春雷の鵺
奏位星華



 ゴールデンウィークを間近に控えた金曜日の午後。
 わたし―戸山美羅がバイトを終えてスーパーの搬入口から一歩外に出ると、分厚い灰色の雲が空を覆っていた。明け方に店に来た時は雲ひとつない晴天だったのに、今は陽光が遮られた昼間の街中には、人の行き交いはまばらになっていた。
(まいったなぁ……傘持ってきてないよ)
 急いで自宅に向かって歩き始めると、ポツリポツリと水滴が地面に落ち始めた。家を出る前にテレビで天気予報を見た時は降水確率は十パーセントと言っていたのに。
 どこかで雨宿りしようかな、と思いつつ道路の脇を歩いていると、スッと白い車が私の横に来て停止した。
「ミラ!どうしたの、バイトの帰り?」
 窓が開いて顔を出して来たのは、わたしのバイト先で知り合った上司の日浦さんだった。
「あ、日浦さん!」
 わたしが傘を持ってないのを見て、彼はすぐに助手席のドアを開けた。
「家まで送ろうか?雨降ってきたし」
「いいんですか?」
 もちろん、と日浦さんに言われたので、それじゃあお邪魔します、とバッグを抱えて助手席に座った。
「日浦さんは今日仕事休みだったの?」
「うん、ちょっと耳を診てもらいに行ってきたんだ」
 彼はある事情で聴覚障害があり、特殊な補聴器を左耳につけている。
「……なんか近くでキーキー鳴き声が聞こえるな」
「鳴き声って?」
「鳥みたいだけど、もの凄い金切り声だなあ。この感じだとヒステリーを起こして怒ってるみたい」 
 日浦さんは左手で耳の後ろを触った後、車を発進させた。


 国道を走り始めて暫くすると、窓の外もさっきよりも暗さが増してきた。遠くで消防車のサイレンが鳴り響き、雨足が徐所に強くなってくると、日浦さんは車の速度を落として慎重に運転を続けていた。
 ところが家まであと少しというところで、日浦さんが車を道路の脇につけて停車した。
「まずいな……鳴き声がだんだん激しくなってきた」
「そんなにひどいの?」
「どうやらこの近くにいるみたいだ」
 彼がわたしにそう答えた直後、車窓の向こうの空が真っ白に光り、すぐさまドオンという轟音が鳴り響いた。
「この近くに雷が落ちたな。……ミラ、大丈夫?」
 運転席にいる彼がフロントガラスの向こうを見た後、わたしに声をかけた。
「うん、なんとか。土砂降りで前が見えなくなってるね」
 激しい風と一向に止まない雨、白い雷光が天を引き裂き、それが数十メートル先にある高圧線に落ちた瞬間、巨大な音と震動が車内に響いた。
 その白い光が一瞬だけ辺りを照らした時、私の瞳に、この世界では存在しないものが見えた。
 頭と胴体と後ろ足は虎、尾は蛇、前足と翼は鳥という、不思議な生き物。体長は大人の成人男性くらいだろうか。
 けたたましい鳴き声を出しながら、鉄塔の上にとどまっている。
「日浦さん!あそこの鉄塔に大きな羽根がついた動物がいるわ」
 指差した先を日浦さんが見つめると、わたしにこう言ってきた。
「これは鵺(ぬえ)か……しかも翼が生えてる変種だね」
「でも、さっきより鳴き声が変わってる……悲鳴に近い感じ」
 日浦さんにそう話すと、彼は車を発進させて鉄塔の近くまで進めてくれた。
 二人で運転席と後部座席の窓を開けて見上げると、その獣の体はボロボロに傷ついていた。
 後部座席に移動したわたしは、鉄塔の上の獣に向かって話しかけた。
「ねえ、あなた一体どうしたの?」
[……あなたたち、あたしが見えるの?]
「そうだけど、あなた怪我してるじゃない!降りて治療しないと……」
 獣に話しかけている途中、運転席に座る日浦さんがわたしに向かって叫んだ。
「ミラ、伏せて!」
 とっさに身体をちぢ込ませた瞬間、雷が鉄塔に向かって落ち、光と轟音が周囲一帯に広がった。
 車中にいたので間一髪で助かったものの、風で雨粒がこちらに飛んでくるので、一旦窓を閉じた。
「うわ……助けたくてもこれでは迂闊に近づけないよ」
「そうだけど、あの子をなんとかしないと被害が広がっちゃう。どうしたらいいんだろ」
 二人して車内で暫く黙り込んでいると、上からいきなり女性の声が聞こえてきた。
[あなたたち、ただの人間じゃないわね]
 その声の主は、鉄塔の上にいる獣からだった。わたしは車の窓を開け、彼女に話しかけた。
「そうよ。わたしはあなたの姿が見えて会話もできるけど、その代わり普段はしゃべれないの」
 激しい雨の中、彼女に聞こえるように大声で話すと、意外な反応が返ってきた。
[そうなの?]
「ええ。隣の彼、日浦さんはあなたの声を聞くことが出来るけど、その分耳に障害を持ってるわ」
 勝手に話してごめんね、と日浦さんに謝った後、わたしは彼女に尋ねた。
「あなたに一体何があったの?もし良かったら教えてくれない?」
[……あなたたちに?]
 彼女は暫く黙り込んだ後、よろよろと鉄塔からアスファルトの上に降りてきた。しかしその後すぐにうずくまってしまった。
「酷く傷ついてる……早く手当てしないと」
「すぐに車に乗せて!神社に運ぶから」
 わたしは彼女を車の後部座席に寝かせて助手席に座ると、日浦さんがすぐに車を出してその場を後にした。


 車が神社に到着した時、風雨は大分おさまり、雷も止んでいた。
 わたしと日浦さんは、傷ついた獣をすぐに本殿の前にある賽銭箱の前へと運んで座らせると、パタパタと羽音を立てて一羽の烏が彼女の傍に舞い降りた。額に赤い石をつけたこの烏は、わたしが小さい頃からの親友だ。
「烏さん、急に来ちゃってごめんね。彼女の怪我を治してほしいの」
[ミラの頼みならお安いご用さ、ほれ]
 額の石から光線が獣に向かって放たれると、彼女の体が急激に淡くまばゆい光に包まれた。その光が収まって消えた後、獣の姿は長い黒髪を持ち、真紅のロングドレスを纏った妙齢の女性に変わっていた。
 女性はわたしたちを一瞥した後、堰を切ったかのように一気にしゃべり始めた。
「全く……ほんっとに人間って身勝手で傲慢だから嫌なのよ!あたしを勝手に呼び出して、雷落とせとか雨降らせろとか良い様にこき使うんだから!あまりにも酷いもんだから文句を言ったらあの男、『お前は俺の"ペット"なんだから、大人しく従えばいい』って……腹が立つったらありゃしない!」
「それで怒って外で暴れてたのね……」
 一部始終を聞いたわたしがそう口を開くと、あーすっきりした、と彼女は清々しい顔をして、両腕を大きく天に向かって伸ばした。
「でも、あなたたちみたいに怪我を治してくれるのもいるのよね」
 まだまだ人間も捨てたものじゃないわ、と彼女はわたしたちにありがとうと言い、軽くウインクをしてみせた。


 それから間もなくして、すぐ近所の隣町で火事があり、住宅一件が全焼したというニュース速報を、日浦さんの携帯で知った。 
「……この火事ってもしかして、彼女が起こしたの?」
「多分ね。呼び出した人にとっては因果応報だな」
 わたしたちがお互い顔を見合わせた後、黒髪の女性の後ろには、雨上がりの澄んだ青空が広がっていた。



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