常永久に
たえん


 序.

 筆者自身は取り違えていたのだが、歴史小説というものの定義をご存知だろうか?Wikipediaに依れば、<主として歴史上に実在した人物を用い、ほぼ史実に即したストーリーが展開されるフィクションのことである>とある。これは目から鱗であった。完全に時代小説と取り違えていた。
 だから最初用意していた話は時代小説的ファンタジーであった。んで急遽それをとりやめ今回の話とするに至った。すべての発端は以下の文章に依拠する。

 狩野永徳の祖父である狩野元信は狩野派二代目である。永徳はその孫であるがその父は元信の三男松栄である。

 さてここで何が問題になるのか。以下の章立ての中で明らかになれば幸いである。



 壱.

 話すよりも先に覚えたことがある。
 読むよりも先に覚えたことがある。
 習うよりも早く覚えるよりも早く。
 手は心に沿うて心は目を写し。
 儚きものそれは何よりも脆く。
 ゆえにこれらにこれを託す。

 源四郎には物心が付く前から消えぬ記憶があった。それは匂いの記憶。どこにいても何をしてもまといつく懐かしい慣れた匂い。
 膠(にかわ)、そして胡粉(ごふん)。
 もっと細かなそれら。鮮やかな色にふさわしい鮮やかな名前。
 群青。辰砂。緑青。黄土。雄黄。艶紅。青黛。蘇芳花。藤黄。墨。 
 実際いつそれらを筆にのせ、お祖父さまから与えられたであろう反古紙に書き散らしたかなんて覚えてもいない。ただいつもいつでも周囲の大人たちも兄弟も従兄弟も、山のような和紙やら絹に筆を滑らさぬ日はなかった。
 目を閉じれば聞こえる音。
 薄い絹や滑らかな和紙の上を走る筆の音。筆が走るたびに鮮やか世界が平面の上に生まれてゆく。これ以上の畏怖はなかった。
 何よりも万象を映し万象を解す。
 いやそんなおためごかしはいい。ただ描かずにはいられない。描かないことはありえない。それは息をするのと同じくらいいやそれ以上に自然なことだった。
 話すより先に覚えた。読むより先に覚えた。書くより先に覚えた。
 その名を源四郎、と言った。
 後の狩野永徳のことである。諱は州信(くにのぶ)、永徳は法号である。
 天文十二年(1543年)永徳は狩野松栄の長男としてこの世に生を受けた。

 最初に永徳の事績が記録に現れるのは山科言継の日記『言継卿記』の天文21年(1552年)正月二十九日条で、この日に狩野法眼(狩野元信)が孫を連れて将軍足利義輝に拝謁したことが記録されており、この「孫」が当時10歳(数え年)の永徳と推定されている。
 このことからも源四郎は祖父の秘蔵っ子であったと推察される。おそらく幼い頃からその才を見出し、当時のパトロンであった将軍に拝謁させたと考えられる。

「その日あったことを源四郎は絵で話したものだ」
 と祖父である狩野元信は後々までも自慢の種にしていた。なんでもその辺の反古紙にその日見たものやあったことを年端もいかぬ源四郎が描いてみせたというのだ。
「それは見事なできでなぁ」
 眉を下げて孫自慢。一族のおっかない棟梁がそればかりは相好を崩してにやけたもんだ。
 ま、それは祖父の贔屓目で確かに何かを描いたのかもしれないがそれほど意味の通ったものではなかっただろうと源四郎自身は思っている。
「普通の玩具に興味を示さない子供だったなぁ」
 と父である狩野松栄は時折ぼやいたものだった。狩野一族は御用絵師を生業として関係上屋敷中画材と絵師とその弟子たちとその家族でごった返しているのが常だった。
 狩野一族の棟梁の長男である源四郎はそんな従兄弟やら弟子やら兄弟やらとごちゃまぜに団子状態で育てられた。本来なら棟梁の息子としてあるいは事実上の一族の頂点に立つ祖父のお気に入りとして厳しく英才教育をうける立場にあったのかもしれない。
 だが実情は忙しい大人たちにうっちゃられ、源四郎はのびのびとした子供時代を過ごした。
 父のぼやきの原因はそういう腕白小僧に囲まれたあるいたずらに起因する。
 ある時、源四郎たち数人の子供はたまたま無人になった作業部屋を見つけた。普段は大人たちから、
「入ってはいけない、邪魔をしてはいけない」
 と厳しく窘められていたことだ。誰だって覚えがあるだろう。ダメだといわれれば魅力は増す。そして子供同士の面子がかかってくれば魅力は三割増しだ。
 がら、と引きあけた扉の向こうには驚くような鮮やかな世界が広がっていた。
「見てよっ! 」
「うわぁっ! 」
「すごくきれいねぇ」
 まず目に入ったのは大きな画布。それはまだ真っ白でこれから何かを描かれるのを待っていた。
 そして色とりどりの鮮やかな顔料を溶かれた絵皿。揃えられた様々な絵筆。
 源四郎たちはこっそりとうなずきあい恐る恐る手を伸ばした。
「だめよ、口にいれちゃぁ」
 やや年配の子供たちが心得顔に幼い子供に注意する。しかしその子供たちも目を輝かせ絵皿に手を伸ばすのだから説得力はない。絵師の家に暮らしていれば何よりもまず顔料を口に入れぬことをしつけられる。例えば。
「岩黄なんかは有毒だし」
 最初はこっそりと。だんだん大胆に。
 くすくす笑いがいつのまにか楽しげなきゃあきゃあに。
 絵皿に手を伸ばし指を浸す。顔料は指に冷たくねっとりと柔らかで滑らかになじむ。結局あれは誰が始めたというのでもない、と後年源四郎は思ったものだった。
 結局大人たちが戻ったときには。想像が付くだろうが惨憺たる状態だった。
 それぞれの顔にぬりたくり、着物を虹色に染め上げ、真っ白な画布は二度と使い物にならず、ついでに部屋も筆もめちゃくちゃだった。
 大人たちの怒号と悲鳴。
「あんたたちっ! 何してるのっ! 」
「きゃぁぁ、ごめんなさいぃ」
「待ちなさいっ! 」
 首根っこを引っつかまれて、抗議の悲鳴もなんのその。井戸端で冷たい水を頭から何杯もかけられた。
 思うにあれは孔雀碧もあったのではないか。鮮やかな絵皿の美しさは子供にはたまらない魅力だったが孔雀碧は孔雀石を粉末にした高価なものだ。そうでなくとも顔料は手に入りにくいものが多いんだし。
 悪いことをしたなぁと源四郎は思っている。しかもあれを置きっ放しにしたのはのんびりものの父だったのだろう。後々までも愚痴っていたものだった。
 思えば源四郎は世の中はどんどんきな臭くなっていったのに世間のことなど全く知らず、守られて恵まれた子供時代を送ったのだろう。大人たちが忙しく子供たちをうっちゃって置いたのもその辺にわけがある。
 
 時は室町時代末期から安土桃山時代へとうつろう戦国時代。
 地方で戦乱が巻き起こり、人心は乱れ、疲弊した。荒廃した世の中に絵などというものにうつつを抜かす余裕などはなかった。しかしその中でも狩野一族は時の権力者をパトロンに乱世を乗り切った一族だった。
 世が乱れ、権力闘争が激しくなればなるほど、人は栄耀栄華を夢見る。
 時代を制するものはこの世のありとあらゆるものを手に入れるのだ。それは芸術も同じ。
 自らの自己顕示欲を満たし、あるいは他者のそれをも満たせるものそれらを求めた。そういう時代。のちに「時代を表現するために生まれ、時代は彼のために用意された」とまで評された絵師、狩野永徳。その子供時代は穏やかに過ぎていった。



 弐.

「源四郎っ!! 」
「うっひゃぁっ」
 頓狂な声を上げて源四郎は絵筆を握りなおす。
「やっぱりこんな所でサボってた。おじいさまも叔父上さまも父上もみんな探してるわよっ」
 腰に手をあててはっきりした口調で源四郎を諭す。源四郎はこの気性の激しい従兄弟のお弓が少し苦手だ。
「べべべ、別にサボってたわけじゃないよ、ほほ、ほらここにこうしてね」
 がさがさと画布を源四郎は広げてみせる。
 そこに描かれていたのは思わず見るものをうならせずにいられないような見事な一輪の夏椿。
 僅かな線と僅かな色使いでまるで匂わんばかりに咲き誇っている。その花弁に露すら宿さんばかりの技量だ。
 だがお弓はそれをちらっと見ただけで柳眉を逆立てた。
「だいたいねぇ源四郎。わかっているのかしら」
 お弓の迫力に源四郎は引きつった。
「それが、いまの、依頼に、どう、関係してるのかしら?」
「そ、そんな一語ずつ強調しなくても・・・・・・」
「へぇ」
 お弓の声が低くなる。源四郎はこの二つ違いの従兄弟が怖いんだよぉと思わず逃げ腰になる。誤解してはならない。お弓は評判の小町娘だ。艶やかな碧の黒髪に澄んだ黒瞳。一見たおやかな物腰ににこっり笑えば笑窪がちらり。ちゃきちゃきとした歯切れのいい物言いに、裏表のない働き者。ついでにいうなら絵師として腕も期待されている。だから一族の中でもよい婿をそろそろ迎えてと縁談を進める声も高い。
 お弓は源四郎の祖父狩野元信の次男である秀頼の娘である。
 幼い頃より源四郎を実の弟のように可愛がり何かと面倒をみ、また共に遊び転げてきた仲だ。ちなみに幼い源四郎と絵部屋を荒らした中の一人だ。本来なら女の身で絵師になるなど考えられない時代だが、祖父元信がリベラルな考え方の人間で、狩野一族に名を連ねる以上絵筆を持ってもらう、という考えでみな一様に絵筆を握っている。源四郎とて例外でなく。
 その背景には夭折した元信の長男祐雪の存在がある。将来を嘱望された長男の突然の死は元信を打ちのめした。
 そして次代の棟梁には次男の秀頼ではなく温厚な松栄を選んだ。
 この人選に誰も逆らえなかった。それほど祖父元信の存在は大きかったのだ。
 そしてもう一つ、理由がある。
「源四郎? 狩野一族の仕事は何かしら? 」
「えと、御用絵師? 」
「そうよ。いけすかない狸爺の無理で悪趣味な注文を汲み取ってあっちをたててこっちもたてながら強引な納期に間に合わせなくちゃいけないのよ」
「そ、そんな身も蓋もない・・・・・・」
 お弓の言い方には少々難があるが要はそういうことである。
 権力の象徴として無理を通すのはよくある話。そして狩野一族は常時数十名の弟子を抱え、依頼主のどんな注文にも応じられるレパートリーの広さや納期の短さを誇っていたのだ。狩野一族の他にも絵師はいる。そういう並み居る絵師を掻い潜り評判を維持していくことは並大抵のことではない。ましてや気難しい依頼主の依頼を過不足なくこなすのは相当の腕が必要であった。
「それがいいとか、悪いとかじゃないのよ。そうしなきゃいけないのっ! 」
 お弓は源四郎に詰め寄る。源四郎は目を逸らす。
「あの父上がっ叔父上がっあんな奴らに頭を下げてっ」
「な、なんか矛盾感じない? 言ってることに? 」
「だからねあたしの夢はね」
 お弓はきれいににっこり笑った。
「あんないけすかない奴らが頭を下げて頼みに来るくらいの絵師になることなの」
 だから、と源四郎の腕をがっしり掴む。何やら握りこぶしを作って力説するお弓から源四郎はじりじりと逃げようとしていたのだ。
「今回の依頼も最高のできにするのよ」
「・・・笑顔が怖い」
「ナンか言った? 」
「いいえ、何にも」
 源四郎は音がするくらいぶんぶんと頭を振った。
「そうだったら、さっさと画室に戻りなさいっ! あたしの夢を叶えるために」
「野望って言ったほうがいいんじゃぁ」
「ん? 」
「なんでもないよぉ」
 情けない声を残して画室に逃げる源四郎の後姿を確認して満足げに頷いたお弓はふと源四郎が残した絵をみてふっとため息を落とした。

 源四郎とてお弓の言ってることはよくわかる。わかるがどうかと思うのだ。
 源四郎とて絵は好きだ。だがおもねるような絵は好かない。だけど。
 勇壮で豪壮な襖絵。絢爛豪華天井画。何をとってもそりゃぁどきどきした。それは間違いない。それを一族のものが描く。その誇りを忘れたことはない。それでも。
 時期棟梁にはお弓がふさわしいのではないか。その気性、腕前から言っても。よい婿をとって。
 そもそも筋を通すのなら源四郎の父松栄ではなくその兄秀頼が棟梁を継ぐべきだったのだ。
「秀頼伯父上だって素晴らしい絵師なのに」
 だけど。
「あれでは気性が激しすぎる」
 おじいさまがそう言ってた。
「長いものには巻かれろといってきくような奴ではない」
 苦虫を噛み潰したように言った。
 どうしてこんなに。どうしてこんなに身を削るように絵を描かなくてはいけないのか。
 そんな思いまでして描く意味はあるのか。
「だってどうせ一部の人たちしか見れないのに」
 もっと多くの人たちに楽しんでもらえれるようなものであればよいのに。漠然と源四郎はそんなことを思っていた。
 おじいさまや父上に連れられて納品に行ったお屋敷やお城はとても冷たくてよそよそしかった。
 猛々しい顔をした武将。
 取り澄ました貴族。
 それとなく聞こえてくる陰口。
 
 だがそれらもどんな思いも。
 画布の前で絵筆を握れば消えた。
 わくわくする。真っ白な画布を見るたびに。
 鮮やかな世界が広がる。
 背筋がすっと伸びる感覚。世界と自分は完全に調和している感覚。満たされた。描きたいもので溢れる。
 源四郎の世界はそれだけで完結していた。


 参.

「あれには覇気が足りん」
 ぽつりと元信は洩らした。それを受けて松栄はついと外を見る。
「だがお弓は申し分ない気性ぢゃ」
 その言葉に秀頼はうなだれた。
「しかし・・・父上」
「わかっておる」
 元信は苦虫を噛み潰したような顔を更に渋くさせた。
「それにしてもどこで? 」
「下絵を納めたときに見初められたそうな」
「しかしあれはまだ十五に御座います」
 それはこの時代あまり言い訳にならない。数えで十五といえばそういう話があってもおかしくはない。
「ですが・・・」
「お弓はなんと? 」
「それが・・・」
 秀頼が答えるより早く扉を叩きつけるように源四郎が部屋に飛び込んできた。
「おじいさまっ!」
「何事じゃ、源四郎。仮にも狩野家の時期棟梁たるお前がそのように浮ついておっては皆に示しがつかぬわ」
「すみませぬ、しかし、しかしなぜお弓を妾になど!」
 妾に。お弓を。襖絵を納めたとある豪族から唐突な要請。それは申し入れですらなく、いついつまでに屋敷に参上せよ、とまるで絵の納期でもあるかのような高飛車な要求。
 評判の小町娘を見てみたいとの軽口にうっかりと乗った始末がこれ。
 そして一族はそれを。
「お弓のことか」
「控えよ、源四郎っ!そなたのような若輩者が差し出口を申すとはっ」
「しかし父上っ」
「くどいわっ!」
 穏やかな父の常にない激昂に源四郎は口をつぐむ。だが不満を飲み込めたわけではなく口を尖らす。
 何故お弓が? そんな理不尽な? 
 狩野一族は絵師だ。そんな一族の娘を人身御供に出すいわれはないはず。源四郎はきっと口を結んだ。
「よいのだ直信(松栄)」
 宥めるように元信が取り持った。源四郎はぱっと祖父を見上げる。源四郎に甘い祖父のことだきっと思い直してくれるはず?
 だが祖父の表情は硬いままだ。 
「そのようにお父上様が源四郎めを甘やかしますからこのような増上慢を・・・・・」
 普段はそんなことを言わない父がどうして? 源四郎は自分の信じていた世界がどこかしら崩れてゆくのを感じていた。
 信じられない。
 それを受け入れているらしい祖父、父も、伯父も?
「ですが秀頼おじさまは何と?」
「・・・・もとより覚悟の上と、兄上は」
 答えない伯父の代わりに父が言葉少なに。
「そんな・・・」
「あれも狩野家に生まれたならそれをわきまえておる」
「源四郎、すでにお弓は納得しておるのだ」
 だってお弓は絵師になるって、絵師になりたいって。
 それが夢だって。
「お弓と、お弓と話さなきゃっ! 」
 糸の切れた凧のようにふらふらと部屋を出る源四郎を大人三人は止めようともしなかった。



 四.

 
「お弓っ! 」
 源四郎はお弓の肩を引いた。
「お前はそれでいいのか? 」
「いいも悪いもそうするしかないでしょ? 」
 振り返りもしない言葉。源四郎の手がお弓の肩からはたりと落ちた。
「・・・・・逃げよう二人で。二人なら何とかなる」
「どうやって? 」
 考えてもいなかった問いに源四郎は口をつぐむ。
「畑を耕す? 刀を振り回す? 商いをする? 」
「そ、そんなのやってみないと・・・・」
 残りの言葉は源四郎の胸の中に消えた。手を見下ろす。顔料の染み付いた手。細く女のようにしなやかな指。誰が見たって力仕事のできる手ではない。嘲りの対象になった指。そう武道のかけらもたしなんだことはない。だがこの手には誰にも負けぬ技量がある。そういう自負はすでにあった。
「そうだ、絵師をすればいい」
「ねぇ、誰が買ってくれるの? それを」
 そうだ、逃げるということはそれを買ってくれたであろう相手に後ろ足で泥を引っ掛けるに等しい行為。
「・・・お百合、末吉、松助」
「えっ? 」
 お弓がうつろに狩野家の子供たちの名を唱えだす。ついで大人たちの名も。
「ねぇ、何人いるかしら? 」
 くるっと振り返って真っ直ぐに源四郎を見据えた。
 しん、とした表情。
 彼らがどうなるか。あの人たちを怒らせたら。
 考えるまでもない。自分たちは珍しい芸を見せる猿のようなものなのだ。
 恐ろしい戦乱。それらを自分たちが回避してこれたのは。
 そんな中に自分だけではなく、お弓や一族を放り込めるのか。
 ふいに悟った。ぱっくりと口を開いた深淵に。
「もう二度と絵筆なんか握れないわよ」
 雷に打たれたような思いだった。源四郎は愕然とした。絵が描けない? 二度と? 
「だめよ・・・・そんなのは」
 誰が源四郎の理解者だったのか。一番近くにいて一番源四郎を見ていたのは? 
「あたしはもっと見ていたい。あんたの描く絵を」
 ふっとお弓は笑った。
「ねぇ、覚えてる? お化けの絵を描いたときのこと? 」
「お化け?」
 そんなこともあった。だけどあれは子供落書きだ。
「そうよ、みんなと描き比べをしたぢゃない? あんたが八つくらいのときに」
 そうだ。だけど。
「みんな怖いって泣いたっけ。あんときは結構ショックだったよなぁ。そんなにへたくそなのかって。将来は父上みたいな立派な絵師になるってすでに思ってたのになぁ」
 ふっとお弓が泣きそうな顔になった。
「違うよ」
「えっ? 」
「あの絵を見てからよ、おじいさまがあんたを本格的に見込んだのは」
 知らなかった。でも確かにそう思えばあれから連れまわされることが多くなった。
「源四郎はいつもそうね」
 悲しげに笑う。
「妬ましかったし、嫌いだった。源四郎あんたのことが。あたしがあんなに頑張って描いてるのにあんたはあんなにあっさりとあたしを追い抜いていく。しかもそれに気づいてもいない。腹が立ったわ。いつかは見返してやるって思ってた。でもあんたの絵を見るとそんなのはどうでもよくなったの」
 きっと源四郎が苦手な目でお弓がにらむ。
「ほんとにどうでもよくなった。かなわないって思ったの」
 だから、と語を次ぐ。
「許さないから」
 手を伸ばせば届くのに。届かない。粘った沼にでも落ち込んだ気分だった。源四郎は言葉がするすると逃げ出すのを感じていた。お弓の言葉が意味がとれない。
「描くのをやめるなんて。それもそれがあたしが理由なんて」
 だめよ、とぶんと頭をふる。
「あんたは描かなくちゃ」
 咽喉がからからだった。頭ががんがんした。だめだ。こんなのは。でも。
 何が苦しいって、描けないかもしれない、ということ。お弓が理不尽にいなくなることよりも。知りたくなかった、こんな醜い自分は。それを悟らせたお弓に憎しみする抱いた。自分はこんな人間だったのか。こんなお弓より絵が大事だったなんて。知りたくなかった。
 でもお弓がいなくなるのは嫌だ。それに嘘はない。嘘はないんだ。
 源四郎はお弓を。だからそれがどんな意味を持つというのだ。
 お弓と逃げることも絵を止めることも一族を破滅に追い込むこともできない。
 できるはずがない。
 自分の無力がくやしかった。自分が子供であるというのをこんなに感じたことはなかった。
 理不尽な要求をしてきた権力者が憎かった。それに唯々諾々と従う、祖父や父や叔父が憎かった。
 そしてこの期に及んで自分が一番嘆いているのが絵がかけなくなることそれだけだということが信じられなかった。
 お弓がそれらをすべて受け入れていることも。
 まるで自分の言ってることがすべて単なる子供のわがままに過ぎないように感じることまで。これでは自分はただお気に入りのおもちゃがなくなるのを拒んでいるだけのようではないか。
 だったらもう。
「だったらあげるからっ」
「源四郎?」
「あげるったらあげる。お弓が、お弓の目に入るくらいに。俺が描く絵はすべて」
 最高の顔料、最高の材料、最高の腕で。
 何年経っても鮮やかに、何年経っても語り継がれるような。誰にも文句を言わせない。そんなものを手に入れるまで。二度と大事なものを諦めなくていいように。
 そしていつお弓が見てもわかるように。それが源四郎の夢。お弓の夢。
「描くから」
 お弓のために。お弓の代わりに。
 こんな感情を知ってしまったらもう今までのようには描けない。描けなくていい。
 でもきっと描くんだ。源四郎は苦く思った。自分はそういう人間だ。
「きっと」


 こうしてお弓は嫁いだ。
 嫁いだ、という言い方は正しくはなく。

 果たしてお弓の目に源四郎の作品は届いたか。
 それはわからない。また秀頼にお弓という異腹の娘がいたかどうか。これもはっきりしない。
 ただ間違いなく。歴代の天下人をパトロンとし源四郎は、当時最高の画材で最高の絵を描いた。
 その多くは戦乱の中で消失したとしても。 

 狩野派は室町時代の後期から明治時代の初期までのおよそ四百年間もの間、日本画壇の中心にあった。それは世界的にも例をみない専門画家集団である。と、同時に他の流派の存在を圧迫し続けた、つまり日本の画壇をより画一的な硬直したものにした、という批判も成り立つ。だが少なくとも。
 間違いなく狩野派には高度な政治的手腕を保ち続けた一派であったということだ。
 狩野派の始祖である狩野正信、その子二代目元信は狩野派の基盤を築いた。筆者のごとき浅薄なる歴史の知識をもってしても、この室町以降、江戸幕府成立までの激動の時代、そのたびごとの時の権力者との関係は容易ではなかったと想像に難くない。
 その基盤を築いた元信の眼力をもって見出されたのが源四郎である。
 その出自から考えれば、当時の家父長的封建社会において三男の子である源四郎がその棟梁の地位を継ぐことはありえない。しかし源四郎の父である元信の三男、狩野松栄がその地位を継ぐにあたって表立った反対はなかったとされる。元信の長男宗信は早世しているが次男秀頼が家督を継がなかった理由もはっきりしない。ましてや源四郎が十七の年に祖父元信は他界している。
 ここから一つの推論が導き出される。
 源四郎に狩野家の将来を託すことに一族の異論はなかったということ。そして源四郎の才能は幼い頃より飛びぬけたものがあったということ。




 終章

 以下の文章はWikipediaからのそのままの引き写しであることをどうぞご了承頂きたい。

 永徳の代表作の一つと見なされている上杉本『洛中洛外図屏風』は、その注文者、制作年代、景観年代について多くの説があるが、20世紀末の研究の進展により、永禄8年(1565年)の完成と見なされるようになった。当時永徳は23歳である。この屏風は、天正2年(1574年)、織田信長から上杉謙信に贈られている(上杉年譜)。

 また、五摂家の筆頭である近衞家とも関係が深く、永禄10 - 11年(1567 - 68年)には近衞前久(さきひさ)邸の障壁画を描いている(言継卿記)。

 天正4 - 7年(1576 - 79年)には安土城に障壁画を描き(信長公記)、天正11年(1583年)には大坂城、天正14年(1586年)には聚楽第の障壁画を担当するなど、織田信長や豊臣秀吉をはじめとする権力者に重く用いられた。

 天正17年(1589年)には後陽成天皇の内裏の障壁画を担当し、天正18年(1590年)には八条宮家の障壁画を描いた。同年9月、永徳は東福寺法堂(はっとう)の天井画の龍図を制作中に病気になり、ほどなく死去した。享年48(満47歳没)。
 死因は一説によれば過労死ではなかったか、ともいわれている。
 なお、東福寺法堂の天井画は永徳の下絵を元に弟子の狩野山楽が完成させたが、現存しない。

 
 ともあれ歴史は所詮後世の思い込みにしかない。
 死者は語らない。いわんや生者の胸中も本人にしかわかりはしない。
 過労死、というほどに心を傾けた源四郎の生き方の背後に少しばかりロマンチックな解釈を加えられたなら筆者としては本望である。

<終>


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