Star child〜星のこども〜
奏位星華
夜空にまたたく幾千もの星たち。
それを部屋の窓から眺めつつ、携帯電話のキーを打つ。
いまは遠い空の下にいる、大切な人に向けて。
わたしは生まれながらにして、不思議な力を持っている。
まだ生まれて間もない頃、母に抱かれて近所の神社にお宮参りに行った時。
そこでわたしは石の鳥居から本殿へと向かう石畳の道の途中で、一羽の烏を見かけた。
真っ黒で艶のある羽を持ち、額にはキラキラと光る赤い石。その烏がわたしの方を向き、こう言ってきたのだ。
[―おまえ、私が見えるのか?]
まだ小さいわたしがじっと烏を見つめ続けると、烏はバサバサと羽音を立てて、空へ飛んでいってしまった。
その日をきっかけに、わたしの目には他の人には見えないものが見えるようになった。
たとえば緑色の毛並みをした犬や、赤い目の猫、翼が四枚もある白い鳩と言った、普通だと奇形、異形とされる動物たち。
それを見てもわたしは口を開かなかった。それに自分以外の人間には見えていないし、その事を言っても信じてくれそうになかったからだ。
それから一年後、わたしが何も喋らない―それは周囲の人たちから見れば『喋れない』ということに気づき、両親は慌ててわたしを連れて何件もの病院を周った。しかしどこでも原因不明とつっぱねられ、最後に行ったところ―心療内科では、そこの女性医師から生まれつきの自閉症と診断された。
やがて両親はわたしを心身障害児を預かる施設に通わせることになった。しかしそこでもわたしが人に対して口を開くことはなく、結果そこを出て、家の近くの小学校の特別学級に入学することになった。
小学校の入学式の日。
わたしは母と共に学校に行く途中、神社の前を通りかかると、石の鳥居の下に、赤い石をつけたあの烏がいた。
わたしがじっと見つめると、烏はふいっと本殿に向かって歩き始めたので、慌ててそれを追いかけた。
烏は本殿の前に置かれた賽銭箱の前で止まり、くるりとこちらを振り返って口を開いた。
[―おまえ、あの時の赤ん坊か?]
そう訊ねられたわたしは、烏に対してこう答えた。
「……そうだけど?」
わたしがそこで、生まれてはじめて口を開いたのを、後から追いかけてきた母が聞くや否や、驚いてわたしの体を何度も揺すった。
[そりゃ驚くわなあ、私の声が聞こえて、おまえがそれに答えているのだから]
烏の言葉を聞いたその時のわたしは、まだそれがよくわからなかったが、烏の姿が見えないどころか、言葉も聞こえない母親からすれば、賽銭箱の前でぶつぶつと喋るわたしを、異常に思えてならなかったのだから。
入学式の後、母はわたしを女性医師がいる心療内科に連れて行き、彼女に一部始終を話すと、医師は母に対してこう答えた。
「この子は普通の子どもとは違う感性を持っています。その影響で人に対して口を開かないだけです。今はまだ普通に話す事はできませんが、そのうちできると思いますよ」
そう、わたしは目には見えない存在の姿が見え、声が聞けて話せる代わりに、普通に人と話すことができなくなっていたのだ。
あれから十年後。
わたしは通信制の高校に通い、人に対しては口を開いて話すことをしない代わりに、手話や筆談で相手になんとかコミュニケーションを取るようになった。
高校二年になってからスーパーのアルバイトもすることになり、わたしは朝早く出勤して、開店前の準備をするようになった。
バイトを始めて三日目の朝、わたしはスーパーのバックルームの中で仕事の準備をしていると、白衣を来た若い青年が中に入り、その後ろから薄い水色の毛並みをした青い瞳の兎が後を追ってきた。
兎は彼の足元でぴたりと止まったので、わたしはその兎に話しかけた。
「あなた、この人の友だち?」
[うん。そうだよ。あなたはわたしが見えるのね]
それに気づいた青年が、わたしに声をかけてくれた。
「……君、もしかしてこいつが見えるの?」
「あ、はい」
そう言った瞬間、わたしはハッとして思わず右手で口をふさいだのだが、それを見た彼はこう答えた。
「大丈夫。僕も見えるんだ、こういう動物たちが」
「い、いえ、違うんです。わたし、人とは話せないと思ってたのに……」
「どういうこと?」
青年にそう尋ねられたので、わたしは作業を続けながら、自分の身の上を打ち明けた。
「……なるほど、君は僕と同じように異界の動物が見ることができるけど、その代わりに人に対して口を開くことができない、ってことか」
「はい……それでもこのスーパーの店長さんは、わたしの母の知り合いだったので、ここで働かせてもらえることになったんです」
自分でも信じられなかったのだけど、彼の前ではスラスラと言葉が出て普通に会話が出来た。
「僕の場合はね、聴力が弱いんだ」
ほらここ、と彼は自分の右手で帽子の白いネットをめくり、補聴器をつけた右耳を見せてくれた。
「この補聴器は特注で作ってもらったんだ。これをつける前は異形の動物の言葉と普通の世界の音がごちゃごちゃになって聞こえて大変だったけど、今はちゃんと聞き分けることができるようになったけどね」
青年はそう答えると、右耳を帽子のネットで被せ、こちらを向いて微笑んだ。
「あ、まだ名前言ってなかったね。僕は日浦幸善(ひうら・ゆきよし)」
「戸山美羅(とやま・みら)です。よろしくおねがいします」
その日の仕事は日浦さんがいてくれたおかげで、スムーズに作業がはかどり、定時で終わらせることが出来た。それだけではなく、日浦さんが自分の傍にいる時の間のみだけど、他のバイトやパートの人とも少し話すことができた。
バイトを終えて学校に行き、授業が終わった帰りにスーパーの前を通りかかると、日浦さんがさっきの水色の兎と一緒に店から出てくるのが見えた。
わたしが彼に声をかけようとした、その時。
その背後に何やら黒いもやのようなものが地面から這い上がってきて、ものすごい速度で彼に迫ろうとしていた。
「―日浦さん後ろ!」
わたしは彼のもとへと慌てて駆け寄り、そのもやに向かって手を伸ばした。
ズオッ、という不気味な音を立てて、もやは形を変えて、角が4本もある狼に似た黒い毛並みの獣に変わった。
「うわっ!」
獣は長い爪をもった前足で、日浦さんに襲い掛かってくると、彼はすかさずくるりと振り返って避けると、右腕を伸ばして真横に凪ぐように大きく振った。
ザアッという音とともに、獣の体に大きい傷跡が現れ、日浦さんはわたしの手を取って後ずさりした。彼の足元にいる兎が両耳を尖らせ、青い瞳で獣を威嚇している。
「この獣、一体どこから?!」
「おそらく店の近くを徘徊してたんだと思う……ところで戸山さん、どうしてここに?」
「学校の帰りでたまたま通りかかっただけなんだけど……ってあぶない!」
わたしと日浦さんを引き裂くようにして、獣が前足を振り下ろしてきた。
お互いが道路の両脇に別れるようにして避け、日浦さんは右手で補聴器に触れてから体勢を立て直した。
「戸山さん!」
彼に声をかけられたわたしは、ハッとして顔を上げると、目の前に黒い獣が立ちはだかっていた。
(―しまった!)
獣の手がわたしに襲い掛かったその瞬間――。
パアッ、という青い閃光と共に、わたしの目の前に現れたのは、青い瞳と長い髪の毛を持った、自分と同い年齢くらいの少女だった。
(もしかしてこの子、さっきの兎さん……?)
「アルシュ!」
日浦さんが少女の名前を叫ぶと、彼女は黒い獣に向かって飛び上がり、長い足で獣の体を大きく蹴り上げた。
その攻撃を受けた獣はうなり声を上げて転げまわると、日浦さんがこちらへと駆け寄ってきた。
「戸山さん大丈夫?!」
「はい、なんとか……」
ふと気がつくと、さっきの黒い獣は徐々に体が縮まり、やがて角が消えて子犬くらいの大きさになり、おとなしくなった。
わたしがそれを抱きかかえると、日浦さんがそれを見てから、右手でそっと体を撫で上げた。
「……この子は以前、この近くにいた野良犬だったみたい。車にはねられて死んだ後に思念が残って異形になっちゃったんだろうね」
傷つけてごめんね、と彼が謝ると、わたしはその子犬の体をそっとさすってあげた。
辺りが既に真っ暗になり、わたしは子犬を抱えて日浦さんと一緒に近くの神社に行くと、鳥居の下には赤い石の烏が立っていた。
[おやミラじゃないか、その子犬はどうした?]
「烏さんお願いがあるの。この子が怪我しちゃったから、治療してほしいの」
[わかった、中にお入り]
神社の賽銭箱の前まで行き、石畳の上に子犬をそっと置くと、烏はパタパタと羽音を当てて傍に来ると、額にある赤い石が光りはじめた。
石から赤い光の球体が現れると、それは子犬の体の傷口に吸い込まれるようにして入り、みるみるうちに傷口が塞がっていった。
[これで大丈夫。今夜はここに預けておけば翌朝には元気になるだろう]
クワ、という一声で烏はわたしにそう言ってくれた。
「烏さん、助けてくれてありがとう」
[なんのなんの。ミラは私の大切な友達だからな。……ところで、そこの青年は?]
「彼は日浦さんっていう、職場の先輩です」
わたしが烏に彼を紹介すると、烏は首を縦に振った後、日浦さんの傍に言って二言三言言ってきた。その時は一体何を言ったのかわからなかったけど、神社を出た後で彼に訊ねたら、わたしをよろしく、ということだった。
「そういえば、戸山さんの名前って、誰が名づけたの?」
きらきらと星が瞬く夜空の下で、日浦さんがわたしにこう聞いてきた。
「えーと、うちの父がつけたんだけど、わたしが生まれた時の夜に見えた星の名前からだったかな」
「ふーん……そうなんだ。たまたまとはいえ、僕と同『星のこども』である君にぴったりだね」
「そうなんですか?」
彼は笑顔でうなづくと、わたしにこう言ってくれた。
「ミラっていうのはくじら座っていう星座にある星なんだ。ちなみにこいつ―アルシュはうさぎ座。これは僕が名づけたんだけど」
日浦さんの後についてくる兎―アルシュは、ぴくぴくと耳をうごかしながら、あわたしに向かって可愛い名前でしょ、と言ってきた。
しかしこの子がいきなり女の子になって、飛び蹴りするとはあの時は思わなかったけど。
ちなみに星のこども、っていうのは、体の一部の機能が障害を持ってしまう代わりに、能力を持った人のことを言うのだと彼が説明してくれた。
そういう経緯で、わたしは日浦さんと知り合い、お付き合いすることになった。
彼に家まで送ってもらい、両親にきちんと話して日浦さんを紹介した時は、二人が彼にわたしを嫁に貰ってくれないかとも言うくらいに泣いて喜んでいた。
しかしそれから三ヶ月後、彼は仕事の都合で他所の街の支店に異動になり、今は遠距離恋愛になったけど、わたしが高校卒業するまでにこっちに戻ってこれるようにがんばると言ってくれた。
「……あ、もしもし日浦さん?」
「こんばんはミラ。今日は仕事どうだった?」
「うん、忙しかったよー。学校休みだったからよかったけど。でも日浦さんの方が店が大きいから大変でしょ?」
「ああ、でも大分慣れてきたからね」
「そっかー」
「あ、そうそう。来週くらいにこっちにニ、三日戻れそうなんだけど」
「えっ?それほんとに?!」
それを聞いたわたしが携帯を握り締めて喜々としていると、足元で
ワン、という鳴き声が聞こえてきた。
[やったあ!ゆきお兄ちゃんが帰ってくるんだ!]
「あ、南河(なんが)も日浦さんが帰ってくるから喜んでるよー!」
黒い子犬が部屋中をぐるぐる走りまわった後、わたしの膝の上に乗っかった。
「こっちも時間空けておくね。帰ってくるの、楽しみにしてるから」
わたしが日浦さんにそう伝えると、彼から了解、という返事がかえってくると、子犬はオーン、と嬉しそうに声を上げた。
今は本当に、この力をもっていてよかった、と心からそう思う。
自分にとって大切な、運命の人に巡り逢うことが出来たのだから……。