果て無き未来へと続く次元
奏位星華
―それは遠くいにしえの頃からずっと続いている、ある旅人の『記憶』の一部。
はるか彼方、何処から来たのか、何処へ行くのかわからない。
ただただその人は、ある一つの『想い』を胸に秘めていた。
たった一人の愛する人への―……。
私はいつ、どこで生まれて、どこで育ったのかわからない。
物心ついた時には、ある小さな山村の奥にある庵に住んでいた。
庵の主である老師は、私に礼儀作法から治癒術や武術など、さまざまな知識を教え、与えてくれた。厳しくもあり、優しくもあった彼は、天涯孤独の私を成人になるまで育ててくれた。
ある日のこと、老師は私を伴って山奥にある洞窟に向かった。その入り口で彼は私にこう話した。
「わしはこの世界の人間ではない。ずっと昔にこの洞窟の向こうからやってきた」
老師ははるか遠くの異次元にある世界で生まれ、そこである術師に出会い、次元を渡る術を習得したという。そうして彼は何度か次元越えを行い、この山村へとやってきたのだった。
「しかし、わしももう長くはない。この村で最期を迎えることになるじゃろう……そうなればおぬしはここから旅立ち、世界を見て回るんじゃよ」
私にそう言った老師の顔は穏やかでもあり、少しさびしげでもあった。
それから数日後に老師は倒れ、今わの際で『あの洞窟に行き、一番奥の院にある石像を探れ』と私に言い残し、息を引き取った。
老師を弔い埋葬した後、庵の中を整理していると、黒い紐がついた小物入れを見つけた。手のひらに収まる大きさで、蓋を開けてみると、変わった形の文字がびっしりと書かれた書簡だった。
(これは老師のいた世界の文字なのだろうか?)
そう思いながら私は書簡を小物入れに収めて懐に入れ、必要最低限の荷物を持って庵を後にした。
一人で洞窟に向かい、中に入ってしばらく歩き続けると、奥の院にたどり着いた。松明の明かりだけでほの暗い空間に、ひときわ目立つ石像が置かれているだけという場所だった。
私は老師の遺言通りに石像に触れ、あちこちを探ってみると、ふと後ろの土台にある出っ張った所に手が当たり、ガコンという音がした。
その直後、石像が急に動き出し、土台の下から円陣が姿を現した。それをよく見てみると、小物入れに入っていた書簡に使われていた文字が全体に書かれていた。
私がその円陣に手を触れた瞬間、突然円陣は光を放ち、目の前が真っ白になった―……。
気がつくと、私は寝台の上に横たわっていた。見覚えのない丸太の天井と壁、その空間に微かに漂っている、食欲をくすぐるような匂いで少しずつ意識がはっきりしてきた。
「目が覚めたのですね、よかった……」
その声に気づいて首を横に向けると、寝台の傍らにゆるく波打った栗色の髪の女性が腰をかけ、心配そうな顔をしていた。
彼女は『クアラ』と名乗り、自分が住む家の近くの森の中に倒れていた私を見つけ、ここまで運んで来たという。
「……ここは、一体どこの世界なんだ?」
世界、という言葉を口にした所で、クアラは首をかしげた後、ああ、とポンと手を叩いた。
「ここは『イルジール』という国にある、リーリルの森の中ですわ」
彼女はそう答えた後で私にお粥が入ったお椀と匙を渡し、パタパタと家の中を小走りで動き回っていた。食事を済ませた所で、クアラは私にお風呂と着替えを用意し、彼女は籠を手に家の外に出て行った。
見ず知らずの自分にこんなに優しくしてくれる女性に対し、私はふと老師の事を思い出していた。
「でも、こんな森の中に迷い込んで、無事だったのは奇跡ですわ」
風呂から上がって新しい服に着替えた私に、外から帰ってきたクアラは驚いてそう言ってきた。
彼女が言うには、このリーリルの森は一度迷いこむと最後、二度と外には出られないということらしい―野生の獣が多いだけでなく、霧が濃い日が多いためだと。
「ただ、貴方は『迷い込んだ』にしては、ちょっと違うみたいだし」
とりあえずしばらくはここにいなさいな、とクアラは微笑って籠の中の薬草を選別し始めた。
クアラはあえて私の名前を訊ねず、身の回りの世話をしてくれた。そうして私は体調が回復した所で、お礼代わりに彼女の家事を手伝うようになった。
その世界に来て初めて丸太小屋の外に出ると、深く鮮やかな森の緑が辺りに広がっていた。
私はクアラの後について歩いていくと、木漏れ日が降り注ぐ空間に小鳥のさえずりが聞こえ、吹き抜ける風がとても心地よい。
彼女と一緒に散策をしながら木の実や茸を拾い集めて籠に入れ、穏やかな時間が過ぎていく。
気がつくと、森の緑が黄昏の黄金色に変わり始めていた。
「そろそろ帰りましょうか」
「ええ」
こんなに天気が良い日はあまりないから、とクアラは籠を手に歩き始めた。
「暗くならないうちに戻れるといいんだけど」
「そうですね」
夕闇が迫る中、歩く速度が少しずつ早まっていく。しかし、私は森のどこからか獣の気配がするのに気が付いた。その直後にクアラも察したのか、左右を見回しながら徐々に歩く速度を上げていた。
「まずいわね……どうやら近くに居るみたい」
「ああ、それも複数でこちらに近づいてきてるし」
「なんとかこの辺りで一番最寄りの『あれ』を見つけられたら―……」
クアラがそう話している途中、突然お互いの間を黒く大きな影がビュウ、と横切った。
「―――っ!」
思わず二、三歩後退した後、クアラが走って!と叫んだので、私はすぐに地面を蹴り上げ、飛び出すようにして走りはじめた。
「黒狼だわ!あいつ走るの早いから気をつけて!」
籠を持ったクアラがその横に付いてきて、一緒に森の中を駆け抜ける。徐々に闇が迫りつつある状況で、後ろから追ってくる数頭の狼たちが物凄い俊足でだんだん差を縮めていく。
このままでは追いつかれてしまう、というところで、横からいきなり唸り声と共に、黒狼よりも大きな影が姿を現した。
「うわぁっ!」
「きゃあっ!」
二人して慌てて足を止め、目の前に立ちふさがっているものを見ると、一頭の大きな熊だった。
「……熊?」
唖然としたまま視線が動かない状態になり、熊はこちらをじっと見つめている。その間に黒狼の群れがわたしたちに追いつき、背後に迫り退路を塞ぐ形になっていた。
まさに前門の虎ならぬ熊、後門の狼。
「あら、囲まれちゃったわねー」
クアラは苦笑いを浮かべつつ、自分の背中を私の背中にくっつけた。
「どうするんですかコレ……」
「とりあえずうつぶせになるしかないんじゃ……ってちょっ?!」
クアラの突然の叫びと同時に、僕は彼女を強引に地面に押し倒した直後、黒狼の一頭が大きな咆り声を上げ、伏せている私たちの上を飛んで熊に襲いかかった。
その後に続いて他の狼たちも飛び掛るが、熊の大きな腕が彼らを次々となぎ倒す。この隙に私たちは彼らにバレないようにと、そっとその場を離れた。
「危なかった〜……でもさっきのアレは何?!」
「あ、ごめん。うつぶせになる、って言ったからつい……」
「だからっていきなりはないでしょう!」
クアラは私にそう怒った後、ありがとう、と顔を赤らめて小さく言った。
再び森の中を歩き続け、空が太陽の光を失いかけようとしていた時。
「ええと、確かこの辺りに……あ、あったわ!」
クアラが突然目の前にある一本の樹木の前で足を止めた。
「どうしたんですか?」
「小屋に戻る時に迷わないように、"目印"をつけておいたの」
その木の幹の部分をよく見ると、何やら不思議な模様がついた札がいくつもついた縄が巻きつけられていた。
「この縄を持って、目を閉じてみて」
クアラに言われるままに、私は札のついた縄を両手に取り、目を閉じた―その瞬間。
身体全体が何やら強い力に引き込まれる感覚に襲われ、数秒後に意識が戻った時、私は綱を持った体勢のままで、視界に飛び込んできたのは、大きな石の壁だった。
「うっわ!」
驚いて思わず手から綱を離し、地面に尻餅をついたところで、クアラが慌てて駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか?!」
「ええ、なんとか……」
すみません、と立ち上がって辺りを見回すと、石の壁のある場所から丁度反対の方に、一軒の建物の影―丸太小屋が見えていた。
「この森はとても広いから、もし道に迷った時に戻れるように、こういう『場所越え』の仕掛けを幾つか作っているのよ」
彼女の説明を聞いてなるほど、と関心している所で、私はその仕掛けについて詳しく聞こうとしたが、そこから急いで小屋に戻ったので結局聞けずじまいに終わってしまった。
森に来て一ヶ月が過ぎた所で、私はクアラに自分がどこから来たのかを打ち明け、携えてきた小物入れの中の書簡を見せると、彼女はそれをじっと眺めた後こう言った。
「その文字は以前わたしがいた国―『セファラト』の古代文字だわ。でも、どうしてこれを?」
「さあ、私にもわかりません……」
それを聞いたクアラは私にお茶をすすめた後、しばしの沈黙の後にこう言ってきた。
「もしかしたら貴方の先生がその時代に居た、というのもありえるかもしれないわ。でもわたしはこの森からは外に出られないし……」
「どうしてですか?」
「わたしは元々この森の住人じゃないの。遠い昔に生まれた国が滅んで、それから難民としてあちこちの国を転々とし、この森に『住む』ようになったの」
「そうだったんですか……それじゃあ、クアラさんも私と同じ『独り』なんですね」
私がクアラにそう言った後、彼女はいいえ、と首を横に振った。
「貴方がここに来るまでは、確かにわたしは独りだったわ。そう、あの人を失った時から」
クアラは私に自分が祖国を脱出した時の話をしてくれた。
彼女の両親はまだ幼ないクアラを一人の青年に託し、国と運命を共にしたという。そうして難民として二人で旅をしている内に、イルジール国にたどり着いた。
しかしそこで青年は急病に倒れ客死してしまい、独りになったクアラはこのリーリルの森にやってきた。
でもその話を聞き終えた時、私はなぜか妙な違和感を感じていた。
「……どうなさいました?」
クアラが声をかけてきたところで、ハッと我に返った私は思わず彼女の顔を見つめていた。
「いや、なんでもないです」
「そう、それならいいんだけど」
クアラが私にそう答えて席を立った、その直後。
彼女の顔が急に苦痛にゆがむ形となり、床にうずくまってしまった。
「クアラ、大丈夫!?」
私がすぐさま駆け寄り、身体に触れようとした時、彼女は口を押さえて外へと飛び出したため、すぐさま後を追った。
クアラは家から少し離れた木の下に座り込み、荒い息を立てていた。
「一体どうしたんですか?」
「ごめんなさい、大丈夫だから……心配しないで」
彼女はよろめきながら立ち上がり、家の中へと入っていった。
その日を境に、クアラの体調は急激に衰弱していった。私は自分が持っている知識―老師から教えてもらった治癒術や薬学で彼女を治療し看病したが、どんどん悪くなっていく一方だった。
(……どうしよう、このままでは彼女は死んでしまう)
なんとかしないと、と思っていたその時、寝台の上にいたクアラが私に向かって手招きをしてきた。
クアラは私の手を両手で包み込むようにして、そっと瞳を閉じると、突然私の脳裏に彼女の声が響いてきた。
(……わたしはもう、ここにはいられない)
「えっ?どうして……」
(だから最後に、貴方に言わなければならないことがあるの)
「私に?」
(実は……わたしも貴方と同じ術を持っているわ。そう、『次元越え』の術を)
「ええっ?!それはどういうこと……」
(落ち着いて聞いて。わたしは祖国、セファラトの皇女だった……そこでわたしはあの人に出会い、両親と別れた後、彼と共に次元を越える形でいろいろな世界を旅してきたわ。ただ、この術を使うと心身に負担がかかって、寿命を縮めることになってしまったの)
「そうだったんですか……」
(だから貴方がわたしにあの書簡を見せた時、もしかして、と思ったの。あの書簡の筆跡は、あの人のものだったから)
その発言の後、私はクアラの言う『あの人』が一体誰のかようやく理解できた。
彼女も私の老師の師匠と共に居たことがあったのだと。
「それじゃあ、前にクアラが森の中で作っていた、『場所移動』の仕掛けも?」
(ええ、その術も彼に教えてもらったの)
「なるほど、『次元越え』の仕掛けの応用、ってことで?」
私がそう訊ねると、クアラは首をゆっくり縦に振った。
(あの人はとても偉大な方だったわ。わたしも大好きでずっと憧れていた……でも、いなくなってしまって初めて気づいたの)
―彼を愛していたことに……しかも初めての恋として。
私はその言葉を聞いた瞬間、胸にズキン、と痛みが走った。彼女があの青年を深く愛していたことに……いや、それだけじゃない。
自分もいつの間にか、クアラのことを想っていたことを。
(……もしかして貴方、わたしのことを)
クアラがそう話しかけてきた瞬間、私は思わず彼女の両手を振り払った。彼女に初恋を抱いていたなんて、と苦笑いした後、少し落ち着いてから彼女の白い手を両手で覆うようにした。
(ごめんなさい……でも、嬉しかった)
クアラの心の声が、自分の胸に染み入る。切ないけどそれは、とても優しくて温かくて―……。
「あり…がとう……」
微かにクアラの口からその言葉が放たれたその直後、私の両手からクアラの手の力と温度が急速に失われていく。
「クアラーーーーーーーーーーーーー!」
天へと届くかのような慟哭と、彼女の閉じた瞳から流れた、透明な液体。
私はそこで初めて、他人を救うことができなかった自分をうらんだ。
森の中に、石を積み上げただけの小さな墓標。
そこにクアラの家の庭に咲いていた花を添え、私は両手を合わせて祈った。
クアラが亡くなった後、私は彼女の家の中を調べて見たところ、ある物を発見した。
それは彼女の祖国―セファラトの古代文字を表として纏めた石版だった。そこで私は自分が持ってきた小物入れから書簡を取り出し、照らし合わせて解読してみた。
するとこの書簡は『次元越え』の術について書かれていたものだった。
それはある特定の時間と空間、場所が一致すれば、そこから別の次元に移動することが可能ということだったが、移動する際に個人差があれど心身に負担がかかる―場合によっては一度限りの移動でも危険であると。
私はそれを読み終えた後、これからどうするかしばらく考えた後、決意をした。
「クアラ……」
墓標の前でつぶやいた私は、顔を上げて空を見つめた。
深く澄んだ紺青のその向こうには、無限に広がる宇宙がある。どこまでも果てしなく続く世界。
それなら私はここからその先を目指そう、さらなる新しい世界へと。自らも『次元越え』の術使いとして、術を改善するための方法を探すために。
私は立ち上がり、懐に忍ばせていた小物入れを手に握り締めた―その時。
(……わたしも一緒に行っていい?)
聞き覚えのあるその声に、思わず耳を疑った。
自分の視界に見覚えのある女性の姿が、淡い光を纏ってそこに浮かんでいた。
「ク……アラ……?」
私が名前を呼ぶと、彼女は微笑って小さくうなずき、その身体を小さな光の球体へと形を変え、私の身体へと吸い込まれるようにして入っていった。
そうして、私もその光に包まれ、そのまま視界も真っ白になった。
―そこは天も地も真っ白い世界。
目の前に無数もの白く小さな丸い物体が、ふわふわと地面へと舞い降りている。
「これは……?」
(雪だわ。わたしの祖国では冬の寒い日は降っていたの)
どこからかクアラの声が聞こえたきたので辺りを見回すが、気配すらない。いや、彼女は死んだはず―……。
(わたしは『ここ』にいるわ。貴方の『中』に)
「えっ?」
ふと視線を胸元に移すと、そこだけ白い光を帯びていて、しばらくするとフッと消えてしまった。
「これは一体……」
私が不思議に思っていると、クアラの声が頭の中に響いてきた。
(さっき貴方の身体の中に入って、その瞬間にこちらの世界への繋がりが出来て、次元を越えたのよ)
「そうだったのか……でも、前の時とは違って身体は何ともないし」
(そうなの?)
「ああ、よくわからないけど」
(そのうちわかると思うし、ね)
クアラにそう言われた私は雪が降る空を見上げた後、カサリと音を当てて白い大地を一歩踏み出した。
それからずっと、私は一人であちこちの次元を渡りながら旅を続けている。
その間に私は他の『次元越え』の術を持つ者に何人か出会ったが、自分が彼らと違っていることが二つあった。
一つは術が発動しても寿命が縮まなかった事、もう一つは身体の成長及び老化が停止したのだが、これは不死というわけではなく、いずれにしても死ぬという事がわかった。その事について詳しくは、また後々の話にしようと思う。
その自らの生命が終わる時がいつになるかはわからないが、私は魂の光となったクアラと共に、この旅を続けることになるだろう。
一生消えることのない『想い』を胸に秘めて―……。