綾小路家の朝食殺人事件 帝大探偵二階堂の事件簿(昭和三十年八月)
オーグ


 資産家の息子、綾小路武の家は、噂以上の豪邸であった。玄関の重厚なドアを入るとそこはちょっとしたホテルのロビーといった風だ。
 二階堂の訪問の目的は、帝大医学部の友人、綾小路武がコレクションしている、南米の熱帯雨林だけに住む、日本でも数えるほどしか無い貴重な蝶の標本を見せてもらう事だった。

 ちょうど玄関を入った所に、奥から美しい女性が現れた。
「ああ、ちょうどよかった。紹介するよ。こちら姉のみつさん。光と書いてみつ。光さん。こちら帝大でも有名な二階堂探偵。ほら、よく新聞に出ているだろ。」
「ああ、あなたがあの有名な学生探偵さんね。どうぞよろしく。」
光はニッコリ微笑むと
「今からお買物に行く所だったけど、先にお茶を準備しましょうね。」
光は、奥に消えていった。

 武の部屋は20畳ほどの板張りで、壁一面の本棚には高価な書籍がズラリと並び、窓辺にはマホガニーで造られた豪華な机が置かれ、水仙の花が飾られている。蝶の標本は、床に敷かれた絨毯の上に無造作に並べられていた。
「南米の熱帯雨林の標本で良かったんだよな」
「ああ。これこれ。素晴らしいよ。実に。完璧だ」

 二階堂が虫眼鏡で蝶の観察に夢中になっていると、ノックと共に、光さんが入ってきた。手には紅茶の盆を持っている。
「随分きれいなんですね」
二階堂が答えた。
「南米の蝶は、住む密林によって同じ種類でも、模様が微妙に違うんです。僕はこの蝶の羽の模様から、その分布と分類分け、そして発生場所を確定してみようかと思っているんです」

光さんが立ち去った後、二階堂が言った。

「なあ、武君。君たちは姉弟なのに、妙に呼び方がよそよそしいね。それに、君が光さんを見る表情には、どうも・・その・・恋情に似たものを感じるんだが・・」
武は驚いた表情をしたが
「君の推理力・観察力は、大した物だよ。本当に参ったな。実はね、光さんと僕とは、実は血の繋がりは無いんだ。まだ小さい光さんに身寄りが無いのを見かねて親父が、引き取ったんだ。だがね。年を追うごとに光さんは、どんどん美しくなって行くし僕は思春期だ。まあ、初恋の女性って所かな。ははは」
彼は照れ笑いをした。


 夕べ遅くまで武と話し込んでいたため、二階堂は眠い目をこすりながら、食堂に降りて行った。すでに、テーブルには綾小路家の全員が集まっていた。
「夕べは随分、楽しんだようだね。武は君の話ばかりだよ」
武の父親で、綾小路総合病院院長で、外科医の忠志が笑顔で語りかけた。
「武がこんなにはしゃぐのは、久しぶりに見ますわ」
母親で歯科医の美智子も、そう言って笑顔を浮かべた。二階堂は、寝過ごした気まずさに頭をポリポリかき、苦笑いしながら空いているテーブルに付いた。

 朝食の支度はすでに整っていて、光がみんなにコーヒーを注いで回っている。
「朝食はトーストでよかったかな?家はいつも朝食は簡単でね。トーストとベーコンエッグ程度しかないんだが・・」
父親の言葉に二階堂は
「とんでもない。一人暮らしの私にとっては、これは立派なディナーですよ」
一同に笑いが起こった。

 歓談しながら、みんなが食事を始めた頃、その事件は起こった。光が椅子を倒していきなり立ち上がると、喉を掻きむしるようにして床に倒れこんだのだった。
「光っ?」
真っ先に父親の忠志が光の倒れた体に飛びつき、抱き起こした。さすがに医者だけあって、瞳孔反応や脈などを見ていたが、しばらくの沈黙の後、呟いた。
「み・・光は死んでいる」
それを聞いて全員立ち上がった。しかし二階堂の動きは早かった。光の体に駆け寄ると、その唇の匂いを嗅ぎ、言った。
「アーモンドの匂いがします。おそらく青酸カリだと思われます。みなさん、口の中のものをすぐに吐き出してください。それから、席にすわりテーブルの上のものには触らないで下さい。」

 二階堂は、それだけ強く言うと、自分は食卓の回りをグルグル回りながら何かを観察しているようだった。・・と、彼は走ってキッチンに走り込んだ。5分も経っただろうか、彼は皿に二つの卵の殻を載せて戻ってきた。
「武君、この二つの卵の違いが分かるかい?」
二階堂は言った。
「・・いや、全く分からない」
「ではこうしたらどうだい?」
二階堂は、皿の上の卵の殻を裏返した。
「あっ。こちらの卵の底になにか出っ張りがる。なんだいこれは?」
「おそらく、飯粒だと思う。犯人が残した痕跡。証拠だよ」

しばらくの沈黙の後、二階堂は語り始めた。
「僕は今、光さんの死が、殺人なのか自殺なのか、迷っているんだ」
二階堂は、重々しく続けた。
「お母さんの考えでは、光さんは妊娠、何ヶ月くらいですか?」
「何だってっ!」
武が叫ぶ。その時母の美智子が小さな声で言った。
「おそらく・・・3ヶ月から4ヶ月でしょう・・。」
武が目を真ん丸くして、母親を見た。父親の忠志はテーブルの上で作った握り拳をブルブルと震わせている。

 二階堂は続けた。
「犯人は、実に巧妙にこの殺人を企てました。そして犯人はこの中にいます。まずトリックを説明しましょう。犯人は、この卵に注射針が通るほどの小さな穴を開けました。針などでは無理です。割れてしまいますから。おそらく歯科用のドリルを使ったのでしょう。その穴から青酸カリを注射器で黄身に混ぜた犯人は、その穴を飯粒を詰め込んで塞いだのです。冷蔵庫に戻しておけば飯粒はカチカチに固まり、見分けがつかなくなりますから。
 しかし、犯人の巧妙さはここからなのです。犯人は必ず光さんに青酸カリ入りの目玉焼きを食べさせたかった。だからあえて白身では無く、黄身にまで針を差し込んだのです。
 黄身に針をさせば、当然黄身の膜は破れる。と言う事は、目玉焼きを作った時にかならず目玉・・つまり黄身は壊れます。今日は目玉焼きを、私の分も含めて5個作った。そのうちの一つは黄身が壊れてしまっている。光さんほどの優しい方が、その目玉の壊れた目玉焼きを他の人に出すわけが無い。結局黄身の壊れた、毒入りの目玉焼きは、光さんが食べる事になる・・・」

美智子は、ハンカチを眼に当て肩を震わせて泣いている。
「私・・私が・・・」
「母さん・・・」
武が、小さく呟いた。二階堂は武の肩に手を置くと
「光さんの子供の父親は・・」
彼は小さな声だが、強く言った。
「お父さん、あなたですね」
忠志はガックリと肩を落とした。
「光さんは、あなた方に恩を感じいていた。お父さんが光さんと関係を持った時も、彼女は抵抗はしなかったでしょう。彼女の優しさ、義理堅さから察して、黙って欲求にこたえたはずです」
武の父親は、母親と同様に、肩を震わせて泣き出した・・・。
「光さんは綾小路家を守るために、知っていてあえて黄身をすべて食べたのです。その証拠に光さんの目玉焼きは、ナイフできれいに黄身だけを切り取られています。きっと光さんは考えたのでしょう。自分が犠牲になれば、親子で子供ができた等という、汚名は免れるとね」

 二階堂は辛そうに、綾小路家の人たちに言った。
「この名門の家庭の内情に、僕はもうこれ以上立ち入る権利はありません。みなさんで結論を出して下さい。これだけは言っておきます。僕の口からは、今朝の出来事が漏れる事は決して有りませんから」

 二階堂はそう言うと、嗚咽の響く食堂を出て重い足取りで玄関へと向かった。

 

おわり


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