Taku


 その日の晩、ぼくはひどく酔っ払っていた。理由はひとつ、しごく単純なものだ。付き合っていた彼女から別れを告げられ、そして別れた。それだけのことだ。だがそれはぼくにとって、ひどく酔っ払うほどのショックな出来事だった。彼女との交際は二年半とちょっと続いていた。彼女はどうだか知らないが、ぼくのほうは本気だった。来月のクリスマスには付き合って三年目になる。その日は高級なレストランで食事をして、そのまま高級なホテルで一夜を過ごす計画を立てていた。あらかじめレストランとホテルの予約も取っていた。だがそれも彼女の一言、別れましょう、というシンプルな言葉によって、まったくの無駄になってしまっていた。
 別れを告げられ、ぼくは去っていく彼女を追いかけることも、呼び止めることもできずに、小さくなっていくその背中を見ているだけだった。十一月の公園には冷たい風が吹いていた。去っていく彼女の黒いマフラーがなびいていた。それをただずっと眺めていた。それからぼくはいつものバーに行き、ヤケ酒を飲み始めた。それがだいたい三時間前、午後七時になるちょっと前のことだった。
 ぼくはちらりと壁に掛けられている時計、タバコの煙によって黄ばんだ壁に掛けられている木製の時計のほうを見た。十時を五分ほど過ぎていた。一瞬、終電のことが頭をよぎった。半分ほどグラスの中に入っているウイスキーを一気に飲み干した。終電のことが頭の底に沈んでいくのを感じた。そうだ。べつに終電なんてどうでもいいさ。ここら辺にはいくつかのビジネスホテルがある。今日はそのなかのひとつに泊まればいい。そう結論を出し、グラスのなかにウイスキーを注いだ。そしてまた飲み始めた。隣に座っている友人と、カウンターのおくにいるマスターが肩をすくめるのが見えた。
 ぼくと友人がいるのはカウンター席である。マスターはカウンターのおくでグラスを磨いていた。彼はぼくが別れたことを知っている。ぼくがこのバーに来て、そしてこのカウンター席のスツールに腰を下ろしたときに、ぼくみずから言い放ったのだ。そのとき彼は、それでヤケ酒を飲みに来たってわけだ、そう言った。それからぼくがキープしているウイスキーのボトルを棚から取り出し、カウンターに置いた。ぼくは、きょうはとことん飲むよ、そう言ってウイスキーを飲み始めた。それから一時間ほどして、ほどよく酔ってきたぼくは、携帯電話でこの店に友人を呼んだ。愚痴を聞いてもらうためだ。彼とは親友といってもいいほどの仲で、よくふたりでこの店で飲んでいた。
 店にきた彼は、カウンターで酔っているぼくを見て、ため息をついたようだった。それから、どうかしたのか、と聞いてきた。ぼくは彼女と別れたことを告げた。それで愚痴を聞かせに呼んだのか、と彼は言って、カウンター席、ぼくの隣のスツールに腰を下ろした。マスターがすぐに彼がキープしているボトルをカウンターに置いた。それからふたりで話をした。といっても喋っていたのはぼくだけで、彼はずっと聞き役に徹していた。
「そもそもそさ」とぼくは言った「彼女のほうから告白してきて、それで彼女のほうから別れようなんて、ちょっと勝手すぎると思わないか?」「そうかな」と彼は首をかしげた。「女なんてそんなもんさ」とマスターが口をはさんできた。彼は結婚しているが、いまは諸々の理由があって別居しているらしい。ぼくは新しいボトルを注文した。マスターが首を左右に振った。「おまえさん、いくらなんでも飲みすぎだ。もう帰ったほうがいい」「客に酒を出さない気かい?」とぼくと聞いた。「おまえさんの身体のことを考えりゃあな」とマスターが言った。「ヤケ酒したい気分なのは分かるが、もうやめとけ。きょうのおまえは飲みすぎてる」「ちゃんと金は払うよ」「そういう問題じゃないさ」と彼はまた首を振った。ぼくは仕方ないなと思った。このマスターは頑固だ。一度言い出したことは絶対に曲げない。そういう男だ。
 ぼくは「勘定」と言って立ち上がった。ポケットから財布を取り出して、その中に入っている福沢諭吉の札を二枚、カウンターの上に置いた。「釣りはいらないよ。迷惑料もふくまれてるから」そう言うと、「それにしても多すぎだな」とマスターが言ってきた。それからにやっとした笑みを浮かべた。「だがまあ、釣りはいらないってんなら、ありがたく貰っとくよ」そう言ってカウンターの上にある二枚の札を手に取った。ぼくはそれを見てから店を出た。入り口の扉を開けたとき、「気をつけて帰れよ」と声が届いてきた。振り返った。友人がこちらに顔を向けながら、右手で持ったグラスを顔の高さまで掲げ、小さく振っていた。グラスの中に入っている琥珀色の液体が揺れ、氷とグラスがぶつかる音が響いた。ぼくは彼に向かって小さく手を上げた。やはり彼はいいやつだ。そう思った。長い時間ぼくの愚痴を聞いているはずなのに、嫌な顔をひとつもしていない。つぎに一緒に飲むときは奢ってやろう。そう心に誓って、扉を開け、外に出た。いきなり冷たい風が吹きつけてきた。
 それは冬の訪れを告げる十一月の風だった。



 ぼくは酔っていた。自分でもそう分かるほどに酔っ払っていた。ふつうに歩いているはずなのに、ふらふらとした千鳥足になってしまう。まっすぐ歩こうと努力しても右に左に寄れ、たたらを踏んで転びそうになる。ぼくは転びそうになる身体を電柱にあずけて、なんとか踏み止まった。それから盛大なため息を吐いた。
 もう終電はなくなっている。今夜はビジネスホテルにでも泊まるしかないだろう。あのバーを出たときにそう結論を出し、ぼくは冷たい風が吹く道を歩き始めたが、身体がまっすぐ歩いてくれなくて、ビジネスホテルまで行くのにひどく時間が掛かっていた。
 ぼくは電柱に背中をあずけたまま、夜空を見上げた。冷たい風が吹いているが、雲がなくて星がよく見えた。濃い闇の中で無数の星たちが輝いていた。それはもう、きらきらと輝いていた。ぼくは電柱から背中を離し、歩き始めた。だがまだふらふらとしていた。
 ここは商店街だ。昼から夕方にかけて人が集まり盛り上がっていくが、夕方から夜になると人の数が減っていき、そして深夜になるとすべての店が閉まってしまう。ぼくは営業している店がいなくなった、暗く静かな商店街を歩いていた。ひとりでとぼとぼと、そしてふらふらと歩いていた。等間隔に並ぶ街灯の灯りがやけに幻想的な光に見えた。
 ふらつくまま商店街を抜け、人通りの少ない小さな路地に出た。ここから三分ほど歩けば、ビジネスホテルにたどりつく。そこは小さなところだが料金が安く、金のないカップルなんかがよくラブホテル代わりに使っているようなホテルだった。一度泊まったことがあるが、そのときは隣の部屋にカップルが泊まっていたみたいで、薄い壁越しに行為中の声が聞こえてきていた。
 ぼくはふらふらと歩いた。なんだか身体が冷えてきていた。それは冷たい風が吹いているせいなのかもしれないし、あとすこしで雪が降ってくる季節になるせいなのかもしれない。どちらにしてもぼくの身体はどんどんと冷えていき、ぶるぶると震え始めていた。
 寒さをしのぐために身体を丸めて歩いた。闇の中空にネオンに輝くビジネスホテルの看板が見えてきた。あと少しだ。そう思って歩く足を早めたとき、くしゃみが出た。ぼくのふらつく身体はそのていどのことでバランスを崩し、尻餅をつくようにして転んでいた。ばしゃという音が響いた。派手に水が舞った。ジーンズ越しに臀部に冷たさを感じた。ぼくは尻餅をついたまま、大きくため息を吐いていた。
 きのうは雨が降っていた。そのせいでできた水たまりに、ぼくは尻餅をついていたのだ。飛び散った水が服にかかり、ぼくはひどくひどい有様になっていた。きょうはついていない。そう思った。彼女に別れを告げられたときのことを思い出した。そしていま、水たまりに尻餅をついている自分。どんどんと気持ちが沈んでいくのが分かる。不意に泣きたくなってきた。だがぼくはぐっとこらえ、涙を流す代わりにため息をついた。きょう何度目かのため息の中で、一番盛大なため息を吐いた。
 立ち上がろうとして、両手に力を込める。そのとき、夜空の向こう、はるか遠くのほうで、なにかがきらきらと光っているのが見えた。それは星ではなかった。もちろん月でもない。きらきらと輝くそれは、円盤のように見えた。
 UFO、という単語が、まずまっさきに頭の中に生まれた。それから、そんなわけないか、と思い直した。未確認飛行物体なるものは、そのほとんどが見間違いか捏造である。おそらくあの光り輝く円盤も、なにかの見間違いだろう。もしくは飛行機かなにかがそう見えているだけなのだろう。ぼくはそう思った。だがその光る円盤は、徐々にだがその存在が大きくなってきている。つまり、こちらに向かってきているのだ。直感的になにかを感じた。それと同時に光る円盤がとつぜん消失する。
 次の瞬間、唐突に眼の前に眩しい輝きが生まれた。直視できないほどの眩しい光だ。思わず眼を閉じた。それから手をかざして光をさえぎり、ゆっくりと眼を開いた。そして驚愕した。眼の前にある眩しい光。その正体は光る円盤、さきほどまではるか遠くにあったあの円盤だったのだ。
 直径一メートルほどの黒色の球体と、それを囲んでいる直径三メートルほどの円盤。きらきらと光り輝いているのはその円盤のほうで、黄金色の輝きを放ちながら、球体を中心にしてゆっくりと回っている。ぼくは唖然として、言葉が出てこなかった。目の前で浮いている円盤は、まさにテレビや雑誌で見るUFOそのものだったのだ。どこか遠くから犬の鳴き声が聞こえてきた。それは吠えているような声だった。
 不意に、円盤の中心、黒い球体の下のほうが光りだした。それからその光が一直線となり、コンクリートの路地に伸びてきた。ぼくは黙ってそれを見ていた。立ち上がることさえも忘れていた。円盤は相変わらずまばゆい光を放ちながら回っている。球体から伸びた光の線が路地にたどりついた。それと同時に、その光の中から、人型のなにかが現れた。眼を凝らしてそれを見た。そして驚いた。その人型のなにかは、雑誌なんかで見かける宇宙人の予想図そのものだったからである。
 身長はだいたい一メートルちょっと。楕円型の頭がやけに大きく、とんぼのような大きな眼がふたつ、赤銀色に光っている。鼻や口なんかは見当たらなかった。身体のほうは細くて、腕だけがやけに長い。肌の色は銀色で、顔や胴体には凸凹がなかった。かんなで削られたみたいに表面がつるつるとしていた。
 その宇宙人(かどうかは分からないが、便宜上、そう表現するしかない)は、ゆっくりとこちらに顔を向けてきた。赤銀色の大きな眼には感情の光が見えず、なにを考えているのかさっぱり読めなかった。光の線から、さらにもう一体の宇宙人が降りてくる。その宇宙人は眼の前にいるやつと違い、体型は同じだったが、大きなふたつの眼が黄金色に光っていた。
 赤眼の宇宙人が、金色眼の宇宙人のほうに顔を向ける。金色眼が首をかしげ、肩をすくめるような動作をした。まるで欧米人のような動きだった。ぼくは完全に呆気にとられて、呼吸をするのも忘れるくらいに硬直していた。
 金色眼が細長い五本の指を握り締め、それから指を開く。するとその手の中に、L字型の黒い塊が握られていた。拳銃だ。金色眼はまるで魔法のように、なにもない空間から拳銃を出したのだ。
 夜の闇の中で、円盤の光を浴びた銃口がきらりと光る。それは恐怖を感じるくらいに冷たい光だった。無機質で冷えた光。それがぼくに向けられる。また銃口が光った。だが今度の光は閃光だ。一瞬だけ赤く閃き、そして乾いた音が響き、次の瞬間には、その銃口から煙が立ち昇っていた。
 ぼくは驚いた顔のまま、視線を下げた。尻餅をついたままの自分の身体、その中心、心臓を見る。黒点があった。それは着ているジャケット、シャツを貫通していた。黒点から血が噴き出してくる。それと同時にぼくの身体は崩れ落ちた。仰向けに倒れたのだ。撃たれた。そう思ったときには、意識が遠のいていた。痛みは感じなかった。そのかわりに灼けるような熱さを感じた。傷口から血が流れ出ていくたびに、身体が弱っていくのが分かる。仰向けに倒れたせいで見上げるかたちになった夜空に、きらきらと星が輝いていた。それを見ていていると眠気が襲ってきた。ぼくは素直に眼を閉じた。薄れていく意識の中で、やっぱりきょうはついてないな、と思った。



 ふたりの宇宙人は、完全に息の止まったぼくの身体に近付くと、顔を見合わせて頷きあった。金色眼の手からは拳銃が消えていた。赤眼がぼくのおでこに手を伸ばす。それからまたふたりで頷きあい、金色眼がぼくの身体のわきにしゃがみ込んだ。手のひらを閉じて、開く。するとさきほど拳銃が現れたのと同様、その手のひらに、種が握られていた。二センチほどの黒いまるい種。それがなんの種かは分からない。だがすくなくとも、この地球のものではないのだろう。おそらく彼らの星のものだ。
 金色眼が、種をぼくの身体、銃で撃たれた傷口に落とした。すると傷口に入った種がいきなり芽を出した。それからおそるべき成長力で幹になり、いくつもの枝に別れ、花を咲かせる。それは桜に似ていたが、色は血を思わせるような真っ赤なものだった。夜の闇の中、ぼくの身体から生えた桜に似た木が、深紅な花びらを舞い散らせる。その光景はまるで血飛沫が舞っているかのようだった。ふたりの宇宙人が、その光景を見てまた頷きあう。どうやら彼らの目的は達成されたらしい。その頷きかたは、どこか満足げなものだった。
 ふたりがぼくに視線を落とす。どうやらこの種は、血液を養分に成長するらしい。深紅の花を咲かす木が成長するたびに、ぼくの身体は痩せ細り、そして花を咲かせたいま、ぼくの身体はまるでミイラのように干からびていた。それはとても奇妙な光景だろう。ミイラの身体から、深紅の花を咲かせている木が生えている。ぼく自身はその光景を見ることはできないが、そうとう奇妙な光景に違いない。
 赤眼が、いまだに光を放っている円盤に手を振った。黒い球体から伸びている光の線がこちらに移動してくる。そして光の線が、ふたりの宇宙人と木を生やしているぼくを照らした。スポットライトをまともに浴びたように眩しくなった。視界が白と黄がまじったような光の色に覆われ、それ以外なにも見えなくなる。瞬間、ふわっと身体が浮いたかのような錯覚を感じた。光が薄くなっていき、そして眩しさが消える。光の色が消えたそこは、さきほどの暗闇の夜道ではなく、見たことのない場所になっていた。いや、なっていた、というよりは、移動した、というべきか。
 そこは広い部屋の中だった。まるい室内。床は黒色で、壁はシミひとつないきれいな白色。広さは直径十メートルほどで、天井が円形をしている。まるで半分に割った球体の内側にいるみたいだ。信じられないことだが、ここはあの直径一メートルほどの黒い球体の中なのだろう。ここにつれてこられるまでの事象を考えれば、それ以外の答えが見当たらなかった。
 ぼくのそばに立っているふたりの宇宙人が、あたりを見回す。ぼくのまわりには、ぼくと同じように、身体から木を生やし花を咲かせている死体がいくつもあった。みんな木に、血という養分を吸い取られ、ミイラになっている。ぼくと同じだ。だが生やしている木、咲かせている花の種類は違っていた。どうやら人によって種類が変わってくるらしい。棘のついた茎に全身を絡まれ、薔薇の花を咲かせている死体があった。心臓から大きな向日葵をふたつ咲かせている死体もある。それ以外にも、菊や椿など、その人間によって、咲かせている花は違っている。だがどの花にも共通しているのが色で、どの花も血を思わせるような真っ赤な色をしていた。それは人間の血を養分として育っているせいかもしれない。彼らの星ではいま、地球人の血を養分とした植物が流行っていた。
 彼らの星は、地球と火星のあいだにある小さな星だった。そこは小さいながらも非常に高い科学力を誇っており、宇宙船による宇宙旅行がごくあたりまえのようにおこなわれていた。地球や火星といった近くの星はもとより、ときには金星、木星などの遠くの星にも行くことがあった。
 宇宙人ふたりがぼくらに背を向け、歩き出そうとする。そのとき、ぼくらからすこし離れたところの床に、直径五十センチほどの光の円が現れ、それが大きく、二メートルほどに伸びた。そしてその光が消えたとき、その場所にひとりの女性が立っていた。
 年齢は二十歳ほど。肩のあたりまで伸ばした黒髪に、やや中性的な整った顔立ち。着ている服は白のセーターに、黒のロングスカート、そして黒のマフラーだ。見覚えのある格好だった。それもそのはずだ。なぜならその女性は、きょう、ぼくと別れたばかりの彼女だったからだ。
 彼女はぼくらの近くまで歩いてくると、宇宙人ふたりに手を上げて挨拶をした。ふたりの宇宙人も同じように手を上げて挨拶を返した。彼女がぼくら、身体から木を生やし、花を咲かせているミイラと化したぼくらに眼を向ける。ひとりずつ選別するように見ていく。そしてその眼がぼくをとらえた。彼女の眼が大きく見開かれた。その瞳のなかには驚きと戸惑いの色が浮かんでいた。いまのぼくは原形が分からないほどに干からびたミイラになっている。だが彼女は一瞬でぼくのことを分かったらしい。無表情な顔が、憐れみと哀しみのまじった複雑そうな表情に変化した。
 彼女がぼくの近くまできて、そばにしゃがみ込む。それからそっとぼくの頬に手を伸ばし、慈しむように優しく撫でた。あたたかなぬくもりが懐かしかった。彼女が立ち上がる。そのとき、白いセーターの胸元にある銀のロザリオが揺れた。ぼくたちが付き合いはじめたその年の、彼女の誕生日にぼくが贈ったプレゼントだ。そのときの彼女の表情はいまでも憶えている。はにかみながら嬉しそうに浮かべた微笑。そう、あのときはしあわせだった。すぎゆく時間がとてもスローに思えた。その時間のなかで彼女と一緒に、いつも一緒にいた。それが永遠に続くと思っていた。別れるとは思ってもみなかった。そしてこんなかたちで再会するとも思っていなかった。いつまでもあのしあわせが続くと思っていた。ふたりで腕を組み、街のなかを歩いた。ひとつのベットでふたりで眠った。いつもふたりで一緒にいた。そんなしあわせな時間に終わりなんかないと思っていた。思っていたんだ。
 彼女がぼくに背中を向けて、宇宙人ふたりと歩き出した。ぼくから離れていく彼女の黒いマフラーがなびいていた。あの公園で、ぼくに別れを告げて去っていくあのときと同じように、彼女の黒いマフラーがなびいていた。あのときぼくは去っていく彼女を引き止めようとはしなかった。ただ黙って去りゆく背中を見ていただけだった。もしあのとき、ぼくが引き止めていれば、いまとは違う結末を迎えられていたかもしれない。だがぼくは引き止めなかった。それがいまの、この結末になってしまったのか……。
 ぼくは、いつまでも花を咲かせていた。



 それからぼくらは彼らの星に運ばれた。そこは自動車が空を飛んでいることをのぞけば、ほとんど地球とそっくりの星だった。ぼくはそこで、観葉植物として彼女に引き取られた。ぼくのことを不憫に思ったのか、それともまだ未練があるのか、彼女の真意は分からない。だがすくなくとも、彼女のその選択は、ぼくにとって最良のものであったことは確かだ。
 ぼくはいま、彼女が住んでいるアパートの日当たりのいいベランダに、棺桶のような長方形の箱のなかに入れられ、花を咲かせている。彼女はぼくが咲かせた花を見て微笑んでいる。ごくたまに花がしぼむときもあるが、そのときは彼女が果物ナイフの刃を自分の手首に当てて、浅く切り、そこから流れ出る血を養分として、ぼくに与えてくれる。
 だからぼくは、きょうも彼女のために赤い花を咲かせている。


http://www.juv-st.com/