シーナとエレン
Saphire-stars(紫雲正宗)
1、
2学期も終盤にさしかかってきたとあるすがすがしい朝。
なのに、このほこりっぽさはいったいなんなんだろう。
「三樹君ごめんね。せっかくの日曜日なのに手伝わせちゃって」
おばさんはそう言って本当にすまなそうに言うけれど、僕自身はべつに手伝わされていることに不満はないのだ。
せっかくの日曜と言ってもとくになにかをする予定があったわけでもないし。
ただ、
「だいじょぶだいじょぶ。どーせヒマしてたんだから。ね? 椎成っ」
「…………」
幼馴染の高宮絵蓮(たかみやえれん)はなにひとつ悪びれた様子もなくじつににこやかな表情だ。正直、張り倒したい。
いやね、本当に手伝わされていることは不満じゃないんだよ。たださ、この量はどうなのよ?
「でもおかげで助かったわ。三樹君が来てくれなきゃ、わたしと絵蓮だけじゃとても片付かなかったもの。こういうときってやっぱり男手って必要だなぁって痛感するわね」
「はぁ、さいですか……」
額の汗を拭いながら絵蓮のおかあさまが見つめる先にはゴミ袋の山。うしろを振り向けば、半日前とは別世界のような高宮家のリビング。
いったいどれだけ大きな嵐が通過したあとですかと問いただしてみたくなるくらい荒れ果てていた半日前の高宮家の有様を目にしたとき、僕は途方もない絶望感に打ちのめされたものだった。ゴミ屋敷はフィクションではなかった。
「やっぱりキレイにしておくのが一番よね」
「……だったらゴミ屋敷こさえる前になんとかしてくださいね、マジで」
母親と並んで同じように額の汗を拭っている幼馴染に思わず突っ込みを入れてしまう。
だいたい、あなたはきのう僕にこう言いましたよね?
『椎成ちゃん。悪いんだけどさ、明日あたしんチの片付け手伝ってくれないかな? ちょーっと散らかっちゃっててネ』
これが『ちょーっと』だったら本格的な散らかり具合っていったいどんなレベルなんですか? そのときはきっと未曾有の大災害が高宮家を襲うね、間違いない。
まあ、『ちょーっと散らかっちゃう』のも毎度のことなのだけれど。
それにしても、高宮家をたびたび襲う嵐はほんとになんとかならないものだろうか。母娘でそろって片付けられない人というのが実に痛々しい。片付けられる人がひとり抜けるだけでこんなにも違ってしまうのだから不思議なものだ。これは絵蓮のおとうさまに一刻も早く単身赴任から戻っていただかなければ。未曾有の大災害が起きたらとてもじゃないけど僕では対処できません。
「……おじさんも、大変だよな」
「ん? なんか言った?」
「――いや、べつに」
ひととおりの片付けも終わり、あとはゴミの始末と要らないものの整理をするだけ。
「そこまで終わったらお昼にしましょう。ふたりはなにか食べたいものある?」
「――いえ、僕は別に」
「あたしお寿司!」
少し疲れぎみの僕のとなりで絵蓮は爛々と眼を輝かせながら弾んだ声。風を切る勢いで手を振り上げて「お寿司がいい!」と連呼した。子供かおまえは?
「よーし、それじゃあ今日は特別に特上寿司でも頼んじゃおうかしら!?」
「やったーーーーーっ!」
娘に負けぬ勢いで親指を立ててみせるおばさん。特上寿司の言葉に狂喜するその娘。
高宮家の男系の血筋は劣性遺伝で絶えたね、間違いない。
「それじゃあ、お母さんはゴミの方を片しちゃうから、いらないものの整理は絵蓮と三樹くんとでお願いね」
男手なんて本当はいらないでしょ? と聞きたいくらい軽々とゴミ袋を担ぎ上げておばさんはリビングを後にする。その姿はまるっきり季節はずれのサンタクロースだった。まあ、袋の中身は所詮ゴミなわけだけど。にしても、100リットルなんて大きなゴミ袋を必要とするご家庭なんてそう滅多にないと思いますが、いかがなんでしょうか。
「あっ、ねえ! これぜんぶ蔵の中に入れちゃっていいの!?」
出て行くおばさんにあわてて絵蓮が声を掛けた。彼女の指さす先にはいらないものがぎゅうぎゅうに詰め込まれた大きなダンボール箱が2箱。バリバリにガムテープでとめられ、その上にはどちらも“いらないモノ”と大書きされていた。
ちなみに、“いらないモノ”と捨てる物との区別は僕には出来なかった。「あきらかにそれは捨ててもいいんじゃないの?」と思うようなものもダンボール箱に入れられていたような気がしなくもないけどそのへんの判断はすべて高宮家の母娘まかせなので。
絵蓮の声に反応しておばさんがこちらを振り向く。こちらから見ると顔だけがガラス戸から出ていて、まるで真横に突き出された生首だ。ちょっと笑える。
娘とその幼馴染の横にデンと居座るでかいダンボール箱をしばし睨み付けたあと、
「……うーん、そうね。蔵の中にでも放り込んでおいてちょうだい」
おばさんは軽く手を振りながら答えた。やはり君たちはお蔵入りだそうだよ、ダンボール箱君。
「わかった。じゃあテキトーなとこに放り込んどくね」
「よろしくー」
それだけのやりとりを終えて部屋を出て行こうとするおばさん。「あ、そうだ!」とかわざとらしい声をあげ、再度その場に立ち止まる。再び生首がガラス戸の向こうから覗く。
そして、重そうなダンボール箱にちょっとげんなりしている僕らに向かって絵蓮のおかあさまはとんでもないことをのたまった。
曰く、
「蔵の中でふたりっきりになるからって、おませな行為に走っちゃだめだゾ!」
『…………』
いわんとしていることはよくわかるが、その心配がいったいどこから湧いて出てきたのか。まあ、僕らも中学2年生ですし、そういうお年頃なのは否定はしませんけど、「だめだゾ!」と言っておきながらその妙な期待の眼差しはなんですか?
さしもの娘も母親のテンションについていけなくなったか、絵蓮は端から見てもはっきりわかるくらいの乾いた笑みを母に向けていた。
そんな娘の乾いた笑みも淀んだ空気にも気を止めることなく、高宮家のお母上は軽くウィンクなぞしながら去っていくのであった。
あれだ、今度おじさんが帰ってきたら「なんでおばさんと結婚したの?」って聞くことにしよう。そうしよう。
高宮家はこのへんではちょっと名のある旧家である。
住まっている母娘の気質はともかくとして、高宮家の佇まいは確かに旧家の名に相応しいものだと思う。昔はこの地域ではそれなりに発言権なり権力なりもあったらしい。
そんな旧家と三樹家の付き合いというのもなかなかに長く、なんの因果か同じ年に生まれた僕と絵蓮はかっちりと幼馴染をやっているわけだ。そうすると「おまえ逆タマ狙えるだろ? いーよなー」となにかと羨ましがられるのだ。まあ、絵蓮もそこそこ美人だと思うし性格も決して悪くない。純情なるボーイズが惹かれるのもわからないではない。ただ、ちょっと片づけが苦手なのだ。
はたして半日前の荒れ果てた高宮家を想像できる男子生徒がいったい何人いるか。――いや、純情なるボーイズの夢は壊さないように、このことは伏せてますよ。
そんな「逆タマを狙える」といわれる旧家。
しかしそれも3代前に起きた分家騒動やらなにやらで次第に衰え、いまでは絵蓮の家族3人が住むだけになってしまった。持っていた土地も先代のときにあらかた売却。いまでは駐車場をひとつ管理するくらいで、それもほとんど業者任せの状態だという。
しかも、父親の芳一さんはいま単身赴任で不在。実質、おばさんと絵蓮の二人暮らしだ。
「おじいちゃんおばあちゃんが生きてた頃はそれでもまだ賑やかだったけどね」
「……あー、なんか、すごい渋いおじいちゃんとすごい、パワフルなおばあちゃんだった、気がする」
「でしょ?」
そのふたりも、もうこの世にはいない。僕らが小学生の頃におばあさんが他界し、おじいさんもつい半年前に亡くなってしまった。なにげにじいちゃん子だった絵蓮はいつになく大泣きしてたっけか。そういえば、片付けの際にいくつかおじいさんの遺品らしいものがダンボール箱の中に納まってた気がする。
絵蓮は、いったいどんな気持ちでそれらを箱の中に入れたんだろうか。
「と、ところで絵蓮さん? ひとつ、聞いてもいいですか?」
「ん? なに?」
「あの、僕はいま、ダンボール箱をふたつ抱えて持ってるわけですけど、絵蓮さんは持っていただけないので?」
重々しく歩みを進めながら、前を行く身軽そうな絵蓮に問いかける。ダンボール箱ふたつ分の重みに耐えながらの抗議の声が途切れ途切れになっているのは、どうにも体に力が入ってしまって息が続かないわけで、別に重いというのをわざとらしくアピールしているのではないのです。
それでも前をゆく絵蓮嬢は涼しい顔で振り向いてこう仰るのです。
「だって、わたし蔵のカギを開ける係りだもの。ほら、ダンボール持ってて手が塞がってちゃカギ開けられないでしょ?」
「いや、カギ開ける時にいったん降ろせばいいんじゃん?」
すると、こちらを向きながらやけにわざとらしく手をひとつぽんと打って、
「あ、そっか」
「あ、そっか。じゃないよ。っていうか、わざとでしょ? 謀ったでしょおぬし」
「えぇ、やだなぁ。そんなのわざとなわけないじゃない」
絵蓮は指先で蔵のカギをまわしつつ、えヘヘヘヘっと無邪気を装った笑顔を向ける。もうね、思考がもろ見えです。顔に“謀りました”と書いてありますよ。
「ごめんね。じゃあ、ひとつ持つよ」
「……いや、もう、着いたから」
顎でしゃくって前を指せば、絵蓮が向き直った先にはすでに蔵が目の前にあった。
それを目にして、「あ、ほんと、もうついちゃったねぇ」と鼻歌混じりに答える絵蓮の顔には“しめしめ、楽できた”と書いてあった。こいつ、やっぱ張り倒す。あ、でもダンボールで手が塞がってるや。
それにしても、いつ見てもなんか雰囲気のある蔵だ。
おそらく、高宮家が旧家であると示すにいちばん手っ取り早いのはこの古めかしい土蔵じゃないだろうか。
漆喰の白い壁はところどころで崩れ、竹で組んだ下地がむき出しの状態になっている。入り口の真上、ちょうど僕らが見上げる位置にある小さな窓には格子が填められているがだいぶ錆び付いてしまっているのがこの位置からでもよくわかる。
歴史を感じさせる佇まい。大きな郷土資料館なんかに実寸大の蔵が展示されてたりするけど、ああいった作り物にはない雰囲気がある気がする。まあ、単にボロイだけって感じもするけど。
「ちょっとまってて。すぐ開けるから」
絵蓮が振り回していたカギを握り、蔵戸の鍵穴に差し込んだ。
しかし、だいぶ年季の入った蔵戸の鍵穴はかなり手強いらしくガチャガチャと音を立てるだけでなかなか開かない様だった。
「だいじょぶ? 開きそう?」
「……んー、と。あ、開いた!」
一段と大きな音を立ててカギが開いた。
滑らせるというより少し持ち上げて横にどかすといった感じで戸を開ける。
蔵の中は四方の窓を開け放してあるおかげで案外明るかった。
ところで、掃除とか後片付けとかをやっている時、片そうと思って手にしたマンガ本が気になってついつい読みふけってしまったり、卒業アルバムなんかが出てくると懐かしくなってついつい開いてしまったりとかなんてことがよくある。
ましてや、旧家の倉庫代わりとして使われているような蔵の中だとそういった気になるアイテムや懐かしグッズなんてものはいくらでも掘り返せてしまうわけで、
「で? これどこに置いとくの?」
「ん? そのへんに積み上げといちゃっていいよ。ねえ! それよりこれ見て! なんかすっごい古いアルバム出てきたんだけど!」
「…………」
えらくほこりを被ったアルバムをさっそく掘り返して絵蓮はひとり楽しげに見始めるのだった。まったく、なにしてるんだか……。
とはいえ、いくら幼馴染とはいっても旧家の土蔵に入る機会がそうそうあるわけもなくて、結局は僕も「おぉ!? なんかそれっぽい巻物出てきたよ!」とか「うわっ! なんか高そうな壷! しかも真っ二つに割れてるし!」などなどいつのまにか気になるアイテムを掘り返すことに夢中になってしまっていた。
しばらくの間、僕も絵蓮も自分の目に付くもの目に付くものをあれやこれやと掘り返してそのたびに「すげー」とか「なつかしー」とか言いながら見せ合って時間を過ごした。
それにしてもいろんなものが出てきた。
その多くがもう着なくなった古着とかだいぶ磨り減ったスタッドレスタイヤとかプレミアも付きそうにないおもちゃの類いなどガラクタ同然のものだったけれど、なかには『聖明秘伝之書』と表題の入れられた古書だとか『星眼石』と貼紙のされたいわくありげな桐の箱だとか、こんなぞんざいな扱いでいいのかと訝しく思うようなものまであった。
ただ、一見まるで不規則に蔵の中に突っ込まれているように思えるそれらの品もよくみると蔵の一番奥のひとところに纏めておいてあって、一様の整理はされているようだった。そして、たいがい僕はその一角でこそこそと漁っている感じだった。ホコリっぽいのはどれも一緒だったけれど。
そんななか、
「ねえ、椎成。これなんだかわかる?」
絵蓮の声に振り向くと、山盛りのガラクタの中から掘り出してきたと思われるものを手にこちらにやってくるところだった。
手にしていた桐の箱を置いて、僕も絵蓮のもとへと行く。
「なに?」
「これなんだけど、なんだとおもう?」
彼女の手にしたものを覗き込む。それは小ぶりのメロンくらいの黒い球体をくっつけた地球儀のようなものだった。台座のところにいくつかボタンが付いていて、小さな液晶画面には日付が出るようになっている。
さらに近づいて見てみて、
「ああ、これたぶん家庭用のプラネタリウムだよ」
「プラネタリウム? ……プラネタリウムってあの、星空を映し出すでっかい装置のことでしょ?」
「そうそう。この黒い球の表面をよく見てみ?」
絵蓮から黒い球体の装置を受け取って、それをそのまま彼女の目の前まで持っていく。すると絵蓮は眉根を強張らせ、食い入るように黒い球体をねめつける。
「ちっさい穴がいっぱい開いてるの見えるでしょ?」
「あー、開いてる開いてる。……あ、つまりこの穴ひとつひとつが星なわけね?」
「正解。一般的にはホームスターって名称なんだけど、最近じゃこういう、自宅でも見られる小さいプラネタリウムが売られてるんだよ。学校の地学部の部室にも一機あるよ。ってか前に見せたことなかったっけ?」
「シラナーイ。……ねぇ、それよりちょっとこれ試してみない!?」
言うが早いか、絵蓮はパタパタと駆けていって二階へと続くはしごを上り始めた。なにをするのかと思えば、開いている窓をひとつひとつ閉め始めた。真っ暗にしてここで見ようということなのか。
――でもこれ、電源はどうすりゃいいの?
この手の家庭用プラネタリウムは大概が専用アダプタ付きで、コンセントから電源を引っ張ってくるタイプのものが多い。そのことに思い当たり手の中のホームスターをひっくり返して確認したけれど、コードのようなものが伸びているようなこともアダプタを繋ぐような差し込みも見当たらない。もしかして電池式だろうか?
さらによく探ろうと台座の裏側に目をやる。
そして、そこに不思議なものを見つけた。
大文字の“H”の真ん中に縦棒が1本加わっている。その縦棒は下の方が長く伸びていてその先に小さな丸。そんな“H”の飾り字のような文字のまわりには大小の星印(アスタリスク)があわせて6つ不規則に並べられていた。
それはなにかの記号か紋章のように見えた。
――なんだこれ? どっかの国旗でもないし、もしかしてこのホームスターを作った会社のロゴかな?
しかし、それならロゴの下に社名くらいあってもいいもんだ。
もっとよく調べてみようかと、今度は黒い球体を支えているフレームの部分に目をやろうとして、
「これで準備オッケー!」
絵蓮の掛け声とともに蔵の中に差し込んでいた明かりがすべて遮られ、なかは真っ暗になってしまった。すべて締め切ってしまっても窓の細長い隙間からまだ少しだけ光は入ってきているので自分の立ち位置を見失うほどではないものの、パタパタと駆け寄ってくる絵蓮の姿もうっすらとした影でわかるくらいだった。
「ねぇ、早く見ようよ」
電源のことも含めて、もうちょっと調べてみたかったけどしかたない。「いや、ちょっと」といって絵蓮さんが待ってくれるはずもなく、「ほら、急いで急いで!」と背中を押されるまま、蔵の中ほどに移動。しゃがみこみ、ホームスターを床において電源を入れた。
「スイッチ、オーーーン!」
いやうるさいから、そこはしゃぎすぎ。子供ですか? ほんとに。
だいたいほんとにつくのかどうか。壊れてつかなくなったからお蔵入りなんじゃないかと思うのだけれど。
果たしてほんのちょっとの間を置いてから、ホームスターは起動し始めた。
「お、ついたついた」
台座のまわりが淡く輝き始め、続いて黒い球体内の光源が燈された。それにしても、液晶画面に出てきた『786/15/02』ってなんだ?
たしか最近のヤツは前後五百年分の星空のデータを納めているのもあるっていうけど、786年って千二百年以上もまえってこと? そんなんあったっけか。それに15月2日?
――これ、やっぱり壊れてるのか。
なんとか直らないかと液晶の横にある操作パネルを弄くろうとして、
「…………すごい」
「――ん?」
そういえばさっきまで騒いでいたのがやけに静かになったなと思って、横に突っ立っている絵蓮を見上げてみると、ホームスターの放つ淡い光に照らされたその表情は夢見る少女そのものといった感じだった。家庭用プラネタリウムがそんなにも珍しかったのかと思ったのだけれど、
「…………」
言葉を失うって、まさにこのことだと思う。
ゆっくりと立ち上がりながら絵蓮と並んで見上げた天井は、ここが蔵の中なんだってことを軽く忘れさせてくれた。
しゃがみ込んでいた時にはわからなかったけれど、驚いたことに床一面にも数え切れないくらいの星々が描かれていた。宇宙の真っ只中に漂う宇宙飛行士にでもなったような気分だった。自分の足もと近くを見ると、その先に深遠の宇宙空間がどこまでも続いているように錯覚して目眩すら覚えた。
「ほんとに、すごい」
それこそ、学校にあるホームスターなんかとは比べ物にならない。それどころか、公共施設の大型のプラネタリウムだってここまで精巧なものなんてめったにないはずだ。
あまりの驚きに言葉も出てこない。
しかし、
「……だけど、この星空、なんか変」
「え? 変って、なにが?」
「星図が――星の並びがまるでデタラメなんだ。星座がひとつも見つからない」
白鳥も蠍もオリオンもどれひとつとして見つからなかった。もし、この星空が南半球のものだったとしても、南十字とか南の三角ならすぐに見つかるはずなのに、それもない。
「えー、でもこんなに星があったらそう簡単に星座なんて見つけられないんじゃない?」
「ううん、そんなことないよ。星座ってほとんどが地球からすぐ近くにある明るい星で構成されてるからどんだけ星が出ていても簡単に見つけられるものなんだよ。だけど、この星空にはどの星座もないんだ。それに天の川がない。これだけの数の星が映されていればはっきりわかるくらいの星の筋があるはずなのに」
「……言われてみれば、たしかに。でも、それって単にこの装置が“きれいな星空を見せるだけのもの”ってだけじゃないの? その、星図とかは関係なしで」
いや、それはどうだか。
ここまで精巧な装置を作っておいて『星図は適当でオッケーよ』なんてことありえるんだろうか。それとも、誰かがいたずらで球体の穴をデタラメに開けたとか?
だけど、この穴ってそんな子供のいたずらなんかで開けられるほどでかくないもんなぁ。それに、これって単純に球体に穴を開けたくらいで星が増えるようなシロモノでもないだろうし。
腕組みをしながら再びしゃがみ込み、目の前の黒い球体を睨つける。そして、ふと気づいて僕は自分の真後ろに振り返った。
そこにも、星空はあった。
吸い込まれてしまいそうな深い星空。
僕の体で、光を遮っているはずなのに。
それを目の当たりにして、得体の知れない不安が体の中を一気に駆け上がってきて、
「……椎成、あのおっきい星、なに?」
おそらく、絵蓮もなにかおかしいってことがだんだんとわかってきたのだろう。
震える声で彼女が指差す先には、ふつうなら考えられないくらいの強い輝きを放つ大きな星。それはまるで生きているかのように蠢いていて、
「えっ!?」
あっという間だった。
次の瞬間には、僕らはすでに白く大きな光の中に飲み込まれていた。
2、
「エーデくん、ごくろう。……それで、彼の様態はどうだね?」
「はい。医務班の話では気を失っているだけで命に別状はないようです。一両日中には目を覚ますのではないかとのことでした。万一に備えて1日25時間体勢で見てもらっています。眼が覚めれば、じきに連絡も来るかと……」
「そうか。わかったありがとう。もし、他用がなければそのまま君にも彼ことを見ていてもらいたいのだが、よいかな?」
「了解しました」
エーデと呼ばれた女性将校らしき人物はそのまま部屋を後にする。彼女が去ってしばらくの間、部屋の中には重い沈黙が流れた。
やがて、少し小太りの高官らしき人物が口を開く。
『……“世界が滅亡の危機に瀕した時、空の零れ落ちる先より使者が現れ世界を救うだろう。”まさか、古来より伝わる伝承が現実のものになるとはな』
その声は神妙そのものだった。
『しかし、ユーリ神官長。その、不躾な質問で申し訳ないが、……本当にかの子供は“降臨の円卓”に姿を現したのですか?』
今度は痩せた神経質そうな別の高官が疑問を口にする。これにはすぐにユーリ神官長と呼ばれた初老の男性が、
『いいえ、それはわかりません。しかし、かの少年が神殿奥に安置されていたアインフリュスの封印を解き例の巨獣を撃滅したことは間違いありません』
と、慎重な口ぶりで答えた。
『しかしそれは、巨獣の死体と起動を停止したアインフリュスの近くに彼が倒れていたというそれだけの状況から判断していることでしょう? ただの偶然という可能性もある』『そんな偶然あるはずなかろう。だいたい、もしそれが偶然だというのならアインフリュスの封印を解いたのはどこの誰だというのだね?』『わかりませんが、私は可能性を示しただけで……』『このことは、ミカナ女王陛下には?』『わたくしめの方からすでに報告済みです』『帝国側のスパイという可能性は?』『しかし、彼の在り様は伝承にあるのとまったく同じです』『まさか、あんな子供がか?』
しばらくの間、会話が交錯し議場は一気に騒然となる。そんななかで、しばらく口を閉ざしたままだったユーリ神官長がおもむろに議長席にいる人物へと言葉を投げかけた。
『彼は、本当に“プリジオンの使者”なのでしょうか? ……シオウ将軍はどう思われますか?』
すると騒然とした議場がすぐに鎮まり、その場にいた全員の視線がシオウ将軍と呼ばれた人物のもとに集まる。先ほどの女性将校に対する指示にしても、みなから向けられる視線からしても、どうやらこの人物がみなの取りまとめ役らしい。
目を閉じ、なにかを考え込んでいるふうだったシオウ将軍は、張り詰めた空気になんら臆することもなく静かに話し始めた。
「いまのところは、なんとも言えまい。それに、それはもう一度、彼をアインフリュスに乗せればわかることだ。彼が本当に“プリジオンの使者”なのかどうか、どちらにしろ少年が眼を覚ませばすべてが明らかになる。いまは、彼が起きるのを待つしかあるまい」
そのとき、みなが囲んでいるテーブルの真ん中にあった半球体の装置がなにかを知らせるための、ポーンという乾いた音を発した。
全員の視線が今度は音を立てた半球体の装置に集まる。
「どうした?」
シオウ将軍が静かに尋ねると、半球体の装置はほのかに輝きだした。そして、先ほど報告をすませて部屋を後にした女性将校の姿を映し出す。彼女の姿は半透明の立体映像で映し出されていて、どうやらこの装置は一種の連絡用端末のようだった。
半透明の女性将校が話し始める。
『いま、少年の診察に当たっている医療班から連絡がありました。少年に覚醒の兆候。もうすぐ眼を覚ますだろうとのことですが、いかがいたしますか?』
「そうか。わかった。……ところで君はいまどこにいるんだ? 少年のもとにはいないのか?」
『申し訳ありません。例の、少年が現われたのとは別の時空歪曲の解析データを確認してくれと頼まれまして、いまはそちらの方に向かっているところです』
「いや、それならばいいんだ。ではそちらの方は君に任せよう。彼のほうには私が出向くことにしよう」
『了解しました』
その言葉を最後に、映像はフッと消えた。
それを確認し、一度静かに息を吐いてから、シオウ将軍はおもむろに立ち上がる。その場にいる全員を見まわしてから、
「では会議はこれで終了とする。各々の職務に戻り、次の連絡を待つように。以上、解散」
その号令と共にみな一様に姿を消した。ほどなくして部屋の明かりが灯る。
それまで、大臣やら神官長やらがいた椅子の上にはテーブルの上の連絡端末と同じものがそれぞれに置かれているだけで、
「…………果たして、ほんとうにあの少年なのだろうか」
部屋にはひとり残ったシオウ将軍の深い呟きがあるばかりだった。
※
浅い眠りの中で、僕は何度も絵蓮の声を――絵蓮が僕の名前を呼ぶ声を聞いた気がする。
高宮家の蔵の中。
家庭用のプラネタリウムが発した異様な強い光が眩しくて目を閉じてしまい、そのまま僕はいつの間にか気を失ってしまったようだった。
眼を覚まし、それでもまだ意識の定まらない夢現な状態の中、薄っすらと目を開くと眠っている僕の顔を覗き込む少女の顔がそこにはあった。
――絵蓮?
けれどその少女はすぐに僕のもとから離れて行ってしまう。
まってよ、行かないで。声を掛けようとするけれど身体がまったく言うことを聞かない。手を伸ばそうとしても、せめて眼だけででも彼女のことを追おうとしても、どうしても身体が動かなかった。
「……女王陛下。勝手にこのようなところに来られましては困ります」
すこし離れたところで話し声がする。
女王陛下って誰? もしかして、絵蓮のこと?
「すみません。ちょっと、彼の様子が気になったものですから」
困りますと言われて、それに返す少女の声は間違いなく絵蓮のものだった。でもなんで絵蓮が女王陛下?
ほんとなら、いますぐ飛び起きて絵蓮のことを確認したかったけど、なぜだかひどく疲れきっている身体では意識を保とうとするのも億劫だった。
まあ、いいや。とりあえず、彼女が無事なら。……これで、…………安心。
再び堕ちた夢の中。
そこで見たのは、近所の悪ガキを追い散らして仁王立ちの絵蓮の背中。
そういえば、僕らの小さな頃はいつもこんなだったな。
その頃の僕は、まわりの子や絵蓮よりも一段と背が低くて、公園でみんなと遊んでいるときでも「チィビ、チィービ!」とよくからかわれ泣かされていた。
そんな時、決まって僕といじめっ子の間に入ってくるのが絵蓮だった。そして、スカートが捲れちゃうんじゃないかってくらいの勢いで必殺のとび蹴りをかましていじめっ子たちをやっつけちゃうんだ。
なかなか僕が泣き止まなかったりすると「だいじょぶ、しいなちゃんはあたしがぜったいに、まもってあげる」なんて励ましたりなんかして。
それがいつからか、背の高さも逆転して、あんなに大きく感じていた絵蓮の背中もだんだんと小さく感じられるようになって、それと共に僕には僕の、絵蓮には絵蓮の友だちができ、ふたりで遊ぶことも話すことも徐々に減っていった。
夢の中。
近所の悪ガキを退治して仁王立ちの絵蓮がこちらに振り向く。
けれど、そこにあったのは小さな頃の無敵の笑顔じゃなくて、今にもくず折れてしまいそうなくらいのぐしゃぐしゃの泣き顔。
それは、……そうだ。半年前に絵蓮のおじいちゃんが亡くなった時に見せたあのひどい泣き顔だ。
いつも明るくて溌剌としている絵蓮。
人前で泣く姿なんて滅多に見せたことのない彼女が、あのときはぐずぐずに泣き腫らし充血した眼で、ほんとにひどい顔で僕のところに駆け寄ってきて声がかれるまで嗚咽を漏らし続けていた。そんな彼女に対して、僕はどうしようもできなくて抱き止めていることしかできなかったけれど、あの頃あんなにも大きく感じられていた絵蓮がいまは自分の胸の中にすっぽりと納まってしまっていることにすこし驚いていたんだ。
だから、僕はなにもできなくても、せめてあの頃君からもらった言葉を返そうと、
「だいじょうぶ。……だいじょうぶだから、僕がいるから」
そんな励ましにもならない言葉を掛けていた。
なんで、そんな夢をみたんだろうな。
それが、なんかとても不思議で、僕は眼を覚ましてからもしばらく呆然として動けずにいた。
っていうか、まずここがどこなのかというのがひとつ問題だ。
とりあえず、高宮家の蔵の中でないことは確か。
いつのまに寝かされたのか憶えのないベッドの上に横になったまま見上げる天井は金属質な光沢を持った無機質なもの。ベッドの両脇は薄手のカーテンで仕切られている。雰囲気としては学校の保健室に近いか。
それとも、もしかして蔵の中でぶっ倒れているのを発見されて、そのまま病院に担ぎ込まれた?
ってことは、絵蓮も同じようにどこかで寝かされてるんだろうか。でも、それならさっき少しのあいだ目を覚ましたときに僕のことを覗き込んでたのは誰だろう。
――あれは、確かに絵蓮だったと思うんだけど。
ベッドの中、横になったまま伸びをして身体を和らげる。
瞬きの間、眼窩の端がちょっとこそばゆい。目ヤニか?
どうにも気になって、手の甲でこすり、
「……ん?」
自分の手首になにか填められていることにそこではじめて気づいた。
「なんだこりゃ?」
ベッドの上、上体だけ起こしながら左の手首にあるそれをまじまじと見つめる。
リストバンドにしては幅がありすぎるし、材質もなにか軽い金属で出来ているようだった。ちょうど真ん中あたりにすこしふくらみを持った円形のガラス版がはめ込まれていて、これでこの部分に時間でも表示されてればちょっとゴツい腕時計といった感じだろうか。しかし、そこにはなにも映し出されていない。
――だいたいこれ、どうやって外すんだ?
裏側を見てみたり、ガラス面を軽く叩いてみたけれど外し方がわからない。いっそ強引に引き抜いてしまおうか。
思い立ち、なんにも動いている様子のないゴツい腕時計みたいなそれをガッと鷲掴みにし、左腕から引き抜こうとして、
「ああ、それはできればそのまま付けておいて欲しい。それは言語翻訳機能もついているのでね。おそらく、君の話す言葉とわたしの話す言葉は違うだろうから、言葉が通じなくなるのは困るのだ」
言いながら現れたのは赤ヒゲ男爵なんてあだ名が似合いそうな、年のころなら40歳後半と思しき男性だった。
実直・厳格がそのまま滲み出たような、ちょっと厳つい顔立ち。
「…………」
なのだが、その服装はいったいどうしたことか。
胸部を覆う甲冑に、海老茶色のマント。そして、腰に挿した長剣。
それはまるで、中世ヨーロッパの貴族か、そうでなければRPGに出てくる戦士の服装だった。
いったいこの人物はなにものなのか。
――まさか、コスプレ好きの病院の先生、じゃないよな。
それに、先ほどの赤ヒゲ男爵の話。自分の話す言語と僕の話す言語は違い、左手首のゴツい腕時計は翻訳機になっていて、僕らの間にある言葉の壁を取っ払ってくれているという。
だけど、面と向かって日本語同士で話している感覚しかない僕にとって、彼の言葉はさっぱりわからなかった。ただ、わからないなりにも理解できることはある。
それは、ここがただの病院や保健室ではないってこと。
――いや、それどころか……。
自分の身に起きたこと。いま自らがおかれている状況。目の前の人物のあり様。
それらひとつひとつを考察するに、ここが自宅近くの病院でたまたまコスプレ好きの担当医がついた、わけではないだろう。
あるいは、夢から覚めても夢の中、とか。まあ、それもアリといえばアリかもしれないけど、果たしてどうだか。
「あの、すいません。ちょっと、ひとつだけ聞いてもいいですか?」
「……ん? なにかね?」
現状において、相手が僕の質問に素直に答えてくれる保証なんてないし、自分が望むような答えが得られるとも思えない。
それでも、目の前の人物はおそらく嘘は言わない気がする。
だいたい嘘をつく必要性がどこにもないだろう。これでもし、嘘が出てきたら相手は相当な悪趣味の持ち主だ。
おそらく相手は、僕は自分の身になにが起きているのかわかっていないということをわかっている。
これで聞いてみて、もし自分が望むような答えが出てくればそれまでだ。ここは自宅近くの病院で運悪くコスプレ好きの担当医がついてしまっただけのこと。
「……ここはどこですか?」
あれやこれやを説明する必要もないだろう。単刀直入に純度100%の疑問を投げかける。
「そうだな。君には色々と知っておいてもらわなければいけないわけだが。――さて、なにから話すべきか……」
それに対し、目の前の赤ヒゲ男爵は一瞬言いよどみすこし困った顔をつくる。
考え事をする時に顎鬚をさわるのはどうやらこの人のクセらしい。右眉だけ少し吊り上げしばらく押し黙り、やがて静かに話し始めた。
「とりあえず、君の質問から答えるとするとだ。ここはコルディエリア王国。その王宮内にある医務室だ」
「…………えー、僕が住んでいた国は日本と言って、地球という星の上にあるわけなんですけど」
「――残念ながらそのどちらでもない。星の名で言うなら、この星をウルヌスと我々は呼んでいる」
果たして、彼の口から語られたのは、予想通り僕の望んだ答えではなかった。
それを信じるに足る証拠はないけれど、疑うだけの根拠もない。ただ、明らかにいままで自分がいた日常とはかけ離れたところにいるのは事実だった。しかし、そうは言っても理性はそう簡単にその事実を受け入れてはくれない。
焦りや戸惑いは自分で思っていた以上に大きかった。
言葉が、
「…………」
継ぐ言葉が出てこない。
そんなこちらの焦燥を知ってか、赤ヒゲ男爵はいくぶん明るい声で続ける。
「ああ、そうそう。名を名乗るのがまだだったね。申し遅れてすまない。わたしはこのコルディエリア王国の軍の総指揮を任されているシオウというものだ。みなからはシオウ将軍などと呼ばれているがね。ひとつよろしく」
「 」
声が掠れた。知らしめられた事実にそこまで動揺しているのか。
ひとつ小さく息を吐く。すこしは心が落ち着いた、気がする。
「……僕は、椎成。三樹椎成といいます」
「――シーナ君か。良い名だね」
そんなありていの社交辞令のあと、おもむろに差し出された赤ヒゲ男爵――シオウ将軍の手を、
「…………」
すこし躊躇しながらも僕はその手を握り返した。
すると、手を握りながらシオウ将軍は僕の様子を窺い、
「身体の具合はどうだろう? もう立って歩けそうかね?」
「……ええ、大丈夫そうです」
ベッドわきに置いてあったサンダルのような履物。それに足を通し立ち上がる。身体はなんともなさそうだった。それを見て、シオウ将軍は「うむ」とひとつうなずいてから、
「ではまず、いろいろと話しておかなければならないことがあるのだが、その前に確認させてもらいたいことがある。一緒に来てもらえるかな?」
「……確認したいこと? なんですか?」
「それは、……そうだな。少なくとも我々には重要なことだ。まあ、それは歩きながらでも話すことにしよう」
踵を返し、将軍はそのまま部屋の入り口へと向かう。ドアの側、壁のパネルに触れるとシュッという音がしてドアが開いた。そこでいったんこちらを振り返り、
「ついてきたまえ」
手招きをしながら僕を呼び寄せた。
なんだろう? 重要なことだと言ったときシオウ将軍の表情が一段と神妙なものになっていた気がする。その意味するところがまったくわからない。異世界に迷い込んでしまったという戸惑いをいまだ拭いきれていない頭は空回りするばかりだ。
重要な確認ごと。まあ間違いなく僕のことに関してなんだろうけど、果たしてなにを確認するというのか。
――まあ、でも
どのみちいま自分のまわりにあるものはわからないものだらけだ。これで「なにもわからないから」と言って臆病風を吹かせていたんじゃなにも始まらない。
――とりあえず、元の世界に戻る方法を見つけないと。
「あの、ひとつだけ確認させてもらっていいですか?」
医務室を出るまえに、これだけは聞いておかなければならないと思った。
「なにかね?」
「あの、その、僕と一緒にもうひとり、女の子がいませんでしたか? 絵蓮って言って、……その、僕の友達なんですけど」
高宮家の蔵の中、家庭用のプラネタリウムが発した強い光に飲み込まれてこの世界に紛れ込んだ。いまのところ、仮定でしかないけれど、もしそうだとするなら絵蓮だってこの世界に飛ばされてきている可能性が高いと思う。
それにさっきの、薄っすらと眠りから覚めた意識の中で聞いた少女の声。あれは間違いない、絵蓮の声だった。
しかし、
「? いや、発見された時には、君一人きりだったが」
「…………そう、ですか」
じゃあ、さっきのあの少女は誰だったんだろう? 他人の空似というやつだろうか。それとも、寝ぼけた頭で聞いていたせいでそう聞こえてしまっていただけ?
だとすれば、絵蓮はいまどこに?
彼女も僕と同じようにこの世界に迷い込んでいて、ひとりぼっちで見知らぬ世界を彷徨って、この世界がどれだけ安全なのかどれだけ危険なのかはわからないけれど、なにか命に関わるような危機にでもさらされたりして……。
あまり考えたくないことだった。
もしかしたら、飛ばされてきたのは僕だけだったのかもしれない。
それならそれでいいし、そのほうが望ましい。そうあってもらいたいと願うくらいのものだけれど、なかなかそう割り切れるものでもない。
「それらしい少女の探索は、我々のほうで行うとしよう。もしその、……エレンと言ったかな? それらしい子が見つかった際には一番に君のもとに知らせる」
「……お願いします」
そのひと言で不安が拭えるはずもない。でも、現状で僕にできることなんてなにもなかった。しかたないと言っては薄情この上ないけれど、でも仕方がないんだ。
いまは、自分にできることをすること。
まずは、ここがどういう世界なのかを知ること。
このシオウ将軍について行くしかない。だから、
「それじゃ、行こうか」
急く気持ちをなんとか抑えつけ、シオウ将軍と共に医務室を後にした。
しかし、いいかげんもう驚かされるようなこともないだろうと思ったけれどさすがに“君はこの世界を救う救世主かもしれない”といわれた時には正直耳を疑った。
「ついてきたまえ」と言われ、シオウ将軍につれられて、医務室をあとに歩きながら語られた内容は想定外のものだった。
彼の話したところを掻い摘んで説明するとこうだ。
このウルヌスという惑星には大小さまざまの国が存在しているが、現在ではコルディエリアを含めた4大国を中心にして合一統治が行われている。それまで何度となく大戦が繰り返され多くの血が流されたが、今はそれもおさまり世界には平和が訪れた。
ところがあるとき突然、4大国のうちの一国であったデスデモナ帝国が叛旗を翻し、世界に向けた宣戦布告を行った。
とはいっても、それはたった一人で数百人相手に喧嘩を売るようなもの。デスデモナの叛旗を知った当初は誰もが早々に沈静化しすぐに平和が戻るものだと思っていた。
しかし、それは大きな間違いだった。
『この世界は欺瞞に満ち満ちている。ならば一度、すべてを白紙に戻さねばならぬ。我こそは世界再生の使徒! 新たなる創世の道を我と歩もうではないか!』
宣戦布告の翌日、デスデモナ帝国皇帝カイン・ハルトのそのトチ狂った声明と共に放たれた魔導砲撃“エクスペルト”の一撃は、隣国を一瞬にして消し去っていた。
現在は周辺6カ国による魔法障壁によって“エクスペルト”の脅威は押さえられているが、デスデモナ帝国によるこの周辺6カ国への攻撃は熾烈で、この6カ国のうちひとつでも落とされれば世界が再び“エクスペルト”の脅威にさらされることは避けられず、世界はまだ緊張状態の真っ只中にあった。
そこで登場するのがこの僕、というわけなのだが……。
「この国には古くから言い伝えられている伝承があってね。まあ、あまりに古くその内容も内容だったのでこの平和な世の中にそのような伝承なぞ必要ないだろうと半ば忘れ去られていたようなものだよ。……この世界大戦が始まるつい数年前までは、ね」
苦虫を噛み潰したようなじつに渋い顔で、シオウ将軍は伝承について話した。
「“世界に滅亡の危機せまるとき、空の零れ落つる先より戦女神プリシスの遣いによる聖戦士あらわれ、聖剣を持ちて闇を振り払い、世界を滅亡より救うであろう”」
「……それが、僕だってことですか?」
「さよう。――昨日の晩、我々の観測班が東地区、ちょうどプリジオン神殿という建物がある付近に次元の歪みを観測している。なんの気まぐれか、あるいは君の出現を察知してのことなのか、折り悪く帝国の放ったと思われる巨獣にプリジオン神殿周辺を襲撃されていて君が出現した瞬間を見たものはいなかった」
淡々と話しながらシオウ将軍は廊下を行く。きびきびとしたその歩き方は、歩幅のせいもあるだろうけれど、ついていくだけでもやっとで僕はちょっと小走り気味になってしまう。
「しかし、だ。先ほど観測されたといった次元の歪みに呼応するようにして神殿内に安置されていた聖剣=アインフリュスが突如として動き出した。神殿と共に破壊されてしまったと思ったアインフリュスは、瓦礫の中からその姿を現しそれまで我が軍の巨神兵器(ガルデローヴ)を数体も押し退けてきた巨獣をあっという間に倒してしまった。……事態がおさまった後、我々がその現場に行ってみるとそこには絶命した巨獣と再び動きを止めた聖剣、そしてそのすぐ近くに少年がひとり倒れているのを見つけた」
「その少年が……」
「そう、君だ。そして――」
しばらく続いた通路の先。行き止まったところにあったドアは医務室のもの同様、音もなく開き、そしてその先には思いがけず広い空間が広がっていた。大きさで言えば学校の体育館か、いやもっと大きい、ドーム球場くらいはあるだろうか。
全面が無機質な光沢を持った、まるでSF映画に出てくる宇宙船のドッグを思わせる作りで、僕たちはその中2階にぐるりと渡された通路に出るドアの前にいた。
そして、なによりもまず目を奪われたのが、ドアの正面に立っていた巨人。純白の装甲に身を包み、背に3対の大きな翼を生やしたそれはまるで、
――人型ロボット?
それこそゲームやアニメでおなじみの巨大ロボットが、その威容を僕の目前に現していた。
その白い天使を思わせる巨人を指し示し、シオウ将軍は言う。
「あれが、たった一騎で巨獣を沈めた聖剣、その昔よりプリジオン神殿の奥深くに安置されてきた真の巨神兵器(ガルデローヴ)・アインフリュスだ。……君が、乗りこなしたはずの機体だよ」
「……………………」
正直なところ、ぜんぜん身に覚えがなかった。
なんとか帝国のなんとかいう気違いの皇帝さんが世界戦争をおっぱじめたという件は置いておくとしても、その先のプリシスの遣いがどうたらこうたらとか目の前の巨大ロボットが突然動き出して巨獣とかいう化け物を倒しただとか、しかもよりによってその巨大ロボットを操っていたのが僕だなんて。
「……あの、それって、確かなことなんですか? その、僕にはまったく覚えがなくて」
異世界に紛れ込んだってことだけでも充分に理解不能な状況なのに、そこにきて滅亡の危機だの世界を救う救世主だの言われても非常に困るわけで、頭の中身は混乱の極みにあった。だいたい「君が動かしたはずだ」と言われても自分にはそんな記憶はいっさいない。
現状を把握するだけでも手一杯の状態なのに、しかし前を行くシオウ将軍はしれっとミもフタもないことを口にした。
「いや、だから、これからそれを確かめさせてもらおうかと思ってるんだよ。ほんとうに、君が動かしたものなのかどうかをね」
「はぃ? ……確認って、いったいどういう?」
「なに、簡単なことだ。あの機体は乗り手を選ぶ。アインフリュスを動かすことができるのはその適合者、つまりは“プリジオンの使者”だけなんだ。まあ、乗ってもらえば一目瞭然ということだな」
「……えぇ、いやいやいやいや、ムリムリムリムリ。ぜったい無理ですよ僕なんかじゃ」
「いやいやいやいや、乗ってもらわんと困るのだよ。……もしかりに」
ヒュッ
耳もとで風が鳴った。
振り向きざま、シオウ将軍が引き抜いた長剣はいつのまにか僕の首筋に飛び込んできていた。一瞬にして身体が凍りつく。わずかの間を置いても、剣身の冷たさが肌に伝わってくるようだった。
低く大勢を落とし、僕の首筋を鋭く狙いすました視線もそのままに、
「もしかりに、君が適合者でないと判断された場合には、帝国のスパイという疑惑のもと君を切り落とさねばならぬかも知れぬのでね」
「…………」
「…………」
頭は真っ白です。顔面蒼白です、たぶん。膝がガクガク鳴ってマジでちびりそうですおかーさーん!
しばらくの沈黙の後、
「はははっ、冗談だよ冗談」
軽やかに笑って剣を納めるけれど、シオウ将軍、あなたの目はマジでしたよ。
あー、やばーいよー。これで、あの巨人を乗りこなせなかったらマジ殺されちゃうんじゃね!?
三樹椎成、13歳。異世界にて死を予感した瞬間だった。
3、
浅い眠りの中で、僕はまた何度も絵蓮の声を聞いていた気がする。
事態がすべて収拾した時には、僕はまたあの医務室のベッドに寝かされていた。
憶えているのはその前後のことだけで、残りの欠けた部分はまわりから聞くしかなかったけれど、とりあえず僕がアインフリュスの適合者であるかどうかの確認テストなんてことを悠長にやっている場合じゃなくなっていたことは確かに憶えている。
あのあと、シオウ将軍に引き摺られるようにアインフリュスのもとまで連れて行かれ、「まあ、ホント。さっきのは冗談だから、楽な気持ちで乗ってみてくれ」と唆されるかたちで僕はアインフリュスのコックピットへと納まった。
基本的な構造はアインフリュスも他の巨神兵器(ガルデローヴ)も同じらしく、手短に説明されたとおりにアインフリュスの起動操作をしていく。
コックピットのハッチが閉じられ、わずかのあいだ暗闇が落ちる。やがて、メインのモニターに明かりが灯り、コックピット内がほのかに明るくなった。
この起動操作まではどうやら誰にでもできるようだった。しかし、問題はここから。
通常のガルデローヴにあるはずの操縦モジュール、たとえばペダルだとかハンドルだとかスティックみたいなものがアインフリュスにはいっさいないのだ。
――これでどうやって動かせと?
はっきり言ってお手上げ状態。動かし方なんてまるでわからなかった。
しかし、いくら「冗談だよ冗談」と言われていても目がマジだったシオウ将軍の脅しはさすがに効いていて、なんとかしなければと夢中であちこちをいじくり倒していた。
その時だった。
ズーンという腹に響くような地鳴りがコックピットの中にまで届いた。続いて、メインモニターの先では濛々と土煙が上がるのが見えた。みなが一様になにかを指差しながらあわてて逃げていく様子が窺える。
みんなが指差す方角、サイドビューの画像に目をやると、そこには、
「なんだこいつ!?」
格納庫の壁を突き破って見たこともない巨大な化け物が姿を現していた。それを例えていうなら痩せ細った毛むくじゃらの巨大ゴリラ。
それは、おそらく間違いないだろう、昨日僕がこの巨人を使って倒したという化け物だ。
――でもなんで!? そいつはもう死んだはずじゃ!?
――まさか、敵の攻撃の第2波ってやつ!?
しかし、あとで聞けばなんのことはない、それは死んでるものと思い込み一応研究の価値アリと判断されて運ばれてきた昨日の化け物そのものだった。そいつが実はまだ生きていて、いつの間にか復活したやつがいきなり暴れ始めたというなんとも軽率で杜撰な管理が招いた事故だったのだけれど、その瞬間はだれもそんなことになっているとは夢にも思わなかった。
だれもが帝国の奇襲だと思い込んでいた。
もっとも僕はそんなこととは関係なしに、めいいっぱい混乱していたけれど。
ハッチの閉じ方がわかっていればもちろん開け方も教わっていた。なにも動かせないんだったら、ずぐにハッチを開けて逃げ出せばいいものを、そのときの僕はなんとか動かそうなんとか動かそうとそればかりしか考えられなくて、
だいじょうぶ、しいなちゃんはあたしがぜったいに、まもってあげる
突然、なんの前触れもなく抗えぬほどの倦怠感と睡魔に襲われ意識が急速に薄れていくさなかに、僕は確かにその絵蓮の声を聞いた気がするんだ。
その後、眠りに落ちたの僕を乗せてアインフリュスは動き始め、今度こそ帝国の巨獣を完璧に打ち倒していた。それは、半壊した格納庫の中で胸に大きな穴を穿たれて倒れている巨大ゴリラの死体を見るに明らかだった。
「――やはり、記憶にはないか?」
「……ええ、まったく」
再び目を覚ました医務室のベッドの上で、やはり君はプリジオンの使者に間違いなかったと告げられてもなんのことだかまったく把握しきれていない僕の様子を見て取って、シオウ将軍とさっそく現場検証と相成ったわけだけれど、
「正直、ほんとうにこれが自分のしたことなのかって、いまこうして目の前にしても信じられないくらいで」
それが素直なところだった。
「……そうか。まあ、しかし、君が乗ることによってあの機体が動いたのは事実だし、やはり君がプリジオンの使者ということに間違いはないのだろうな」
「はぁ」
なんかそう言われてもしっくりと来なかった。なにしろ自分がやった事といえば、アインフリュスの中で気を失うことだけなわけだし。
そんな内心をぼやいてみると、となりで腕組みをしながらシオウ将軍は、
「まあ、それでも構わんさ」
と、実にいいかげんな返答がかえってくるばかり。どうやら、当初この人に感じていた実直・誠実というイメージはきれいに拭い去らないとダメらしい。
「それにしても、ほんと一時はどうなるかと思いましたよ僕。あれで動かせなかったら、ほんとに殺されるんじゃないかってビクビクでしたから」
「んー? あぁ、あれか。いや、あれはほんと冗談のつもりだったんだがなぁ。……それに、あの時点でわたしは君がプリジオンの使者だと確信しておったしな」
「? まだアインフリュスにも乗ってないうちから? そりゃまた、なぜっすか?」
「ほら、あれだよ。君がこの世界に飛ばされたときに、もうひとり友達が飛ばされてきたかもと話しただろ? その子の名前、たしかエレンとか言ったかな?」
「ええ、そうです。けど、それが?」
「ああ、ただの偶然にしては出来すぎだろうからな。実はな、ガルデローヴに付けられる名前はそれぞれ正式名称と一緒に略称も付けられているものなんだ。例えば、わたしが駆るガルデローヴはフォルタイルというのだが同時に“ウルツ”という略称もついている。そして、アインフリュスにも略称がある」
「……え? まさか」
「そのまさかだよ。アインフリュスの略称は“エレン”だ」
まあ、そんなこんなで、僕はいまもこのコルディエリアという国で、なんとかしてもとの世界に戻るための方法を見つける、のと同時に世界の救世主という任務をまっとうするべくエレンと一緒に日々頑張っているのですよ、というお話。