夏休みの宿題
松浦由香
「な、何、ここーーーーーーーーーー!」
無遠慮な日差しがさんさん、どころか、そこらじゅうを焼き尽くさんばかりに照りつけている。
『今時』珍しい黒いアスファルトの道路の真ん中に立って、アイナは絶叫した。
せみの轟音、湿気と熱気の風。
「なんちゅう暑さ……。まぁ、地球温暖化とかって騒いでいたヤバイ時期だから、しゃぁ無いとはいえ、それでも、これは酷すぎじゃない?」
アイナは『始めて見る』太陽をまぶしそうに見上げた。
にゃー。
「黒、猫?」
塀の上の猫が欠伸をしたらしかった。
「あんた、ぶっ倒れるぞ、こんな昼間にそんなとこ立って」
アイナが顔を下ろせば白いシャツに黒いズボン、スポーツバックを袈裟掛けにした高校生が自転車を停めていた。
「それに、この暑い中そんな大声よくでるなぁ」
彼は笑った。
―春日部 湊―
アイナはその青年をじっと見つめた。胸が、ドキッと高鳴った。
―アイナ、17歳の夏休み初日の出来事だった―
1 夏休みの宿題
−1 2062年、7月。
社会科の授業。家にある『昭和』の物を持ってくるようにと言われて、みんなそれぞれに骨董品を持ち寄ってきていた。
「ええ。昭和は今から百年前の時代です。昭和の物といってみんな持って来てますが、そのほとんどがつい最近、『昭和の物』として出回ったレプリカ、つまり偽者です。そうそう昭和の物が見つかるとは思っていませんでしたか、アイナさん。あなたのは昭和の物のようですね」
「ひばあちゃんのものだと言ってましたが、おばあちゃんも、お母さんも在った事すら知らなかったようで」
周りが興味心身になって覗き込んできた。
「それ、なんだか知ってますか?」
「オルゴールだといってました」
そう言ってアイナはふたを開ける。『エリーゼのために』が流れてきた。
「……それだけ?」
クラス中が眉をひそめる。
「静かに。今世の中にあるオルゴールは以前『フォログラム付きオルゴール』と呼ばれていました。今では、そうやって音だけが出る物は無くなって、『フォログラム付きオルゴール』は『オルゴール』と呼ばれていますが、そもそもオルゴールとはそうやって箱の裏のねじを巻き音楽を聴き、その中に宝物をしのばせる物だったんです」
アイナはその箱から一音、一音が抜けているエリーゼのためにを聞いていた。
「時間です。今日はこれで終わりです。明日から夏休みですね、夏休みの宿題は、『昭和の研究』にしましょう」
そう言って先生側からスイッチが切られると、アイナは手にはオルゴールがあったままで、スタディ―マッサージチェアーのような椅子がカプセルの中に入っていて専用のゴーグル、を装着するとバーチャル教室へと行ける。ちなみに買い物もこれで行ける。荷物は後日届くようになるのだが、こうやって、実際に旅行をするということがなくなったため、空を飛ぶ飛行機や、車など、四半世紀前に絶滅してしまった―から出てきて背伸びをする。
それを棚の上の猫の置物の横に置いて部屋を出た。
「ぴぴ―家政婦ロボットの名前―! ご飯!」
アイナは風呂から上がって頭をタオルで拭きながら部屋に入った。入ってすぐ、さっき置いたオルゴールが目に留まった。
アイナはそれを手にしてベットに腰かけ箱の裏を見た。
『春日部 湊から。1988年8月31日』の消えかかった文字が見える。
ふたを開けると、二音ない『エリーゼのために』が流れる。
―そもそもオルゴールとはそうやって箱の裏のねじを巻き音楽を聴き、その中に宝物をしのばせる物だったんです―
「そういえば」
アイナは箱をくるくると回したが何もなさそうに思える。授業でやった、『からくり箱』のような仕掛けはなさそうだった。
アイナはもう一度ふたを開けた。赤い布が敷き詰められていて、シリンダーは透明なケース内にある。
「はがれたりとかする?」
アイナが赤い布を何とか持ち上げると、写真が出てきた。
密閉されていたお陰で色あせは無かったが、まるで見たことの無いような風景の中、気まずそうに映っている二人。
一人はアイナに似ているので、そ祖母だと思う。相手は、多分、
「春日部 なんて読む?」
アイナはオルゴールを持ってスタディーに乗り込んだ。
スキャン画面に写真を乗せそれがどこで撮られたのかを検索する。
―1988年。8月31日。星嶺高校校門前。カスカベ ミナト。17歳。コバタ アキ。17歳。―
「コバタぁ? おばあちゃんの旧姓ってそうだったんだ……。いや、待て、春日部って、どうなったわけ?」
―1988年。9月1日。カスカベ ミナトは転校。その後、高校卒業後、東京の大学に進学、就職、結婚をし二児の父親となる。
コバタ アキ。そのまま地元の高校を卒業後、地元短大に進学、地元企業に就職し、三村氏と結婚。三人の子供を産む―
「……、なのに、何でこんなに大事にしてた?」
―それは本人の感情意志のサンプルが無いので、なんとも言えません―
「……好きだったから残していた? と」
―もしくはまぎれて棄て忘れたか―
「なるほどね……。宿題出てたんだよね。『昭和』を研究するの」
―過去への干渉は規律違反です―
「別にタイムトラベルするわけじゃないわよ。ちょっとどういうのか見るだけ。それなら戻ってきたとき、向こうの人には記憶は無いわ」
―ですが、あなたには残ります―
「おばあちゃん死んでるしぃ」
アイナはけらけら笑いながら、キーボードに、『1988年』と打ち込んだ。
「いきなり8月31日に行くより、どうせだから夏休みを堪能してこようかな。あ、服装のリサーチもちゃんとしててよ」
―悪乗りですね。過去への干渉は性格形成未熟な物には辛いものなんですけどね―
そういうスタディーの案内を無視してアイナは『7月20日』と入力した。
脳内神経のうち、睡眠を司る神経に幻影力作用のある―もちろん無害な物―をしのばせ、意識を飛ばすのだが、ちゃんと肉体も付いていく。そこはどういう構造でなっているのかはスタディーを作った『世界のボディー社』の社長に聞かなくてはいけないだろうが、そんなことを抜きにして、この商品は遠い過去、一人一つのテレビや、ゲーム機や、携帯電話やなんかと言われるほどの普及率であり、今やこれが無いと生きてさえ居られない現状がある。
そんな中に入って肉体は睡眠状態に陥り、しかし意識は指示された場所へ仮の肉体を持って飛んでいく。
―2 1988年7月20日
アイナは着いて早々見たことのない太陽光に絶叫していた。
未来の大気は20世紀の産物のお陰でオゾン層の破壊という目に遭い、人工オゾンそうならぬ天井を作った。そう、天井。地球はいろんな場所に高いタワーを立て、そこに天井を作っている。太陽光は一昔前の平均値から30%も減った。
熱帯地方も、冷帯地方も無くなったため、各地で破壊されるであろう自然を保つため、人工熱帯やら、人工冷帯。季節を作った。作り物の中で17年間もいたアイナにとって、直接降り注ぐ太陽は異常なほど熱かったのだ。
「あんた、ぶっ倒れるぞ、こんな昼間にそんなとこ立って」
アイナが顔を下ろせば白いシャツに黒いズボン、スポーツバックを袈裟掛けにした高校生が自転車を停めていた。
「それに、この暑い中そんな大声よくでるなぁ」
彼は笑った。
―春日部 湊―
アイナは彼に心なしか笑みを浮かべていた。おばあちゃんの初恋の相手というより、感覚的に『良い』とした物を感じ取った。
「あ、こっちに、親戚の家に遊びにきて。熱いね、こっちは……」
「まだまだこれからもっと熱くなるきぃ。で、家はどこや?」
「え? あ、えっと、それが」
「なんや、迷子か? 乗せていっちゃらぁ。乗りや」
湊は笑顔で自転車の後ろを指差したが、乗れるような場所はない。
「乗る? といいますと?」
「…あんた、どっから来たがぜ? このステップに乗ることも知らんがか?」
「あ、いや……。ねぇ、あはははは」
知らないも何も、自転車自体を始めて見たのに、どうするというのだろうか? ともかく、湊が言うように後輪の車軸のねじあの頭カバーに足を乗せる。
「イタイ」
「ちったぁ我慢しぃや。この暑い中迷子でロイロイしよったら、それこそ干からびるで」
アイナは苦笑した。
「ほな行くで」
湊が自転車をこぐ。
―何、両足放した! てか、何で、人力? しかもそれがなんかスピードでてるし、て言うか、―
「きゃぁーーーーーーーー坂ぁぁぁぁーーーーーーー」
アイナは湊にしがみついた。
「く、苦しいちや」
そういう湊の首に、自転車が坂の下で停まるまでしがみついていた。
げほげほと、坂を下りると湊は自転車を止め、アイナはステップから降り、咳き込む湊の背中をさすった。
「ご、ごめんなさい。でも、物凄く怖かった」
「いやぁ、悪い悪い。地元じゃぁ別にこれっぱぁの坂どうってことは無いがやけんどね」
アイナは苦笑する。
「で、なんか目印の場所とか解るか?」
「目印というか、コバタさんの家に行きたいんですけど」
「コバタ?」
「そう、私の、従姉妹の家で。コバタ アキって。さっきの高校に通ってるらしいけど、」
「なんや、コバキの親戚か。にしちゃぁかわいいなぁ」
湊に言われアイナは首をすくめた。
「あ、なんで、コバキ?」
「あぁ。小旗 亜季で短こうしてコバキ」
アイナは納得するように頷く。
―スタディ? 従姉妹設定した?―
―了解。あと一分後にコバタ アキがそこを通る―
「亜季ってどんな感じ?」
「どんなんとは? 従姉妹なんやったら、そっちの方がよう知っちゅうがやないが?」
「それが、十年前に法事で会っただけで、今年は家族で旅行って決めてたんだけど、兄が受験でいけないから、あたし一人だけ、まぁ受験の邪魔するなということで、こっちへ来たの」―さすがスタディー。上手いバックボーン―
「ふぅん。コバキから確かにそういう話し聞かんかったしな。まぁ、コバキの家やったら、」
「カス!」
「なんじゃぁ!」
自転車がすごい勢いで近付いてきて停まった。
写真の中のそ祖母だ。
「なにその子に話しかけゆうがで」
「あほか、お前、学校ん所で待ち合わせやなかったがかや? 一人で暑い中立っちょったき、迷子やったら案内するぜぇ。と言うてここまで降りてきたがいや」
亜季は頬を膨らませた。
スタディーの修生プログラムのお陰で、アイナは従姉妹として修正され、バス停がある高校前で亜季が迎えに行くと言う事になっているようだ。
「ごめんよ。出かけにおかあちゃんが煩そうてよ」
アイナは首を振る。
「で、従姉妹のあんたの名前なんちゅうが?」
「え? あぁ、毛利 藍那」
「どんな字書く?」
「そんなんどうだってえぇろう? さっさとどっか行け、カスぅ」
「煩い。気になるろうが、」
アイナは乾いた声で笑い、「藍色の藍に、那覇の那」と答えた。これも修生プログラムのようだ。
「変わっちゅう名前やなぁ」
「お町の人やきよえ」
「確かに、亜季やもんなぁ。ダッサい、ださい」
「しばくで」
亜季が拳を振り上げるが、亜季も湊も自転車にまたがっているのでそれ以上近付くことは出来ないのだが、二人はけん制しあっている。
アイナは苦笑いを浮かべたあと、急に世界が回り、真っ白い世界が広がった。
体温が常温に戻りました。意識回復。心拍数、脈拍、異常なし……。熱中症と考えられます。
アイナは目を開けた。
見慣れない部屋。
木の天井。首を横にすれば、ごちゃごちゃしたような物が置いてある机に、外が見れる窓。部屋の隅には鞄と制服がかかっている。
―亜季ばあちゃん、……亜季ちゃんかな? (苦笑)の部屋か―
トントントン。小気味よいリズムで誰かが上がって来て部屋の戸を開けた。
Tシャツに短パン姿の亜季は、気付いて目を開けているアイナに微笑み、
「驚いたちや。多分、熱中症やろうと。暑かったきね。ごめん。ごめん。これ水分」
アイナはコップに注がれた上でペットボトルごと持って来ているイオン系の水を見た。
―低塩水ドリンク。この頃では、熱中症対策として重宝されている―
「あ、ありがとう」
アイナは受け取り、口に含んだ。
ほんのりとした甘みを感じる。
アイナがコップを覗くと、
「温かった? 氷要る?」
と亜季が聞いてきた。アイナは首を振ってもう一口口に含んだ。
すでに味覚は完全に麻痺され、一定の栄養はサプリメントからしか摂取しなくなった。だからメタボリックなどという過去の言葉に当てはまる者も居ない、代わりに、運動をしなくなったので、誰もが細く、最低限の筋肉で動いている。
そんな中でアイナの味覚はそれを甘味だと捉え、冷たく冷やされたそれを『旨い』と感じたのだ。
「しっかし暑いねぇ。あ、扇風機の風いく?」
アイナは扇風機を見て頷いた。
あんな骨董、骨董商でもまずお目にかかれない。確か、戦後の三種の神器から、個人の所有と変わり、冷暖房器に移行し、CO2によって見直されたが、それを維持することなく、地球は壊滅的滅亡の危機にさらされ、「ノアの箱舟計画」によって、人間は人工オゾン層を作り上げた。適温の世界に、扇風機など必要ないのだ。
「あ、えっと、……さっきの、ミナト君?」
「カス?」
「あ、……そう。仲いいね」
「そう? 会えば喧嘩ばかりしゆうがで?」
「喧嘩するほど仲いいというでしょ?」
「そう、やろか? ただ、小学校から高校に入ってまで一緒で、家もわりかし近いき、なんかよく顔を合わすがやけんどね」
「好き?」
「な? な、何をいうぅがで?」
亜季が真っ赤にして手を振る。アイナは少し微笑んだ。
「……まぁ、あたしが思うちょっても、向こうはなんとも思うちょらんし」
「そうなの?」
「知らん。よく、解らん。……と言うか、解りたくない。かな」
亜季は軽く笑い、机に向かって座った。
「何をするの?」
「勉強。夏休みの宿題。英語のドリル」
そう言ってノートをひらつかせ、「もう少しねちょきや」と机に向かった。
シャーペンの二度押しの音、ノートに書く音、風がカーテンを揺らす音、せみの声。まるで向こうに存在しない『自然』にアイナは頷いて横になった。
文字を書かなくなってからいく久しい人間たちは、思考回路で文字化することを発明した。何のための五本指か。と嘆いた昔の人が居たが、それはキーボード操作上必要な物だ。とアイナたちは思っていたが、違う。あの指は、文字を書いたり、誰かに優しくしたりするための物だ。
この世界に来てすぐミナトが自転車に乗せてくれたても、倒れたときに心配して手を握っていた亜季の手も、やっぱり優しかった。
―17時。匂いの元は『夕食』を作っている最中であり、分析すると、―
―いい。分析しないで。なんか、いい―
アイナは目を開けると、まだ明るくて、外では子供の声が聞こえていた。
昼間の暑さで引っ込んでいた子供たちが、涼しくなった頃に這い出てくるように湧き出て、外を駆けずり回っているようだ。
アイナは起き上がると、窓の側に立った。
「あ、ミナト君」
「よぉ。どうぜ、具合?」
「うん。大丈夫。暑さにやられたみたい」
「そうかぁ。あぁ、さっき、貰ろうたスイカ届けたとこやき、食べやね」
「ありがとう」
「あ、すけべカス。覗きに来たがかえ?」
「じゃかましい」
亜季の声に湊は顔をしかめて帰っていく。
「そんなこと言わなくても。という顔をしなちや。どうも、言うてしまう。というかね、そう言わんかったら、なんか、うちらやないようでねぇ」
「難しいなぁ……。素直に好きって言えばいいのに」
「そ、そんなこと言うて、バカにされるか、いんまみたいに話しなんか出来んで」
「そう? 嬉しいと思うけど」
「あんた変やねぇ。思春期に、男友達と言うか、悪友と言うか、そんな関係の相手に「好きや」言われたら、みんな気色悪がるって。そんなもんながって」
「そう?」
「そう」
亜季はそう言いながらも、近所の子供に止められて何かを話しこんでいる湊の背中を見送っていた。
夕飯は驚いた。ただただ驚いた。イオン系の水に、今度は『白米』『味噌汁』『ハンバーグ』が出てきた。しかも『サラダ』つき。食後にはスイカが出された
こんな物、過去の資料でしか見たことが無い。口に入れるといい得ない『甘み』が広がる。スタディーはこれは「旨み」というと言ったが、そういう感覚が無いアイナには新鮮だった。
風呂といって湯を張ったものの中に入るときの恐怖は言い知れなかった。でも確かに、身体はすっと気持ちよくなった。
でもそれも、『熱帯夜』と言われる夜にはほとんど効果はないように感じられたが、それでもアイナにとっては初体験ばかりだし、目新しいことばかりで何もかもが楽しかった。
亜季は高校で吹奏学部に所属していると言った。学校に関係のないアイナの入校を許すわけには行かないが、共働きの上、一人で知らない土地の家に居るのも可愛そうだと亜季が学校側に掛け合い、特別にアイナは吹奏学部の部室に入った。
「向こうの学校では何部なが?」
人懐っこい人はどこにでも居るようだ。彼女は副部長だと言ってアイナに話しかけてきた。
「あ、これと言って……」
「つまらんねぇ。せっかくの高校生活を」
アイナは乾いた笑いをした。
吹奏学部の練習は黙って聞いていても心地よかった。
亜季はトランペットの担当で、今度の大会が最後で、そこでソロがあると気合が入っていた。
「にしても、アイナちゃんてば真っ白やねぇ」
「そ、そうかな?」
「お町の子はえいねぇ。あたしらぁ、地黒やき、どんなに日焼け止めしちょってもすんぐに焼ける」
大笑いをして腕を見せる。確かに日焼けして小麦が焼かれたようないい色になっている。
「あ、で、大会っていつ?」
「八月の八日」
「もうすぐ?」
「そうながってね。陸上部も、この大会で決勝までいかんかったら秋の県大会には出られんし、」
「陸上部の大会?」
「そう。亜季の家に居ったら、知っちゅうろうか、春日部 湊? あいつ高飛びの選手ながよ。あいつもこれで終わりになるかもしれん」
アイナはトランペットを大きく吹くためにベランダに出て、甲高い音を腹の底から出しているような亜季の方を見た。
アイナと亜季は並んで歩いていた。
「湊君の大会なんだ?」
「ん? あぁ。今度の陸上? まぁね。高飛びの選手やきね」
「張り切ってる」
「まぁ、三年やき」
「違う、亜季ちゃんが」
「……あたしも三年やき」
亜季は首をすくめた。アイナも同じように首をすくめた。
グランドの向こうで、「湊、えぇ調子」と言う声がしてそちらを見れば、とんだ後でマットに沈んだらしい湊が起き上がっているところだった。
「もう一回飛ぶみたいだよ」
アイナが亜季の方を見れば亜季はグランドをチラッと見たあとで歩き出していた。
「見ないの?」
「見たっち、見るな言われるのがオチやしよ。それに、あたしが応援するより、彼女の方がえいろう」
アイナがグランドの方を見れば、飛ぶ前の湊の側に可愛らしい人が立っていた。髪はひっつめ、ジャージ姿で、スタディーに寄れば『マネージャ』と言う人らしい。
―彼女?―
―関係位置づけによると恋人と言う物に非常に近しいと思われる―
―どういうこと?―
―現在の関係には存在しない、いろんな人と付き合って相手を見つける行為の諸段階というものです―
―面倒―
アイナは眉をしかめて亜季を追いながらスタディーと会話をしていた。
『おしどり計画』によって離婚率は軽減され、しかも、相性や感情から適切であると判断した物と、『18歳の七夕』で対面する。そこで一生の伴侶と出会い、そのまま添い遂げるのが普通の世の中で、何で自由なんだろうか。
―ちなみに、今の現状で、亜季ちゃんと湊君の相性はどのくらい?―
―未来結婚しませんから、可能性はゼロに等しいですが、―
―相性よ、相性―
―性格的強情さを差し引けば、相性はかなり高いはずですが、なんせ自己修復プログラムを受けてマイナス要因排除を行っていないので、たとえ結婚することがあっても、些細な喧嘩は耐えないでしょう―
アイナはため息をついた。
「しんどい?」
「え? 違う。暑いなぁと思って」
「そうやねぇ。…かき氷食べて帰る?」
「かき、氷?」
「そう。あんま好かん?」
アイナは首を振る。スタディーがすぐに『カキ氷』のサンプル画像を持ってきたが、ガラスの器に白い物。その上が赤に染まっている。なんとも言えない物体が出てきた。しかもそれを『食べる』と言うのだから、どういったものなのか。
と甘味所に入って、出てきた物は見た目からしてひんやりとした物だった。
「イチゴでえいが? よかったら、こっちの宇治白玉金時も食べやね」
アイナは頷き、イチゴのカキ氷を亜季を見習いながら口に運ぶ。
キーンとこめかみが痛む。
「そう、山盛り口に入れるきよ。でも暑かったもんねぇ。食べてしまうってね」
亜季もそう言って口に入れこめかみを押さえた。そして二人して笑いあい、こめかみを押さえ、眉をしかめながらも『美味しい』かき氷を食べた。
亜季が風呂から上がってきて頭を拭きながら椅子に座った。アイナはいつもベッドに腰掛ける。
「湊君のどこが好きなの?」
「は?」
「どこか好きなところがあるんでしょ?」
「…いや、無いわけじゃないけど、でも、……何を聞くがって」
椅子をくるりと回し机の方に向ける。
「だって、結婚したあと喧嘩しちゃだめじゃない。離婚なんて罪よ罪」
亜季が慌てて振り返った。
「何?」
「いや、それはこっちの台詞。どうしたの? アイナの両親、仲悪いの?」
「え? ぜんぜん」
「じゃぁ、何で離婚なんか」
「だって、結婚後の喧嘩は離婚する原因じゃない」
「……、喧嘩の種類によると思うよ」
「喧嘩に種類なんか無いわよ。お互いを罵倒するだけだもの」
「確かにそうだろうけど、でも意見が食い違って歩み寄ることが出来るのも喧嘩する理由だと思う。どっちかが我慢して、口を塞いでいるより、双方が譲れるところを譲り合うことも大事なことだし」
「それが湊君ならできる?」
「だから、何でカスなのよ。別にカスじゃないかも知れないじゃない」
「でも、亜季ちゃんは湊君が好きなんでしょ?」
「……、好きで結婚は出来ないと思うよ」
亜季は諭すようにゆっくり言った。そして、
「もうおしまい。暫く声かけないでね」
と勉強を始めた。
アイナはベッドに寝転びその様子を見ながら目を閉じた。
―通信いったん解除。完了―
アイナはスタディーから這い出てきた。
亜季の部屋に見慣れた所為か、殺風景な部屋だ。色もシルバーが貴重だ。いくら流行りだからといっても、寒々しく感じる。
窓の外に見えるのは偽『春の花』が満開に咲いている。窓を開けても、せみも、鳥も、車も、自転車も、子供の声もしない。歩いている人が居るが、それは『通行人』。誰もそこでおしゃべりなどもしない。
「空しい世の中……」
アイナはそう言ってサプリメントを飲みにいく。
「アイナ」
「ママ」
ほぼ一週間ぶりに顔を合わせる。親といってもただ同じ住居に居るだけ。食事を囲むことが無くなってからは、家に居るのは部屋の上につけた赤いランプだけがわかる。会話も一生のうちそれほどもしない気がする。
「ねぇ。ママ。ママのお婆ちゃんてどんな人だった?」
「お婆ちゃん?」
「亜季おばあちゃん」
「あぁ……。別にどうという思い出はないなぁ。あ、あんたが生まれて、アイナって名づけたとき、酷く喜んだ気がするなぁ。そうそう、あんたにあげたあのオルゴール。あれはおばあちゃんがどうしても『アイナに』って言ったっけ。何で?」
「いや、オルゴールの中敷あけたら写真出てきて」
「どれ……へぇ。なんか懐かしいなぁ」
「街?」
「うん……ここ多分、学校坂じゃない? 学校から急な坂があってね、その下から、そうそうおばあちゃんに手を引かれて、ここがおばあちゃんの好きな場所って。学校坂は初恋の坂よ。とか言ってた。そうそう、なつかしぃ」
母親はそう言って写真をアイナに渡した。
「おばあちゃんのいい思い出よ。大事にしてあげて」
「解ってる」
アイナはそう言ってサプリメントを飲み、部屋に戻った。
「栄養補給しながら行くわ」
―最低でも一週間が限度です。そのつど帰ってきてください。それから、警告します。あなたがしている行為は歴史に干渉する行為です―
「でも、おばあちゃんの気持ちを言うだけでも、」
―分析した結果、カスカベ ミナトもまたコバタ アキに好意を持っています。そして気持ちを打ち明けた行為により将来再会する確率が高いです。それは、あなたの消滅を意味します―
「……そう、言うことになるよね、…でも」
アイナはそう言って黙った。
言わなかったからアイナたちが存在する未来において、言ってしまったら、アイナたちは存在しない。そう、歴史干渉者の大きな罰。肉体消滅。
アイナはオルゴールを見た。
「……でも、伝えさせたいけどな」
アイナはそう言ってスタディーに乗り込んだ。
「時間を短縮しようか。一週間ぐらいじゃぁ動きは無いでしょ?」
―まぁ……。あのまま練習を続け、それに付き添い、そしていつまでも気持ちを伝えるべきだと話し続け、断られるだけでしょう―
「なんて頑固な」
―血筋は間違ってませんよ―
「喧嘩売ってるスタディ? …」
―アイナ?―
アイナは黙った。スタディーが関与できない深い思考の中で考えている。
多分、こういうこと―アイナとスタディーが意見を言っているそこで少し腹を立てる。いや、そう立腹する程度ではない。軽く冗談だと受け流せるような物。これも喧嘩だ。そう。こうやって相手を探っていく。今のように感情が思考回路に到達し、相手のことが読めるような時代じゃない。そんなときには、喧嘩は必要なのかもしれない。離婚して、親の居ない子どもが多くなりすぎた結果の「18歳の七夕」が存在することになっていっても。
―アイナ?―
「スタディー……私の思考はおかしくなってきてるのかもしれない」
―アイナ?―
「あの昭和がいいと思ってる。すごく不便だけど、あそこで食べたハンバーグは美味しかったし、かき氷は冷たかった。日差しはまるで火の様に暑くって、でもそこでつないだ亜季ちゃんの手は優しかったよ。そんなことを思って、たった一日あっちに居ただけだとは思う。でもやっぱり、なんだか」
―カルチャーショックで憧れを抱くことはよくあります。そしてそれは性格形勢未発達の未成年であればあるほど強く出ます。ですから最初に警告したのです。あなたが行くと大変なことになると。そして、歴史に干渉せざるを得なくなると―
アイナは黙った。
「無難に図書館で調べよう。向こうの記憶は消えるんでしょ?」
―…もちろん―
「じゃぁ、消して。図書館にスライド(移動)して」
アイナは図書館に向かった。
世界の本がすべて集まっているライブラリにはいつでも人が居た。どんな本が必要なのか案内のバードが一人一人につく。見ている人の頭にはそのバードがくっついている。言えば、帽子をみんな被って本を読んでいるようなものだ。
アイナは昭和の文献欄に移動し、本を見上げた。
昭和時代に書かれた本がずらりと並ぶ。昭和は意外にも長く続いたから、本の量も多い。戦争前、戦争中は戦争賛成本が多く見られ、プロレタリア文学なんかの圧力が掛かった本も欄列されている。
それから高度成長期に入ると、アメリカを見習うような本が登場し、横文字が氾濫していく。
1980年代
アイナは立ち止まった。
「アイドル全盛の時代ですね。自由研究にするなら、ファッションとか、音楽思考とか、そう言ったものでもいいと思います」
アイナは一冊の本を手にした。それは亜季の机の本棚にあった本だ。
『初恋に似たペパーミント』という本だ。
「それは当時流行った『漫画小説』ですね。でも売れ行きはあまりよくなかったようですが」
アイナは苦笑いをしながらそれをめくった。
主人公の17歳は好きな相手に好きと言えずに待ち伏せしたり、好きな人の好きな物を必至で覚えようと努力をする。そして勇気を出して声をかけようとしたときには、彼には彼女が出来ていた。そのとき側に合ったアイスクリーム屋の店員に貰ったペパーミントアイスクリームがその淡い初恋に色を添えている。すっとしてさわやかな青春を切り取ったような話だ。
「亜季ちゃん」
アイナは本を読み終えて呟いた。
本は一日で読み終えた。いや、スタディーを使えばあらすじを入れただけで読んでしまったプログラム修正が出来るから三秒と要らないのだが、アナログになりたかった。本を熟読して少しでも亜季の心情を知りたかった。
いいの、いいの。私のほうが順番は遅かっただけだから。彼にはあの子はお似合いね。私じゃ、つりあわない。
そんな文句が胸を締め付ける。
陸上部のマネージャーは綺麗な人だった。自分を卑下するかもしれない。喧嘩ばかりの仲より、優しい子の方を好むだろう。
アイナはため息をつく。
―行きますか?―
アイナはスタディを振り返る。
―いきががり上です。ただし、あなたが消えるようなことがあれば困りますから、断固として阻止しますが―
「どうしてだか解らないけど、黙って二人が別れるところを見届けるのは辛いけど、でも、このまま知らないままよりは、きっと、ずっと、心の整理はつくと思う」
―だと思います―
アイナはスタディに乗り込んだ。
「じゃぁ、大会の前ぐらいに何かあるんじゃない?」
―大会三日前ですね―
「三日? 何があったんだろう?」
せみ時雨がただただ喧しく鼓膜を覆い尽くす。
「あ、猫……」
アイナの前を黒猫が走り去って行った。
アイナは辺りを見わたすと吹奏学部が日陰に集まっていた。
「しょう暑い」
「でも外で練習しとかなきゃ、相手高校に圧倒されるし」
「そうながってねぇ。でも、暑いで。こんなかで吹くか?」
みんなが項垂れている中に亜季の姿は見えない。
「亜季ちゃんは?」
「あ、水取りに行った。じゃんけんで負けてね」
アイナは頷いて指差された手洗い場所へと向かう。ウオータークーラーに氷をいれその中の水を汲みに行っているのだろう。
クーラーの水が溢れている前に亜季が呆然として立っている。
「亜季……」
声がする。女と男。
―カスカベ ミナトと、マネージャー―
アイナが眉をしかめて一歩近付く。
「大会で優勝したら、付き合って?」
「俺?」
「そう。私、春日部君のこと好きだから」
「……俺……」
「大会で優勝したら。じゃぁね」
マネージャーが校舎の影から出てきた。
「あ、聞かれた?」
首をすくめて走っていく。
亜季は水を止め、アイナの姿に気付く。
「あ、一緒に持ってくれる?」
アイナが頷くと、湊も校舎から出てきた。
「コバキ……」
「もてますねぇ」
亜季は俯いてクーラーを持って歩いていく。アイナもそれを持ち、湊の方を振り返りながら歩く。
「いいの?」
「何が?」
風呂上りにアイナが口を開いた。
本当はあの場で言いたかったが、言えないようにスタディが行動ロックをかけていたのだ。
「あの人と付き合うって、」
「お似合いじゃない」
「……ペパーミント?」
亜季が首を傾げ、机に置いていた本をとった。
「あたし、これ嫌い。友達が面白いからって読んだけど、こんなん、イライラする」
「私は、今の亜季ちゃんを見てるほうがイライラする」
「きついなぁ……でも、そうやねぇ。確かにイライラする。でも、でもよ。高校生ぐらいが、好きです。ボクもですって付き合ってどうする? 遊びに行く場所なんかないし、キスして、その、……そういうことになって、それこそ、アイナが言うような出来たから結婚。がオチだよ。それこそ離婚率高そうだしね」
亜季はから笑いをした。
「好きって、難しい」
アイナは頷いた。
「そういえば、アイナは? アイナは好きな人いないの?」
「はぁ?」
アイナは首を傾げた。『18歳七夕』まであと一年。来年になれば愛称ぴったりの相手と出会う。好きになる対象物なんか居ない。アイナは首を振った。
「そうか、それはそれで寂しいね」
―寂しいんだ。誰かを好きでいないっていうのって―
アイナはぽつんと何かが開いた気がした。
翌日も天気で、暑さが堪えて来たのか、アイナは日陰で座り込んでため息をついていた。
「よう。アイナちゃん」
湊がユニフォームを着て立っていた。アイナは頷く。
「コバキは?」
「練習。煩いから逃げてきたけど、涼しい場所もなくて」
「そう……。あの、さぁ」
湊の言葉を予測したスタディーが警告を出した。
「好きな奴いる?」
「え?」
「いや、会って一週間やけど、なんか、うん……一目ぼれというか。昨日、うちのマネージャーとの話聞いてたろど、そりゃ以前なら嬉しかったがやけど、なんか素直に喜べんでよ。帰りがけアイナちゃん見て、あぁ、俺好きやって、思って、」
「え? 湊君があたしを?」
―待って、これは感情の誤解です―
―解ってる。多分、亜季ちゃんが前にいて動悸がしてちょうど居合わせたからすり替えられたんでしょ―
―そうです。……コバタ アキが、……聞いています―
アイナが振り返る。そこには誰も居ないが、アイナがゆっくりと歩いていくと、影の影に亜季が立っていた。
「亜季、ちゃん」
「あ……、いいんじゃない? カスはいい奴だから」
亜季は走り去った。
「亜季ちゃん!」
アイナが走って追いかけるが、『最低筋肉』しか持って居ないので追いつけるはずも無い。
校舎内は若干涼しいがそれでもやはり暑い。その廊下を歩く。
「亜季ちゃん……。亜季ちゃん」
泣きそうになった。
―私が邪魔をした?―
―いいえ、確かに、カスカベ ミナトはコバタ アキに告白する気でしたが、邪魔が入ることに変わりありません。結局カスカベ ミナトは、コバタ アキに告白することなく……―
―無く何?―
―それはご自身で見られたほうがいいでしょう―
「辛いよ。暫くこんな気まずい日を続けるのはいやだ」
―飛びますか?―
アイナは頷いた。―なんて卑怯なんだろう。―亜季たちは毎日24時間過ぎていかないといけないのに、アイナは好きに時間を動かせる。
―陸上大会、高飛び決勝戦。カスカベ ミナトが出る順番です―
アイナがグランドの方を見れば、バーの前に湊が腱を伸ばしている様子が見える。
マネージャーの姿が見える。
亜季たち吹奏学部の演奏も聞こえる。
湊が走る格好に入った
亜季のソロ。甲高く割れた音。
湊のバーが落ちた……。
アイナは目を硬く瞑って更に時間を進めた。
その日の夕食。アイナと亜季の両親は食卓に着いたが、亜季の姿は無かった。
「いやな女」
亜季はそう言ってベッドに突っ伏した顔を横にした。
「ん?」
「優勝しなかったから、マネージャーとは付き合わんでいいやんか……いやな女」
「亜季ちゃん」
「いいよ。あたしに遠慮せず。いや、アイナが嫌なら無理強いはしないけど、付き合えば?」
「そうやって薦めている快い顔してないよ」
亜季は枕に顔を鎮めた。
「あたしの気持ち知っちゅうくせに」
「私は承諾なんかしてないよ」
「えいがって。もう。何も、かも」
「亜季ちゃん」
アイナが眉をしかめる。
「どうせすっと居らんなるくせに。何で、アイナながよ」
亜季の枕に押し付けた小声が胸を突き刺す。
昼間のせみ時雨の威圧に眉をしかめながら、湊が来るのを待った。
湊の家に電話を掛け、―電話にも驚いた。あんな『受話器』つきの電話なんか見たことが無い。どうやってやるのかまったく考え付かなかった―公園で待ち合わせたのだ。
「あ、待った?」
「大丈夫」
アイナは愛想笑いを浮かべる。
「で、どこへ行く?」
「いや、そういうわけじゃ」
「デートっしょ? アイナちゃんから誘ってくれるとは思わなかったき、すんげー嬉しいがやけんど。どこ行く? と言うてもどこという場所はないけども」
アイナたちの前を猫が過ぎて学校坂のほうへと向かっている。
「あ、……そう、学校」
「はぁ?」
「私も、ほら、この町知らないし、それに、どこへ行っても別段変わりないだろうし。でも、学校って、やっぱり、それぞれ違うだろうし、ねぇ」
―何を言ってんだか。言いたいのは、そうじゃないだろうに―
「かまんけんど、おもしろうも無いで?」
「いいの、いいの」
軽い笑い声。学校へ向けて歩き出す。
「あ、陸上、残念だったね」
「あ? あぁ。まぁ、本番に弱いから」
「そうなんだ……一生懸命練習してたのに」
「してても、報われなきゃ意味が無い。……辞めよう。デートでする話じゃないって」
湊は明らかにさっぱりとした笑みを浮かべた。だが、
―相当堪えていて、下手な慰めより罵倒した方が生成する方が強い。自虐的思考が生まれているため、陸上を続ける如何を検討している―
と言われたら、これ以上話はしなかった。
なんだか無言で歩き、学校坂まで来ると、その坂を見上げる。
「亜季ちゃんと来るときいっつもこの坂を見上げてため息が出るのよね」
「学校坂は有名だからね」
「亜季ちゃんが言ってた。この学校坂にはなんかジンクスがあるって」
「らしい」
「知ってるんだ」
「まぁ、その学校に通ってるし」
「この坂の下でさよならした人とは二度と会えないって」
「……わざわざここに連れてきてそういうことを言う?」
「え? あ、違う、違う。そうじゃないの、ねぇ」
「嫌なら嫌と言えば言いやんか。わざわざ呼び出して期待させて、俺、すんげーあほや」
湊が怒って自転車を反転させて走り去った。
「そういうつもりじゃないって」
アイナは俯いた。
アイナは瞬間的に戻ってきていた。
殺風景な部屋の中に倒れこむようにしてでる。
―脈拍、心拍に異常が見られます―
「そりゃそうよ。思ってもみないうちに人を傷つけてたなんて。そんなつもりじゃなかったのに。学校へ行って……」
―学校へ行き、コバタ アキの方がいいと言うつもりだったのでしょう? 結局断る点では同じです―
「そ、そうなんだけど。でも、そんなあんなに傷つける気なんか」
―結果的に、その後コバタ アキと路上で出会い、二人は公園で缶ジュースを飲みながら話し合うので、あなたの思惑通り仲良くなっていくことには変わりありませんが―
「そうなの?」
アイナは眉をしかめて聞き返し、その行為に更に眉をしかめる。
―嫉妬ですよ。それが。嫉妬とは人間が一番醜い物だとされていて、それを無くすためにいろいろな政策が取られてきたのですが、あなたは持ってしまったようだ―
「嫉妬って、何で?」
―コバタ アキを好きで、カスカベ ミナトの事も好きだからですよ―
「何で? 亜季ちゃんはおばあちゃんよ。好きだけど、湊君は……」
ほんのりと胸の奥が暑くなり、そのとき湊の顔が浮かぶ。なのに今その湊は亜季と話していると思うと、妙な痛みが走る。
「これが嫉妬?」
―人間の憎感の中でももっとも下劣な感情だといわれています―
「そんな物を持ってしまったの、私……」
―コバタ アキがあなたを責めていたときも、彼女は嫉妬によって口走っていたのですよ―
「亜季ちゃんも嫉妬?」
―恋すると誰もがそういう感情を一緒に芽生えさせるようです。この時代は特に『少女漫画』の影響でそういった感情の起伏が多く見られる傾向にあります―
「……私、どうしたらいいんだろう……。湊君が好きだとして、いくらなんでも、」
―その年の差、106歳―
「う、煩い! そういうことを言ってるんじゃないの。……過去なんだよ。湊君は」
―それを解っていて見に行ってるのでは?―
アイナは唸った。何故、客観視できる資料だけにしなかったのだろうか。人を好きだと言う物が、こういう少しこそばゆいような、それでいてほくほくと暖かくなるようなものかはよく解らないが、でも、居心地はとてもいい。それだけに、亜季が悲しむ姿を見るのも苦しい。
「次に何か、ある?」
―その一週間後に夏祭りがある―
「湊君は誰と行くの?」
―正規な物だとマネージャ―
「亜季ちゃんじゃないの?」
―祭りの会場で会って、一緒に帰る―
「そう。じゃぁ行かない方がいいのね?」
―それで納得できますか? 二人きりですよ―
「……だって、だって…」
アイナは意識を失った。眠ったのだろう。寝ている間に『過去』で生活しているのだ、やはり寝ているのとは違う。
遠くの方で規則正しい呼吸の音がする―あ、自分の息か……誰かが呼んでる気がする……いけない。戻らなきゃ―
アイナは目を開けた。時間は8月16日になっていた。
「そんなに寝てた?」
―それだけの日数向こうで動き回っていたので―
スタディの素っ気無さはいつものことだったが、アイナはカレンダーと、そして朝日をみて少し後悔した。
夏祭りの前日辺りに向こうに行けば、湊はアイナを誘うだろう。亜季とも待ち合わせをして、二人だけで帰す。いや、そんなことをしなくても二人は帰るのだ。じゃぁ、何が二人を引き裂くのだろう。
「転校……。湊君て転校するんだよね?」
―二学期早々に居なくなってしまう―
「それが亜季ちゃんに解るのっていつ?」
―8月31日―
「湊君もそれまで知らないの?」
―言い出すきっかけが無かった。というか言い出せなかった―
「スタディ?」
―感情移入プログラムは完璧ですからね。彼の感情構築からすると、この夏祭りでコバタ 亜季への気持ちに気付いたが、亜季同様に恋愛対象として見られず、結局ぎりぎりまで言い出せずにオルゴールを突き出して逃げるように消えてしまった。というところでしょう―
「じゃぁ、私が行くと余計に話しにくくなる?」
―あなたが行ったと言う事実が無いのですから、なんとも言えませんが、カスカベ ミナトの口からコバタ アキへ伝える可能性は50%にはなります―
アイナは黙った。
―ただ、行って、あなたは二人がくっつくのを見ていられますか?―
「……だって私はまだ……え?」
アイナが自分の手を見ると薄くなり透けて床が見えてきている。
―二人の関係がいい方向に向かっているようですね―
自分の存在が消える。アイナは薄れていく手の平を見た。
―しかし、あと数分後に、マネージャが邪魔をしにきます。所詮、彼らは結ばれることは無いのですよ―
スタディの言葉にアイナは黙った。
「行く。マネージャに邪魔されるより、私が消えた方がいい」
―アイナそれは危険です―
「でも、」
―あなたの本来の目的は、夏休みの宿題のはずです。違いますか? 干渉してはいけません。答えを、自ら導いてもいけません。行くと言うのならば夏祭りの場所にします―
アイナは頷いてスタディに乗り込んだ。
夏祭りの最中であろうと湊に会えるのだし、亜季に引っ越すことを伝えること。自分も好きだと思うが、どうしようもないことを伝えよう。
―プログラム一部修正―
アイナは瞬きをした。
昨日夏祭りがあるからと誘われ、亜季の母親が持っていた浴衣を来て待っている。一瞬めまいがしてほんの一瞬の記憶がない。何か合点がいかないが、とにかく『みんな』と待ち合わせているので、神社前に立っている。
吹奏楽部と、陸上部とがぞろぞろと集まってきた。
「あ、猫、ちょう、かわいい」
野良猫が擦り寄ってくる。
「猫……」
アイナは呟く。
「お、アイナちゃんえいやんかぁ」
そういわれて微笑を浮かべ、袖を持って
「着せてもらったの。亜季ちゃんとおそろい」
そう言って亜季の腕を引っ張る。アイナはオレンジ、亜季は黄色の浴衣を着ている。
「ほぉ、馬子にも衣装や」
湊の偏屈に亜季は頬を膨らませ神社内にずんずん進んでいく。
アイナは露天に見入った。金魚すくい―あんな水に濡れたらやぶれるような物ですくえる訳が無いじゃないか。もしすくえたとしても、金魚を持って帰って世話が出来るのか定かではないのだから、なんて無駄な遊びだろう―、射的―甲高い無駄な空気鉄砲の音が煩い―、綿菓子―あの糖分の固まりを旨そうに食べている気が知れない―。バカにしながらも露天が楽しい。露天の店主との会話も、みんなと行く境内も面白い。
「あれ? 亜季ちゃんは?」
「カスベえも居らんぞ」
全員が辺りを見回すが二人の姿は無い。
「まぁ、子供や無いし」
「あの二人、喧嘩するほど仲がいいってやつで、そろそろ告白とかするんやない?」
みんながくすくす笑う。マネージャは少々面白くなさそうな顔はしているが、それを聞きながら妙な焦燥感にアイナは見舞われていた。
―二人はどこ?―
スタディからの応答は無い。
「あれ? アイナちゃんどこ行くが?」
「あ、トイレ」
「そ」
アイナはその輪から離れた。人ごみを掻き分けて二人を探す。だけどどこを探しても居ない。―よくある話だ。二人して人のこないような場所に居たとかいう―それが頭に浮かぶと、アイナは境内裏の方へと向かった。
鼻緒が足に食い込み、すれて痛い。顔をしかめて足を引きながら歩く。
「ばっかじゃない?」
湊の声だ。ゆっくりと近付くと、岩にも垂れている亜季の横で湊がしゃがみこんでいる。
「お上品じゃないのに、浴衣なんぞ着るから、ほら、足血が出てるじゃんか」
「じょうが無いやんか……アイナが、着たいって、言うから」
「お前は着んでもえいろうが?」
亜季は頬を膨らませた。
「ま、悪くは無いと思うが」
「でも、あんまり涼しいもんじゃないで。なんか涼しそうな気がするけど」
「そうかや?」
亜季は頷いた。
湊は帯でしゃがめない亜季の変わりに、亜季の足に絆創膏を貼っていたようだった。
「アイナのこと、どう思う?」
「どう、とは?」
「かわいいろ? えい子や」
「そうやなぁ」
「好きやろ?」
「……お前よりは」
「そうやろう、そうやろう」
亜季はニヤニヤと笑い湊の肩を叩いた。
「まぁ、あと少しや。デートに誘いや」
「何で知っちゅう?」
「何でって、30日にはアイナ家に帰らんと、学校あるし」
「あ、……そうやな。お前ら従姉妹やった。そうやったそうやった」
「あほや。彼氏だけが知っちゅう気でおったか、あほ」
亜季と湊は笑い、人ごみへと戻っていこうとする。
アイナはその身を隠した。
―湊君は、引越しすることを知ってるんだよね? 亜季ちゃんは?―
―9月1日に知る―
―何で?―
―カスカベ ミナトが言わなかったから。とはいえ、不穏な動きは察しているようだから、正確に知った日が9月でも、何かがあるであろうというのは、もう感づいているだろう―
―修生プログラム確認―
―何とかできないかな?―
―何とかとは?―
―湊君が亜季ちゃんに言う方法―
―言ったところで状況に変化はでないと思いますが?―
「そうだろうけど、でも、それでも、言わないで行くより……」
「誰が行くって?」
ぎょっとなって振り返ると亜季が首を傾げて立っていた。
「心配しないで、カスは向こうへ行ったから」
「あ、あの」
「カスも、アイナのことが好きだって、」
「それは建前だよ」
「何の建前よ? いいの、私なんか合わない気がする」
亜季はくすくす笑い、アイナに頷いた。
―胸が、イタイ―
アイナの中に何か言い得ない痛みが入ってくる。痛くて苦しい。
―亜季の感情プログラム増幅につき、一部感情流出。セーブするのに暫く待て―
―亜季ちゃんの感情?―悲鳴を上げるような痛みを亜季はニコニコと笑いながら、鼻緒で足が痛いと話しているのは何故だ?
「何で、そんなに笑えるの? なのに、何でそんなに痛そうで苦しそうで、何で?」
アイナに顔を覗かれて、亜季は目を伏せ、そして手で顔を覆った。
「なんか解らんがってね。好きやき言うて、それがどうなる? 高校卒業したらどっかよそへ行ってみいや? もう会わんかもしれん。せっかく好きになってもそんな別れがまっちゅうらぁて、あたしいやや」
「だから言わないの?」
「だから、言えんがって」
亜季は顔を上げて微笑んだ。
「なかなかに難しい。何でこんなこと思わんといかんがやろうと思う。でも、あとで、あとと言うても、ずっと、ずっと後で? 結婚して、子供が出来たときに、あぁ、ああいうこともしといていい思い出や。とか思うがやろうね」
亜季はくすくすと笑った。
―切ないなぁ。苦しいなぁ。って言ってるくせに―
―これが恋心ですよ―
アイナは首をすくめた。
「なんかね、アイナと居ると、従姉妹って感じがせんがってね」
「……どういう感じ?」
「なんか、血が同じというか、」
「従姉妹だし、」
「そうやけど、こう、親子って言うか、姉妹に近いというか、」
「親子? 亜季ちゃんが親?」
「いやちやぁ」
亜季はアイナの肩を叩いた。
「でも、もしかしたら、そうかもね」
アイナはそう言って微笑んだ。亜季は一瞬目を伏せたが、アイナを再び見たときにはここに来て一番いい笑顔だと、アイナは思った。
これから数日は滞りなく、平穏に過ぎた。
夏休みの学校は人も少なくて、静かで、吹奏楽部や、数少ない文化部たちの声が響くだけで、お気楽な気配が漂っていた。
「湊、君?」
アイナが吹奏学部の部室を抜け出し、近くの自販機へ買い物に出かけようと思っていたとき、湊が自転車に跨っていた。
「どうしたの?」
「いや、……そろそろ、家に帰る頃?」
「あ、うん。31日に」
「そう、か……。あ、コバキ」
「暇人が居る」
「やかましいわ……。31日、九時に学校集合な」
「何でよ」
「いいもん、見たいろうが?」
「面倒や。九時らぁて」
「そういうなや。アイナちゃんが来るが、お前には言うてない」
「あ、そ」
「まぁ、来たかったら、お前も来いや」
「なんかくれるがか?」
「さぁ、そりゃ解らん」
湊はそう言うと自転車をくるりと回して走り去った。
アイナは亜季の方を見る。
「あたしもジュース買いに行こうとしただけ、邪魔やったね?」
「違う。よく、湊君が来てたの解ったなって思って」
「さぁ。ほんまにジュース買いに来ただけながで」
そう言って首をすくめ自販機へと向かっていった。
―行かない方がいい?―
―その決断はプログラムされていません―
―でも、行くと行かないとで未来に影響が出るとかってあるでしょ?―
―未来ノ事ハ解リマセン―
―スタディ?―
スタディからの声が消えた。
アイナが眉をしかめていると、その目の前にジュースが差し出された。
「暑いきねぇ。で、どうするが? 明日。行くかえ?」
「亜季ちゃんは?」
「あたし? あたしは行く意味が無いろ?」
「だって、……来たかったらって言ってたじゃない」
「来たかったらやろ? まったく思わんから」
アイナが眉をしかめた。
「行くがが嫌やったら断ったら? でも、好きって言いよったのに、」
―誰が?―
行動を制御されている。でもスタディーに解除を要請しても解除しない。
「まぁえいわ。どうせアイナも居らんなるし」
「…も?」
亜季は首を振って部室へと上がっていった。
―亜季ちゃんは湊君が引っ越すことを知ってるんじゃない?―
スタディからの応答が無い。
―ちょっと、スタディ!―
無言。
アイナは舌打ちをして亜季から受け取ったジュースを飲み干した。
夏休み最後の週。31日まであと二日。
セミ時雨が夏の終わりを告げるツクツクホウシの声がする。
相変わらず亜季と湊は顔を合わせると喧嘩をする。湊はアイナに愛想よく手を振ったりする。アイナも手を振り返すが、物足りない何かを覚えていた。
31日の朝。早朝目を覚ましたアイナがゆっくりと目を開けると、亜季は机に座っていた。夜遅くまで勉強していたようだがそのままなのか、転寝したのか、それとも寝て起きたのか定かではないが亜季は椅子に座り頬づえを付いていた。
手元には、漫画小説の『初恋に似たペパーミント』が在った。
「何で、好きって言えないんだろう……か」
亜季はそう言って机に突っ伏した。
八時半。アイナは亜季に同行を願って二人して学校へと向かった。
「あつじ〜」
亜季はそう言いながら重そうな足取りで坂を上る。
「ごめんね。でも、なんか一人って嫌だったから」
「……えいけどよ……」
校門にはすでに湊が立っていた。
「よぉ」
アイナは微笑み、亜季はため息を漏らした。
「……お邪魔虫は消えちょくで?」
「いや、えい……、その、写真撮らんかや?」
「何で?」
「記念?」
「なんの?」
「…アイナちゃんと会った記念。お前も、従姉妹言うたち、写真なんか撮ってないろうが?」
「あ、……そう、そうやね……。便乗さしてくれる?」
湊は頷きながら、丁度の所に置いた三脚前に行き、アイナと亜季にいい場所に立つように指示した。
『星嶺高等学校」の名前を挟み、亜季と湊が立つ。
―あの写真に私も居たの?―
確かに、思い出せば亜季の隣がなんだか余分に空いていた気がしたが、アイナの姿は無かった。
―映ったら過去に干渉する?―
スタディからの応答は無い。
―スタディ!―
だがスタディーからの返事は無い。
湊がタイマーを作動させ走ってきた。
暫くしてシャッターが切られた。
「ほんじゃぁな」
「解った」
湊はそう言って自転車に跨って行ったしまった。
「亜季ちゃん、言わなきゃ。湊君は、」
「えいがって。えいがって」
亜季はそう言って涙を落とした。
「今度は、あんたの番。早よう未来へ帰り」
「え? ……え?」
「あんたが倒れた日、家に連れて帰ったとき、あんたの中から変なもんがでてて、そりゃその話を鵜呑みにはし難かったけど、でもそうなんだろうなぁって。こっちに来た理由は『夏休みの宿題』で昭和を探るって奴らしいけど、わざわざここに来たがは、やっぱり、なんかあるんやろうなって。それに、親同士が仲いいがで、湊の家が引っ越すの、知ってたし……でもありがとう。一生懸命になってくれて。だから、あたしが、アイナが困ったときには一生懸命になるよ。約束する。だから、もう、帰り」
「亜季ちゃん」
アイナの目が霞む。違う無理やり引っ張られて行くところだ。
アイナが必至に手を伸ばすが亜季は手を振って微笑むだけだ。
「消えた……。早よう、もんてきいよ」
亜季はそう言って家路へと向かった。
規則正しい呼吸の音―。身動きできないからだの痛み―。
目をゆっくりと開けるが、右目がかすかに開き、左目はまだつぶれている。
「アイナ!」
声の方を見れば母親が真っ青な顔ながらも安堵したように涙ぐんでいた。
「こ、こ」
「病院。あんた、事故に巻き込まれて三日も、意識不明やったがで」
アイナは目を閉じた。
おばあちゃんの見舞いに行かなきゃいけなくなったバスの中。異世界に飛ばされる少女場主人公の漫画を読んでいた。あと何メートルもない場所で横から突っ込んできたトレーラーに煽られて横転。それから三日アイナは意識が無かったという。
おかしな話だが、夢で見た殺風景な未来はそこには存在していなかった。あの時点で、あの未来も夢の中のことだったようだ。と理解した。
太陽がさんさんと照っていて、病室は冷房が効いているが、外は暑そうな色をしていた。
幸い、三日間の昏睡状態でも無傷だったし、精密検査でも大したことは無かった。
気がついた翌日には歩くことも出来た。
おばあちゃんの病室を覗く。
おばあちゃんはそこでニコニコと笑っていた。
「夢、見た」
「そう」
「おばあちゃんが高校生のときの。そんで、変な近未来に住んでる私」
「それで? あたしはなんて言ってた?」
「助けてやるって。だから、ここに居る」
アイナとおばあちゃんは声を揃えた。
お婆ちゃん、いや、亜季は微笑み、手を握ってきたアイナの手を握り返した。
病室の戸が開き、白髪のおじいさんが入ってきた。
「湊君」
アイナが苦笑すると、湊は、
「はじめまして。君のおばあちゃんの同級生で、悪友です」
と微笑んだ。
「お婆ちゃん、ずっとあなたのことが好きだったんですよ」
アイナの言葉に湊は微笑み、
「えぇ。知ってます。私も、そうでしたから」
と告げた。
アイナは屋上に上がっていた。
洗濯物が風になびく中、おかしな夢を見たもんだと笑ってしまう。
にゃー。
振り返ると猫が欠伸をしていた。
「猫……。あの時も、」
アイナの乗ったバスが転げていく中で猫が見えた。
亜季の世界―夢の中だが―についたときも、何かあるごとに猫が居た。
「……まさかね。でも、夢ならなんでお婆ちゃん知ってたんだろ。……偶然、だな」
アイナは背伸びをした。明日にでも退院できそうだといっていた。退院したら、
「私も恋をしよう!」
背伸びの先には底抜けに明るい青い空が抜けていた。
にゃー。
猫が大あくびをした。