ガニメデ・ジャンクション
南方南
ノベルフェスタ154「帝王賞」


〈1〉

 ここは、ガニメデ・ジャンクション
 歪んだ出会いが交錯する酒場
 凍える炎
 醜き美女
 不実な親友
 悪逆の天使
 腐った宝石

 ここは、ガニメデ・ジャンクション
 歪んだ想いが交錯する場所
 輝ける暗黒
 美しき怪物
 真っ白な黒猫
 善良なる悪魔
 美味なる汚泥
 
 ここは、ガニメデ・ジャンクション
 混沌のすり鉢の底で
 運命の炎に焼かれた
 哀しき魂の抜け殻は
 フェニックスの揺籃《ようらん》

 誰か、力を!
 マジカルな力を!
 この世ならざる力を!

 フェニックス!
 蘇る
 フェニックス!

 不死の病に取り憑かれた怪鳥は
 狂ったように舞い上がり
 歌いながら天高く堕ちてゆく
 木星の深い大気の渦のなかに

 ここは、ガニメデ・ジャンクション
 ガニメデ・ジャンクション
 ガニメデ・ジャンクション
 ガニメデ・ジャンクション……

 軽快なリズムの中にケルト独特の哀愁がただようアイリッシュ・ロック。
 石組みの壁と木の柱と梁。もちろん木は模造品だが、すすけ古びた本物の木のように見える。天井にぶら下がり黄色い光を放っているランプも、もちろん本物の火が入っているわけはなく、揺らめいて見えるように造られたEL装飾だ。しかし、大昔の炭坑夫たちの顔にも浮かんでいたであろう表情はどれもこれも本物だったし、天井の片隅にかかっている蜘蛛の巣も、どうやら本物らしい。
 そんな店に、ガニメデのけだるいハスキーボイスはしっくりとなじむ。
 ガニメデにある酒場ジャンクションで“ガニメデ”と名乗り、こんな歌を歌っているのは自虐だったが、客はみな粋《いき》なジョークだと思っているようで、歌詞に込められている皮肉に気付く者はいない。
 フィドル(ヴァイオリン)の音に促され、ガニメデはマイクを離すと、深紅のドレスを翻してタップを踏んだ。
 挑発するようにピアノがスピードアップする。
 ドラムもギターもフィドルも、ガニメデがジャンクションにやってくるより前からいる古株だったが、ピアノだけは二週間ほど前に入ったばかりの新入りで、クラウスと名乗っている。両手の指にごっつい指輪を幾つも凶器のように装備し、黒いシャツの胸元に金の鎖を光らせ、片耳にやはり金のイヤーカフスをつけ、肩まである黒髪を真ん中で別けた、やや険のある瘠せた青年だった。
 視線を向けると、クラウスは上目遣いにガニメデを見て、口の端を少しだけ持ち上げた。
 それらのアクセサリーと、複雑な音符を楽々と弾きこなす指の動き、何かと挑発するような態度に、顔形こそまったく似ていなかったが、かつての親友の姿がふと重なり、ガニメデは感傷的な気分になった。が、最愛のニーナが真っ白な毛を舐めながら、クラウスの膝の上に幸せそうに乗っていることに気付くと、そんな気分は吹き飛んだ。頬がカッと熱くなるのを自分でも抑えられない。
 あの、浮気モノめ――
 ガニメデはクラウスをにらみ付け、ピアノに負けない早さでタップを踏んだ。
 エスカレートする二人に、他のバンドメンバーも興に乗り、ステージは盛り上がり、客も高揚しはじめ、手拍子が大きくなってゆく。
 ステージと客が一体になる。
 曲が暴走し、爆発し、そして、フィナーレ。
 拍手が酒場全体を包みこむ。
 心地よい疲労と、体を包みこむ満足感。
 ほつれた金髪をなで付け、こっそりとピアノの方を見ると、白猫はいつの間にかクラウスの膝からいなくなっていた。客席を回って、見てくれのいい男を見つけては餌をねだっているに違いない。
 まったく――
 ガニメデは苦笑し、猫を捕まえるために、三十センチほど高くなっているステージからフロアにトンと飛び降りた。


〈2〉

 ジャンクションは薄汚い場末の酒場だが、客層は悪くない。
 もちろん「ガニメデの酒場にしては」という注釈つきでだが。
 客のほとんどは、近隣の採鉱場や化学プラントで働く労務者だ。気は荒いが気だてはいい。稼いだクレジットのほとんどを地球にいる家族に送ってしまい、手元にはわずかな小遣いしか残っていないか、借金の返済に追われ、やはりわずかな手持ちしかない者が大半だ。中には、ここで稼いで貯めた金で夢を叶えるのだと瞳を輝かす若者もいる。
 そんな彼等にとって、ジャンクションの安酒で喉をうるおし、ボリュームのある美味い料理を食べ、ガニメデの歌を聴き、仲間とバカ騒ぎをすることは、何よりの楽しみのようだった。店は毎日盛況で、単価のわりにはそれなりの売上げがあるらしい。ガニメデたちへの給料もそれなりに悪くなかった。
 時には派手な喧嘩が起こることもあったが、火器を携帯しない彼等の喧嘩は、せいぜい骨を折る程度で、ここで働き出して三年になるが、ガニメデはまだ死人が出るのを見たことがない。
 そんな店だったから、その男の来訪は目を惹いた。
 銀色に光る派手なスーツは嫌が応にも目立った。
 スーツの下には紫色のシャツとホログラムの抽象図形が浮かぶ銀色のネクタイ。
 地道な労働とは縁のない出で立ちだった。
 男は、店内をゆっくりと眺め回し、ガニメデに目を留めた。
 ガニメデの心臓が大きく波打つ。
 マルセル――
 男は、指輪もイヤーカフスもつけていないし、派手なネックレスもぶら下げていなかったが、その顔も、道化のような服のセンスも、かつての親友マルセル・ベルクに間違いなかった。
 柔らかな茶色い癖毛に、四角い顔を覆うヒゲ。
 マルセルは、機嫌良く微笑んでいればなかなかの紳士に見えるのだが、感情の起伏が激しく、凶悪な顔つきでいることのほうが多い男だった。
 今のマルセルは、紳士の笑みを浮かべ、品定めするような目つきでガニメデを見詰めていた。
 足もとに、ニーナがすり寄ってきた。
 毛を逆立て、赤い瞳に警戒の色を浮かべてマルセルの方を見ている。
 ガニメデは白猫を抱き上げ、震える体を抱き締めてやった。
 瞳と同じ色をした鈴がついた黒い首輪の側を指で撫でてやると、ガニメデの胸に頭をこすりつけた。
 ガニメデは、気を取り直し、唇に笑みを浮かべた。
 今のこの姿を、マルセルが知っているわけがない。気付くわけもない――
「いらっしゃい」
 自分から客に近付き、声をかけた。
「残念ながら、わたしのステージはたった今、お開きよ。聞きたかったら、また明日いらして」
 男は、歯を見せつけるように笑うと、ガニメデに顔を近付け、耳元にささやいた。
「会いたかったぜ、ゲイリー……」
 顔から血の気が引くのを感じた。
 マルセルは知っている。
 知っていて、ここへ来た――
 どこから、どうして素性がバレたのか。
 細心の注意を払ってきたが、生きている以上一切の痕跡を消し去ることはできない。どんなに姿を変え、素性を塗り替え、すっかり別人になりすましたとしても。
 ガニメデは、マルセルが自分を探しだす可能性など一切考慮していなかった。たしかに、マルセルにならば、マフィアや地球政府関係者相手ならば固く閉ざす友人たちの口も、自然と軽くなるに違いない。
「マルセル……」
 マルセルは嬉しそうにうなずいた。
「残念だったな、俺の息の根を止められなくて」
「殺す、つもりはなかった……」
 思わず口をついた言葉だったが、自分でも空々しく聞こえる。
 殺すつもりはなかった。
 たしかにそうだ。
 しかし、助けるつもりもなかった。
 そう、見殺しにしても構わないと、たしかにあのとき思ったのだ。
 それでも言わずにいられなかった。
「済まない……」
「ハッ」
 マルセルの顔が凶悪な笑みに歪む。
「そんなセリフを聞きに来たんじゃないってことぐらい、わかってるよな?」
「何が望みだ? いまさら、どうしようと?」
「復讐――と、言いたいところだが、残念ながら、俺はこうして生きてる。お前に恨みはあるが、そこはとりあえず不問に付そう。ただし――」
 マルセルの瞳が危険な輝きを増す。
「あのお宝をこちらに渡してくれればだがね。俺とお前で手に入れたものだ。お前に独り占めする権利はないはずだぜ、ゲイリー」
「ここには、持って、いない……」
「嘘は通用しない」
 マルセルがすごむ。
 ニーナが怯えて、ガニメデの肌に爪を立てた。
 ガニメデは顔をしかめた。
 脇腹にチリッと痛みが走る。鋭利なナイフの切っ先が肌に触れていることは見ないでもわかった。
 マルセルはナイフが他の客からは見えないように、巧妙に体で隠している。
 端から見れば、ガニメデを熱心に口説いているように見えただろう。そういう男は後を絶たず、決して珍しい光景ではない。店内に客は多かったが、みな二人の様子には大して関心をよせていない。
「かつての仲間といえども容赦しない。ま、それはお互いさまだろうけどな」
 マルセルが低く笑う。
 胸が痛んだ。
 友を裏切ったことを、ずっと後悔していた。
 おそらく同じ場面に出くわせば、再びマルセルを殺すことも辞さないだろう。しかし、それでも、やはりまた後悔するに違いない。前と同じように血を吐くほどに酒を浴び、自分を責めることになるはずだ。
「本当だ。今、ここには、ない……」
 アレを渡すわけにはいかなかった。他でもない、ニーナのために必要なものだから。
「そうやって、お前は、俺を裏切り続けるっていうわけだ……」
 マルセルの言葉が痛い。
 ガニメデは、ニーナを抱き締めることでその痛みに耐えた。
「ならば、この店をつぶしてやろうか? いや、この店だけじゃない。お前の行く先々で、関係のない人間が殺される――それでも、お前は平気でいられるか? お前自身に手を出すことはない。しかし、お前は、平穏という言葉とは永遠におさらばすることになる……」
 ふいにマルセルの言葉が途切れた。
 顔を上げると、クラウスが、ナイフを持つマルセルの腕をねじ上げていた。


〈3〉

「うちの大事な歌姫に、何をする気だ?」
 店の照明を受けて、ナイフが鈍い光を放っている。それを見て客が騒ぎ出す。
 気の荒い男たちが口々にののしり声をあげ、マルセルを取り囲んだ。
 マルセルは、クラウスの腕を振りほどくと、掴みかかろうとした大柄な客に向けてナイフを投げつけた。
 ナイフは男の喉に深々と刺さり、男は仰向けに転倒し事切れた。
 急な展開に呆気にとられていると、いきなりニーナを奪われた。
「ニーナ!」
 思わず叫ぶと、マルセルはニヤリと嗤った。
 猫を片手で高々と掲げ、ガニメデと距離を取る。
「ニーナか。なるほど、この猫はお前にとって大切な存在らしい」
 マルセルは、掴みかかろうとする客たちを牽制しながら戸口の方へあとずさった。
「ヤメロ、やめてくれ!」
 ガニメデの叫びは、男たちの喧噪にかき消された。
 マルセルは片手で数人の男を殴り倒したあと、袖口に仕込んであった小さなカプセルのようなものを取り出した。ためらうことなくそれを投げる。
 爆発が起こり、テーブルや椅子とともに、客が数人はじけ飛んだ。
 マルセルはさらにカプセルを取り出し、手当たり次第に投げつけた。
 直撃を受けた男の腹が割け、内臓と血が周囲に飛び散った。
 炎がこぼれたアルコールに引火し、床に火が走る。黒い煙があがる。
 悲鳴と怒号。
 怒りに燃えて、マルセルに飛びかかろうとしたが、誰かがガニメデを羽交い締めにして後ろへ強く引っ張った。よろめいて一歩さがった目の前に、焼けた照明器具が落ちてきた。
「オシリスの廃プラントだ……」
 炎の壁の向こうで、マルセルが言った。
「二時間だけ猶予をやる」
 マルセルは壁の時計を指さした。
「それまでに、宝を――〈炎の珠〉を取ってこい。もし来なければニーナは殺す。いいか、二十三時ジャストにニーナは死ぬ。そして、その後は、どこまでもお前を追いかけてやる。逃げても無駄だ。どんなに姿を変えようが、俺はこうしてお前を見つけ出すことができる。胆に命じておけ。宝を渡すまでは、ここと同様、お前の行く先々で何の関わりもない生命が失われることになる」
 マルセルは、白猫を抱きかかえたまま、襲い掛かってくる男たちを殴り返し、悠然と店をあとにした。
 呆然と立ち尽くすガニメデの手を誰かが引っ張った。
 頭がいっぱいで、自分がどういう状況にさらされているのかも把握することができなかった。引っ張られるに任せて、気がつくと店の外に出ていた。
 燃え上がるジャンクション。
 ニーナと暮らした三年間。
 ここには安心と安らぎがあった。
 穏やかな幸せがあった。
 それが、消えてゆく。
 すべては覆され、壊され、奪われた。
 怒りが、沸々と湧き上がってくる。
 マルセルに対する怒り。
 みすみすニーナを奪われた自分への怒り。
「大丈夫か?」
 男が声をかけてきた。
 そこで初めて、自分を助けたのがクラウスであることを知った。
 ガニメデは、礼も言わずに背を向けると駆け出した。
「どこに行くんだ」
「ニーナを取り返す」
 歯の隙間から絞り出すように言う。
「ニーナは、俺の命だ」
 他の人間などどうなってもいい。マルセルに殺されようがどうしようが。
 ただ、ニーナだけは別だ。ニーナだけは。
 肩をすくめるような気配があった。バカにするならすればいい。
 クラウスは初めて会ったときから、ずっとガニメデを小馬鹿にし、何かと対抗するようにつっかかってきた。だが、もうそんな事もどうでもいい。店はなくなり、ガニメデは過去の亡霊との戦いを強いられた。
 もうクラウスと関わることもないだろう。そう思いながら走っていると、背後に気配を感じた。
 立ち止まり、警戒しながら振り向く。
「どういうつもりだ?」
 クラウスは両手を広げ、肩をすくめてみせた。
「面白そうだから、見物だ」
 騒動を楽しむような、何かを期待するような、子供じみたキラキラした青い瞳に、思わず諦めの溜息がこぼれる。昔のマルセルがちょうどこんな男だったのでよくわかる。たぶん、何を言ってもこの男は付いてくるつもりだろう。
「勝手にしろ」
 クラウスは嬉しそうに微笑んだ。
 ガニメデは鼻をならし、酔狂な男に背を向け、再び駆け出した。


〈4〉

 消防車がけたたましいサイレンを鳴らして走ってゆく。
 ジャンクションの消火のためではない。
 警備保障会社と契約している建物への延焼を防ぐための出動だ。
 ジャンクションの火事は、おそらく近隣の有志たちが消火に努めていることだろう。基本的に他人の災厄には関わらないことをモットーとするガニメデの住人たちだが、火事だけは違う。ナマの火は地球では考えられないほど極端に恐れられ忌み嫌われている。
 ガニメデには政府がない。行政もない。法律もない。秩序もない。正義もない。
 もちろん警察もなく、犯罪が起きても、他人は誰も助けてくれない。
 警備保障会社と契約を結んでいれば、犯罪の種類に応じてそれなりの報復をしてくれる。腕を折られれば、相手の腕を折るか、それに見合った金をむしり取ってきてくれるし、殺されれば、相手を殺してくれるか、もしくは、それに見合った額を遺族のためにあらゆる手段を用いて奪ってきてくれる。
 しかし、警備保障会社に支払う契約料を払えない者は、自分でそれをやらなくてはならない。そして、契約料はガニメデに住む一般の人々には到底払えない高額だ。
 自分の身は自分で守り、自分の財産も自分で守る。
 奪われれば、自分の手で取り返さねばならない。
 さもなければ、泣き寝入りするしかない。
 それが、ここガニメデのおきてだ。
 無政府で無秩序であるがゆえに、ガニメデでは、地球では行えないありとあらゆる不正な研究が行われていたし、危険なプラントが多数設置されていた。そして、そこから生み出されたものが、地球に大きな恩恵を与えていた。
 ガニメデは、歪んだ天国、貪欲の花園、悪の果樹園だ。
 地球では不法とされる取引が大手を振って行われ、人命は驚くほど軽視されている。
 それでも人々は、この熱いるつぼのような危険な星に、欲と夢に目をぎらつかせ集まってくる。自分こそは、危険をチャンスに変えることができる数少ない人間なのだと信じて。
 そして、それらの人々の中に、地球政府の法律の網の目の中では暮らすことのできなくなった者たちも紛れ込んでいる。さらには、闇の権力に追いたてられている者なども。
「俺の本当の名前は、ゲイリー・グッドオールだ」
 ジャンクションから自分のアパートに戻る途中で、ガニメデはクラウスに打ち明けた。
 三年間、自分を偽って暮らしてきた。名前も歳も性別すらも。
 クラウスに本名を打ち明けたことで、ガニメデ――いや、ゲイリー・グッドオールは、ふっと体が軽くなるのを感じた。長い拘束から解き放たれたような開放感。
 ガニメデとしての暮らしは安泰だったが、名前たった一つでも本来の自分でいられるということが、それにも増して気分がいいものなのだと初めて知った。
 ゲイリーが元は男だと知っても、クラウスは、ちょっぴり肩をすくめただけで、特に何もコメントしなかった。
「俺と、マルセル・ベルク――あの男とは、ずっとコンビを組んで〈遺産〉探しをしてきた」
 〈遺産〉とは、太陽系の惑星や衛星で見つかった謎の遺跡群だ。宇宙人が残した遺物なのか、それとも、地球人類以前に栄えた太陽系種族が残したものなのか。詳細はまったく不明だったが、〈遺産〉の中には人類最高の英知すら及ばない不可思議なアイテムがあり、それらをたった一つ手でも入れることができれば、一財産築くことができるといわれている。
 夢をもとめて多くの男や女が、新たな〈遺産〉を発見しようと太陽系中を飛び回っていた。ゲイリーとマルセルも、そうしたトレジャーハンターだった。
「それで、あの男が言っていた〈炎の珠〉とやらを手に入れたってわけか」
「まあ、そんなところだ」
「その宝を元手に、今はすっかり足をあらって、のんきに歌姫をやってたってわけか? しかし、宝を手に入れて一財産築いたにしちゃ、ずいぶんしょぼい暮らしをしてるもんだな」
 クラウスの皮肉を軽く受け流し、首を振る。
「俺もマルセルも単純だった。宝を手に入れさえすれば、億万長者になれる思っていた。しかし、世の中そうあまくはない。ハンターがいる一方で、ハイエナたちもいたってことさ」
「宝を奪われたのか? たとえば、アステロイド・マフィアとか、その対抗勢力とかに……?」
 探るような目で見詰めるクラウス。
 ゲイリーは肯定も否定もしなかった。クラウスにすべてを打ち明けるつもりはない。そこまでこの男を信用してはいない。
 クラウスがマフィアを持ち出したことで、ゲイリーはより警戒を強めた。誰でもが考え付く事といえば言えるが、ゲイリーの反応を探るためにあえて口にしたとも思える態度がひっかかった。
 クラウスの言うとおり、お宝にはアステロイド・マフィアがからんでいた。
 ゲイリーとマルセルは、火星の衛星フォボスで〈炎の珠〉を見つけた。
 その宝のせいで、二人はアステロイド・ベルトを根城とするマフィア、コッベリ・ファミリーに狙われるハメになった。
 ゲイリーが宇宙カジノでニーナという娘と出会い、一世一代の恋に落ちたことが、状況はさらにややこしい方向へ導くことになる。
 ニーナはパパ・コッベリの妻と、パパ・コッベリが溺愛していた実弟との間にできた忘れ形見だった。肉親の情愛と憎悪のドロドロとした渦にゲイリーたちは巻き込まれ、必要以上の怨念をパパ・コッベリから受けることになる。
 その間のいきさつは、思い出したくもない。
 巨大マフィアの大ボスに睨まれて、生きた心地がするはずもない。
 ともかく、一日を生きのびることに必死だった。
 結局、ゲイリーは、恋人の命か親友の命か、二者択一を迫られ、友を見捨てた。
 ゲイリーが撃った弾丸が、マルセルの左胸に命中し、マルセルは死んだはずだった。
 それなのに――
「あのマルセルっていう男が本物って証拠は?」
 ゲイリーが沈黙を守っていると、クラウスは話題を変えた。
「姿形なんてものはいくらでも変えられる。事実、あんた自身が、ナイスバディーのネエチャンなんてやってるわけだからな」
「俺のことを知り、宝のことを知り、ニーナのことを知っていた」
「それだけじゃ、証拠にはならないだろう?」
「あんな悪趣味な格好をする奴は他にいない」
 クラウスはなぜかムッとした顔をして、口の中で何かモゴモゴとつぶやいた。
 たしかに、このクラウスという男にしても、今の姿が本来の姿とは限らないわけだ。
 ゲイリーはクラウスについて何も知らない。信用すべき要素は皆無だ。
 深く考えもせず同行を許可してしまったことを、いまさらながら後悔したが、追い払うよりは、目の届くところにおいて、こちらからも監視できる状態にしておくほうが得策なのだと思う事にした。
 クラウスの瞳はマルセルと同じ深い青色で、ゲイリーを落ち着かない気分にさせる。
 マルセル――
 ニーナ――
 アパートの前で立ち止まり、息を整え、携帯端末の画面で時間を確認する。
 マルセルが指定した時間まで、あと一時間三十七分。


〈5〉

 ごみごみとした裏通りにある古ぼけたアパートの階段を上り、建て付けの悪いドアを開けると、室内は見事なまでに荒らされていた。
 どうやらマルセルは、ジャンクションに立ち寄る前に、ゲイリーのねぐらをすっかり家捜ししたらしい。
 宝を持っていないと言い張るゲイリーの言葉を「嘘」と断定したのは、それなりの確信があってのことだったわけだ。
 おそらく、ゲイリーが立ち寄る場所はすべて調べ上げられているに違いない。
「一人の仕事じゃないな……」
 部屋の荒らされようを見て、クラウスが鼻の付け根に皺を寄せた。
 マルセルらしくないなと思う。マルセルは我が儘な奴で、徒党を組むことを嫌った。
 親友に殺されかけて、人が変わってしまったのか。
 そういうゲイリーも、かなり変わった。姿だけでなくいろいろと。
 部屋を調べたが、服は切り裂かれ、踏み付けられ、武器類はすべて持ち去られていた。
 もう少し動きやすい服に着替え、それなりの装備を調えて行くつもりだったが、しかたない。
 キッチンにハサミだけが残っていた。
 それでドレスの裾を切り落とし、動きやすいようにした。切り落とした布を裂いて、手の甲に巻き付ける。殴るハメになったとき、素手で殴るよりは少しマシだと思いたい。
「もうちょっとマシな武器が残っていればな……」
 ハサミを見詰めて溜息をつくと、クラウスがニヤリと笑った。
「マシかどうかはわからないがな……」
 クラウスが黒いジャケットをまくって見せる。数本のナイフと拳銃二丁が隠されていた。
「物騒な世の中だからな。護身用さ」
 クラウスはそう言いながら、護身用にしてはずっしりとした拳銃を一丁抜くと、ゲイリーに差し出した。
 ゲイリーが首を振ると、ナイフを数本抜いて柄の方を差し出した。
 クラウスに借りを作ることにためらいがあったが、武器を持つ安心感には代え難い。
 しばしの葛藤のあと、結局、素手のままマルセルと対峙する恐怖に負けた。
「いくらだ?」
「友情に免じてタダでやるよ」
「あいにく、タダってやつは信用しないことにしてるんだ」
「友情ってやつも、だろ?」
 皮肉な笑みに一発殴りたくなった。
「殴っていいか?」
「ノー、サンキュウ」
 両手を広げておどけるクラウスの腹に、軽く拳をぶち当てる。
 拳の先は岩盤のように固い。
 なよなよとしたピアニストのイメージは一変した。
 細身の体は鍛え抜かれている。女の腕で本気で殴っても大したダメージは受けないに違いない。
 しかし、本気で殴るのはやめておく。
 今のゲイリーの腕はたしかに女の細腕だが、生体改造によってそれなりに強化されている。普通の女の細腕とはわけが違った。
「こいつは借りておく」
 ゲイリーはナイフを二本だけ受け取ると、スカートをめくってガーターベルトに挟んだ。
 
 アパートの地下駐車場に降り、置いてある車がすべて壊されていることを知った。ドアもボンネットも外され、シートは切り裂かれ、パイプや配線が全部ひきずり出されている。
 ゲイリーの周囲はどんな細部も漏らさずに調べ尽くしたらしい。
「これなら動きそうだ」
 クラウスが触っているのは、鋼鉄のフレームにごっついタイヤがついた三輪バギーだった。
「ちょっと待っててくれ」
 そう言うと、クラウスは手際よく配線をいじくってエンジンを始動させた。
 ピアノを弾く指の動きから想像はついたが、かなり器用な男らしい。
 携帯端末の画面に目をやる。
 あと、一時間六分。
 マルセルが待つオシリスの廃プラントまでは、この手のバギーのスピードならば三、四十分といったところか。
 ただし、何のトラブルもなければ、だが。


〈6〉

 テラフォーミングなどという洒落た計画は、ガニメデ開発当初に頓挫し、とうの昔に放棄されていた。
 衛星全体を居住可能にする案は消え、ドーム型の居住空間が場当たり的に作られていった。
 ドームとドームの間はチューブで繋がれているが、孤立しているドームも多い。
 秘密裏に作られた研究機関やプラントなどは、特に孤立の傾向にある。
 オシリスの廃プラントがあるドームは、ジャンクションがあったゲブの町のドームとチューブで繋がっている。ゲブはもともとオシリスのプラントと、イシス、セト、ネフティスといった今も稼働しているのプラントで働く者たち共通の居住町として作られたものだからだ。
 プラントで働く労働者、研究者、プラントで生成された製品を地球に送る配送業者たち、関連する商社マン、そして、その生活を支える人々など、雑多な人々が集まる町は、商業施設や娯楽施設も作られ、そこにまた人が集まり、人が集まるがゆえにさらに人を惹き付け、増殖していった。
 ゲブは、もともとはこじんまりとした半球状のドーム都市だったが、無計画に拡張され、増築されていった結果、今ではボコボコした泡の化け物のような形をしている。
 ドームから枝のように伸びるチューブも気ままに増設され続け、近隣のドームと次々に接続されていった。ゲブは、地球とガニメデを繋ぐ宇宙船の離発着場とも繋がっていた。つぎはぎだらけの町は、いろいろな意味で「繋ぎ目(ジャンクション)」の町だった。
 かつても今も熱気のある町だが、都市全体を運営する政府も行政機関も存在しないため、ドームもチューブもかなり老朽化が進み、いい加減な応急処置でなんとか持ちこたえているといった有様で、お世辞にも綺麗な景観とはいえない。そのうえ、ドームの透明な天井から見える木星の姿は、無気味な圧迫感がある。
 そんなゲブの町を三輪バギーが駆け抜けてゆく。
 ゲイリーが運転し、クラウスは二つある後輪の間のフレームに足をかけ、前屈みになって、運転席の左右に突き出たフレームに掴まっていた。
 交通法規などはない。事故を起こさないように、自主的に生まれたマナーのようなものはあったが、無視したところでなんらかのペナルティがあるわけでもない。
 制限速度もなければ、駐車禁止ももちろんない。おかげで、猛スピードで追い越して行く車と危うく接触しそうになったり、交差点で出会い頭にぶつかりそうになったりは日常茶飯事だ、廃車が道を塞いでまったく通行不能な場所もある。歩行者が飛び出してきたら、それはもうそのまま轢き殺すしかないと、車を運転するときは、ある種の諦観をもって腹をくくるしかない。
 それぞれの都合で勝手気ままに増改築された町の、勝手気ままに造られた道路は、迷路のように複雑に絡まり合い、袋小路も少なくない。
 ゲイリーもクラウスも、そうした複雑な道に精通するほど深くこの町を知っているわけではなかった。ナビをたよりに進むのだが、何度か折り返しを余儀なくされ、かなりの時間をロスしてしまった。
 それでもなんとか、オシリスの廃プラントへ続くチューブへ向かう道に出ることができた。
 そこは、ゲブの町の中でも特にすさんだ地域だった。
 真っ赤なドレスを膝上で切り裂いてバギーに跨る金髪美女と、その後ろに乗る黒ずくめ男のカップルは、路上にたむろすチンピラの注意を惹かずには済まなかったようだ。
 本来出るはずのない爆音を響かせたエアバイクが、一台、二台と、二人が乗るバギーと併走しはじめた。
 バイクの数は徐々に増え、すぐに数十台に達した。
 物騒な武器を携えたむさ苦しい男たちが、二人に向かって卑猥な言葉を叫び、嗤う。
 こんな奴等と事を構えているヒマはない。無視して振り切りたいところだが、バギーのスピードでは、どう頑張ってもエアバイクには勝てない。
 廃プラントに続くチューブが見えてきたところで、相手はついに行動に出た。
 前方を走るバイクが横腹を向け、二台ずつ三重の壁となって停まり、行く手を遮った。
 バギーの馬力では、そのまま突っ込んでも相手を蹴散らすことはできない。
 素早く左右に目を走らせてみたが、びっしりとエアバイクに囲まれて、すり抜ける隙間はない。
 チラリとクラウスに視線を向ける。クラウスは併走する敵を目線で示すと、唇の端を少し持ち上げてうなずいた。
 ゲイリーもうなずきかえし、叫ぶ。
「ツー、ワン、ゴー!!」
 二人同時にバギーを蹴って横に飛ぶ。
 ゲイリーは左に、クラウスは右に。
 一瞬、互いの視線が空中で交わる。言葉に出さなくてもその表情で、お互いが同じ事を思っていることがわかった。
 ちょッ、おまッ、そっちかよ――!?
 二人で同じ敵を襲ってバイクを奪うつもりだった。一人が運転し、一人が戦う。だが、いまさらどうしようもない。
 ゲイリーは左側の敵に飛びついた。
 反動で、エアバイクが大きく傾く。
 そのまま片手でバイクのハンドルを奪い、残った片手で相手の頭を押さえつけ、地面にこすりつけた。
 火花が散り、ヘルメットが吹っ飛ぶ。
 気を失った敵を蹴落としてバイクを立て直すと、スピードを上げ、併走する一台を足で蹴って転倒させ、できた隙間を利用して、前方を塞いだバイクの列の脇をすり抜ける。
 クラウスの方を見ると、敵と仲良くタンデムしていた。
 クラウスは、運転する敵の腰に両腕をしっかりと回して抱きつきながら、足で左右の敵を蹴倒している。
 運転している敵は困惑しながらも、こうも密集して走っている状態では運転に専念するしかなく、クラウスを振りほどく余裕がないようだ。
 いや、ただ抱きついているだけのように見えるが、クラウスのことだ、しっかりナイフで運転者を脅しているのかもしれない。運転者はスピードを落とすこともせず、クラウスが攻撃しやすい位置にバイクをつけているように見える。
 クラウスの背後から、二人乗りの大型エアバイクが迫ってきた。
 後ろから衝突され、クラウスのバイクがふらつく。
 大型バイクの後部に乗った男が、両手で太い鉄パイプをふるった。
 クラウスはすんでの所で首をすくめて攻撃を避けたが、鉄パイプは運転者の後頭部を直撃した。
 頭蓋が陥没し、血が飛び散る。
 反動で、バイクが大きく傾いだ。
 クラウスは、ハンドルを取ろうとしたが、運転者の体が邪魔して届かない。慌てて運転者の遺体をどけようとするが、大型バイクからの攻撃が続いており、ままならない。
 焦るクラウスの顔は少々いい気味だと思ったが、放っておくわけにもいかず、ガーターベルトに止めてあったナイフを一本引き抜き、クラウスに襲いかかかる鉄パイプ男目掛けて投げつけた。
 ナイフは鉄パイプ男の目に刺さり、絶叫してめちゃくちゃに暴れ出した男の腕が運転者を殴り倒したために、大型バイクは転倒し、後続の数台を巻き込んで追跡劇から退場した。
 危機を脱したクラウスは、自分のバイクの運転者の死骸をひきずり降ろすと、車体を立て直し、スピードを上げた。
 一団は、そのままオシリスの廃プラントへ続くチューブに突入した。
 計器類に目をやり、時計を見つけた。残り時間はあと二十分を切っている。
 ゲイリーは、ギリッと奥歯を噛みしめた。


〈7〉

 チューブの中を進むのはかなり気が滅入る。
 横幅が二十メートルほどあり、天井も同じぐらいの高さがあるが、薄暗く、なんともいえない圧迫感がある。
 しかも、人が訪れることのない廃プラントへの道に、きちんとした補修など期待できない。所々破損して、空気が外に漏れている音が聞こえたりすると、正直ゾッとする。
 チューブの外は百%酸素の大気。気圧が低いので呼吸できるかもしれないが、摂氏マイナス百六十度とくれば、何の装備もなしに出るのはごめんこうむりたい。
 前後左右を取り囲むごろつきの一団からの攻撃も弱まった気がする。彼等もチューブの陰気さに薄ら寒さを感じているに違いない。
 それでもゲイリーとクラウスを諦めようとしないのは、仲間がやられたことへの報復か。たった二人相手にこのまま引き下がれないという意地か。それとも、もしかするとこいつらは、マルセルに雇われて、廃プラントに辿り着く前に、ゲイリーの戦力と気力を削いでおこうとしているのだろうか。
 彼等の存在が鬱陶しいという事実にはなんら変わりはなかったが、マルセルの指図かもしれないと思うと、腹立たしさが倍増した。
 マルセルは容赦のない男だった。
 たとえ親友だったとしても、裏切って殺そうとしたゲイリーを簡単に許したりはしない。なんとかして自分と同じ目にあわせようとするに違いない。
 眉一つ動かさずに、ゲイリーが彼にしたのと同様にゲイリーの左胸を打ち抜く。そういう男だ。
 しかし、それは飽くまでも自分の手で、であって、こんな風に町のチンピラをけしかけてゲイリーを襲わせるような、ネチネチとした手段を用いる男ではなかったはずだ。
 だから、これはマルセルの仕業ではない――
 そう思いたかった。
 が、その一方で、ニーナをさらっておびき出すような手を使うようになったマルセルが、昔のマルセルと同じだとは思えなかった。
 マルセルはいつまで経っても駄々っ子のような男だった。好き嫌いがはっきりしていて、思い切りがよい。一度決めたことはやり通す執念深さがある一方で、事が済めばズルズルと後にひかないさっぱりとしたところもある。良く言えば自分に正直。悪く言えば単純。
 いつもイライラ不機嫌そうにしているくせに、いざ面白そうな事を見つけたり、思いついたりすると、大はしゃぎで、あまり深く考えずに行動に移してしまう。そして、マルセルは面白い事を発見することにかけては天才的だった。
 ゲイリーとマルセルとでは、似通ったところが少ない。好みも違うし、考え方も違う。十代以降に出会っていたら、お互い近付くことはなかったに違いない。
 隣同士に生まれついた二人は、物心つく前から兄弟のように育った。一緒に過ごした年月の長さが二人を繋ぎあわせている。共有する想い出が、交わしてきた言葉が、相手に対して感じた感情が、これまで見てきた、または、見せてきたさまざまな姿が、さらしあった心の内奥が、マルセルを親友としてゲイリーの心の中に刻み込んでいる。この絆は、簡単に切ることができない。
 これは運命のなせる技か。
 互いに銃を向けあい、撃ち合うことになったとしても、腐れ縁とでもいうべき繋がりを断ち切ることは不可能だと思う。
 ゲイリーは、マルセルがどんなに変わってしまったとしても、親友という関係を絶つことはできなかった。マルセルは人生の一部であって、今まで過ごしてきた時間を消し去ることができないのと同様に、マルセルを自分と切り離して考えることはできなかった。
 少なくともゲイリーのほうから「親友」の関係を解除することはない。
 かつて、彼に銃を向け、左胸を打ち抜いたゲイリーだが、そんな凶行の後でも、この感情を消し去ることはできなかった。だからゲイリーは、血を吐くほどに苦しんだのだ。
 しかし、マルセルがゲイリーのことをどう思っているのかは知らない。
 マルセルは自分を殺そうとした人間を、律儀に友人だと思い続けるほど、お人好しではないはずだ。マルセルにとって、自分との友情は過去のものに過ぎず、もはや修復はあり得ないと思ったほうが正しいのだろう。
 だから思ってしまう。
 この襲撃も、マルセルの仕業に違いない――
 そう考えると腹が立つ。
 すっかり変わってしまったマルセルに。
 そして、マルセルをそんな風にしてしまった自分自身に。
「ぼんやりするなっ」
 クラウスの怒声に、我に返る。
 いつの間に背後から接近してきた敵に、危うく脳天をかち割られるところだった。
 振り下ろされたハンマーを体をひねって避けた。
 が、バイクを思いっきり殴られ、バランスを崩す。
 横転しかけてスピードが落ちたところを、背後から次々とやってくる敵に攻撃された。
 拳で顔を殴られ、腹に鉄パイプがめり込む。
 思わずうめき声をあげてしまったが、ハンドルを握り直し、バイクをスピンさせ、襲ってきた一台に体当たりを喰らわせる。
 転倒したバイクから起き上がろうとした敵を勢いよく跳ね飛ばし、近寄ってくる他の敵を振り切るためにスピードを上げ、急いでクラウスに近付くと、彼が構えた拳銃を降ろさせた。
 敵が銃器を持っていないのは偶然でもなければ、拳銃が手に入らないせいでもない。
 ガニメデの住人は銃器を嫌う。ただでさえ危ういドームの構造に損害を与えかねない重火器だけでなく、小型の拳銃すら嫌うのは少々極端に思えるが、閉ざされたドームという環境の中で、ナマの火はどんな大災害につながるかわからない危険をはらんでいる。調理も風呂も電気を使い、タバコの火すらガニメデではお目にかからない。炎や火薬に対する敏感さは、地球に住む人間にはちょっとわからない。
 マルセルのように平気で爆発物を使ったりするのは、たいがいガニメデのことなど気にもかけていない余所者だ。
 なんだかんだいいつつ、ガニメデに住む者たちはガニメデを愛している。ドームを危うくするような愚は犯さないし、許さない。
 ここでクラウスが拳銃を使えば、彼等の怒りは燃え上がり、ドームを守るため、それこそ命を捨てて襲ってくるに違いない。意地やプライドや金によるものとは違い、心の底からの信念と怒りによる攻撃は、ちょっとやそっとではかわせないだろう。
 ガニメデに来て日が浅いクラウスは、まだそうした事情を理解していないらしく、不満な顔で銃をしまった。納得はしていないが、ゲイリーの言葉だから無条件に信じて従ったというような様子に、嬉しいようなくすぐったいような気がした。
 照れを感じてクラウスから目をそらし前方を見ると、車を積み上げた山が見えてきた。


〈8〉

 道を完全に塞いでいる。左右のどちらにも通り抜けられるような隙間はない。
 唯一天井近くに、わずかな隙間が見えるだけだ。
 オシリスの廃プラントにはさまざまな怪談めいた話がつきまとっている。未だ残っている化学薬品は人体にとって相当危険なものであるという噂もあるし、秘密の兵器が隠されているなどという話もある。
 秘密保持のためなのか、危険を避けるためなのか、それとも単なるいたずらに過ぎないのかは知らないが、これではマルセルも廃プラントには近付けなかったのではないだろうか。
「見ろ」
 クラウスが、廃車の山の左側、地面から二メートルほどの場所を指し示す。
 そこには人ひとり通れるくらいの穴があり、そこまで上れるように鉄製の非常階段のようなものが取り付けられていた。
 エアバイクを降りて歩けば、廃車のバリケードを越えられる。
 しかし、今ここでスピードを緩めてバイクを降りれば、どういう目にあうかは目に見えている。
 クラウスが廃車の山のてっぺんに目をやる。
 ゲイリーも同じ場所を見た。
「どうする?」
 クラウスがわざとらしく訊ねる。答は聞かなくてもわかっているだろうに。
 ゲイリーは、返事の変わりに叫んだ。
「ツー、ワン、ゴー!!」
 二人は左右に分かれた。
 できるだけ体を低くし車体に張り付けるようにして一気に加速し、最高速度にもってゆく。
 その勢いでチューブの壁面を駆け上がる。天井まで駆け上がり、廃車の山と天井のわずかな隙間に、バイクを横向きに滑り込ませた。
 天井と廃車でガリガリとフレームを擦りながらも、辛うじてすり抜けることができた。
 空中でアクロバットな一回転をし、地面に着地する。
 整備されていないでこぼこの路面に車体がひっかかり、危うく転倒しかけたが、なんとか持ちこたえる。
 チラリと振り向くと、一歩遅れて廃車の山を越えてきたクラウスのバイクが、宙を舞っていた。
 その後ろに、敵のバイクが続いている。
 まったく諦めるつもりはないらしい。しつこい奴等だ。
 クラウスが無事着地したと思ったところへ、空中でバランスを崩した敵の一台が運悪く突っ込んできた。二台のバイクがもつれ合って転倒する。
 バイクから放り出されたクラウスは、宙を飛び、道路に強く背中を打ちつけた。そのまま動かない。
 廃車のバリケードを越えてきた五台のバイクが停まり、男たちが降りてきた。
 手に手に鉄パイプやハンマーなどを持ち、クラウスを取り囲む。
 ゲイリーは前方に目を向けた。チューブの先に小さく出口が見える。まだ数百メートル先だ。もう一度クラウスの方を振り返る。警戒しているのか、男たちはゆっくりとクラウスに近付いて行く。
 時計を確認する。あと五分。
 出口とクラウスを交互に見る。
 ニーナか、クラウスか。
 あのときはマルセルを見捨てた。
 今は?
 マルセルは無二の親友だった。
 しかし、クラウスは違う。
 友人と呼べるかどうかすらわからない関係でしかない。
 しかし――
 このまま見殺しにすれば、また、血を吐くまで酒を飲む日々になりそうだ。
 幾晩も眠れず、気が狂うかと思う日々。
 どうして良心なんていうものがあるのだろう。
 エゴだけで生きて行ければ幸せだろうに。
 自分が本当に手に入れたいと思ったものを得ることができたというのに、何よりも大切だと思うものを守ることができたというのに、なぜ、あれほどまでに苦しまなくてはならなかったのか。
 自分の幸せを追求したというのに、どうして、幸せを感じることができなかったのだろう?
 もう、あんな想いはゴメンだ。
 しかし――
 クラウスを助けていたら、ニーナは……
 しかし――
 友人といえる関係かどうかはわからなかったが、クラウスは一緒に戦ってくれた。少なからずゲイリーを助けてくれた。信頼を示してくれた。
 ここまでの道中、まるでマルセルと一緒にいたときのような気分だった。
 面白そうだから見物だ、と言って笑ったクラウスの青い瞳が目に浮かぶ。マルセルに似た青い瞳が。
 ニーナか、クラウスか。
 心は乱れ定まらない。
 しかし、迷っている時間はなかった。
「ちくしょう!!」
 ゲイリーは、悪態をつき、バイクをUターンさせた。


〈9〉

 恋人か友人か――
 もし、これがマルセルだったら、おそらく「どちらも助ける」と傲慢に言い放ち、決して友を見捨てたりはしなかっただろう。たとえそのために恋人と親友と、その両方を失い、さらには自分自身の命すら失う結果になろうとも。
 こうと決めたら我が儘なまでに押し通す男だった。強引に、どんな事柄でも自分の思う方向に無理矢理でもねじ曲げようとする男だった。
 ゲイリーは、マルセルのそういった思慮の足りないところが大嫌いだった。
 その一方で、感情のまま、どこまでも自分に正直に、真っ直ぐに突き進むことができるマルセルをものすごく羨ましく思っていた。そうしたマルセルの性格を尊敬しつつ嫉妬していた。
 ゲイリーは何事につけ、小賢しく計算してしまう。
 これは「得」か、それとも「損」か。
 さして賢くもない頭で導き出した答は、後からよく考えてみると、大抵が自分の臆病を肯定するための言い訳に過ぎなかった。
 マルセルはそうした言い訳をしない。
 つっぱしり、そのために得た結果は素直に受け止める。それが成功だろうと失敗だろうと、マルセルは、自分が行った事の結果には愚痴を言わない男だった。後悔などしない男だった。
 いつでも愚痴と後悔だらけのゲイリーは、そんなマルセルに少しでも近付きたいと願っていた。
 願っていたくせに……近付くどころか遠ざかり、あろうことか裏切った。
 今度は――
 ゲイリーは唇を噛みしめる。
 自分の中に渦巻く熱に従おうと思った。
 結果を恐れていないと言えば嘘になるが、恐れないようにしようと思う。
 クラウスを助ける。
 そして、ニーナも助けるのだ。
 ゲイリーは、バイクで一人をひっかけて飛ばし、となりの男をすれ違いざまにナイフで斬り付けた。
 が、別の一人が鉄パイプでゲイリーのバイクを強打したため、バイクはバランスを崩して転倒した。ゲイリーは投げ出され、でこぼこした路面に腕を擦り、裂傷を負った。
 フラフラしながらも、なんとか立ち上がり、ナイフを構える。
 鉄パイプを持った男と、巨大なハンマーを持った男が左右から迫ってくる。
 振り下ろされた鉄パイプをすり抜け、間合いを詰めて男の左胸を突き刺す。
 ナイフを胸に生やしたまま、男は倒れた。
 その隙に、もう一人の男がゲイリー目掛けてハンマーを振り下ろそうとした。
 武器はもうない。
 よけられない――!
 そう思った瞬間、銃声が響いた。
 男は、ハンマーを振り上げた姿のまま固まったように動かなくなり、次に瞬間、ドッと倒れた。
 クラウスが、仰向けのまま銃を構えていた。
「クラウス!!」
 ゲイリーは叫んだ。
 最後の一人が、バイクに跨り、クラウス目掛けて突っ込んでくる。
 クラウスが銃を連射したが、バイクのヘッドに弾けただけだった。
 エアバイクに車輪はなく地面から十センチほど浮上して走行する。人を轢き殺すことはできないが、改造されたバイクの先端には頑丈な突起がつけられており、高速で体当たりされれば、ハンマーや鉄パイプなど比ではないダメージを受けることは間違いない。骨折で済めばいいほうだ。下手をすれば内臓破裂。打ち所によっては頭蓋陥没や脊椎損傷。
 ゲイリーは、落ちていた鋼鉄のハンマーを拾い上げて走った。改造された肉体の能力を極限まで出し切って。腱がきしみ、筋肉が悲鳴をあげる。
 ギリギリでバイクに追いつき、力任せにハンマーをふるう。下から上へ突き上げるように振ったハンマーに、車体が凹み、クラウスの頭上を飛び越えて吹っ飛ぶ。
 宙を飛んだバイクは、チューブの壁面に激突して大破した。壁に運転者の内臓と血の痕が残った。
「とんだ怪力女だな」
 クラウスがふらつきながらもなんとか立ち上がり、荒い息をするゲイリーに歩み寄った。
「助かったよ」
 ゲイリーの肩に手を置き、ニヤリと笑う。
「また見殺しにするつもりかと思ったよ、お前は俺よりもニーナのほうが大事なんだからな……」
 また――?
 クラウスのセリフがひっかかる。
 クラウスに、マルセルやニーナとのいきさつは話していない。それなのに……
 また見殺し――?
 この男は、いったいどこまで知っているのか?
 ゲイリーが話していない事まで知っているとすると、それをいったい誰から聞いたのか?
 クラウスはなぜ、ゲイリーに付いてくる気になったのか? 何の関わりもないはずのゲイリーに。
 疑念が雲のように沸いてくる。
 クラウスは、マルセルのことを知っていたのか?
 マルセルが現れたのは、クラウスが店に入った二週間後だった。
 マルセルはゲイリーの居場所を知ってやってきた。
 教えたのは誰だ?
「あと一分か……」
 力の抜けた声でクラウスが言った。
 バイクはどれも使い物になりそうもない。
 ゲイリーはクラウスに対する疑惑を飲み込み、走り出した。
 今はニーナのことだけを考えよう。
 チューブを出たところにゲートがあり、大きなデジタル時計があった。
 足が止まる。体中の力が抜けた。
 23:00
 いつだって、俺の選択は失敗ばかりだ――


〈10〉

 直径三キロはあるだろうか。ゲブの都市を覆うドームと比べものにならないほど小さいが、ここがまるまる一つのプラントなのだと思えば、かなりの規模といえた。
 ドームの中には何棟もの建物が建ち、いかにも化学工場めいた太いパイプや細いパイプのラインが建物と建物の隙間を埋めるように縦横に張り巡らされている。それらは、識別のためかカラフルに色分けされていて、まるでおもちゃの町のように見える。ただし、はげて薄汚れたゴーストタウンだが。
 チューブを出てすぐに、ゲートがあるが、さほど頑丈そうではない鉄のネットはひしゃげて、人が通れる程度の隙間が空いていた。
 その門の向こうを、白い猫が悠然と横切る。
「ニーナ!?」
 しかし、違った。
 気がつくと、何匹もの猫がそこここにたむろしている。
 甘く熟れたような、腐ったような臭いがただよっている。
 この大量の猫たちが、何を食料にしてここで生活しているのかは、あまり考えたくない。
 ゲートと最初の建物との間は、広い広場になっている。
 床に線や矢印が描かれているところを見ると、かつては駐車場だったようだ。
 広場の向こう正面に事務棟らしき建物があり、階段を数段上がったところに入口があった。
 階段の最上部、入口の扉を背にして、人の姿が見えた。
 銀色に光るスーツ。
 マルセルだ。
 ゲイリーはゆっくりと階段に近付いた。
「遅かったな」
 マルセルが、白いかたまりをゲイリーの足もとに放った。
「ニーナ……」
 ゲイリーは身を屈め、ニーナを抱き上げた。
 腹を切り開かれ、虫の息だ。内臓がはみ出て、白い毛には血がこびりついている。
「なんて事を……」
「お前が悪いんだぞ?」
 マルセルのニヤニヤ笑いに吐き気がする。
「これ以上、余計な犠牲を出したくなければ、素直に宝を渡すんだな」
 マルセルの左右に二人ずつ、銃を手にした男が立っている。
 男たちの格好には見覚えがあった。上から下まで真っ黒のスーツをトレードマークにしているのはアステロイド・マフィアのコッベリ・ファミリーだ。
 かつて敵だったマフィアたちと、なぜマルセルが一緒にいるのだろう? マルセルが生きていたことと関係があるのだろうか。
「それとも、痛い目にあわなければ、素直にはなれないか? そうだな、たとえばお前の指一本ずつにかわいらしい爆薬を仕掛ける。そいつを一つずつ爆発させるというのはどうだ? それとも、一本ずつ爪をはぐなんていう古典的なやり方のほうがお好みかな?」
 サディスティックな笑み。
 階段の上からゲイリーを見下ろすマルセルは、顔形こそ昔のままだったが、その態度はマフィアそのものだった。
「ひと思いに殺すっていう選択肢はどうだ?」
 背後で声がして、銃の安全装置を外す音がした。
 いまさらながら、クラウスの黒ずくめの姿が、マルセルの部下たちとそっくりなことに気付いた。
「ご苦労だったなクラウス」
 マルセルが笑う。
「どうやらそいつに巧く取り入って、宝のありかを聞き出せたようだな」
 マルセルが片手を挙げた。左右に控えた男たちが、一斉にゲイリーに狙いを定めた。
 覚悟を決めるヒマもなく、命乞いするヒマもなく、後悔するヒマも、人生を振り返り懺悔するヒマもないまま銃声が轟いた。
 ゲイリーの頬の脇を熱風がかすめる。
 マルセルの左右に立つ男たちが、バタバタと倒れていった。
 驚いて振り向くと、左右の手に銃を持ったクラウスがニヤリと笑っていた。
「どういうことだ!?」
 眉根を寄せるマルセルに、クラウスは狙いを定めた。
「手下を雇うときは、せめて履歴書ぐらい提出させたほうがいいぜ、コルツァーニさんよ」
 コッベリ・ファミリーのコルツァーニといえば一人しかいない。
 ガスパロ・コルツァーニ。〈火炎の奇術師〉または〈変幻の貴公子〉の異名を持つ男だ。
 彼がジャンクションを燃やしたときに、その可能性に気付くべきだった。
 コルツァーニは、爆薬のプロであると同時に変装のプロでもある。本来の彼は、女性受けする甘いマスクの持ち主だが、特殊な変装技術を持つうえ、形態模写を得意としており、持ち前の記憶力と、小型の変声器などの機械をも利用することで、身内ですら気付かぬほどそっくりに真似ることができるといわれている。
 パパ・コッベリの信頼も篤く、仲間内の不穏な動きに対する監視や敵側への侵入などのスパイ活動を任されていることで有名だ。ファミリーの中で、コルツァーニの名前は、サディスティックな性格も加わって、恐怖の代名詞となっている。
 〈炎の珠〉の奪取に執着していたパパ・コッベリが、懐刀《ふところがたな》を送り込んできたとしても不思議ではなかった。
 よりによってゲイリーが殺したマルセルの姿で現れたのは、彼を動揺させ、隙を作るためだったのだろう。その隙にクラウスが取り入る計画だったのか。
 ジャンクションの爆破は、今思えばあまりにも強引で派手すぎた。一方的にまくし立てられた脅しも、時間指定も、すべてゲイリーから冷静に思考する余裕を奪うためのものだと考えれば納得がいく。事実ゲイリーは、マルセルの突然の来訪に動揺し、ニーナを奪われたことと爆破騒ぎで、ほとんど思考停止に陥っていた。もし〈炎の珠〉をどこかに隠していたのだとしたら、平気でクラウスをそのありかまで案内してしまっていただろう。冷静な判断などできる状態ではなかった。
 相手の性格を把握し、心理を突くのは、コルツァーニが得意とする戦法だ。
 もし、ゲイリーが〈炎の珠〉をどこかに隠していたのだったら、もし、クラウスがコルツァーニを裏切ることがなかったならば、コルツァーニの計画は成功していたに違いない。
「お前は何者だ……?」
 コルツァーニがうめく。
「俺はクラウス。ただのピアニストさ」
 クラウスは、シレッとした顔で答えた。


〈11〉

 コルツァーニの顔が怒りに歪む。が、次の瞬間、肩の力を抜き、微笑みさえ浮かべた。
「で? わたしをどうしようというのだ?」
 コルツァーニは、マルセルの顔を模した精巧なマスクをはぎ取り、端整な素顔をさらした。
「さーて、どうするかねぇ?」
 クラウスは問いかけるようにゲイリーを見た。
 ゲイリーはコルツァーニを見た。
 あの袖にはジャンクションを爆破したような火薬が仕込まれているに違いない。いや、火薬が隠されているのは袖口だけではないだろう。もし、銃で撃てば、それらが爆発し、オシリスのドームごと吹っ飛ぶかもしれない。
 クラウスはもちろんその事を知っているから撃たない。そして、コルツァーニも、こちらがその事を知っていて手が出せないことを承知だ。承知のうえで余裕の笑みを浮かべている。
 コルツァーニか……
 悪趣味だがしかたない――
 ゲイリーは腕の中のニーナに一旦目を落としたあと、もう一度コルツァーニを見た。
「あんたは、パパ・コッベリを助けたいんだろ?」
 ゲイリーの言葉に、コルツァーニは不審気に眉を寄せた。
 コルツァーニが同性愛者であることは有名だ。そして、パパ・コッベリにボスに対する敬愛以上の感情を抱いていることも。
 パパ・コッベリは、ギリシア神話のゼウスのように、美しいものならば男だろうが女だろうが関係なく熱愛し、己のものにしなければ気が済まないという性癖の持ち主だ。そのパパ・コッベリが新型HIVに冒されているという噂をゲイリーが耳にしたのはつい最近のことだ。しかも罹患して数年になるという。
 それで納得がいく。パパ・コッベリが〈炎の珠〉の奪取にあれほどまで執着した理由も、コルツァーニが執念深く追いかけてきた理由も。
 〈遺産〉の中でも最も貴重なものとされているのは、五大要素「地・水・火・風・空」にまつわるアイテムだ。〈炎の珠〉はその中の一つで、別名を〈フェニックスの卵〉または〈転魂珠〉と呼ばれている。
 その別名からわかるように、死者を蘇らせる力を持つと信じられている。
「〈フェニックスの卵〉は、ここにある……」
 ゲイリーは、ニーナの死骸から真っ赤な左眼をえぐり出して、コルツァーニに投げた。
 コルツァーニもクラウスも、驚いた顔でゲイリーを見る。
「どういうつもりだ……?」
 不審な眼差しで、受け取った赤い珠とゲイリーとを見比べるコルツァーニ。
 もとより、ゲイリーには、コルツァーニの言いなりになる気などさらさらないし、さんざん痛い目にあわせてくれたパパ・コッベリの命を救う義理もない。
「そいつの使いかたを教えてやるよ」
 ゲイリーは、ニーナの首にかかった赤い鈴を爪で弾いた。
 澄んだ音が響く。
 ゲイリーは、その音を正しく真似て発声した。
 その声に鈴が反応し、別の音を出す。その音も真似る。
 ゲイリーの声に鈴がさらに反応し、次々と別の音を奏でていく。ゲイリーはすべての音を正確に真似ていった。
「な……っ!?」
 コルツァーニが、手の中の珠を見詰めたまま、怯えた顔をする。
 ニーナの首の鈴とコルツァーニの手の中の珠が同時に眩しい光を発した。
 ブレーカーが落ちるときのようなバチッという音が響き、コルツァーニが昏倒した。
「いったい……?」
 驚くクラウスの目の前で、コルツァーニが目を醒まし、頭を押さえながら起き上がった。
「まったく、あんたってヒトは!」
 コルツァーニは、まったく別人のような口調で言うと、いきなりゲイリーの頬に張り手を喰らわせた。
「お帰り、ニーナ」
 頬を押さえ、ゲイリーはニヤリと笑った。

「猫の次は男なの? しかもマフィアでホモのバクダン魔だなんて!」
 コルツァーニは頬をふくらませ、ゲイリーに文句を言う。いかにも不満そうな口ぶりだが、どこか甘えた雰囲気がある。
「しかたないだろ? クラウスに転魂するわけにもいかなかったし、その姿が嫌なら、俺のように生体改造して別の姿になればいい」
「ちょっと待て……」
 クラウスが片手を頭に当て、当惑顔で割り込んでくる。
「こいつは、誰だ?」
「俺の恋人のニーナだ。さっきまで猫だった」
 ゲイリーは誇らしげに紹介した。
 コルツァーニの姿をしたニーナは、ゲイリーにすり寄り、腰に腕を回し、恋人らしく寄り添った。
 ゲイリーは、猫から外した首輪を手に持って言った。
「この鈴を持つものから、〈フェニックスの卵〉に触れてる生き物に魂が移る。仕組みはまったくわからないが、不思議なものだな〈遺産〉ってやつは」
 しばらくポカンと口を開けていたクラウスだったが、ようやく事態が飲み込めたらしい。
 頭をボリボリと掻き、「なるほど、面白い」と口の中でつぶやくと、いきなりゲイリーに銃口を向けた。
「な……!?」
 またしても、覚悟するヒマも、命乞いするヒマも、後悔するヒマも、懺悔するヒマもなかった。
 心臓に向けられた銃が火を噴き、ゲイリーの記憶はぷっつりと途絶えた。


〈12〉

 目を醒ますと、コルツァーニの心配そうな顔が見えた。
 いや、今はニーナだ。
 いったい、何が起こったんだ――?
 そう聞こうとしたが、言葉が出ない。
 喉が巧く使えず、口からできたのは「にぁ」というか細い声だった。
 にぁ――?
 慌てて自分の手を見る。
 茶色いシマシマの毛皮に……
 ちょっとマテ!
 何だ、この可愛らしい肉球は――!?
「ああ、気付いたか、よしよし」
 クラウスが、手を伸ばしてきて、ゲイリーの首の下を指で撫でた。
「かわいいなぁ……」
 目を細めて言う。
 腹が立ったので、指に噛みついてやった。
「おいおい、ダメだぞ」
 クラウスは笑いながらゲイリーの頭を思いっきり拳で叩いた。痛みで目から火花が出そうだ。
 どうやら自分が一旦殺されたらしいことは理解できた。殺されたうえ、〈フェニックスの卵〉でそこら辺にたむろしていた猫の一匹に転魂させられたに違いない。
 しかし、クラウスが、なぜこんな事をするのだろう? 宝を奪うつもりならば、殺せばそれで済むはずなのに。ニーナに脅されたのか? ニーナの体にはコルツァーニの火薬がある。それを盾に転魂するように迫られた?
 疑問を口にしようにも、「ニャーニャー」としか言えない。もどかしく、苛立たしかった。
「どうしてだ? って顔してるな」
 クラウスが笑った。
「どうしてお前の命を助けたかっていえば、決まってるだろ? 俺たちは親友だからサ」
 お前と親友になったつもりなんてない、と心で思ったら、クラウスはまるで心が読めるかのように言った。
「親友じゃないなんて冷たい事言うなよな。一緒にとなりのリザの風呂をのぞいたり、オヤジの秘蔵のワインを何本も飲み干した仲なんだから」
 クラウスがウインクする。
 まさか、お前……
 思い出す。
 二人でやったのに、ゲイリーだけが逃げ遅れて、リザに頭から水をかけられ、足を滑らせた拍子に便器に思いっきり顔をぶつけて鼻血を出したことや、ゲイリーだけが二日酔いになって、両親にこっぴどくお仕置きされたことを。
 あいつはいつでも要領がよかった。
 そう、あいつ。大親友の――
「俺は、マルセル。マルセル・ベルク。お前に殺された、お前の親友だよ」
 どうして、生きていたんだ……?
「幽霊を見るような顔するなよ」
 クラウス――いや、マルセルは、ゲイリーの鼻を指でつついた。
「あいにく、お前の銃の腕は三流だな。心臓をそれて、おかげでなんとか生き残ったよ。
 そのあと、コッベリの追及を逃れるために、俺は死んだと思われていることをいいことに、姿を変えて名前も素性も変えて生きてきた。なぜ生きてきたかっていえば、もちろん、お前にきっちり復讐するためだ。あんな酷い事されて、この俺様が黙って引き下がるわけにはいかないだろ? なにしろ一番信頼している相棒に撃ち殺されかけたんだ。
 そうこうしているうちに、コルツァーニの奴がちゃっかり俺の姿を盗んでお前を捜しているのを知った。あいつに先を越されちゃたまらない。そこで、あいつの側に潜り込んでお前に近付くチャンスを待ったってわけだ。俺も、なかなかの策士だろ?」
 マルセルは自慢そうに胸を反らした。
「なにしろお前を殺すのは俺だけだって思ってたからね。あんな奴等に殺されちゃあたまらない。それで、くだらんチンピラどもに襲われたときも、お前を助けたりもしたわけだが……」
 そう言ってから、マルセルはハッとした顔をした。
「そうか、しまった! 心臓はそれていたんだから、何もお前の心臓を打ち抜くことなかったんだよな。心臓を少しそらして、あのときの俺のように、めちゃめちゃ苦しませればよかったんだ!」
 ポン! と手を打って「ああ、失敗、失敗」とつぶやいている。
 マルセルは、どうやらマルセルのまんまのようだ。今も昔も変わらない。
「しかし、まあ、これで、俺の恨みも消え、晴れて俺たちは親友に戻れるわけだ。めでたしめでたし」
 勝手に調子よく、自分だけハッピーエンドにもっていく男。
 ゲイリーは頭を抱えた。
 そんなゲイリーをニーナが抱き上げ頬擦りする。
 ニーナはこんな姿になった今でも、ちゃんと愛してくれているのだと知った。胸に熱いものが込み上げてくる。
 お互い姿形はまったく変わってしまったが、心の中は変わっていない。しっかりと繋がっている。その事が奇跡のように思えた。これ以上ない宝に思えた。
 グッドオールなんていうラストネームのわりには、すべてが良かった事など一度もない。
 でもまあ、「終わり良ければすべて良し」なんていうじゃないか――
 ゲイリーは思う。
 マルセルとニーナと、何のわだかまりもなく一緒にいられるならば、それ以上の幸せはない。
 ゲイリー・グッドオールは、恋人の腕の中で、その温もりにウトウトしながら、ささやかな幸せを感じていた。
 それが永遠に続くものなどとは思っていなかったが、とりあえず今この瞬間は「すべて良し」と思っておくことにする。
「しかし、こんなかわいい仔猫をゲイリーなんて呼ぶのは、ちょっと照れるな。そうだ、お前はガニメデでいい。ゼウスに愛されたせいで、オリンポスで永遠にこき使われることになった美少年! そのほうがお前らしいだろ?」
 勝手にヒトの名前を決めて、大笑いしている身勝手なマルセル。
 いかにもマルセルらしくて、それもいい……
 ゲイリーは、神様に愛されたことなどないが、運命にはこき使われているような気はするな、と思った。
 ガニメデ……
 仔猫の名前には、ゲイリーよりは似合っているかもしれない。
 頭の中を歌が流れていた。
 軽快なくせに、どこかもの悲しいアイリッシュ・ロック。

 ここはガニメデ・ジャンクション
 歪んだ愛が交錯する星
 ガニメデ・ジャンクション
 ガニメデ・ジャンクション
 ガニメデ・ジャンクション……
 


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