幻想−ミラージュ−
松浦由香



 真っ暗かったはずの視界がキラキラと光りだした。ぐるぐると目が回りはっきりとここが解ったとき、やっと自分を認識した。
 ここは学校の側の商店街入り口だ。でも普段ならすぐ後ろの交差点をまっすぐ東へ行く。商店街がある北へは足は向かない。駐輪場の側に立ち、商店街に向いていると言う事はそこに用でもあったはずだ。……多分本を買おうと、そうだ、コミックが出たから買いに行くところだ。
 私は鈴森ひなた。友達は、吉村果歩と、村井泉。二人居れば十分だ。でも今は一人だ。学校はこの側に居る公立高校で、二年生。来月誕生日を迎える。好きな教科は無くて、嫌いな教科は全て。何とか赤点を取らずに、ぎりぎりの成績で行っている。学校は楽しいと思っているが、それほど楽しいところではない。これと言って先への希望が無い。早く本を買いに行こう。そして帰ろう。風が生暖かく吹いて来た。
「何者?」
 どんな瞬間だっただろう? 目の前に変な姿をした人が立っている。土臭い格好だ。それが甲冑だと気付いた。はっきりとではなく、そうだった気がするような漠然とした気付きだ。そう、あれは甲冑で目の前に居る人は甲冑を着た侍だ。それがなぜ自分を見ているのだろう。
「お前は、一体何者だ?」
 周りを見回したが他に人は居ない。
「他に、居ないではないか」
 そりゃそうだと思いながら、お互いがお互いの頭からつま先を観察しているのがおかしい。
「何がおかしい、奇妙な格好の怪しきもの」
 剣を抜こうと腰に手を置いて侍はじっと見る。
「丸腰か?」
「今じゃ、そんなもの持ってたら銃刀法違反で捕まるわ」
「何? では戦はどうする?」
「イクサ? この世の中の戦いは、頭ね。勉強がいかに出来るか、」
「なんだ、そんなもので国が取れると思っているのか?」
「国なんか、取る取らないの次元じゃないわよ。この世はね」
「お前の世と、わしの居るところは違うのか?」
 侍の後ろはまるで見えない。ただ姿がそこに居るのに、何を言っているのだろう。何を考えているのだろう? お互いが手を伸ばしたが、触れることは出来ない。フォログラムのようなものだ。
「な、何奴! 妖術しか! さては敵、今川義元の使いか!」
「い、今川義元?」
 今日の六時間目の日本史で出てきた。確か桶狭間の戦いで織田信長に敗れた戦国武将だったはずだ。
「ちょっと待って。今川義元は桶狭間で織田信長に敗れるのよ」
「織田? 織田信長? あんな小童に何が出来る」
「小童? 織田信長がほぼ天下統一をする武将よ?」
「何を、馬鹿な。わが主が、」
「だって歴史で習ったもの」
 お互いに黙ってしまった。どう考えても奇妙で、お互いの現状が解らない。
「お前は何者だ」
「私は、その前にあなたは?」
「蘇芳政隆。一条頼元氏の家来だ」
「一条? 知らないわ」
「一体お前のところはなんなんだ」
「ここは平成よ」
「平成?」
「そうよ。侍なんか居やしないでしょ?」
「解らん。そなたはわしの目の前に居るだけだ。他は今までと変わらぬ。違うのはそなたを触れようとすれば手が通り抜けるだけだ」
 現状は同じのようだ。SFもどきもいい夢だ。
「そこは何所?」
「ここは、吉品原の砦だ」
「吉品原……、あ!」
 小学校の遠足でよく行った小高い岡。確か戦記念碑なんかがあって、この辺りでは派手な戦いだった。今川軍に敗れたが、一ヶ月ぐらい立て篭もり今川軍が手こずったと手記が残っている戦いのあった場所。
「なんだ、知ってるのか? この戦の顛末を? ……今川軍に敗れるか」
 頷くしか出来なかった。だけど侍は怒る風も無く静かに息を吐き出し、
「もう篭城半月。士気は衰え、ここを突破されればこの一条家は終わるというのに、一条家からは何の通達も無い」
「酷い、そいつ裏切って寝返ったら?」
「そう簡単にはいかぬ。わしを慕い付いて来てくれている者に、」
「でも、死んでしまったらどうしようもないわ」
 蘇芳政隆は雷に打たれたような、はっという顔をして見た。
「そんな言葉、聞いた事がない。死んでしまってはしょうがない。そうだ。そのとおりだ。天下の夢も死んでしまえはなくなってしまうのに、わしは死守せよと声を荒げている。奇妙な世だ」
「しょうがないよ、そういう時代があったから、今私たちは居る」
「天下は安泰か?」
「安泰……どうかな」
「どうかな……そんな曖昧な世界のためにわしたちは死ぬのか」
 心がぎゅっと切なくなる。
「ごめんなさい」
 政隆は深呼吸をした。
「そろそろ食料はそこをつくだろう。この戦、あとどのくらいもつんだろうか? 知って居るか?」
「……一ヶ月よ。でも、今川家の手記にこの戦は非常に苦戦を強いられたとあったわ」
「そうか、では悪あがきをしよう」
「確か、西の所に戦中に井戸を見つけて永らえたとあったはずよ」
「そうか、西か。水さえあれば何よりだ」
「生きてね、頑張って」
 政隆が微笑む。なんだかフォログラムが消えそうで、もう本当に手が届かない人になっていきそうで、慌てて声を掛けている。
「そなたの名を聞いておらぬ」
「ひなた。鈴森 ひなたよ」
「ひなたか。変わった名前だが、雪解けの温かみを感じる。いい目標が出来た。そなたたちの、そこに居るものに、今が安泰だと実感させるように、そう思わせるように、わし……ばる」
「蘇芳! 私も、目的を持って生きる。あなたたちが生きたいと思っても、」
 フォログラムは消えた。政隆は消えた。
 車が目の前を行き交い、いつもの町に戻った。辺りを見回せばごくごく普通の日常がそこにあった。
 政隆は夢から覚めるように体をはねらせて振り返った。家来であり幼馴染の鈴森清隆が傅いていた。
「どうかしましたか?」
「なんでもない。……それよりひなた殿は元気だろうか?」
「妹ですか?」
 蘇芳 政隆は静かに視線を落とした。
「……西に穴を掘れ。必ず水が出る」
 政隆は静かにそう言うと、清隆は首肯して行った。
 西に掘った穴から水が出たのはそれから五日後だった。そしてそのお陰で蘇芳郡は一ヶ月の粘りを見せたが、最後には空っぽの胃と、天に見放された豪雨によって今川に敗れた。
 今川はすぐに一条を打ちそして京へと向った。
 政隆はたった一人だった。山へと逃げ次々に追ってくる矢を交わし、泥を食いつないで逃げて、清隆の命を最後にやっと生き延びた。体は既に鉛のようで血だけが燃えただれる火山の火の様に熱い。
 若い娘の声だ。だが気が遠くなる。気がついたのは辛うじて動かせた瞼だけだった。
「気付かれましたか?」
 目だけで物を言うものを政隆は知らない。だが娘は気付いたのか微笑み、
「鈴森清隆の妹ひなたです」
 そうだ、ひなただ。あの娘の顔だ。
「今川は織田に滅ぼされました」
 そんなすぐあとのことだったのか。あの娘が言ったことは。
 ひなたは薬湯を飲ませようと首を傾げたが、政隆は目を閉じ硬く口を閉じた。そのままだったろう。そのまま眠って死んだはずだ。もう、記憶がない。
 時代は変わらなかった。歴史の本は今川は織田に敗れているし、一条家の家臣、いや一条家があったことすら記録にはない。でも吉品原には碑が建っている。そして命の水と言われた井戸跡もある。結局変わっていない。夢だったのだろう。でもまた会いたい。そう思うのは変なことなんだろうけど会いたい。 碑の側にある城壁だった岩の上に一人の男が立った。甲冑は着ていない。今時の男であの顔だ。
「俺、引っ越してきたんだ。一緒の高校ならいいな」
 頷く。


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