広がる思考は、まるで進化する宇宙のよう
植草 なつめ
幼い頃から不思議な話が大好きだった。
たとえば
「『魔法使いの存在する国』で巻き起こる、国の伝承が巻き起こす壮大な物語」
たとえば
「遠いとおい過去から永遠に宇宙を彷徨い流れてきた彗星が原因で起こる、地球の決死の作戦」それらを読んで私は妄想を膨らます。
授業中に授業も聞かずに、頭の中に「大きな宇宙」を展開させる。想像は想像の範囲を超えるんじゃないかというくらいの勢いで「どんどん」と広がってゆく。
まるで「宇宙が永遠に広がっていく」姿そのままに。色々な本をよみ、映画を見て、自分の知らなかった知識や思考が頭に入る事で、この「想像」はより加速度を早めたり、または足を止めて「ここはやはり、こう話しを進めた方が良い気がする」という感じで、方向転換を始め、これまで進んでいた道とは違う、別の起点を作成し、それが思っても見なかった「壮大な物語」へと変わってゆくのだ。
時に「自分の生死」を考える。
いや、生よりは死を考える方が多かったかもしれない。
読んだ物語の中の好感をもっていた人物が死んだとき、私は始めて「死」について深く考えた。
もっともっと小さかった頃は「死」=「親との別離」であったが、いまは違う。
「死」=「すべてのものとの別れ」
それは「恐怖」以外のなにものでもなかった。
だけどそれは「生命の終着点」であり、これを逃れる事は絶対にできない。
これを考えていて、その思考は宇宙と星に変換されていた。
「星」もいずれ終焉の時を迎える。人間には考えもおよばない長い長い時間の先にある「終焉」
しかしその「星」がそんざいする「宇宙」は現在も、ものすごいスピードで広がっているという。
不思議だ。ここまで大きな存在になると「生」や「死」はもう概念としては「あって無いようなもの」なのだ。
その「あってない様なもの」で人間は「一喜一憂する」小さな小さな……宇宙規模で考えれば「あっても無くても同じような存在の人間」
しかし、人間は「想像」から「文化」をつくりだす。
そんな人間に、私はやっぱり生まれてこれてよかったと結論がつく。そこかたまた、私の思考は「まったくちがう方向へと動き始める」
この思考の広がりは「果てがない」それはたぶん私という個が「終わり」を告げるまで続くのだ。
それは「小さな宇宙」を私の中に育てている事に、違いない。
「ねぇ?」
隣で友人が語りかけてきた。
「え?」
「そんなふうに話しが考えられるなら、それを文章にしてみたら?」
「え〜」
「だって勿体ないじゃない。せっかくそんな面白い話しを考えているのに、私に聞かせるだけなんてさ」
「だって、考えるのは簡単だけど、文章にするってとっても難しいんだよ」
「でもそうやって文章に残してきたものが、人間の文化として長く残ってきて「歴史」になったんでしょ?まぁ、あんたが考えているのは「歴史」じゃなくて「物語」だけどさ」妄想は「際限知らず」だった。果てがない。
だからしていて面白い。
でも文章として表現するのは難しい。
その妄想を表現する為のは「表現する為の知識」がどうしても必要となってくるからだ。「でも……楽しそう」
私は、また新しい「宇宙」を手に入れる。
学校帰りに、文字を書く為に便利な線の引かれている、まだなにも書かれていないノートを買って帰る。
白いページをめくり、私は右手に持ったペンで、筆を入れた。〜広がる思考は、まるで進化する宇宙のようだ〜
私の宇宙に、新しい道が生まれた瞬間。