青い龍と記憶の欠片
奏位星華


 それは梅雨の真っ只中のある日のこと。
 午前中に作業場で仕事をしている最中に、額の辺りが急に痛み出した。ひどくはないけどかなり微妙な感じで。

「うー……頭痛い〜」
「ゆめか先輩大丈夫ですか?こないだもでしたよね」 
 私―御園夢歌(みその・ゆめか)の隣にいた後輩の『ミラ』こと戸山美羅(とやま・みら)が心配そうに話しかけてきた。
「そうなんだけど、ここんとこずっとなんだわ」
「病院行きました?」
「うん、こないだの休みに行って検査受けた。今は結果待ちだけどね」
 私はふう、とため息をつき、作業台下にある冷蔵庫の扉を開け、中から大量のとんかつソースの小袋が入った袋を取り出した。
「まあこの時期は身体の調子が悪くなるっていうからねぇ」
 私の背後で別の作業をしていたパートのおばちゃんー『カンナ』こと屋代環名(やしろ・かんな)さんが話に割り込んできた。
「御園ちゃんはちゃんとごはん食べて寝てるの?」
「はい。夜も最近は早く寝てます」
 断続的に続く微妙な痛みに、首を左右に倒しながら答えた後、ふわあと欠伸が出てしまった。
「欠伸も出るんだったらやっぱりまずいんじゃない?」
「え?そうなの?」
「男より女の方が偏頭痛持ちって多いからねぇ。それで薬飲んだの?」 
「私薬だめなんですよ……前に飲んだ時に、後で吐いたんで」
 あらら、とミラとカンナさんが言った後、私は作業を中断した。
「すみません、バックルームでお茶飲んできます」








 バックルームの隅っこでステンレスの水筒のコップを片手に、私は再びため息をついた。
「あいたたたたた……いいかげんしつこいっつうの」
 誰もいない空間でぼやいた後、コップの中の醤油入りの番茶をすすった。
 私は学生時代の頃から、時々頭痛が起きていたのだけど、昨年になってから急に回数が増え、体調も崩しやすくなっていた。それで最近は定期的にかかりつけの診療所に通院している。
 でも、今日の頭痛はいつもの痛みとはちょっと違う……普通ならズキズキするはずなのに、痛みの頻度がそこまで激しくないし。
(明日また病院行くか……)
 水筒を棚に置いて、私は作業場へと早足で戻った。






―その日の夜。
 帰宅後頭痛はおさまったものの、仕事が長引いて残業したので、私は早めに寝ることにした。
 パジャマに着替えて布団に入ると、カラカラとベランダへの扉が開き、そこから黒い毛並みに黄金色の瞳、額に赤い石をつけた猫が現れた。
「あれ?のわ、外に行ってきたの?」
「みゃ〜」
 黒猫は『のわ』と言い、以前わたしの職場に現れて、その時に捕まえたのがきっかけで、そのまま私になついているのだけど、私や一部の人以外には姿が見えないのだ。
 のわは部屋に入るとすぐに、私の枕元に身体を丸めてうずくまった。
「のわももう寝るの?」
「にゃ」
 のわが一声鳴いた後に目を閉じたので、私もそのまま目を閉じて眠りについた。

 




 
 真っ白で濃く、深い霧の中。
 周囲はほとんど何も見えなくて、私はのわを胸に抱きかかえてたたずんでいた。
(ここ、どこなんだろ……)
 そこからまっすぐ歩き出し、しばらくすると目の前に赤い鳥居が見えてきた。
(こんなところに神社?)
 鳥居をくぐって参道を歩くと、目の前に天に向かって蛇の様に左右にゆるやかな曲線を描いて伸びている『何か』が見えた。
「みゃ〜ぁ」
 両腕に抱きかかえていたのわが小さく鳴くと、その曲線はずるずると姿を変え、青い鱗を持つ一体の龍に変化した。その姿に私は無言でただただ見入っていると、ふと頭の中に疑問符が浮かんできた。
(あれ?この龍、前にどこかで会ったような……?)
 そう思った直後、青龍が目の前に進み寄り、口を開いた。
[―明日、私の神社で待っておるぞ]
 そう言い残して青龍は、スッと霧の中へと消えて、そこで私は夢から覚めた。

 


 



 翌日、仕事が公休だった私は、隣町にあるかかりつけの診療所を訪れた。
 丁度検査の結果も出ていたので主治医の先生に聞いてみると、異常なしとのことだった。もし何かあったらMRIかCTスキャン受けた方がいいのかと思ってたんだけど。
「まあこの年代での女性だと偏頭痛持ちが多いからねぇ」
 薄い白髪の老医が問診票を見て私にこう言ってきた。
「そうですか……」
「血圧も普通だし、今のところはまだ様子見でええよ」
 先生にそう言われた私はとりあえず安心したものの、まだ昨日の頭痛のことが気がかりだった。
(ただの頭痛じゃないよなぁ、アレは……)
 診療所を出て自転車で家に戻る途中、ふと西側の山の方を見ると、そこに赤い鳥居が見えた。そのすぐ近くに、自分が通っていた中学校が建っている。
(あれ?あの神社、あんな場所にあったっけ……?)
 ペダルを漕ぎつつ、私は自転車を中学校の方へ走らせていた。


 山のふもとにある登山口まで走ったところで、私は自転車を止めて顔を上げると、鳥居が山の中腹に見えた。その後ろにここからでは見えないけど、中学校があるはず。
(とりあえずこっから歩いていくしかないか)
 私は自転車を押しながら登山口に入り、緩やかな坂を上り始めた。
 
 風で木々の葉がさわさわと音を立て、鳥のさえずりも時々聞こえてくる。
 
 少しずつ歩を進めつつ、脳内で昔の記憶を思い出していく。
 あれは確か美術の授業の時に、スケッチをしに一度行ったきりだったなあ……あの時はさっきの登山口からではなく、中学校の近くにある別の道から行ったような。
 少しずつ記憶を思い出しつつ、私は坂を上っている途中で、突然眉間のところに軽く痛みが走った。
「あいったー……」
 坂を上るのをやめて立ち止まると、その痛みはすぐに収まった。
 最近仕事以外で身体を動かしてなかったとはいえ、やはり無理してるかなあと思っていると、ザアッ、と風が木々を大きく揺らした。

  
―行かなくちゃ。


 再び自転車を押しつつ、私は坂を上り続けると、ようやく赤い鳥居の前にたどり着いた。それについている家の表札のようなもの―神額を見てみると、その中の額束には、『仙龍稲荷神社』と書かれていた。
 それを見た瞬間、脳裏にふっとある映像が浮かんできた。



 制服姿の女学生と、一頭の青い鱗の龍が神社の境内で対面している。
 何やら彼女が龍に向かって二言三言話していたが、内容は聞き取れず、その後、彼女は龍に向かって歩み寄り、その身体に右手を伸ばした―……。

 そこでフッと意識が戻り、私は辺りを見回した後、すぐ傍にある樹木に自転車を置いて鍵をかけ、鳥居をくぐったその直後。

 キイイイィィィン!という金切り音が眉間からものすごい速さで頭の中を走り、私はその痛みで座り込んだ。

(何コレ?!) 

 頭に響いた痛みの余韻でふらつきながら立ち上がると、私の目の前には一頭の青い鱗を持つ龍が姿を現していた。

[……久しぶりだな。そなたが来るのを待っていた]
 龍の口から、私に向けて穏やかな口調で言葉が放たれる。
「私を?」
[そうだ。以前そなたと約束したことを覚えているか?]
「……約束?」
 私が首をかしげていると、青龍はこう話してきた。
[忘れているのか?あの時、そなたと私、二人きりになった時のことを]
 龍のその言葉を聞いた瞬間、私の脳裏にさっき見た映像が再び浮かび上がった。


 あの時―屋外での授業が終わった後、私以外の他のクラスメイトは先に学校へと戻り、自分は神社に残っていた。
 そう―私はスケッチ中に、本堂の前にたたずむ龍の姿を見つけたのだ。それで学校に帰る前に、彼に何か話していて―……。

[……思い出したのか?]
 龍の声でハッと我に返り、私は少しだけ、と小さく返した。
「わからないけど、あなたと二人きりになって、それで私、あなたが見えるの、って言ったのかな……見ていてすごく綺麗だったから」
 堰を切ったように、あの時の記憶がどんどんと思い出されていく。  
「それであなた、私に『何故、私を怖がらない?』って言ってた……それで私がうなずいて手を差し伸べた時……」 
 私が話し続けてる途中で、突然青龍が私から視線を外し、スッと長身を本堂の前に動かしたので、あわててその後についていった。
 青龍が身体を伸ばし、私にあちらを見ろ、と首を動かした。彼が示した方を見ると、私が住む町の中央にある工場から、大きな火の手が上がっていた。
 ほどなくして、現場に向かってサイレンを鳴らしながら、次々と消防車が走っていくのが見える。
「大変!工場が火事になってる!」
 私が驚いてそれを見ていると、青龍は首を大きく縦に動かした。
[これはまずいな……]
「なんとかして火を消さないと大変なことになるわ!」
 工場の周囲は塀で囲ってはいるものの、そこから外側は住宅密集地帯。もし飛び火して被害が拡大してしまったらー……。
 私はふと空を見上げると、雲がまばらに浮かんだ、澄んだ青い空が広がっていた。……そうなると。
―いちかばちか、やってみるしかない。

「青龍さん、私と一緒に来てほしいの」
 私は青龍に向かって声をかけた。
[何だ?]
「工場の火事を消しに行くの!お願い!」
 その頼みにほんの数秒の沈黙の後、彼は口を開いた。
[……わかった。そなたの頼み、しかと受けようぞ]
「ありがとう!一緒に現場まで着いてきて!」
 私はすぐに神社から出て、自転車に乗って坂を下りはじめた。


 山を降りて自転車で町に向かう私の頭上で、青い龍が身体を伸ばして飛行している。
[一体そなたは何を考えているのだ?]
「なんとなくだけど、行ってみたら何かわかると思うの」
[行き当たりばったりだな] 
 少しあきれ気味な発言をして、青龍は私のペースに合わせて飛んでくれた。
 現場まであとちょっとの所で、自転車のかごに乗せていたバッグの中から、携帯電話の着信音が鳴り響いた。そこで自転車を止め、携帯を取り出して画面を見ると、後輩のミラから『火災現場に移動中』というメールが届いていた。
[どうした?何があったのだ?]
「うちの後輩から連絡が入ったの。急がないと」
 携帯をバッグに戻し、再び自転車で走って現場近くに着いた所で、ミラがこちらに手を振っていた。
「先輩!」
「ミラ、あなた学校は?」
「今日は午前中だけ。さっき学校出たところで火事のこと知ったの……って先輩、後ろにいる青い龍は?」
「あ、彼は隣町の神社に住んでるんだけど、ついてきてもらったんだ」
 なるほど、とミラがそう感心しながら青い龍を見つめていると、彼はミラも自分の姿が見えると知ったのか、私にこう言ってきた。
[彼女も、そなたと同じなのだな?]
「うん、普段はほとんどしゃべらない子なんだけどね」
 私とミラは普通この世界では見えない、不可視の存在が見える代わりに、身体のどこかに先天的な障害を持っている。ミラは通常だと人間と話すことができないし、私は色盲なので、普段は特殊なレンズを使った眼鏡か、コンタクトレンズを着用している。

 工場の前に次々と消防車が到着し、火災現場の消火活動は続いているものの、なかなか火の勢いが収まらない。
「ミラ、この近くに何か大量に水がある場所ってある?」
「大量の水?っていうと……あ、一つありますよ先輩!」
[何をする気なのだ?]
 背後に浮かぶ青龍が、私たちに話しかけてきた。
「火を消す方法、思いついたの。ちょっと移動するよ」
 わたしたちはその場を後にし、ミラを先導にして彼女が向かう先へとついていく。
 火災現場から少し離れたところにある小学校に着くと、ミラはあそこよ、とある方向を指差した。私がその方を見ると、そこには大量の水を貯めている屋外プールがあった。
「なるほど、ミラっちナイス!」
「でも先輩、このプールは関係者以外立ち入り禁止だし……」
 ミラがプールの入り口の門に取り付けられた看板を指差して言った。
「あのねミラ、こういう時のために青龍さんがいるんでしょ?」
 私がそう言ったところで、ミラと青龍はもしかして、とお互いの顔を見合わせた。






[……これでよいのか?]
 青龍がプールの真上で動きを静止して、私とミラはその敷地の外にいた。
「うん、それでそのプールの水を全部飲んでくれる?」
 私の指示にそって、彼はプールの水面に口を近づけると、一気に勢いよく水を飲み始めた。
 ものすごいスピードで水を飲み、空になったところで彼は私に言ってきた。
[全部飲んだが……もしかしてこれで火を消すのか?]
「そうなんだけど、青龍さんお願いできる?」
[わかった。やってみよう]
 青龍はプールから離れ、すぐさま工場へと飛んでったので、わたしとミラもその
後についていく。
 火災現場の上空に到着した青龍は、すぐに出火元を探り当てて身体を近づけてから、私たちに声をかけた。
[火の元を見つけたぞ!ここでよいのか?]
「うん、そこから少し離れたところで、水を放出して!」
[わかった、いくぞ!]
 わたしとミラは現場から少し離れた安全な場所に立ち、無言で胸の前で両手を合わせ、青龍に向かって祈りを送ると、彼は口を開き青い光の球体を作り出した。
 その直後、球体は工場内の火災が発生している箇所へと解き放たれた瞬間、ザアアァッ、という大きな水音と共に大粒の土砂降りの雨が降り注がれた。
「な、なんだこの雨は?」
「いきなり土砂降りになったぞ!」
 現場で消火活動に当たっていた消防団員たちが驚きの声を上げ、ほんの数分後に火はようやく鎮まっていった。
「青龍さんすごい……あっという間に火を消しとめましたよ先輩」
 私の隣にいたミラが、歓喜の声を上げたところで、突然頭に強い衝撃が走り、私はがくり、とその場にうずくまった。
「先輩!!大丈夫ですか?!」
 あわててミラが私の身体に駆け寄ると、青龍がこう言ってきた。
[今の祈りでかなりの気力を消費したようだな。すまんが最寄の聖域に移らないと]
「わかりました」
 彼にそう言われたミラは、わたしを肩に担いでこっちです、と歩き出した。


「……先輩、大丈夫ですか?」
 さっきの火災現場から歩いて五分のところにある小さな神社の境内で、私はミラから水の入ったペットボトルを受け取った。
「うん、こちらこそ付き合ってくれてありがとね、ミラっち」
 冷たい水を喉に流し込んで、私がほっと息をついた所で、青龍がその傍らに身体を降ろした。
[あのような大術をやったのは久しぶりだが……そなたたちにも負担をかけてしまったな]
 すまなかった、と青龍が謝ると、私は無理を言ったこちらこそありがとう、と返した。
 私の隣に座ったミラも、笑顔を青龍に向けてお礼を言い、ペットボトルの水を飲んだ。
[さて、私はそろそろ戻らないとな]
「えっ?もう帰っちゃうんですか?」
 ミラがそう言うと、彼はあまり長い時間持ち場を離れるわけには行かないから、と答えてくれた。
[それに、私もやっと思い出したからな……ゆめかのことを]
 そう言って青龍は、スッと空へと舞い上がり、住居である神社へと飛んで帰っていった。



「……先輩のことを思い出したって、一体どういうことなんですかね?」
 龍が飛び去ったのを見届けたミラが、わたしにそう尋ねてきた。
「私が中学の時に彼と一度会ってるんだけど……彼と話した後に手を差し伸べたら、突然目の前が真っ白になって……気がつくと自分以外に誰もいなかった。おそらく何かの拍子で空間がゆがんで、そこで記憶が途切れたんだと思うの。何故そうなったのかはわからないけど、今のいままで思い出せずにいたんだろうな」
 彼女にそう話して、私は顔を空に向けると、キラキラと光る鱗を持つ龍の体色と同じ空の青が、そこにはあった。





 結局、工場の火災については出火原因がわからなかったものの、奇跡的に怪我人は出ずにすんだらしい。
 それからさらに数日後、わたしはまた青龍がいる神社に足を運び、境内に座ってぼんやりとしていると、突然頭上から声が降ってきた。


[……どうしたのだ?ゆめか]
「うん、ちょっとね……あなたと一緒にいたくてここに来たの」

 
 ただただ、今はこのまま、ゆっくりしたいなって。
 

 不思議に思う彼の顔を見て、私は無言で微笑んだ―……。


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