死神のルーレット
神月蒼



 白くて眩しい光が、視界一杯に広がる。
 闇を切り裂いた閃光と重なって、耳の奥までえぐるような甲高い音、そして鈍い痛みが全身を走る。
 一瞬、のち。
 世界が反転して、意識が遠のいていく。
 目が覚めると見覚えのない和室にいて、周囲には黒い服を着て沈痛な表情を浮かべた家族、親戚、友人たちがいる。
 正面に大きな写真たて。
 微笑んでいるのは、まぎれもなく自分自身。

 ああ、わたし、もうここにはいられないんだ。

 驚きとか、哀しみとか、あってもいいはずなのに。
 何も感じない。ただ、事実だけが目の前にあった。

 ひとつだけ、不思議に思う。
 ――わたしの半身は、どこにいるのだろう?
 いくら探しても、彼女だけが見つからない。
 誰にも見えない手を伸ばして、彼女を呼ぶ。呼び続ける。
 探して部屋を出ると、外は真っ暗で何も見えなかった。
 手探りで歩いていくと、唐突に一筋の光が射す。
 走る。
 光を抜けると、白い毛皮に黄金色の瞳の猫が一匹、座っていた。
 しっぽをぴんとあげて、こちらを見上げている。
 一緒においで、と言われている気がした。
 彼は音もなく立ち上がり、歩き始める。
 ――待って。置いていかないで。

 叫ぶと同時に目が覚める。
 緑色の遮光カーテン、ぎっちりと中身の詰め込まれた本棚、古びた木の電気傘。黄色いチェックのシーツにくるまっていることを、改めて確認する。
 帰宅してベッドにもぐりこんでから、まだ二時間と経っていない。
 こんな不吉な夢を見るのは、きっと自分が不安だからに違いない。
 森下あかりはつぶやく。
 こんな夢、現実になんてなりっこない。
 実際に交通事故に遭ったのは、あかりではなく双子の妹ひかりのほうで。
 ふた月、意識が戻らず病院のベッドでチューブに繋がれたままだ。
 死んだりなんかしない。ひかりは、絶対に死なない。
 本来ならばとうに意識が戻っているはずなのに、いつまでも目を覚まさない妹。
 どうしてこんなことに、と何度も壁を叩き、泣き喚いても、ひかりは眠ったままだ。
 右足のギプスは取れ、頭の包帯も来週取れるのに。
 呼吸も脈拍もしっかりしている。医者は首をひねるばかりだ。
 ――全部、悪い夢だったら良いのに……。
 あかりは目を閉じる。しばらくは寝返りばかり打っていたが、一時間後には再び眠りの世界の住人になっていた。





 ダイニングカフェ蘭蝶は、東京都内の小さな雑居ビルにある。ビルは一階から三階までは居酒屋にキャバクラなどの飲食店、四階から上は居住区である。蘭蝶は二階の奥にあって、昼は喫茶店、夜はダイニングバーとして営業していた。
 「あかりさん、今日は妹さんのところ行かれるんですかぁ?」
 甘ったるい声で後輩に話しかけられ、森下あかりは顔をあげた。おしぼりの巻きなおしをしている最中だった。
 「五時までにあがれれば。」
 後輩は灰皿を拭いている。
 ランチタイムも間もなく終わる、午後二時四十五分。新規の入店はゼロに等しい。
 「このままならあがれますよぅ。心配しないで妹さんのお見舞い行ってあげてくださいー」
 「ありがとう」と言っておしぼりの束を保温器に仕舞う。
 あかりは二十五歳にしてランチタイムのフロントチーフを引き受け、バータイムはバーテンダーとして修行している。アルバイトでありながら、すでに在勤五年目の古株である。
 もっともこのひと月は、ほとんどバータイムに出勤していない。双子の妹、ひかりが事故に遭って以来二ヶ月も眠り続けているからだ。
 「あ、雨ですよう。傘ありますぅ?」
 後輩が言いながらコーヒーメーカーにポットをセットする。
 大通りに面した大きな窓に、ぽつぽつと水滴が付き始めて、はるか上空に白い光が走った。
 「持っていないけどたぶん平気。駅まで走ってあとはバスだし」
 窓の外を見やって、あかりはふと動きを止めた。
 向かいのコンビニの前に、一匹の白い猫がいる。長いしっぽをゆらゆらさせながら、まるでこちらを見つめるかのように、じっと座っているのだ。
 「ねえ、まいちゃん。」
 「なんですかぁ?」
 「あの猫、またいるよ。」
 「……あかりさん、すっかりなつかれちゃいましたねぇ。猫の恩返しとかあるかもしれませんよぉ」
 からかうように言われて、あかりは憮然と窓の外に目をやった。
 捨てられたのか逃げてきたのか、どちらかはわからないが、その猫は数日前から出没するようになった。ゴミを出しに行くと必ず現れるので、なんとなく残り物を与えていたのだが、この二、三日はよく正面のコンビニ前でああしているのだ。
 「あかりちゃーん、六卓さんデザート出るよー」
 「はーい、ただいまー」
 恩返しなら、ひかりの目を覚ましてくれればいいなあ。
 そう思ったが、口にはせずにパントリーに入ったあかりだった。








2 
 Cafe時空館。
 木彫りの小さな看板を持ち上げて、矢南(しなん)はカウンターの奥でかがんでいる男に言った。
 「スミトモさん、これ本気だったんですか?」
 ここは運命管理局、裏庭のはずれにある一軒家の中である。
 「冗談だったんですけどねえ。まさか実現するなんて思わなかったものですから……」
 男は立ち上がると、スーツの裾を何度か払った。埃がついて白くなっている。
 呆れ顔で矢南は指摘した。
 「なんというか、掃除にスーツって不向きですよね。」
 「楽なものですから。制服で来るあなたも負けていないと思いますがね。」
 眼鏡を直しつつスミトモは言う。髪を見事な七三分けにして、真面目なサラリーマン然とした雰囲気が漂っている。
 矢南は自分の着ている服の裾をつまんで持ち上げた。
 「ああ、これ。さっき転生課に顔出さなきゃいけなかったんで、仕方なく着てきたんですよ。スミトモさんもたまには着たらどうです?制服を絶対に着用しない時空管理官って、最近有名ですよ。」
 白いローブに紅色の玉環。銀髪紫眼の矢南が着ると、どこか天使めいた風体になる。
 「わたしはこれが楽なので。それにしても、矢南のその格好は詐欺ですねえ。間違っても死神には見えませんよ。」
 「……まあ、否定はしませんが。」
 運命管理官、天界での通称は『死神』。
 エリート中のエリートでありながら、天界一評判の悪い職業である。
 イメージが悪いわりには毎年多くの応募があるのだが、万単位の志願者の中から、一次書類審査で千五百人に、それに続く二次審査三次審査で十人前後までふるい落とされる。最終的に、合格者は多くて九人、少ないときはゼロという厳しさだ。
 「ところで、晦(みそか)にルーレットを持たせたとか」
 「おや、さすがは矢南、耳が早いですね。それじゃあ今回呼び出された理由もお気づきで?」
 十中八九、手伝いを任じられるんだろうな、と思っていたのだ。
 運命管理官の中でも特にランクが上の時空管理官。スーツに七三眼鏡のこの青年は、その気になれば大抵の管理官を顎で使える。
 「嫌なら嫌と言ってくださってかまいませんが、どうします?」
 命令一つで嫌と言わせないこともできるはずなのに、それを絶対にしないスミトモの姿勢が、矢南はけっこう好きだ。
 死神としては散々「できそこない」と言われている矢南なのだが、不思議とこの真面目な先輩とは馬が合う。彼のほうもわりと矢南を気に入っているようで、ことあるごとに呼びつけるのである。
 「光栄ですよ。しかし、あの子にルーレットはまだ早いんじゃないですか?」
 「そうですねえ。でも、運命管理官になった以上、いずれは通る道ですから」
 冷静な声のわりには、沈んだ表情で彼は言った。それは、ほとんどつぶやきに近かった。
 





 「晦が行って、もう一週間くらい経つのだがね」
 髪の長い少女――木音は言う。
 なまじ綺麗な顔をしているだけに、不機嫌な表情だと剣呑な雰囲気がある。
 運命管理局の東南にある温室の一角で、矢南と彼女は白いテーブルに向き合って座っていた。卓上には写真や書類が散乱しており、それなりの地位にある二人の忙しさを物語るようである。
 木音が書類の一部を読み上げる。
 「名前は森下あかり。いま二十五歳、独身だ。一卵性双生児の妹がいて、そっちは宮園ひかり。」
 「宮園?結婚してるのか?」
 書類をめくりながら訊ねると、しばらく沈黙した後、妙な質問が返ってきた。
 「おまえ、『二人のロッテ』という児童文学書を読んだことがあるか?」
 「えーと、ドイツの?エーリヒ・ケストナーだったか。」
 たしか、両親の離婚で離れていた双子の姉妹が、偶然夏休みの学校で再会する物語だ。
 運命管理で下界の小学校に行った時、一度読んだ。
 そう言うと、木音は不機嫌な顔のまま続けた。
 「日本版ふたりのロッテ、という感じだな。両親は二人が一歳で離婚、中学二年のときに再会。で、今に至るわけだが、ひとつ違うのは……」
 みなまで言わずともわかった。言い終える前に、矢南は彼女の言葉を引き取る。
 「両親が再婚しなかった、てことか。」
 「そうだ。で、ここから先が重要だな。この妹、ふた月前から入院中だ。」
 写真の森下あかりは、顎までの髪にウェーブをかけて、くっきりした二重瞼が重そうな、わりと整った顔をしていた。
二十五歳というわりには、大人びた雰囲気がある。てっきりもっと年上かと思っていた。
 「ひかりの写真は?」
 「ない。その写真で髪が長いのを想像しろ。」
 「ハイハイ。」
 適当に返事してさらに書類をめくる。妹に関する事項はほぼ空白だ。
 一通り書類に眼を通して、ひかりに関する記述がないと知り、しかたなく質問する。
 「重要っていうのは?」
 「病ではない、ということだ。」
 コーヒーのカップに口をつけて、木音の眉が跳ね上がった。矢南も口をつけて、眉をひそめる。
 なんというか、しみじみと不味いコーヒーだ。備え付けとはいえ、もう少しまともな味はないのだろうか。
 「……病ではない、というと」
 「車に撥ねられて全治二ヶ月。相手が心筋梗塞で、避けられない事故だったんじゃないか?」
 運命管理官が避けられないと言うのも奇妙だが、事実彼女は眠っているのだから、避けようがなかったのだろう。
 それにしても、二ヶ月意識不明とは。
 「意識が戻る予定は?」
 木音は肩をすくめた。
 「さあな。本来ならばとうに戻っているはずだ。」
 人間の運命なんてわからないものである。
 結局神様っていないんだなぁ、と不味いコーヒーに口を付けながら考える矢南だった。








 あかりは、ずっと父と二人で生活していた。母は死んだと聞かされていたが、それまで墓参りをしたこともなければ、仏壇に写真も位牌も置いていなかった。奇妙といえば奇妙だが、ひかりに会うまで、それを本気で信じていたのだ。
 出会いは中学二年の春。
 困惑顔の教師たちに呼び出されて、何かと思って向かった職員室。そこに、ひかりがいた。
 『あたしはママと暮らしてるの。』
 素敵な偶然だが、やはり現実はそう甘くない。
 父と母は、「二人のロッテ」のロッテとルイーゼの両親のように再婚もしなかったし、あかりとひかりも一緒に暮らしたいとは言わなかった。
 両親がよりを戻すことを考えなかったあたり、二人は非常に冷静だった。
 十年来の親友は、「姉妹揃ってさめている。現実的過ぎてたまに怖い」と言う。
 べつに、まったく望んでいなかったわけではない。できれば父と母には一緒にいてほしかったし、自分たちも一緒に暮らしたかった。ただ、自分たちのわがままがどこまで通じるか、二人ともよくわかっていただけである。
 ひかりはよく笑い、よく泣き、よく怒った。口の悪さは天下一品で、喧嘩っ早くて手も早い。口癖は「ばーか」である。
 大した妹だが、あかりにとってはたった一人の大切な妹だ。幸せになってほしいし、なるのだとずっと信じて疑わなかった。
 蛍光灯の冴えた光が、意識のない彼女の顔を照らしている。
 蒼褪めて、ぴくりとも動かない体。体のいたるところに巻かれた包帯が痛々しい。
 一階の売店に行くと、近くのソファーに父が座っていた。
 「お父さん」
 呼びかけると、父は顔をめぐらせてあかりを見た。ぼんやりとしていたようだ。
 「おお、あかり。来てたのか」
 「お母さんは?」
 「ああ、夜勤でな。今日は来れないんだ。」
 二ヶ月の間に、すっかり仲が良くなった父と母。ひかりが起きていたらさぞ喜んだだろう。
 家族四人がそろうことを、誰よりも望んでいたのは、おそらくひかりなのだから。
 「いつのまにか、すっかり夫婦ね」
 あかりが笑うと、父は弱気な笑みを浮かべた。早いうちにそうなっていれば、と思ったのかもしれない。何しろ、ひかりが撥ねられたのは、あかりと父が住むマンションに来る途中だったのだから。
 「お母さん、忙しそうね。」
 あかりが言うと、父は小さく頷いた。
 「本当は、少し休んでほしいんだが」
 意識の戻らない娘を見ているのが、辛いのだろう。母は以前にもまして忙しく働いている。
 「……あの子、起きるわよね」
 売店で買ったばかりのパンを握りしめて、あかりは呟いた。
 父は何も言わなかった。






 晦(みそか)が下界に来て、もう八日が経過している。
 父と娘の会話を背中越しに聞きながら、彼はココアの缶を弄んでいた。
 運命のルーレットを使い、森下あかりの未来を変えること。そう命じられはしたものの、どうやって運命を変えたものか、まるで見当が付かないのだ。
 蘭蝶で働く彼女を見張り、病院に見舞う彼女を見張り。
 ちょっと息抜きに傍を離れたら、今度は偶然あかりの父の後ろに座ってしまった。
 どうしよう、話しかけるわけにもいかないし……。
 途方に暮れていると、ココアがつるりと手から落ちた。
 「あっ」
 かららん。思った以上に大きな音をたてて、床に落ちる。
 背中合わせに座っていた二人が、音でこちらを見た。
 あかりがすぐに立ち上がって、ココアを拾う。人間の姿で、真正面からあかりの顔を見るのは、これが初めてだ。
 「ぼく、大丈夫?」
 幸いココアの蓋はまだ開けていなかったので、床を汚すことはなかった。
 ぼくと呼ばれたことに抵抗を感じたが、受け取ってから、自分が人間としては小学生くらいの姿であることを思い出す。
 「あ、ありがとう。」
 「どういたしまして。」
 何も知らない笑顔が、晦の心を締め付ける。一週間見つめてきて、あかりの優しいところをたくさん知ってしまった。
 自分がずっと見ていたなんてこと、彼女は知らない。そう思うと、なんだか後ろめたい気持ちになった。
 「まだ小学生かな?ご家族が入院されているのかね?」
 父親に話しかけられて、口ごもる。言い訳を考えていない。
 とっさに浮かんだのは、いつも不必要なくらい笑顔の、運命管理官の先輩だった。
 「お、お兄ちゃんが」
 お兄ちゃん!あの、出来損ないと有名な死神が?ただの変人なのに!
 ありえない、と思っても、言ってしまったものは仕方がない。
 「そうか、それは大変だねえ。」
 灯の父の大きな手が、晦の頭を撫でた。
 温かくて、がっしりとしていて、なにより優しくて。
 唐突に、晦は自分が泣いていることを悟った。
 何が悲しいのか。
 きっと、この優しい親子を、再び悲嘆の底に突き落とさなくてはならないから。
 「あらあら、我慢してきたのね……。えらいわね、さ、涙を拭いて……」
 あかりがハンカチで涙を拭き取ってくれた。
 背中をゆるやかにたたく彼女の手は、慈愛に満ちていてた。

 信じられない。
 この優しいひとが、持って十年の命だなんて。

 そして、なんと言うことだろう。
 自分は他でもない、彼女にそれを突きつける死神なのだ。
 ルーレットは、寿命が十年以内の人間にしか回せない。しかも、回せる回数は一度限りと決まっている。
 晦の持ってきたルーレットは、二十六から三十五までの九つの数字が載っていた。年齢を考えても、回せるのはあかりだけのはずだ。
 あかりは死に、ひかりは眼を覚まさない。
 そんな不幸、あっていいんだろうか。







 *** ***






 ひかりは夢を見ていた。
 どこまでもどこまでも続く一本道の先に、一軒の家がある。
 他にどこに行くわけでもないので、ひかりは仕方なく、その小さな家に向かって歩いていく。
 ドアの前に立つと、取っ手に小さな看板がかかっていることに気付いた。
 Cafe時空館。
 ガラス戸の向こうに人影が見える。
 取っ手に手をかけた瞬間、中の人影が近寄ってきて、ひかりよりも早くドアを開けた。
 「おかえ――」
 暗闇に輝く銀の髪に、まるでアメジストのような紫の瞳。
 ドアをいち早く開けた青年は、ぽかんと口を開けたまま、ひかりを指差した。
 「森下――あかりさん?」
 「……あかりは姉だけど」
 夢の中でさえ間違われるのか。一卵性双生児とはいえ、中学で再会して以来、間違われることの多さといったらない。時々うんざりしてしまう。
 「まいったなぁ。開店もしてないのに繋がっちゃうなんて……あ、とりあえず中へどうぞ。それにしてもひかりさん、どうやってここに来たんです?」
 名前を呼ばれたので、ひかりはほんの少し気を直した。
 「あたしのこと、知ってんだ。」
 「ええ、まあ。」
 青年はひかりよりも少し年下に見える。二十三歳くらいだろうか。
 家の中をぐるりと見回す。どうやら喫茶店らしく、正面にパーテーションの付いたカウンターが五席、玄関の左右にあるフランス窓に面して二人がけのテーブルが二つずつ、置いてあった。
 「ここ、どこ?」
 「天界運命管理局の、裏庭です。」
 「はぁ?」
 思わず背後のドアを振り返ると、あら不思議。ドアの向こうも窓の向こうも、鬱蒼とした緑が繁っている。真っ暗だった道はどこにもなく、白く霞んだ空が上に覗いていた。
 「ここ、どこよ」
 「……天界運命管理局の、裏庭です」
 同じ問答を繰り返して、二人は互いの顔を見る。
 青年は嘘をついているように見えない。それどころか、本気で困っているようだった。
 「あんた誰なの?あかりのダチ?」
 日本人には間違っても見えないし、服装もずいぶん変わっている。床までひきずるくらいの長さの真っ白なローブで、腰のところに紅くて丸い宝石のようなものがついているのだ。
 「ええと、運命管理官、俗に死神とか呼ばれている者です。私は矢南。あなたのお姉さんは資料に写真があったので」
 「死神ぃ?」
 いよいよ胡散臭い。しかし、矢南はひとつも嘘を言っていないのだ。
 ひかりは怪訝な顔で青年を見る。外見だけならむしろ天使と言ったほうが似合いそうな彼が、死神と言うのもどこか胡散臭い。
 奥のドアが開いて、大きなダンボールが現れた。ぎょっとしたひかりに気付く様子もなく、ダンボールが喋った。
 「矢南、さっさと終わらせて行きますよ!」
 「行かなくてもいいかもしれませんよ。」
 矢南は振り返りもせずに言い返す。
 ダンボールが怪訝な声を出した。
 「なに言ってるんです?」
 「ひかりさんがご来店です。」
 短い間があって、もう一度ダンボールが聞き返した。
 「……なに言ってるんです?」
 カウンターにダンボールが積み上げられて、後ろから七三眼鏡でスーツの男が顔を出した。
 視線がひかりの顔で止まる。
 「宮園ひかりさん……?」
 さっきの矢南とまったく同じ表情で、男は呟いた。
 夢にしてはずいぶんリアルだ、とひかりは思った。










4 
 泣きすぎて目がごろごろする。あかりと父に会ってから、三時間ほどが経過していた。もうすっかり夜だ。
 目をこすりながら、晦は洗面所をあとにした。
 顔を見られてしまった以上、これ以上小学生の姿でいるわけにはいかない。
 とりあえず姿を変えることにして、それからどうしようか。
 あかりに渡されたハンカチを握りしめて、彼はどんよりと背中を壁に預けた。
 「どうしろって、言うんだよ」
 「どうするの?」
 独り言に、返事が返ってきた。
 「…………え。」
 顔をあげると、角からのぞく顔がある。十五歳くらいの、銀髪銀目の美しい目鼻立ちの少年である。
 「え、え?」
 戸惑う晦に向かって、少年はにっこりと笑いかけた。
 つられて笑い返してから、はたと気付く。
 「だ、だれ?」
 はちきれんばかりの笑顔を見せて、彼はくるりと踵を返した。非常階段に向かって小走りに駆けていく。
 「待って!」
 動物の本能だろうか。晦はとっさに彼を追っていた。
 非常階段を駆け上る音。一階から四階の踊り場まで休まず駆け上った彼は、五階フロアに少年が消えたのを見た。
 息を切らして五階フロアに飛び出す。
 入院病棟に続く渡り廊下を、銀髪の後ろ姿がゆったりと歩いて角を曲がって行く。
 「廊下は走らないでください!」
 駆け抜けざまに看護師に叱られて、「はいっごめんなさい!」と謝りながら後を追う。一瞬看護師に気がそれたせいで、少年を見失ってしまった。
 どこに行ったのだろう。
 あたりを見回しながら歩いていく。中庭に面した窓の向こうに、雷が走るのを見た。
 「あ、雨……」
 小さな水滴がガラスに当たって砕けていく。今日何度目の雨だろうか。
 「ちょっと電話してくるわ。」
 聞き覚えのある声がした。
 振り返った晦の前に、見たばかりの女が出てくる。
 「あら、さっきの」
 彼女の出てきた病室の表札は、512号室、宮園――。
 あかりだった。
 自然と足が動いて、晦は彼女に近づいた。
 「君のお兄さんもこの階なの?」
 声もなく首をふると、彼女は「そう」と言って外を見やる。暗い廊下で、あかりの表情はいつも以上に陰を感じさせた。
 「私は妹がここにいるの。」
 「妹、さん……」
 宮園ひかり。
 本当ならもう目を覚ましても良いはずなのに、いつまでも目覚めない彼女。
 「眠っているだけなんだけどね。双子なのよ」
 晦はまだひかりの顔を見たことがない。ついでに言えば、双子もあまり見たことがなかった。
 「顔、似てる?」
 「そうね。一卵性双生児だから、同じ顔があるみたい。」
 あかりと同じ顔。ぼんやりと彼女の顔を見つめる。
 「会って、みたい」
 口に出してから、しまったと思った。
 ひかりに会ってどうするというのか。大体見も知らぬ自分が突然会いたいなんて、あかりだって気分を害するに違いない。
 失言のあまり内心パニックでいると、あかりはぷっと吹き出した。
 「そうね、新しいお友達が来たら、あの子も目を覚ますかしら。会ってやってくれる?」
 予想外の言葉。
 呆然としている晦の手を、彼女が引っ張った。あたたかい掌だ。
 「きみ、名前は?」
 「み、晦。」
 「へえ、めずらしい名前なのね。」
 興味を持ったようなので、晦は少し嬉しくなった。
 「月の名前なんだって。あ――お姉ちゃん、は?」
 「あかりよ。森下あかり。妹はひかりって言うの。」
 病室の窓際には父が座っていて、晦を見ると彼も驚いてから微笑んだ。
 初めて見るひかりの顔は、なるほどあかりとそっくり同じだ。
 ただ、ひかりの顔は青白く、頬がこけて唇が乾いている。腕も細くなり、血管が浮いて見えていた。
 電話は終わったのかい、と父に聞かれ、あかりは改めて部屋を出て行った。
 雨の音がとても大きく聴こえる。
 こんなに同じ顔で、辛くないはずがない――。
 細い指を胸の上で組んだまま、ひかりはびくともしない。死んだように眠り続ける彼女の姿は、まるであかりの未来を見せ付けるように見える。
 ルーレットに示された数字は、二十六から三十五までの九つ。遠くない未来、こうして手を組んで横たわるのは、ひかりではなくあかりなのだ。
 「そっくりだろう?中学のときは、二人ともちょうど髪の長さが同じでね……入れ替わって、担がれたこともあった。あかりが本を読んで思いついたらしいのだがね……。」
 父親の言葉を聞いて思い出した。下界に降りるとき、木音が言ったことだ。
 「二人のロッテ?」
 「そう、それだ。」
 ロッテと言うには二人ともお転婆が過ぎる、と木音は言ったのだった。
 「……どんな話し、だっけ」
 本当は内容なんて知らない。けれど、なんとなく黙っているのも妙で、晦は必死に話を繋げようと努力した。
 「両親の離婚で離れ離れになった双子が、夏休みに訪れた子供の家でばったり再会するのさ。誕生日に両親をそろえたくて、二人は夏休みが終わったとき、入れ替わってそれぞれの家に行くんだ。でも、二人はなにしろ性格が正反対で、行く先々で問題を起こすんだよ。」
 あかりとひかりも正反対なのだろうか。
 じっと見つめていると、彼は察したように「ああ」と言った。
 「二人とも、ロッテのように大人しい性格ではないなあ」
 弱々しい微笑みが、晦の胸に染みた。





 翌朝、一階フロアでぼんやりしてると、ぽんと肩を叩かれた。
 「おはよ、晦くん。君も泊まり?」
 冷たいココアを晦に渡し、自分はコーヒーのプルトップを引く。
 朝日の中で、あかりの顔色はずいぶん悪く見えた。昨日もそうだったが、眼の下のくまがひどい。
 きちんと寝ているのか聞こうとして、やめた。死神の自分があかりの心配をするのは、筋違いのような気がしたのだ。
 「あら、それなあに?ルーレット?」
 言われてハッと気付く。ルーレットを抱えたままだったのだ。
 慌てて隠そうとする晦の腕を、彼女が捕まえた。
 「いいじゃない、隠さなくても。……あら、かわったルーレットなのね。」
 白い円盤に金色の数字。数字は常に九つしか存在しない。
 このルーレットは、標的に回させることで任務を完了する。
 あかりにルーレットを回させることができれば、それで晦の任務は終わるのだ。
 「ねえ、回してみてもいい?」
 あかりの手がルーレットにかかる。瞬間、晦は慌ててルーレットを抱え込んだ。
 「まだダメ!」
 この道具を使うには、冷酷でなければ務まらない。先輩たちのそんな話を思い出していた。
 晦は自分が優しいとは思わないし、今まではどんな残酷な未来でも決定してきたつもりだ。それが、この程度の任務で思い切りがつかないなんて、どうしたことだろう。
 「……ぼく、あかりさんに死んでほしくない」
 予想外の言葉が口から漏れた。
 「……やだ、いきなりなに言うの?」
 あかりの笑顔が凍りつく。
 晦は突然確信した。あかりは、ひかりさえ助かるなら、自分の命もいらないと思っている。
 未来の見えざる手が自分に迫っていることに、無意識ながら気付いているのではないか。
 「あかりさん、ぼくは、ぼくはね」
 心臓が早鐘のようだった。
 言わなくてもいいことを、言おうとしている。
 ルーレットを握る手に力がこもる。
 頬を生暖かいものが伝って、膝に落ちた。
 あかりの笑顔から硬さが消えた。
 「また、泣くのね。」
 「だって……」
 猫の姿で、蘭蝶で働くあかりを見ていた。あかりの手から食べ物をもらい、頭を撫でてもらった。
 人間の、少年の姿で病院に入り込み。両親と会話し、妹を心配する彼女を見て。
 芽生えた感情は、何だったのか。

 ――運命管理官になった以上は、誰もが通る道です。

 ルーレットを渡すとき、時空管理官はそう言った。
 命を扱う、その重さをよく知らなければならない。
 たとえばその相手が、どんなに自分にとって大切であろうとも、定められた運命の前にはすべて平等でなければならない。
 「ぼくは死神だから……」
 ルーレット使用時の絶対条件。
 運命管理官は、標的に対し自分の身元を明らかにし、目的を明らかにしたうえで、ルーレットを回すように命じなければならない。
 「これをまわしたら、あなたの寿命が決まっちゃう」
 管理官の先輩たちは、晦がルーレットを使うと聞くと、同情の眼差しを向けた。
 たいしたことないと思っていた。
 ルーレットを回させるだけ。ただ、それだけだと。










 眼が覚めると、そこは病院のベッドだった。
 ついさっきまで、運命管理局とかいう不思議な庭の一軒家にいたのに、本当に夢だったのだろうか。
 ひかりはゆっくりと体を起こすと、自分の全身を確かめた。
 頭にも足にも包帯が巻かれ、腕には点滴の針が刺さっている。立ち上がろうとすると、力が入らなくて難儀した。
 二ヶ月も眠っていたのだ。体が動かなくても無理はない。
 「だあっこんちくしょー!」
 腹立ちまぎれに怒鳴ると、誰かが後ろで噴出した。振り向くと、矢南が病室の入り口に立っている。
 「笑うな!んなヒマあったら手伝ってよ!」
 「ごめんごめん。」
 言いながら彼がひかりの手をひくと、全身のだるさがやや軽減した。
 「ナースステーション通ったら、看護婦さん驚くだろうな。いっそ窓から出るかい?」
 それは良い提案のように思えた。
 あかり達は一階フロアから屋上へと移動している。この病室からだと、八階までエレベーターで行き、そこから階段になってしまうのだ。いまのひかりでは、屋上まで辿り付けるかどうか、怪しいものだ。
 ひかりが頷くと、矢南は窓を開けて身を乗り出した。軽妙な動作で柵の上に乗り、ひかりの体を持ち上げる。
 「ちょっと怖いかもしれないけど、我慢してね。」
 言うなり、矢南の背中が音をたてて割れた。大きな白い鳥の翼が、朝日の中にあらわれる。
 「……まるで天使ね。」
 大抵のことにはもう驚かない。何しろ、ひかりは間違って天界まで行ってしまったのだ。目の前のこの美しい青年が、死神であろうと天使であろうと、どちらでも構わないのである。
 「白い翼は、運命管理官でもめずらしいんだよ。わたしも自分以外は二人しか見たことがない。」
 「あの晦って子は?」
 「さあ。いつも抱いて来てたから」
 「抱いて?」
 「基本仕様が猫なんだ。」
 猫。
 背中に翼の生えた猫を想像して、なにか妙な気分になった。
 矢南の首に腕をまわすと、二度三度と翼を大きくはためかせて、彼は柵を蹴った。
 強風がひかりの顔を叩いて、思わず眼を閉じた。風が緩やかになって眼を開けると、眼下にバス停と車止め、公園のような緑の敷地が広がっていた。
 「うわ、高……!」
 うわずった声が漏れて、ひかりは腕に力をこめる。落ちたら間違いなくあの世行きだ。
 お姫様抱っこで空を飛んで、あげくの果てに落ちて死ぬなんて末代までの笑い話になりそうだ。そんなことを思っていると、矢南がひかりの心を読んだように言った。
 「間違っても落とさないから、大丈夫だよ。」
 「死神が心を読めるなんて知らなかった。」
 「……それは私も知らなかったな。」
 人間なら誰でも、高いところに行けば落ちると思うのが普通だろう。そう言われて、なるほどと納得する。
 高さは徐々に増していき、三十秒も経たないうちに二人は屋上に辿りついた。
 給水塔の横に着地する。
 矢南の腕から離れて、ひかりはよろめきながら歩き出した。
 二十メートルほど離れたところに、あかりと晦の姿がある。二人は柵の向こうを眺めながら話していて、ひかりが来たことに気付く様子はない。
 「……あたしはいつ死んだってかまわないわ。だからひかりを助けてほしいの」
 悟ったような口ぶりで、あかりは言う。ひかりはムッとしたが、黙って二人に近づいた。
 あかりも晦も、背中をこちらに向けている。晦の手にルーレットがあるのを見て、ひかりは狩場のライオンのように目を細めた。
 「前もって自分の寿命がわかるなら、覚悟もできるじゃない?きっと、悪いことだけじゃないはずよ。」
 言いながらあかりの手がルーレットに伸びる。
 晦が諦めたようにルーレットを差し出したのを、ひかりは見逃さなかった。
 勢いをつけて飛びつく。
 一秒後、ひかりは音を立てて二人の間に飛び込んでいた。
 「取ったァ―――!!」
 呆然とする晦と、驚いてひかりの名を呼ぶあかりと。
 突っ込んで、ルーレットを奪った勢いそのまま、腕をふりあげる。
 「晦!ひかりさんを止め……!」
 「えっ、矢南!?」
 時すでに遅し。
 矢南の制止の声が飛んだ瞬間、ルーレットは屋上の床に叩きつけられていた。
 「なぁーにが『覚悟もできる』だ!ざけんなばーか!人間なら人間らしく死ぬ直前まで足掻いとけ!いつ死んだってかまわないだぁ?ざけんなこのバカ、そんなんこっちも同じ気分なんだよ!!」
 ほぼ一息に言い切って、ひかりは勝ち誇ったように笑った。
 鮮やかな笑顔だった。













 天界、運命管理局の裏庭にある一軒家の中。
 テーブルの上で書類を広げて、木音は苦笑した。
 「ルーレットは修復不可か。とんでもない娘がいたものだな。」
 ルーレットをまわす、まわさないの二択しかないはずの選択肢を、ひかりは『壊す』という想定外の方法で回避したのだ。
 「壊す、ねえ。考えてなかったけど、たしかにそういう道もあったよね。ひかりの言うこともよくわかるし。」
 真面目な顔で矢南が言い、スミトモが苦虫を噛み潰したような顔になる。
 「そもそもルーレットが決定するのはあかりじゃなくてひかりのほうだった、なんて、今更言われても困りますよ。結局わからないことだらけですしね。」
 そう、寿命が十年以内だったのは、あかりではなくひかりのほうだったのだ。
 どちらにしろ、ひかりならルーレットは回さなかったろうな、と誰もが思ったが。
 





 同じ頃、下界ではひかりと晦が蘭蝶を訪れていた。




 夕方六時を過ぎると、蘭蝶はバータイムの営業になる。
 ひかりに引っ張られて、晦は初めて人間の姿で蘭蝶の門をくぐった。今日は二十歳くらいの姿をしている。
 「あかりのカクテルはうまいんだ。人間じゃないならちょっとくらいいけるだろ?」
 「そりゃ人間じゃないけど……。もしかして大人で来いって、そういうこと?」
 テーブルに着くと、シェイカーを振っているあかりの姿が見えた。
 手を振ると、どうやら気付いたらしくこちらを見る。ぼろりとあかりの手からシェイカーがこぼれた。
 「あれ、なにやってんだ?」
 「……やっぱり来なかったほうが良かったんじゃない?ぼく、帰ろうかな」
 耳まで真っ赤にして、あかりはぶちまけたカクテルを片付けている。
 人間でないことがばれてから、晦はすっかり双子と仲良くなってしまった。ひかりにいたっては「晦とあたしは親友!」などと公言して憚らない。
 初のルーレット破壊事件で、晦はしばらく謹慎の身だ。その間、双子の監視をするように命じられている。
 「どっちにしろ、寿命決まっちゃうけど。ひかりは良いの?」
 「あかりが幸せなら、あたしはいつ死んだっていい。」
 「……ほんとに姉妹だね。よく似てる。」
 運命なんて、わからない。
 出会ったところであっという間に人間の寿命は来てしまうけれど、それでも関わって、生き様を見届けるのもひとつの道だ。
 運命管理は辛い仕事だと言うけれど。
 それでも、この仕事をしてきて良かったと思える出会いが、たしかにあると思うから。
 いまは、ただ傍にいたい。
 それだけを願って。




 ―― 終 ―― 


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