魔女の憂鬱
楡崎瞬
ルナ=ノースティリアはとある町はずれの、さびれた酒場にいた。
潮の匂いがする冷たい海風が、足下を冷やすようなそんな酒場。
彼女は古ぼけた、それでいて手入れの行き届いているリュートを小脇に抱えながら、伝承歌を淡々と歌っている。
航海に疲れた船員たちは、この淡々とした旋律と、それに完全に同化している彼女の歌声を肴にして、疲れた躰を少しでも癒そうとする。
「…おい」
彼女が歌い終えて、船員達は手短な拍手で歓迎すると、喉の奥を潤すかのように再び酒を飲みはじめ、忘れていた本当の肴を頬張る。
長い一曲を歌い終えた彼女のもとに、一人の船員がほろ酔いながらも近づいてくると、無言のままに胸を鷲掴みにした。
「…」
彼女は無表情のままでいて、抵抗もせず、船員の瞳をじっと見つめると、船員はひきつりように、それでいて勝ち誇ったように、口元を変形させて笑った。
「…やっぱりだ」
船員は手を離しながらつぶやく。
そして次の瞬間、叫んだ。
「俺の勝ちだ!」
「嘘だぁ」
「ルナさん、ボクは信じていたのに!」
「主人、お前も負けだ!」
「畜生、だまされたぁ…」
勝ち誇る者、頭を抱える者。
それらを後目にしながらも、彼女の口元には引きつったような、それでいて嘲笑しているかのような、本当に少しの時間だけ、ある種の歪みが浮かび上がった。もっとも、酒場内には、この何とも言えない表情に気づいた者など存在しなかっただろう。
「ほらみろ、やっぱり俺の思ったとおりだ!」
「養殖物の胸だったなんて!」
「ルナさん、ボクは、ボクだけは信じていたのに!」
ルナ=ノースティリアの胸に触れた船員は、それぞれのテーブルを歩き回り、掛け金の集金をしながら、その感触を事細かに解説していた。
酒場の主人も、その様子を苦笑しながらもあおり立て、つい先ほどまでの静寂とは無縁な、熱気が溢れる空気に包まれていた。
そして、次の瞬間、実際に酒場自体が炎に包まれていた―――――。
明朝、その酒場は存在していなかった。
波止場は波止場だけとなっており、船員が誰一人としていない、立派な幽霊船だけが係留されていた。
ルナ=ノースティリアの姿はすでに見あたらなかったが、この国で彼女の懸賞金は50万プラチナ貨から100万プラチナ貨に跳ね上がってたというビラだけが、風にのって沖合まで運ばれていった。
―― 終 ――