歌う石

奏位星華


 遠い昔より、長い時空をかけて伝えられた歌があるという。
 それは宇宙の彼方から突然地上に舞い降りた一人の女性が歌ったのがはじまりで、人から人へと歌い継がれたと―……。

 私がその歌を知ったのは、先日ある女性に出会ったのがきっかけだった。
 出張で地方の都市に向かう途中、偶然にも新幹線の車内で相席になった時の事。


「……すみません、相席よろしいでしょうか?」

 
 鈴が鳴るような声色で僕に話しかけてきた妙齢の女性。クリーム色のロングコート姿でゆるいウェーブがかかった栗色のセミロング。薄化粧をしているのか、とても肌が白く見える。
「あ、どうぞ」
 僕が右手で向かい側の席をすすめると、女性は軽くお辞儀をして座席に着いた。
「どちらまでですか?わたしは新神戸までですが」
「僕は岡山です。荷物、上に置きましょうか?」
「ありがとうございます」
 女性の旅行鞄を受け取り、上の棚に置いて座席に着くと、顔を上げたときに彼女と目があった。澄んだ明るい茶色の瞳が僕の方を見つめている。
「お仕事で移動中なのですか?」
「ええ、営業で支店の方に。あなたは?」
「わたしは家に帰る途中です、命日なので」
「えっ?ご家族の方ですか」
「はい、もう十年以上になりますが、震災で祖父を失いました」
 彼女はそう言った後、ひざの上においてある水色の巾着から透き通った緑色の球体を取り出した。それはエメラルドに見間違えそうなくらい鮮やかで、傷ひとつなく綺麗に磨かれている。
「……その球、とても綺麗ですね」
「ありがとうございます。これ天然の硝子なんですよ」
「そうでしたか、僕はてっきり宝石かと」
「人によく言われるんですよ。二年前にインドネシアにいる祖父の知人から送ってもらった頂きものなんですけど」
 直径ニセンチほどの硝子球は、車窓の向こうから射し込んできた太陽の光を浴び、瑞々しい果実のようにキラキラと輝いている。僕がそれにしばらく見とれていると、彼女がふと歌を口ずさみ始めた。
 やわらかくおだやかで自然な歌い方、聞く人をすっぽりと包み込むような澄んだ声。それを聞いた時、自分が昔どこかで聞いたことがあるような気がして―……。




 そこは、透き通った美しい神殿だった。
 天空に向かって高くそびえる柱と壁、床がすべて水晶で作られ、建物の中では白い服を身にまとった人々が、ふわふわと自由に空中を舞うようにして飛んでいた。
(……あれ?どこかの新興宗教の建物に迷い込んだのか?)  その集団の中に、あの女性がいた。
 車内で会った時よりも髪の毛が腰のあたりまで伸び、踊るようにして飛びながら歌を歌っていた―さっき口ずさんでいた時の歌を。
 その姿に見とれていると、気づいたのか彼女がスッと僕の目の前に舞い降りてきた。
「あら、見かけない顔だけど……どちらから?」
「えっ?えっと……東京からです」
「とうきょう?聞いたことない場所だけど……ずいぶんと遠くからなのですね」
 僕はええ、と軽くごまかして、彼女の姿を一瞥してから、こう尋ねた。
「……ここは一体どこなんですか?」
「ここは石英の神殿。わたしたち巫女がここで祈祷したり、舞や歌を奉納する場所なのです」
「そうですか。でもなんかすごいところにあるんですね」
「ええ、ここは地上から離れた空中に置かれているんです」
 それを聞いた僕は思わず慌てふためいたが、彼女はくすくすと微笑った後、こう話してくれた。
「あなた、見た感じ何処か別の場所から迷い込んだのね。もっともわたしたちが気づかずに突然ここに現れたみたいだし」
 女性は口に手を当ててそう推測すると、大丈夫、と僕に向かって右目だけをウインクした。
「実はわたしたち、この神殿から別の世界に向かうために集まっているんです」
「……それどういうことですか?」
 僕が女性に問いかけると、彼女はチラっと背後で舞っている他の女性たちを見てから、答えてくれた。
「この世界が時空の歪みの影響で、まもなく滅びます。それでわたしたちは神殿に集まり、別の世界への扉が開かれるのを待っているのです」
「世界が消滅って……」
 それを聞いた僕は、ふと彼女の顔が憂いを帯びているのに気がついた。
「―実は数日前、天空からこの神殿に一人の女性が降り立ちました。彼女は別の世界から来たと言い、偶然ここで祈っていたわたしに、この世界がもうすぐ消えると伝え、この球体を渡した後、また何処かへと飛び去っていきました」
 彼女が白い衣の内側に右手を入れて取り出すと、透き通った緑色の球体が姿を現した。それはさっき列車の中で出会った女性が手にしていたのと同じものだった。
「それを知った直後に地上に降りたところ、すでにあちこちで崩壊が始まっていて、わたしは急いで仲間の巫女たちを集めてここに来たのですが……」
 女性が僕に話している途中で、突然頭上の空が暗くなった。

「―姫さま、あれを!」
 空中を舞っていた巫女の一人が、上空を指差しながら叫んだ。その方角を見ると、神殿のちょうど真上で大きな黒い雲の渦が、ぐるぐると音を立てて巻いている。
「時空の歪みで渦が発生してる……ここも崩壊が始まるのね」
『姫』と呼ばれた女性は、小さく言葉をつぶやき、徐々に広がる黒い雲の渦を見つめた。
「これは一体……」
 彼女の隣にいる僕だけでなく、空中を舞っていた巫女たちもその場で静止し、急変した空を見つめていると、別の巫女が何かに気づいたのか、渦の中心を指差した。
「扉が開きます!」
 そこからスッと白い光の柱が、神殿の床に向かってまっすぐ降りてきた。
「みんな!早くあの柱へ!」
 姫巫女の一声をきっかけに、空中で静止していた巫女たちが次々と光の柱へと入っていき、そこから天に向かって昇って行く。
「姫さまも早く!急いでください!」
 先刻、女性のことを『姫』と呼んだ巫女が、柱の手前で声をかけてきた。
「―行きましょう」
 それを聞いた彼女は、左手で僕の右手を取り、光の柱へと飛び込んだ。そのすぐ後に僕が飛び込むと、次の瞬間足元が急に浮いた感じがした。
 ほどなくして、水晶の神殿の床や壁、柱が轟音を立てて崩れ始めた。
「姫さま、神殿が……!」
 僕と姫のすぐ上にいた巫女が、崩壊していく神殿を見つめると、姫は小さく首を縦に振った。
「どんどん崩れていくわ……間一髪で間に合ってよかった」
 光の柱と共に、僕は巫女たちと一緒にどんどん上空へと昇って行く。その先に見えたのは、真っ白い光の球体。
「あそこに入るわよ!しっかり手を離さないでいて!」
 隣にいる姫の言葉を聞き、僕は彼女の手を強く握り締め、白い光の中へと飛び込んだ。その直前の刹那に僕がかいま見たのは、崩れ落ちてゆく神殿の成れの果てと、その欠片が落下していく地上が、地震や津波、洪水と度重なる天災によって滅んでいく映像―……。





 ふと気がつくと、僕は姫と手をつないだまま、緑の芝生の上に立っていた。顔を上げると、白い雲が流れる青い空が広がり、他の巫女たちも全員無事だった。
「なんとか、別の世界にたどり着いたわね」
 ほっとした表情で姫が僕にそう言った後、彼女はずっと握り締めていた右手をそっと開くと、手の平の上にはあの緑色に輝く球体があった。
「この球のおかげで、みんな無事に脱出できてよかったわ」
 目を細めて球を見つめる姫に、僕はそっと尋ねてみた。
「姫さま、その球体は一体なんなんですか?」
「この球体はね……」
 姫がそう言い掛けて小さく息を吸った後、美しい歌声が彼女の口から解き放たれた。それが呼び水となって姫の周囲にいた他の巫女たちも一斉に歌い始めた。
 僕が聞いたことのない言語ではなく、意味も全くわからないけれども、とても明るく穏やかで優しいイメージを持っているように感じたその歌は、僕の心に深くしみわたるように響き渡った。
 やがてその歌声を聴いているうちに、目の前がどんどん明るくなり、完全に真っ白になったところで、僕は意識を手放していた。
 




 ハッとして目を開けると、僕の身体は新幹線の座席の上にあった。車窓の向こうの景色を見ると、列車は新大阪駅に到着したばかりだった。
 それに気づいた相席の女性は、目が覚めたのね、と声をかけてきた。
「なんかわたしが急に歌い始めてから、あなたがすぐに眠っちゃったみたいで……」
「いえ、お気になさらず。僕もついつい寝てしまい、失礼しました」

(しかし、やたらと生々しい感じのする夢だったなあ……)

 眠りから覚めた僕がふとさっきのことを思い出そうとした、その時。
 彼女の手の平の上に置かれていた硝子が突然、パキン、という音を立てて真っ二つに割れ、床に転げ落ちた。僕はあわてて座席を立ち、自分の手前に落ちた片方の欠片を拾いあげた。
「大丈夫ですか?」
 彼女ははい、と落ち着いた顔で頷くと、傷ひとつない右手の平で床に落ちたもう片方の硝子を拾った。僕は手にしている片方の硝子を女性に渡そうとすると、彼女は首を横に振り、笑顔でどうぞ、と返した。
「ええ?でもいいんですか、これ……」
「はい。ここで玉が二つに割れたということは、そういうことなんだと思います」
 僕は彼女の言った事がどういう意味なのかわからず、ただただその欠片をジャケットのポケットに仕舞ってお礼を言った。
 列車がまもなく新神戸に到着する案内が車内に流れると、女性は席を立って鞄を棚から取り、車内からデッキへ向かおうとしたので、僕は慌ててその後を追った。
「待ってください、あなたは一体……」
 僕の発言に対して、女性は笑顔でこう言った。
「その硝子、『歌う石』っていうの。大切にしてくださいね」
 彼女は停車した新幹線のデッキからホームへと降り立ち、またどこかで、と小さくおじきをした時、列車の扉が音を立てて閉じられた。
 ゆっくりと動き出す列車から、女性の姿がどんどん離れていき、その姿が完全に見えなくなるまで、僕は彼女から受け取った硝子を手にしたまま、デッキの上にたたずんでいた。
 



 あれから数日経つが、私は時々歌を口ずさむようになった。神殿で『姫』と呼ばれていたあの女性から贈られた硝子を手にするとついつい、なのだが。
 夢で見た神殿の出来事と、女性が僕に硝子を渡したときに言っていた『そういうこと』というのは、おそらく彼女の過去世の記憶の一部を僕が受け取った―共有したんじゃないかと思っている。
 それにインターネットや辞書などで探しても見つからなかった謎の言語の歌は、意味は全くわからないけど、僕にとっては良い歌なんだと思う。

 それはきっと、何処か遠くから来た女神が与えた、『奇跡の歌』なのだろうと。