代身石(かわりみいし)
奏位星華


 ぼんやりとした、ミルク色に広がる世界。かすかに甘い香りが辺りに漂っている。
 以前にもどこかで嗅いだ事があるような気がして……あれはいつだったんだろう? 
 そう頭の中で思い巡らせようとした時、ガチャという音の後にドアが開く音がして、パタパタとスリッパで歩く足音が続いた。

「おやおや、すやすやと寝とるねぇ。お母さんに似て可愛ええなぁ」
 少ししわがれた年配の女性の声の後に、若い女性の声が聞こえた。
「あらそう?他の人からはお父さんに似てるって言われるんですけど」
「ほらここの口元や、耳の形がよう似とる。肌も白いしこの子は大きゅうなったらべっぴんさんになるよ」
 老女の言葉の後に、ふと視界が一瞬だけ明るくなったかと思うと、白い天井と壁が見え、その後すぐに二つの顔―老女と若い女性のもの―が姿を現した。

「この子は福を持って生まれてきた子じゃね。どれどれ、手もふっくらしとる」
 右手が温かい。ああ、握ってもらってるのか。やわらかく包み込むようにして……あれ?手の中心がひんやりしてきた。何か固い物を握ってる?
「これはあたしからのプレゼント。大事に持っときんさい。いつかおまえさんの身に何かあった時に……」
 老女がそう言っている途中で、突然手の中にある物が少しずつ温かくなってきた。それと同時に彼女の声が遠くなり、目の前が急激に暗くなると、入れ違いに大勢の人々が話している声が聞こえ始め、何やら叫びに似た女性の声が飛び込んできた。 


「あすみ!しっかりして!あすみ!!」


―えっ?
 いつも毎日必ず聞くその声を、私は忘れるはずがなかった。
(お母さん!!)
 そう叫んだ瞬間、視界がパアッと明るくなり、私の顔を見つめる母の姿があった。

「よかった、意識が戻って……あなた近所の道路で車に撥ねられたのよ」
 彼女にそう言われ、私の脳裏に思い浮かんだ記憶。 

 約束に遅れるからと慌てて家を出てすぐ、道路の横断歩道を渡ろうとした時に車が目の前にあって、その直後に強い衝撃と痛みと大きな音が聞こえて―……。

「あなた、いつもバッグにお守りを入れてるのに、今朝はテーブルの上に置いてたでしょう?それで急いで渡しに家を出ようとしたらドンって音がして、道路に出たら……」
 母はすぐに携帯で救急車を呼び、私は病院に搬送された。集中治療室に運ばれる前に、お守りの中身を右手に握らせたのよ、と涙ながらに話してくれた。 
 ふと右手に視線を移し、それを開いて見ると、手の中にあったのは割れて粉々になった黒い石―だったもの。


 あの交通事故に遭った日、私は近所のおばあちゃんのお見舞いに病院へ向かおうとしていた時だった。その半月後―病院から退院する日に母から聞いたのだが、私が意識を取り戻した時に、入れ違いで彼女は亡くなったということだった。
 そのおばあちゃんは、私が生まれて間もない頃にあの割れた石―黒めのうを贈ってくれた人よ、とも話してくれた。昏睡状態の時に見たあの夢は、その当時の彼女と母が赤ちゃんだった私の前で話をしていたんだな、と。


「あすみ、おばあちゃんはあなたにもしもの事があった時にあの石―代身石(かわりみいし)っていうんだけど、その石が護ってくれるって言ってたの。だからあの事故の時、奇跡的に助かったんじゃないかしら……後遺症もなく回復も早かったし」
 母が言うにはその昔、おばあちゃんが生まれた地方の古い言い伝えで、そこに住む人々は黒い石をお守り代わりとして身につける習慣があったそうで、身代わりとなって役目を終えた石は粉々に割れたり、忽然と消えて二度とでてこないということだった。

 
 私は割れた石のかけらを布に包んで家の庭に埋め、目を閉じて手を合わせたその時。
 ふと脳裏にたくさんの黄色い花が咲く草原で、にこやかに手を振るおばあちゃんの姿が見え、私は彼女にお礼を言った。


「―ありがとう、おばあちゃん」


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