君の還る場所
神月蒼


 友人Sはちょっと変わった男だ。黙って座っていればわりとイイ男なのに、まったく愛想がない。極端な放浪癖があって、時々ふらりといなくなる。
今度も彼はいなくなり、三日経ち、四日が経って皆が心配し始めた頃に、ひょっこり帰ってきた。
 「今回、早かったね。いつも一週間は帰ってこないのに」
 「ああ」
 不機嫌な顔でコーヒーをすする。私たちは、いつも駅構内のカフェで会う。
 「所長が、有給取れって」
 「は?」
「いなくなる時は、前もって有給を取れと」
 Sの上司――私にとっては元上司で現在も友人にあたる男だが、これもまた変わっている。Sは時々、仕事先にも連絡しないでいなくなるので、普通ならクビになってもおかしくない。ここで有給を取れ、なんて言うのはあの男くらいだ。
 「有給、取ったの?」
 「いや、取ってない。でも、なんとなくそれを思い出して」
 「帰ってきたのか」
 「事務所に帰った」
 「家じゃなくて?」
 「うん」
 一人暮らしのSは、事務所のすぐ近くに部屋を借りている。六畳くらいの狭い1Kで、あるのは布団だけの質素な部屋だ。
 Sは実家と絶縁状態で、だから彼の帰れる場所はそこしかない。
 「帰りたくなかったのか、部屋に」
 「いや、なんとなく……」
 事務所には所長か所長の奥さん、奥さんの弟の誰かが必ずいる。日によっては他のスタッフもいるし、私もたまに顔を出す。私とSが知り合った場所だ。
 「なあ」
 「うん?」
 「おれは、あそこに帰って良かったんだろうか」
 誰にも、何も言わずにいつも出て行ってしまうS。この悪い癖で、いつも誰よりも傷ついているのはS自身だ。
 だけど、私はわかる気がする。Sがふらりと出て行ってしまう理由が。
 どうしようもなく孤独で、居場所がどこにもないような気がして、寂しくてたまらなくて。
 どこかに居たいけど、どこに居て良いのかわからない。ずっと居場所を探し求めて彷徨っている。
 所長が言っていた。私とSは、よく似ている。だから、Sの気持ちがお前にはわかるんじゃないか、と。
 本当にSがそんなことを感じているのかはわからない。だけど、帰ってきた直後のSを見ると、なんとなく私の考えは当たっている気がするのだ。放心状態か鬱状態か、二択しかないから。
 「バカだねえ」
 レモンケーキにフォークを入れた私を、見上げるように彼は見た。意外なことを言われた、とでもいうように。
 「帰って良いんじゃなくて、帰ってこないといけないんだよ」
 居場所を探している。もう、ここにあるはずなのに、それに気付けない。いや、本当はSももう気付いているんだろう。ただ、自信がないだけで。
 「あんたのことを家族みたいに心配している所長が可哀想だろ」
 「家族みたいにって、おれは、あの人の家族じゃない」
 「だけど、あの人はあんたに帰ってきてほしがっているよ。所長も、奥さんも、他の皆も……」
 もちろん、私も。
 私はいつも、言葉が足りなくて。事務所のほかのメンバーも、言葉が足りなくて。
 口を開けば余計なことばかり言って、他人を傷付けて。なのに必要なことは言えないで、また傷付けて。
 「あんたがどんなに、私たちに迷惑かけたと思っていても」
 マドラーで冷めたコーヒーをかきまわす。Sはじっと、そんな私を見つめている。
 「それでも、私たちはあんたに帰ってきてほしいよ。」
 こうして向き合って、きちんと言葉にしたら、どれくらい気持ちが伝わるのだろう。
 たった一言を言葉にするのは、いつも、とても難しい。
 「……帰って、こい。」
 いままで、言えなくてごめん。
 それも、言葉にできないけど。
 「帰ってこいよ。」
 家族じゃなくても、恋人じゃなくても、それでも。

 「あんたは、必要なんだから。居てくれなきゃ嫌なんだよ」

 帰ってきてくれるなら、これからは何度でも言おう。ここに帰ってきて良いんだと、気付いてくれるまで。
 君の還る場所はここにあるよ、と。

―― 終 ――


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