スクール・スクール・トラップ
神月蒼


 紅い紅い炎がアスファルトを焦がしていた。
 全身に響く消防車のサイレン、野次馬の声、崩れていく家の音。
 消防車から何本ものホースが伸び、熱気と水蒸気が胸を苦しくさせる。
 どうして、うちが燃えているんだろう?
 ママは、パパは、お姉ちゃんは?おじいちゃんとおばあちゃんは?
 瞬きさえ忘れて見入った。今日まで、今朝まで、そこにあったはずの「家」を。
 「炎」は私の味方のはずだった。今日、この日まで。
 消えろ、消えろ、消えろ。
 念じれば消えるはずだった。なのに、火は激しくなるばかりで。
 炎は一晩燃え続け、しかし不思議なことに、隣家への延焼は皆無だった。

 小学六年生の五月、私は「私」でなくなった。




     ****





 
 東京の端も端、東京と二つの県境にあたる葛原区光ヶ滝。
 川沿いにある『都立光ヶ滝高校』に通う獅堂明果(しどうめいか)は、三階の教室にある窓から、グラウンドを走り回る双子の弟を見つめていた。
 弟の名は和輝という。諸事情あって、姉弟の明果と和輝が一緒に暮らし始めたのは今年の三月も終わりの頃だった。
それまで、明果は東京の母方の祖母の家で育ち、和輝は関西にある親戚の家で実母と暮らしていた。
 なぜ家族がばらばらに暮らしていたのか、明果も和輝も詳しいことは何一つ知らない。それでもほんの一月と少しの間に、双子は互いを補い合うように寄り添い、息の合った生活をしていた。
 大きな違いといえば、グラウンドで汗を流している弟と違い、明果は学校では極めて物静かに振舞っている……というところだろうか。
 ただでさえ目立ちすぎ、かつ某芸能プロダクション系列の顔立ちで同・上級生にラブコールを受けまくりの弟の所為で、どうしても登下校が一緒の明果も多少は目立ってしまう。「獅堂」などという珍しい苗字のために、目立たないようにしても嫌でも名前は覚えられてしまうのに。


 明果には目立ちたくない理由があった。それは双子の弟の和輝にも知られたくない暗部。
 この学校にいると、いずれその暗部が和輝と――知られたくない数人の人物に、ばれてしまうかもしれない。まあ、明果が知られたくないと思っている人物には、おそらく明果のことはわからないだろうけど。


 変わってしまった自分に気付いてほしくなかった。弟にも、変わる前の自分を知られたくない。
 その二つの思いが、尚更に彼女の心を頑なに縛り付けていた。
 制服の胸ポケットから学生証を出す。学生証のカレンダーの、五月十八日の欄に丸がつけてあった。
 「あと……一週間、か……。」
 物思いに耽っていた彼女は、自分を見つめる視線に気付かなかった。
 一年C組のドアを挟んで、彼女を見つめて話している二人の少女に。




***





 一年C組原口木ノ葉(はらぐちこのは)、一年A組堂本真実(どうもとまこと)。
 木ノ葉は明果のクラスメートで、明果の席から二列離れた斜め後ろの席に座っている。そして、いつもこの時間は、今日の明果がしているように和輝を窓から眺めていた。
 今日は斜め横の教室のドアから、双子の姉の顔を見つめている。こうして見ると、やはり和輝と双子の姉弟なだけある。和輝とよく似た柔らかくウェーブのかかった髪、眼鏡をかけていてもわかる筋の通った鼻、なだらかな曲線美を描く顎。

 ――ふと、明果が眼鏡を外した。いつもは眼鏡の反射で見えにくくなっている瞳が、視力の良い二人にはドアからもよく見えた。
 日本人にしては薄めの茶色い瞳。白い頬に影を落とす、長い睫毛。

 「やっぱり、似てると思うだろ?あの瞳。」
 真実が問いかけると、木ノ葉は少し考える素振りを見せてから言った。
 「思わなくもないけど……、それならどうして、あたしたちに話しかけてくれないのかな?」
 「それはオレも考えたけどさ。なんか事情があんじゃねぇかな。オレだって、獅堂弟のやつが似てるって気付かなきゃ思いつきもしなかったんだ。なんせ名前も誕生日も顔も違うんだぜ?事情がなきゃおかしいだろーがよ。」
 「でも、ホントによく気付いたね。だってあの頃のあの子……顔中、あんな、だったのに」
 「木ノ葉!!」
 真実に小声で威嚇されて、木ノ葉はびくりと身を竦めた。下手な男子よりも強いと言われている真実が睨むと、木ノ葉はつい萎縮してしまう。
 これでも二人は小学校からの知り合いで、中学で一旦離れたものの、高校に入って再会してからは、かなり仲の良い友人同士なのだが。気性の荒い真実と、おっとりしていてまわりに流されがちな木ノ葉は、小学時代の『もう一人』の存在があってこその友情が成り立っていた。
 「あの頃の『あいつの顔』をあんななんて言うな!親友だろうが!」
 怒られながら、木ノ葉は思った。
 親友――だけど、自分は何も出来なかった、と。
 木ノ葉の心中には気付かず、真実は不敵な笑みを浮かべてみせた。
 「実は、獅堂弟に聞いたんだ。あいつんち、探偵事務所やってるんだって。だから、いっそのこと乗り込んでみようぜ。『依頼相談』ってことで話しを聞いてもらうんだよ。相談だけなら無料らしいしさ。」
 「え……っ」
 和輝の名前に反応してしまった。木ノ葉は入学したての頃から、グラウンドを毎朝駆け回る和輝に仄かな恋心を抱いているのだ。
 「オレたちが『まもり』を探してる。それが獅堂姉の耳に入って、動揺すればビンゴ、しなかったら別人だ。」
 真実にはまだ木ノ葉の気持ちを伝えていない。だから、和輝の家に乗り込もうなどと簡単に口にできるのだ。真実が羨ましい。自分にはない、流されたり怯えたりしない強さを持った真実が。
 でも、と木ノ葉は心の中で自問自答する。
 この機会に、もしかしたら私も真実のように少しは度胸がつくかもしれない。せめて、和輝君や明果さんと話せる程度には。
 実は、木ノ葉は明果と同じクラスであるにも関わらず、まだ一度も彼女と話したことがなかった。明果はクラスであえて孤立している。その状況は、故意と偶然の違いさえあれど、木ノ葉にとって八年前の再現のようなものだった。


 小学生の二年生のとき、木ノ葉は真実のいる小学校に転校した。花園まもりという、少し変わった姓名を持つ少女に出会ったのはそのときだ。
 彼女は小学校で虐めの被害者だった。真実のほかは友人もなく、図書室で静かに本を読んでいることが多かった。
 トイレや音楽室、家庭科室に閉じ込められるのは当たり前。ありがちな上履き隠しや教科書の破損、人目に付かないところへの暴行がさも普通のことのように行われていた。
 庇えば自分も虐められる。幼いながら、木ノ葉はそれを理解し慄然とした。たった一人、まもりを庇った生徒――真実も同じようにひどい虐めを受けていたからだ。
 だが、それを黙って見過ごすことも出来なかった。
 真実はいつも正面から立ち向かっていった。何をされても何も言わないまもりの代わりと言わんばかりに、学校で暴れ、相手を問わず喧嘩をし、卑怯な苛めっ子達のやり方を許さなかった。
 そんな真実を見る度、胸が苦しくなった。こんなに強い人がいるのに、自分は虐めの標的にされるのが怖くて何もできない。
 悔しかった。そして、悔しさが頂点に達したとき、木ノ葉は自分に出来ることを見つけた。
 自分が虐められるのが怖くても、他人の目に触れないようにこっそりまもりをかくまったり、傷の手当をするくらいはできる。ようは虐めっ子達にばれなければ良い。
 まもりもそれをよく心得ていた。真実が虐められるようになった理由が自分だということをわかっていて、はじめのうちは自分に近づいてくる木ノ葉を拒絶した。
それでもしつこく人目を避けて声をかけるうちに、少しずつ打ち解けていった。
 木ノ葉はまもりに、校内では口を聞かないし、何をされているのを見ても見ないふりをすること、そして外で会っても人目がある時は挨拶もしないという約束をさせられた。
 自然と、真実との仲も深くなっていった。
 そして。
 五年生の夏休み、まもりが二人にお礼だと言って見せてくれた『奇跡』。
 あの光景は、今も忘れることができない。
 

 あの日は雨が降っていた。探検だと言って入り込んだ夜の小学校は、想像以上に不気味だった。
 『堂本さん、怖いよ、帰ろうよう。』
 泣き言を一番最初に言ったのは木ノ葉だった。
 『大丈夫だよ。それにほら、見ろよ。あのまもりが平気な面して歩いてんのに、おまえがびびることねぇだろ?』
 そう、まもりは平然としていた。いつも虐められるばかりで、泣くことも無ければ笑うことも少ない、顔中イボだらけの少女。イボのせいで顔は醜く変形し、そのうえアレルギー体質とかで全身のいたるところに突然蕁麻疹が出るのも、みんなに不気味がられていた理由のひとつだった。

 ――やーい、ハナ菌!化け物!死ね、学校に来るな!

 まもりが日常的に浴びせられていた罵詈雑言の類。こんなに醜い言葉があるのかと、耳を塞ぎたくなるようなものもあった。
 それでも、彼女が学校を休まずに来ていた理由はなんだったのだろう。
 それはずっと木ノ葉が心の中に仕舞っていた謎だった。あの小雨の降る日、木ノ葉は彼女に思い切ってそれを訊ねてみた。
 『ねえ、まもちゃんはどうして学校を休まないの?』
 『だって、私が休んだら他の人が標的になるだけだもん。私、自分みたいな目にあう人は本当は一人で良いと思ってる。だから……真実を巻き込んだこと、後悔してる』
 真っ暗な学校の中を、懐中電灯の頼りない光だけで歩いていく。三人分の、小さな足音。
 『後悔って……オレぁおまえのせいだなんて思ってねーぞ!なんでそんなこと言うんだよ!!』
 真実が階段の手すりを力任せに叩いた。手すりを叩いた音は思った以上に反響して、ぎょっとして真実は手を引いた。
 『真実はいつも私を守ってくれる。木ノ葉ちゃんも。だから、今日は私にお礼をさせて?』
 階段の真ん中で、彼女は立ち止まって二人を振り返った。
 『でも、今日これから二人に見せるものは――』

 他の人には、絶対、秘密だよ?







   ***






 獅堂和輝が育ったのは、関西地方の山奥にある、人里離れた小さな集落だった。かつては「隠れ里」と言われ、鬼や人間ではないものが住んでいる土地だと思われていたそうだ。
 気象衛星からもほとんど見られない、小さな小さな集落。「宝」と「竜王」という姓を持つ大きな屋敷が二つと、その屋敷の使用人たちが住む小さな民家がいくつかしかない。そして、その集落に暮らす人間はほぼ余りなく血縁関係にある。
 和輝はその小さな集落から、徒歩で一時間近くかけて麓村の中学に通っていた。
 自分に双子の姉がいること、顔を見たこともない父や祖母が今も健在であることは知っていたが、小さな集落と学校の仲間は、会ったこともない家族よりよほど近くて便りになる存在だった。
 麓村は過疎化が進み、小学校も中学校もクラスは一つずつ、校舎は小中一貫の小さな木造校舎一つだけだった。
 高校は三人しかいない同級生たちと同じく、一番近い……とはいえ、家から二時間近くかかる県立高校に行く予定だった。
 予定が変わったのは、中学三年の夏休みだった。中学に入学した頃から病弱になってきた母、日奈子の容態が、さらに悪化したのだ。
 母は和輝の物心付いたときから、集落で一番大きな屋敷で当主夫人の世話をしていた。当主夫人とは年齢も近く、親戚でもあり学友でもあったということで、和輝たち親子は屋敷の住人から家族同然の扱いを受けていた。病気になっても主人が和輝と母を屋敷に置いてくれたのは、そんな背景もあっただろう。
 「日奈子の母親が懇意にしている病院に入院して、手術を受ければ命が助かる見込みもある……。おまえ、東京におかんと一緒に行ったらどないや?」
 宝家の当主に言われて、一も二もなくその提案に飛びついた。そして和輝は、母のために会ったこともない祖母を頼り、彼女に支持されるまま光ヶ滝高校を受験したのだった。
 自分の育った場所を離れるのは苦痛だった。皆と離れたくなかった。ずっと、あの人里離れた山奥に住んでいる自分を想像して生きていた。
 だけど、村を離れる最後の日。
 学校中の皆が、集落の人たちが、麓村の人たちが、自分たちを見送りに来てくれた。
 『東京なんか行っても、うちらのこと忘れたらあかんで!つろうなったら、いつでも帰ってきぃや!!』
 『おかん、きっと元気になるで!そしたらまた帰ってくるんやでっ』
 居心地の良い場所。帰れる場所。
 のどかで、何もないけど星と空気はとても綺麗で。何より、人と人とのぬくもりのある場所だった。


 東京は何でもあるけど、何もなかった。祖母はとても厳格そうな女性で、病気で帰ってきた娘にろくな言葉もかけなかった。まるで東京の街そのもののような、そんな印象が和輝の脳内にインプットされた。
 ただ、初めて会った双子の姉は自分によく似た顔をしていて、冷静かと思ったら意外に熱血で、優しかったり厳しかったり、ころころと表情を変える感情豊かな少女で。

 自分が育ったあの場所に似ている――。和輝は、ひと目で明果を姉として認めた。

 祖母が二人の高校進学を機に、明果に自分の経営する探偵事務所を任せたことを知った。表向きの経営者は別に保護者役の人物がいるが、すべてにおいての決定権が明果の手元にある。
それだけの器があるのだと、そして、それだけの器が自分の姉にあることを、和輝は弟として誇らしく思った。

 大丈夫、この姉さんと、姉さんが直々に選んだっちゅう事務所の人たちとなら、どんなことがあってもやっていける―――。






 そうして一ヶ月と半分が過ぎた。
 和輝は東京の空気の悪さにも人の多さにも慣れ、持ち前の人当たりの良さで友人もたくさんできた。新しい家の仕事も段々こなせるようになった。
 しかし。
 ひとつだけ、どうしても納得できないことがあった。
 明果の学校での生活態度だ。
 自宅ではあんなに明るくて、仕事も外部の友人とも楽しそうに接しているのに。
 なぜ、学校では友人を作ろうとしないのだろう。
 明果が和輝を見ていたように、和輝も学校での明果を見つめていた。

 壁を作っているようにしか、見えなかった。
 誰も、何も、侵入を許さない鉄壁の砦。
 目立たないように、誰とも関わらないように。
 そんな頑なな決意が、和輝でさえ話しかけるのを躊躇うような空気を作り出していた。

 『獅堂姉弟って、マジで正反対だよなー。』

 そんなことを言われるたびに、胸がなんだか締め付けられる思いがした。
 俺の姉さんは、明果は、ほんまはそんな人やない……!
 言いたくても、何故か口にしてはいけないような気がして、反論できなかった。






  ***






 「おーい、獅堂弟!」
 帰り道、自転車置き場で声をかけられた。声で誰かはすぐにわかった。同じクラスの堂本真実だ。
脱色した肩までの髪に、目鼻立ちのくっきりした背の高い少女。こんな可愛い容姿のくせに男言葉を喋り、男とタメを張るくらい気が強い。喧嘩も相当強いという噂まである。
 「おう、なんか用か?」
 自転車を引っ張り出しながら答えると、真実の後ろからもう一人、ショートカットの少女が姿を現した。エキゾチックな雰囲気の、大きな目が印象的な少女だ。
 「ああ。じつはさ、オレとこいつ……C組の原口木ノ葉っつうんだけど、お前に相談があるんだ。」
 「相談?」
 「ああ。ま、こんなとこじゃなんだし、帰りながら話そうぜ。」
 はて、堂本真実は和輝と帰り道が同じ方向だっただろうか。そんなことを考えていると、真実は和輝の心を読んだようなタイミングで笑った。
 「オレ、小学校までお前んちの近くに住んでたんだ。それに、木ノ葉んちは今もお前んちの近くにあるから、今日は寄ってくんだよ」
 ぺこりとショートカットの少女がお辞儀した。真実と違い、原口木ノ葉はずいぶん控えめな少女らしい。


 三人は並んで川沿いの道を歩き出した。
 「そんで、話しっちゅうんは?」
 二人の少女は目配せしあう。二人の中で話はまとまっているようだし、和輝はあえてせかさずにゆっくりと歩いた。
 「あのさぁ、お前んちって探偵事務所なんだろ?相談だけは無料って聞いたんだけど、人探しとかの相談も乗ってくれるのか?」
 「人探し?まあ、探偵事務所やし、そういう仕事やったら引き受けてるけど……金、あるんか?」
 「ない!」
 笑顔で笑い飛ばされた。
 「そ、そりゃぁ……引き受けるんは無理なんとちゃうかなぁ」
 返すこちらは笑顔も引き攣ってしまうというのに、真実はまったくへこんだ様子がない。
 むしろ、和輝の返事を知っていたかのような反応だ。
 「……?」
 ふと、和輝の足が止まった。
 「そういやさっき、相談……言うたっけ」
 にやり、と真実が笑みの仕様を変える。
 確かに相談だけなら無料。しかも、二人は知らないことだが、場合によっては手は貸さないものの、アドヴァイスつきということならある。
 和輝が考え込んだ僅かな隙をついて、真実が話しかけた。
 「なあ、お前らって姉弟ばらばらに育ったんだろ?姉のほうはどこで育ったんだ?」
 「和輝君は関西のほうってわかるけど、お姉さんのほうは訛りとかないもんね。もしかして東京?」
 これは計画だった。真実と木ノ葉は、前もってこの問いを彼にすると決めていたのだ。土足で家族の内情に踏み込んでしまう、一歩間違えれば危険な賭けだとも思ったけれど、手がかりは少しでもあったほうが良い。
 だが、和輝はあっさりと二人の問いかけに答えた。
 「ああ、明果は四年前までこの近くに住んどったらしいで。俺らの今の家も、昔『お化け屋敷』って言われてた場所なんやて。
まあ、いざ帰ってきてみたら周りが四年前とは全然違うようになってて驚いたっちゅうて寂しがってたな。
公園とかの昔の名前とか、通るたんびに教えてくれるんや。あいつ、この土地好きやったんやなぁ……。」
 お化け屋敷。公園の名前。四年前。
 不意に、木ノ葉が立ち止まった。
 真実もつられて立ち止まる。
 「……とんぼ公園、ロケット公園、お城公園……」
 木ノ葉が呟いた名前は、すべて三人――真実、木ノ葉、まもりが三人で遊んだことのある場所だ。
 真実もそれに気付いて、息を呑んだ。
 「そうそう、その名前や。さすがご近所さんやねー。それで、俺に話しっちゅうんは、明果のことなんか?」
 ばっ、と音がしそうな勢いで二人が和輝を見る。計画では、和輝に自宅まで連れて行ってもらって、相談ということで、明果の前でまもりの名を出すはずだったのに。
 明果に似た――まもりにも良く似た、薄茶色の瞳が二人をじっと見つめていた。
 「明果のことなら、このまま俺が話し聞こか。どっか落ち着けるトコ行こな?」
 二人に拒否権はなかった。少なくとも、昼間に二人で立てた計画は遂行不可能だと、和輝の目が語っていた。







  ***







 橋を渡って二十分ほど歩いたところに、少し規模の大きな大型ショッピングモールがある。三人はそこの中にあるやや高級な喫茶店に落ち着いた。学校からは少し遠いし、喫茶店も高校生が入るような雰囲気の場所ではなかったが、少なくとも同級生や知り合いに会うことはなさそうだ。
 座ってお冷が三人前出されるなり、和輝が言った。
 「俺、他の人よかちいと勘がええんや。それに、学校での明果の様子は俺も気になっとったしな。」
 ホットミルクティー、コーヒー、アイスティーをそれぞれ頼んで、和輝はウェイトレスを下がらせた。
 早速本題に入る。
 「実はなぁ、あいつ、公園の名前とかうちが昔お化け屋敷だったとかっちゅう話はするくせに、その他のことは一切話さへんの。おかしいやろ?その代わり、高校入る前の四年間のほうに話しずらしたりしてな。あからさま過ぎて誰でも気付くわ。」
 不機嫌そうに、少年は頬杖をついた。
 「本当に好きな場所やったら、俺はさんっざん自慢するけどな。違うか?」
 答えられなかった。
 まもりはひどい虐めにあっていたのだ。そのうえ、火事で自宅が全焼して家族は全員焼死。まもりの姉なんて骨も見つからなかったらしい。
 そんな過去のある場所が、好きなはずはない。もしかしたら、こんな街には戻りたくもなかったかもしれない。
 不安が二人の胸を掠める。もし、その忌まわしい記憶の中に、自分たちも入っていたら?
 「っでも、オレたちはあいつがオレたちの探してるやつだと思うんだ。」
 わきあがってくる不安を抑えこみ、真実はティーカップを握り締めて言った。木ノ葉もそれに言葉を続ける。
 「あたしたちが探してるのは、花園まもりって女の子なの。四年前、小学校六年生の時に火事に遭って、それ以来一度も会ってない。
お姉さんは彼女に良く似ているの。和輝君も。
その……あなた達の、その、薄い茶色の目が何かをまっすぐ見ていると、まもりちゃんと重なるの。会いたいの。
もし、明果さんがまもりちゃんなら……もう一度始めたいの。」
 木ノ葉は必死だった。自分が何を口走っているかも分からないくらい、必死だった。
 「でも、明果とそのまもりっちゅう子が同じ子やって証拠はないな。まもりって子の写真とかないんか?」
 「アルバムの中に少ししかない。あいつ、顔中イボだらけだったから、写真撮られるのめちゃくちゃ嫌いだったんだ。オレなんて無理やり撮ったらいきなり石投げられて、あいつと初の取っ組み合いの喧嘩したくらいだぜ。」
 「イボ?」
 和輝が目を丸くした。てっきり知らないことかと思いきや、和輝は直後に目を輝かせ、二人の手を掴んだ。
 「それ!あいつ、中学の二年までイボの治療してたって言うてた!完治まで八年かかった、って!」
 八年。
 「まもりは小学校一年生の時からイボが出始めたんだ……」
 真実が呟く。
 計算はあっている。まさか、過酷な小学生時代を送る原因になったイボが、今度は役に立つなんて。
 「それに、さっき火事って言うたよな。その場所って――」

 和輝が続けた番地は、間違いなくかつての花園家の建っていた場所だった。






  ***






 焼け跡はひどく荒れ果てていた。草が蔓延り、朝顔の蔓が焼け残った格子に絡み付いている。
 三段しかない玄関への階段を上がり、扉を失った出入り口から中に入った。四年も経てば臭いなんて消えているはずなのに、未だに焦げ臭いような気がした。
 「ここが、明果の家だったんやね……。」
 和輝の呆然とした呟きを聞き、喫茶店で彼が言ったことを思い出す。
 よく仕事帰りや学校の行き帰りに、明果がじっと見ている廃墟があると。
 黙して語らない、四年以上前の過去。そこに何があるのか、和輝は考えなかった。考えたこともなかった。
 コンクリートの壁が黒く燃え残って、一番奥まで行くと、枯れた花束と薄汚れたコップが一つ置いてある場所に出た。
 「オレ、毎年、火事があった日に花と水を持って来るんだ。そうすりゃまもりに会えるんじゃないかって……。」

 ―――化け物が来たぞ!みんな逃げろー!

 ―――さわんないでよ、汚い!

 真実と木ノ葉が話してくれた、虐めの事実。
 和輝は化け物と言われたことはない。虐めを受けたこともない。ましてや、帰る場所を失ったこともない。
 「明果さんは、壁を作ってるみたいに見える……」
 木ノ葉が言ったことは、和輝も思っていたことだった。
 この土地で受けた『虐め』が、明果の『壁』の理由なら、和輝にも想像できるものが一つだけある。
 それは、彼女のある秘密がばれた時、再び学校中の人間が彼女を化け物扱いするからだ。
 自分には無縁のものだった『虐め』という行為が明果の作り出す壁の理由だとしたら、彼女が『学校』という存在そのものを嫌悪していてもおかしくない。
 「あたし、火事って聞いたとき、自分の耳がおかしくなったんだって思った。」
 コンビニで買った水でコップをすすぎながら、木ノ葉が言った。
 新しく綺麗な水を入れ、手を合わせる。
 「オレも……火事なんて、信じられなかった。」
 手を合わせて目を瞑る二人の背中を見て、和輝は眉をひそめる。
 火事が信じられなかった、とはどういう意味だろう。まさか、明果の『あの能力』を知っていて、そのうえでこの二人はまもりを探しているのだろうか。
 鎌をかけてみる必要があるな、と和輝は思った。この二人の少女は、計画を立てて和輝に近づいてきたわりに、感情が外に出やすいのですぐに何を考えているか分かってしまう。
 二人が手を合わせ終わって立ち上がったところで、和輝はさりげなく尋ねてみた。
 「まもりって子ぉの出す『炎』は、綺麗やったか?」


 少女たちが愕然とした表情で振り向いた。
 「当たり、ってことかなぁ。そのカオは……。」
 明果とまもりが抱え続けてきた『秘密』。それは、彼女が炎を操る特殊能力者であること。






  ***






 翌日、明果は高校の屋上、階段室の上にある給水塔の横にいた。
 昼休みは大抵ここにいる。二メートル近い高さのある階段室の上に明果がいるなんて、学校中で知っているのは弟の和輝だけだ。
 弁当を食べながら次の授業の教科書を開く。とりあえず予習と復習くらいしておけば、半分くらい寝てても授業中に当てられたって何とかなるだろう。
 晴れた空を見上げると、昔のことを思い出した。
 手に持った新品同然の教科書。あの当時、明果の教科書はどんなに大切に扱ってもぼろぼろだった。
 異端の中の異端。
 学校に行くのは常に恐怖だった。それでも、学校に行かなければ両親――養父母や、義理の家族たちが心配する。養父母は、生まれてすぐに死んだ娘の代わりに、実の親や親戚たちから見離された自分を育ててくれた。
それなのに、小学校に上がってすぐに自分の顔には原因不明のイボが出て、原因不明のアレルギーが出て、しかも他人には話せない発火能力という秘密があった。
 実の祖母が自分に会いに来て、自分があの家の子供ではないと知らされたとき、では自分はどこに帰れば良いのだろう、と真剣に考えた。
 帰る場所は?
 そして、居る場所は?



 
 
 鉄製の梯子を上ってくる音がした。誰かがここに来る。
 こんな辺鄙なところにくる奇人なんて明果くらいなものだと思っていたが、他にも思いつく人間がいたのか。
 教科書から目を離し、梯子を上ってきた人間の顔を見た。そして――明果は、自分がどこにいるのかを一瞬忘れて彼女に見入った。

 「……いっつもいねーと思ったら、マジでこんなとこにいやがったんだな。まもり」

 「誰の、ことかしら」

 ごまかそうとして、声を出すのがやっとだと気が付いた。
 一年A組の堂本真実。
 一番会いたくて、会いたくなかった人。

 「和輝が教えてくれたんだよ。明果ならここにいる、ってな。」

 小学校の頃、誰も手を取ろうとしなかった明果の手を、唯一取ったひと。
 図書室で本ばかり読んでいた自分を、明るい世界に導いてくれたひと。

 「私は、そんなにその子に似てるの?」

 「似てるも何も、同じ人間だろ。」

 真実の絶対の自信に溢れた瞳が、明果を見据えていた。
 空気が止まっているかのように、二人は対峙した。

 「……そのまもりって子は、どういう子なの」

 素早く弁当箱を片付け、教科書に載せる。その間も、明果は彼女から目をそらさない。
 和輝は自分のことをほとんど知らない。四年前までのことも、その後のことも、ほとんど話していない。だから彼が知るはずはないのだ。自分が、真実の言うように『まもり』という名で生活していた時代を。
 「そうだなぁ。おとなしいやつだったと思うぜ。いつも本ばっか読んで、オレとお前のクラスの原口木ノ葉以外は友達もいなかったくらいだ。
でも、暗いとかそんなことは全然なかった。いつも前を向いて、守ってたと思ったのに、本当はオレたちのほうが守られてたんだ。」
 「運動とかもできない子だったの?」
 「あっはは。逆上がりもできねーくらいだったよ。本当にずんげぇ運動オンチでさー、小学校で練習に散々付き合ってたっけ。」
 そうだ。自分は、逆上がりもできないくらい運動が苦手で、ドッジボールではいつも真っ先に標的にされていた。
 逆上がりで居残りを言い渡されて、真実が出来るまでずっと応援してくれた。木ノ葉も、教室の窓からずっと見ていてくれた。
 思い出しても、過去と友人は戻らない。

 あの、火事の日に。
 『花園まもり』も、消えたのだ。

 「……そう。じゃあ――あたしは、まったくの人違いよ。証拠を見せてあげるわ。」

 宣言して、明果は真実に背を向けた。
 大して広くもない屋上が見渡せる。二人のいる場所から移動するには、真実の立っている梯子を使うしか道はない。
 ……はず、だった。
 明果は教科書に重ねた弁当箱を抱えると、屋上に向かって飛び降りた。
 「っちょっ……ここ、二メートル近くあんだぞ!?」
 真実の声を聞きながら、振り向いて笑ってやろうと思った。
 あんなところから飛び降りても無傷で済むような訓練を受けて、明果は明果になった。もう、『まもり』の残骸も残っていないのだ。
 高校で新しい友人を作るつもりも、まもりだった頃の親友たちとの再会も、望んでいなかった。
 今ある、双子の弟との新しい生活や、祖母に任された仕事のことだけでもう充分だった。

 きっと、真実は驚いているだろう。もしかしたら自分を化け物と思っているかもしれない。
 どんな表情でいても、受け入れて立ち去るだけだ。
 そう思って、明果は振り向いた。

 「――まあ、あえて違いを見せつけるっちゅうんは確かに有効かもしれへんけど……」

 階段室の薄暗がりの中に、和輝と、原口木ノ葉が立っていた。

 「おまっ、おま、本当に飛び降りんなよ!知っててもこっちは寿命が縮むんだよ!」

 大急ぎで梯子を降りてきた真実が怒鳴りつける。
 和輝がくすりと笑って、ぽかんとしている木ノ葉を明果と真実のほうに押した。
 「本当に、本当にすごく強くなったんだね……」
 木ノ葉が呟いて、明果はようやく気が付いた。
 「昨日、この二人からお前の昔の話聞いた。昔の家――あの、焼け跡にも行った。」
 ひったくるようにして、和輝が明果の手から弁当と教科書を取った。
 「高校での明果は変やて、ずぅっと思ってた。家ではあんな明るくて頼りになる姉さんが、ここでは絶対に地を見せん……。何や理由があるんやろて思っても、ずっと気になってた。」
 真実と木ノ葉が、明果のそれぞれの手を取った。
 頬を紅潮させて、怒っているようにも見える真実。黒目がちな大きな瞳を潤ませて、見つめてくる木ノ葉。
 「おまえが『まもり』でなくなっても、その二人がおまえの居場所やったことに代わりはないんと違うか?普通の子供のはずだった『まもり』の秘密を知っても友達でいてくれた二人やろ……逃げ回っても、恋しゅうなるだけや。それに、いくら壁を作ってもその二人には通用せえへんよ。」
 ほんならお先、と和輝は階段を下りていく。
 唖然としている明果を、真実と木ノ葉がそれぞれ抱きしめた。

 ああ、そうか。
 暖かい居場所は、いつもここにあった。
 まもりが死んだ子供の身代わりでも、学校でどんな虐めにあっても。
 この二人だけは、ずっとずっと友達でいてくれるって言ったじゃないか。
 秘密を見せても良いくらい、それで拒まれても良いくらい、愛しい親友だったじゃないか。


 「また、あれ――見せてくれる?まもちゃ……ううん、明果、ちゃん。」
 「オレももっぺん見てーな。あの『火』、めちゃくちゃ綺麗だったぜ!」

 小学校の暗い校舎の中で、まもりが二人に秘密だよ、と言って見せたもの。
 まもりが広げた掌から出したのは、赤、青、白、橙、色とりどりの炎の乱舞だった。
 拒絶もされなかったし、二人はその夜のことを誰にも話さなかった。

 「もう一度、今度は明果として――二人と友達になりたい……」
 二人を抱きしめ返して、明果は言った。震えるその声は、ほとんど呟きに近かった。
 「なーに言ってんだよ。オレらはもう、明果でもまもりでも、友達だってことに変わりはねーんだよ!」
 笑って二人が明果の腕を引く。
 長く、長く忘れていた『親友』の温かみが、明果の中で何かを溶かしていった。









   ***








 「うわーっ、なんだよまたお前の勝ちかよぉ!」
 A組の教室から、真実の悲鳴が聞こえる。
 「ふふふ、こう見えても賭け事はべらぼうに強いんだ。はいっ、これで五連勝!お次はどなた?」
 明果がトランプのカードを机に叩きつける。見事なロイヤルストレートフラッシュだった。
 「もう、堂本さんってば早く諦めればいいのに。和輝君も負け続けなのによく続くねー。」
 呆れ顔の木ノ葉と、苦虫を噛み潰したような顔でカードをシャッフルする和輝。他にも男女問わず数名のクラスメートが、真実、明果、和輝、その他男子二名のポーカー勝負を見物している。
 「あ、雨……。」
 六月に入って、入梅宣言はまだ出されていないものの、天気の悪い日が多くなった。
 あの五月の晴れた屋上での一件から、明果は自分で作った壁を打ち壊し、高校でも和輝の頼もしい姉になった。
 「和輝の姉さん、けっこういい性格してるよなー。」
 「正反対の物静かな子だと思ってたのにぃぃ!ただ人見知りが激しかっただけなんて、おれの恋はどこにいくんだぁっ」
 「あらー、ごめんね夢壊しちゃって。でも、これがあたしだから許してねっ」
 「明果も明果だけど、喧嘩してるお前ら二人見たら誰だって夢壊れるっての!学校で殴り合いとかすんな。しかも姉に負けるな!」
 「えええ、ひど!まこっちゃんその言い方はあんまりやで!」
 「やだ、真実ってば。あたしの足技にかなう人は中々いないのよ?」
 明果の変貌振りに、驚く人、呆れる人、嘆く人、喜ぶ人、それぞれの顔があった。
 中でも、明果自身が。
 高校生活を楽しく送れるようになった自分自身に、一番驚いているようだった。
 ぶち切れている真実をよそに、和輝は姉の楽しそうな顔を見て安堵する。
 自分の帰る場所があの小さな村だったなら、姉の帰りたい場所は、真実と木ノ葉のいる場所だったのだ。
 これからの高校生活、もっともっと楽しんでいこう。
 人生いくら長いとはいえ、学生生活は始まったばかりなのだから。
 「でも、和輝君」
 木ノ葉がそっとささやいた。
 「たまには明果ちゃんに口喧嘩でも勝ってみせてね?あたし和輝君のこと好きだから、負けっぱなしって見てるの嫌だな。」
 赤面して、カードが和輝の手からすべて滑り落ちた。
 「あ……」
 その場にいた全員の声が重なる。そして、爆笑がはじけた。
 「ブタだー!!!」
 「ちっきしょー!見てろお前ら、次こそは勝ーつ!」



 ―― 終 ――


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