桜違いの季節に
神月蒼
梅の花の季節。時々思い出す光景は、まだ『いま』が二月じゃなかった頃のものだ。
暦が二月になってから、一体どのくらいの年月が過ぎたのだろう。そして、私が人間から『化け物』になって、いったいどのくらいの歳月が流れたのだろう。
「十郎太……」
私が佇む梅の木の下には、十郎太が埋まっている。いや、十郎太の形見である脇差が一振り、と言ったほうが正しい。十郎太は死に、そして私の知らぬ間に何処かへ埋葬された。私の手元に残ったのは、十郎太から渡された護身用の脇差が一振りのみとなった。
不老不死。
それが、私と十郎太を引き裂いた運命だった。
十郎太が死んだと聞き、私は脇差で自分の胸を貫いた。未だにその傷はこの胸に残っている。だが――私は、死ぬことができなかった。
いや、それよりもずっと前からおかしかったのだ。年老いていく十郎太に比べ、私はいつまでも若いままだった。
髪も、爪も、流れる血でさえ普通の人となんら変わりはしないのに。ある一定の範囲を越すと、「そこから先」へはいかないのだ。それが、不老不死。私が、私の愛する弟と妹のために選んだ自らへの呪い。まさかその後、十郎太を愛してしまうなんて思いもせずに。
「待て!このクソガキどこからはいりこみやがったぁ!!」
不躾な怒声が私の精神を現代に引き摺り戻した。
こちらへ向かってくるいくつかの足音、そして……
「離せ!今日こそ、今日こそあの人に会うんだ!離せってば!」
子供の声、だった。続いた何かにぶつかるような音は、もしや折檻でも受けているのだろうか。
足早に音のした方に向かった。この館は広い。が、もう何十年もここで暮らしている私には、音のした場所がすぐにわかる。
「お前たち、何をしている!!」
案の定、先刻の音は不法侵入の少年に対する折檻だった。顔ではなく腹部に攻撃を与える厭らしさは、人間ゆえの浅ましさだな、と思う。
「し、しづか様!」
SPの黒服が二人、私を見上げて引き攣った敬礼をした。
「言葉遣いもさることながら、このような少年に暴行を与えるなどもっての外!この少年の身柄は私が預かる。貴様らは今すぐにこの屋敷を出て行くが良い!!」
「で、ですが、この少年勝手に屋敷に入り込みまして」
「聞こえなかったのか?この屋敷で私の命令は絶対だ。それは、お前が雇われた時にも散々言われたはずだ!」
そう、この屋敷で私の命令は絶対だ。許可無くこの屋敷から出ることを数十年許されていないかわりに、与えられた特権だった。
くっ、と歯を食いしばって、男達はその場を立ち去った。私は痛みで動けない少年を抱き上げ、梅の木の見える自室に下がった。
少年は本当に幼かった。まだ十か、それを少し過ぎたくらいか。
ぼんやりと昔を思い出す。私がまだ人間だった頃の、弟の姿を。
「お、ねーさん……」
少年が苦しそうに言う。そっと彼に笑いかけ、私は彼の腹部の様子を見た。数日は動くのも痛いだろう。
「可哀想に……。少年、おまえここに会いたい者がいるのか?家人が無礼を働いた侘びに、私がその者に会わせてやるぞ。」
「ち、ちが……」
「血?」
少年の頬にさっと赤みがさした。細い指が私の手を掴む。
「ちが、う、おれが会いたかったのは……お姉さんなんだっ、――っつ!」
痛みが走ったのか、起き上がろうとして少年はまた布団に転がった。
私は自分の耳を疑った。
誰に、会いに来たと言った?この少年は。
「梅の木の……近く、壁に穴が開いてるんだ。おれ、いつもそこからお姉さんのこと見てた。二年前から」
壁に、穴が?
気がつかなかった。しかも、二年も前から私のことを見ていた人間がいたなんて。
「お前、歳は?」
「十三……、名前は、京太郎。」
「京太郎。」
今時分の十三歳にしては随分と小柄な少年だ。だが、壁の穴と私の存在を知ってしまった以上、私か彼のどちらかがここにはいられなくなる。
「京太郎、なぜ、私に会いに来た?」
「お姉さんがいつも寂しそうにしていたから。……だって、お姉さん、死ねないんだろ。それに歳もとらない」
「…………、……!!」
喉元に刀を突きつけられた気分だった。まさか、たったの二年で私の呪いに気がついたというのか。まだ十三のこの少年が。
「やっぱり、びっくりしてる」
京太郎は悲しそうな顔をしていた。まるで、私の心の内を知っているかのような眼だった。
「俺がお姉さんを初めて見たのは、八つの時だよ。そん時にはもう壁の穴は開いてて、まだこの家にもこっそり入り込めたんだ。」
八つ。五年も前に、この少年は私を見ていた?
「そん時、お姉さんと着物のおばさんが話してた。おばさんはお姉さんを『しづか様』って呼んでて、不老不死の呪いがどうとかって言ってた。不老不死って意味が、俺にはわかんなかった。でも」
私と、私を『様』付けで呼ぶ少年いわく五年前で「おばさん」の年齢の女。それは文月だ。私の産んだ子の血を受け継ぐ、私の直系の子孫。
「お姉さんと別れた後、俺、聞いてたんだ。おばさんの言葉。悔しい……呪いを解けないのが悔しいって」
「……悔しい?」
「不老不死の呪いから、お姉さんを開放してあげたいって……そう、言ったんだ。」
それきり、京太郎は押し黙ってしまった。
私も、言葉を繋ぐことが出来なかった。
こんな、化け物になってしまった私を。あの子は、文月は悲しんでくれている。そして、いまここにいる京太郎という少年も。
喜びという感情を長らく忘れ去っていた。
文月と京太郎が、私の死ねない体を悲しんでくれている。それはとても、矛盾しているけれど、私にとっては嬉しいことだった。
「桜の咲くころに、もう一度来るよ。だからお姉さん、また俺と話してよ。」
京太郎は最後にそう言い残して屋敷を去った。
何かを、誰かを待つ喜び。
もう二度と望まないと十郎太に先立たれた時に決めたはずだったのに、私はその日から、毎日のように飾り物だった暦帳を眺め、テレビを見るようになった。
私の異変に真っ先に気付いたのは、やはり文月だった。
私の不老不死を悲しんでくれる、おそらく私の一族で唯一の人間。彼女は幼い頃から、他の者たちと違い私を畏れなかった。哀れみもしなかった。
ただ時々やってきて、外で起きている興味深い話や、ビデオやSP盤などを持ち込んでは私を楽しませた。友人のように思うことすらあった。
「しづか様、何か嬉しいことがあったのでは?」
彼女に訊ねられた時、私は気を抜いていたのだと思う。激しく動揺して、終いには京太郎が桜の咲く頃にまた来る、と言ったことまで話してしまった。
驚いたのはその後の彼女の反応だった。
「桜の咲く季節ですね?わかりました。その間は私が全て、しづか様のお世話を致します。」
「なんだと?」
「しづか様はご自分を責めるあまり、自らの幸せというものを捨てております。私はその少年を、必ずやしづか様ともう一度会わせて差し上げたいのです」
呆然としている私に、文月はもう一度言った。
「幸せを捨ててはいけません。その少年が貴方様の希望になるのなら、私は何でも致します。」
そして、京太郎と文月の言葉はまったく嘘がなかった。
高い塀の外から桜の花びらが舞い込んできたその翌日、真正面から訪れた京太郎を、文月も真正面から受け入れた。
「なんか、今回は簡単に入れちゃったけど、いいの?」
拍子抜けした顔で少年は聞いた。前回あれだけ手荒な歓迎を受けたのだから、今回も相当覚悟してやってきたのだろう。
「あれがお前の言っていた『おばさん』だ。……お前の話をしたら、何があってもお前と会えと言って私の味方についた。不思議な……不思議な子だ」
私が本当に不思議でならないと言うと、彼は笑った。腹を抱えて笑った。
ひとしきり笑った後、涙を拭きながら言った。
それはね、しづかさん。おばさんと俺が同じだからだよ、しづかさんが大好きだからだよ――。
おぼろげな記憶の淵から蘇る、数々の言葉。なじる言葉、罵る言葉、嘲る言葉、畏れる言葉、しかし。
たった一つ、夜空に浮かぶ美しい月のように、彼の言葉によって浮かび上がってきたものがあった。
『それは……弟君、妹君と同じように、私が貴方をなによりお慕い申し上げているからです。』
不老不死の呪いに気付いた十郎太が、私に言った言葉だった。
「しづかさんは、俺の初恋の人でもあるんだ。俺、……実はもうすぐ引っ越しちゃうから会えなくなっちゃうけど、でも」
京太郎のまっすぐな視線が、忘れてしまった十郎太の面影と重なった。
私の手を取って、彼は約束をしようと言った。
大人になったら、また来るから。今度も、桜の季節に。
「好きな人に、辛い思いはしてほしくない。俺は、二年間しづかさんを見てきて、五年前とまったく変わらない姿で、笑わないしづかさんを見てて辛かった。
不老不死を欲しがるやつらってたくさんいるだろう?そいつらが憎くなるくらい、辛かった。
俺、今はこんな子供でなんの力にもなれないけど、もっと強くなって帰ってくるから。それまで、待っていてほしい。じゅうろうたって人の分まで、今度は俺がしづかさんを幸せにしたい。」
京太郎が十郎太の名を知っていたことに、少なからず衝撃を受けた。思わず、繋いだ手を引いてしまうほどに。
「な、なぜその名を……」
「梅の木の下で、よく呼んでいたから。恋人だったんだよね……って、ごめん!言われたくなかったよね、ごめ……」
謝ろうとした京太郎を止めようと思った。謝って欲しくなかった。
うれし、かったから。
だから、襖が突然ぱんと音を立てて開いて、京太郎が言葉を失ったのに安堵した。
襖を音高く開いたのは文月だった。普段の文月なら決してしない、荒業だった。そのくせ、当の本人は至って平然としていて、傍らには淹れたての煎茶が盆に載っていた。
「……先ほどから、大変に失礼なこととは存じておりましたが、お話を隣室にてうかがっておりました。」
「な、なに?」
まったく気配を感じなかった。化け物と呼ばれ、この屋敷にいる人間はすべて様子を見ずとも場所を把握できるはずの私が。
「とりあえずは、お茶をお淹れしましたのでどうぞ。」
はっとして京太郎を見ると、愛の告白を隣室で聞かれていたショックか、赤面して硬直している。文月はそんな京太郎にもお構いなしで、私と京太郎の傍に静かに座りなおした。
「……京太郎様は、私と同じ想いを抱いております。この方はお若いながらしづか様の苦悩をよく理解していらっしゃる。私も――京太郎様のように、もっとはっきり、貴方様に伝えとうございました。」
文月の言わんとしていることがわからない。
私はさぞ怪訝な顔をしていたことだろう。文月は私の顔を一瞥して、幼かった頃のようにくすりと笑って見せた。
「京太郎様の告白をお聞きし、私も告白することに致しました。しづか様。」
私は、この命尽きても貴方様の友人でいたいと幼き頃より望んでおりました。
命、尽きても。
文月は微笑んでいた。京太郎は一瞬呆然として、それから文月に「仲間ですね」と言った。
ただ一人、私だけがその場を理解しきれなかった。
不老不死の忌むべき呪い。
たくさんの怨嗟の声と、呪詛と、忌避の声を聞き続けてきて。
まさか、数百、数千の時を経てもう一度その美しい言葉を身に受けることができるなどと。
化け物にそんな幸福が、許されてたまるものか。
だけど二人の笑顔は、私のそんな自己否定を簡単にひっくり返すほど、確かにそこにあった。
***
花は散るから美しい。
今は花をつけていない梅の木の下で、考える。
散らない花はいずれ埃と歳月で汚くなり、捨てられる。では、私は?
わからない。
あの桜の日から数年たち、今はコスモスが庭一面に咲いていた。
十郎太を思い出させた京太郎の言葉、私を揺さぶった文月の告白。
私はいつまでも散らない花だ。醜いただの化け物だ。
なのに、何故あの二人は私にあんな言葉をかけてくれたのだ?
あれから毎年、桜の季節になると文月はたった一人で私の世話をしにやってくる。それもこれも、私と京太郎が会うのを誰にも邪魔させないために。
だけど、京太郎はまだ来ない。年数を数えない私は、京太郎と最後に会った日から何年経ったのかも忘れてしまった。
彼が会いに来るわけがないと、思い込みたかった。反面、会いに来て欲しいと願う愚かな自分がいた。
コスモスの花が風になびいて、私の長い黒髪も一緒に巻き上げられた。
散る花びら。薄紅色、白、紫。
そういえば、コスモスも漢字では秋の『桜』と書くな、と思い至った。思い至っただけで、別段変わったことは無い。いつものとおり、この家で一日を過ごすだけだ。
深呼吸をして振り向いた私の眼に、意外なものが飛び込んできた。
一人は相変わらず和服姿の文月、そして――
「久しぶり。桜違いの季節だけど、約束どおり会いにきたよ。」
あの頃より大分大きくなって、もう私には抱えられないくらい背の高くなった京太郎がいた。
「俺と文月さんのエゴで良い、俺たちに、もう一度傍に居させてくれないか?」
私は何を考えていたのだろう。
自分で自分を忌むべき対象とし、すべてを排除してきたのは私のほうだった。
こんなにも、私を愛してくれる人がいるというのに。
無性に愛おしくなって、京太郎を抱きしめた。抱きしめたはずが逆に抱きすくめられて、苦しいくらいだった。
「ふふふ……、しづか様、いまの京太郎様とでしたら、お似合いのカップルですよ。何しろしづか様は外見年齢十七歳、京太郎様は十八歳なのですから。
さて、それではいつもこんな堅苦しい屋敷に居ないで、デートにでも行っていらしたら如何でしょう?」
文月の手には二枚の映画鑑賞チケットがあった。それまで映画館で映画鑑賞をしたことのなかった私には、新鮮な提案だった。
私たちは手を繋いで、正面玄関から出て行った。十郎太も見守っていてくれる、そんな気がした。
最後の最後、文月の狙いが映画の内容にあったことは、私たち二人ともが「やられた」と思って涙が出るまで大笑いした。半分だけ、そう、涙の半分だけは、本物だったけれど。
文月が渡した映画鑑賞券は、ある青年が何度も生まれ変わっては不老不死の恋人に会いに行き、失敗を繰り返すも、二人は最後に幸せになる、というものだった。
私の呪いは解けないだろう。だが、かつて私に十郎太や弟や妹がいたように、今は京太郎や文月がいる。十郎太を忘れなかったように、二人がいなくなっても私は二人を忘れないだろう。
怖くない、またいつか会いに来てくれる。
だから、呪いも何もかもなぎ倒して、私は生きよう。
共に生きると言ってくれた、二人のために。そして、私自身のために。
―― 終 ――