢気な。あんな悲鳴そうそうあるものじゃない。
 雨水は一目散に階段を駆け上がった。
 私が廊下に出ると、同じように声を聞いた秘書と階段を我先に駆け上がり、階段を上がって右手(南側)の部屋に向かった。
 社長の側に雨水が立っていた。
 夫人がベット脇に腰をつき、わなわなと震えている。
 私と秘書が入るには妙な威圧感を部屋は発していた。
「どうしたんですか?」
 秘書は夫人のそばに近づいた。
 私はそれを見ながら、ベットに横たわっている社長のそばに居る雨水のほうを見た。
 雨水が振り返り首を振った。
 それを見て夫人は咽喉が裂けるほどの乾いた悲鳴を上げて失神した。
 私はその光景に唖然としながら、雨水のほうを見て、社長をその脇から覗いた。
 丸々とした打ち上げられたセイウチのような巨漢のだらしのない脂肪。昨日見知った男だったが、昨日とはずいぶん違うのが、血の気がない顔をしていることだ。
 黄疸の色の濃かった皮膚は更に土色に変わっていて、激しくもがいたようで口は開き、目が剥き出していた。
「社長は薬を飲む習慣でも?」
 雨水の言葉に、われわれの眼は雨水に向けられた。
「え? えぇ、血圧が高かったものですから」
「で、あの量の飲酒を?」
「辞めるよう、奥様はおっしゃってましたが、」
「そんなんで聞くような人じゃないわよ」
 愛人の声が私の直ぐ後ろで聞こえた。
 彼女は煙草を吸い腕を組んで横たわっている社長を見下ろしていた。
「詳しいことは解剖しなきゃいかんなぁ、薬による死因でしょうなぁ」
 雨水はそう言って立ち上がった。
「自殺?」
 私の言葉に雨水は首を振った。
「断定は出来ません。でも、そうでない確率のほうが高い」
 私たちは雨水を見た。
「とにかく全員で階下に降りましょう」
「なぜ?」
 愛人は雨水に煙を吐き出すように言った。
「私は探偵ですわ。そして、私と彼は部外者や」
「部外者が犯行を犯すと言うことも考えられる」
 そう言ったのは秘書だ。
 雨水は口の端をあげ、
「こういう場合、そう、第三者の快楽殺人者はもっと派手に殺しますわ。地味なのは身内。よって、私と彼は除外され、探偵役となってあなたたち三人を監視します。ご異存でも?」
 雨水の言葉に依存がない分けないだろうが、三人は黙った。
 愛人が先に階段を下り、雨水に促されるように秘書が夫人を抱え下りた。
「君にはワトソン君で居てもらうからね」
 雨水の言葉に、私は頷いた。

「まず、状況の整理をしよう。」
 雨水の言葉に私は部屋の内容、雨水の言葉を記録するために手帳を取り出した。
 本来ならば、仕事で使うために買ったが、使ったためしがないままカバンの中にあったものだ。
 社長は自らのベットにうつ伏せのまま死んでいた。その顔には苦悶が滲み、それが安楽死であったとは到底思えない。
 死後硬直から言って―これは雨水が言うので、信憑性の有無は私には解らない―夜中の二時から三時の間だろうという話だ。
 気道封鎖による呼吸困難というのが一見する診断である。口を大きく開け、咽喉を掻いて出来た爪の痕、ベットサイドから落ちている薬入れ。中身は秘書の話では高血圧剤だという。
「薬をいつも用意するのは?」
「私です」
 秘書がおずおずと言った。
「病院から持ってくるのも私です。一回分をベットサイドに置くのも私の仕事です。だからって、昨日に限って間違ってはいません。ちゃんとした薬だ」
 第一、まだ私はあんたたちを探偵だと認めていない。などと口の中でぶつぶつ言っていた。
「奥さん、薬持っていましたね」
「え、えぇ。安定剤です」
「そのようで、それがどういうものか、ご存知で?」
「安定剤だと、」
 雨水は肩をすぼめた。
「バルビタールは、」
 私は思わず口走ったことを後悔した。全員が私に集中したのだ。
「知っているんですか?」
 雨水の口調に思わず頷いた。
「どういう薬です?」
「……、ベロナールといえば、解りますか?」
「ベロナール。なるほど、そうですか」
 雨水の言葉に私は俯いた。
 ベロナールといえば有名な薬だ。ベロナールとネットででも検索すれば直ぐに出てくる。「芥川 龍之介」との関連文。
 ベロナールというのは、龍之介が服毒自殺した薬だ。
 飲酒を加味合わせばさぞかしよく効くだろう。ただし、自殺する場合には覚悟の呼吸困難だろうが、する気のないものにとっては、咽喉を掻き毟りたくもなるだろう。
 私はここまで思って雨水を見た。彼はいたって飄々として腕を組み、考え事をしている風な態度を見せていた。
 ベロナール錠を砕き、粉にしたものを酒に混ぜた? あるいは、高血圧剤と一緒に置いておいて間違って飲ませたか? 雨水の頭の中にはベロナールによる服毒殺人という言葉があるに違いなかった。
「あら、あなたたちいつまで毒殺するのは女だけだと思っているの?」
 愛人が言った。
 私の目が夫人に向いていたのを察したのだろう。
 毒殺するのは女に決まっている。それが間違いだと、愛人があざける様な笑みを浮かべている。

 私と雨水は台所へと向かった。
 台所は階段のそばで二階への上がり下りに気付く。三人を個別に召還して事情を聞きたいと言う思惑もあったのだ。
「犯人があの中に居ると思ってます?」
 私が聞くと、雨水は
「君か、俺で無いとすればね」
 と答えた。

 私と雨水はまず「秘書」から会見を行うことにした。
 理由は「男」だからだと雨水が言ったからだ。


#:秘書

 秘書は不服そうな顔をして椅子に座り、目の前に座っている雨水、そして雨水に従うように全員の口述を記入する役目の私を軽く睨んでいた。
「それで、何をしますか?」
 秘書の口調はかなり挑発的だ。
 雨水は微笑み、
「まぁ、こういう会見は遅かれ早かれするもんですわ。警察でもね。それにあなたが思っている通り、私は素人です。案外社長さんは毒殺されたのではなく、自殺かもしれないわけですわ。それも、故意の」
「故意、というと?」
 秘書の顔から少しだけ険しさが取れた気がした。
「まぁ、よくある話ですわ。誰かに罪を着せるためにわざと薬を飲んだ。すると、薬の管理をなさっている秘書さん、あなたが一番最初に怪しまれるわけですよ。この会見は、そのあなたの無実を晴らすことにもなるし、もしくは、更なる容疑者になるかは、これから私の出す質問に答える全てで決められるわけですわ」
「あんたは、犯人、いや、真相を是が非でも探りたいと言っているのですね、いいでしょう、私に質問してください、何でも答えますよ」
「あなたは薬を管理する立場に有ったわけですが、あなたが管理している全ての薬に付いて薬の名前、服用のタイミグ・・・その他諸々一つづつ説明してください」
 秘書は眉をしかめ、薬を入れていた袋を取り出し、三種類の薬を机の上に並べた。
「これは高血圧剤です。一日一度朝飲むのが日課です。ので、必ずベットサイドに朝用の薬としておいてます。社長はここではベットで朝を取ることが多かったですからね。それに、たまに皆で食べたとしても、薬を飲むのは決まって自室に帰ってからでした。
 これは安定剤です。血圧の高い人によく見られる不眠治療薬です。とはいっても、平均して十分ほど寝つきが悪くて薬に手を出してましたけどね。
 これは胃薬です。あの体を見れば相当飲み食いが激しかったと解るでしょう。そのために飲んでいたものです。
 血圧剤は赤い箱、安定剤は黄色、胃薬は透明なこのピルケースに入れる。そういう決まりを作ったのは社長です」
 秘書はそう言って、こんなもの大事に持っていても必要なくなったけど。とこぼしながらカバンに入れ、机の上に置いた。
「あなたが昨夜薬を持っていた際の状況を説明してください。会話や、どんなに小さい変化や気付きでも構いませんが」
 雨水の言葉に秘書はしばらく考えていたが首を振り、
「至って変わりませんよ。来た時と同じ。薬の量、それに薬入れの色の確認をしてサイドテーブルに置く。薬用の水を入れ替え、コップも用意し、……そう、別に変わったことなど無いですよ」
 秘書はそう言って頷いた。
「あなたが社長に抱いてた理念、想い・・・? それに夫人や愛人についても抱いてる想いが有りますよね。あなたが思うままで構いませんから話してもらえませんか?」
「そんなことがなんの役に立つんですか?」
「ハハハ、役に立つなんて大袈裟な事は考えてませんよ。この聞き取りだって、偶々(たまたま)僕たち部外者が2人以上だったから成り立って居る訳で、警察の取調べとは違いますから。あくまでオフレコで有って・・・僕たちの関係の中で話せる範囲なんて僕たちの想像の粋を少し越えたものかな?くらいしか思ってませんから」
 秘書は渋るような顔をし、
「社長は常に向上心のある人でしたよ。力強くて、貪欲で、」
「傲慢、という奴ですか?」
 私が持っていた社長の印象を口走ると、秘書は眉をしかめた。やばいことをいったものだと私は雨水の方を見たが、雨水は別になんともない顔をしていた。
「そう、そういう奴ですよ。とは言え、社長ですし、故人の悪口を言うと祟られそうで気味悪いので言いませんけどね」
 秘書はそう言うと、雨水は頷き、
「愛人はどうなん?」
と聞いた。
 秘書は露骨に嫌そうな顔をし、
「あの女はごうつくばりの、ああいう女のことを面の皮の張った女狐というんですよ」
 と言い放った。その口調はどこか憎しみがあり、夫人を思っていると思われる秘書の言動らしいと私は思った。
「では、夫人は?」
 秘書は少し口をつぐみ、ややあって
「いい人ですよ。素敵な人。あんな男が妻にしていいわけのない人ですよ。才色兼備で品があって、優しくて、ああいう人こそ女と言うものですよ」
 秘書は随分と熱っぽく答えた。
 雨水は返事もせずに秘書を見つめた。
「最後に・・・」(笑)「あなたが秘書と言う枠を超えて見ても構いませんが僕たちに抱いてる想いは有りますか?」
 秘書はにやりと笑った。
「不信感。それ以外ありませんね。そう、不愉快も付け足しておきますよ」
 秘書の言葉に雨水もにやりと笑い、
「はい、以上で質問終わりですわ」
 と言った。
 秘書は雨水と私を軽く睨んだあと部屋を出て行った。
「彼が犯人だと思いますか?」
 私は雨水に聞いた。
「勘で物事を判断するなんて、昔の刑事ドラマの見過ぎですわ。あの人たちは僕らをウサン臭い信用の置けない人物だと思ってる・・・そして警察では無い一部外者で有るから、この聞き取りの状況に全く緊張感が感じられない。これは良い状況・・・これから面白くなりまっせ」

次に「夫人」と会見をする。

#:夫人
 夫人は心痛な面持ちだった。蒼白した顔、小刻みに震えている手を必至で押さえ込むように組んでいる。目がいつも節目がちで、唇は固く結んでいた。
「私は、何も知りません」
 いきなりそう言って夫人は目を伏せた。
 夫が死んでかわいそうな奥さん。という印象を強く受ける。
「ご主人が突然お亡くなりになって悲痛な想いをされていることを承知の上で、失礼な質問をいくつかさせてもらいますわ。当然、警察に行ったら無情なまでの取調べが待っているとは思いますが、ここは私たちだけなので、お話したく無い部分はお話にならなくて結構ですから」
 婦人は上目遣いで雨水を見たあとで私を見た。どこか濡れていてはっきりしない瞳孔が静かに頷いた。
「昨夜の行動に付いてですが、私たちと別れてから就寝するまでと、ご主人と最後に話されたときのことに付いて教えてください」
「私は別室で休んでいます。ご存知の通り、彼女が居ますから……。主人とは、夕食後直ぐに分かれたっきり顔も見ていません。主人の秘書と一緒に二階へ来て、個々に部屋に入りました。部屋で静かに本を読んで、十一時十六分でしたわ、電気を消しました」
 私は眉をしかめた。
「えらく細かい時間ですな」
「その時間に時計に目をやりましたから。十一時を回った頃だと思ったのに、十六分なんて中途半端な時間に時計を見たものだと思って憶えていたんです」
 夫人は、普段はかっちりした時間に時計を見たりすることもあるんですよ。と付け加えた。
「あなたは、ご主人の処方されている薬についてはご存知でしたん?」
「薬を飲んでいるのは知ってました。高血圧のと、なんですか? 大いびきをかいて寝れるくせに睡眠剤とか、暴飲暴食で胃薬が要るとか、ええ、薬さえ飲んでいれば健康だと思っていた人です」
 夫人は少し馬鹿にしたように答えた。
「秘書に付いてはどう思われてるん?」
「良い方ですよ。仕事に関してはよく出来るとかは知りませんけど、あの主人のもとで秘書をやってるんです、才能がないとなかなか勤まりませんわ」
「あなたは愛人とは普段会話されていますか?」
 私は雨水の方を見た。そのものずばりで聞く雨水にやはり夫人も顔色が変わった気がしたが、
「私がどう思っているか? 別に、何も。よくあんな狸のような男に言い寄ってくるものだと、いくらお金があってもとは思いますけど、」
 夫人はそう言って言葉を切って雨水を見た。
「・・・ずばりお聞きしますが・・・ご主人の愛人と同居されている複雑な関係にあって、ご主人に殺意を抱く怨恨の線からは、夫人あなたが真っ先に疑われると思いますな?」
「そうでしょうね。動機がはっきりしていて、薬だって持ってますものね、でも、愛人が居るくらいで殺すなんて、」
「それにあたなには、ご主人の莫大な遺産を譲り受ける権利が有りますよね?」
「……、私をどうしても犯人に仕立てたいんですね、では、本心を言いますわ。私、あの人が死んでショックです。死体を見たという点で。でも、あの人が死んで悲しいわけじゃないし、もし誰かが殺してくださったんなら、お金を差し上げたいくらいですわ。私が相続する遺産のこれっぽっちですけど」
 夫人はそう言って顔をくいっと上げた。
 手の中にあるハンカチは強く握り締めたままだ。
 私は雨水を見た。
 ぼんやりとした目を夫人に向けていたが、
「最後に、私たちのことをどう思っていますか?」
 とだらしない声で聞いた。
「どう? 別に、……そうね、この殺人事件かしら? 事故かもしれないわ。自殺かも。とにかくその特定をしてくださろうという親切な方。だと思いますわ」
 夫人はそう言って私のほうに軽く会釈をした。
「いや、結構です。また何かあれば聞きに行きますが、今はこれで結構です」
 夫人は立ち上がるとわれわれに頭を下げて出て行った。
「夫人は犯人じゃないですね?」
「またまた・・・(呆れ顔)事件は意外な線から解決しますわ。まずは全員の話を聞いてから整理しませんか?」

最後に「愛人」に話を聞く
#::愛人
 愛人はすっと椅子に座った。
 その動作があまりにも「人が死んだあとの関係者」に似つかわしくない気がした。
 スマートで、きれいだ。そう、この人はきれいなままだ。
 夫人が病的にショックを受け、秘書が我々の介入に憤りを見せている中で、この人だけはきれいなままだ。不思議なくらい。
「社長がお亡くなりになって愛人のあなたにとっては、失礼な質問をいくつかさせてもらいますが良いですか? 皆さんにもお伝えしていますが、事件となった際に警察に行ったら、それは厳しい取調べが待っているとは思いますわ。ただ、ここは私たちだけで警察関係でも無いので強制は有りまへん。お話したく無い部分はお話にならなくて結構ですから」
 愛人はくすりと笑い、
「別に構わないわよ。どうせ愛人というだけで世間の目は厳しいんだから」
 私は思わず首をすくめて雨水を見た。だが雨水は表情すら変えず、相変わらずな顔で質問を始めた。
「昨夜の行動に付いてですが、私たちと別れてから就寝するまでと、社長と最後に話されたときのことに付いて教えてください」
「あなたたちが上がってしばらく社長と居たわ。別にする気分じゃなかったんでしょうね、色っぽいことも無く、十時ごろに社長が寝ると言い出して一緒に上がって、肌のケアして、それから寝たわ」
「何時ごろ?」
「さぁ、昨日は念入りにしたつもりはないし、かといって疲れていたわけじゃないから、三十分後ぐらいじゃない?」
 スキンケアに三十分も女はかけるのか。私はそのほうが驚きだったが雨水は黙っていた。
「ベットに入って直ぐに寝付けましたん?」
「さぁ、何度が寝返りを打ったけど、わりと寝つきはいいほうだから、直ぐに寝たんじゃない? それこそ十一時ごろには」
「あなたは、社長の処方されている薬についてはご存知でしたん?」
「薬を飲んでいたのは知っていたけど、何の薬かまでは興味ないから。あれを飲まなきゃ死ぬとかってもんじゃないんでしょ? としか思わなかったわ。だって、お酒も飲むし、煙草だって吸ってる人が、薬で命を永らえているなんて思う?」
 愛人はそう言ってけらけらと笑った。
「個人的な問題になるんですが、秘書に付いてはどう思われていますか?」
「秘書? べつにぃ、面白くも無い男よ。社長に媚を売るくせに、かわいそうな夫人に対して妙な感情を抱いて、そのくせ、若い子が好きそうな、どこにでも居る男」
 愛人はそう言って雨水と私を見比べ、
「あなたたちとは違うわね、秘書は」
「どう違いますか?」
「あの人、裏を持ってるのよ、頭が良いからばれやしないとたかくくってるけどばればれ。単純で、ほんと無様なもの。でも、あなたもそれからワトソンさんも(失笑)裏の顔を持ってるようだけど、まるで見えない。見てみたいけど、怖いからよしておくわ」
 私は、別にそんなもの持ってない。と言ったが、愛人はくすくす笑っただけだった。
「夫人に付いては?」
「夫人? かわいそうな人。そう。あんな男と紙切れだけで夫婦と呼ばれてることがね」
「あなたは愛人ですけど?」
「愛人はね、適当なのよ。愛情も、固執も。奥さんが別れたいと言ったらどうすると思う? 殴る、蹴る? そんなもんじゃないわね、きっと。でも愛人の私が別れたいと言ったなら、殴って、蹴って、私と言う価値を下げて、捨てる男よ。夫婦という体裁と面子があるからね、それこそ独房にでも入れて監禁なんかするわね。きっと」
「それでかわいそうと?」
「そう、そして、こんな私と一緒に暮らさなきゃいけないんだからね」
「この三角関係が同居する中で、真っ先に怨恨の線から浮かび上がる犯人像はあなたか?夫人か?ですよ。」
「そうね」
 愛人はくすくす笑い、
「さぁ、どっちかしらね」
 愛人は挑発的な視線を投げた。
「あなたはもちろん社長のことを愛されてる訳ですよね?」
「愛されてるねぇ。そんなこと感じたことはなかったし、求めてなんか無いわよ。お金さえあれば良いから」
「では、あなたは社長が亡くなってからの生活はどうされるつもりですか? あなたには社長が死んで得することが有りますか? たとえば社長から不動産を貰っているとか・・・?」
「さぁね、遺書を書いてたかなんて知らないし、もしくれると言ってもたいしたもんじゃないわよ。多分、自分の墓石は高価にしろ、葬式は結婚式並みに派手なものにしろ、それですべて無くなるんじゃない?」
 愛人はまたもけらけらと馬鹿にした声で笑った。
「最後に、私たちのことをどう思っていますか?」
 愛人は笑うのをやめ、私と雨水をじっと見たあとで、
「いい男」
 と微笑んだ。
「では、また何かあればお話をお聞きしますわ。今はこれで結構です」
 雨水がそういわなければ、私は愛人の目に釘付けになったままだった。
 愛人が部屋を出て、私は雨水に他の二人同様の質問をした。
「彼女が犯人でしょうか?」
「あの人は常に挑発的な性格であって、今もそのままだったじゃないですか」
「次はどうするんですか?」
 私は雨水に聞いた。
「まずは3人の話を整理して、それぞれの動機を推察してみませんか?」
 私はその答えに頷いた。

#:考察

「ベロナールを持っていたのは夫人、薬を持っていくのは秘書・・・単純に考えたら夫人と秘書の複数犯も有りなんでしょうか?」
 私は思い付くままに雨水に問い掛けた。
「そもそも服毒したと思われるベロナールですが、その出所は本当に夫人の持っていたベロナールなんでしょうか?」
 私の頭の中は全く整理されておらず次々と雨水に向けて
「それに酒は誰が用意したんでしょう? 酒の中に混ぜていたとすれば・・・夫人と愛人の共謀説? 指紋取れば一発で解かることでしょうが。単純に今有る物証から推察したら、あの最も悲観にくれた夫人が怪しくなりますよね。動機も愛人との三角関係で十分だ。」
 そこでふと雨水を見ると、止め処なく話続けそうな私を見上げながら笑みを浮かべ
「そうですなぁ・・・」
 と相槌を入れてきた。
 私も自らの話を制止してくれた雨水に笑みを返し腰掛けた。
 雨水は突然立ち上がると腕を組みながら、右手の人差し指をおでこにコツコツ当てながら答えた。
「これは単独犯である可能性が高いでしょうね。もし、仮に複数、二人、もしくはあの三人全てが犯人だとしたならば、わざわざ我々のような見知らぬものが居るときにしますか? 一人であればどうしても今日でなければならなかったわけですから、強行に及んだのは解るでしょう? では、なぜ今回なのか。そのものずばり、他の二人からも怪しまれないからですよ。おおよそ薬の間違いか何かで処理できるはずですし、我々が調べるといっても警察とは違う。だからこそ、不機嫌で居ても話をする。さぁ、面白くなってきたではありませんか。彼らはお互いを庇っていることもなく、かといって、怪しんでもいない。そう、我々が犯人であればとさえ思っている。警察が来る明後日までに犯人が見つかれば、表彰もんですわ。ワトソン」
 雨水は本当に楽しそうに話した。

#::妻2

「まずはベロナール!そう薬の出所を確認しませんか? ワトソン君。夫人の部屋へ行きベロナールを服用している理由や処方を受けるタイミングなど事件に関わり無い部分から聞き出して、核心となるベロナールの管理、紛失や盗難の可能性、夫人の部屋へ出入り出来る人物についてなど・・・それとなく聞き出して来て貰えませんか?」
「解りました」
 と言っても、私に巧く聞き出せるか磁針はなかった。
 私は夫人の部屋を訪ねた。
 夫人はベットに横になりながら返事をし、私の入室を許すと少しだけ体を起こした。
「先ほど聞きそびれたことがありまして、いいですか?」
 夫人は雨水よりは私に対して抵抗が少ないように感じた。夫人は頷くと、私に側の椅子を勧めた。
「それで? なんでしょう?」
「薬ですよね、実は。いや、難しいことではなくて、何のために飲んでいるのか、日に何度飲んでいるかなど、あと、薬が少なくなってるってことはないですよね?」
 私は様子を伺いながら喋った。実のところ、私はあまり人に嫌われる役というのに慣れていない。
 夫人は少しだけわたしを見ていたが、
「薬は睡眠剤として使ってます。別に可笑しい話ではないでしょ?」
「えぇ、まぁ」
「一日に何度も飲めるものじゃないし、寝る前、特に寝れない時に飲みますよ」
「昨夜も?」
「えぇ、昨日は彼女と、あなたたちの乱入の所為で、飲みましたわ」
「常用性はないのですね?」
「えぇ、ないです。月に一度、二度ぐらいしか飲みませんわ」
「でも、常に持っている」
「彼女が居るんですよ、嫌な思いをするに決まってるし、もたずに居ること自体が不安要素になりますからね」
「その通りです」
「薬はかばんに入れてますけど、無くなっているかどうかは解りませんわ。少なくなってきて心もとなくなったころ、まぁ、三日分ぐらい? そのくらいになればもらいに行くという感じですから」
「じゃぁ、無くなっているかもしれないと?」
「誰でも勝手に触れるような場所に置いておきましたからね、盗ろうと思えば。えぇ、あなたたちだって可能でしょ?」
 夫人の言葉にかすかな敵意を感じたが、夫人は少し疲れたらしく頭を押さえて横になった。
「あなたたちは私を疑っているようですけど、私よりも、彼女のほうが殺す時間はあったんじゃないんですか?」
 私は首をすくめ、
「いや、完璧なアリバイこそ、無実を立証できる証拠、確実な真実こそが、大事。嫌な思いをさせて申し訳ないですけど、でも、それで疑いが晴れるなら、……ねぇ」
 押しが弱いのが、私の悪いところだ。
 私はそそくさと婦人の部屋から退散してきた。
 以上のことを雨水に報告をする。

#:秘書2

雨水は報告を聞いて応えた。
「夫人のベロナールの管理はいい加減!これが今回の結論やな」
「でも、盗まれても困るような薬ではないと言えますよ、今時ベロナールの効力を知っている人は少ないですし、」
 雨水はうなりながら腕を組んでいたが、
「とりあえず、今度は薬を置きに行った秘書を探ってみよう。秘書が色々話そうとしないならば、何れ警察が捜査に入れば・・・薬箱とか色々な指紋の採取をすれば判明する事だからとか、指紋を綺麗に拭い取ってるとなれば逆に怪しまれますよねとか、こんな前台詞を入れて口を軽くしてあげよう」
「秘書ですか? 彼が言うと思いますか? 結構私たちを敵視してるのに、」
「それは今まで僕とワトソン君で見てきた、彼の性格からだよ。まずは夫人がベロナールを飲用していた事を知っていたか? 夫人のかばんに有ることを知っていたか?ここで、『かばんも指紋を採取さえすれば解かることだが』とワトソン君の名演技で頼みますよ」
「名演技って、」
「かばんの指紋は証拠の一つで有って鍵では有りませんよ。誰でも触れられる場所に有るからと言って他人のかばんを勝手に覗きますか?そして綺麗に拭き取られて居たら、これは明らかに自殺では無く殺人の証拠となりますし、そう手袋をしていれば指紋は残らない。重要なことは相手を油断させて、真実を聞き出すこと! ワトソン君、しっかり頼みますよ」
「本当にこれで犯人がわかるんですか?」
 私の言葉に雨水は薄ら笑みを浮かべるだけだった。
 私はしぶしぶ秘書の部屋を訪ねた。
 夫人の様子を見に行ったとき、私が聞きにきたことを聞いたらしく、逆に不機嫌ながらも待っていた。
「それで、聞きたいことは?」
 秘書の態度はあからさまに敵意を抱いている。
「えぇ、夫人と同じような質問です。ですから聞いているとは思うんですけど」
「なぜ私が奥様からそんなことを聞かなくちゃいけないんだ?」
「いや、私が聞きにきたことを言っていたのなら、と思いまして、いや、聞いてないのなら私が聞くだけなんですよ。いずれ、警察が聞いてくるようなことです。多分、傲慢に、」
 私は上目遣いで秘書を見た。「警察」というキーワードはよほど彼に響くらしく、秘書が硬く唇をかみ、
「それで、何が聞きたいんですか?」
 と抑揚を抑える声で聞いた。
「夫人の薬ですけど、あれ、どこにあるかご存知ですか?」
「それと、この事件とどういう関係があるんですか?」
「疑わしきは罰せろ、じゃないですが、夫人は薬を持っている。社長の死に方は突発的な死。もし万が一、夫人の持っていた薬を謝って飲んだのなら、社長はそれがどこにあるかを知っていたか、あるいは、夫人が置き忘れたか、あるいは、……えぇそうです。誰かが夫人のかばんから薬を取ったことになります。まぁ、警察がそのくらいの目星をつけて指紋採取をすればたやすく解りますけどね、でも、指紋がきれいに拭かれていたなら奇妙ですよ、だって、夫人の指紋を残して犯人の指紋だけを消すなんて不可能ですからね。夫人のかばんなのに。……で、あなたはどう思います? 犯人はかばんから取ったんでしょうか?」
「指紋がないと言うなら、手袋をはめていたと考えられるでしょう?」
「それですよ。でも、手袋をはめていたならば、夫人のかばんから誰かが盗んだことを示し、結局殺人となる。社長は自ら命を絶ったのではなく、この中に居る誰かに殺された。ということになりますよね? ですから、夫人の薬がどこにあったのかご存知ですか? という質問になるわけですよ。って言うのもね、雨水が聞いて来いって、」
「彼はなぜじかに聞きに来ない?」
「嫌われていると自覚しているようで、抵抗されるのがいやだと言いましてね、探偵が居るので任せろとかいいながら、そういう地味な作業? というんですか? あれを私にさせるんですよ」
「まるで、ミス・マープル気取りだな」
「誰です?」
「いや、いいんだ。で、質問の返事だが、ピンク色の光沢のある化粧ポーチに入れ、旅行かばんなら外側のポケット、いつも持ち歩くかばん―大学ノートぐらいの大きさの、ああいう野暮ったいかばんが好きでいつもあれを持ち歩いているんですけど―あれの中に無造作に入れてますよ」
「じゃぁ、出そうと思えば、」
「誰でも簡単に、夫人は結構おおらかな人で、そういうところには頓着がないんですよ。逆に社長は女々しいほど細かくて、それこそ、椅子の位置が数ミリ違うだけで発狂して怒鳴り散らすんですよ。少し立った時に直さなかっただけでね、雇い主の死を歓迎している秘書って言うのは、十分怪しいだろうけど、私は清々してますよ。本当に」
「確かにあの社長は傲慢で、何かにつけて不満そうな人でしたね」
「あぁ、どんなことをしても、それこそ会社の利益につながっても、他人の功績ならぐちが出る。部下が育たないんですよ。褒めもせず、評価も低いから」
「じゃぁ、会社状態は苦しかったと?」
「それが、それほどもないんですよ。実質社長は社長業を引退してるんですよ、」
「息子さんか誰かに?」
「いや、共同経営者。彼のほうは人徳云々があるから傾いて倒産同然の会社を社長から押し付けられて、建てないした。社長が汚いのは、建て直したのは今の副社長にもかかわらず、自分は社長職を辞してなかった。倒れたらその寸前で社長職を辞め、借金を負わそうとしていたけど、もし、万が一にでも立ち直ったら、それが見事に的中。名前だけの社長だけど、一番偉ぶっている人ですよ」
「副社長さんは踏んだり蹴ったりですね」
「彼は忍耐強いからね、いずれ社長も目が覚めるだろう。なぁんて思って居た人だから」
「そんな飾りの秘書職で満足ですか?」
「秘書と言っても、言いようによっては、社長の監視役。今からどこそこへ行くから、みんな気をつけろとかって情報を流していた役ですよ。大体、仕事もしていない人の秘書なんてすることないですからね」
 秘書は鼻で馬鹿にしたように笑った。
「他は?」
 秘書は、私がこの部屋を訪ねてきたころより随分と楽な表情をしている。
 雨水を馬鹿にし、役立たずだと思わせるあの言葉が聞いたのだろう、始終どこかで「彼―雨水さん―は自分で探そうともしない、探偵気取りですね」と小声で言っている。雨水には悪いが、暫く行灯となっていてもらおう。
「次は、えっと、そう、ベロナールの効力は知っていましたか?」
「ベロナール。いいや、昨日だっけ? あなたが言ってたでしょ、何とかかんとか。薬は難しい。社長が飲んでいた薬も、PPTシートが青色と赤色と白で憶えているぐらいで、名前まではまったく。だから、用意するときも、それを皿の上に出すんだけど、どれを出したか忘れないようにしなきゃいけない。青二つ、赤二つ、白一つ。それが社長のメニュー」
「ですが、社長はそれほど体が悪かったわけじゃないんですよね?」
「ああいう傲慢で、世間を馬鹿にした成金は体のことに気を使っている振りをするのが好きなのさ。薬を飲んでいるから健康だと言う馬鹿な考えさ。そのくせ、悪癖は一切やめられない。ヘビースモーカーだし、金持ちじゃなきゃ、アル中で入院。それでも「倒れないのは」薬のおかげ。と思って居たのさ」
「そんなわけないのに」
「ああいうタイプは皆そういう風に思っているんだろうね」
「金持ちも、良し悪しですね」
「そう、自分が食うに困らないだけ、の備蓄があるくらいがいいんだよ」
「そうだ、夫人はあなたを絶大に信用してますね」
 秘書の眉が少し動いた。
「そりゃね、さっきも言ったとおり、社長の行動は全て私の目の前で行われる。だから、夫人にも、今から帰る、非難せよ。のメールを送る。夫人はそれを受け取ると即座に寝る。お手伝いも誰も起きない。そこへ帰って一人文句を言いながらベットに倒れこむ。彼らに平和な時はないんですよ。だから私が知らせる」
「それでも愛人がいた」
「ほとんどが金の亡者だけど、一ヶ月とは持たない」
「彼女も?」
「彼女は特別だなぁ。もう半年以上になる。社長の傲慢が彼女の前ではおとなしい。だから、これは本気なんだと思ってしまったこともあった」
「社長はどういう基準で女性と、その愛人を選ぶんですか?」
「顔と体。だから大金を積んで、向こうが嫌がって姿を消すまでいたぶる。暴力よりも、絶対権力でね。でも探し出してまでどうこうするわけじゃない。そういう労力つまり金は出さないんだ」
「本当にひどい男だ」
「解ってくれて嬉しいよ」
 秘書は妙にいい笑顔で笑った。
 私はそれを雨水に報告をしに行った。

#:廊下

「上出来、上出来やん、ワトソン君!だんだんスーパ探偵としてのコツを掴んで来たみたいやな。スーパ探偵の決め手はもちろんフットワークの軽さ、大胆さ、そして知らぬが仏のパフォーマンス。って事で、愛人もよろしく頼むわ」
 私は軽く雨水を睨んだ。
 (なぁにがよろしくだ)
 と思いながらもやはり私はそう動いてしまっている。
 ……でも、
 私は廊下で立ち止まった。
 薬は誰の手でも簡単に持ち運べた。のならば、夫人がそれを知っていて置いたとも考えられる。あの秘書が、見知らぬわれわれが居る場所で危険を冒すだろうか? 愛人はどうだろう? あの人が社長が居なくなって得をすることは? 何一つ思い出せない。
 それとも、私の中の潜在意識の中で推理を邪魔している何かがあるのだろうか? それとも、私は何かを見落とし、雨水もそれに気付かずに報告を受けているのだろうか? 
 私は秘書と婦人の部屋をよく思い出した。
 客用とされる私と雨水が使っている部屋以外、この別荘の個室はどれも同じ配置で同じものが使われている。
 入り口を入って左の壁側にベット。それが部屋の全部といっていいほど占めている。右側に調度品をそろえている。腰の高さのチェスと、天井に電気もあるのだが、窓際に背の高いスタンドがある。
 婦人のかばんは服や何か重たいものはチェスト前に置かれていた。小さな化粧ポーチや、小道具がチェストの上に散在していた。
 秘書の部屋は、かばんは中身が無い状態でチェストの上に折り畳まれていた。
 室内履きとを区別するように靴も入り口のそばに並べて置かれていた。
 変わった点、引っかかる点があった気がするが、思い出せない。ともかく何故だろうと思ったがたいした理由もつけずに、妙に納得してしまったのだろう。
 私は廊下を見た。まっすぐに奥に伸びた一本の廊下は、昼だというのに寒々しくて薄暗い感じを受けた。
 あんなことがあったあとで家の中が明るいほうが不気味だ。
 私は意を決意して愛人の部屋に向かった。
 部屋の中のチェックと、彼女の顔色に注意する。そんな使命に燃えていたのは事実のようだ。
 私は愛人の部屋の戸をノックした。


#:愛人2

 愛人の部屋も同じく左の壁際にベットがあった。
 右にあるチェストの上には夫人と同じく化粧などの小物があったが、かばんは無かった。
 その代わりチェスト横に靴が脱いで置かれていた。
「すみません、お聞き及びだとは思うんですが」
 愛人は薄ら笑いをベットに腰掛けた状態で浮かべた。
「あの人たちが私に何かを話すと思う? でも、なんとなく解る、あなた一人で尋問しに来たのね、あなたの方がもう一人よりもはるかに人懐っこそうだもの」
 私は頭を掻きながら、手帳を手にして思った。
 そうだ……、夫人の部屋には椅子が在った。だが秘書も、愛人も部屋には椅子が無い。現に私はチェストに寄りかかって立っている。秘書も愛人と同じくベットに腰をかけて話しをしている。そこが妙に引っかかるが、今は愛人の話をまとめよう。
「では、素直に話してください」
「私はいつも素直よ。取る側が捻じ曲げるだけ」
 私は軽く笑い、夫人や秘書に聞いたことを順に聞いた。
「夫人の薬ですがどこにあるのがご存知でしたか?」
「あの毒々しいポーチでしょ? そこに入ってますといわんばかりのポーチ。だから、知っているわ」
「あれに触ろうと思えば触れたわけですよね?」
「触りたいと思う? あなたはどう? 私はいや。あの色が嫌。光沢も下品で、まるであの人らしくない持ち物だと思わなかった?」
 私はあのポーチを思い出した。
 きらきらではなく、ぎらぎらテラテラした爬虫類的ぬめりを思わせる光沢のピンクのポーチ。秘書も、野暮ったいだの、悪趣味だのといっていたぐらいだ。確かにあのおしとやかで清楚な夫人のイメージとはかけ離れている気がする。
「人って見かけによらないのか、あれが夫人の趣味なのか知らないけど、私はああいうものを持たないし、持ちたくも無いわ」
 私は同感するように頷いた。
「では、絶対に触っていないといえますか?」
「さぁ、どうかしら? あの人って本当に間抜けなのかよくどこへでも置くでしょ、探しているから取ってあげたかもしれない、憶えてないわ」
「薬を触ったこととかは?」
「さぁ、あるような、無いような。それも解らないわ」
「そうですか、では、社長をどう思っていましたか?」
「愛人に聞く質問とは思えないわね」
 愛人の赤くてきれいな弓の唇が動いた。
「あの人のいいところを一つでもあげなさいといえば、まるで無いというわ。いいところがあって人は始めて人間らしいというけど、あの人にはまるで無い。鬼や悪魔といわれても平気な人。尋常心というものが無かったのね、異常とか変人とかじゃ片付かないおそらく奇才、言ってしまえば気の毒な男。誰からも相手にされないから武器を持った。それがお金。そしてそれだけの人」
「社長は周りから嫌われていたということですよね? なのに、あなたは付き合っていた。お金ですか?」
 愛人は私の顔を見てふっと笑い、
「あなたって、優しそうで温厚そうな顔をしている割に結構毒気を含んで聞くのね。……お金、そうねお金かしら? いいえ、お金でもないかもしれない。体でもなくて、心も無い。ただ、一緒に居れば一人でないと思えただけ、お互いに」
「何かあるんですか……いや、こういうことも警察には聞かれますからね、いずれ」
「別に、三十過ぎた女が婚約者に捨てられていたところへ、金を持っていた男が現われ、金持ちの愛人に成り下がるのもいいかもしれないと転落を選んだ。それだけよ」
「婚約者に捨てられた……あなたが?」
「その驚きは何かしら?」
「いや、きれいだし、頭だってよさそうで、」
 愛人は鼻で笑い何も言わなかった。
「あ、えっと、……。社長が死んで、……いなくなって、あなたは何か得しますか?」
「いいえ、何も。一人になるだけ」
「ですよね、……ふ、夫人をどう思いますか?」
「なんとも。秘書も同じ。かわいそうな人たちとは思うけど、別にどうってこと無いわ。暴力を受けている人は大勢居るし、理不尽な仕事を押し付けられている人だって居る。あの人たちが社長に対してひどい文句を言ったのなら、世間が狭いからよ。広い目で見ればあんな男ごまんと転がっている。そのうちのたった一人に当たっただけ、もっとひどい男なんか腐らすほどいるしね」
「はぁ」
「でも、そんな言葉ではないものが欲しいとするなら、夫人と秘書はプラトニックなだけ、いいえ、それは秘書のほうだけかしらね」
「夫人は思っていないと?」
「便利屋ぐらいしか思っていないはずよ。見ていて思うわ。秘書がどれほど甲斐甲斐しく尽くそうとも夫人は別なところに意識があるもの」
「他に誰か居るとか?」
「あるいは、他の何かに執着しているとか。でもそんなことまでは解らないわ。でも、言えるのは夫人は秘書に対して何も思っていないだろうということだけ。この現状では夫人は秘書という知者を側につけていたほうが何かと安全だと思っているだけ。だとしか思えないのよ」
「秘書はそれを知って、」
「男の人って思っている以上に単純なのよ、じっと目を見つめて、今の私にはあなたしか居ないのといえばどう? 私の味方は居なくなってしまったわ。そう言われたら、」
 私は乾いた笑い声を漏らすしかなかった。
 思っている人からの助けであれば一も二も無く、無条件に相手を助けたいと思うだろう。たとえ自分を思っていない人であっても。
「ねぇ、あなたは今誰か好きな人居るの?」
 さっき、好みの人からの助け云々と考えている私に聞く質問ではないだろう……。
「居たらね、絶対に離しちゃだめよ」
 愛人はそう言って目を伏せた。
 私はどぎまぎして頭を掻いた。そして今頃気付いたかのようにベット脇に置いてある火のともったろうそくを見つけた。
「ろうそくですか?」
「アロマキャンドルよ。大事な日につけるようにしているの」
「大事な日?」
 愛人は笑い、
「内緒」
 と言った。
 私は愛人の部屋を出た。

#:雨水

 私は雨水のもとへ行き、秘書と夫人の部屋の様子を付け加えて愛人との会話を話した。
 ただし、最後の、「ねぇ、あなたは今誰か好きな人居るの?……。居たらね、絶対に離しちゃだめよ」のところは喋らなかった。
 雨水は暫くにこやかに聞いていた。特に部屋の様子のところでは興味を持ったらしく頷きながら聞き、いくつか質問をしてきた。
 私は時々考えながら答えるのに精一杯だった。
「椅子、そう、夫人の部屋には椅子があったんやな、どんな椅子だったん?」
「ごく普通の、なんと言うことは無い椅子ですよ、」
「背もたれは?」
「ありますよ、格子になっているやつで」
「じゃぁ、木の椅子だね?」
「そうです。クッション剤はなんと言うか、昔食卓にあったようなって感じの、」
「ビニールに布を張った感じかな?」
「そうです、そういう奴です。安っぽい印象の椅子です」
「じゃぁ、愛人のかばんは?何処に・・・」
 私は眉をひそめ暫く考えた。
「多分、片付けてあるんでしょう。彼らはここに来て二晩目だと言っていましたし、本当ならばまだ二、三日は居るはずだったようですからね。何か気になる点でも?」
「いや、多分、愛人はかばんを片付けているのだろう。では、なぜ夫人は片付けていなかったんか。ということになるんやな?」
 雨水は私に推理させるかのように言った。
 確かに、夫人はかばんに荷物を詰めたままだった。愛人も秘書も荷物は全てチェストに片付けているのだろう、部屋はきれいだった。
「でも、」
 そう、でも、
「夫人はかなりずぼらなようですからね、片付けなかったのかもしれない。面倒だとか思って、」
 雨水はにやりと笑った。
「まぁ、いいよ。どちらにしても、きっと夫人と違って趣味の良いかばんなんだろう。それと・・・重要なのはワトソン君は私よりも遥かに好意的に接してもらえてるとこ・・・特に愛人にはね。あの魅力的な会話に巻き込まれたら、魔性の女って感じだ。ワトソン君から報告の無い話も、あったかもしれないね。それこそが事件に繋がってる可能性も有るし・・・」
「そんな、そんなものなんか無いですよ」
 一瞬、私は部屋を見渡した。どこかに隠しマイクかカメラかを仕込んでいるのじゃないか。という気になった。
「まぁ、いいよ。さて、今後のことだけど、まずは愛人の語る夫人と秘書の関係、それとも夫人と第3者の関係。秘書に夫人の大切にしている誰か、それとも大切にしている何かを知っているか?その辺の聞き込みをよろしく頼むよ。そしてその足で夫人に対して秘書からの聞き込みを元に問い合わせる。気になるのは夫人の部屋の椅子だよなぁ・・・安っぽい椅子に趣味の悪いポーチ。ポーチは夫人が買ったものなんだろうか?」
「夫人に第三の男が居たとして、秘書が解るとは思えませんよ。愛人が言っていたように、私も、盲目的に夫人を信仰しているように感じましたからね、」
「では、夫人のほうはどうだと思う?」
「夫人にその気はなさそうですよ。頼っているという振りをしているような。あくまでも感じです。助けてと言っているけどなんだか嘘っぽく感じて、」
「では、愛人が同じく助けてといったら、君はそれを本当だと取りますか?」
「彼女は言わないでしょう。一人でやっていけるぐらいの強さを感じます」
「なるほど、確かに彼女は強そうだね。くじけず、何事にも一人でぶつかっていくくらいの」
「そう、そうですよ。愛人はそういう感じを受けたのに、夫人は無理に頼りなげな印象を与えようとするような、」
「つまり、君には夫人の策略は効かない訳だね」
「策略?」
「夫人が本当はどういう人なのかたまらなく知りたくないかい?」 
 私は雨水の言葉に眉をひそめて驚いた。
 夫人には別の顔がある。それを示唆するような言葉に私は今以上の興奮を覚えた。なんだかすごくサスペンスじみてきたぞ。

#:秘書3

 廊下に出ると秘書の部屋の扉が開いていた。
「やぁ」
 顔を出して様子を伺っていたようだ。まさか私が居るとも思わず顔を出して驚いたようだ。
「何をしてるんですか?」
「夫人からようを言われないとも限らないからね」
 私は夫人の部屋の方を見た。
「何かありましたか?」
「いや、別に」
「多分、具合もあまりよろしくなかったようなんで横になってるんでしょう」
「多分ね、それで、君はまた誰かのところへ行くのかい?」
「いいえ、雨水の助手はうんざりです。なんと言っても、」
 私はあえて秘書のほうへと歩み寄り、小さな声を出した。
「雨水は夫人の男の趣味を聞いて来いとかいうんですよ」
「はぁ? 何だよそれは?」
「でしょう?」
 私はさらに声を落とし、
「結婚している人に聞く話じゃないし、ましてやご主人を亡くされたあとですよ。と言ったんですけどね。どうやら、雨水のやつ、夫人のような人が好みらしくって、」
 秘書は鼻で笑い、私に部屋に入るように言った。
「雨水という奴は本当にとんでもない男だな」
 馬鹿にしたようにそう言ってベットに腰掛けた。
「椅子とか無いんですね、」
 私の言葉に秘書は部屋を見回し、
「あぁ、ここにはね、」
 とそっけなく答えた。
「夫人の部屋にはあったけどなぁ」
「じゃあ、下にある椅子を持って上がったんだろう」
「夫人が?」
「多分ね。わたしは持って上がっていないから」
「椅子が必要ですか?」
「いや、こういうことでもない限り、つまり、客が別に居て部屋に招かない限りは必要じゃないね。お互い顔を合わせたくない人たちばかり出し、私は秘書だからね、夫人や社長の部屋で腰を下ろしてゆっくりなんてことはしないからね、基本的に」
「ですね。誰か来る予定でもあったのかな? まぁ、何かしら必要だったんでしょう」
 私はそう言ってチェストの方へと歩いた。
「きれいに片付いてますね、」
「一応一週間も居ることになって居たんだ。チェストだってあるしね」
「普通は片付けますか」
「普通……、そうだね、カバンのままで置いておくよりも、数段片付くし、何より、大きなカバンが床にあるのと無いのとでは邪魔さが違うだろう?」
 じゃぁ、カバンのままで居ると言うことは、単なるずぼらか、はたまた帰宅が早まる可能性を知っていたか?
 私はそう考えてぞっとした。
「どうかしたのか? 顔色が悪いが、」
 秘書が私の顔を見る。
「いや、どうも腹の調子が……。ところで、社長の薬だけど、順番とかってありましたか?

「順番? いや、飲むのは、」
「じゃ無くて、取り出しの順番ですよ。賞味期限というか、使用期限というか、そういう順番、」
「いや、決まってないねぇ」
「薬、見せてもらえませんか、全部」
 私は秘書から薬を全部あずかると部屋に帰った。
「雨水さん、これを見てください」
 秘書から預かった薬を机にばら撒いた。
 確かに秘書が言うように三種類の薬があった。
「青、赤、白でしたよね、薬」
 雨水は薬を一種類だけ裏返し、戻した。
「このPPTシートの色さ。青いシート、赤いシート、そして銀だけどね、これが白。そして面白いことに、この白は二種類ある。ほら」
 そう言って裏返した薬の裏の文字が、「高血圧用の薬」と「ベロナール」だった。
「雨水……」
 私は雨水の方を見た。雨水は大方気付いていたらしく、頷くと、
「つまりね、犯人の思うつぼということかもしれないな」
 と言ったのだった。
「あと少し、情報と、裏付けが欲しいから、ワトソン君、次のことについて慎重に聞いてきてくれないかい? まず、愛人の部屋へ行き、こんな寂しい場所でその格好の派手さを指摘してみてくれたまえ、そして、何かの記念日だとか言うなら、それがなんなのかも聞いてきてくれたまえ。それと、夫人と秘書との関係について知っていることをもっと詳しく、たとえば、密会をしていたのか、どうか。知っている限りで構わないと言ってね。そして夫人の部屋へも行ってもらって、椅子は誰が持ってきたものなのか、ポーチはどこで買ったのかを聞いてもらいたいんだ。」
「ポーチって、薬の入ったあれですか?」
「そう、あれ。あれの入手先をね」
「知ってどうするんです」
「犯人の人数特定の鍵さ。とは言え、これは夫人には内緒だからね」
 私は頷き、雨水の部屋を出た。

#:愛人補足

 私は愛人の部屋に向かった。
 愛人は今なお目のさめる赤いドレスを着ていた。
「きれいな赤ですね」
 そつなく聞いたつもりだったが、愛人は私の顔をじっと見ると、
「不謹慎?」
 と問い返した。
「いえ、こういうところに黒い服を用意してきたほうが驚きですよ。まるで、こうなることを知っていたかのようで、逆に」
 私は首をすくめると、
「今日は記念日になるはずだったのよ」
 愛人はそういった。
「なるはず、ですか?」
「そう、あの人は別れを切り出されると思っているようだけど、本当は違うのよ。それにね、私が誰か解ったから、おいとけなくなったのよ」
「あの?」
「秘書にいろいろ聞いてるんじゃない? あの人がヒドイ奴だったって、あの人のおかげで何人もの人が不当解雇にあったとか、その中には自殺せざるを得ない人だって居たとか。聞いてない?」
「自殺までは……、知り合いですか?」
「うちの父。あたしが欲しいために婚約者には左遷を命じて辞めさせたわ」
 私は眉をひそめた。今まで愛人が社長を殺す有力な動機は無かったのに、ここに来てこんなことがあったとは。
「今日はその婚約解消の日。そして私が社長から切り捨てられる日だったのよ」
「切り捨てられる日、ですか?」
「あの男は結局奥さんのほうがよかったのよ」
「じゃぁ、別れを切り出されると?」
「そうね。私が全てを知ったから。なぜ父が不当解雇されたのか、母に横恋慕したからとか、その娘にまで手を出したとか、それを自慢げに話したわ。勿論彼はその娘が私だとは知らなかったようだけど、」
「じゃぁ、いつ知ったんですか?」
「昨日。秘書に新しいいい子を見つけたから画策してたのよ、それを聞いたから、頭にきてね。私だけでいいじゃない、こんな思いするの。だからね、真っ赤なドレスを着て朝食のときに言ってやろうと思ったのよ。あなたが大事なものは私なのか、奥さんなのか。不要なほうを追い出してってね」
「そんな、」
「この雪深い別荘に来たのも、そもそもは夫人の嫉妬を楽しみながら私といちゃつくつもりだったのだし、酷いのはお互い様。でもそんなことも言わずに済んだのだけどね」
 愛人はそう言ってかすかに微笑んだ。
 その笑みがあまりにも悲壮に満ちていて私は居た堪れない気分でその顔を見た。
「あ、秘書と、夫人ですけど、付き合っていたとかって言うのは、無いですよね?」
「さっきも言ったように、秘書の一方的な片思い。でも、仮に二人が肉体関係を結んでいたとしても、別に驚きは無いわ」
「いや、そんな……、驚きは無いですか?」
「えぇ、秘書をとりこにする手段としてはじょうとう手段だと思うわ。夫人がああ見えて裏で何をしているかなんて思わないけど、でも、ありえなくないでしょ。夫は浮気して公然と家にまで出入りを許しているんだから」
「そうですが、でも、」
「人は見かけによらないものよ」
 私は夫人を思い浮かべた。薄幸な影薄い女。そういう印象しか出てこない。
「たとえ、秘書と夫人がそれ以上の関係であっても私は驚かないわ」
 愛人の言葉に私は言葉を忘れたように頷いて部屋を出た。

#:補足夫人

 夫人の部屋の戸を叩く。
 夫人の声に中に入ると、やはり椅子がベットの横に置かれていた。
「この部屋はいいですね、椅子がある」
「……そう?」
 私は夫人を見た。相槌に多少妙な引っ掛かりを感じたからだ。
「えぇ、愛人も秘書の方の部屋にも椅子は無いもので、ずっと立ちっぱなしなんですよ。世間話とは言え、十分立っているとしんどいものでね」
「そう、それで?」
「この椅子、誰が持ってきたんですかね?」
「……、椅子? さ、さぁ。誰か、じゃないの? それより、何か進展があったんでしょう?」
 夫人の妙な早口が気になった。
「もし誰かの手によって夫が殺されたとするならば、あの女に決まっているわ」
 私は眉をひそめた。先ほどまで物静かで弱々しい印象だったのに、なぜ急に熱を帯びて話し出したのだろう? 
「そうなんですか?」
「そうに決まっているじゃない。愛人なんて、卑しい女がなるものよ。そういう女は平気で人を殺せるわ」
 私は少々、どころかかなり驚いた。愛人の部屋で思い出したとおり、夫人はいつまでも儚げだったのだ。なのにここに来ていろんな感情が強くみられる。いったい、どうしたと言うんだ?
「あの、興奮してますね、お薬飲んだほうが、」
「薬? いやよ、私まで殺されるわ」
「まで?」
 夫人は短くあっと言って私を見た。
「殺されたとするならばよ。あの人が殺されたのなら、次は私だと言うのよ」
 夫人はそういった。
 私はもっともらしく、なるほどと答えたが、目はしきりに夫人を見つめた。
 呼吸が少々乱れている。平常心を装っているのか、ただ単に薬が切れて精神安定が図れて居ないのか、とにかく、落ち着こうとしている手が落ち着きなく動いている。
「愛人の彼女ですけど、」
「白状したのね?」
「いえ、婚約者が居たってご存知ですか?」
 言ってよかったのだろうか? と思いながら、私は夫人の様子を見たさについて話し出していた。
「社長が別れさせるために無理やり婚約者を左遷させたそうです」
「それが、何?」
「それを彼女が知って、今朝言うはずだったそうです。奥さんか、自分かを選べと」
「……、あの人のことだから、」
「どうでしょうかね」
 私が間髪開けずに言った言葉に夫人はさっと青ざめていく。あの顔色の悪さこそ薄幸の夫人のイメージの色だ。
「だとしても、私には関係がないわ」
「離婚されるか否かでは、関係なくないでしょう?」
 私は静かに言った。夫人の目が私を捉えているようでかすかにゆれを含んでいる。
「そうそう、気になったことが一つ。あの薬入れのカバンですけど、あんな悪趣味なものどこに売ってたんです?」
「悪趣味って失礼な、」
「じゃぁ、奥さんが自ら買ったんですか?」
「そうよ、いけない?」
「いや、そうじゃないんですが、」
「とにかく、もう用がないのなら出て行って」
 えらく不機嫌に夫人は言った。
「椅子、ご自身で持ってこられたんでしょう?」
「……かも知れないわね、でも、今回あげたんじゃないわ、きっと」
 夫人の言葉に妙な怒気を感じながら私は部屋を出た。

#:補足秘書

 部屋に戻るとき、やはり様子を伺っていた秘書とかち合った。
「どうです、進展は?」
「夫人を怒らせたようで、」
 秘書は夫人の部屋を見た。
「私もです」
「あなたも?」
 秘書の言葉に私は驚いた。
「えぇ、お茶でも持ってきましょうかと入ったまではよかったんですけどね、君が椅子を気にしていたから気になって、確かに椅子があるなぁとじっと椅子を見てたら急にね、」
「急、ですか?」
「あぁ、不安定なのは薬が切れたんじゃないかって勧めたら、薬は飲みたくないと言って」
「何ででしょうかね?」
「さぁ。まぁ、君たちが、社長が薬によって殺されたかもしれないと言って回っているから、神経になっているだけだろうけどね」
「あなたもそうですか?」
「私?」
「そう、薬を飲むの、いやですか?」
「……さぁ、どうかな。普段から飲むことがないからね」
「風邪を引いたとして、」
「風邪の酷さが緩和できるなら飲むさ」
「社長はそれで殺されたかもしれない。としても?」
「それは社長の薬入れに入っていただけで、私の家の救急箱にまで入れる用意周到せいはないだろう?」
「ですよね。……。失礼ですけど、夫人とは夫人と社長秘書という関係以上のこと、いや、そう雨水の奴が聞けって、どうしても言うんですよ」
「ないよ。素直に言う。夫人には同情するし、多少なりともどうにか出来るなら。という気がないわけじゃない。でも、時々なんか違うと言う感じがして気が引けるのも事実なんだな」
「違う、というと?」
「あの薬入れもそうだけど、急に真っ赤なポルシェを買ったり、彼女らしくないことをたまにするんだ。まぁ、世間知らずでそれしかないんですと店員に言われたんだろう。と思ったりしたけどね、あのポーチの事を妙に聞くから、よくよく思えば、あのポーチを買ったときも、車と一緒で妙な不釣合いを感じてね」
「確かに、奥さんが持つよりは、」
「でも、あの愛人はセンスがいいからね、そこは認める。ああいうポーチは持たないね」
 私もそう思うと頷いた。
「夫人は、あの椅子を誰かが持ってきたと、今回じゃなく前に来たときにといってましたよ」
 私が言うと、
「それはないね。部屋に椅子を入れるなんて、私が頼まれでもしない限りあの部屋には誰も入らない。前回は奥様と社長だけで来た筈だし、社長は愛人を連れてこんな寂れた場所には来ない。行くなら、逃がさないように高級ホテルへ連れて行くからね。ここに来るときは夫人が同伴する。そしてあの部屋はいつだって夫人の部屋だ。私が持って上がっていないから、夫人自らが持って上がったことになるさ」
「そういう必要性がないのに?」
「……、さぁね」
「まぁ、どんな理由にしろ、あそこに椅子があるということはこちらとしては非常に楽でいいんですけどね」
 私の言葉に秘書は眉をしかめた。

#:推理
 私が部屋に戻ると、雨水はにこやかに出迎えてくれた。
 私は愛人、夫人、秘書との話を報告した。
 雨水はにやりと笑い、
「では、推理をしてみようではないですか」
 と言い出した。
「幸い、ワトソンは丁寧に手帳に今までのことを書いていてくれている。それを基にあらゆる可能性を考え、要らないものは捨てていく。ホームズがよくやる消去法を持ち要りましょう。まず、ワトソンあなたはどう思いますか? この事件」
 雨水の言葉に私はしばらく自分で書き綴った文字を眺めた。
「そう、代理殺人とか」
「そう、彼らを除外して考えたいですよね。いくらなんでも一晩の宿を貸してくれた恩人なわけですからね。では、その代理殺人で考えて見ましょう。
 ただし、この事件で一貫して奇妙なことがあるのでまずはそれを書き出しておきましょう。まずは、毒殺なのか、毒殺だとしたら誰がどうやって飲ませたのか。そして、彼らにある不思議、夫人の椅子はなぜあるのか。夫人はなぜ一週間と言う滞在にもかかわらず荷物を片付けないのか。傲慢かつ強要性の強い社長に嫌気のさしていた秘書が、なぜ辞めなかったのか。愛人の、婚約解消の記念日と言うのは動機とならないのか。
 さて、ワトソン君が望む代理殺人だとして、誰かが社長を殺すように頼んだとしましょう。この天候からすれば私かワトソン君である可能性が高い。でもここで思うのは、わざわざ毒殺をするかという点ですよ。抵抗される恐れのある服毒を促すのは、見ず知らずでは難しい。もし、ワトソン君が仮に頼まれたとして、君は毒殺を選びますか?」
「……いや、そう、もしそうなら、」
「いいですよ、気分悪くなる想像は、私なら、どんと一発か、ずばっと一突きです。後はないです、そう、第三者が毒殺と言う面倒なことをわざわざするとは考えられないと言うことですよ。したがって、第三者が入ってきてと言う代理殺人は消えます。
 では、夫人が秘書に頼んだとしましょう。秘書は社長の薬の監視係だったんですからね、毒殺ぐらいわけがない。でもここで思うのは、もし秘書であるならば、一番最初に疑われるこんな密閉されたときにするかと言うことですよ。
 秘書の印象と、ワトソン君の話からして、もし仮に秘書が薬を盛るとするならば、自分が居ないとき、あるいは、社長が『まったく自分勝手に飲んだように見せかける』ことぐらいしそうだと思いませんか? という訳で秘書がという点は薄くなる。これは愛人に頼まれても同じ。
 それに、愛人に頼まれても秘書は動かなかったでしょうけどね。
 では、夫人が愛人に、もしくは、愛人が婦人に頼むか。どう思います?」
「……、ないですね、どちらも」
「そう、無いんですよ。だからね、代理殺人は成り立たない。では次はどう考えます?」
 私はじっと手帳を見ていた目を雨水に向ける。
「仮に、夫人の薬と社長の薬が何らかのことで落ちてごっちゃになったとして、そう、誤って飲んでしまったとする事故も考えられなくないですが、どう思います?」
 そうあれば一番いいと思って居た私だったが、
「それが一番ありえない」
 と思う。
 愛人も、秘書も、夫人も、いや、殺人事件などという後味の悪いものに関わりたくないと、この期に及んでも思っている私にこの返答は留めの様な気がした。
 これはどう考えても事件であり、誰かが社長を殺したんだと思わざるを得なかった。いや、この推理で、実はこういう見方もあって事故なんだよ。というオチを望んでいないわけではないが、でも私は、これがどうしても事故だとは思えなくなっていた。
 犯人をでっち上げている? そうなんだろうか? いや違う、やはり、これは殺人事件だ。そして、われわれはその犯人を見つけようとしている。
 私は無性に喉の渇きを覚え、生唾を飲み込んだ。
 雨水は笑みを浮かべ、
「君はなんとなく、いや、きっと犯人の特定をしているはずだけど、それを結びつけるのに手間がかかっているようだね、でも、ここからは外で待っている人の前で披露する事にしたほうがいいかもしれないね」
 雨水がそう言って戸を開けると、秘書は部屋から顔を出し、愛人はお茶でも飲みに行こうとしていたと戸を開けた。
「奥さんを呼んで下に来てください」
 雨水は秘書にそう言って階段を下りていった。
 誰が犯人なのかまるで検討も付かない。ただ、この中の誰かが犯人で、私はその人でないことを祈っているだけだった。
 雨水は窓の側に立ち吹雪の外を見ていた。私はそのすこし隣りに座って手帳を広げていた。
 愛人が降りてきた。紅いドレスのままで、赤い口紅のままで。
 秘書が降りてきた。相変わらず雨水に対していい印象を得ていない顔のままで。
 夫人が降りてきた。手擦りに縋り、弱々しく、不幸そうな顔をして。
 雨水は三人に椅子を勧めた。
「まず、私は一介の探偵、いや、探偵と言ってもたいした事件を取り扱っているわけじゃないです。だが、この国の国民である以上、正規な拘束者の登場までは社会的被告を拘束することは出来ます。つまり犯罪者の拘束という権利は有することは出来るわけです。だけども、私たちが調べたことがなんの役に立ち、そして、それを知らなくてはいけない事実かと言えばそうでもない。私は自首を勧め、この件から手を引きたいとさえ思ってる」
「つまり、誰が社長を殺したのか検討が付いたと?」
 秘書が口を出したのを、雨水は静かに頷き、
「社長は自ら飲んだ。そう、誰かに罪を着せるために。これが一番いい解決方法だと思いませんか? ですが……」
 雨水は言葉を切った。

 一時間、我々は黙ったままで居た。誰が犯人なのか、社長は不慮の事故で死んだのだ。どちらとも決めかねていたようだった。
「どうします? 社長はどうして死んだのか、……どうします?」
 愛人が微かに笑った。
「良心、倫理、社会的理念。そういうものに訴えているのね。社長は事故だったと言えば、これから先、犯人に加担したとする後悔を抱いて生きていってくれという忠告。犯人を暴けば、それを責め続け、その顔見知りだと言う嫌悪を抱けと。でもどちらも嫌な思いをするのに、それに、あなたにははっきりと誰であるかが解っているのなら、私は知りたいわ。あの男を殺した人の名前を」
 愛人の綺麗な唇が、言葉を濁すことなく紡いた。
「奥さんはいかがですか?」
「……私? そう、……知りたいわね。動かぬ証拠もあるんでしょうから」
 雨水は秘書のほうを見た。
 秘書は頷き、私のほうを見た。
「では、もったいぶって推理ショーを開くことにしましょう」

#:犯人は、
 雨水は我々を順に見たあとで、静かに口を開いた。
「社長は彼を恨んでいた人全てに殺されたと言ったら、納得しますか? まぁ、直接手を下したのは一人ですが、最終的にはここに居る私を含めた五人が殺したのかもしれない」
「それは、犯人が名乗り出やすくするための同情?」
 愛人の言葉に雨水はにやりと笑い、
「いいえ、真実ですわ。
 社長は昨日の夜十二時ぐらいから多分苦しみながら死んだのでしょう。あの形相と、あの苦しみ方から見れば、一、二時間ぐらいは苦しんだでしょう。その間誰も知らなかった。あんだけの苦しみです、物だって倒れていたわけですし、気付かなかったのはおかしい。でも、あの料理に睡眠薬が入っていたとしたら、社長は皆が寝静まった頃一人で死んだことになる。そう、誰から睡眠薬に気付き、それを口にしなければ社長の最後を誰かは立ち会えたかも知れない。
 そういう点で我々も多少なりとも責任はあるでしょうが、そもそも、安全だと思っているものに睡眠薬が入っているかも。と思って食する人などありませんからね、自首しやすくするための同情。そう取って結構。
 では誰が薬を入れたのでしょうか?」
 雨水は社長の薬を机に置いた。
「これは秘書に借りた薬です。一つは高血圧の薬、睡眠剤、胃薬、そしてこれがベロナール。つまり、これが原因です。
 大量アルコール摂取と、この薬の過剰摂取。なかなか手の込んだことですが、この睡眠剤、胃薬もそれと気付かれないように一端中身を取り出し、綺麗にベロナールに入れ替えられています。多分、秘書はこんな些細なこと気付かなかったでしょう。薬に対して無知だし、薬の管理はこのシートの色だけ、名前や効能ではないのですからね。後は、この薬を秘書が社長の枕元に置き、社長が飲めばいいわけです。今日でなく、明日でもよかったわけです。そしてそれが二日も無事だっただけです」
 雨水はそう言って薬のシートを三人の前に滑らせた。
「あの時、どうしてもこれを取り戻さなくてはいけなかったな犯人です。こんな仕掛け、誰がやったといえば、この薬についている指紋で誰だか解るわけですからね、ですが、秘書がこれを持っていた。その上、社長は死んでいる。探したんでしょうね、気付きましたか? 死の苦しみの中にあった人が、ベットサイドの引き出しまで開けますか? 犯人が探したんですよ。ですが無かった。そしてゴミ箱には捨てられたシートがあった。犯人は残りは無いのだと思ったのでしょう。後は、他の人と一緒に今見たように驚き、多少なりともきちがいじみた悲鳴でも上げてみますか、そして一番しそうもない顔をするでしょう」
 秘書が夫人のほうを見た。
 私はじっと三人を観察していたが、秘書は落ち着きは無かったが、雨水の言葉に動じることは無かった。愛人は無表情でただ黙っていた。
 夫人は、……夫人は、絶えず落ち着き無く座っていた。
「な、何? 私がやったと思っているの? 私に出来るわけ無いじゃない」
 夫人が震える声で言った。
「この事件は、ある意味運なんですよ。いつ死んでくれるか、それが解らなかった。毎朝起きてくる社長にいらいらしたでしょう。だが、社長はいつもと変わらずに起きてきていた。
 我々は最初、今日である意味を考えました。愛人であるあなたのドレス。まっかで、美しい。それを着る意味と結び付けようとしました」
「婚約者の、」
「そう、社長があなた欲しさに婚約者を左遷させた日。今日でなければならないのならばあなたが犯人だったはずです。ですがこの事件は今日でなくていいのです。いつでも、いや、昨夜の段階では今朝でないほうがよくなったのです。我々がお邪魔したのでね。だがここに来て事件は動いてしまった。だから、この残りのシートが欲しかった。だがそれすら叶わなくなった。
 その結果、この事件の犯人は、夫人、あなたしか居ないのですよ。
 夫人が起しに行き、悲鳴が聞こえるまで多少の時間があったのは事実です。そしてその間、引き出しをあけて探したはずだ。もし、私たちが探偵役を引き受けなければ、あなたはかわいそうな夫人で終わっていたことは間違いないでしょう」
「私が殺したと? 証拠も無いし、私があの人を殺しても何の得にもならないのよ」
「保険金……」
 私がそう言ったのを雨水は首を振って静止した。
「奥さんたちがここに来る以前の保険の受取人は、自分の墓代だったそうです。そして大量のお金で葬式を出す。それが遺言だったんです。そうですよね?」
 雨水は携帯電話を皆に見せて夫人のほうを向いた。
「ですが、社長は書き換えてましたよ、遺書。受取人は奥さん」
 夫人は雨水を見上げた。
「愛人の彼女の話からすると、今回のこの宿白は、愛人と別れるためのものだったようですよ。彼女には平凡な幸せなど出来ないと見せ付けるための。そう、どんな仕打ちにでも耐えてこそ、女房だとでも言いたかったんでしょう。なんせ、以前自分が殺したも同然の男の娘であり、婚約者をも奪った男です、彼女はその事実を突きつけ謝罪でも求めたのでしょうが、」
「しなかったわ。その代わりにここへ連れてきて、あんな女でも、お前よりは数段いい女だ。だからお前は一生愛人で居ればいい。それが最後の言葉よ。そして保険金も書き換えたと、遺書も書き換えたと言われたわ」
 愛人は煙草に火をつけた。
「あんなことしなくても、そう長くは無かったのよ。本当に、」
「……そのようですね」
 雨水は自分がメモした紙を机に置いた。
 中央総合病院と書いた下に、糖尿と肝硬変の合併症状あり、現状続死亡。と書いてあった。
「私、……。あの男は言ったわ。私を捨てて彼女と結婚するって、以前私が最初の奥さんから奪ったように、彼女は盗ろうとしたのよ。だから、私、」
「社長は、あなたとは別れる気はなかったのでしょう。ですが苦しんでいる中でずっと奥さんの名前を呼んでいたはずです。違うんだと、多分聞こえていたはずですよ、違いますか?」
 夫人は顔を背けた。
「社長はある意味あなたに優越感を与えて居たかったんですよ。非常に利己的で常人では理解できない方法ですが、たくさんの愛人をとっかえひっかえしたのも、奥さんが一番いい女性で、愛人にしかなれないお前たちはそこら辺に居る女たちよりも劣る。一番いいのは奥さんである夫人あなただと言っていたんですよ。ですが、それって、解りかねないありがた迷惑な方法ですよね」
 雨水は苦笑いを浮かべると静かに口を閉じた。

 後のことはなんだか解らないまま過ぎた。
 夫人はただひたすら泣き続け、愛人が一晩付き添い、翌朝、吹雪が収まるのと同時に警察がやってきて、夫人が自首をして幕が下りた。
 警察に連行されていく夫人と、参考人として愛人と秘書が連れて行かれ、私と雨水も同行を余儀なくされた。
 警察に行き、一通り見聞きしたことの大雑把なことを聞かれたので答えると、昼ごろだった。
 私の愛車もあの雪深い所から連れてこられていて、私は雨水と愛人と秘書を乗せて近くのファミレスへと向った。
「あの、何で夫人だと?」
 秘書がコーヒーで口を湿らせながら聞いた。
「椅子ですよ。ワトソン君が言っていた。夫人の部屋には椅子があった。話をするのに都合がよかった。と言った言葉からして、夫人はこの宿泊の最中きっと社長は死ぬと確信していたんだろうと」
「なぜ、この期間中?」
「大きな賭けですよ」
「賭け?」
「毒殺する犯人の多くが女性だとまだ思っているのか? とあなたは笑っていましたね、ですがね、愛している人を殺そうとするとき、その人への罪悪感から計画はその痛い最後を見たくないと思うものなんですよ。憎しみ、恨みを持った計画ならば痛めつけて殺すでしょうが、夫人は違う。だが、来た早々に死なれても困るわけですよ。夫人の容疑や、準備、果ては、愛人と暮らしながらも甲斐甲斐しいと言うのを誇張させるためにも、二、三日は欲しかった。そしてちょうどその日、秘書のあなたが、薬を取り違えたお陰で実行された。というわけですよ。アガサ・クリスティーが好きだと言った夫人らしく「あなたの庭はどんな庭?」のトリックのままですよ。いつか飲むだろうと思われる薬を混ぜて殺す。自分はそのとき他所にいる。薬なら誰もが手に入れられる場所に置く。ね。そのままでしょう?」
 雨水はそう言って窓の外を見た。
「でもね、こんなこと解けたって何の有り難味も無いんですよ。ほんと、事件に後味のいいものなんかありませんわ」
 雨水の言葉に一堂は同じく窓の外を見た。

 私は最後の事情聴取を受けに行っていた。
 雨水たちは既に居なくて、私は一人で寂しくも威圧される警察署の廊下を出口に向って歩いていた。
 そんな私の耳にふと、あの台詞が入ってきた。

「あら、いつまで毒殺するのは女だけだと思っているの?」
 女の赤い唇から出た言葉。足を組み腕を組んで相手を凝視しているその何とも言えない美しさには、まったくの女らしい弱さは見られなかった。

 私はその台詞の先を探した。
 辛うじて閉め忘れた調書室から見えたその隙間の光景。
 夫人はあの悲運の夫人では無くなっていた。
 私は出口に向って歩いた。
 あの先は、私が居てもいい幸せに満ちた現実世界だ。そう、向こうへ戻らなくては。

―事件に後味のいいものなんかありませんよ―




 まったくだ―


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