暖冬。わたしは死期が早まった。腐るスピードが加速した。足の先が蒼くなる。感覚が無くなる。幽霊は足がない。それはわたしだ。地につかない。温かい空気は上に、頭を浸食する。朝、目が覚めないことが怖くて。呼吸の音と心臓の動きを意識しながら。寝返りして空気を動かすことが許されないような。瞼に映るはずのない夢を天井に描くための唯一の時間。夜だけ冷蔵庫、わたしの部屋。鮮度を落とさないように。だって。
きっと、わたしは明日死ぬ。



嘘 ? 口をなくした虚像                         byココ



隣からの物音が聞こえなくなった。4月に引っ越してきてから、入居した直後に一度だけ夕方に見かけたお隣夫婦。発砲酒だか第三のビールの箱を両手に持つ旦那さんと、総菜が見え隠れするレジ袋を片手に持ちながら、鍵を開ける奥さんに出くわした。わたしは生ビールしか飲まない。だから、この夫婦と晩酌を交わすことはないだろうな、なんてくだらない考えが頭をよぎった。そのせいか、夫婦の顔も思い出せない。スーパーで同じ黄色と青の箱を購入した場面に出くわして、初めて気がついて挨拶できるのかもしれない。手ぶらなままだと、たとえ隣の部屋の鍵を開けているところを見かけたとしても、背景の一部として捉えてしまいそうだ。だからなのか、その時以来、お隣の住民には遭遇していない。
それでも、わたしのベッドが横付けしている壁からは、最低限の生活音が聞こえていた。テレビの音と足音。わたしの壁の裏には生活感伝わらない程度の動きがあった。それが2週間くらい前から聞こえない。変わったことは、雪が降り積もったことくらい。
そんなことをアヤに言ったら、雪が音を吸い込んだのよ、と意外に詩的な表現をした。リエは、旅行にでも行ってるか引っ越したんでしょ、と現実的に反応した。カナコなんて、プライバシーの侵害してるんじゃないわよ、っていう言葉を眼に込めてわたしを睨んだ。共通していたのは、化粧をする手を止めなかったことくらいだ。ファンデーションがうまく塗れない。顔色の悪いわたし。
でも、不思議。気がつくまでは何とも思わなかったのに、夜寝付けなくなった。小さな物音に神経を尖らせる自分に気がつく。冷蔵庫からの音で心臓の鼓動が早くなって、コンセントを抜いてしまったこともある。そして、静粛。気が狂いそうになる。これが毎夜続く。
アヤは、彗星が落ちてくる音が聞こえるよ、なんて論点をずらす。リエは食品腐らないの、と質問。もちろんわたしは答えない。カナコはわたしを見ない。自分事と他人事の区別を必要以上に強調する。マスカラを塗るのに真剣。結局、何の解決にもならない。わたしの気は晴れない。
だって、なんとなくだけど、お隣さんは住んでいると思う。女の子は、なんとなく、の感覚が一番大事だ。だからわたしはもっと不安になる。本当は、ドアのチャイムを鳴らして確認したい。世界中で一番訪ねてみたい場所が壁の向こうだなんて。でも、それはルールから外れる行為だ。正当化するには弱い、なんとなく、な靄だから前に進めない。それはせいぜい吐き出す吐息で曇る視界。
    アヤが笑う、魔法を使えばいいのよ。リエがため息をつく、管理人さんに確認すればいいのに。カナコは反応すらしない。口紅が見つからない。締まらない表情。鏡を見るのが辛い。そこにはアヤとリエはきれいに映っている。洗面所の照明は熱いくらいに明るい。
    ベッドのある壁を蹴飛ばしてみよう。思いつくのは毎日で。実行したことは一度も無い。今のわたしだったら。隣の部屋から壁にノックされても反応しない。そんな無駄な作業は省く。そんなカナコの発想に飛び乗る。要は面倒くさいだけだ。好奇心を満たすのも、好奇心を植え付けられるのも、本当は自分の生活に関係のない情報。例えお隣さんが大喧嘩して、お互いナイフを握りしめたまま絶命していても。 例えお隣さんが旅行で海外に行っていても、お土産などこないから。結局、今から出かける決断には影響しない。
    そこまで考えて、もう一度鏡を見つめる。
   
今日、わたし、いなくなる。
    住民が変化したことに気がつかず、変わったことといえば冷蔵庫がついたことくらい。カナコは手櫛で髪を整える。アヤもリエも立ち去った後。虚像は映る姿に口がないことに気付く。




(終)
キーワード
「暖冬」「世界」「彗星」「魔法」


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