特命警察17時くらい
紫雲正宗
夕日は傾きかけ、西の空がだいぶ明らんできた。
季節がら風は冷たく、身体は心から冷え切っている。物陰に隠れじっとしているから余計に冷えた。
身に纏ったコートを胸元で手繰り少しでも暖かくしようとするが、ひときわ冷たい一陣の風がそんなオレをあざ笑うかのように吹きぬけ、あっというまに体温
を奪って去っていった。
「くそ」
駆け抜けていった風に舌打ちしても何にもならないが、意識とは別のところで口が勝手に悪態をつく。どうやら自分で思っている以上に消耗しているようだっ
た。
なんとかしてこの膠着状態を抜け出したいところだが、
「まだ動きはなし、か」
植え込みのわずかにできた隙間から部屋の様子を窺ったが変化はなかった。いまだ被疑者は窓に背を向け、自分のデスクでなにか作業をしている。
そのまましばらく、様子を観察していたがなにかが起きるような気配はない。
しかたなく、また植え込みの下に身を潜める。
正直、この季節の張り込みは身体に応える。
最初のうちはまだ、被疑者になにか動きはないかと、どんな小さな動きも見逃すまいと神経を尖らせ緊張を張り巡らせていられる。被疑者だけでなく、被疑者
に関係するなにかがそのまわりで動きを見せるのではないかと広い視野を働かせていることができる。
しかし、これが持久戦になってくるとなかなかそこまでの集中力は保てなくなってくる。いつ決着がつくとも知れない静かな攻防に精神はすり減り、この状態
が永遠に続くのではないかという絶望感すら湧いてくる。
本心を言えばいますぐ切り上げて帰ってしまいたいところだがそうもいかない。
投げ出すわけにはいかないのだ。
疑惑を探り、真相を究明し、真実を白日のもとに晒す。悪は根絶されなければならないのだ。
オレの胸の真ん中に宿るその使命感こそがこのオレを突き動かしている。
「絶対に、しっぽを掴んでやるからな」
萎えはじめていた心の炎をふたたび燃え上がらせる。絶対にこの事件を解決してやるんだ。そのためには、今はとにかくガマンの時だ。
西の空に浮かぶ夕日はいよいよ赤みを増してきた。寝床へと戻る小鳥たちの声。長く伸びる影。東の空、棚引く雲の向こう側は濃紺が広がっている。美しさを
誇る細い三日月の鋭い輝き。どうやら今夜はいつもよりも冷えそうだ。
しばらく、冷たい夜風に吹かれながら監視を続けていると、
「和田さん、おつかれさまです」
「おぉ、遊馬か」
部下の遊馬が背を丸めながら駆け寄ってきた。そのまま、オレの隣に並び、
「差し入れ、持って来ましたよ」
コートのポケットから缶コーヒーを取り出した。しかもココアシガレット付きだ。オレの好みが分かっている証拠だ。冷え切った身体にはなおさらありがた
い。
「悪いな」と片手で軽く礼を言ってから缶コーヒーを受け取り、さっそくプルタブを引き開ける。
「ところで、今回のホシの容疑は確かなんすか?」
「ばか、それを突き止めるためにオレたちが張り込んでるんじゃねぇかよ」
「まぁ、そうっすけど。それにしたってその情報ってどこから手に入れたんすか」
容疑者の名前は星野涼子(ほしのりょうこ)。二十七歳になる小学校の保健の先生だ。普段は生徒たちに優しいとても優秀な先生だともっぱらの評判だが、そ
れはどうやら表向きの顔らしいのだ。
情報によれば、ちょうど今くらいの時間によくここである人物と密会し、なにか良からぬ企てを立てているという事だった。
果たしてどんな人物との接点があるのか? そして、その人物とここでどういったことをやっているのか?
その辺のことはまだよくは分かってはいないのだが、
「なぁに、情報源はいつものところからのものだ」
「また、麻衣子からっすか? アイツほんとうにそういうとこの情報に詳しいっすよね」
「女っていうやつはなにかと噂好きなもんだからな、得てして男よりも女のほうが情報通だったりするものさ」
裏との繋がりのある情報屋の麻衣子は、若干うるさいところもあるがいいヤツだとオレは思っている。ぺちゃくちゃとあたり構わずいろいろなことをしゃべっ
ているように見せてその実、彼女の話は大半は嘘や脚色に染まったものだ。ところが、信頼関係を築けば一転、いくらか落ち着いた声音で真実を語り始める。
あれはあれで相手をしっかりと見定めて話をしているのだ。そんなしたたかさもまた好ましい。
そんな麻衣子の情報だ。間違いはないはずだ。
そのことを、遊馬も心得ているのだろう、それ以上はなにも言わなかった。
しかし、いかに情報が確かでも相手が動かないのでは話にならない。まさかなにも証拠を得ないままこちらから動くわけにも行かず、膠着状態は解けそうにも
ない。
日はますます傾き、夜がその勢力を一気に強めてくる。いよいよ身体は冷え切り、手の中の缶コーヒーもお気に入りのシガレットも切らしてしまった。にわか
に空腹感も出てきて、
――今日はもうダメか。
諦め、今日はもう上がろうか、と遊馬に促がし腰を上げかけたそのときだった。
「ちょ、ちょっと和田さん、たんま」
被疑者の様子を植え込みから窺っていた遊馬がオレのコートの裾を掴んで強引に引き寄せた。部下に乱暴に扱われるのはいい気がしないが、いまはそんなこと
を言っている場合でもない。
「どうした? ついに動いたか?」
「ええ、いま男がひとり入ってきました。……あれは、古賀ですよ!」
「なに? やっぱりか!」
ねじ込むようにして、オレも植え込みの隙間から部屋のほうを伺うと、遊馬の言うとおりデスクに座る被疑者の横に男が立っていた。室内の明かりが逆光に
なってはっきりとは見えないが、古賀雅臣(こがまさおみ)に間違いないようだった。
古賀雅臣。麻衣子が、容疑者の星野涼子と関係がある疑わしい人物として筆頭に上げた人物だった。
「ビンゴ! 来ましたねヤスさん。いまバッチリ写真にも納めましたよ!」
ケータイのカメラに収めた画像を自慢げにこちらに向ける遊馬。だがしかし、
「……いや、まだだ。まだ、これじゃ決定的な証拠とは言えねぇ」
「えーっ。で、でも、こんな時間にこんなところで会っている時点で充分あやしいじゃないですか?」
そうだ。たしかに、遊馬の言うとおり、こんな時間にこんな場所で密会しなんかしている時点で充分にあやしい。しかし、
「単に世間話をこいているだけかもしれん。あるいは、古賀じゃなく本命は別にいて、いまはまだその本命は来ていないだけなのかもしれん。なんにしても、こ
れじゃまだ証拠としては充分じゃないな。もっと、決定的ななにかが欲しい」
「決定的ななにかって、なんすか?」
「そう、だな。……いや、ちょっとまて。ホシが動くぞ!」
見れば、星野の隣に立っていた古賀が彼女の手をとり彼女を立ち上がらせたところだった。そのまま、なにか笑顔で話している。ここからでは、その会話の内
容まではわからない。指向性のマイクでもあれば簡単に聞き取れたかもしれないが、あいにくいま手元にはなかった。しかし、ふたりのその表情からこの二人が
親しい間柄であることは容易に想像がつく。
しばらく話し込んだ後、星野がおもむろに眼鏡を外し、古賀はそそくさと部屋のカーテンを閉めた。こちらの存在を気付かれたかと一瞬慌てたがどうやらそう
ではないらしい。
薄いレースのカーテンを通して、ふたりの様子はまだ窺い知ることができた。
――さあ、どうする? どう出る? どう攻める?
張り詰めたような緊張の時間が流れる。先ほどまでの、凍るような寒さも空腹感も吹っ飛び、その瞬間が訪れるのを息を呑んで待った。
二人を関係付ける確たる証拠。その写真を収めるとするならそれは、
チューだ。
それしかない!
部屋の中、カーテンの向こう側で、星野と古賀のシルエットが徐々に近づきひとつになろうとしている。お互いの方に手をのせ、極端に顔を近づけていく。
――ついに尻尾を掴んでやったぞ!
緊迫の一瞬。胸に湧き上がる期待と高揚感。もうまわりの音も景色もなにもなく、いまや二人の動向しか目に入ってこない。そして、
「君らはこんなとこでこーーーーーーーーーーーーーーーーーんな時間になにやってるのかなぁ? ん?」
「げっ!」
突然、真後ろから掛けられた声にオレも遊馬も吃驚して飛び上がり、勢いよく振り向くと、そこにはクラス担任の野間口が腕組みをして仁王立ちしていた。
最悪だった。
「もうとーーーーーーーーーーーーーーーーーーっくに下校の時間は過ぎてるよねぇ? それなのに、なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんでまだこん
なとこにいるのかなぁ? ん?」
野間口はいわゆる体育会系の教師で、いまどき珍しく鉄拳制裁も辞さない『鬼の野間口』と恐れられている男だった。有無を言わせぬ厳しい口調。虫ならいち
ころの射るような視線。怒りモードに入った野間口はそのオーラで他を圧倒する。
この男を前にして勝てるやつなどこの世にはいない。少なくとも、オレは知らない。
ヘタな小細工はもちろん効かないだろう。しかしまさか、
星野先生と古賀先生が付き合っているっていう噂を突き止めるために捜査をしていました。
などと、本当のことが言えるはずもない。絶対にムリだ。ありえない。
結局のところ、
「おまえら、そーーーーーーーーーーーーーーーーーーんなに学校が好きなんなら、この時間からでもまたオレと一緒に勉強するか? ん?」
ふぉーてぃーふぉーマグナムもかくやという脅し文句を聞かされて、
「し、失ッ礼しましたーーーーーーっ!」
「先生、さよーーーーーーーならーーーーーーーっ!」
オレも遊馬も戦略的撤退を余儀なくされた。
今日も、容疑者の疑惑と真相を突き止めるまでには至らなかった。
五年三組特命課。和田大輔・遊馬道弘の捜査日誌。
平成○△年 □月×日。情報提供者の春日井麻衣子(五年三組)の情報を元に授業終了後の午後四時頃より容疑者・星野涼子の勤務地(一階保健室)にて張り
込みを開始。一時間後の午後五時頃に、古賀雅臣(五年一組担任)との接触を確認。しかし、数分後に野間口剛健(五年三組担任)の妨害行為にあい、逢い引き
であるとの確かな証拠はつかめず、捜査打ち切り。
現段階では、星野涼子と古賀雅臣の間柄は非常に怪しいと言わざるを得ないが確証を得るには至っていない。この案件については今後も捜査を続行する。
「絶対に、尻尾を掴んでやるからな!」
−END−
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