夜の鏡と月鈴草
奏位星華
月も星の光もない夜空の下、私は一本道をとぼとぼと歩いていた。
行灯の炎が道を照らし、それを頼りに歩き続けていくと、小さな集落が見えてきた。いくつかの家屋には明かりが点いている。
集落の入り口の門をくぐってその二軒先に、『酒宿場』と看板を掲げた建物を見つけた。
扉を開けて中に入ると、陽気な歌声と人々の笑い声が耳に飛び込んできた。
「おや。こんなとこに若いの一人でどうしたんだい?」
黒緑色の外套を纏った私の姿を見た中年の女性が、声をかけてきた。
「あの、今晩泊まりたいのですが、部屋は空いてますか?」
「それなら二階の一番奥が開いてるけど」
「いいですよ。ありがとうございます」
宿代を先払いで店主に渡すと、彼女は鍵を手に私を部屋に案内した。
「お風呂はこの隣の建物の一階だよ、うちの旦那がやってるから。それじゃごゆっくり」
店主が部屋を出ると、私は荷物を寝台の上に置いてから室内を見回した。
(まあまあ普通ってとこだな……ってあれ?)
壁に取り付けられた鏡―そこに視線を向けてみる。
なんのことはない普通の丸い鏡だけど、問題はそれをはめこんでいる金属製の枠。飾り気のないその部分を指でそこをそっとなぞってみると、指先にキラリと小さな光が瞬いた。
(隠し術文を仕込んでいるのかな……えーとどれどれ?)
改めて右下の際の部分から、逆時計回りでなぞって一周したその直後、鏡がパアッ、と光を放ち、部屋全体を包みこんだー……。
私が瞼を開いた時、最初に視界に入ったのは満天の星空。
「あー……ここはどこだ?」
起き上がってみると、自分の周囲には丸っこい形の白銀色の花が鈴なりに咲き、群生していた。
シャラシャラと柔らかな音色を奏でるそれを聞いていると、急に自分の背後が暗くなった。
「そこの旅の方、こんな所でどうなさいました?」
私が思わず振り返ると、長い黒髪を後ろで一つにまとめ、白い狩衣を着た青年が立っていた。
「あ、私もよくわからなくて……」
「どこからか迷い込んできたのですね」
「え、ええ」
その答えを聞いて、中性的な顔立ちの青年は、にこやかに微笑んでこう言ってきた。
「まあここでは『よくあること』なんですよ」
お気になさらず、と青年は私の右手を取り、立たせてくれた。
「この世界は他の世界から訪れる方々が多いのです。それぞれ要因は異なるものの、こういう事象が起こるのは夜の間だけです」
青年は狩衣の袖を軽く振り、すぐ側にあるあぜ道へと歩を進めた。
「貴方がここに来たのも何かの縁ですし、私の館に案内いたします。今宵は良い星月夜ですし、一緒にお茶でも如何ですか?」
彼のお誘いに、私は二つ返事でついていくことにした。
草原のあちこちに咲く白銀の花は、夜風に揺れてかろやかな音色を鳴らす。
「なるほど……酒宿場の部屋にある鏡に触れたら、ここにやってきたと」
「ええ、何か仕込んであるのかと思ったので」
私がここに来た経緯を青年に打ち明けると、彼はこう言ってきた。
「おそらくその鏡は、この世界へと繋げるように作られた『術具』ですね。あれは高位な術士でないと作れないんですよ」
青年は暫し腕を組んだ後に、私にこう訊ねてきた。
「さっきから気になっていたのですが、もしかして貴方はあちこちの世界を渡り歩いている、『次元越え』の使い手でしょう?」
彼にそう言われた私は、何故わかったのか、と驚いた。
「貴方をさっきの草原で発見する数分前、私が館を出ようとした時に、ふと別の世界とこちらの世界が繋がる『予兆』があったんです」
「それは一体どんな?」
「いわゆる見えない『ゆらぎ』のようなものですが……」
青年が私の設問に答えている途中で、ふと足を止めた。
「―また来ました」
突然の発言の後に背後を振り返った彼の視線の先を追うと、その数メートル先で白い光が発せられ、大きな衝撃音が鳴り響いた。
「何か落ちたか爆発した?」
「とにかく行ってみましょう」
小走りでその現場に行ってみると、地面が大きく陥没し、その中央には長い黒髪の女性が一人倒れていた。
「大丈夫ですか?!」
あわてて駆け寄り、女性の上体を起こし胸に耳を当ててみると、微かに心臓の鼓動が聞こえてくる。
(意識はないけど、まだ生きてる!)
「どうでしたか?」
後から来た青年に訊かれ、私は大丈夫です、と女性を背中におぶさった。
「急いで館に向かいましょう!先導お願いします」
小走りで道を行くこと約五分、青年の先導でようやく建物の姿が見えて来た。 瓦屋根に木造の平屋建てで、石造りの門の前に小さな光の球体が浮かんでいる。
「あ!有真(ありま)様、おかえりなさいませ」
光の球体の正体は、透き通った六枚の薄羽根を背中に持つ銀髪の少女だった。
彼女に有真と呼ばれた青年はただいま、と声をかけた。
「藍音(あいね)、すまないが薬箱を持ってきてくれないか?」
「はーいただいま」
少女はぱたぱたと羽根を羽ばたかせて、すぐさま建物の中へと入ったので、私も有真さんと共に門をくぐった。
館の縁側に腰を下ろし、背中におぶっていた女性を畳の上に横たわらせると、 藍音さんが持ち手がついた木箱を抱えてきた。
「有真様、持って来ました〜」
「藍音、ありがとう。旅の方、娘さんの方は?」
「外傷はないようですが、多分こちらに飛ばされた時の衝撃で意識を失ってると思います」
「そうですか……藍音、お茶を用意して」
「わかりましたー」
藍音さんが部屋を後にし、有真さんは押し入れから布団一式を出してきた。
「ここに敷きますから彼女をこちらへ移してください」
畳の上に布団を敷き、女性をその上に寝かせていると、有真さんが薬箱を開けて中から青い小瓶を取り出し、私に手渡した。
「これを一滴、娘さんの胸に垂らして擦り込んでください」
「あ、はい……ってええええええっ!?」
治療とはいえ、異性の胸を触るっていうのは生まれて初めてだったので、思わず慌てふためいてしまった。
「や、やりますね……」
女性の衣服の襟を開けると、白い肌が姿を現した。緊張しつつも小瓶の蓋を開け、透明な液体を一滴胸に落とし、広げるようにして擦り込んだ。
「これでいいですか?」
有真さんにそう言った後、私は襟を戻して小さく息をついた。
「ええ、しばらくしたら意識が戻るはずです」
「そうですか……」
スースーと呼吸をして眠る女性を見つめていると、藍音さんがお茶とお菓子を持ってきてくれた。
「鈴月草茶と薬草茶でいいですよね?」
「ああ、ありがとう」
どうぞ、と彼女が私に淡い若草色の液体が入った湯のみを渡してくれた。有真さんにも渡した後、彼の隣に腰を下ろし、湯のみを両手に持ってお茶を啜りはじめた。
「あの子は生まれ育った世界が失くなってしまい、その時にひとりでこの世界にやってきたんです。さっき貴方がいたあの草原で大泣きしていたんですよ」
有真さんが藍音さんのことを話しているところで、私はふと彼女の方を見た。
草原に咲いていた花の色と同じ白銀の髪と瞳を持ち、藤色の着物姿で正座してお茶を飲んでいる。
「それじゃあ、藍音さんはここに住んでいるんですか?」
「ええ、私が引き取って一緒に生活していますよ」
彼がそう言った後、藍音さんはこくり、と首を縦に振った。
「この世界の住人は夜間に起きて活動し、昼間は休息をとっています。他の世界から来た人々からすると稀な方ですけどね」
有真さんが私にそう話した所で、背後で眠っている女性の身体が微かに動いた。
「もしかして、気がついたかもしれませんよ」
布団の横に移動してみると、女性が小さく呼吸をしながら、ゆっくりとまぶたを開いた。
「う……ここは、どこなの?」
「ここは私の館の中です。先ほど近くに貴方が倒れていたので、彼がここまで運んできたのですよ」
有真さんは袖を振って私の方を指し示したので、彼女は上体を起こして小さく礼をした。
「ありがとうございます……でも、さっきまでわたしは船の上にいたはずなのですが」
「どういうことです?」
私が女性に訊ねてみると、彼女は『サリサ』という国から、一人で船に乗って居たと答えてきた。
「海を渡って別の大陸へ向かう途中で嵐に遭い、その際に脱出しようとした時に船体が爆発し、それに巻き込まれて……」
「気がついたらここにいた、と」
はい、と女性は小さくうなずいた。
「わたしは『さほ』といいます、あなた方は?」
彼女に名前を訊ねられたのだが、そういえばまだ他の二人にも名乗っていなかったのを思い出した。
「あ、『早陽(はやひ)』です」
「なるほど、良い名前ですね」
即興で考えて名乗ったものの、真名(注※本名の意)はものすごく長い上に発音がしにくいので、とりあえず簡潔にした。
「さほ殿はとりあえずここでしばらく養生した方がよいでしょう。それから先のことは後で考えることにして……問題は早陽殿の方ですね」
有真さんはさほさんから私の方へと視線を向けてきたところで、ハッとしてあることに気がついた。
「あ、そういえば荷物を向こうに置いたまま……」
「空が白みはじめて来ましたし、早くしないとまずいですよ」
館の外の空を見つめて、有真さんが目を細める。
「しかし、宿代は払ってるとはいえ、いきなり姿が消えて荷物だけだったら、女将さん驚くだろうし」
「それならちょっと待ってください」
有真さんはそう言ってスッと立ち上がると、部屋から出て奥へと向かった。
それから数分後、彼は濃紫色の布に包まった物を両手に持って戻ってきた。
「これを使って、荷物をこちらに移動させてみましょう」
布を開いてみると、そこには向こうの世界の宿屋で見た、あの鏡があった。
「この鏡、さっきの宿屋の部屋にあったのと同じですよ!」
私が鏡を指差してそう言うと、彼はそうだったの、とポンと手をたたいた。
「それなら話は早い事、早陽殿はすぐに手紙を書いてください」
えっ?と私が首をかしげると、有真さんは宿屋の女将さん宛てに簡潔でいいから、と付け加え、部屋から外の庭へと出た。
藍音さんから筆と紙を渡された私は、手紙を書いて彼女に渡すと、庭に出ていた有真さんが花を手に携えてこちらに来た。
「藍音、この鏡の上に手紙を置いてください」
さっきの丸い鏡の上に、藍音さんが手紙を置く。
「はい、これでいいですか?」
有真さんがそう頷いて、手にした白銀色の花をその上に置いた。
すると、鏡の枠が淡く輝き、リリーン、リリーンという鈴の音が鳴り響くと、手紙と花が鏡の中へと吸い込まれていく。
「これは……?」
「物質交換の移動術の一つです。こちらに移動させたい物質を引き寄せるために、その代わりになるものを用意して交換移動させる、というわけですが」
手紙と花が姿を消したその直後、鏡からするり、と茶色い帯のような物が姿を表した。私がそれを手にし引っ張ってみると、そこからズズ、と音を立てて背負い鞄が姿を現した。
「私の荷物が!」
「上手くいったみたいですね、よかった」
ニコニコと微笑む有真さんを見て、私はありがとうとお礼を言ったその直後、彼の背後から黄金色の光が差し込んできた。
「おや、太陽が昇ってきましたか……なんとかぎりぎり間に合ったようですね」
一度太陽が出てしまうと、沈むまでは別の次元へ移動ができないんですよ、と有真さんが言ったので、私はほっと胸をなでおろした。
「さて、そろそろ私は寝ることにしますが、早陽殿はいかがされます?」
立ち上がった有真さんが私に声をかけてきた所で、ふわあ、と欠伸が出てしまった。
「そういや、一睡もしてなかったなあ……」
「それなら別の客間に布団を用意しますが、よろしいですか?」
「ありがとうございます、何から何まですみません」
「では、ちょっと藍音と一緒に準備しますので。失礼しますね」
そう言って、彼は藍音さんと共に部屋を後にし、私はさほさんと二人きりになった。
遠くからリリーン、リリーンと鈴の音が鳴り響く。さっきの草原に咲いているあの花からだろうか。
「とても綺麗な音ですね。なんていうのかしら……心地よい感じがしますね」
布団の上にいるさほさんが、耳をすませてその音楽を聴いている。
「ええ、こう聞いていると、私もそんな感じが……」
その音色を聞いているうちに、ふと自分の意識が暗くなっていくのを感じた。
流石に寝落ちになってしまうか、と心の中で苦笑いしつつ、あの夜の草原の風景を思い出しながら。
夜の世界にだけ咲く、不思議な白銀色の花―月鈴草(げつりんそう)。
その花が涼やかに音を鳴らす時は、次元への扉が開く予兆だとー……。