旅立ちの日に――深夜の卒業式――
神月蒼



 私立桐林学院高等部、一年四組に在籍する山岸徹には、少し変わった友人がたくさんいる。

まず一人目、雪深紅葉(ゆきみもみじ)は、喜怒哀楽をうまく表現することができない。
本当はとても好奇心旺盛な少年なのに、感情が表に出ないので、周囲からは敬遠されている。悪意を持った言動を取られることもある。
 理由はいろいろあるが、おそらく無表情でいるとなお際立つ、生き人形じみた美しい容姿と、桐林学院設立以来の天才児と言われるほどの頭の良さから来る嫉妬が大半を占めるだろう。
 美人で頭が良いっていうのも楽なモンじゃないな、と思う。
 文武両道・才色兼備、の四文字熟語があるけれど、まったくその二つの熟語は彼のためにあるようなものだ。紅葉は剣道部のエースでもあり、水泳以外の大抵のスポーツは何でもこなす。
 しかし、徹はまったくそれを羨ましいとは思わない。
 実際のところ、紅葉は腰まである長い髪を襟足でぎゅっと括り、前髪は鼻先あたりまで伸びていて、その隙間に眼鏡を押し込んでいる。
素顔が見えないと言えばそうなのだが、体育の時間、家庭科の時間、部活の時間は素顔が晒されているので、目立つことこの上ない。

 徹は現在、紅葉のひとつ前の席に座っている。一年の一学期から三学期に入った今日まで席替えは何度かあったが、二人の席順が変わったのは一度きりだった。
 二学期は徹が通路側の席、紅葉は真ん中の席にいた。三学期になって紅葉が再び徹の後ろの席になって、しかも窓際の一学期とまったく同じ場所に決まったとき、徹はかなり浮かれた気分になったものだ。
 「なあ、明日カラオケ行かね?」
 恋人の梁川(やながわ)みずは、クラスメイトで紅葉が一番仲の良い女子の京本紗夜香(きょうもとさやか)、一年一組の深森巫琴(ふかもりみこと)と海野由宇(うみのゆう)も誘ってあった。
 みんな気の置けない、変わり者ぞろいの友人たちだ。この面子なら紅葉も安心して参加するだろうと、張り切って誘いをかけたのだが。
 「……カラオケ?」
 めくっていた単行本から視線を外して、彼は徹を仰ぎ見た。
 それから少し首をかしげて考えるそぶりを見せ、数秒たって再び口を開いた。
 「ごめん、明日はちょっと……」
 答える彼の顔は仮面を被ったように無表情で、感情はまったく読めない。しかし、徹は間髪いれずに聞き返した。
 「明日はちょっとって、おまえカラオケになるといつもそう言って断るじゃねーか。嫌いなのか?カラオケ。」
 そうなのである。彼は徹の知る限りで、一度もカラオケに行ったことがない。何度誘っても、今と同じせりふで断られてばかりなのだ。
 歌が嫌いとか、そういう理由ではないことはわかっている。なぜなら、紅葉は機嫌の良いとき、時々小さな声で歌を歌っているからだ。
童謡だったり外国の知らない歌だったり民謡だったり、ごくまれに流行の歌も口ずさんでいる。
 徹以外のクラスメイトもこれは知っていて、紅葉が小声で歌いだすと、自然と教室内が静かになる。それほど、彼は歌が上手い。
しかし、本人にその気はないらしく、たまに訊ねると、自分が歌を口ずさんでいることさえ、ほとんど気が付いていない様子だ。
 「……いや、嫌いというか……行ったことないし、あんまり人前で歌うのも……」
 たまに歌っているくせに、とはあえて突っ込まない。そのかわり、前々から不思議に思っていたことを聞いてみた。
 「お前、いろんな歌知ってるよな。中学も小学校もろくに行ってないって言ってたのに、歌なんてどこで教えてもらったんだ?」
 そう、紅葉は中学校にも小学校にもほとんど通っていない。紅葉がかなり特殊な環境で育ってきたことを、徹はこの九ヶ月間で知っていた。
 「……ほとんどは十五までいた施設で教わった。産みの母も育ての母も、よく歌ってくれたし。歌は嫌いじゃないけど……。」
 ぽつりぽつりと話す紅葉を見つめて、そうか、そういえばこいつって今親と離れて暮らしてるんだっけ、と思い出す。
 産みの母と育ての母がいて、その二人は双子同士。そして、産みの母が亡くなった後、父の元に嫁いできたのが、叔母であり現在の母なのだ。
 しかし、諸事情あって紅葉は現在、母方のもう一人の叔母の元で暮らしている。
 過去に大きな事故にあって、そのせいで、高校に入学するまでは、私設の養護施設と病院のリハビリセンターを行ったり来たりする生活をしていたと、本人や従兄弟筋にあたる二人の少年から聞いた。
 ややこしいよなあ、そりゃ人には話しにくい内容だよなあ。
 そんなことを考えていると、ふと名案が閃いた。
 「そうだ!お前がいた施設、なんだっけ、ヒヅル学院?あそこに行こうぜ!去年のクリスマス前からここひと月近く行ってねえしさ!」
 「日鶴学園に?」
 紅葉が驚いたように顔をあげた。
 「そう。一月だろ、色々やることあるんじゃないか?」
 「……まあ、それはそうなんだけど……」
 紅葉がお茶を濁していると、華やかな笑い声が二人の席に近づいてきた。徹の変わり者の友人たちだ。
 「でっさぁ、雅ちゃんってば、頭パンクしちゃったみたいでさー」
 「聖君はまだ簡単なテキストだから良いけど、雅ちゃんを教えるのは大変ね。」
 「二人なんてまだマシだよー!あたしなんてもっと小さい子たちの面倒見てなきゃいけないから、もーてんてこ舞いよ!早く明果(めいか)さん帰ってこないかなー。あ、今度行くときはみずはも連れて行かない?」
 話しながらやってきたのは、変わり者二号、縞倉眞英(しまくらさえ)、三号、京本紗夜香(きょうもとさやか)、四号、海野由宇(うみのゆう)の三人。
 「いいじゃん、それぇ!みずはは子供好きだから、ガキども任しとけるしぃ!」
 「あははは、子供好きでもあの子達の怪獣ぶりには負けちゃうかもよ?」
 「でもさ、ホントにみずはだけ今までいっちども行ってないんだよね。不思議じゃない?」
 「そうね。私と眞枝ちゃんはずっと前から行ってるけど、みずはちゃんだけなぜかいつも来られないのよね……。」
 「紗夜香は雪に連れてかれたんでしょ?」
 「ええ。初めて行った時は雪深君と二人だったわ。」
 「アンドロイドが自分から連れて行きたがるとは……あたしは深森に誘われたんだよ。眞英は誰に?」
 「へ?アタシはセンパイ。中等部のときに、片瀬弥(かたせあまね)センパイに無理やり連れてかれてさぁー。超能力はあるかないか、で喧嘩んなって……じゃあお前、試しに付いて来いってさぁ。そういやあそこ、片瀬センパイとか深森とか雪のひいお祖母さんが作ったんだっけー?それだけに不思議な子が集まってんよねー。」
 「え、そうなの?知んなかった!紗夜香、それマジ?」
 「ええ、確か深森君のひいお祖母さまが日鶴さんって方なんですって。その方が案を出して、実際に作ったのはひいお祖父さまなのよ。もうお二方とも故人らしいけど」
 「うわ、奥さんの名前つけたんだ。それって愛じゃなーい!?いいねーっ」
 きゃー、と由宇が叫んで両の拳を握る。愛に憧れる女子高生らしい。
 「ひい祖父さんは生きてます。」
 三人の背後から、今度は長身の少年がぬっと割り込んできた。
 またしても徹の変わり者の友人五号、深森巫琴。由宇のクラスメイトで紅葉の従弟にあたる。
日鶴学園の創設者、深森添時(そえじ)・日鶴夫妻のひ孫。桐林学院では剣道部のエースとして有名な少年である。
 「うわっ、あんたいつの間にいたの!?」
 「びび、びびらせないでよ、もぉー!」
 「心臓止まるかと思ったわ……。」
 三人三様の反応に、巫琴はにやにやしながら答える。
 「でっかい声で人ん家の話してっからだよ。あそこはオレの家も同然なんだ、プライバシー考えてくれよな」
 せりふの割には笑っている。どうやらプライバシーよりも、自分の家さながらの施設の噂をされて嬉しいらしい。
 「オレの家って、深森もあそこに住んでたの?」
 由宇に言われて、彼は笑顔で頷く。
 「ああ。今は紅葉ん家の近くに姉貴たちと住んでるけど、オレも生まれてから中学出るまではあそこにいたんだ。な?自分の家同然だろ?何より、うちの親父はあそこで『父ちゃん先生』って呼ばれてんだ。みんなの父ちゃんなんだ、すげえだろ!」
 「……あれって自慢することなのかなぁ」
 紅葉が四人の会話を聞いてぽつりと漏らす。耳さとくそれを聞きつけて、徹は「よし!」と声をあげた。
 「おーい、四人とも!明日なんだけどさぁ、カラオケやめて日鶴学院に行こうぜ!」
 「え?」
 四人がそろってこちらを向く。てっきり意識して近づいてきたものとばかり思っていたが、違ったようだ。
 そういえば紗夜香の席は紅葉の隣だった。席替えしたばかりなのですっかり忘れていた。
 紗夜香が何冊かの本と紙袋を机に置いて座る。それを囲むようにして、女子は紗夜香側に、巫琴は徹たちの傍に、手近な椅子を引き寄せて座った。
 「なんだ、やっぱりカラオケは行きたくないか?」
 巫琴が聞いて、紅葉は困ったという風に首をかしげた。首の傾げ方ひとつで、言葉がなくとも通じるのだから、人間って深いなぁと徹は思う。
 「やっぱりって、なんか行きたくない理由でもあんの?」
 由宇が言った。紅葉は答えない。
 代わりに巫琴が、紅葉を指差して言う。
 「歌は嫌いじゃないけど、意識するとダメらしい」
 「だからいつも口ずさむ程度なのね。なるほど、納得。」
 紗夜香は納得しているが、徹はいまいち合点が行かなかった。
 巫琴は紅葉がカラオケに行きたがらないと予想していたようだから、それならひと言言ってくれれば良かったのに、と思う。
 だが、巫琴にはいつも何かしらの考えがあるようで、そこが掴めない。
 いつも本音は言わないのが巫琴だ、といつか紅葉が言っていた。
 従弟なんだから、紅葉がたかがカラオケに行きたがらない理由を知っているのなら、ちゃんと教えて欲しい。無理に誘って嫌われるのはごめんだ。最初は自分のほうが、例の無表情を誤解して、紅葉を毛嫌いしていた過去があるのだ。
 「せっかく上手いのにもったいないよねぇ。アンタ、そのなりでその歌の上手さだったら、将来歌手になるのも夢じゃないわよー?」
 冗談にしては随分きついなぁ、と眞英の言葉にそれぞれが苦笑した。
そんな夢があったところで、紅葉のこの無表情さではテレビ出演もライヴも叶わないだろうに。ただでさえ無口で周囲から敬遠されているのだから、そんな夢など持とうはずもない。
 「……冗談だってば。なーに、こんな冗談も通じないほどアンタら雪に感化されてんの?」
 しけた顔で眞英が言って、全員がほっと胸をなでおろす。紅葉だけは、きつすぎる冗談に硬直していた。
 「やーねぇ、雪だけならいーけど全員マジになるなんてさぁ。大体、雪にゲーノー人が務まるかってのよ。無理に決まってんじゃーん?」
 「そ、そうだな。確かに紅葉に芸能人とかは無理だな……。充分、この学校内では目立ってるけど」
 「うん、目立ってる。ていうか、このグループが目立ってる。」
 「由宇ちゃん、どういう意味?」
 「紗夜香はわかんないかなー。当校きっての天才児が二人、剣道部のエース、広報部のお祭り男に図書館の女神。目立つグループだと思わない?」
 「天才児二人、は雪深君と眞英ちゃんのことね。剣道部のエースが深森君、広報部のお祭り男は山岸君。あら……図書館の女神って?」
 「京本のことだな」
 「紗夜香のことでしょ」
 徹、巫琴と眞英の声が重なる。
 一拍置いて、紗夜香は耳まで真っ赤になった。
 「やっ、やーだ、もう由宇ちゃんてば!由宇ちゃんだってこの辺じゃ知らぬ者無しのお菓子や小町じゃないの!」
 ばんばん肩を叩かれて「いて、イタイ、紗夜香!」と由宇が悲鳴を上げる。
 「お菓子や小町」は由宇の実家から来ているあだ名である。由宇が歴史ある和菓子屋の一人娘であることは、桐林学院ではほとんどの人が知っていることだ。
 ひと言で言えば、このグループは容姿、性格、その他の理由を諸々に考えても、目立つ人間ばかりが集まっているのだ。
 徹、巫琴は少年グループでヒットを飛ばす某芸能事務所からスカウトが来てもおかしくないような容姿で、家柄も巫琴は旧家の出身、徹は某製菓メーカーの社長令息。
紅葉はいうまでもなく、前述したとおり人形ばりの美しさで、巫琴の親戚と言えばもう説明することはない。
 少女たちも、それぞれ個性はあるものの、紗夜香はその優しい微笑と儚げな容姿、そしていつも図書館にいることから「図書館の女神」。
由宇は元気はつらつな和菓子屋の看板娘として「お菓子や小町」。
眞英は抜群のプロポーションと美貌から「学院専属モデル」。
それぞれにあだ名される美少女っぷりだ。徹の彼女のみずはも快活な美少女で「オテンバプリンセス」と呼ばれ、モテる・モテないに分類するなら確実に全員が「モテる」のである。
 「誉めても何にもでないからねっ、もうっ」
 ちなみに、紗夜香の反応から見ても明らかだが……本人たちに自覚は乏しい。自覚しているのは眞英くらいなもので、あとはみんな「周りは目立ってるけど自分は普通」だと思っている。
紅葉だけは、別の意味で普通でないことを自覚しているようだが。
 「で、明日は結局行くわけ?日鶴学園。」
 「そうだなあ、雪次第ってとこだな。どうだ?カラオケ嫌なら日鶴学院で」
 「山岸、いつも思ってるんだけどな……。」
 紅葉に訊ねた徹の肩を、巫琴がぽん、と叩いた。
 「ん?」
 巫琴は身長が高い。百九十はあるかという長身で、徹のそばに立たれると、どうしても徹は彼を見上げることになる。
 いつもどおり徹は顔を上げて巫琴を見た。そして……
 「うちは『日鶴学院』じゃなくて『日鶴学園』だー!」
 肩をぎゅー、と絞められて悲鳴を上げた。
 「ぎゃー、ごっめんなさぁーい!!」
 






 翌日、某所のファミリーレストランで、六人は少し遅い夕飯を終え、一息ついていた。
 テーブルには冷めかけたポテトフライが残るのみ、あとはめいめいにドリンク飲み放題のカウンターから好きな飲み物を持ってきたところだ。
 「ちぇっ、結局あいつ来ねーでやんの。」
 徹が舌打ちすると、紗夜香が笑ってフォローする。
 「仕方がないわ。雪深君、お仕事忙しいんだから。」
 「でもさ、おれらってまだ未成年だろ?あいついっつも仕事仕事って、どんだけ稼ぐんだよ。なあ、巫琴ちん。」
 話しかけられて、巫琴は小さく肩を竦めた。どうやら彼はこの問いかけに答えるつもりはないらしい。
 「まーいいじゃん?カラオケが嫌で断られたってわけじゃないんだし」
 由宇が苦笑して言ったが、まだ徹はむくれている。おそらく仕事がなくてもカラオケだったら来ないだろうな、と思ったからだ。
 今日は紅葉の代わりに眞英を誘い、みずはも連れて、カラオケではなく例の「日鶴学園」に行ってきた。だから、メンバーは昨日と少し違う。
 徹、巫琴、紗夜香、由宇、眞英、みずはの六人だ。
 日鶴学園の隣には久隅病院という個人病院があって、提携を交わしている。学園の子供たちは病気がちな子供が多いので、創設者の深森氏は、それを考慮してすぐ隣の敷地に病院を作ることを思いついたらしい。
 「深森のひい祖父さんってすごい人だよねー。養護施設と病院一緒に作っちゃえ、なんて、よっぽど金があって人が良くなけりゃ思いつかないじゃん」
 由宇がポテトフライに手を伸ばしながら言う。
 ああ、と巫琴は何か考えるように呟いて、それからこう答えた。
 「みんなも知っての通りだけど、うちの学園ってちょっと変わった子が多いだろ?なんていうか、その――」
 「超能力者の研究をするために集められた子供達だっけぇ?センパイが言ってた、深森の一族が昔からしてる研究。」
 「まあ、そうだな。そういう子を集めてくると、けっこう多いんだ。……その、病気とか障害を持つ子がさ。ちなみにうちの一族も、けっこう病気や障害を持つ人間は多いんだとさ。オレはひい祖父さんとご隠居さんって人からしか話聞いてないから、なんとも言えないけど……」
 「そういえば片瀬先輩も、小学生の頃は喘息とかでガリガリだったよな。なあ。」
 「そうそう。あたしら仲良しグループでは遊んでたけど、けっこう倒れちゃうことも多くて……その度にお兄さんが迎えに来たっけ。」
 徹と由宇が頷きあって、そこに眞英が口を挟む。
 「へえ。あたし、あんたらと同じ内部生だけど、そん頃のことは知んないなぁ。片瀬センパイってぇ、桐林の内部生でけっこ有名だけどさぁ……あたしたち知り合ったの、アタシが中学入ったときだからぁ。もうそん時は健康優良児、って感じぃ?日焼けして目つき悪くて、でもなんか憎めない人ってゆーか。」
 「たしか、中学で知り合ってすぐだっけ?二人の大喧嘩。」
 「そうだっけぇ?山岸が言うならそうだったのかなぁ。言ったよねぇ?超能力はある、ないで大喧嘩したってー」
 この問いかけは紗夜香とみずは、巫琴にされたものだ。三人は高等部から桐林学院に入学してきた、「外部生」なので、他の三人や片瀬先輩との関わりはほとんど知らない。
 「いんや?」「昨日聞いたような気もするわ」「あたしは知らなーい。」
答えを受けて、また眞英が話し始める。
 「アタシも縞倉人文科学研究所の一人娘でしょ。当時はばりっばりの超能力否定派でさぁ、今もそれはあんまし変わってないんだけど……」
 「確かに変わってねぇ」
 「山岸、うっさい」
 「……。」
 一蹴されて押し黙る。眞英の語りモードに入ったら、しばらくは黙っていたほうが良い。
 徹と眞英は、実を言えば紅葉を仲介しなければ話しも出来ないほどの犬猿の仲なのだ。今でこそ比較的仲良くなった二人だが、中学時代は顔を合わせただけで険悪なムードになったものだ。
 紅葉がいて良かったなぁ、と徹は嘆息した。そして、今ここに彼がいないことが、とても寂しく感じられた。
 「オレもこう見えて、五年くらい前まで病気だったんだ。」
 「え?深森が!?」
 突然の告白に唖然とする。巫琴は日焼けして程よく筋肉も付いていて、身長は高いが体格も悪くない。貧相なイメージはまったくない。
 「もうかなり経ったから、二度と再発しないはずだけどな。紅葉が来るまでは、かなり自分本位な我がまま息子でさ。
父親も祖父さんに勘当されて金なくて、ひい祖父さんの助けを借りてずーっと学園と病院で働き通しの毎日。母親も死んだから、注意する人間もいなかったし。
ひい祖父さんが紅葉を連れて来るまで、オレも姉貴も手のつけようのない悪ガキだった。」
 「へえ……あれ、雪がこっちにきたのっていつ?アタシ、中三の時にはもう学園行ってたけど、雪に会ったことないはずよぉ?」
 「ああ。そりゃ仕方ねえや、って言うかおまえオレにも会ってないよな?覚えてないもんな、お互い。」
 「あ、マジだー。会ったことない。何でぇ?」
 「たぶん、お前が来るときおれ達はほとんど病院のほうにいたんだ。片瀬さんがそうしてたんだろうけど、会わせたくなかったんじゃねえか?」
 「何で会わせたくないの?」
 紗夜香が聞く。巫琴は頭をぽりぽり掻いて、ひと言言った。
 「紅葉と明果が、その時いた子供たちの中で一番発症しやすい能力者だったから」
 「アンタは?」
 「縞倉、オレは紅葉のお目付け役だったんだよ。超能力なんつーもんはねえが、親父に言われて紅葉と明果からなるべく離れないようにしてなきゃいけなかったんだ。
まあ、おれも好きで二人の傍にいたんだけどな。紅葉には剣道教えてもらってたし。」
 でも、と巫琴はポテトを口に放り込みながら続けた。
 「縞倉のところは、超能力否定派の集まりみたいなもんだ。そこにあの二人を放り込んでみろ。ものすごい研究材料だ。どんな実験を受けるか、しかも何を言われるか、想像してみ。」
 「確かに、うちにとっては良い研究材料よねぇ。ウチに来たら精神的に再起不能になりかねないっつーか……。で?それだけじゃないっしょ、ホントのトコ。」
 「まあな。うちの一族……五芒護(ごぼうもり)にとっても、良い研究材料なんだ。何しろ自分たちの持つ変な能力を研究するために作られた一族だ。
 ひい祖母さまやひい祖父さまは、本当に子供たちのことを心配して施設やら病院やら作ったけど、今あそこを管理しているやつらの半分は、オレたちのことモルモット扱いさ。
ご隠居様が乗り込んできて、うちの親父が管理するようにならなけりゃ、あそこは監獄になるところだったよ。一度なんて、俺たち一家は追い出されかねない勢いだった。」
 「じゃあ、アタシが行った時いつもアンタや雪がいなかったのは……」
 「お前の研究所に、研究材料を誰も渡さないためだろ。たぶんだけど」
 巫琴と眞英の話している「能力」や「研究材料」というのは、俗に言う霊能力や超能力のことだ。
 深森家を宗家とし、片瀬、雪深、他にもいくつかの姓を持つ家が彼ら五芒護一族にある。そしてこの一族の長年の研究が、超能力、霊能力に関するものなのだ。
 なぜかと言えば、理由はごく簡単で自然な疑問からだ。彼ら一族の人間のほとんどが、霊能力や超能力を持って生まれてくるから。元々の一族の成り立ちも、そういった人々の集まりから出来上がったものらしい。
 紅葉の仕事も除霊師や霊能者と言った類のもので、今日来られなかったのも、それが入っていたからだった。
 巫琴が漏れ聞いたところによれば、紅葉は親族一同の中でも特にその力が秀でていた。それは隔世遺伝と言う外見の特徴から見ても明らかだったそうだ。
 「紅葉の隔世遺伝した能力を周りが持て余して、ついにひい祖父さまが見かねてこっちに連れて来させたんだ。三年くらい前か、もっと前だったかな?
おれも、今でこそ外見的特長がなんだって思ってるけど、あいつが来たときはずいぶん冷たくしちまったもんだ。自分のことで手一杯だったからな。」
 「外見的特長って、あの瞳の色?」
 みずはが訊ねた。紅葉の瞳の色は、不思議な色をしている。髪の色は真っ黒なのに、瞳だけが灰色味がかった銀をしているのだ。
 「うん、まあ。禁忌の色ってやつらしくてな。もう紅葉から聞いてるだろ?」
 紗夜香と徹が小さく頷いた。全員が、以前に聞いたことがあった。
 彼自身の口から、否定の言葉を。
 銀目は生きていてはいけない。周りの人間が不幸になるだけだ。
 「でも……雪深君は、今ここにいる私たちを、誰も不幸にはしていないわ……。」
 紗夜香が言って、重い沈黙がテーブルに降りてきた。
 時折ストローでジュースを啜る音、ポテトを咀嚼する音だけがしばらく続く。
 誰も、何も言わなかった。
 どのくらいの時間が過ぎたのか、実際には大した時間も経っていないだろう。唐突に誰かの携帯が鳴り出して、沈黙を破った。
 「わっ!?」
 「えっアタシ?」
 「違う、この着信だれの?」
 「徹ちゃんのじゃない?これ、必殺仕置き人。」
 「あ、そうか。俺の雪専用の着メロだ!」
 まさかの着信だった。噂の張本人、紅葉から、徹宛に電話がかかってきたのだ。
 「もっ、もしもす?」
 つい変な出方をしてしまって、電話口の向こうで紅葉が言う。
 『……なに、モシモスって……』
 「あ、いや、間違えた。もしもし、俺です、徹くんです。」
 『折り入って頼みがある。唐突だけど、聞いてくれないか』
 「は?」
 『徹、「旅立ちの歌」って知ってるか?』
 徹は彼が自分を「徹」と呼びつけにしたことに気が付いて、ぴんと来た。普段、彼は徹を「山岸」と呼ぶ。名前を呼びつけにするときは、よほど自分を頼っているときだけだ。
 嬉しさとほんのちょっとの混乱を一緒くたにしながら、電話口に返す。
 「旅立ちの歌?……けっこうたくさんあるぞ、その題名。ヒントはないのかよ」
 『ええと……待って、ちょっと歌ってみる』
 
 紅葉が携帯の向こうで歌いだした。慌てて携帯をフリーハンドに切り替えて、みんなにも聞こえるようにした。

 ―――白い光の中に 山並みは燃えて 遥かな空の果てまでも 君は飛び立つ……

 綺麗なアルトの歌声だった。まだ声変わりをきちんと終えていない彼の声は、携帯を通しても充分美しい旋律を保っていた。
 「あ、『旅立ちの日に』!」
 紗夜香とみずはが指をさしあいながら叫んだ。フリーハンドにしてあるから、二人の声は紅葉にも聞こえたらしい。
 『え?題名違った?』
 すぐに返事が返ってきた。
 「卒業式によく歌うんだよ。俺たち、高校エスカレーターなのになんで歌うんだろって思ってた」
 「桐林もそうだったの?私も中学の卒業式で歌ったわ。」
 くすくす笑いながら紗夜香が言った時、携帯の向こう側でパーンと激しい音がした。
 『わっ、わかった、すぐに済むから。落ち着いて、ね。』
 紅葉の感情の少ない声が、随分切羽詰って聞こえる。何かが向こう側で起きている、と六人は確信した。
 『ごめん、悪いんだけど誰かリコーダー吹ける人いないか。あと、ピアノも弾ける人がいると助かるんだけど』
 「リコーダー?ピアノ?」
 「ピアノならアタシできる!中学まで習ってたぁ!」
 「リコーダーって……『旅立ちの日に』のか?楽譜があればたぶんおれ出来っけど……巫琴ちん達は?」
 「おれ、リコーダー苦手……」
 「ごめんなさい、私も……楽譜なんてさっぱり」
 巫琴と紗夜香がバツの悪そうな顔をしたが、他の女子二人が顔を見合わせて頷いた。
 「ハイっ、みずは、由宇、私たち二人リコーダーできます!」
 『本当!?じゃあ頼む!助けてほしいんだ、今から迎えをよこすから、こっちに来てくれないか!?』
 全員が一瞬沈黙した。「助けて」と、今この人は言ったのか?
 『中学校の音楽室の除霊なんだけど、俺じゃどうにもならないんだ。弥さんにもなんか繋がらないし、徹に繋がってホンマ良かった』
 普段は冷静な声が少しずつ焦りを帯び始める。やや早口になったところで、一度携帯がブチっと途切れた。
 「……ねえ、これって、もしかしなくてもヤバイ?」
 みずはが冷静に問いかけて、全員が頷いた。
 「たぶん……。」
 巫琴が顔色を変えて呟いた。紅葉は関西出身だが、普段は標準語しか使わない。






 きゅるるるる、と激しい音を立てて十人は乗れるキャラバンがレストランの駐車場に入ってきた。
 「キミたち、モミジの呼んだコ達だよネ!?」
 カタコトの日本語で話しかけられてぎょっとしたが、巫琴が即座に言い返した。
 「葵(あおい)か!?そうだ、俺たち皆呼ばれたんだ!早く紅葉んトコ連れてってくれ!」
 どうやら巫琴と運転手は知り合いらしい。紗夜香も知り合いのようで、律儀に彼に挨拶していた。
 「後ろ、バックシートぜんぶ倒してあるかラ!みんな乗っテ!」
 急いで車に乗り込んで、再びキャラバンがぎゅるるるる、と音の割には静かに急発進する。
 「モミジと明果と三人で行ったんだケド、手に負えないんダ!二人は歌は上手いけど伴奏はカラッキシだし……ああ、もう、オソスギこのクルマ!」
 今回は紗夜香のGPS付き携帯電話が役に立った。
 紅葉や巫琴の親戚筋に当たる少女、明果と個人的に交流を持っていた紗夜香が、とっさに紅葉と明果の携帯に連絡し返したのだ。
 紅葉の携帯はもう繋がらなかったが、明果のほうの電話に紅葉が出て、すぐに手はずが整った。GPSで居場所を特定して迎えに行くから、と言って、電話はすぐに切れた。
 「葵、どういうことなんだ?」
 「明果、とりつかレた!」
 「えーっ!?」
 紗夜香と巫琴が驚いて叫んだ。
 葵という青年はまだ随分若く、二十歳かそれを少し過ぎたくらいに見える。髪の色が茶色なのに、瞳の色が緑色だ。
 「なんか、巫琴ちんの知り合いって変わった見た目の人多いよなっ」
 「え?山岸、今なんか言ったか?」
 「なんでもない。」
 葵が運転しながら怒鳴るように言う。
 「道中説明すルからみんなよくきいてネ!今回の除霊なんだけど、場所は中学校の音楽室。
火事があって焼けた旧校舎で、今は立ち入り禁止にナッテル。
夕方に起きた放火事件で、六人の生徒が亡くなッタ。三人は卒業式の実行委員で、放課後遅くまで残っていタ。残りの子達は、伴奏担当でやっぱり遅くまで残ってイタ。」
 「放火!?」
 巫琴が敏感に反応する。
 「それ、明果は!?」
 青年は少しの間、答えあぐねていたようだ。だが、すぐに気を取り直した様子で、言い切った。
 「知ってたらオレだっテ行かせなかっタ。依頼人、とてもインケンなひとたち。明果が放火事件に弱いの知ってル。なのに、わざと言わなかった。書かナかった。だから明果、パニックなって。制御できナクテ、子供たちのヒトリ、とりつかれた。」
 「明果は放火事件の被害者なんだ……!いつも放火事件だけは霊査に行かないのに……」
 「でもコレ、霊査違う。ちゃんとした、モミジに来た依頼。でも、モミジのもらったデータ、放火のコトだけ書いてナカッタ。明果、手が空いたときモミジ手伝うのイツモ。依頼人イチゾクの人間、それ知ってル。とてもインケン。」
 「え?じゃあ、明果ちゃんはもしかして……」
 「えっと、ハメラレタ?うまくだまされた。イチゾクのなかで明果、モミジ、ふたりともジャマモノ扱い。いなくなればいい、思わレてる。」
 ひどい話だ。紅葉のこれまで受けてきた、喜怒哀楽を失うまでの扱いだけじゃなく、明果という少女に対しても、五芳護の一族は排他的な態度を取っているのだ。
 巫琴が唇を噛んで俯いた。シートを全部倒してあるから、徹にもみんなにも、巫琴の顔はよく見える。
 口惜しそうに、ぎゅっと唇を噛みしめて、眉間に皺を寄せている。
 「巫琴ちん……」
 かける言葉が見つからなかった。紅葉と明果を騙して窮地に追い込んでいるのは、他でもない、巫琴の親族なのだ。
 巫琴がふいに自分の携帯を取り出した。ぴぴっと電子音がして、彼がどこかに短縮で電話をかけているのがわかる。
 「深森、何してんの……?」
 由宇の問いかけにも答えず、巫琴は電話の相手が出るのを待っていた。表情は険しく、電話の相手が出たら怒鳴りつけそうな雰囲気だ。
 「……あ、巫琴です。ご隠居様はいらっしゃいますか?」
 さいわい、怒鳴りつけるようなことはなかった。押し殺した声で巫琴は通話している。
 車内はとても静かで、キャラバンの走行音しかない。
 運転席で葵も耳を傾けているのがわかった。徹は葵と巫琴の二人の顔を見て、あ、きっと「一族」の誰かに電話しているんだ、と悟った。
 「今日の紅葉の仕事なんですけど。どこから来たのか、教えてもらえませんか?……ええ、紅葉から連絡が来ました。今、あなたのお孫さんが憑依されて大変なことになっているみたいですよ。」
 『なんだと!?』
 向こうから女性の怒声が聞こえた。
 巫琴の向かいに座っていた徹は、驚いて思わず飛び上がる。
 『あいつら何の情報も出さないで、よりにもよってあの二人を行かせたのかい!?巫琴、お前なにもするんじゃないよ!こっちでカタをつけてやるからね!お前が動くとお前の親父に火の粉が飛ぶんだ。いいね、絶対に怒っても動くんじゃないよ!』
 静かな車内に女性の怒声が響く。ご隠居様という人は、巫琴に負けないくらい怒り狂った様子で向こうから電話を切った。
 ふん、と小さく巫琴が鼻を鳴らす。「胸くそ悪ぃ。」吐き出すように言って、また黙った。
 「ご隠居サマ、まさかミコトのおじいさんチに乗り込むつもりじゃないよネ……?」
 葵が運転しながら聞いたが、「乗り込むならオレも連れて行って欲しいくらいだな。一遍会ってみてえもんだ。親父を追い出して学園をめちゃくちゃにした、おれの祖父さんとやらにさ。」という巫琴の言葉に、顔色を変えた。
 「ミコト、おねがいだからコワいことしないでネ……。ひいおじいさんやさしい人、でもおじいさんはコワい人。ミコトが孫でも容赦しない、きっと。」
 「容赦なんていらねーよ。逆にのしてやる。」
 「ミコト、コワいよ。」
 「明果と紅葉に手を出したらどうなるか、おれが教えてやる。血を分けてもじいさんはおれの敵だ。葵、おまえにとってもそうだ。うちの学園のみんなにとっても、ひい祖父さんにとっても。違うか?」
 「学園のコたちに手を出したらオレだってユルサナイよ。そのときはてつだうけど、明果とモミジはなんとかするコ。いまは手出さない、一番イイ方法。
 それに、ご隠居サマきっとなんとかしてくれる。ご隠居サマ、おじいさん違ってイイ人だヨ。自分の孫の明果も、モミジのことも守ル。そのために、きっとなにかしてくれル。」
 徹は背筋がぞくぞくするのを感じた。正面にいる巫琴は本気で怒っている。普段が温厚なだけに、なおさら見慣れない表情は怖い。
 だが、それ以上に心配だった。葵の言うように、彼は怒ると何をするかわからないからだ。
 巫琴の隣で心配そうに携帯電話を握り締めている紗夜香も、徹とおなじように彼を心配しているようだった。眉をひそめているのがばれないように、俯いて、じっと携帯電話の画面を見ている。時間を気にしているのだ。
 「あの……」
 みずはがおそるおそる声をあげた。
 「深森のおじいちゃんとひいおじいちゃんって、もしかしなくても仲悪い……?」
 おーい、そんな変なこと今聞かないでくれよ!頼むよみずはちゃん!
 徹の心中の叫びも空しく、みずはは核心に突っ込んでしまった。巫琴の目が真剣に怖い。
 だが、それで怒り出すような彼ではなかった。むしろ、みずはの問いで少し頭が冷えたのか、表情を改めて「ああ」と頷く。
 「ひい祖父さまと祖父さんは犬猿の仲なんだ。……さっき言ったろ?日鶴学園は監獄になるとこだった、って。それはオレの祖父さんの計画だよ。
ひい祖父さま、いまオレが電話かけたご隠居様、オレの親父……、この三人は祖父さんの計画を認めない。オレ達を守ってくれようとする数少ない大人さ。」
 最後のほうは、疲れたような溜息で締めくくられた。
 今しがた巫琴の言った、「一遍会ってみたい」の言葉が実現しないことを、徹は切に願った。会ったが最後、巫琴は自分の祖父を手に掛けかねない。恐ろしい。
 「でも、巫琴君が電話した相手がご隠居様で良かったわ。私、もし片瀬先輩とかに電話してたら、無理やり電話切っちゃうつもりだったもの。」
 紗夜香がとんでもないことを言って、巫琴と本人以外の全員がぎょっとする。巫琴は想定していたのか、やっぱりな、と呟いた。
 「けど、弥(あまね)さんに電話したってどうにもなんねーよ。紅葉も電話したけど出なかったって言ってたろ。それに、片瀬兄弟の一番上の兄貴はこっち側についてる。喧嘩売る必要はねえ。」
 「でも、巫琴君は片瀬先輩のご兄弟が全員嫌いだわ。片瀬の家が、巫琴君のお祖父様の味方だから。
弥先輩のことも疑っているでしょう?いつも敵を見るような目でいるもの。」
 あわや巫琴と紗夜香というありえない二人での喧嘩になりそうな様相で、車内は緊迫した空気に包まれた。
 キャラバンの走行音は速度の割りに本当に静かで、揺れも少なく、葵の運転の腕前の良さがかえって緊迫感に拍車をかけていた。
 「……弥さんに悪意はねえよ。紗夜香に言われなくたって、そんなことオレも知ってるさ。でも、どっちにしろ片瀬の血の人間が一番じいさんに肩入れしてるんだ。……許せないんだ。理性は納得していても、本能が許さない。」
 二人がいつのまにか、名前で呼び合っていることに気が付いた。
 車内にいるほとんどの人間が、学校では苗字で呼び合う仲だが、日鶴学園や、先の紅葉のような切羽詰った状態になると、下の名前で呼び合うように自然となる。
 それだけの興奮状態にあるのだと、徹は気付かざるを得なかった。先の電話の向こうで聞こえた、何かの割れるような音。そして、焦ったような紅葉の言葉や声。
 心配が頂点に達したとき、巫琴が隣で呟いた。
 「……だいたいアイツ、なんだってオレじゃなくて徹に電話するんだよ。やっぱり、一族の人間が嫌いなんじゃねえか……。」
 それについては、さすがの紗夜香も返す言葉を失った。
 誰もが思っていて口には出さなかった。いや、出せなかったのだ。
 とっさに電話をかけたのなら、何故。
 巫琴も自分たちと一緒にいたのに、何故、電話がかかってきたのが何の役にも立たないはずの徹だったのか。
 徹にも不可解ではあったのだ。ただ、それを口にしなかっただけで。
 「き、きっと携帯の着歴とかでかけなおしたんだよ!それか短縮とかで……」
 「短縮二番」
 「え?」
 由宇の必死のフォローに巫琴が声を被せる。何のことか分からず、全員が聞き返した。
 「短縮二番に設定させてある。アイツの携帯は、0が明果で1がトシキ兄って人だ。オレは二番だ。」
 もう誰もがフォローできなかった。巫琴はショックを受けているのだ。紅葉が徹を頼り、自分を頼らなかったことに。
 それに、自分の実の祖父が、何より大切な家族だと思っている二人を嵌めたことに。
 「……モウ、着くヨ。」
 葵が言った。
 ファミレスを出て、三十分近い時間が経過していた。









 焼けたと聞いていたが、意外に校舎は綺麗だった。
 確かに向こうの端に見える角の突出した部分が崩れているようだが、夜のうえに、街灯のかなり少ない場所で、車を降りた場所からはよく見えない。
 「あのカドのトコロ、れいの事件あった旧校舎の音楽室だヨ。一階。崩れてるの、わかル?で、こっちかわの校舎、今つかってるほうの校舎。」
 葵に言われて皆うなずく。
 暗くて危ないからちゃんとついてきてネ、と注意を受けてから、六人は葵に連れられて歩き始めた。
 車を駐車したところから、裏門を通って校内に入る。作られたばかりなのか、新しい建物特有の匂いがした。
 まっすぐ歩いていくと、薄暗い中に「ここから先旧校舎 立ち入り禁止」の看板とロープが、廊下の隅に避けてあった。そして、そのすぐ向こうから、今までの様子とはがらりと変わって古びた校舎に続いていた。
 「せんぱい!せんぱいを呼んでよ!出来るんでしょ!?あんた霊能者なんでしょ!?」
 突然響き渡った女の声に、全員が声もなく飛び上がる。
 「めっ、明果!?」
 「明果さん……!!」
 「シッ、ミコト、サヤちゃん、だめ!明果、まだ憑かれてル!」
 通路の正面は突き当たりになって、右に曲がれる角になっている。さっき見えた、崩れた校舎部分だ。
 角を曲がると、ぼんやりとした灯りが仄かに見える。「アレ、旧音楽室。板で窓ふさいであるかラ、ろうそく使ったら火に霊たちが反応しちゃって……すぐ懐中電灯とクルマにあった小型の発電機持って来たんだけどネ。」
 小声で葵が説明する。それを聞きながら、音楽室への道を一歩一歩、音を立てないように慎重に進んだ。
 「新しい音楽室に行こう。そこで、君たちの先輩の卒業式をやるんだ。」
 紅葉の落ち着いた声が聞こえた。なんだかほっとして、徹は隣を歩くみずはの顔を見た。みずはも同様だったらしく、安堵の表情を浮かべている。
 「俺の仲間が今、こっちに向かってる。きっと俺よりも君たちの役に立ってくれると思うよ。俺は卒業式っていうのを経験したことがないんだ。だから、君たちの先輩は呼び出せるけど、そこまでしかできない。望みを叶えることが出来ないんだ。」
 紅葉の言葉の区切り目を見つけて、葵がドアをノックした。
 「モミジ、呼んできたヨ。はいります、いいネ?」
 言って、返事がある前にドアを開ける。まず目に飛び込んできたのは、椅子に拘束されたように見えるポニーテールの少女だった。
 「か、監禁?」
 由宇が変な声を出す。「ちょ、変な誤解せんといて。塩で周り固めてあるだけやん」
 慌てた紅葉が即座に関西弁で返して、「あ、悪り。」と由宇は謝った。
 たしかに椅子の周りに塩で円が描いてあるし、よく見れば少女の両手両足はまったく自由のままだ。
 彼女はぞろぞろと入ってきた六人を睨みつけて怒鳴った。
 「あんたたち誰よ!こいつ、霊能者っていうわりには全然役に立たないんだけど!」
 紅葉が頭を抱えたのもわかるような気がする。徹は唖然として、ポニーテールの少女を凝視した。
 白い紅葉によく似た面差しだが、表情の豊かな面。長い睫毛に意思の強そうな眉、燃えるような瞳。彼女の顔は徹も知っているものだ。だが、性格がまったく違う。
 何より彼女自身が、顔見知りのはずの徹や紗夜香、由宇や眞枝を認識していない時点で、本当に取り憑かれているのだと思い知らされる。
 白い袴を着た紅葉は、彼女が憑依されてよほど困り果てたのだろう。きっと、混乱して徹に電話してきたのに違いない。
 「……ま、たしかに役立たずやね、今回は……。」
 ふー、と大きく息をついて、紅葉は袖で額を拭う。袖の後ろ側、肩口の部分がぱっくりと割れて血が滲んでいるのに気がついたのは、そのときだった。
 「ちょ、雪、あんたそれは!?」
 由宇に言われて、紅葉が不思議そうな顔をする。
 「肩!血ぃ出てるじゃん!」
 「……あ、いつのまに……」
 「紅葉、あなた気付かなかったの……?」
 紗夜香に突っ込まれ、紅葉は言葉もなくぽりぽりと頭を掻く。本気で気付いていなかったようだ。
 「……最初に徹に電話してよかったわ。徹の後に巫琴と紗夜香呼ぶつもりやったんけど、全員まだ揃ってたんだな。ほっとした」
 「は?」
 「あのな、巫琴と紗夜香にはちょっとやってほしいことあるんだ。みんなはとりあえず、この学校の新音楽室に行ってもらって……」
 とっさに徹は巫琴を見上げた。二重の大きな目が、驚きで余計にぱっちり見開かれている。
 「ん……巫琴、どしたん?」
 「……いや……なんでも……。」
 まさか、勘違いでショック受けましたなんて言えるわけがない。誰もがそう思ったとき、再び『彼女』が大声を張り上げた。
 「とにかくせんぱいに会わせてよ!これじゃあたし達、死んだって死に切れないわよ!!」
 「だからもう死んでるんやて言うとるやん。証拠にあんた今俺の相棒ん中にいるんやで。」
 紅葉の関西弁での切り返しは、無表情で感情もこもっていないが、とにかく素早い。まるでコントのボケツッコミを見ているような気分になる。
 「っ、あーっ!!あんたもうむかつくのよ!その無表情、その感情のなさ、なんなのよ一体!?大体あんた外人でしょーが、日本人のふりして霊能者気取ってんじゃないわよこんにゃろう!」
 「……なーんも聞こえへん。聞こえへーん。」
 紅葉が耳に指を突っ込んで言ったので、彼女は尚更激しく紅葉を罵り始めた。聞いていると頭が痛くなりそうな金切り声だ。
 「こんっの……エセ霊能者!あたし達は死んでないわよ!先輩たちを送る大事な役があるんだからぁ!この変な道具はずしなさいよバカ!あほ!死ねとんちんかん!ってゆーか早くミコト先輩と京本先輩を呼んでって言ってるでしょおおお!!」
 「きーこーえーなーいー」
 ……まるで子供の喧嘩だ。
 しかし、紅葉が。
 あの、普段は落ち着き払って大人も一目置いている、怪獣のような子供たちも大人しく懐くような紅葉が。
 この「彼女」に対してだけは、まるで子供のような態度を取っている。
 ……場合が場合でなければ、全員大笑いしているところだ。
 「……明果さんが憑かれてるっていうの、アタシ、信じるわ……。」
 超能力否定派の眞英でさえ思わず呟いてしまうほど、二人のやりとりは子供じみていた。
 「まー中学二年生ってことだし、子供でもしかたない。俺は疲れた。みんな、遅いトコ悪いけど、手伝ってくれ。頼むわ、もう……。」
 本気で疲れているようだ。仕事中は素顔を晒しているので、無表情を通り越してうんざりしているのがありありとうかがえた。
 「えっと、じゃあ新音楽室の準備してくればいいんだな?」
 「あ、あとこれ、楽譜……ちょっと焼けてるけど」
 渡された楽譜はわら半紙に印刷されたもので、上の部分がほんの少し焼けていた。「旅立ちの日に」の「日に」が読めなくなっている。
 なるほど、これで紅葉は「旅立ちの歌」だと勘違いしたのだ。徹は納得して楽譜を受け取った。
 「私と巫琴君にやってほしいことっていうのは?」
 紗夜香に聞かれて、不意に紅葉が嫌そうな顔をした。めずらしくはっきりとわかる表情だったので、目にした全員が一瞬固まる。
 「……あ、の……変なこと聞いたかしら、私……」
 紗夜香が引き攣った顔で問い返す。
 だが、紅葉はすぐに無表情に戻って、「や、そういうわけじゃない」と彼女の言葉を否定した。
 「ミコト先輩と京本先輩の卒業式やってくれるんでしょ!?準備するならさっさとしてよね!」
 怒鳴り声に溜息をついて、「気がつかん?名前のこと」と全員に問いかける。
 「あ」
 まず、眞枝と由宇が気付いた。徹もすぐに気がついて、巫琴と紗夜香の顔を見る。
 二人は心底不思議そうな顔をしていた。
 無理もない、自分たちを知らないはずの幽霊が、何故か自分たちの名前を叫んでいるのだから。
 「卒業させてあげたいのよ!先輩たち死んじゃったけど、あたし達が卒業式に出してあげるんだ!六人でそう誓ったんだ!」
 「……こーいうコト。みんな、理解してくれたかな」
 紅葉がかなり投げやりな調子で言う。が、ろくな説明もなく理解など出来るはずがない。
 「うーん、まったくわかんないんですけど……」
 由宇が言い、「モミジ、実はオレもずっとわからナイんだケド……なんでサヤちゃんとミコトの名前、この子知ってルのかナ?」
 葵までもが怪訝な顔で問う。
 「……俺が言葉足らずなんかな、やっぱ……。あのな、この子らの先輩に、京本君っていう男子生徒と美琴さんてゆう女子生徒が居たの。その二人は付き合ってて、卒業式までもう少しのところで死んでしまった。」
 「あ、こっちとは男女逆になるわけ?」
 「そう。みずはの言うとおり、俺らのグループとは男女逆。けど、それで思いついたのが、紗夜香に美琴さんの霊を降ろして、巫琴に京本君の霊を降ろすて方法。で、山岸には卒業証書を読み上げてもらって、二人の卒業式をやろうと思って。」
 そうしないと、六人……特に明果にはいってる子、納得せんし。そう言って、紅葉は二本の黒い筒を持ち上げた。
 「徹、こん中に証書が入ってる。頼むわ。」
 「あ、ああ……。」
 「これから成仏している二人の霊を呼び出すから、ちょっと時間かかる。その間に、ピアノとリコーダー、それに証書の読み上げの練習を。あと、巫琴と紗夜香は歌の歌詞。さっき俺がケータイで歌ったやつ、新音楽室にもあるか探してくれんか。楽譜あるけど、下の歌詞の部分読めんようになってて。」
 てきぱきと指示を出す紅葉の顔は、いつもと変わらぬ無表情のままだ。しかし、わずかな苛立ちが伝わってくる。
 なんか怖いなあ、巫琴ちんと言い紅葉と言い紗夜香と言い……今日無事に帰れるのか?
 思ったが、口に出すと余計に怖いことになりそうなので、黙っておく。
 後からの説明が多い紅葉が、今日に限って律儀に説明してくれるのも、何か妙な感覚だった。
 彼はいつももっと無口で、無謀で、計画を話さないまま皆を動かしてすべてを終わらせる。最後に問い詰められて、言葉選びに困りながら必死になって説明しようとするのが定例のはずなのに。
 「……明果さんのこと、心配だよな」
 つい、当然のことを口にしてしまった。あわてて口を押さえようとして、紅葉の微妙な表情の変化に気付く。
 「そうでもない、かな……」
 ああ忘れてた、と言うような顔で彼は言う。おい、それじゃ今日のこの妙な雰囲気はなんだ?と聞きたくなった。
 「明果に入っちゃった子のほうが心配だ。長く入りっぱなしだと、明果の心に巻き込まれる」
 「え?」
 「とにかく、これ頼んだから。俺は二人を呼び出したら、明果と他の子供たちを連れてそっちに行く。よろしく。」
 背中を押されて、徹は旧音楽室を追い出された。それについて他の人間も全員出る。
 角を曲がり、やや遠ざかったところで、いまだ話しに付いていけていない眞英がぼそっと言った。
 「なんっか、今日の雪変じゃなぁい……?」
 「あ、あたしもそれ思ってた。みずはも思ったよね?」
 「うん。だって、雪君っていつもあんなに喋んないじゃん。今日に限ってぺらぺらぺらぺら……関西人みたい。」
 「いやあいつ元から関西出身だし。ていうか、それだけ焦ってんだろ。明果の中に入りっぱなしじゃ、あの女の子の魂、焼かれちまうもん。」
 「え?ナニソレどういう意味ぃ?」
 「明果ちゃんは火を使う超能力者なの。みんなが信じてくれるかどうかはわかんないけど」
 「……火を使うから、どうだってのぉ?」
 眞枝の声は猜疑心の塊のようだった。想定内なのかそれを気にも留めず、紗夜香は続ける。
 「彼女の能力は三通りあるの。まず、一つ目が普通の火。皆も使ってるガスとかライターとか、ああいう炎のことね。
二つ目が、癒しの火。炎を傷口に当てると、その傷が治るのが早くなるの。
そして、三番目が……」
 「浄化の炎だ。明果の中にある、一番大きなチカラで、一番手に負えないやつだ。相手の魂を焼き尽くすまで燃え続ける。だから、あいつは霊媒体質だけど長時間の霊媒には使えない。浄霊するまえに魂まで焼ききっちまうからな。」
 「もちろん、そのタイミングを計ってうまく浄霊してみせるのがモミジなんだヨ。でも、相手見てたら気分ナエたね。」
 たしかに気分が萎える。自分が死んだことにも気付かないで、喚きたてる子供。しかし、一体なんだってこんなことになったのだろう。
 「明果がレーノーリョクもうちょっと制御できてレば、問題なかったと思うヨ。でも、明果ってば自分の本業のほうメインにしてシュギョー怠ってルかラね。いけないコ。」
 葵が両手を広げてふっと息をつく。片頬をあげたその笑い顔があまりに奇妙だったので、つい噴出してしまった。
 「トール君、ヒドイ。オレの顔見てわらった。」
 「だ、だって葵さん、変な顔すっから……」
 電気を付けて二階に上がり、今度は逆のほうの奥に向かう。夜の校内に七人分の足音が、不気味な反響を呼んだ。
 徹はオカルト好きで、今まで散々廃墟探検だの、いわくつきの場所訪ね歩きなどをしているが、本物の幽霊であんなに変なものには会ったことがない。死んだことに気が付かず、それ以上に自分の先輩たちのことを想っている幽霊なんて。
 「しっかし、卒業式ねえ。紅葉にゃかなりの難関だな。」
 「経験ないって本当なの?」
 「ああ。紅葉は小学校卒業の前にはこっち来てたし、しかもちょうどその時期に事故ったんだよ。小学校に行けてても卒業式には出られなかっただろうなあ。中学は中学校卒業資格ってのがあって、それを取ってる。」
 「へぇ、そーなんだ。じゃ、アイツがガッコ行ってなくても今までうちのガッコであたしより上の順位取り続けてるのは、その辺に理由がありそうねぇ?」
 にやり、と眞英が笑った。
 眞英は高等部入学以来、ずっと学年二位を取り続けている。中等部で紅葉がまだいなかった頃は、常に学年トップをひた走っていた。そんな彼女の笑みだからこそ、どことなく意味深な笑みに見える。
 巫琴は何を考えているのか、眞英の顔も見ずに言った。
 「理由なんてねーよ。医者を目指してたあいつの兄貴分が勉強教えてたんだ。だからあいつの頭ん中にゃ、大学までの勉強はあらかた入ってるし、好奇心旺盛だから外国語の勉強なんて外人に会わせりゃ勝手にするし……」
 「そういえば、明果ちゃんもそんなこと言ってたわね。最初は自分が教えてたのに、今は教えられる側になっちゃった、って。イタリアとか中国にも知り合いがいるんでしょ?だから、三ヶ国か四ヶ国語くらいはいけるわよって自慢してた。」
 「オレ、明果とモミジ出会ったのイタリア。ギリのおとーさんイタリア人、ギリのおかーさん日本人でイチゾクの人。ミコトの味方。明果とモミジの味方。だから会えたヨ。」
 そんなことを話しているうちに、新音楽室に到着した。葵が大きなドアを開けて電気を付ける。
 グランドピアノが目の前にあった。行儀良く並んだ白い長机、パイプ椅子。そして、ピアノの横には大きなホワイトボードが置いてある。
 ホワイトボードを巫琴が動かすと、どの学校にもあるような、教壇と教卓、黒板があった。黒板には音符を書きいれるための線が引いてあり、ここが音楽室であることを再認識する。
 「リコーダーはどこにあるんだ?」
 「楽譜も探さないと。紅葉ってば、きっとあの歌知らないわよ。」
 紗夜香が言ったのを聞いて、不思議に思った。
 「え、ケータイじゃ普通に歌ってたぜ?」
 「徹ちゃん、もちょっと想像力働かせてよ。雪君なら幽霊が歌ってたのを真似して歌えると想わない?」
 「あ、なーる。」
 みずはに言われるまでまったく考えていなかった。そうだ、紅葉は幽霊と言葉を交わすことも出来るし、触れる事だって不可能ではないのだ。
 「ねーねー、リコーダー準備室にあったヨ!ワスレモノみたいだけど、くろっぽいのと茶色いの。」
 ソプラノリコーダーとアルトリコーダーだ。
 由宇が受け取り、ふと何かに気付いてリコーダーを回した。
 「これ、名前が書いてある。……海野亮。島倉……優香」
 「……なんだなんだ、こっちでも名前一致か?」
 巫琴が奇矯な声を出した。奇妙な符号ではある。
 「さすがに深森って名前はでてこねーよな。もうみことって人がいるみたいだし。」
 憮然とした顔で言って、巫琴は再び楽譜探しに戻った。紗夜香は黙って話しを聞きながらも、手を休めないでずっと探し続けている。
 とりあえずは見つかった二本のリコーダーを借りて、由宇とみずはが音を合わせ始めた。それに次いで眞英もピアノの音出しを始め、十分後にはささやかながら立派な音楽隊が出来上がっていた。
 大変だったのは徹だ。卒業証書を筒から出し、丸まってしまっているのに苦戦しつつ、受け渡しのための音読練習をしている。これが意外に難しくて、どうしても名前を呼ぶ際につっかえてしまうのだ。
 「京本信悟、深田美琴……」
 慣れた名前が入れ替わっているせいもあるかもしれないが、堅苦しい文章を読むのがとにかく苦手なのだ。証書読み上げなんて難しいものを徹に任せるなんて、紅葉は本当に何を考えているんだろう。
 だが、その謎は練習しているうちに自然と解けた。
 校長先生の名前だ。山岸享という、徹と漢字違いの同姓同名の人が、当時の校長だったのだ。
 「こんなところでも一致してたのか……」
 徹がこの一致に気付いたとき、眞英と紗夜香の間ではこんな会話が交わされていた。
 「ピアノの子がね、アレンジしてほしいところがあるんですって。」
 「アレンジィ?いーけど、どぉすんの?」
 「うーんと、今紅葉がこっちに向かってるらしいから、そうしたら一回私の体に入ってもらって、見せてもらいましょ。」
 「……なんか、信じたくないけど信じるしかないってカンジぃ?もーあたし今日は夢だと思ってやるわ。科学研究所の娘がこんなトコでこんなことやってるって知れたら世間じゃいい笑いモンよ!」
 「島倉冴香さんっていうらしいわよ。リコーダー担当の優香さんと双子なんですって。」
 「……マジでぇ?つーか、ここでも名前一致してるってどーゆーワケぇ?」
 「さあ、私にはなんとも……。でも、もう先輩たちが着いたから、ピアノの自分が先に来たんですって。他の子たち……明果ちゃんに入ってる子含め、全員そろそろ着くって言ってるわよ。
 ……眞英ちゃん、私は嘘は言っていないわ。お願いだからその目、やめてくれる?」
 疑り深く紗夜香を見つめていた眞英は、一旦ピアノに向き直って鍵盤をぽーんと叩くと、大きな溜息をついた。
 「……そーね。ゴメン、アタシってばさぁ、ほら、やっぱ否定派の人間だから、どーしてもついていけなくってさぁ。本気で紗夜香のことを疑おうなんて今さら思っちゃないけど、ついついそーいう反応しちゃうんだよねぇ。」
 ふふ、と紗夜香が笑った。
 「わかってるわ。私こそごめんね、眞英ちゃんがそういうの信じないって知っているのに、こういうこと言ってるんだもの。」
 「さ、紗夜香は悪くないよぉ!マジで!謝んないでよぉ!」
 大慌てで眞英が手を振る。紗夜香は微笑みながら、言葉を続けた。
 「いいの。そういうところで眞英ちゃんは育ったんですもの。それに、本当は私も慣れているはずなのにね。」
 慣れている――否定されていることに。言外の意味を汲み取って、聞き耳を立てていた皆は考え込んだ。
 紗夜香はこの中で、紅葉の次に霊感の強い人物だ。否定と畏怖の目の中を生きてきた、メンバーの中で唯一の一族ではない霊能力者である。
ふつうの霊感少女、と言ったほうが適切かもしれない。
 巫琴は本人も前に言っていたはずだが、霊感は強くない。霊と話すこともできないし、触れることもできない。だから、そんな否定や畏怖とは無縁の生活を送ってきた。
 そういうことを考えると、紅葉も紗夜香も、随分辛い生活を送ってきたのだ。『慣れている』の言葉が、なおさらその人生の重みを感じさせた。
 「口惜しかったんだわ……。美琴先輩は病気で亡くなって、後を追うみたいに京本先輩が事故に遭って。二人とも、とても良いカップルで……特別推薦で同じ学校に進学も決まっていたのに、二人揃って死んでしまったから、せめて卒業だけでもさせてあげたい。特に、明子とゆきは先輩たちのこと好きだったから、見送って行きたいんですって。」
 「メイコ?ユキ?」
 「明子ちゃんって子、たぶん明果ちゃんに入ってる子ね。実行委員会の会長で、自分は演奏できないからそのかわりに、って卒業式の一切を取り仕切っていたそうよ。ユキって子も実行委員の一人の男の子で、すごく歌が上手だったんですって。紅葉に歌を教えたのはユキ君らしいわ。でも、何故かアルトの女声を教えていたんですって。なぜかしらね?」
 淡々と紗夜香は話す。その間も音楽の教科書の索引を目で追っている。
 「あ、あったわ。旅立ちの日に。」
 見つけたその一秒後に、新音楽室のドアが開いた。
 白袴姿の紅葉が、明果――否、体は明果だが、中にいるのはメイコという少女だ――の手を引いて、中に入ってきた。
 きっ、と紅葉を睨みつけ、それから新音楽室にいる面々に目を走らせる。敵意満々と言ったところか。
 「……で、先輩たちは誰に入れるの、エセレーノーシャ。」
 紅葉がエセ霊能者でないことは、明果でなくてもここにいる人間は全員が知っている。だが、明果の中にいる少女、メイコはいまだ彼を信じていないらしい。
 「実は色々な符号があって、今日みんなに集まってもらったんだ。……紗夜香、巫琴、頼む。」
 「美琴先輩?」
 「違うよ。そこにいる背の高いの、俺の親戚で巫琴って言うんだ。漢字違いの同名ってやつだ。そして、こっちにいるおかっぱ頭の可愛い子が京本紗夜香。な、名前が一致してるだろ?」
 紗夜香の顔が一瞬かぁっと赤くなった。誉められることに本当に慣れてないんだなぁ、とみんな揃って思う。
 「……じゃ、じゃあ、その二人に先輩たちを降ろして、本気で卒業式をやるつもりなの?」
 「うん、もちろん。それが君たち六人の願いなんだろう。成仏していた二人も、卒業できなかったのは心残りだったみたいだし。俺たちが手伝うから、やろう。な。」
 明果の大きな瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれだした。涙を拭おうともしないで、彼女は何度もうなづいた。
 「紅葉、その前に冴香さんを私に一回入れて。先輩たちのためにアレンジした曲を、一回弾いて見せるから。」
 「了解。」
 紅葉が目を瞑った紗夜香の前に立つ。すぅっと白い指先が紗夜香の額で小さな円を描き、額の真ん中をとん、と軽く押す。その途端、紗夜香の目がかっと見開かれた。
 「おねえさん、少ししかできないからよろしくお願いします!!」
 いつもの紗夜香の口調ではない、滑舌よくきっぱりとした話し方。そして、やや紗夜香よりも低めの声。そして、彼女はピアノの椅子にがたんと腰を下ろした。
 眞英は驚いたようだが、すぐに気を入れなおして彼女の背後に立った。指の動きを一回で覚えなければならないのだ。
 ピアノを弾けないはずの紗夜香の指が、滑らかに鍵盤を滑り出す。それは、音符すら読めない紗夜香には、とてもではないができる芸当ではなかった。
 ごくりと眞英は唾を飲み込んだ。この子、ピアノ超うまい……!彼女の体が紗夜香であることを忘れて、眞英はその指裁きに見入った。
 「徹、できそうか?」
 話しかけられて、徹は飛び上がる。紗夜香の指裁きに驚いて、まさか次が自分に割り振られるとは思っていなかったのだ。
 練習は何度もした。間違うことが許されない重要な場面であることも、よく心得ているつもりだ。
 できるか?本当に、こんな大切なことをおれがしていいのか?
 自問自答をしばらく繰り返した後、彼はじっと待っていた紅葉に向き直った。
 「……やってみせる。おれは、校長先生の代わりに呼ばれたんだろ?なら、校長先生の分、しっかりやってみせるぜ。」
 「……ありがとう。それでこそ、徹だ」
 にこりと紅葉が微笑んだ。声のない、表情だけの笑み。自分ただ一人に向けられたのは、知り合って初めてかもしれない。
 ピアノ、リコーダーの音が揃い、眞英がついにピアノの前に座った。
 「最後の練習だから、冴香ちゃん、見てて。」
 「はい!」
 ぽん、と先の練習よりも強めに鍵盤が弾かれる。そして、眞英の手による演奏とリコーダーの音あわせが始まった。
 「あのリコーダー、まだ取ってあったんだ……」
 懐かしそうにメイコが言ったので、徹は彼女の顔を見た。彼女の視線は、由宇とみずはの演奏しているリコーダーにあった。
 「優香と亮……二人も演奏担当だったの。先輩たちも音楽部だったから、卒業式のときに写真持ってって、みんなで送る曲を決めたんだ。旅立ちの日に……良い曲でしょ?」
 「そうだな。オレも中学出るときに歌ったけど、この曲は好きだった。」
 メイコと巫琴が会話していると、その横で紅葉が小さな声で歌いだした。――かぎりなくあおい空にこころ震わせ……
 女声ソプラノ、女声アルト、男声の三部合唱。そうか、と徹は初めて納得したものがあった。何故、ここに自分たちを呼んだのか。
 名前の一致だけが理由ではない。九人の人数が、どうしても必要だったのだ。
 火事で焼け死んだ六人の中学二年生、卒業間近に病死した少女、事故死した少年、そして卒業式に最も必要な、証書を読み上げ送り出す立場の、校長先生。
 彼は、本気で卒業式を行うつもりなのだ。もとよりその気で、徹に、そして仲間たちに連絡をしてきたのだ。
 「それじゃあ、みんな。始めようか。」
 そして、深夜の卒業式が始まった。








 校長の山岸享先生は、学校中の人気者だった。しかし、この中学――公立崎谷中学校が、彼の最後の職場となった。彼は十年前、八人もの生徒を一度に亡くし、失意のうちに教職を去った。

 亡くなった生徒は以下の通り。
 深田美琴、三年女子。病死。十二月十五日。
 京本信悟、三年男子。交通事故死。一月十五日。

 青井明子、二年女子。卒業式実行委員会会長。以下六名、放火による焼死。
 島倉冴香、二年女子。ピアノ伴奏担当。
 島倉優香、冴香の双子の妹。ソプラノリコーダー担当。
 海野 亮、二年男子。アルトリコーダー担当。
 山野由貴、二年男子。卒業式実行委員会副会長。
 柳 史郎、二年男子。卒業式実行委員会書記。六名共に、二月二十九日。

 亡くなった八名は、全員が音楽部の子らだった。山岸校長は音楽が好きで、自らピアノの伴奏をしたり、子供たちに混じって合唱をしたこともあったと言う。
 「死んだ先輩たちも分も、私たちが卒業式を盛り上げます!」
 明子の言葉が校長にとってどれほど嬉しかったか、想像できるだろうか。
 そして、夕暮れも過ぎた、ひと気のなくなった学校で、彼らがどれほど頑張っていたか、放火犯には想像ができただろうか。
 捕まった犯人に、山岸享校長は言った。
 『君を裁けるのは、死んだ子供たちだけだろう。』
 そして今。
 子供たちは解放される。
 亡くなった先輩のために用意した特別の舞台。
 ようやく、準備が整ったのだ。

 時間は夜で、蛍光灯をつけても薄暗さの拭えない音楽室だけれども。
 明子が、由貴が、他の六人が、どれほどこの日を待ち望んでいたか。
 みんなにはわかったような気がした。
 巫琴に憑依させた京本信悟と、紗夜香に憑依させた深田美琴の二人に、明果に憑いたままの明子はもちろんのこと、他の五人も喜んで抱き合っていたから。
 『メイコ、史郎。みんな……わたしたちのせいで動けなかったのね。ごめんね。ごめんね……』
 『ばかだなぁ、おまえらは。おれたちはさっさと成仏してたんだから、追ってくれば良かったのに。』
 何もない、誰もいないところに向かって憑依された二人は話しかけている。明果だけが、たまに頭を撫でられたり、あふれ出る涙をふき取ってもらったり、そんなことをされていた。
 「さあ、時間がない。皆、用意はいい?」
 紅葉が言って、眞英はピアノの椅子に座りなおした。みずはと由宇はリコーダーを構え、葵がマイクの音の入っていないマイクを持って、宣言した。
 「それではこれより、平成X年度卒業式を開会致します。」
 さっきまでのカタコトの日本語が嘘のように、彼は流暢な日本語で司会を始めた。
 徹は校長先生の代わりに教壇に立つ。教卓の前に立ち、二人の卒業生を前にする。
 筒から取り出した卒業証書はやや黄色く日焼けして、何度も手に取った痕があった。
 ああ、この校長先生はきっと、二人に卒業証書を渡したかったんだ。手にした証書から伝わってくる無念の想いが、徹の心を締め付け、そして奮い立たせた。
 なんとしても、成功させる。震える足に、手に、無理やりに言うことを聞かせて、立ち上がる。
 「……出席番号十七番。京本、信悟。」
 『はい!』
 巫琴が前に出て、徹の前に立った。黒い詰襟の制服を着た、巫琴よりも二十センチも背の低い、気の良さそうな少年の顔が、彼の精悍な顔にダブった。ああ、これが、彼の本当の顔なのだ。
 山岸校長の直筆であるらしい卒業証書。徹はそれを、淡々と、できるだけ大きな声で読み上げた。
 「……以下に、卒業を認めます。」
 読み終えて、証書を手渡す。巫琴ではなく、巫琴の中の京本信悟が、証書を受け取った。徹の震えはもう、止まっていた。
 「出席番号四十二番、深田美琴。」
 『ハイッ!』
 元気良く紗夜香が――いや、深田美琴が、返事をした。
 先の京本信吾に証書を渡したときと同じように、証書を読み上げ、自分たちがされたように、彼女に証書を渡した。
 紗夜香の上には、長い髪を二本の編み込みにした、紗夜香よりもやや身長の高い少女がダブって見えた。
 「……君たち八人に、未来の光のあることを願う……。」
 美琴に証書が渡り、彼女がパイプ椅子に座ったとき。
 徹の口から、そんな言葉が自然と出てきた。
 卒業生の二人が泣き笑いの表情で前を見据える。涙が滲んで、紗夜香の中の美琴が、涙をこぼし始めた。
 『山岸先生、ありがとう……!!』
 徹は一礼し、自分も用意されたパイプ椅子に座った。
 葵が音の入っていないマイクを片手に、再び司会を始める。
 「では、最後に卒業生、在校生の卒業の歌です。卒業生、在校生、一同起立!」
 何の練習もしていなかったのに、全員同時に席を立った。
 「『旅立ちの日に』です。どうぞ、保護者の皆様もご起立くださり、ご一緒に歌ってください。」
 ここには保護者なんていない。だけど、本来ならば卒業式には、保護者も必ずいるものだから。
 葵が言ってマイクを降ろすと同時に、リコーダー担当の二人とピアノ担当の眞英が腰を下ろした。
 ピアノの伴奏が始まる。そして、ややあって、追いかけるように二本のリコーダーも演奏を始めた。
 ソプラノの女声を深田美琴が、男声を京本信悟が、そして、アルトの女声を紅葉があわせて歌いだした。


 ――― 白い光の中に 山並みは 燃えて
     遥かな空の 果てまでも 君は飛び立つ
     限りなく青い 空に 心 ふるわせ
     自由を駆ける 鳥よ 振り返ることもせず

     勇気を翼にこめて 希望の風に乗り
     この広い大空に 夢を 託して

 きぃぃん、と耳の奥で甲高い音がする。
 徹は何の音だろう、と思いながら、それでも歌うのを辞めなかった。

 ―――……今 別れのとき 飛び立とう 未来信じて
      はずむ 若い 力 信じて
      この広い 大空に

 歌い終わったとき、そこはとても静かだった。
 何も、ない。何も、聞こえない。
 ややあって明果の体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。とっさに巫琴が彼女を支えて、「……おい、終わったのか?」と、呆けた表情で訊ねたのだった。

 「終わった。みんな……京本君と美琴さんが、連れて行った。明果のなかにいた女の子、メイコちゃんも……。」

 山岸先生も、これで救われるよ……。紅葉がそう呟いて、落ちた二枚の卒業証書を拾いあげた。
 黄ばんで巻き癖のついた卒業証書。それは、何度も何度も、山岸校長が開いた痕だった。
 十年前の卒業式は、死亡した人数が多すぎて、二人の卒業証書を取りに来る両親も、それを望んだ生徒たちの両親も、証書を受け取れなかったのだ。
 喜びに満ちた別れの場所。そのはずが、悲しみに満ちた、本物の別れの場所になった。
 今夜、この卒業式で。
 送られていった人間は八人ではなかった。同時刻、一族に卒業証書を託した山岸享元校長の逝去をここにいた九人が知ったのは、後日のことだ。

 「ありがとう。みんな、来てくれてホンマ助かった……」
 紅葉に丁寧に礼を言われて、照れる者、苦笑した者、わけのわからない顔をしている者、たくさんの表情があった。
 徹だけは、清々しく、「ああ。」と頷いて、彼と微笑みを交し合ったのだった。
 卒業。
 それは、「学校」という一種の異空間からの、解放でもあるのかもしれなかった。





 
 数日後、新聞の小さな三面記事に、放火犯の男が首吊り自殺を図ったというものがあった。六名の中学生を放火で焼死させたその男は、服役して仮出所の最中だった。
 「因果応報、ってやつよね。ったく、この男のおかげで私は一人の子を本当に殺すところだったわ。」
 明果が言い、眞英と由宇が彼女の手元でくしゃくしゃにされかかった新聞を覗き込む。
 「ああ、こいつがあのガッコの放火犯だったのねー。ざまぁみろってカンジィ?」
 「へぇー……。明果さん、殺さないで済んでマジ良かったね。」
 ちょうど山岸校長の通夜を終えた後で、九人は揃って学生服や喪服などの出で立ちをしていた。
 ここは先日紅葉に呼び出されたファミリーレストランだ。あの時は六人だったが、今日は九人の人間がぎゅうぎゅうになって座っている。
 運転手の葵は「アーオレ日本語使うのも運転するのもツカレタヨー」などとだらけて、もう動くのも嫌と言った風情だった。今日の彼は、目立たないように緑の瞳に黒目のコンタクトを入れていた。
 由宇が明果を誉める。
 「でもさ、明果さん記憶ちゃんと残ってるなんてすごいよねー。あたし、てっきり明果さんも深森みたいに記憶なくしてるのかと思ったのに」
 「修行の仕方が違うのよ。巫琴は宗家の血筋でも、本人が生まれる前に親が勘当されてっからね。修行なんてぜーんぜんしてないの。今回はちょうど良く入れ物になっただけ。」
 巫琴が憮然とした表情で「入れ物……」と呟いたが、誰も気に留めない。
 「でも、まさか巫琴君がまったく覚えてないなんて……。私は覚えているのに。」
 「紗夜香ちゃんは下地があるんじゃない?なんか……紅葉も大体そうなんだけどね。覚えている人っているのよ、たまに。素人でも……ま、私も半分素人だけど。今回ちゃんと覚えてたしね。」
 「……素人じゃなけりゃあんなトコで取り憑かれたりせんやろ」
 「煩いわよ、紅葉」
 「でも、明果さんって、本当にすごいと思うな。ぎりぎりのところでずーっとあのメイコって子を焼ききらないように押さえ込んでたんでしょ?それって大変なことなんじゃないですか?」
 「ええ、まあね。ええと、あなたは……梁川さん、だったかしら?」
 「はい、梁川みずは。徹ちゃんの彼女でーす。タメなんでみずはって呼び捨てにしてください!」
 「山岸君がいつも自慢してる彼女さんか。なんか、今回が初対面みたいなもんよね、私たちって。
そう、みずはちゃんの言うとおり、あんなに長時間体を乗っ取られてあの子を焼かずに済んだのは、不幸中の幸いだったのよ。
何か……誰かが力を貸してくれたみたいで。今思えば、校長先生が亡くなった時間って、私たちの卒業式の真似事が終わった直後だったのよね……。」
 「校長先生が、明果さんがメイコちゃんを焼き殺さないで済むように手伝ったってことっすか?」
 「たぶんね。徹君も気付いたでしょ?あの校長先生が、どれくらいあの子達を想っていたか……」
 皆、うなづいて物思いに耽った。
 明果が取り憑かれたことも、紅葉が徹達を呼んだことも、その場にすべての遺品が残っていたことも……、そして何より、徹の口からついて出たあの言葉。
 『君たち八人に、未来の光のあることを願う』。
 あれは、校長先生の最後のメッセージ。すべては彼の、心残りを浄化せんがために設定された一晩だったのだ。
 くすり、と紅葉が小さく笑って、新聞を引き取った。そして呟く。
 「……因果応報、ね……。」
 徹はまた、彼の笑顔を目にした。あの晩からここ数日、わずかずつではあるが、日毎に表情の表れやすくなった彼。
 まだ皆は気付いていないかもしれないが、在学中に紅葉の笑い声を聞ける日も、遠くないかもしれない。
 そんなことを考えながら、徹は一人愉快な気分になってストローに口を付ける。アセロラジュースは甘酸っぱくて、青春って例えるならこんな味かな、なんてことを思ったのだった。
 「アタシは今回の件でまたしても否定派からはみ出しちゃったわ。もー、アンタらの一族ってのは人を巻き込むのがほんっとーに上手よねぇ。」
 眞英がむすっとした顔で言って、テーブル上で皆が笑う。紅葉も、声こそ出さなかったがまた微笑んでいた。
 徹は無性に嬉しくなって、手の中に残る証書の感触を確かめるように、掌を見つめた。
 この中に、たくさんの子供たちと、校長先生の想いがあった。そして、自分たちがその想いを、未来へ――遠い、死んだ後の世界へ、届けたのだ。

 誇らしい気分が胸にあった。こんな普通のおれでも、できることがあった。
 紅葉のために、他の未練を残して死んでいった子供たちのために。
 「あたしさ、あの時子供たちの声を聞いたような気がするんだ。紗夜香と深森の声に重なって、美琴ちゃんと京本君の声と、それに、あたしたちの隣で歌う声。ソプラノと男声一人ずつ、眞英の後ろでアルトを歌ってる声。で、メイコちゃんと明果ちゃんのソプラノ……。」
 「え……じゃあ、みんな歌ってたんだな。おれも聞こえた気がしたんだ……隣で、校長先生が歌ってたのをさ。」
 温かな想いを胸に秘めて、徹はまた話の輪に加わる。
 今は、きっと。
 こうして、変わり者の友人たちと青春を過ごせることが、自分にとって最高の瞬間。いつか桐林学院を卒業する日まで、こうして、皆で笑いあって生きていければ良い。



 ―― 終 ――


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