街灯の明かりと夢の行方
ゆり
国語資料室は相も変わらずごちゃごちゃとしていて、床には不必要になった藁半紙がばらまかれていた。棚も、何がどこにあるのかわからない程で、棚の扉は閉まらないほどプリントやファイルが飛び出している。その中に、同じくプリント類でごちゃごちゃになっている机が一つと、そこに居座る佐々木が居た。
私は窓の近くに立てかけてあったパイプ椅子を半ば強引に見つけ出し、床のごみ(と私が判断した)達を足でどかして椅子をセットして、佐々木の真正面に向かい合って座った。
「担任に怒られた」
憮然とした態度でそれだけ告げる。佐々木は興味なさそうにプリント類を掻き混ぜながら、その隙間に置かれている黒いノートパソコンで何かを打っていた。
「なんでだよ」
冷たい返答が返ってくる。
「進路がまだ決まらないから」
「水野は、なんの道に進みたいわけさ」
「その前に人と会話する時はパソコンやめてよね」
言うと、呆れたように顔をあげた。顔に似合わない四角い眼鏡は、いっそ伊達眼鏡ではないのかと疑う程似合っていない。蛍光灯の明かりが眼鏡に反射した。
「で、なんでわざわざこんなところに来て、そんなことぼやいてるんだよ」
「つまんないから」
端的に答えて机の上のプリントを床に落として机に伏せた。
「おい、それ、俺の大事な資料たちなんだけど……」
「なんで佐々木が私の担任じゃなかったのかなあ」
佐々木を無視して言葉を吐いた。だけど本音だ。
もう中学三年の秋で、進路指導の真っ最中だ。私は、進路を決めかねている。
佐々木とは、校内の不良、入谷をきっかけに仲良くなった。仲良くなったというのもなんだかおかしいけど。
佐々木は困ったように笑い「そりゃ、学年が違うからだろ」と当たり前に言った。
「私さ、佐々木が羨ましい」
机に伏せたまま、私は散乱しているプリントや辞書達を眺めながらそう呟いた。
佐々木は私の言葉に何も言わなかった。かたかたと、またパソコンを打ち出す音が聞こえる。
やっぱり腐っても教師、か。
沈黙が続いて、私はしょうがなく喋った。顔は伏せてそっぽを向いたまま。
「なんで佐々木は教師になんかなったの? 佐々木って、元ヤンでしょ、明らかに」
「さあな。どうでもいいだろそんなこと」
適当に交わされてむかついたから、顔を上げて睨んだ。パソコンから顔を上げた佐々木と視線が合う。
「なんだよ」
「べっつに」
そう言って私は不機嫌に立ち上がった。パイプ椅子は片付けない。さっきの三者面談でとてもむかついたからだ。八つ当たりは佐々木に限る。
だって私は、絵を描きたいだけなのにさ。どうして教師はみんな、まともな、普通って呼ばれる道を選ばせようとするんだろう。勉強なんて意味があるなんて思えないのに。
私が国語資料室のドアに手をかけると、後ろからやっと、佐々木が意思を発した。
「俺が教師になったのは、学校がつまんなかったからだよ。俺はおまえが羨ましいけどね」
驚いて振り返ると、佐々木はパソコンを打つ手を止めて笑っていた。笑顔で、私を羨ましいと言う。理解ができない。私が黙っていると、佐々木は言葉を続けた。
「俺達は普通が羨ましいんだよ。ちなみに元ヤンってのは当たってる」
それだけ言って、入谷達をよろしく、と言ってまたパソコンに戻った。私はわけがわからないまま、疑問符を横に携えて国語資料室を後にした。
ポケットを探って屋上への鍵を探す。簡単に見つかって、でも、思ったとおり鍵は開いていた。先客がいるのだ。
ちなみにこの鍵は入谷を通して佐々木から強奪した物で、普段、屋上は立ち入り禁止になっている。私は外の酒屋で買ってきたチューハイ二本と杏露酒を買い物袋にぶら下げたまま、ドアを開いた。ただのブレザーな制服に、風が寒かった。
「よう、なに、差し入れ?」
「またタバコ吸ってるし」
先客は入谷だった。秋は日の暮れるのが早い。まだ五時半だと言うのに、もう暗かった。
入谷は短髪の髪をいつも通りに茶色く染めて、だらしなく胡坐をかいたままタバコを吸っていた。白い煙が風にさらわれて飛んでいく。
私は入谷の隣まで歩いていって、そのまま腰を下ろした。ビニール袋の中で缶がコンクリートにぶつかる音がする。
私は入谷にチューハイを差し出して、自分は杏露酒を手に持った。
「お、酒じゃん。気が利くな」
「つまみはないけどね」
それだけ言って杏露酒の蓋をあける。学校で飲酒なんて明らかに校則違反だけど、そんなのどうでもいい。
屋上から見る校庭と家と街灯は、中途半端に明るくて、癪に障った。なんだか今日はすべて癪に障る。だって、なんだって教師なんかに道を決められなくちゃいけないんだ。
――絵、ですか。それは厳しいですね。水野さんはやればできる子ですし、もっとちゃんとした学校を狙った方がよろしいかと。
何が、ちゃんとした学校、だ。やればできる、だ。私は勉強になんて興味ないのに。
無言で杏露酒を飲み干した頃、やっと酔いが少しだけ回って、咽も顔も体も火照って、さっきまではっきりと見えていた街灯がぼやけて滲み始めていた。だけど気分だけは酔えないままだ。
無言を断ち切って、いつの間にか一本目を空にして二本目に突入していた入谷が問いかけてきた。
「なにかあったのかよ」
「別に。三者面談で、絵の道邪魔されただけ」
それだけ言って、入谷を見た。入谷の顔は赤くない。「入谷ってやっぱ、酒強いね」
「俺が弱かったら詐欺だろ」
「まあそうだね」
しばらく街灯を眺めていた。ぼやけて霞んで、蛍みたいに綺麗だと思った。闇に映える色。ああ、絵を描きたいな。この気持ちをこめて、この風景を描きたい。
「入谷は高校、どうすんの?」
「ちゃんと普通に進学するよ。勉強も始めてるし」
私はその一言に入谷をまじまじと見つめた。入谷は不思議そうに眉を寄せる。
「なんだよ」
「私、入谷達が羨ましい。ずるいよ」
酔っているのか、自分でも何を言っているのかわからなかった。ただ、街灯の霞んだ明かりだけ、頭の中に残っている。
入谷には未来設計がちゃんとある。私は、道を阻まれたのに。
入谷はタバコに火を点けて、煙を吐き出しながら、私を見ないで言葉を吐いた。
「俺はいつでも水野の方が羨ましいけどな」
「佐々木も同じこと言ってた」
「裕太も上総も、同じこと言うはずだぜ」
不良の大石なら、わかる気がする。だけど優等生の竹村くんまでそう言うなんて、私には思えない。彼らは道を阻まれたりしないのに。
私が黙って、入谷は煙と一緒に言葉を続けた。
「俺達はさ、普通じゃないんだよ。だから水野みたいな自由で、普通な奴に憧れるんだ」
「普通? 憧れるって、なに」
「そこは自分で考えな」
それだけ言って、それ以上入谷は何も言わなかった。私も街灯を見直すことにした。やっぱり街灯は霞んでいて、綺麗で、淡い。私は絵を描き続けたいのに。
「普通って、なによ」
「おまえのことだよ」
まるでわからなかった。
普通って何?
私が普通? 憧れ?
入谷の言うことも、佐々木の言葉も意味がわからなかった。
ただ私の目に映るのは、熱を持った瞳が私の脳に取り込む、霞んだ街灯の明かりばかりだった。美しくて、切り取って、しまいこんでしまいたくなるような綺麗な色。
私は絵を描きたい。こういう綺麗な絵を、描いて生きていきたい。きっとそれが私の夢なんだ。
私の夢は、どうやったら叶うんだろう。
お酒のなくなった瓶の中の杏を噛みながら、自問自答を繰り返し続けた。
私は、佐々木や、入谷達が羨ましいのにな。