空のうさぎとバラと雨
奏位星華


 しとしとと、冷たい雨が降る町の中で、私はひとりでさ迷っていた。
 足元にある水たまりに顔を映すと、澄んだ空色の毛並みに、ピンと伸びた長い耳を持つ自分の姿があった。
 そういえば、さっき通りかかった小学校の飼育小屋に、うさぎという生き物がいたけど、アレとおんなじ体つきだったなあ。
 毛の色よりも濃い青い瞳をもったわたしは、自分がどこで生まれたのか、どうやってこの町に来たのかわからない。

 ……寒いよう。
 雨が降っているので昼間とはいえ人がいないし、ずっと歩きまわっていたせいか、目の前が時々ぼやけてくる。なんだか体も重たくて熱っぽいので、どこか雨をしのげるところで休まないと。
 そう思いながらしばらく歩き続けていると、いつの間にかわたしはどこかの家の庭に迷い込んでいた。
 顔を上げると、そこは赤やピンク、白といった色とりどりのバラが咲いていた。きれいな花たちに見とれていると、ふと自分の体が急にぐらりと傾いて、その後すぐに目の前が真っ暗になった―……。










 わたしは不思議な夢を見た。
 真っ白い空間の中、自分の目の前にある一輪の真っ赤なバラを、じっと見つめるだけ。
 その花の香りをまだかすかに思い出すくらい、それはとても鮮やかで美しくて―……。









 パラパラ、と雨粒が窓ガラスを叩く音で、わたしは目が覚めた。
「……気がついた?」
 どこからか声が聞こえたので、コクリと小さくうなずいたけど、まだ頭はぼんやりとしたまま。
 わたしはベッドの上で体を丸めて眠っていたらしい。その縁に座っていたのは、 茶色の瞳と短く切った黒い髪の若い男の人。その右の耳の後ろには、三日月の形をした物がピッタリとくっついていた。
「庭できみがうずくまっていたんだよ。体がすごく熱かったからびっくりしてすぐに家の中に入れたんだけど……」
 彼にそう言われたわたしは、ハッとして辺りを見回した。
 どうやらここはさっきの庭がある家の中で、この男の人は倒れたわたしを助けてくれたんだと気がついた。
「そうそう、きみの名前をつけないとね」
 わたしの顔を見つめる男の人が笑顔で声をかけてきたので、それってなあに?とわたしは首をかしげた。 
「『アルシュ』ってどうかなあ?僕は星を見るのが好きなんだ。うさぎだからうさぎ座っていう星座にある星の名前なんだけど」
 お星さま?……なんか不思議な響きの言葉だなあと耳をぴくぴくと動かすと、彼は嬉しそうな顔をしてわたしの体を抱き上げた。
「よろしくね、アルシュ」
 その言葉を最後に、わたしはまた眠たくなってそのまま目を閉じた。







 これはわたしが彼―『幸善(ゆきよし)』さんにはじめて出会った日のこと。
 あの日からずっとわたしはこの家にいるようになり、庭に咲くバラの花を見ると、そのことを思い出す。
 彼がお仕事で家にいないときは、わたしは外に出て近所を散歩している。歩いていておなかが空いた時は、辺りに散りばめられてる、キラキラと白く光るつぶつぶを吸い込んで、ぱくりと口に入れていた。



 そんなある日、いつものように散歩の途中で光のつぶを食べていると、バサバサという音がした。
 その方へと振り返ると、一羽のカラスがどこかへ飛び立っていた。わたしは飛び跳ねながら追いかけていくと、カラスはお社の中へと入っていった。
 おそるおそる石の鳥居をくぐって中に入ると、『賽銭箱』と書かれている木の箱の傍で、カラスが羽根を休めていた。額には赤い石がついていて、艶のある羽根を持っていた。 
[おや珍しい、私のとこにお客が来るのは]
 カラスに声をかけられたわたしは、びっくりして後ずさりした。
[何引いてるんだい。お前さんは私と同類じゃないか]
 同類?とわたしが不思議に思うと、カラスは細い足でわたしに歩み寄った。
[お前さんは自分がどこから来たのか知らないのだろう?その青い毛並みと瞳がその証拠だよ]
 そう言われたわたしは、自分の体をまじまじと見つめた。
……わたしはどこから来たんだろう?
[その姿からして、お前さんは空から降りてきたんじゃろう。私と同じように]
 カラスがふと空を見上げたので、わたしはその言葉にハッとして顔を上げると、自分の体と同じ色の、澄みきった青空が視界に入ってきた。




 ああ、そうだったんだ。
 わたしは空の中で生まれて、この町に降りたんだ―……。




[私だけでなく、お前さんと同じような仲間はこの世界のあちこちにおる。それにお前さんはすでに大切な者に出会ってるようじゃしな]
 その言葉にわたしの頭の中には、幸善さんの顔が浮かび上がり、あの雨の日、バラが咲いていた庭で倒れていたわたしを助けてくれた時のことを思い出した。
[私は空で生まれてすぐ、この神社に降り立った。そこにたまたまいた宮司に出会ってから、私はここに住んでおる。もし何かあったらいつでもここに来るといい]
 カラスはわたしにそう言った後、その場から大きく羽ばたいてどこかへと飛んでいってしまった。 




 その後わたしは家に戻ると、庭ではさみを手にした幸善さんがいた。
「あ、アルシュ、どこかに行ってたの?」
 わたしにそう訊ねた彼の手が、すぐ近くのピンクのバラに伸びると、その後すぐにパチリ、という音がした。 
 
「はい。きみの一番好きなものだよ」 

 彼の笑顔と共に、わたしの手にはさっきのバラがあった。それをじっと見つめていると、パラパラと空から雨の粒が降ってきた。
「覚えてる?きみが僕の家に来た日のこと」
 幸善さんはわたしを抱きかかえて家の中へと入ると、雨が降る空を見つめた。
「あの雨の日、突然うちの庭に迷い込んできたきみを見て、僕は空から降ってきたのかと思ったんだ」
 彼の言葉に小さくうなずいたわたしの鼻に、バラの香りが流れ込んできた。ここに来てから、いつも庭のバラを見ていたわたしのことを、彼はわかっていたんだろうなあと。
「アルシュ、僕は生まれつき耳の調子が悪いんだ。でもその代わりにきみの姿が見える力を持ってる。だから僕はきみの友だちになろうって決めたんだ」

 そう言った彼の腕の中で、わたしはふわふわとした不思議な気分になった。
 それはまるで自分が生まれ落ちる前、あの青い空の中にいた時のようで―……。

 気がつくといつの間にか雨は止み、空にはきれいな虹の橋がかかっていた。
 わたしは幸善さんの方へと顔を向けると、そこでパッと彼と目が合い、その後に彼は微笑んだ。その幸せそうな顔を見た後、わたしはもう少しこのままでいいかなと思いつつ、彼と一緒に空を見上げた。



 いまのわたしのすきなもの。
 それは青い空とバラの花、そしてわたしのそばにいてくれる、あなたのこと―……。



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