撃退Gメン・カタストロフィー
紫雲 正宗
そいつは、音もなく忍び寄ってくる。
日本のような湿気の多い住環境の中でせんべいという菓子が伝統的に好まれているのが不思議でならないときがある。
作りたては間違いなく美味しくいただけるのだが、湿気るという性質はこの国の風土を考えた時、いかがなものなのだろう。
あるいは、せんべいが開発された時代はこの国もいまほどじめじめ蒸し蒸ししてはいなかったのかもしれない。地球温暖化におけるせんべいの売れ行き具合の
変動、とかそんな論文をどこかの大学教授が提出するのも近いかもしれない。
しかし、人間の英知というのは実に素晴らしい。
“湿気って不味くなってしまうなら、最初から湿った状態で尚且つうまいせんべいにすればいい”
この究極理念のもと人類はついに濡れせんべいという画期的な菓子を生み出すことに成功した。これで地球温暖化によってせんべいという日本古来の伝統が潰
えることもなくなったのだ。
おお、人類よ崇め称えよ、我らが崇高なる濡れせんべいを。
ということで、今日のティータイムのお供は最近お気に入りの濡れせんべいになった。
春も出口近く。
掃除洗濯がひと通り済んでしまったお昼過ぎ。
小脇に置いたポットからこぽこぽとお湯を注ぎ、お茶を淹れて1人啜りながら濡れせんべいを口に運ぶ。
なにかめぼしい番組でもないものかと傍らの新聞を開いてテレビ欄に目を通し、
「……ん? …………んんっ!?」
テレビ欄に目がいく前に、まったく違うものが目に止まる。
そのまま視線が膠着する。
「…………」
いまいちど目をこする。上体を寄せて目を凝らす。
できれば見間違いであってほしい。このさい夢オチという線で手を打てないだろうか。
しかし、残念ながらそれは見間違えでも夢オチでもないようだった。
私の視線の先、締め切ったレースのカーテンの中ほどには“G”の姿が。
“G”といってももちろん近年低迷を続ける常勝軍団のことではない。
禍々しく黒光りするボディー。
ひくひくとせわしなく動いている触角。
3億年という長きに渡りこの地球に生息し続け、いまではほとんどの人類に害虫として激しく忌み嫌われる黒い悪魔“G”。
「……出やがった」
その瞬間、のどかな昼下がりのマンションの一室は一転、壮絶なるバトルフィールドへと変化した。
手にした新聞紙は瞬時にライトセイバーへと姿を変え、1人の平凡な主婦はエイリアンと対峙するリプリーさながらの女戦士へと変貌を遂げた。
そこいらの女戦士ではおそらく、G相手の戦闘は困難を極めるだろう。中にはヤツの姿を見ただけで混乱を来たし戦闘不能に陥る女戦士もいるはずだ。しか
し、幸か不幸か、私には田舎で培ってきたヤツとの実践経歴があった。戦績も悪くない。臆することはなにもなかった。
「――必ず、仕留めてやる」
自分自身に渇を入れ、新聞セイバーを手に静かに立ち上がる。
Gとの対戦でまず重要なのは相手の出方を伺うこと。ここであわてて先の手を突こうとすると逆にカウンターを食らうハメになるので慎重に行かなければなら
ない。
そして、狙うときは必ず頭のほうから狙うこと。ケツから狙ったほうがいいと思っている方は悔い改めることをオススメする。ヤツらは自分のケツには敏感な
輩だ。
標的のGまで残り数十センチ。手にした新聞セイバーを振りかぶる。ヤツがこちらに気付いた様子はまだ無い。
勝負の一瞬。決着の刹那。
――獲った!
しかし、振り上げた新聞セイバーは去来したある記憶によって押し止められた。
それは、なんの教訓のためか、「一寸の虫にも五分の魂」という意味合いを子供に諭していた母親がその舌の根も乾かぬうちに蝿との格闘を始めたのを見てい
て発した、団地住まいの健太くん(7)の疑問の声だった。
「ねぇ、ハエには『ごぶのたましい』ってないの?」
それに対して、健太くんの母――沙恵子さん(32)はすこし不機嫌そうな声でこう答えた。
「こういうのはね臨機応変にやらなきゃだめなのよ!」
なんだかよくわからないようなふうだったけれども、もしかしたら健太くんは子供なりに悟るところがあったかもしれない。
――おとなって、勝手だなぁ
子供は大人の背中を見て育つのです。昨今、いろいろと言われている学校教育の問題は元はと言えば家庭教育に端を発してるんじゃないか、とか言われても
だってあれはほらあんなタイミングで蝿とバトルしてしかも息子がそれについて突っ込んでくるなんて思ってなかったし――!
と、その隙が明暗を分けた。
鈍った新聞セイバーの一閃を交わし、あろうことかヤツは翅を広げて空へと舞い上がった。その軌道上には、狙ったようにわたしの顔が――。
ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!
真っ昼間の団地に断末魔の声が響き渡った。
撃退Gメン・カタストロフィー。ヤツとの戦闘において油断は厳禁である。
END
(文字数:1996文字)
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