流れ星の降り逝く日
神月蒼
星 澪 (ほし みお)
十七歳。 私立聖蘭女子高校三年。被害者。
星 創 (ほし はじめ)
二十二歳。私立桐林学院大学部四年。澪の兄。
星 啓 (ほし けい)
五十歳。 澪の父。
星 香 (ほし かおる)
四十八歳。澪の母。
皇野 響 (こうの ひびき)
二十一歳。 私立桐林学院大学部三年。創の恋人で、霊能力の研究をしている『五芒護(ごぼうもり)』の一族の女性。霊感強し。
獅堂 明果(しどう めいか)十三歳。
響の遠縁。忍びの末裔で超能力者。現在は探偵事務所の跡取りとして修行中。
宝 紅葉(たから もみじ)十三歳。
響の遠縁。一族内で異能扱いされている超能力者。
茅場 春菜(かやば はるな)
十八歳。 私立聖蘭学園女子三年。澪の幼馴染でご近所さん。クラスは違うが仲は良い。塾も一緒。
憩 美也子(いこい みやこ)
十七歳。 私立家政科女子三年。澪の中学からの親友。中学当時から同じ塾に通う。
広川 綾 (ひろかわ あや)
十八歳。 私立聖蘭学園女子三年。澪のクラスメイトで塾も同じ。
丸山美由紀(まるやまみゆき)
十九歳。 澪、他三名の通う塾のアルバイト講師。女子短大生。聖蘭女子高校出身。
犬吠埼京太郎(いぬぼうざき きょうたろう)
年齢不詳。おそらく三十代半ば。若く見えるが警視正。
園崎 範義(そのざき のりよし)
五十三歳。足で捜査が基本の、真面目な所轄所の刑事。
伝 也比古(でん なるひこ)
二十五歳。所轄所の刑事で朴訥な青年。
館野 秋義(たての あきよし)
麻薬中毒で二年前に自殺した人物。自殺現場は澪の殺害された公園。
1
都内の龍ノ島公園で、早朝に犬の散歩をしていた老人が、少女の遺体を見つけた。
少女の名前は星澪。私立高校の三年生で、もう大学進学も決まっている、何の変哲もない女子高生だった。
公園の名前にもなった大きな龍の島の形をした遊び場は、滑り台や水場、タイヤブランコなどが付いていて、毎日子供たちが遊びに来る。敷地面積も広く、ベンチや休憩用の東屋などもあり、主婦たちの憩いの場でもあった。
その日の朝、彼女は島の裏側にある、夜ともなれば街灯の灯りも届きにくいような一角で、ベンチに座った状態で発見された。眠るように目を瞑り、上向いた細い顎。制服の胸のから腰まで染め上げる、黒く変色しかけた血。
「こりゃあ間違いなくコロシだな。凶器は?」
頭の薄くなりかけた、よれよれのコートとぼろぼろの靴を履いた壮年の男――園崎が言った。即座に少し離れた場所にいた若手刑事、伝が近寄ってきて、敬礼する。
「ハッ!まだ見つかっておりません!!」
「ホシが持ち去った可能性もありますね。とりあえず鑑識の結果を待ちましょう。先に関係者と近隣の聞き込みを。」
本庁から出向してきた警視、犬吠埼が言うと、伝は再び「ハッ!」と言って敬礼した。
「いちいち敬礼しなくていいですよ。面倒でしょう?それに、そんなに緊張していると、聞き込みの時は逆効果ですよ。」
「おや、警視さんよ、あんたなかなか分かったこと言うじゃねえか。親も刑事か?」
「いいえ、自分も成りたての頃に緊張しすぎて失敗しましてね。緊張しすぎは逆効果、と思い知ったんですよ。ところで園崎刑事」
「なんですかい?警視さん。」
「そのう……警視さんではなく、犬吠埼と呼んで頂けませんか?どうも年上の方に警視と呼ばれるのは気が張ってしまってですねぇ……。」
犬吠埼が弱々しい笑顔を園崎に向けていたその時、誰も気がつかなかったが――常人には聞こえない声で、怒り狂った少女の声が響いたのだった。
『ちょっとあんたら、なにヒトの死体の前でにこやかに話してんのよ!っていうかっ、なんで』
一拍置いて。
『なんで、あたし死んでるわけぇぇ――――!?』
星 澪、享年十七歳。意味もわからないまま、突然訪れた死――しかも、殺人の被害者になってしまった。
2
覚えていることがある。
それは、頭上いっぱいに広がる小さな星たち。白く、赤く、きらめく星たち。
ひとは死んだらどうなるの?
小さいころ、おじいちゃんが死んだときお兄ちゃんに聞いた。そうしたら、『きっと、お星さまになるんだよ』と、お兄ちゃんは哀しい顔で、優しい顔で、言った。
それじゃあ、私が死んだら、どの星になるんだろう?
そんなことを考えていた。
思い出したことがある。
ベンチの前で、目を瞑って考えた。息を大きく吸う。冷たい空気が肺の中をいっぱいに満たして、寒いけれど心地よかった。
それも、束の間。
どん、と、下から胸を突き上げられた。
苦しい、熱い!
「兄さんのカタキだ……!死ねばいい!!」
……え?
その声は、私の知っている人の声だった。
だけど――だけど、仇、なんて。
身に覚えがなかった。
彼女が私から離れた途端、足元がふらついて、私はベンチに倒れるように座り込んだ。
「……え、澪?」
彼女の声が強張る。ああ、間違えたんだ!
気がついたけど、力が出なかった。声も。かふ、と呼気と血が口から飛び出した。
必死になって、手を振った。
逃げて。
早く、逃げるの。
私の気持ちが彼女に伝わったかどうかはわからないけど、彼女は小さな悲鳴をあげて走り去った。
無理やり手に力を入れて、携帯を取り出す。
自分で、救急車を呼ばなくちゃ……。
咄嗟のことだったけど、動転していたのはほんのわずかな時間だった。彼女の顔を見て、わかったのだ。彼女が狙ったのは私じゃない、ということが。
幸い、私の胸を貫いた凶器は刺さったままだった。体を貫いて熱い。痛い。でも、このまま抜かないでいれば、失血死はしないはずだ。
ミステリマニアの兄の影響か、私はこういうことは考えるのが早かった。
異常なほど冷静な頭で、必死になって携帯電話を取り出す。
もう片方の手で手袋を取って凶器の握り手を拭いた。
この時期だから手袋はしていたはずだけど、確かめていない。もし手袋をしていなかったら、大変だ。
か、ごふっ。
二回目の吐血をしたとき、人影が近づいてきた。
ここは公園の中でも夜は灯りの少ないところ。ほぼ真っ暗と言ってもいい。犬の散歩かと思ったけれど、どうもその人物は、違う理由でこの公園を訪れたようだった。
黒いダウンジャケット。目深に被ったフード。両手をポケットにいれて、さくさくとこちらに向かって歩いてくる。
途端、ぞわりと背筋を這い上がる何かを感じた。
コロサレル。
その人物は、私の前までゆっくりと歩いてやってきた。
そして――右手にようやく握り締めた携帯を叩き落し、……私の胸を貫いた何かを、無理やり抜いた。
再び、吐き気がするような痛み、痛み、痛み。
眩暈と暗闇に舞う真っ赤な蝶たち。星がおいでと誘うようにきらめく。
突き抜けた熱さと共に、私は胸部から血を噴き上げ、そして気を失った。
くすくすと笑い声が聞こえた。聞き覚えのある……笑い声。
……ああ、これは、誰だった?
3
澪の実家は大混乱だった。
帰らない娘を心配して、何度も携帯に電話をかけたが、圏外で繋がらない。心配して一睡もしないでいた家族の元に、訃報が届いたのは午前五時四十八分だった。
帰路から少し外れた公園内で、娘が遺体で見つかった、と言う。
母、香は卒倒し、父、啓は血相を変えて現場へ向かった。兄の創は倒れた母の元に残り、父からの連絡を待っていた。
澪の身元割り出しが早かったのは、彼女の持ち物が何一つ奪われていなかったためだ。学生証、定期いれ、午前零時直前に電源の切られた携帯電話。
すべてが澪の身元を証明していた。死因は失血性ショック死、凶器は持ち去られ、すぐには特定できないと言う。だが、長い鋭利な刃物であることは、すでに鑑識から報告済みだった。
「ええ、娘は恨まれるようなことは何もないはずです。何かの間違いです、これは、何かの……」
項垂れて泣き崩れる母を父が支え、そんな父も茫然自失の状態であることは明らかだった。
なぜ?
なぜ?
そんな疑問が目に見えるような家族たちの様子に、三人の刑事たちは目を光らせていた。もちろん、被害者の遺族なのだから、可哀想にとは思う。だが、彼らも今はまだ、澪の家族を犯人の候補から外していなかった。
アリバイがないのだ。
昨晩から朝の連絡が入るまで、家族は三人揃っていた、という。逆にそれが、三人のアリバイを消してしまっていた。
そもそも、この昨今、娘が朝帰りしたとて高校三年生にもなればたまにはあるだろう。そんなに心配して、朝まで寝ずに三人揃っていたなんて、と疑ってしまうのだ。
しかし。
「……ご家族ではなさそうですね」
小声で犬吠埼が園崎に話しかけた。園崎は声を出さずに頷いて、渋い顔をする。
絵に描いたような仲良し家族。
近所でも噂になるほど、家族関係は良好だったらしい。そのうえ、息子も娘もかなり出来の良いほうで、被害者の澪に至っては、反抗期らしいものもほとんどなかった、と両親も近所の住人も話している。
学校の関係者から聴取しても、似たようなものだった。
澪は人気者で、よく気の利く姉御的存在だった。教師陣からもすこぶる評判良く、学級委員長までこなしていた。
通っていた塾でも評価は似たようなものばかりで、恨みを買うような話しが一切出てこない。
「しかし、なんだって塾からまっすぐ帰らなかったのかねえ……。まっすぐ帰ってりゃ、こんな目に遭うこともなかったろうによ……。」
園崎が気の毒そうに呟いた。
……実はその時、澪は彼の真横にいたのである。
『おじさん!おじさんってば!あっ、そっちの若い人でもいいから!ねえ誰か!!』
しかも、声の限りに園崎や伝、鑑識たちに声を掛けまくっていた。今のところ、まだ誰も澪に気付いていない。今のところ彼女が声をかけていないのは、犬吠埼だけだった。
『だあああっ!!おかーさん、おとーさん、おにーちゃあん!!』
家族も気付いた様子はない。ただただ憔悴している彼らを見て、澪はショックを受けた。
自分が死んだことで、家族がこんなに悲しんでいる。
あの二人目、自分に止めを刺した女――あの正体さえ、わかれば!
『ずぅえったい!のろってやる!たたってやるぅぅっ!!』
怒り狂う澪は気付かなかった。その瞬間だけ、犬吠埼警視がびくっと反応を示したことに。
『お父さんとお母さんは今話しかけてもきっと聞こえない……お兄ちゃん、たしか知り合いが霊感あるって言ってたような……』
眉唾かもしれないが、コンタクトが取れる可能性があるなら何にでも賭けてやる。意気込んで澪は兄の背後にべったり張り付いた。
『さあお兄ちゃん!例の霊感ある人のところにつれてって!!』
実際は連れて行ってもらうまでもなかった。
彼女のほうから、その日のうちに兄を訊ねてきたのだから。
時間としては昼の二時頃だったはずだ。
着物姿の若い女性が、小走りに実家のほうにやってくるのを、澪は敏感に感じ取った。
『なんか、今幻覚?が見えたような……』
思ったとき、玄関のところで警官と女性の押し問答する声が聞こえてきた。
「会わせてくださいまし!わたくしは皇野響、創さんの恋人です!」
「そ、そう言われましても、いま聴取の真っ最中で……」
「お願いです、お願いです!会わせてくださいませ!」
黒地に銀の砂粒の散った柄の着物に、灰色に近い色味の帯。腰まであるまっすぐな黒髪。
澪は兄の背中から離れて、押し問答している二人の元へと飛んだ。
軽い。飛ぶことがこんなに自由だとは、思わなかった。
空を切り、壁をすり抜けると、そこは自宅一軒家の廊下だった。
ぴた、と着物姿の女性の視線が一点にとどまった。
「あ……」
「え?」
澪の居る場所に視線を縫いとめたまま、彼女は動くのを辞めた。突然だったので、警官も不思議そうな顔をして彼女から離れる。
「ど、どうかしましたか?」
聞かれて、彼女は首を振った。
「……いいえ、なんでもございませんわ。取り乱して申し訳ございません。出直してまいりますわね。」
急に大人しくなった彼女に対して、警官は不審そうな目を向けたが、簡単な身分証明だけをさせて開放した。
(澪さん、あなた、澪さんでございましょう?)
彼女の瞳が澪の姿をとらえている。声が頭の中に直接響いてきて、澪は驚いた。
『お、お姉さん私が見えるの!?』
(ええ。でも、ここではお話しできませんから、少し場所を変えましょう。)
くるりと彼女は踵を返す。澪は急いで、彼女の後に従った。
さっき、たしかに『皇野響、創さんの恋人』と言った。今日は、兄が彼女を連れてくる約束の土曜日だった。だからみんな楽しみにして……ずっと、夜も寝ないで自分が帰るのを待っていたのに!
私が今日をぶち壊した――!
頭が真っ白になりそうだった。響が澪に優しく声をかける。
(落ち着いてくださいな。これは、あなたのせいではありませんわ。)
脳内で会話ができる。生きていた時はできなかった芸当だ。
(これは、そう――あなたを、殺したひとのせい……。澪さん、創さんからわたくしの話しは聞いてらっしゃるかしら?)
『えと、霊感の強い女の子がいる、って前に言ってたけど、それが自分の彼女だなんてひと言も言ってなかったと思います。あ、でも綺麗な人だって言ってたから……』
本当に綺麗な人だ。まだ二十歳くらいなのに、着物をきちんと着こなして、黒い長い髪は染めてもいない、これをやまとなでしこと言わずして何と言おう。
(あら、嬉しい。……自己紹介が遅れましたわね。わたくしは皇野響。霊能集団、五芒護という一族を澪さんがご存知のわけはありませんわね。わたくしは、その霊能集団五芒護という一族に生まれました。そして、生来とても霊能力の強い人間なのです。
ですから、あなたとこうしてお話しができる。そして、あなたを殺した人間も、もしかしたら捕まえる手助けができるかもしれません。)
『え……手助け?手伝ってくれるの?』
(ええ。わたくしにできることならば、何でもいたしますわ。それが五芒護に生まれ、霊能力を持って生まれたわたくしにできる唯一のこと。
わたくしの親族に、探偵修行をしている娘がおりますの。その子は今までにも何件か刑事事件を解決していて、警察の上層部にも顔がきく。彼女に相談してみましょう。)
『お、お願いします!』
自宅から百メートルも離れたところで、ひと気がふつりと途切れた。そこで響は足を止め、ようやく澪に顔を向け、微笑んだ。
「生きているうちに……お会いしたかったですわ。こんな出会い、したくありませんでした……。」
哀しい微笑だった。けれど、ぞっとするほど美しい――そんな微笑でもあった。
「あ……ひびきちゃん?あ、いや、皇野、響さんではありませんか?」
澪が彼女に微笑み返したとき、ちょうど響の後ろに、犬吠埼と園崎の両刑事が現れた。声を上げたのは犬吠埼警視で、園崎氏は怪訝な顔で犬吠埼と響の顔を見た。
「あら、……たしか、京太郎様、でしたでしょうか。何故ここにいらっしゃるの?」
「あ、私、実は刑事なんです。この近所で殺人事件があったものですから……」
『響さん、警視さんと友達なの?』
(お友達ではありませんわ。そう、わたくしにとって姉上様のような、そんな存在の方の恋人君なのです。中学のころにほんの少しお会いした程度ですが……、そう、この方が澪さんの事件の担当なのですわね?)
『うん、そうよ!おじさんのほうは園崎さんって言って、全然霊感ないみたいで、話しかけても無視されちゃうの。』
澪が簡単に説明すると、響は何かを思いついたようだった。
「京太郎様、園崎刑事、澪さんの事件で何か進展はございました?」
突然だったので、二人の刑事は一瞬きょとんとした。
それもそのはず、響はまだ園崎の名前を聞いていなかったし、二人が担当している事件が澪の殺人事件だとは言っていなかったのだから。
「わたくし、澪さんのお兄様の創さんとお付き合いをしておりますの。今日は本当なら、ご自宅にお呼ばれしていて、澪さんにもお会いできるはずだったのに……創さんにはお会いできずに、帰ってまいりました。」
「ちょ、ちょっと待ってください。えーと、ええと。響さん、もしかして……」
犬吠埼が響を制して、こめかみを押さえた。
しばらく微妙な沈黙が落ちる。ややあって、犬吠埼が再び口を開いた。
「……もしかして、被害者の澪さん、そこにいます?」
「ええ。わたくしの真隣にいらっしゃいます。園崎さんのお名前も、澪さんの事件をお二人が担当していることも、たった今澪さんご自身からうかがいましたの。」
にっこりと笑った響に、呆然とする犬吠埼。そして、二人の会話の意味が露とも理解できていない園崎。
澪も、さらりと交わされた二人の会話に、驚いて開いた口が塞がらなかった。
響と犬吠埼は知り合い。
そして、犬吠埼は響の霊能力を知っている。
つまりはたったそれだけのことなのだけど、これだけのやりとりでは、二人の関係を把握することは不可能だった。
「……園崎刑事」
「な、なんですかい、犬吠埼さん。」
「この子、いや、この女性の親戚の方に協力をいただいても良いでしょうか。その、霊能者を交えた捜査という形で。」
「はぁ?なにを言ってんですかい、警視さん!そんな、霊なんてもん信じてたらわたしらの仕事成り立たんでしょう!」
「いえ、本気です。」
犬吠埼は真剣だったが、園崎のほうは渋面を崩さない。こう着状態を壊したのは、響だった。
「申し訳ございませんけれど、わたくしは警察が信用できませんの。ですから、この事件勝手にわたくしどものほうでも捜査をさせていただきますわ。」
もしかしてこれって、警察への挑戦?などと澪がハラハラしていると、響はぽかんとした顔で硬直している刑事二人に優雅な一礼をし、歩き出した。
響は歩きながら、静かに語りだした。周囲にひと気はないが、声には出さず脳内での会話だ。
(わたくし、一年半ほど前に義理の姉を殺されましたの。
……お姉さまはとてもお優しい方でした。けれど、警察は今になっても犯人を挙げられないまま。お姉さまの魂はどこかに行ってしまってお話しもできない。
……唯一その場に居合わせた親戚の子供が犯人ではないか、という説が挙がって、それを本気にした人々がその子を一斉に責めたてました。
そして、わたくしの父母は……その頃にはもう、とうに離婚していたのですけれども……、その子供を庇ったことで世間から非難され、泥をかけられました。
『被害者の遺族のくせに、犯人を庇うとは何事か』と……。
家に投げ込まれた石が頭に当たり、父は寝込みました。母も異常なほどの世間の非難に耐え切れず、父のこともあって、……ついには自ら死を選びましたわ。
わたくしも殺人事件の被害者の遺族です。ですから、これから創さんや澪さんのご一家がどんな目に遭うのか……考えただけでも身震いしてしまいます。
せめて早く、解決しなければ。お姉さまのときとは違って、今回は澪さんもいらっしゃることですし、お話しを聞いてから現場へ参りましょう。……おそらくまだ封鎖されているでしょうけれど。)
『でも、警察の人にさっきあんなこと言って……お姉さん大丈夫なの?園崎刑事、あの後怒ってたよ。』
澪の心配そうな声を聞いて、彼女は袖で口元を隠して忍び笑った。
(大丈夫ですわ。さっきお話しした、探偵修行中の子。彼女がいればなんとかなりますわ。)
「さて、では参りましょうか……」
表向きは独り言を言って、響は歩く速度を速めた。
鈍行列車に乗り、都心から離れる。閑散とした小さな駅で降りて、二人は間もなく到着するバスを待った。
(さっきお話しした、犯人にされかけた子供。その子は紅葉と言いますの。
これから貴方と探偵修行をしている娘、明果を会わせます。紅葉はその時、良い通訳になってくれるでしょう。
男の子ですけど、澪さんの言葉を一言一句違わず通訳してくれるはずですわ。そういうことには慣れた子ですから。)
『通訳……。じゃあ、その子も霊感が?』
(ええ。わたくし以上、そして他の一族の誰よりも強い能力を持っております。……可哀想なことですわ。)
可哀想?
不思議に思った。
誰よりも強い霊感があって、響の話ではその能力は一族の人間のほとんどが持っている、ということなのに。
何故、その子だけが可哀想などと言われるのだろう。
(わたくしたちも万能ではありませんわ。霊と会話が出来る、姿が見える、触れることができる……、それを不気味に思わない方が、どれほど少ないか想像できますか?
彼は誰よりも強い能力を持ち、そしてその証が生まれつき体の特徴として現れていたのです。……お姉さまの殺害嫌疑をかけられる前から、あの子は一族の爪はじき者でした。)
響の瞳には暗い翳りがあった。悲しんでいるのか、それとも。
(わたくしはあの子を助けてあげたい……けれど何もできなかった。
明果だけが、あの子の手を取ることが出来た。今回澪さんをここまで連れてきたのは……わたくしのエゴでもあるのですわ。
あの子に、自分にも誰かを助けられる、ということを教えてあげたい。そんなエゴがわたくしを動かしているのです。……澪さんは、こんな自分勝手な女についてきてしまって、と後悔するやもしれませんわね……。許してくださいませね。)
バスが来た。
澪は何も言えず、ただバスに乗り込む響の小さな背中を追いかけるだけだった。
4
到着した場所は、なんと病院だった。周りには病院のほか、山林が広がるばかり。ただ、少し歩いたところにもう一件、古びた三階建ての洋館があるのが見て取れた。
なぜ病院?と不思議に思った澪だったが、響は病院のほうではなく、もう一つの建物に向かってすたすたと歩いていく。
『ねえ、お姉さん。その……探偵の女の子には、霊感がないの?』
(いいえ、あるにはあるのですが……その、そちらのほうはかなり弱い能力の持ち主でして。気配は感じる程度、会話も触れることも姿を見ることも、ほとんどできませんの。ですから、通訳が必要なのですわ。)
ふうむ、なるほど。澪は腕を組んで唸った。一概に「霊能力者」と言っても、人によって強い弱いがあるのか。それなら、向き不向きもあるのだろうか。
澪の考えが伝わったのか、響は「そうですわねえ」と小さく呟いた。
(強いて言うならば、明果は『陰』、動くことが専門といいましょうか。もとはわたくしどもの家の、密偵探索方……忍者ですわね。その仕事をしていた者たちの末裔ですの。
そして、紅葉は『陽』。どちらかといえば、わたくし共の仕事のすべてを集約したようなモノが、あの子の体にはまとめて詰め込んであると思ってくださいな。)
『お姉さんたちの仕事……って?』
(霊能力者として、除霊、浄霊、厄払い、降霊……。他にも地鎮祭やお祭りの祭祀など引き受けたりしますわね。わたくしは半端者なので、ほとんどこちらのお仕事は任されておりませんが)
そう言って響がころころと笑い声を上げる。初めての明るい笑い声だった。
笑ってくれたことが嬉しくて、澪も一緒になってくすくす笑った。二人で笑っていると、洋館の二階の窓からぐい、と身を乗り出した少女がいた。
肩くらいまでにまっすぐな髪を切りそろえ、白い着物を着た美少女。
「まあ、紅葉!危ないですわ、そんなに身を乗り出してはなりません!」
慌てて響が駆け出して、澪は耳を疑った。
さっき聞いた話だと、紅葉という子は男の子のはずだ。だが、窓から身を乗り出した線のか細い子供は、どこからどう見ても少女だった。それも、とびきりの美少女。
「……コロサレタ?」
響を追いかけようとした澪の耳に飛び込んできた、その言葉。
澪ははっと彼を見た。やはり少女に見える、いや、人形のように見える。その唇が。
「ころされた、の」
紅い唇から紡ぎだされた言葉は、確かに澪に向けられたものだった。
『あなた、私が見えるのね?そうよ。私は殺された。殺されて、響お姉さんに会って、貴方たちに会いにきたの。あなたは……紅葉、くんだよね?』
彼は頷いた。それはとても小さな頷きで、見落としそうなくらいだったけれど、確かに澪は見た。
彼が、こくりと小さく首を縦に振ったのを。
「澪さーん、中にどうぞぉ!」
洋館の重そうな扉から、元気な声と同時にもう一人少女が飛び出してきた。躍動するような声、活動的に結った癖っ毛のポニーテール、この寒いのに、裸足の足に突っかけたサンダル。長袖のTシャツ一枚に半ズボン。
「もう響は中に入っちゃったよ。いるんでしょ?入っていいよ!」
顔の所々ににイボがあるけれど、響とよく似た綺麗な顔立ちをしている。いや、紅葉のほうがよく似ているだろうか。どちらかといえば若干、紅葉のほうに似ているような気がした。
これが明果という噂の探偵修行中の子か。
澪が明果を見ていると、どうやら「気配程度しか感じない」というのは本当らしい。彼女は中空に目を漂わせて、上の窓から身を乗り出している紅葉に声をかけた。
「ねえ、いるよね?」
紅葉はさっきよりも大きく頷いて、澪の居る場所を指差した。ぴたり、と彼の白い指が澪のいる地点を指し示す。
「そっか!じゃあ、澪さんも紅葉も一階の談話室でお話ししましょ!紅葉、早く下りてきてねっ。澪さん、案内するから早くぅ!」
明果に誘われるまま、洋館の中に入った。気配は敏感に感じ取れるのか、中に澪が入ってすぐに、明果は扉を閉めて洋館の中をまっすぐ歩き出した。
「通訳って言われたかもしれないけど、今日は響がいるから、澪さんは直接紅葉の中に入ってもらおうと思うんだ。そっちのほうがあたしも楽だし。あのね、響はサニワとかいうお仕事していたから大丈夫だよ。ちゃんと澪さんを紅葉の中に入れて、お話しして、外にもう一度出してあげることができるから。」
そういうものなのか。
澪はまた驚いていた。目に見えない自分に向かって、明果はよく喋った。
たまに通りがかる子供たち、大人たちも、その彼女の様子に戸惑うことはない。逆に「こんにちわ!」と声をかけられる事さえあって、驚かされた。
さっき響は「不気味に思わない人は少ない」と言ったが、ここはそれを不気味と思わない、ごく少数の人ばかりが集まっているらしかった。
「そうそう、あたしは獅堂明果。十三歳。いま探偵修行の真っ最中なんだ。よろしくね!あ、ちなみに澪さんの捜査情報は多少集めてあるから、安心してね!ちゃちゃっと犯人見つけて、」
ふと、明果の元気な声が途切れた。
表情もだ。たった今まで元気だった顔は、響の見せた翳りある表情と同じものになっていた。
「……ちゃんと、成仏しようね。絶対に、……犯人見つけてみせるから。」
そして、談話室の扉が開かれた。
高い天井、広い部屋の所々に配置されたソファと丸テーブル。庭に面して大きく窓が取ってあって、冬なのに暖かな陽射しがさんさんと降り注いでいる。
「昔はサンルームだったんだって。まー今も談話室っていうよりサンルーム代わりに使っている子ばかりだけどね。
ここは日鶴学園。身寄りがなかったり病気だったりする中で、超能力を持って行き場所を失った子供たちが集まる施設なの。あたしたちの楽園!
ここではこうしてあなたと話していても誰も不思議に思わない、逆にあなたの姿が見える人のほうが多いかもしれないくらい。見えない私のほうが変なんだよ!」
そんなことを言って明るく笑う。
磁石のような笑顔だ、と澪は思った。
自分がS極なら、この明果という子はN極。人を惹きつける、明るくて朗らかな笑顔。太陽のような――。
……生きているうちに、お会いしたかったですわ。
不意に響の言葉が蘇ってきて、澪は泣き出しそうになった。
とん、と澪の背中に小さな手が触れる。驚いて振り返ると、そこにはさっきの美少年、紅葉が立っていた。
「……泣いて、いいよ」
静かに。
とても静かに、彼は言った。言葉は呟きに近かったけれど、その言葉は確かに澪に向けられたものだった。
大きな声で、泣き出していた。今、ようやく澪は、自分が死んだことを、認めることが出来た。
「澪さん……」
響が呟いて、泣きじゃくる澪の体を抱きしめた。仄かな温もりを感じながら、澪は泣き続けた。
大きな声で泣いて、泣いて、泣き終わったころにはもう空は暗くなっていた。
話しかけても返ってこない反応。誰にも届かない声。
どれだけ寂しかっただろう。朝、自分が事切れていると知るまで、澪はずっと気を失ったのだと思い込んでいた。
「どうして」
明果が言った。
「どうしてだろう。必要な人には、澪さんや先立った人たちの声は聞こえない。だけど……響や紅葉、この家に居る子供たちには当然のように澪さんの声が聞こえる。……泣いていたんでしょ?私にも、わかったよ。」
霊感はほとんどない、と聞いていた。だが、明果はそんなことも無視して、澪と話しをしようとしていた。
『騙されたの……あたしたち、騙されたのよ!』
「うん。」
『あの子が間違ってあたしを刺した。でも、凶器はあたしの胸を貫通していたの。だから、痛かったけど出血さえ激しくなければ大丈夫だと思った。自分で救急車を呼んで、通り魔か何かの犯行だって言えばきっとあの子は無事で済む。……そう思ったのに』
「……あの子?そうか、じゃあ……」
明果がこめかみに指をあて、考え込んだ。
「あなたの遺体には、刺されてから死亡するまでの時刻にばらつきがあったんだって。……犯人は二人いる、そういうことね?」
紅葉は響が言っていたとおり、澪の言葉を一言一句漏らさず違えず、明果に伝えていた。紅葉の中に入らずとも、二人の会話は順調だった。
「どういう意味ですの?犯人が二人だなんて……」
「一人目は間違って澪さんを刺した。そして、澪さんの胸に凶器を刺したまま逃亡。次に二人目の犯人が来た。その人物は、……胸を貫いて栓の代わりをしていた凶器を引き抜き、携帯電話の電源を切っって逃亡。
……もしかしたら、澪さんを殺そうとした人物は、元々二人目のほうだったのかもしれない。確かめに来て、死んでいないことに危機感を覚えて止めを刺した。」
『あ……』
そうだ、と澪は顔をあげた。明果の言葉で思い出したのだ。
二人目が近づいてきたとき、確実に殺される、と思ったあの瞬間を。
響と紅葉に通訳してもらうと、明果はいよいよ激しく唸り始めた。
「うーん……そうか、二人目のほうが真犯人に間違いなさそうね……。」
明果は瞬きを二、三度繰り返して、暗くなった外を見た。
公園より暗い、星と月の光だけが頼りだ。といっても、昨日は新月だったので、今日の月はまだチェシャ猫の口より細い。
……ふと思った。どうして、澪はそんな場所にいたのだろう?
「ねえ!」
明果が突然声を上げたので、響と澪は驚いた。紅葉は平然と明果の隣に座り、微動だにしない。
「澪さんはどうしてあの公園に言ったの?もしかして、誰かに何か言われて行こうと思ったんじゃない?」
あっ、と澪は声をあげた。
そういえば、塾で言われた。今夜は流星群が降るんだって。知ってた?
「それ、誰に言われたの?」
『えっと、高校の同級生……塾が一緒で仲が良いの。』
言葉をそのまま紅葉が伝え、明果は頷いた。
「塾で聞いたのね。……その子の名前は?」
『……!』
まさか、と思った。彼女が二人目だなんて、信じたくない。だけど、特定しなければ一人目のあの子はどうなるんだろう?
澪の不安を敏感に感じ取ったのか、明果が言った。
「犯人だと特定はしないわ。ちなみに、彼女とあなたの身長は何センチ?」
『……彼女が百六十二センチで、私は百五十七……』
「自宅は近い?」
『近くはないわ。中学も違うし、でも、自転車だから……』
「じゃあ彼女は二人目の犯人じゃないわ。一人目の犯人はあなたよりかなり身長が低い。そして、自宅はあまり近くない。自転車を使ったかもしれないわね。でも、二人目の犯人は、おそらく公園からそう遠いところには住んでいないはず。」
『え、なんで?』
澪が聞くと、明果は一枚のコピー用紙を卓上に出した。
龍ノ島公園の見取り図だ。
赤ペンで澪の死亡したベンチに丸をつける。そして、指である場所を指した。
公園の水場。この寒い時期なので水は張っていないが、城を模した砂場が近いので、手を洗うための小さなシャワーが使えるようになっている。そして、その真横に公衆トイレ。
「犯人はあなたの体から凶器を抜いたときに、確実に返り血を浴びているはずよ。間違いなく、ここで一度着替えるか血の付いた所を洗うかしている。この公園は暗い。何しろ灯りがこことここと――」
きゅきゅ、とペンでバツ印を付けていく。全部で五ヶ所。広い公園にしては、少なすぎる。
そして、澪の殺されたベンチも明果が指差したシャワーも、ほとんど灯りの届かない位置にあるのだ。
「わかった?真犯人はこの公園にとても詳しい。そして、夜によくここを通る人物で、あなたの塾の関係者。間違いなくあなたをここにおびき寄せるために、そんな嘘をあなたの同級生に教え、そしてやってきたあなたを刺すように、もう一人犯人役の人物を用意した。」
明果が澪を見た、ような気がした。ぴたり、と止まった視線は、おそらく澪を見ることが出来なかったのだろう、澪を通り越して後ろの壁に吸い付いていた。
「……根拠が薄いな」
自分で言っておきながら、明果は呟いた。
『で、でも、そうかもしれない!たしかにあの子は』
「間違えた様子だった?」
先手を打って明果が言う。澪が頷くと、紅葉が「そうだって」と今回ばかりは言葉少なに通訳する。
「やっぱり間違えたのね。……あなたは一人目の子に逃げて欲しかった。でも……本当に逃げ切れると思う?」
明果の表情は険しかった。談話室のテレビをつけると、ちょうどニュースが始まり、澪の事件も報道されたところだった。
即座に明果がテレビのチャンネルを切り替える。
「教えてちょうだい。あなたが彼女を守りたいなら、二人目を挙げるしかない。でも、あなたは二人目の顔を見ていない。……このままだと、一人目の彼女は自首するわよ。たぶん、だけど……ね。」
『そんな!』
逃げろ、と言ったのに。伝わらなかったのか?
「……ちがう。つたわっても、傷、心にのこる……。あなたは死んでしまった。彼女は自分のせいと思う。……耐え切れずに自首する。きっと、これも真犯人の計画……」
澪の手を引っ張って、紅葉が言った。無表情な瞳が、心なしか潤んでいた。
「……かわいそう……」
『誰が……?』
「身代わりに殺されたあなたも、身代わりに刺した彼女も」
紅葉は呟くように喋る。口元はほとんど動かない。
「真犯人も……かわいそう」
突如、響が立ち上がった。テーブルをひっくり返すような勢いで、紅葉に迫る。
「かわいそう、って……なんですの!?可哀想なのは澪さんですわ!澪さんと、被害者の家族の方だけですわ!
紅葉、あなたあんな目に遭ったのにどうしてそんなことが言えますの!?わたくし達と同じ、澪さんはお姉さまと同じ、被害者ですのよ!!」
「それでも。気付かないことは、とても……かなしいこと」
「気付かないって、いったい何を……」
「たくさんの人を傷つけた。関係ない人を殺め、殺めさせた。あわよくば自分の手は汚さずに殺人を犯し、逃げ切ろうとした。その愚かさに気付かないことを、紅葉は可哀想と言っているのよ。」
言葉足らずの紅葉の言葉に明果が注釈を入れた。激昂していた響が、脱力してすとんと体をソファに預けた。
「そう……言われてみれば、そうかもしれませんわね……。わたくし、加害者の家族としても扱われたことがあったことを、すっかり忘れていましたわ……。」
『……石を投げられて、お母さんが自殺しちゃったって……』
「ひびきのせいと違うの……ぜんぶ、ぼくのせい。かばったから、……おかあさんは世界に殺された。お父さん寝たきり。……犯人……憎い。けど、憎むだけ……なにも変わらない。」
紅葉は相変わらず呟くようにぼそぼそと喋る。その言葉はとても重かった。まだ十三歳の子供が口にするようなことではない、と愕然とした心情で澪は彼の声を聞いていた。
――犯人扱いされて……爪はじき者……。
「そう、憎むだけじゃ何も変わらない。だからこそ……あたし達は、真犯人を突き止める!」
明果が宣言した。
憎しみに彩られていた心が、ふと軽くなった。
この子達は。
憎しみだけじゃない、好奇心でもない、仕事でもない、ただ私の守りたいもののために動いてくれる。そうあろうとしてくれている。
そう思った。
『私……あなた達を信じる。全部、昨日のこと話す。一人目は顔を見てるの……。私に流星群の話しをした子のことも、ちゃんと話す。だから……みんなを、助けて。』
澪の言葉をそのまま声に出した紅葉の顔を見て、明果は再び澪のいるあたりの空中に視線を止めた。
「ありがとう。あたしもあなたを信じる。……話しを聞くわ。」
5
星を観にいくなら、龍ノ島公園かな。あそこ龍の頭に登ると真っ暗でさ、お兄ちゃんと昔観にいって登ったことあったんだ。
え、龍ノ島って……あの広い公園?澪んちの近くの。
綾にそんな話をしていたら、美也子が二人の話を耳さとく聞きつけて、会話に加わった。三人は中学から塾が一緒で、高校三年の今になるまでずっと仲が良い。あとは春菜が来れば、塾の仲良し四人組が揃う。
「そういえば春菜から聞いたんだけどぉ、今日って流星群降るんだってー。あたし、流星群っていつも夜遅いし寒いから見ないんだけどさ、澪はそういうの好きでしょ?見たら感想教えてー」
「ああいうのは自分で見ないと良さってわからないもんだよ。美也子もいっぺん見てみればいいのに、めんどくさがり屋さんだなぁ。」
「だって、星の綺麗な夜ってかなり寒いんだもーん!ね、ね、龍ノ島に兄ちゃんと行ってきなよぉ。」
「でも二人とも、龍ノ島公園ってたしか頭のところ封鎖されたんじゃなかった?立ち入り禁止マークついてたって聞いたよ?」
「え、マジ?あそこ良い星観測地なのにー」
「もう行けないね。残念だね。」
綾が笑って、「澪の家は一軒家だし、ベランダあるんだからベランダから観測すれば?」と言った。
そこに、塾講師でもあり澪の高校の先輩でもある丸山美由紀がやってきて、綾を呼んだ。志望大学の小論文について話し合いがあるらしかった。
入れ違いに春菜が来た。「綾、どこ行くの?」「丸山先生と個人授業ー!春菜はもう終わり?」「もち!合格間違いなしよ!」
「あ……そういえば、龍ノ島って龍の島の裏にベンチがあって、そこも良い観測地らしいよ。そっちに行ってみれば?」
美也子の言葉で、それもそうかと思ったのだ。いつもは通らない公園だが、以前兄と行ったときも思ったものだ。龍ノ島公園は良い観測地だ、と。
そして、昨夜。綾に聞いた流星群の情報を信じて、澪は例のベンチに行った。
流星群が降るには少し時間が早いかと思ったけれど、冬の星空はとても美しくて。都内だけど、こんなに綺麗な星空を見られる場所が近所にあることを、嬉しく思った。
目を瞑って。
ベンチにホッカイロ代わりのホットティーを置いて、立ち上がった。
冷たい冬の空気を肺一杯に吸い込んで、深呼吸。二度、三度。
……運命のときが来た。
どん、と下から思い切り突き上げられた。制服のコートは着ていたけれど、澪はコートの前を開け放していた。そっちのほうが深呼吸するとき、気持ち良いからだ。
今にして思えば、コートをせめてきちんと着込んでいれば、包丁は背中を突き抜けるまで至らなかったかもしれない。
自分を「兄のカタキ」と言った」あの声は……確かに。
『綾、だった……。』
……そして、今。
「じゃあ、美也子って子に言われて龍ノ島公園に行くことにしたのね?」
『そう。でも、美也子は中学からの親友なの。それに、さっき明果ちゃんも言ってたとおり、私よりも身長が高い。そして、私を刺したのは……綾。広川、綾よ。』
「……今、話しに出てきた人間全員の本名と身長、それから住んでいる場所、あと学校を教えてくれる?」
『学校も?』
「あと、本名も。学校はいざとなったら話し聞きに行くだけだから、大した意味はないんだけど。あー、それとも、いっそ塾に行ったほうが早いかしらね。桐林学院の制服借りて」
言いながら明果は響を見やった。響は「そうですわね」と言って、考える素振りを見せる。
「わたくしの制服でしたら、いつでもお貸ししますわ。桐林学院の制服はちゃんと中等部、高等部ともに取ってありますの。」
「はははっ、さすが響、物持ち良いねぇ!」
明果が意味も無く大笑いした時、響の携帯電話がぴろろろろ、と鳴った。
「創さんですわ!」
響が携帯を握り締めて飛んで外に出る。
「ありゃー、響ってば創お兄さんにかなり入れ込んでるねえ……。」
明果が苦笑して、思わず澪の頬も緩んだ。
愛されている。
お兄ちゃんは、響に愛されている。こんな素敵なことがあるなら、……自分は死んでしまったけれど、響さんに任せて、成仏できる。
「おにいさん、キモチ、つたわるといいね」
小さな声で紅葉が言った。先ほどから、紅葉は澪に話しかけるとき、必ず澪の袖をくいっと引っ張る。今回もくい、と引っ張られて気付いたが、そうしないとわからないくらい、彼は自分の意思を伝えようとするときの声が小さいのだ。
「創さんに呼び出されましたの。ちょっと行って参りますわね。今日は澪さんこちらにお泊りになってくださいまし。わたくしは明日の朝もう一度参りますわ。では!」
言うが早く談話室を駆け抜けていく響。返事をする間もなく見送った三人は、無表情、苦笑、満面の笑み、とばらばらの表情だった。
「しっかし、着物であれだけ素早く動けるんだから響も大したもんよねぇ。うちのクソババァに負けてないって言うか……」
「……あれも愛のちから……」
「……それ、無表情に言われるとすごく困るんだけど……」
明果が頭を抱えたので、堪えきれずに澪は笑い出した。
居心地の良い場所だ。
本当に、……生きているうちに、会いたかった。
溢れてきた涙をぐっと堪えて、上を向いた。
もう、泣くものか。綾のためにも。そして、綾の……お兄さん。カタキとまで言わせるほどの何かがあったのなら、突き止めてあげたい。
『兄さんのカタキ、って言ったの。綾。』
「お兄さんの?……」
明果が再びこめかみに手をやった。
「もしかして……丸ボウでやってるヤク捜の一件かぁ?」
彼女が言いながら紅葉に目配せをすると、素早く彼が立って談話室の端に走っていった。
彼が走っていったほうには、談話室には不釣合いな大きなコピー機のようなものがあった。
明果は懐から携帯電話を取り出して、電話をかけている。
「あ、もしもし、犬吠埼のおじさん?」
『警視さん!?』
「おねえさん、知り合い……?」
戻ってきた紅葉に訊ねられて、澪は頷いた。
『私の捜査を担当してる刑事さんだよ!』
二人の会話には口を挟まず、明果は電話に集中している。そのうち、紅葉の持ってきた文書の印刷された紙の余白に、素早く書き込みを入れた。
「……どっちにしろ、しばらくは他の公園に移るでしょう。二年前と同じように。いつも四課の情報流してんだから、そっちの情報今回ちょっと分けてもらえません?……え?」
電話を握る明果の表情が曇る。
「……正確に言えば、傷害止まり、かしら。ところで、殺人教唆と殺人罪ってだいぶ刑の重さ変わってきますよね?あと、過失か故意かの差もありますよね?」
明果の険しい表情が不安をそそる。紅葉がぐっと澪の手を引いて、言った。
「……綾さん自首、したかも」
折り良く通話中の沈黙があったのか、明果が目で頷いた。
「凶器は?そうですか……。この事件には、二人の犯人がいます。ええ、間違いなく。……ええ。証明してみせます。任せてください。
あ、響のことはあまり刺激しないように。下手すると暴発しますよ。」
電話を切った明果が、大きく溜息を付いた。
「幸い、まだ自首はしていないんだけどね。でも、これは……」
「……なにか、あった?」
諦めたように彼女は肩を鳴らした。澪と紅葉は、じっとそんな明果の様子を見つめている。
「自首してもらったほうが、警察のほうも捜査しやすいかもしれない。どちらにしろ……綾さんがあなたを刺したことに、代わりないのよね……。今回運よく捕まらなくても、彼女がどれだけの後悔を背負って生きていくのか……」
考えてもみなかった言葉だ。
友人を刺して逃げた。それは、刺してしまった友人に対する後悔の念を深めるだけではないかと、明果は呟いたのだった。
「警察は綾さんを疑っているわ。……そして、あなたにも微妙な嫌疑がかけられているわね。」
『微妙なケンギ?』
「麻薬密売。」
『…………はっ!?』
「あの公園、暗いって言ったわよね。数年前から麻薬密売に使われているんじゃないか、ってもっぱらの噂なの。噂どまりだったのが、真実味を増したのは二年前のある事件。ここよ。」
紅葉が先ほど取りに言っていた文書だ。
『あ……公園内で首吊り自殺?麻薬中毒者……館野秋義?』
「この人、広川綾さんのお兄さんなの。
……当時、高校一年生だった綾さんの家には家宅捜査は入らなかった。ただ、妹だから何か知っていないかとしつこく聞いていた本庁の捜査員がいたらしくてね。そいつが今回、……凶器は柳刃包丁で、兄の仇をとろうとしたんじゃないか、って所轄の人間に漏らしたそうよ。
お兄さん、離婚のあとはお父さんのほうに引き取られて、料理人修行を無理やりさせられてたんだってね。結局ヤク中になって自殺……綾さんの元に、彼の愛用していた柳刃包丁が引き取られた。」
そうだ。
綾は数年前に離婚し、父の元に兄が、自分は母に引き取られたと言っていた。
兄は父の経営する寿司屋で修行している、とかなんとか……。
だが、その話しを聞いたとき、すでに自分たちは高校二年生だったはずだ。死んだ兄の話を、さも生きているかのようにしていたというのか?
「思い出……だったんじゃないの」
紅葉に言われて、ずきんと胸が軋んだような気がした。もう、体なんてないのに。
「澪さんを刺した凶器はまだ見つかっていない。凶器は解剖の結果、鋭利で全長二十センチから三十センチの刃物と断定。そして、さっきの話を聞く限りでは……綾さんは丸山という講師に呼び出されて、美也子さんとのその後の会話を聞いていない……」
つまり、と一拍置いて、明果は腕を組んだ。
「綾さんは澪さんがあの公園に行くはずはないと思い込んだ。それに、その話しだと、どちらかといえば来て欲しくなかったのは綾さんのほうじゃない?だって、ベランダで観測したほうがいいって言ったんでしょ?彼女。」
『うん。間違いない。私があそこにいて、綾に刺された時、綾は本気で信じられないって顔をしてた……綾は背が小さくて、私の胸元に顔があったから、間違えようがないよ。四人の中で一番背が低いの、綾だもん。何せ148センチだよ?』
「昨日、流星群は降らなかった。東京で降るって情報も元々なかった。間違った情報をあなたの友人に与え、そして美也子さんに『絶好の観測地』を教え、綾さんに兄の仇を討たせようとした人物……。共通するのは、『塾の誰か』よね?」
『……そんな……!!』
談話室の片隅で、澪は絶句するより他なかった。
塾の仲間たちは皆一様に面白くて信用の置ける人だと、思い込んでいた。
「このヤマ……真犯人見えたわね。」
明果がぽつりと言った。だが、その表情は暗く、険しく、哀しげだった。
6
明果も紅葉も寝入った深夜、澪は一人談話室で考え込んでいた。
本当なら、響がサニワとかいう役をやって、紅葉の中に入って明果と話す予定だったこの日。
結局、澪は紅葉に憑依することなく、響と紅葉の二人の通訳を得て明果と話していた。
眠れないな、と深夜の談話室の窓から空を見上げる。
都内から少し離れただけなのに、星が驚くほどまばゆく輝いていた。
……そういえば、昨日は新月だった。
今日は上弦の月が紅く、どこか不吉な予感を孕んで空中に輝いている。
「……ねむらないの」
背後から声がして、澪は体もないのに飛び上がった。すでに寿命の尽きた身とは言え、背後から突然声をかけられて平然としていられるほど、まだこの状況に慣れていないのだ。
振り向くと、相変わらずの白い着物姿で、紅葉が立っていた。
二階の二人の寝室で、明果がずっと紅葉の手を握って、彼が眠るまで傍に付いていたのを、澪は確認したはずだった。
起き出してきてしまったのだろうか。
訊ねようとした矢先、逆に話しかけられた。
「明果と、ちゃんと、はなし、したほうがいい。このからだ……好きに使っていいから」
『え?』
「このからだ、『いれもの』。かみさまをいれるため、亡くなった人をいれるため、……中身は空っぽ。そういうふうに、作られた。」
白い手が伸ばされる。澪の手を取り、彼は静かに目を瞑った。
「……疫病神、って呼ばれてきたんよ」
紅葉は淡々と言葉を紡ぐ。
澪は白い掌から伝わる温度を感じながら、彼の言葉が標準語から関西訛りになったことに気付いた。
「うちのゆく先々で……不幸が起こるんよ。この瞳の、せいで。」
瞳のせい――澪は彼の瞳をよく見た。朧月夜を写しこんだような、銀色の瞳。
「もしもぼくがあなたの役に立てるなら、……この体、いくらでも使っていい。望むことが許されるなら、あなたのような人の入れ物になりたい。神様なんていれとうないよ。」
出会ってから数時間。
これまで紅葉はほとんど通訳以外の言葉は喋らなかった。いま、初めて彼が本心を見せている。
澪は頷いた。
隠していることは何もない。だけど、伝えたいことは山ほどある。
紅葉に体を借りること。
それは、少し不安でもあったけれど、一番明果と話しをするのに必要なことだと思えた。
『からだ……貸して、くれる?』
「……はい。」
導かれるように、澪の霊体は彼の体内に入った。
紅葉と明果の寝室にゆっくりと向かう。目線が随分と低くて、澪は紅葉の体に本当に入っているのだと、実感した。
日鶴学園は古い建物だ。明治の終わりごろから昭和の初期にかけて作られたのだそうで、どんなにそっと歩いても、二階に続く階段、廊下がみしみしと音を立てる。
寝室のドアも同様で、開けるとぎぎぃと重い音がした。
明果は紅葉の手を握っていた時の体勢のまま、眠りこけている。
傍らに彼がいないことに気付いた様子はないな、と思いきや、唐突に彼女が目を見開いた。
「……借りたの?」
「え?」
「紅葉に借りたの、って聞いたの。紅葉じゃないから」
眠いことは変わらないらしく、彼女は座った体勢から大きく伸びをして、深呼吸した。立ち上がって二段ベッドの梯子に腰掛ける。
「澪さんでしょ?……紅葉なら貸すと思ったよ。まあ、あたしの手を解いて行くとは思わなかったけど……」
ふう、と溜息をつくその仕草も、言葉遣いも、十三歳のものとは思えない大人びた動作だ。こんな中学生もいるんだな、と思っていると、また明果から話しかけてきた。
「話したいこと、あるんじゃない?なんでも、聞くよ。」
じっと見る、茶色のような、むしろ鳶色に近い瞳。この少女の容姿も紅葉と同じで、やはり少し変わっていると思った。
「……星を」
口をついて出たのは、まずそんな言葉だった。
「星を、見るのが好きだったの。昔」
明果は何も言わない。ただ、澪の声をじっと聴いている。
「お兄ちゃんと二人で、いつも見てた。それでね、聞いたことがあったんだ。」
「うん、なんて?」
「……ひとは死んだらどうなるの、って」
「…………なんて、言ってた?」
「お星さまになるんだよ、って。だからね……考えていたの。昨夜、私は死んだらどの星になるんだろう、って」
まさか、本当に死んじゃうなんてね。
笑ったつもりが、うまく笑えなかった。
彼女は澪のそんな様子を見るともなしに見て、口を開いた。
「……死んだ人がどこに行くのか、あたし達一族の人間もよくはわからない。みんな、感じるもの、場所がばらばらで。結局、その人の感じた行きたい場所に行くんじゃないかってあたしなんかは勝手に思った。」
梯子から立ち上がり、古い窓を開け放す。冬の冷たい空気が、部屋の中に飛び込んできた。
「……だから、澪さんはきっと星になるんだね。」
そっと、言葉を選びながら、彼女はゆっくりと話した。澪も、次の言葉を考えていた。
……言ってしまおうか。星になって家族を見守り、響と兄の幸せを見守りたい。だから、ここで。
昨夜の、二人目のことを。
「心当たり、あるんでしょ?」
突然明果が核心を突いた問いをかけた。
澪は自分が身構えたのに気付いて、少し慌てた。
「信じてくれるとあなたは言った。だったら信じて。あたしは生きている分、あなたの無念を晴らせる。……なにか、あるんでしょう?」
問い詰められているわけではない。むしろ優しげな問いかけに、澪は戸惑っていた。
確信と言っても良い特徴を、澪は思い出したのだ。そして、明果はそれを見抜いている。
「黒かった。全身黒かったの。わざとじゃないかってくらい。」
声が震えていた。響く声は紅葉のもので、耳慣れない、声変わりもまだしていない、彼の平坦で無感情な声とはうってかわった自分の声……話し方に、ひどく違和感を覚えたが、そんなことはどうでもいい。
「それで」
「女の人だった。たぶんね……あれ、丸山センパイ……じゃない、丸山先生か春菜だと思う。見たんだ。つい最近、駅前に出来た激安服のショップで、二人が同じダウンジャケット買ってるトコ。美也子も見てた。春菜が買った時は、うちら一緒にショップ入ったし。
あれ、ジャケットにフードがついてて……フードのまわり、白いふわふわがついてんの。だから」
明果が何かを思いついたように目を見開いた。
「返り血……!」
「うん。たぶん……ついてると思うんだ。あの人、顔は見えなかったけど、それくらい深くフードを被ってたの。まだ昨日のことだから、処分しきれていないと思う。他にも証拠とは言い切れないけど、先生か春菜なんじゃないかっていう理由があるんだ。
あそこ、近くに神社があるの。先生はその神社の娘で、公園から神社までの道はほとんど人通りないの。夜遅いときは誰か男の先生が送っていくって言ってた。春菜はどっちかっていうとうちの近くに住んでるけど、やっぱり公園までの道は暗い。人通りなんてほとんどないし、車もめったに通らない。
あとは……決定的だったのが、靴、なんだ……。」
「靴?」
「あの人の履いていた靴、うちの学校の靴だったの。うち、私立だから靴も指定されてるんだ。丸山センパイ、うちのガッコの卒業生だし。春菜は同じガッコだし。
黒いダウンジャケット、黒いパンツ、黒いローファー。全部黒の中で、頭のふわふわだけが目立ってた……。」
くすくすと笑う声。あれが二人のうちどちらかのものだったとしても、本当は信じたくなかった。
二人とも。
春菜はずっとご近所さんで、幼馴染で、幼稚園から高校までずっと一緒だった。塾に入ったのも、春菜が誘ってきたからだ。
丸山先生は、高校で先輩だった頃から、ずっと尊敬していた。ちょっと派手だけど、面白くて、可愛い人。
二人とも、澪を殺す必要なんてないはずなのに。
しかも、美也子や綾を操ってまで……。
「悔しい?」
明果に聞かれて、ようやく気がついた。このわけのわからないぐちゃぐちゃした感情が、「悔しさ」だということに。
「美也子さんも綾さんも……もしかしたら、犯人かもしれないその二人も。全員、助けてあげたい?」
うん、とうなづいた。
声が出なかった。もう出すのも困難なくらい、悔しさと哀しさが溢れてきていた。
どうせなら、みんな。
私を殺した後悔を背負うのならば、少しでも軽くしてあげてほしい。
明果なら、できるような気がした。
「信じる、から……っ」
歯を食いしばって、言葉を搾り出す。
「みんなを、助けて……!!」
無言で明果は首を振った。
「助けるなんておこがましいこと、私にはできない。だけど、少しでも気持ちを軽くするために、そして罪を認めさせるために……あたしはいつでも、あなたの窓口になる。……明後日。関係者を全員呼び出して、すべてを明らかにする。明日は澪さんの友達の三人、美也子さん、綾さん春菜さんに会ってくるよ。……安心して。三人は犯人じゃないよ」
「え……じゃあ!」
「間違いないだろうね。……丸山先生に」
「でもっ……」
「明日。日曜だけど、あなたの遺体が帰ってくる。明後日、通夜が行われる。……その時までに、二人目を見つけて、綾さんの情状酌量と、貴方の嫌疑を晴らしてみせる。そして」
明果はまっすぐに澪を見た。強い眼差し。少女は大人びた瞳を身動ぎもせずに向けてきた。
「紅葉が言った。気がつかないことは、哀しいことだって。それを真犯人に、突きつける――!!」
どんなふうに生きて、そしてこんなふうになったのだろう。澪には分からなかったけれど、彼女が背負っているもの、紅葉が背負っているもの、響が背負っているもの……すべてがとても重く感じられた。
強く居なければならない、と明果は自分に課してしるようだった。甘えを許さない、けれどふとしたところで優しさを見せる少女。
助けてくれる、というのなら。
自分は、彼女を信じるしかない。澪は小さな紅葉の拳を握り締めて、明果に約束を求めた。
「……約束、して。それでも、丸山センパイを責めないって」
「それは、できない。私は責めることも守ることもできない。決めるのは……当人だけよ。」
きっぱりと跳ね除けられて、それでも澪は諦められなかった。
「お願い。先生が犯人なら、それにはきっと理由があるはずなの。だから」
「だから人を殺していいの?」
「!」
答えられなかった。そう、人を殺していいなんて、そんなわけはないのだ。
「笑っていた……」
「は?」
「二人目の人は、笑ったの。私を殺しながら。……そうよね、殺されて、皆を悲しませて……それで皆を助けたいなんて、ただの偽善だよね……。」
「……偽善じゃないでしょ。澪さんがそういう人なんだ。……可哀想なのは真犯人だよ。あたしは容赦しない。それだけは確定してるから。
……澪さんみたいな優しい人を殺したことを、一生後悔させる。償いが、一生終わらないように」
悪に公平。まっすぐに立ち向かうこの子だから、信じよう。
澪は止まらなくなった涙を拭って、開け放した窓の外に広がる空を見た。
たくさんの星たち。
あの星のどれかに、澪は、なる。
7
翌々日。澪の通夜が行われる前、昼過ぎにそれは行われた。
犬吠埼警視立会いの下、公園で明果が「犯人を明かす」と言い放ったからだ。
茅場春菜、憩美也子、広川綾の三名は伝に、創と響は園崎に、丸山美由紀は犬吠埼にそれぞれ現場へ呼び出されていた。
綾の顔色は真っ白で、今にも倒れそうなのを春菜と美也子の二人が、自分も白い顔をして支えていた。
「刑事さん、響と知り合いだったんですか?」
創に聞かれて、園崎は仏頂面でぽりぽりと頭を掻いた。何を返せばいいのかわからない、という風情だ。かわりに犬吠埼が答える。
「響さんは私の知人なんです。恋人の妹分です。それで、これから来るのが……あ、来ましたね。」
灰色の乗用車が公園の近くに止まり、明果が飛び出してくる。後ろからゆっくり、相変わらず無表情の塊の紅葉が出てきた。今日は二人とも、通夜の前ということもあってか、黒いコートを着ていた。明果は黒のプリーツスカート、紅葉は黒のズボンだ。
「明果、紅葉、一体どういうことですの?」
響の声はひどく不機嫌で、ともすれば爆発しかねない雰囲気だ。だが明果は一向に気に留める様子もなく、「うん、ここで真犯人挙げる」と一言で彼女を黙らせた。
黙っていられなかったのは園崎と伝のほうだ。突然出てきた幼い少女が、これまた突然「真犯人を挙げる」と言い放ったのだから。
「ちょっと待ちなお嬢ちゃん、この事件は警察の管轄だ。素人さんが、しかもあんたみたいな子供が出張っちゃいけねえよ。」
「そうですよ!僕ら警察だって伊達や酔狂で働いてるわけじゃないんですよ!素人がでしゃばんないでくださいよ!」
「所轄のお二人の言い分もごもっともですが、このままでは通夜・葬儀の終わった後に偽の犯人が捕まってしまいます。ですからここで、あたしは真犯人を挙げ、通夜の後に自首してもらいます。
……もちろん、澪さんを実際に刺した人物にも自首してもらいます。」
綾がびくりと大きく体を震わせた。明果は横目でそれを見ながら、紅葉に目配せした。
「この少年は紅葉といいます。皆さんは信用しないかもしれませんが、ここにいる中で二人。亡くなった後の澪さんと直接話しをできた人物がいます。」
明果の声は特別大きいわけではない。彼女は淡々と話しを続けながら、少しずつ公園内を移動していった。
「三日前、ここで」
たどり着いた場所は、澪の殺されたベンチの近く。まだ立ち入り禁止のロープが張ってある。
「被害者、星澪さんが殺害されました。凶器は柳刃包丁と特定されたようですが、いかがですか?園崎刑事。」
苦虫を噛み潰したような顔で、園崎は首を振る。
「凶器の特定はまだできてねえ。ただ、長くて鋭利な刃物……柳刃包丁が一番手に来るってだけの話さ。で、あんた。澪ってガイシャの霊と話しが出来るんだったら、凶器だって特定できるだろうよ。なんでそんなこと今さら聞くんでい?」
明果は冷めた瞳で一同を見回す。がくがくと震えている綾に少しだけ同情を向けて、それから、園崎刑事にもう一度向き直った。
「たとえば、ですね。刑事さんたちはもし自分が突然刺されたとして、凶器を特定しようとしますか?」
「!」
「……自分にはたぶん無理っス……」と伝が呟いた。
明果は頷き、先を続ける。
「大概の人は、刺されたらまず自分で凶器を抜こうとするんですよ。本能ですかね?
けれど、澪さんは非常に落ち着いていた。なぜならば、自分を刺した人の顔を見ていたからです。」
綾の顔が真っ青になった。震えは止まり、今にも倒れそうな顔で明果を凝視している。
「一瞬で冷静さを取り戻した彼女は、創さん……お兄さんですね?彼の影響もあって、凶器を抜けば自分が失血死するとわかった。それで凶器を抜くことはせず、犯人の走り去った後に、携帯電話で自分で救急車を呼ぼうとしたのです。」
「な、何故そんなことがわかるんだ!?」
伝が反問する。はらはらしながら澪は空中から皆の様子を見ていた。
諦めたような顔で立ち尽くしている綾。逆に、不気味なほどに静かな丸山美由紀。綾を心配しながら、わけが分からず戸惑っている美也子と春菜。苛立った様子の所轄所の刑事たち。
落ち着いているのは、犬吠埼と明果本人、そして兄だけだ。……いや、兄は響が支えているから、落ち着いているのだ。
「それは……わたくしが説明いたします」
響が創の隣で口を開いた。全員の視線が交差し、彼女の元へ集中する。
「わたくし、そして今説明をしておりました彼女、獅堂明果、そしてその後ろにいる少年紅葉は、五芒護という霊能団体の生まれですの。わたくしと紅葉は生来とても霊感が強く、今回亡くなった澪さんの霊が自宅にいたところを、わたくしが明果の元へと連れて参りました。
明果もわたくしも、事件の詳細は、澪さんご本人から伺ったのです。」
「そんなむちゃくちゃな!それじゃ自分たちの働きはどうなるんですかっ」
若い刑事は血気盛んだ。伝もそのタイプなのか、さすがに地団太踏むまではなかったが、その寸前まで言ってふーっふーっ、と鼻息を荒くしている。
逆に園崎のほうは落ち着いてしまったらしい。犬吠埼警視に目をやり、「はあ、こういうことも本当にあるもんなんだねぇ……」などと言っている。
「無茶苦茶なのは百も承知!」
明果が語気を荒げた。目付きが一瞬にして、冷たく褪めたものから炎のような色に変わった。
「あたしたちの仕事は亡くなった人の無念を晴らすこと。そして望みを叶えること。被害者星澪の望みは一つよ。……皆が幸せでいてくれること!」
美由紀が一瞬ぽかんとした顔で彼女を見たのを、澪は見逃さなかった。
そしてその直後、綾がへたりと地面に座り込んで泣き出した。
「あた、あたし……っあたしが、澪を刺した……!凶器は柳刃包丁であっているわ、兄さんの形見よ……。でも!」
「でも?」
「抜かなかった……、抜けなかったのよ。澪を刺したって分かった瞬間頭が真っ白になって、包丁を抜かないで逃げちゃったの!救急車も呼ばずに!!あたしが、あたしが殺したっ!!殺しちゃった、友達を!親友を!!」
綾は泣きながら告白した。
創が唇を噛みしめて拳を作るのを、響がぎゅっと握り締めて離さない。彼は今にも殴りかかりそうな勢いで告白する少女を見つめていた。
「つまり」
明果が再び声を発する。
「凶器を抜かずに去った上に、彼女は刺す相手を間違えた。では、凶器を抜いたのは誰か?……真犯人は、その人です。」
今度は綾が呆然と声を失う番だった。
「は?」と、誰かがいぶかしむような声を発したが、誰だったか澪もわからなかった。
「では、事件を整理して行きましょう。憩美也子さん。」
「は、はいっ」
突然名前を呼ばれて、美也子は綾の傍らから立ち上がって直立不動の姿勢を取った。
「あなた、澪さんと三日前の夜、塾でお話しをしていますね。」
その日を思い出していたのか、美也子の返事は少し遅かった。
「えっと……りゅ、流星群の話を。それと、この公園がいい観測スポットだって、澪から聞きました。」
「では、流星群の話は誰から?」
「……、い、言いたくないです」
庇ったつもりなのだろう。頑として、美也子は春菜の名前を言わない。しばらくの間、沈黙が続き、それを壊したのはなんと春菜本人だった。
「ミヤ、いいよ……、あたしも又聞きでミヤに教えたんだ。あたしは、この事件、澪を間違って殺させちゃったけど、わざとじゃない……。」
綾の傍らに座ったまま、春菜は話しはじめた。
「明果ちゃん……だったよね?えっと、明果さん、のほうがいいかな……」
「明果ちゃんでいいですよ。では春菜さん。流星群の話は誰から聞きましたか?」
春菜も少し黙った。言って良いのか、迷っている様子だった。
しかし、彼女が黙っていたのはほんの数十秒だった。まっすぐに明果を見て、春菜は手を持ち上げた。
「そこにいる、丸山美由紀先生です。」
美由紀の表情が強張った。先刻まで静かだった表情が、眉根を寄せ、元々吊り目がちの目がさらに吊りあがり、なんとも言いがたい表情に変わる。
「では、綾さんに尋ねます。……何故、あの晩ここに麻薬の売人がいると知っていたのですか?」
「え?」
訊ねられて、綾は硬直した。「なんでだろう」という感情が見える顔をしている。
伝が不思議そうな顔をして、両先輩方を見る。園崎と犬吠埼はすでに了解した表情で、「ここは麻薬売買に使われてた場所なんだよ」と後輩に説明してやった。
「だって、先輩が……金曜の夜にここで売買があって、代々聖蘭女子の生徒が売人をやっているんだって……」
美由紀の表情が変わった。
踵を返して逃げ出そうとした美由紀の前に、紅葉が素早く立ちふさがる。小さな体ながら、無表情な彼の持つ独特の雰囲気は、彼女の逃げ出そうとする意欲を削ぐのには充分すぎる威厳を持っていた。
「駅前の激安店で購入した、フードに白いファーの付いた黒いダウンジャケット。そして黒い皮のパンツ。不釣合いな黒の聖蘭女子学院のローファー。したたかな貴方のことだから、今頃凶器は綾さんの自宅に届いているでしょうし、ローファーも取り替えてあるでしょうね?足のサイズは二人とも23.5!」
明果が丸山美由紀に詰め寄る。
「だけど、知ってた?あなたが激安店で購入したダウンジャケット、まったく同じものを春菜さんも持っているのよ。今頃あなたはそのジャケットから返り血のついたフードだけを外して使っているはず。だけどああいう激安店っていうのはね、得てして薄めの生地を使っているものなのよ。今の時代は良いわね。洗った後でもほんの少し残った血液反応を確かめることができる……。」
華のような笑みを浮かべ、明果はさらに美由紀に詰め寄った。後ろに紅葉が居るせいで、美由紀は蛇に睨まれた蛙のように動けないでいる。
「調べればすぐにわかる。あなたのダウンジャケット。……フードはもうついていないでしょうけど、間違いなく、中綿に澪さんの返り血が染み込んでいるはずよ!」
痛いほどの沈黙があった。
じゃり、と美由紀の足元で砂が音を立てる。
「……ぁあっ、あ――――――!!!!!」
絶叫とともに、美由紀が明果に襲い掛かった。犬吠埼が一瞬の差で二人の間に入り、美由紀を組み伏せる。
「ちくしょう!ちくしょう!!」
罵声をあげて暴れながら、美由紀は犬吠埼に組み敷かれ手錠を掛けられた。
綾が「嘘……」と呟いて、その場でかくんと気を失った。
『綾ぁ!!』
「大丈夫です、気を失っただけですわ!」
とっさに響が綾に近寄り、……澪に向かって、思わず声をかけてしまった。
傍から見ると誰にも居ない場所に声をかけたことになってしまって、一瞬、明果と響は焦った。
「澪!?そこにいるの?」
「澪!!澪なんだな!」
だが、先の響の説明を誰も疑わなかったらしい。
響と紅葉以外の誰にも見えない澪に向かって、創と美也子が問いかけたのだ。
『お兄ちゃん、美也子!春菜!お願い、綾を守って!』
「綾さんを守って、って言ってる」
いつのまに美由紀から離れたのか、紅葉が倒れた綾の近くに立った。
「入る?」
澪に尋ねたが、澪は首を振った。ここで紅葉に入っても、別れが辛くなるだけだ。
「澪と話しができるのか?」
創が紅葉に聞いたが、紅葉は小さな声で、「……話せないって」と答えた。
「そうか……」
唇を噛みしめる兄を見て、目に涙を溜めている美也子を見て、青ざめた顔で綾を支えて震えている春菜を見て、澪は思っていた。
話したくないわけじゃない。本当は、最後にひと言、みんなに言ってから逝きたい。
だけど、自分だけがそんなことを許されてはいけないのだ。響や明果や紅葉に出会って、こうして綾を真犯人にしないで済んだ。
丸山先輩が逃げ出そうとしたことにはショックを受けたけれど、こうして自分を殺した犯人を捕まえることが出来た。
『皆に伝えて。私、幸せだったって。綾、美也子、春菜、三人とも大好きよ。お兄ちゃん、お父さんとお母さんをお願いね。響さんと幸せになって。』
響が真っ赤になって通訳できなかったので、紅葉が再び通訳をした。
澪を感じることの出来ない四人は、それぞれ複雑な表情で、澪の最後のメッセージを受け取った。
園崎が携帯で部下に電話をかけていた。いくつかのことを訊ねて、「そうか、ご苦労」と電話を切る。
「……広川綾の自宅宛に今日届いた荷物の中に、凶器の柳刃包丁と黒いローファーが入っていたそうだ。差出人は不明。けど、失敗したな丸山さんよ。字は他人に書かせるべきだったな?あんたのものに間違いないって広川綾の母親が言ってるぜ。」
「くっ……!!」
「丸山美由紀の家宅捜査礼状を取れ!広川家に届いた荷物の宛名も念のため科捜研で筆跡鑑定に回せ!」
「ハッ!!わかりました!!」
伝が走り去って、覆面パトカーに飛び乗る。
「すぐに車が来る。諦めるんだな。」
園崎のひと言で、美由紀は暴れるのを辞めた。
「最後にひとつだけ教えて。」
明果が美由紀に近づいていく。
「どうして、澪さんを選んだの?」
丸山美由紀は、頑としてその問いにだけは答えなかった。
パトカーが来て、園崎が美由紀を連行しようとした。その矢先。
「うおおおおおおお!」
創が、美由紀に飛びかかった。
美由紀の腕を掴み、ねじ伏せようとする。刑事たちも焦ったらしく、一瞬その場が凍りついた。
『やめて、お兄ちゃん!!』
澪の声は創に届かない。だが、その声に弾かれたように、美由紀と創の間に割り込んだ人間が一人だけいた。
「おやめくださいまし!!」
響だった。
創の腕を美由紀から引き剥がし、動けないでいる刑事たちを無視して、二人の間に立ちふさがった。
「澪さんが望んでおりません!!」
「それでも俺が納得できない!どうして澪なんだ、それくらい教えてくれたっていいだろう!?」
「司法の場でいずれ明らかになります!」
「そんなの待っていられない!今ここで、聞かせてくれ!なんで、なんでうちの澪だったんだ!?」
「創さん!」
『お兄ちゃん、やめてえ!!』
明果がふと溜息をついた。
座り込んでいる少女たち、無表情に立ったままの紅葉の間をすり抜けて、騒ぎの中心に近づいていく。
「ねえ、あたしも聞きたいんだけど。」
鶴の一声、とでも言おうか。明果のひと言で、その場が静まり返った。
「あたしは澪さんほど優しかないよ。どうして澪さんだったのか、今ここで教えてもらうまで、連行させない。綾さんのためにもね」
『え?』
綾のため?澪は不思議に思いながら、倒れた綾と明果を交互に見た。
「口を割らせるためなら何でもするよ。たとえば、こんなことも……」
明果の指がぱちんと鳴った。
特に何かが起きた様子は、ない。……と、思いきや。
突如、美由紀が悲鳴をあげた。そして、澪は見た。
美由紀の全身が、蒼い炎に包まれたのを。
「っぎゃあぁあああああっ!?やああああっ!」
「言ってなかったね。五芒護の一族には超能力を持って生まれてくる人間が多い。あたしは、発火能力を持って生まれてきた。今、あなたの心に火をつけた。精神を焼き尽くされたくなければ、告白なさい。
今、ここで。何故澪さんを殺したのか!」
背筋がぞわぞわと凍っていく。やめてほしい。だけど声が出ない。
綾のため?一体何を言っているの。それじゃただの復讐じゃない。
声が出ない。出れば止められるのに。
「大丈夫だよ。明果のあの火、死んだ人のこころしか焼き尽くせない。生きている人には見えない炎。生きている人は焼き尽くせない炎。」
紅葉が小さな声で言った。錯乱しかけていた澪の耳に届いたその声は、とても落ち着いていた。
「ここで自白させないと、自首にならないし綾さんも意味がわからないまま拘束されるよ。だから、だよ。」
美由紀の悲鳴は続いている。
はらはらしながら、澪は見ていることしかできなかった。
澪と紅葉、それに響以外の人間には、本当に美由紀が炎に包まれているのが見えないらしかった。何が起きているかわからないという顔で、明果と美由紀を見ていた。
「だ、誰でも良かったのよぉ!聖蘭女子の子で幸せそうな子なら誰でも!一番星さんが幸せそうだったから、だから決めたのよ!!館野のことで広川が売人に恨み持ってること知ってたし、四人が仲良いのも知ってた!だからよ!それにっ、それに!」
「それに?」
「星さんは、あたしの行きたかった大学に推薦で合格したのよ!お金がなくて三流大学しか行けなかったあたしと違って、あの子の家は金がある!羨ましかったのよ!!」
「……だからって人を殺していい理由にはならないわね。あんたはただのひとでなしだわ。」
蒼い炎が消え、悲鳴が止んだ。ぐったりとした丸山美由紀を園崎と犬吠埼がパトカーに乗せる。
「綾さん。綾さん、起きて。」
明果が戻ってきて、綾の肩を揺さぶった。
顔色を失った綾が、小さな呻き声をあげて目を覚ました。
「真犯人は丸山先生だったわ。……あなたが自分から告白したから、彼女を追い詰めることができた。……澪さんは、あなたのことをとても心配しているわ。
あなたは一生消えない罪を背負っていくことになる。だけど、忘れないで。澪さんがずっと、死んでからもあなたの幸せを願っていたこと。……もう、憎しみを生むだけの復讐なんて、考えないで。」
美也子も春菜も、綾を抱きしめて泣いていた。時刻は間もなく、昼の三時になろうとしていた。
8
翌日、明果を通して澪と響の元へ警察から連絡が来た。
「たった今、葬式が終わって広川綾が自首しました」と。
丸山美由紀の自宅からは、明果の指摘したとおり、フードのなくなった黒いダウンジャケットが見つかった。ルミノール反応の結果はもちろん大当たりで、返り血を浴びていたことは明白だった。そのままDNA鑑定にまわして、澪の血であることを証明するらしい。
丸山美由紀は連行後、あっけなく自供した。
六年前から、美由紀の先輩が龍ノ島公園で毎週金曜の晩に麻薬売買を行っていた。彼女が卒業した後、美由紀がそのあとを継いで売人になったのだそうだ。
館野秋義は美由紀の客だったが、麻薬中毒で得意の飾り包丁が出来なくなって、首を吊った。わざとらしく龍ノ島公園を選んで首を括ったので、仕方なくしばらく売り場所を他の公園にかえていた。
綾が館野の妹であることは知っていた。そして、兄が麻薬中毒で自殺したことで、麻薬の密売人に恨みを持っていることも。
美由紀は頭の良い綾と澪が妬ましかった。
綾に何気なく「先輩に無理やり麻薬の売人やれって言われた」と話すと、簡単に食いついてきたらしい。「自分は怖くて断ったが、今も彼女は聖蘭の制服を使って売っているらしい」と吹き込み、綾が澪を見つけたら即座に刺すように仕向けた。
春菜には流星群の偽情報を与え、美也子と澪に話してみたら?と言ったら簡単に頷いたので、その後は楽だったと言う。
あまりにもとんとん拍子にことは運び、計画通り綾は澪を刺した。
だが、計画違いだったのはその後だ。
計画が完了したか確認に行った時、まだ澪が生きていたのだ。しかも、携帯電話で救急車を呼ぼうとしていた。……凶器が胸に突き刺さったまま。
あの凶器を抜けば、澪は確実に死ぬ。念のために目立たない黒い服に、いつもの聖蘭女子のローファーを履いてきていた。近づいていって、澪から携帯を取り上げて電源を切り、凶器を胸から引き抜いた。
返り血をたっぷり浴びてしまって気持ちが悪かったので、近くにあったシャワーで顔と手を洗ったそうだ。澪の血が付いたフードは、翌日のうちに自宅から離れたコンビニのゴミ箱に捨てた。
ジャケットもパンツも、血の付いたものはすべて拭いたり洗ったりしたが、さすがに捨てることはできなかった。まだ新しいものを捨てると家族に感付かれる可能性がある、と思ったらしい。
引き抜いた凶器と血を吸ったローファーは、近所のスーパーで自由に使えるダンボールを貰ってきて、綾の自宅に送りつけた。綾の足のサイズが自分と同じことは、すでに知っていた。
自宅に凶器と靴が送られてくれば、友人を殺してしまった良心の呵責から、綾が自首すると思ったらしい。
「でも頭悪いと思わない?結局警察に一度は事情聴取されるんだよ、例の麻薬の件で。先輩ってどの人ですかって聞かれるに決まってるじゃんねー。」
明果はそう言って笑っていたが、美由紀はそこまで頭の回る人間ではなかったということだろう。そんなことはまったく考えていなかったらしい。
結局、殺人、殺人教唆、麻薬密売容疑もついてきて、そこから芋づる式に麻薬売買ルートも解明されたそうだ。
明果が報告を終えて去った後、残った澪と響は、二人きりで話していた。
「せっかくもうすぐ大学生だったのに、残念でしたわね……。」
『私、お兄ちゃんと同じ桐林大に行く予定だったの。春から響さんの後輩になるはずだったんだよ。』
「あら、そうでしたの?外部入学はとても難しいのに、よく頑張りましたわね。」
『うん、すごく頑張った。先生たちも応援してくれたし、何より綾がね、あの子早大希望で合格率八十パーだったんだけど、先生たちと一緒になって勉強を応援してくれたんだ。だから、綾のおかげでもあったんだよ。綾の人生がここで狂っちゃったこと、すごく哀しいな……。』
「……大丈夫ですわ。綾さんはあなたを刺して逃げた。けれど、丸山美由紀による殺人教唆、そして止めをさしたのが丸山さん自身ということで、刑は軽く済むそうです。
……あの子なら、人生をやり直せます。良いお友達がついていらっしゃる。あなたのお友達、美也子さんも春菜さんも、綾さんを責めませんでした。
お父様、お母様、創さんも、彼女を責めなかったではありませんか。お三方とも、綾さんの情状酌量を訴えてくださるそうですわよ。
丸山美由紀の刑は重くなりそうですけれど、あれは自業自得ですわね。無計画と言っても良いような計画が運悪く成功してしまったけれど、悪事は明らかになるものですわ。」
『そうだね。お父さんたちが怒らないでいてくれて良かったぁ……。
刑事さんたちも、綾のこと自首って認めてくれたし。明果ちゃんのおかげで、私のお葬式にも出てもらえたし。本当に、良かった。』
時刻はもう夜の八時を過ぎていた。
葬儀は滞りなく終わり、綾は自首ということで、綾の母と創の付き添いの元、葬儀直後に園崎刑事のもとへ向かった。
これから、綾は自分を刺したという罪を背負って生きていかなければならない。
けれど、だからこそ、綾には自分の分まで幸せになってほしかった。
「……もう、逝きますの?まだ四十九日はたっぷり残っていますわよ。」
『だって、いつまでもいたら逆に逝きにくくなっちゃうから。』
二人は最後に握手をした。最初で最後の、握手だった。
頭上でたくさんの星がきらめいて、二人の別れを惜しんでいるようだった。
これ以上の憎しみを産まないように、哀しみを産まないように。
願いながら、祈りながら。
澪は体が軽くなるのを感じていた。
……さようなら。おやすみなさい、澪さん―――。
響の声が子守唄のように優しく遠くに聞こえて、澪の意識は溶けていったのだった。
彼女はそうして星になった。星澪という名のとおり、流れ行く星に。
―― 終 ――