最後のキスはセカンドキス? −美子 Beginning−
オーグ


 

第一章

 計画通り、美子は睡眠薬入りのビールのせいで熟睡している。昨日の昼間に電話があり今夜俺の部屋に来ると言った時から、俺は計画を立て始めた。準備はすべて整えてある。俺は風呂場に、今日ホームセンターで買っておいたブルーシートを敷き詰めガムテープで止めた。もちろん、血痕が残らないようにである。まだ、夜の10時だ。時間はたっぷりある。俺は度胸付けに、さらにウイスキーをラッパ飲みした。

 美子は以前、俺と付き合っていた女だ。一度子供をおろさせた事もある。美子は別れた後からも、やれ体調が悪いのは堕胎したせいだから治療費をよこせだの、よりを戻して結婚してくれだの、うるさく付きまとっていたのだ。特に俺が、会社の上司の娘との婚約をするために、美子と別れたと分かったあとは、ますます美子の嫌がらせはエスカレートしていった。婚約者の舞は、そんな事は全く知らず、純粋に俺を求めてくる。俺は本気で舞に惚れていたのだ。

 今のままでは、いずれ舞にも知れるだろう。純粋な舞がこんな女の事を知ったら結婚が破談になるのは目に見えている。美子はどうしても邪魔な女だったのだ。

 俺は熟睡したままの美子をかかえ、風呂場に連れて行った。自分もパンツ一枚になると、美子を全裸にし、服はきれいなまま、ビニール袋に詰め込んだ。衣類から証拠が出ないようにするためだ。俺は改めて美子の裸の肢体を見つめた。決して悪い女ではない。どちらかといえば美人の部類に入るだろう・・。俺は頭を振った。今は、そんな感情におぼれている場合ではない。しかし、俺は最後までためらった。美子のあどけない寝顔をしばらく眺め、俺は最後のキスをそっと彼女の唇にした。暖かい唇だった。

 俺は大きく深呼吸すると、自分の顔をパンパンと叩き、気合を入れた。そして作業を始めた。美子が暴れないよう、俺は用意してあったロープをそっと首に巻き、ゆっくりと力を込めて行った。・・と、突然美子は大きく目を開き俺を見た。
「グッ・・・ゲゲゲ・・・」
美子は言葉にならない言葉を口から搾り出した。しばらく足をバタバタさせていたが、やがてガクリと全身の力が抜けると口から一筋の血を流し、絶命した。
・・目を大きく見開き、俺を睨んだまま・・・。

 俺はおもわず腰が抜けたようにその場に座り込んだ。しかし、こんな事で躊躇はしていられない。いつまでも時間が有るわけでもない。俺は、計画通り作業を続けた。


 まず、最初は首だ。首があると残りの作業の邪魔になる。俺はホームセンターで何本も買っておいたノコギリを手に取ると、美子の首に刃を入れた。手には滑り止めのついた軍手をはめている。人間の血液は水のようにサラサラしていない。むしろグリスのようにベタベタ、ぬるぬるしている。素手でノコギリを使ったら、大量の血液でノコギリの柄が滑り、作業が進まないのだ。
切断するうち、肉を切るにはノコギリよりも包丁の方が良い事に気づいた俺は、これも買っておいた大型の肉切り包丁で骨以外の部分を切り離した。滝のように血が溢れてくる。ブルーシートが次第に血のプールになってくる。俺は用意しておいたバスタオルで、その溢れ出る血を吸い取ってはビニール袋に入れて行った。首の骨はノコギリでゴシゴシ切るよりも肉切り包丁で関節の部分を切ったほうが早いと、やってみて分かった。
ゴトン・・・・ 切り落とされた首が、鈍い音を立てて床に転がった。俺は震える手で美子の髪の毛を握り持ち上げた。真ん丸く目を見開いた美子の顔を、俺はできるだけ見ないようにしながら、バスタオルでくるむとビニール袋に入れた。
 一度、頭部を切断してしまうと、もう人間の身体という気はしなかった。俺は機械的に作業を進めていった。肩から両腕を切断すると、折り曲げ、ガムテープでしばってから、バスタオルにくるみ、ビニール袋に入れた。途中でひじの関節が伸びバスタオルからはみ出さないようにするためだ。足は股関節の部分から両足を切り落とした。ここは関節が大きいため、さすがに包丁では切れず、ノコギリを使った。作業の合間に、溜まった血をバスタオルで吸い取りビニール袋に入れる作業も、並行して行った。

 一つ失敗したのは、足の切断だった。先に股関節から切り落としたため、足をひざの部分から半分にする時、足がゴロンゴロンと転がってうまく切れなかったのだ。俺は、ブルーシートの下にある風呂用の椅子に、美子の足のかかとを乗せると、つま先の部分を自分の両足ではさみ、包丁とノコギリを横に動かす事で、なんとか片付けた。こんないやな作業でも、うまく作業が運んだ時は、妙な達成感があった。すべての切断が終わった時、俺はそう思う自分に愕然とした。・・・もう、後戻りはできない・・。俺はうっすらと自分の目に涙が浮かぶのを感じた。これが・・・、これがあの美子か・・。一度は愛し、結婚すら考えた美子・・。美子だって、俺が本当に結婚すれば、今までのことは忘れて祝ってくれたかもしれない。いままでの嫌がらせも、本気ではなかったのかもしれない。そう考えると、俺は谷底に突き落とされたかのような自責の念に駆られた。
「美子・・すまん・・・。」
俺は、そっと呟いた。


 俺は気を取り直すと、作業を続けた。バラバラにしてバスタオルに包み、ビニール袋に入れた遺体が八つ。凶器をまとめて、バスタオルに包んだ物を入れた、ビニール袋が一つ。それらを濡れタオルで拭き、脱衣所にならべ、風呂場のブルーシートもバスタオルで丹念にふき取った。汚れたバスタオルもビニール袋にいれ、敷き詰めたブルーシートをビニール袋に入れた。まだこのままでは、いくら半透明とはいえ血液の染みたバスタオルが表から丸見えになってしまう。俺は空のゴミ袋にそのゴミ袋を入れ、二つのゴミ袋の隙間に新聞紙をグイグイと差し込んでいった。中のゴミ袋が見えなくなるまで、丹念に入れた。結局全ての作業が終わった時、ビニール袋が合計20個にもなった。しかし、これで浴室には一滴の血も流れていない。時間はもう午前4時を回っている。俺はとりあえずきれいな衣類に着替えると、自分の車に遺体と凶器の入ったビニール袋だけ8個を運んだ。頭部だけは慎重に捨てなくてはならない。他の部分は、もし見つかっても指紋くらいしか手掛かりがない。美子の指紋が警察に残っているとは考えられない。頭部の入ったビニール袋だけを、俺は冷蔵庫の野菜室に入れた。そして、俺はまだ薄暗い中、車を飛ばし、街からできるだけ離れると、でたらめに走り、目に付いたゴミ収集所に、一つずつそのビニール袋を捨てて行った。たくさんのバスタオルでグルグル巻きにしてあるため、ちょっとさわったくらいでは分からないはずだ。外から見れば、古新聞が詰まっているようにしか見えない。もちろん切断個所には、結束バンドを硬く締め付け、血がもれないようにしてあるが、少々漏れてもバスタオルが吸い取ってくれるだろう。車内を見回し遺体のビニール袋がなくなったことを確認してから、俺は24時間営業の銭湯に行き、身体をキレイに洗った。濡れタオルで目立つ汚れは落としていたが、爪の間や自分では見えない部分に血が残っていてはまずい。俺は丁寧に身体を洗うと、上から下まで新品の衣類に着替え、着ていた衣類はビニール袋にいれ、ゴミ箱に捨てた。

 俺は車でマンションに戻った。残りのビニール袋は、急がなくてもいい。とにかく遺体が無ければ、殺人は成立しないのだ。殺人の一番の難しさはここにある。遺体、凶器、殺害現場。これが揃わなければ検事も逮捕状は出せない。したがってそれらをいかに処分するか、だ。一番確実なのは燃やしてしまう事。しかも大量のゴミと一緒にだ。しかし頭部は歯の治療の跡でレントゲンでばれてしまう。頭部の歯も口ごと砕いてしまえばよかったのだが、さすがに美子にそこまではできなかった。

 部屋に戻ると、俺は冷蔵庫から缶ビールを出し、一気に飲み干した。疲労がどっと押し寄せ、眠気が絶えがたくなり、俺はそのままベッドに倒れこみ、死んだように眠った。

 誰かに肩をゆすられて、俺はぼんやりと目を覚ました。時計を見るともう午前10時を過ぎている。
「健一さん。健一さんてば。」
「あ・・・舞か。」
「どうしたの?こんな時間まで寝てるなんて。お仕事大変だったの?」
「あ・・、いや・・・その・・・夕べ大掃除をしたもんでね。」
俺は、なんとも間抜けな返事をした。
「そうなんだぁ。あたしとのデートより、大掃除が大事なんだぁ。ふ〜ん。」
舞はからかうように、そう言った。
「あ、そうだ。脱衣所のゴミ、すごかったでしょ。全部出しておいたわよ。」
舞はその手から、軍手をはずしながら言った。
俺は心臓が止まりそうになった。
「そう。   ありがとう・・すまなかったね。」
舞の挙動に不信なところは無い。なにも気づいていないらしい。
俺が舞の様子をじっと見ていると
「なにか、大事なものでもあったの?」
舞はちょっと不安げに聞いた。
「いや、ないよ。全部ゴミばっかりだ。」
「そう。」
舞はそういうと
「あ、そうそうお土産にスイカ持って来たの、すっごく甘いのよ。今冷蔵庫で冷やしてるから。もう一つスイカがはいってたけど、押してみたらなんだかブヨブヨしてて・・あれ、腐ってるんじゃない?」
俺は全身から汗が吹き出した。
「そ、、そうなんだ。もう3週間くらい前に買ったものだからね。あれも捨てないとね。」
「そう思ったから、スイカも捨てといたわよ。かまわないでしょ?」

 ばれていない。舞は何も知らない。しかも残りのゴミを始末してくれた。この時間ならもうゴミ収集車が、そろそろ回収しているだろう。始めは頭部の始末は慎重に行うつもりだったが、死体の始末にうんざりしていた俺は、まぁいいかと、いささか投げやりになった。どっちにしろどうにかしなくてはならなかったのだ。これも運命だろう。
万が一ばれていたら、今頃はマンションの周りはパトカーで一杯のはずだ。すべては上手く行っている。計画通りだ。俺は無性にうれしくなった。
「今日は、休みを取っているから、ずっと舞といられるね。」
俺は舞の手を取ると、ベッドに引き寄せた。
「えっ、まだこんな時間よ?」
舞はとまどった。舞は俺が最初の男だ。今までは舞に合わせてドライブ、食事、俺の部屋でワインを飲んで、それから・・・がいつものパターンだった。だが今日の俺は違う。なにもかもがうまく行き過ぎて、宙に浮きそうな気分だ。俺が強引に舞をベッドに引きずり込むと、舞はおとなしくなり、俺のするがままになった。
いつもと違う俺を見て、舞は驚いたがその分いつもより積極的だった。舞がそれほど積極的だったのは、今日が始めてだった。

 やがて、事が終わると俺は舞から身体を離し、ベッドに倒れこんだ。これほどの爽快な疲労感は久しぶりだ。俺がそのままウトウトと眠りに落ちようとした時、ふと違和感を感じた。煙草の煙の匂いがするのだ。俺がゆっくり舞の方をみるとその手に火のついた煙草が有った。
「舞、おまえいつから煙草をすうように・・・?」
その言葉と同時に舞を見ると、起き上がって煙草を吸う女が居た。


美子だった。


「う・・うぎゃ〜〜〜っ!」
俺はベッドから転げ落ち、部屋の隅まで這っていった。
「美子・・・なぜ・・・? なぜ、お前が・・?」
美子はニヤニヤ笑いながら、
「あなた、気がつかなかったの?あなたが殺したのは、舞さんよ。あーはっはっはは。あたしが前に来た時、ウイスキーに幻覚剤を入れておいたのに、気付かなかったのね。くっくっく・・」
確かに違和感はあった。夕べは美子が来るのを待つ間、確かにウイスキーをいつもより飲んだ。緊張のためなかなか酔えなかったからだ。それにベッドでの行動、冷蔵庫の中身を中身を確かめもせず勝手に捨てた事、そして今は煙草を吸っている・・。
考えれば考えるほど、夕べの風景が蘇ってくるが、記憶が曖昧だ。
「舞は? 舞はどこだ? おいっ! 舞はどこなんだっ」
「だ〜から言ったじゃない。ゴミに出しましたわよ〜って。くっくっく・・・」
俺はあわててパジャマの下だけを両足に突っ込むと、玄関に向かって走った。エレベーターももどかしく、階段を駆け下りた俺は、ゴミ収集所に走り込むと、まだ収集されていないゴミの山を片っ端から道路に投げ捨て、新聞紙がつまったビニール袋を片っ端から引き破り、中身の、タップリ血を吸ったバスタオルをぶちまけた。あたり一面、真っ赤に血で染まったバスタオルで埋まっていく。それでも俺は、舞の頭部を探した。次第に見物人が集まってきた事など、気にもならなかった。
「舞、舞ーっ 」
俺は必死でゴミの山をほじくりかえした。やがて、舞の頭部らしきビニール袋が見つかった。俺は、ビニール袋を引き破り、中のバスタオルを引きずり出し、その中から血まみれの舞の頭部を取り出した。そこにはまぎれもない、舞の頭部があった。軽く目を閉じ、出血のため、白くなった唇。肌。俺は舞の頭部を抱きしめると、おいおい泣き始めた。俺は舞を愛していたのだ。その舞が目の前でこんな姿になっている。しかもそれは俺がやったのだ。俺の目からは涙があふれた。

 その時、肩をポンポンと叩くと、
「君、何をしとるのかね。」
振り向くと警官だった。振り向いたひょうしに警官の目に生首が見えた。
「き、君っ それは何だっ!」
警官はあわてて肩の無線機で応援を要請している。
俺は、抱きしめている舞の顔をもう一度見ようと、胸から離し、両手で舞の顔と向き合った。俺は、息を飲んだ.
 そこにあったもの。俺が大事に両手に抱えているもの。それは紛れも無い美子の首だった。

 その時俺は見た。美子の両目がゆっくり開くと、真っ白な唇が、まるで投げキッスでもするようにとがり、片目をつぶりウインクするのを。
そして美子の生首は、ニヤリと笑うと元通り死人の顔になった。俺は恐ろしさのあまり美子の首を放り出した。美子の生首は、ゴロゴロと転がると、ゴミ置き場の奥の壁にぶつかり鈍い音がした。
 そこから後に見たものは、現実か幻覚か、自分でも分からない・・・。
美子のゴロリと転がった首の付け根からなにか、モゾモゾと動くものが現れたのだ。そう、ちょうどミミズを1000匹ほど束にして、首の切断面に貼り付けたような形と言えばいいだろうか。最初5ミリほど出てきたそのミミズの束は、やがて1センチ、3センチと、うねうねとうねりながら、長く伸びてきたのだ。ちょうど15センチくらいになった頃、美子の首は、そのミミズ状の得体の知れないものに支えられ、ムックリと起き上がると、グルリと俺の方に向き直った。俺は放心状態で目の前の異形の生き物をただ、見つめていた。
「これで終わりと思ったら、大間違いよ。あーはっはっはっは・・。」
美子の生首はそのミミズの足を使ってゾロリゾロリと俺の方へ来ると、ちょうど道路とマンションの境にある2メートルほど幅のある土の上を、恐ろしい速さで滑るように駆け抜けて行き、マンションの角を曲がると姿消した。土の地面は一段低くなっているので、それを見た者はいなかっただろう。俺はそのまま失神した。


第二章

 まぶしい。なんだかやたらにまぶしい。俺はうっすらと目を開けた。ここが何処で、今は何日なのか、さっぱり分からない。ボンヤリと辺りを見回すと、モニターや医療器具が並んでいて俺の腕には、点滴の針がささっていた。どうやら病院らしい。俺は、薄々と今までの事を思い出した。記憶が、美子の首まで及んだ時、俺はまたも失神しかけた。全身が恐怖で震えているのが分かる。俺はあわてて起き上がると、床の上やベッドの下を覗き込み、美子の生首を探した。どうやらここにはいないようだ。

 ちょうどその時、背広を来た男が三人、病室に入ってきた。
「どうだ? ここが分かるか?」
「病院・・・病院のようですね・・。」
俺は慎重に答えた。
「そう、ここは警察病院の隔離室だ。なぜここにいるか・・・分かるね?」
一番背の高い、キツネのような男が言った。
俺は返事をしない。
「君には、山ほど聞きたい事があるんだがね。先生がおっしゃるには、体のどこにも異常は無いそうだ。そろそろ、尋問を始めたいんだが。いいかね?」
俺は、ゆっくりうなずいた。警察はどこまで知っているのか? 何か証拠は見つかったのか? 俺は必死で考えた。
「実は今回の事件では、警察でも手を焼いていてねぇ」
そのキツネのような男は、パイプ椅子を引きずり出すと、俺の枕もとに座り込んだ。
「君も、あの大量の血液のついたバスタオルは知っているね?」
これは、現場を見られているから、嘘はつかないほうがいい。
「はい。覚えています。」俺はあいまいに答えた。
「君は、あそこでいったい何をしていたのかね?」
「・・・・」
俺は必死に考えた。遺体・凶器・殺害現場・・・・・どれも、まだ明確では無いようだ。
「ね・・猫を探していました。」
「猫?」
「はい。夕べ、あそこを通った時、子猫の鳴き声がしたんです。それがどうにも気になって・・。ゴミ収集車に放り込まれでもしたら可哀想だと思い・・」
「それで、ベッドから飛び出して上半身裸で、ゴミ置き場まで行ったと言うのか?」
刑事は俺の言葉をさえぎるように、言った。
俺は決めた。ずっとこれで通そう。証拠は無いのだ。証拠は。
「はい。その通りです。」
刑事はあきれた顔をすると
「まあいい。退院したら、警察署でゆっくりと話を聞かせてもらおう。今日はほんの挨拶代わりだ。これから長いお付き合いになりそうだな。よろしく頼むよ。」
刑事はそう言うと、席を立った。


 結局、俺の拘留は30日に及んだ。俺はすべて、子猫のせいにし、それ以外は黙秘を通した。なにしろ証拠が無いのだ。遺体は無い。屋根裏部屋まで調べても、俺の部屋には、血痕の一つも見つからない。そして、凶器も無い。検事は公判の維持は難しいだろうとし、結局俺は釈放となった。唯一生首を見た警官も、実際それがその場に無いのだから、証言は無駄だった。しかも、俺はその位置から動いていないのだから、生首を処分する時間は無かったと、逆に俺に有利に証言するしかなかった。
 唯一、奇跡的にラッキーだったのは、俺が万が一の時の為に、使わずに置いたゴムの滑り止めのついた新品の軍手だった。舞は、ゴミを捨てる時、その軍手を使っていたのだ。これであの大量の血液が、俺の部屋から出たものだと知っているのは、舞だけだ。当然舞もかなり厳しい取調べを受けたようだが、ついに俺のことは話さなかったようだ。もし話していれば、当然俺はそこを追及されただろう。俺は、神と舞に感謝した。

 不思議な事に、舞は今回の件について、俺に何一つ聞かなかった。真実を知るのが恐ろしいのか、自分も共犯になるかもしれないという、恐れからか。判断はつかなかったが、俺にとってはありがたい事だ。


 あの騒動から、3ヶ月ほどたったある日、俺は舞と結婚した。あんな事件の後だから披露宴は行わず二人で婚姻届を出しに行った。そして俺たちは一緒に暮らし始めた。しばらくは幸福な生活が続いた。仕事も順調だし、帰宅すれば愛する舞がいる。そんな暮らしを続けているうちに、事件のことは徐々に頭から離れて行った。と、そんなある日、舞と日曜の遅い朝食を摂っていた時の事だ。ふと、天気の良いベランダに目をやると、俺は驚きと恐怖のため体が硬直した。ベランダに出るガラス戸は、俺の正面にある。向かい合った舞のちょうど向こう側だ。そこに・・・美子がいたのだ。美子はあのミミズのような足を使いベランダのガラス戸にベチャリと張り付くと、自分の鼻をガラス戸に当て、俺をからかうように、左右に振った。そして、ガラス戸に自分の唇を当て、キスをした。

「健一さん? どうかしたの?」
舞が尋ねた。
舞が俺の視線をたどって、ゆっくりとベランダの方を向いた。その瞬間、舞の生首はゾロリゾロリとミミズの足を動かし上の方へ移動し、見えなくなった。
「ねぇ、どうしたの?何かいたの?」
「・・・・・い、いや・・・なんでも・・なんでもないよ」
俺はそういうと、トイレに駆け込み、食べたものを、すべて吐いた。
美子が・・・生きている・・・。いや、あれは本当に美子か?人間か?俺は自問自答した。
それからの生活は地獄だった。今まで大好きだったパスタをみると、あのミミズの足を思い出し、思わず吐き気をおぼえた。ラーメンも、ソバもうどんも、細長いものをみるとすべてミミズに思えてくる。自分の靴紐でさえ、恐る恐る結ぶ始末だ。俺は自分でもノイローゼになりかけている自分に怯えた。

ある日の夜、舞とテレビを観ながらくつろいでいると、玄関のチャイムがなった。
「はーい。」
舞が玄関に向かうと、ちょっとして
「健一さん、お客様よ。」
舞が戻ってきていった。
「だれだい?」
「すっごーくキレイな女の人」
舞はちょっとふくれっつらをしてみせた。こんな時の舞は一段と可愛らしく見える。
「誰だろうなぁ?」
俺は玄関の外に立っている、深く帽子をかぶった赤いレインコートの女性を迎えた。
「え〜と・・すいません、どちら様でしたっけ?」
女は何も言わず、握手を求めるように皮の手袋をはめた手を差し出した。ちょっと変な気もしたが、俺は素直にその手を握り返した。
グニャリ
まるで、手袋に豆腐でも詰めたように、その手はあまりに柔らかく変形した。すると女がスッと手を引いた。手袋は俺の手に残り、女の袖口からは、束になったまま蠢くミミズが覗いた。俺が蒼白になると、女は深くかぶった帽子をゆっくり持ち上げた。
そこには、あの、美子の顔があった。俺は、おもわず玄関の壁によりかかり、振るえて倒れそうな足を支えた。
「お久しぶりね。お元気? ふふふ」
俺が目を見開いて、答えられずにいると、美子は俺の手から、手袋を取ると、ミミズの束にはめた。するとその手は、まるで中にミミズが入って手の形を作っているとは思わせないほどの器用な動きで、レインコートの真中のボタンを二つはずすと、広げて中を見せた。そこには・・・
巨大な芋虫の全身に無数のミミズが生えたような、胴体が脈打っていた。
俺は・・・そのままその場に倒れ、失神した。


第三章

 俺は失神したあと、救急車で近くの病院に運ばれたが、検査の結果ノイローゼということで、精神科で入院検査となった。医者は、なにか深い心の傷があるようですね。思い切って話しませんかと、私にしつこく聞いたが、答えられるわけがない。俺の検査は、入院治療と言うことになった。
 舞は、毎日のように見舞いに来てくれる。別に暴れたりするような病人でもないので、結構面会は自由なのだ。そんな面会日の時、舞がうれしいニュースを持って来てくれた。舞のお腹に赤ちゃんができたのだ。俺は久しぶりに、心が晴れ晴れする思いだった。俺にも、子供ができる。俺の跡取りだ。俺は無性にうれしかった。しかし残念なことがあった。俺が家にいないので、舞は実家に戻り出産することになった。しばらくはお見舞いにこれなくなる。これだけが、唯一寂しいことだった。最後の見舞いの時には、子供のレントゲン写真を持参してくれた。性別までは判断ができないが、頭や足は確認できる。お腹を触ると、少しお腹の中の赤ちゃんが動くのがわかった。
「すまんな、大事な時にいなくて」
「いいのよ。今度くる時は二人ですからね」
舞はうれしそうに言った。

 舞はにこやかに帰っていった。しかし俺には心配事がある。美子だ。いままでは逃げてばかりいたが、舞と生まれてくる赤ちゃんは、命に代えても守らなければならない。その点では舞が実家に帰ったのは、好都合だった。

 舞の出産予定日、俺は精神病院のベッドで、そわそわ、しどうしだった。生まれたらすぐに報告が電話で入る事になっている。病院の看護婦さんたちも、それを知っているのでちょくちょく病室を覗いては、まだ? ねえ、まだ? と笑顔で聞いてくれる。俺は、美子の不安と、生まれてくる赤ちゃんのことで、複雑な気持ちだった。美子は、今、どこにいるのだろう?まだ俺への復讐を考えているのだろうか・・。しかし、そんな不安も舞の事を考える時だけは、緊張がほぐれた。俺は、美子の不安と舞への愛情との間で、危うい綱渡りをしている気分だった。


第四章

 舞は実家の側の大きな産婦人科のベッドで、出産を待っていた。徐々に陣痛の感覚が狭くなり舞は分娩室へと運ばれた。医師はエコーの画面を見ながら、どうもこの子供は大きすぎて骨盤を通らない可能性がありますので、事前帝王切開をしますからと、舞と家族につげた。
舞の背中から、局所麻酔注射が打たれた。医師は、メスを持つと、ヘソから下に向かってメスを入れた。看護婦がそこから両手を入れ、赤ちゃんを取り出す。

 その時、信じられない事が起こった。赤ちゃんを両手で取り出した看護婦が、病院中に響くような大きな声で絶叫すると、赤ちゃんを床に放り投げたのだ。
「馬鹿者!」
医師が叫ぶと、あわてて赤ちゃんを両手で持ち上げると、産湯につけた。
・・・と、医師は赤ちゃんを洗おうとして・・・絶句した。

 医師は、腰を抜かすと這いながら、赤ちゃんから離れた。
その産湯の中には・・・
頭からグッショリ血にまみれた、女の生首が転がっていたのだ。
そしてその生首は、大笑いを始めた。その声に、ボンヤリしてた舞も気がつき、自分が生んだ生首を見た。
「いやぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜」
舞は、絶叫すると気を失った。

舞の絶叫が響いたあとの分娩室には、いつまでも美子の生首の高笑いする声が響き続けていた。いつまでも。いつまでも・・・・

                                  終わり


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